2018年6月11日月曜日

イカルスの変遷 Evolution d'Icare

Mon dessin à l'eau de mer de l'Ile d'Ikaria*, "Chute d'Icare", exposé à Verrières le Buisson est revenu à mon atelier le vendredi dernier. On y voyait très clairement les cristaux du sel sur les deux taches d'encre noire. 
Mais hier j'ai découvert qu'ils étaient disparus !  
C'est vrai qu'il y a des orages depuis deux semaines, il y avait du brouillard hier matin. Pourtant les autres dessins ne bougent pas (sauf celui à l'eau de mer morte**). Donc la hypersensibilité de "Icare" est dû à sa structure spéciale : le papier japonais étant marouflé sur le toile, il y a des cristaux confinés entre les deux. Certainement cela attire et retient de l'humidité de l'air environnant. 
En fait, quand j'ai fait ce dessin en novembre 2017, il avait déjà montré une évolution spectaculaire au bout d'un mois. Maintenant je l'ai accroché sur le mur pour que je puisse observer le changement.

Note :  
 *Selon la légende,  Icare s'est tombé au large de cette ile. J'y suis jamais allé. Un ami m'a apporté de l'eau de là-bas.
 **http://eizoecrit.blogspot.com/2016/07/blog-post.html

イカルスが沖に落ちたと言われるギリシャのイカリア島の水で描いた「イカルスの失墜」、この作品は海水で濡らしたキャンバスの上に和紙を乗せて墨を垂らした。
作ったのは昨年の11月だが、一ケ月経つと墨滴の部分に白い結晶が大きく成長し、そのキラキラした状態で、3月に私は帰国中だったが郊外の「イカルス」のテーマの展覧会で展示してもらった。それから知合いが預かっていてくれて金曜日に戻って来た。
その時もキラキラ光っていたが昨日見たら真っ黒に戻った。
最近のパリ(というよりフランス全土)はほぼ毎日雷雨に見舞われ、昨日の朝は霧が立ち込めていた。つまり湿度がかなり高い。今までこんなに空気に反応するのは「死海の水」の専売特許だったのだが、、、。
考えられる原因はこの絵の構造。和紙とキャンバスの間にも結晶が散らばり微妙なマチエールを出しているのだが、そのサンドイッチ状態が吸湿効果抜群らしい。確かに絵を触るとしっとりとしている。

注意:普通の紙の上のドローイングでは死海以外ではこんなに敏感に反応しませんのでご心配なく(参考記事)


2017年11月の制作当時 (en novembre 2017)



12月から先週金曜まではこんな感じだった 
(photo prise en décembre 2017. Il reste ainsi jusqu'au vendredi dernier)
 







そしてこんなになった Et hier
 

今後どうなりますか。ちゃんと壁に掛けて観察します

注:イカリア島の水は友達が持って来てくれた。私は行ったことがない

2018年6月6日水曜日

セニョール・セラーノ

今日は前々回予告した、パリ公演はあっさり二回で終わってしまったバルセロナの劇団グループ、セニョール・セラーノ Agrupación Señor Serrano のことを書く。

パリ市の劇場からヨーロッパの若手の新しい動きを紹介する週間のプログラムが届き「15ユーロなら何か見てもいいけど、どんなものか下調べを」と幾つかのカンパニーのサイトを見だしたのだが、、、

彼らのグループ紹介がなかなか傑作だった。最初は「2006年にアレックス・セラーノによりバルセロナで創設され、、、」とまっくありきたりで始まったが、下の方にスクロールすると黄色の帯に「きっと貰うに相応しくない他の賞」と黒の太字タイトルで堂々と大きく書かれて、テクストには「2015年の貰うに相応しくないヴェニスの銀獅子賞の他にカンパニーは間違って幾つかの賞をもらっている」「色々なフェスティバルが連続して間違え続けで我々の仕事に賞を与え」などと、冗談か嫌味かわからない不思議な受賞歴を紹介している。「美術史上最強の少女」ではないが(参考投稿)、私これに釣られた〜♫

でも舞台の内容は冗談半分でない。私の見た最新作"Birdie"のテーマは移民問題! スペインは対岸北アフリカのモロッコ領に保有するメリリャ Melilla という飛地領を持っている(ウィキ)。そこには押し寄せる移民を阻止する為に立てられた国境の高さ6mの金網フェンスが存在し、そこによじ上りそこに座っているルポ写真 とヒッチコックの「鳥」のイメージをダブらせることが作品の土台となっている。今彼らのページを開くとそのクリップビデオ(予告編)が自動的に開始されるので(画面をクリックするとメニューに飛んでしまうのでそのままにして)それを見てもらうと舞台の様子がわかるだろうが:

