2015年1月15日木曜日

テロなんて怖くない!(勇気を下さい)

先週から我が家の扉に張られているデッサン
「マルセイエーズの歌詞はたびたび問題になるけど、こんな事態に何を言っているのか」と私とテロ事件とのズレ具合に呆れられる方も多いだろう。自分でも何故こんなに執拗にこだわったのか不思議なのだが、思い当たるとしたら、おそらくあの「追悼の集会」と私が思っていたデモでの大衆の血なまぐさい歌詞の合唱をきいた時、政治レベルで「言論の自由」から「対テロ戦争」に流れが変わったのに大衆が呼応したと直感したからではないかと思う。

前回は「フランス人は気分が高揚するとマルセイエーズを歌う人々」と結論したが、「気分を高揚すべき折にマルセイエーズを歌いだす人々」とすればより容易に納得してもらえただろう。つまりマルセイエーズはニュージーランド・ラグビーチームの「ハカ」:「相手に負けないぞ」と自らを鼓舞するもの。この方が歴史にも合っているし、日曜日にレパブリック広場に集まった群衆も、私は追悼の場に相応しくないと思ったのだが、彼らにしたら「テロなんて怖くないぞ!」と自らの勇気を奮い立たせた。

告白すると私も何故かマルセイエーズを聞くと気分が高揚する。 私はズドンと一発は怖くないが、拷問されたらどうしようと思う(これはほぼ子供の時からの悪夢)。ひょっとしたら失神するまでマルセイエーズを歌い続けたら耐えられるかもしれない(夢の中でも)。
と少し今日はマルセイエーズと和解しました。


ところで昨日の発刊されたCHの漫画、関口涼子さんの模範的解釈を教えてもらった:

「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題 

http://synodos.jp/international/12340/2


すばらしい! でも翻訳の要らない仏人のどれだけの人が、仏語圏イスラム教徒の何%が関口さんのような解釈ができたか? (実際気になって Tout est pardoné でひっかかってくる仏語ニュースサイトを幾つか見たが「誰が誰を赦したか?」を彼女の様に書いている記事には行き着かなかった。見たら教えて下さい)

私は昨日 pardonnerを「許す」と訳してしまったが、これは単純に漢字能力のなさで、、、お許しを。

しかしなかなか本論の「言論の自由」に到達しない、、、 これは関口さんのような方にまかせ、わざわざ僕が書かなくてもいいかという気もして来た。

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