舞台には左側にカメラを備えたデスクがあって雑誌 、写真、オブジェなどを2人の男性が操作しつつ撮影、それがバックのスクリーンに投影されて行く。それは時にはコンフェランスの資料説明のようであったり、 時にはアート的に、例えばゴルフボールに懐中電灯で照らして満ち欠けする天体の様に見せるとか。舞台の中心には動物、赤ちゃん、あるいはマスコットといった様々な模型の人形の行列するミニュチュアゴルフ場というインスタレーションがある。それもカメラで大写しされて行くが、模型の鳥をカメラの前にかざしつつその上を移動しながらあたかも自然科学映画の鳥の飛翔の如く見せたりと、潔く舞台で手のうちを全部暴露しながら披露するこのローテクが私には何とも言えない。

舞台の左側にもう一名、彼は舞台上構成されて行くイメージと、既に録画されているAVとを切り替えたりミックスしたりするDJがいる。

実際に舞台で写る画像は下のクリップビデオ(予告編)の様にバタバタしてなく、もっとテーマごとにじっくり物語られて行き、比べ物にならないほど素晴らしい。私がこの舞台で一番買ったのは繰り返しになるが、通常のビデオの利用とは違って、実際に目の前で行為される「手のうち暴露」のパーフォーマンス性の危機感あるいは緊張感。そして最後は舞台の人形たちは掃き清められてしまって、、、これはそれほど必要性があったのか疑問だが、毎晩この為に人形を並べ直すとはなかなかの勤勉さ:私ならそこまでしない(笑) 構成も緻密だし、なんかバルセロナの人とは思えない!(私の知っているバルセロナは90年代ですが、、、)
辛辣なところもある画像と歌謡曲のようなテーマミュージックのギャップもよかったなー

これはyoutubeにある予告編
 

ミニチュア人形の操作などが見えないと面白くないから小さなスペース用。煙霧を立ち込ませその中に画像投影し、自分が鳥になったような気分にさせられるところもあった。
もし何処かで見る機会があったらかぶりつき席でご覧下さい

Birdieという題はゴルフのバーディーと鳥のバードを掛けている。実際にゴルフ場の奥に移民阻止の金網フェンスがあるのだ。

Agrupación Señor Serrano

これが2014年に撮影された現実とは思えない実際のルポ写真



2018年6月3日日曜日

キーファーの新作展(もう終わってしまったけれど)

何が面白くて何が面白くないかというのは難しい。例えばアンゼルム・キーファー Anslem Kiefer(ウィキ)

80年代はじめて彼の巨大でダイナミックな絵を目にしたときは惹かれたが、暫くするとパースペクティブな構図と灰黒黄土の材質感で圧倒するいつもながらの手法に飽きが来た。そんな時に観た「大地の魔術師たち」***の鉛版に球を打ち付けて凹ませて幾層にも垂らしたインスタレーションは同展のテーマであった非ヨーロッパ諸国の土着な表現に呼応したパワフルなもので見直した。だがその後は金属、土、草木、建材、何でも使った工事現場か廃屋の様なメガロマニー的な作品に、神話やユダヤの神秘思想、ホロコースト等の解釈がくっつくようになって、無教養な私にはうさんくさと衒学的なところが鼻に付くようになった。2年ほど前のポンピドーの回顧展*も国立図書館**の大展覧会も見ていたのだが、そういう印象を新たにし、会場でブログ用にと写真は撮ったが結局「書く」気がしなかった(一応私のブログは写真より文が主体ですので)。

でも今回のパリの近郊パンタンに大きなスペースのあるThaddaeus Ropac 画廊の近作点は「文字通り」一皮むけていた。文字通りというのは絵の上に液体の鉛をぶっかけて、その縁をまさに「皮を剥く」ように曲げて張り出させてあるのだ。制作年を見ると1986-2017とか、新しめでも2015-2017とか記されていて、つまり昔の絵の上に鉛をかけた。こうして例のパースペクティブは壊され、ど真ん中に重くてかつ繊細な幻の木(あるいは気)のようなものが現れ、今までの作品のイメージが「何かが起きた後」の光景のようであったのに対し、それが「変容する光景」のような、つまり彼が興味を持つ魔術的、錬金術的なイメージがダイレクトに表現されるようになったと思う。剥がされた鉛の裏には鉛に剥がされた絵のマチエールの層がくっつき、その質感は「卵かけご飯」が「親子丼」に変わったぐらい豊かになった。明らかに鉛だけでなくいろんなものがかけられていて、表面をよく見ると六角状の結晶がピカピカと光っていたり、、、私が海水ドローイングで「塩が光ってるでしょう」なんて人に言っているのが一挙にふっとばされた感じでしたね〜。「本当に無茶苦茶やりやがって、悔しい!(笑)」

ところでこの展覧会はAndrea Emoに捧ぐとされていているのだが、エモさんはイタリアの哲学者で学会を避けた孤高の思想家だったらしい (1901-1983)。ウィキでもイタリア語しかなかった。「記憶以外には新しいものはない。新しいことは我々から生ずる。我々は未来である、もしそれを放棄できるなら」というエモの言葉にキーファーは旧作品の破壊のインスピレーションを受けたようだ。そして曰く

「私はかつてとは反対に怒りも絶望もなく、絵を地面に置き暑い鉛をそれに流した。失敗は完全に予測の中に含まれ、何れにせよ結果はあり、もはや絶望の理由はない。この破壊行為が計画ではなく激怒により生じたなら、鉛が異なる流れをしたなら、結果は違っただろうか?」

ちょっとこれ、私の創作態度と似てるところがあるような。だから今回は気に入ったのかなぁー。



絵も巨大だけど
Ropac画廊も巨大

剥け剥け具合がよくわかるでしょう


鉛の裏のハゲハゲ具合 詳細
キーファーの絵も結晶は写真では難しいけど




 * どんな感じだったかは写真が一杯のこの日本人アーティスト(面識なし)の方のブログでも
** 「本の錬金術(l’alchimie du livre)

後半のエモ、キーファーの言葉は次のページから:
http://agenda-pointcontemporain.com/11-02%E2%96%B731-05-anselm-kiefer-fur-andrea-emo-galerie-thaddaeus-ropac-paris-pantin/

***の関連投稿: 
現代「キャビネ ドゥ キュリオジテ」論 続あるいは序


右は2015年秋の国立図書館での展覧会で撮った写真。「本」もこんなに大きいから参るよね。彼は五十肩知らずだろう。。。

2018年5月19日土曜日

そして痛みだけが残った

最近展覧会を見ても眼を見張るようなものもなく、まあそれなりに作家は頑張ってるなーと一瞬は思うが、作品はよくあるパターンで「今更なんで?」何て思う後味の悪さが残ることが多いのだが、、、(「単なる自分の嫉妬か?」と思うと余計後味が悪い。。。)

素晴らしかったのは写真家の友人カップルの展覧会。会場は何か私の実家の駅前シャッター商店街のようなところで、こんなところにギャラリーがねーと思いながらきょろきょろしていると写真家カップルさんの三分の一寸ぐらいのロボットが移動している。「ナニナニこれ〜」と追いつくと少し先に「本物」のカップルさんがいて彼らの近くに行くと、いつもは旦那のAさんがスナップ写真を撮るのが小さなロボットカップルがパパラッチのようにバチバチ私たちの写真を撮り出した。

「会場にいなくていいの? 画廊どこなの?」
「通りの向こう」

と言われて行った大きなスペース、入ったら納得、すべて子供の背丈の視線のロボットが撮った写真家カップルとお友達や通行人のスナップ写真の展覧会だった。
いつもアイデア一杯だけど、今回はセルフィな時代をハイテクで追い越し、ますますすごいなーと感心していると目が覚めた。

実は四十肩( 五十肩?六十肩?)で寝ても腕が痛くなって起きるようになり、医者に行ったら単にコデインcodéineという物質がメインの鎮痛剤を与えられた。コデインは若者がアルコールと混ぜてトリップするのに使うので制限された薬なのだが、お陰で飲み出した三晩はなかなか楽しい夢を見た。それで楽しいと言えば楽しかったのだが肩と腕の痛みは去らず、薬にもなれてしまったのか「良い夢」も見なくなって、、、

現実の展覧会を梯子した後、最初に書いたように「夢で見てる方がよっぽど刺激的かー」と落胆していたのだが、昨晩久々に画期的に面白いスペクタクルを見た。ビデオとインスタレーションとパーフォーマンスを合せたものなのだが、そう書くとあまりにも陳腐。どう描写すべきなのか? 最近はビデオで抜粋が見られるからそういう努力は不必要と思っていたら、本当の舞台は息も切らせぬように畳み込んで来るのに宣伝用の「予告編」は全然良くなくてー、、、
まあパリ公演は昨日一昨日の二晩だけで終わったことだし、彼らの話はもう少し考えてから次回に(?)

というわけで今日は時々する「夢の話」でした〜。30年来会っていない昔の友達とデヴィド・ボウイの未発表曲(!)を一緒に歌いながら気球の上に登ったのも楽しかった〜♫(笑)

夢の後ボウイへのオマージュのNYの地下鉄の駅があることを知った(参考インスタ写真)。そして昨日の舞台はミニチュア人形をビデオで撮りながらというのが大きな要素で、、、これは主客逆転だが、こういうのも正夢というのかなー。

これが今日は挫折したが次回紹介するつもりの Agrupación Señor Serrano



2018年5月12日土曜日

ヴェリブとリンキー

前回の問題だらけの新ヴェリブから今朝メールが来て、将来の対策として「電気自転車のサービスを一時停止する」そうな。前回書いたように配電問題の原因が「旧ヴェリブと違って電気自転車も設置されることになり昔の配電ではだめになった」のでそんなこと誰でも即座に考えるでしょうが!(唖然)。最後に「6月末までに800駐輪所の80%の配電をする」と締めくくられていたが、つまり640箇所ということだから、旧ヴェリブの駐輪場が1800あったのだからその1/3。この目標だと多分私の近くの工事中の駐輪場は取り残されたままであろう(またまたまたため息)。勿論前回の記事以来ずーっと乗れていない。。。

ところでその配電会社のエネディス(ENEDIS)は現在すべての電気メーターを、交流電源にデジタル信号をのせて使用状況を把握できる新しいリンキー Linky という電気メータにしようとしていて、高周波が発生することと情報保護の問題で取り替えに反対している人が多い。実は私もその一人でちゃんと配電会社と市役所に書留郵便で「拒否状」を送っている。私は特に高周波に高感度とも思わないが、眠るときはWi-Fiを切った方が寝心地が良いような気がしているので夜は切るのだが、電気メーターだと冷蔵庫、暖房等のためオフできなくなる。かつ普通の個人消費者はこの「賢いメーター」で消費動向がわかってもほぼまったく恩恵を被らない。そもそも今ままで何の支障もないものを何故強制的に替える必要があるのか理解できない。「フランスの全のメーター」を替える何てとんでもない予算がいる。結局はそれが電気代の上昇になるのは明らかではないか。
法律的にはメーターは配電会社のもので我々には選択する余地がなく、変更は「強制的」なのだがメーターがアパート内にある場合は勝手に入っての変更工事は家宅侵害になるからできない。それが私の反抗の砦なのだが、工事の日程を決定する為に電話が先日かかって来て「拒否しています」と答えると電気代割引の申し出があった!!!(驚くよなー)。
 アパートの外にメーターのある人は留守の間に工事がされて、デジタル信号の為に使用機器が初期化されたり、よくきくのは何故だか知らないが温水器が作動しなくなったり、これは因果関係があるとは思えないが火事になったり(ひょっとしたら工事の不手際?)という問題がおきてクレームも殺到。

話を戻すと新ヴェリブに安全基準を理由に工事を進めない配電会社と、メーター交換を急ぐ会社は同じエネディス(勿論工事は下請けだが)。つまりは彼らはメーターのことで手一杯でヴェリブどころではないのではなかろうか?

これは単なる私の推察で、おそらくマスコミの関心外。何たって今のフランスは国鉄の三日おきのスト、エアフランスのスト、大学入学制度改革反対の一部学生のキャンパス占拠、68年の「五月革命」の50周年、そのほかご承知の様に国際問題も一杯だから、ヴェリブもリンキーもマージナルな話題で、、、。

新しいバス停と古いバス停(左下の小さな写真)
日本人はフランスが「伝統の国」と思いがちだが、ヴェリブにもリンキーに見られるようにシステムを文字通り刷新するのが大好きで、「まだ使えるのにー、もったいない」ということがしばしば起きる。例えば古いヴェリブなんて2万台みんなお釈迦ですよ〜。新ヴェリブがこんな無茶苦茶になると知っていなくとも旧ヴェリブを「処分大セールでもしてくれれば買ったのに」なんて思うのは貧乏性の私だけかな〜?

そういえば去年以来、バスの停留所、掲示板、新聞雑誌販売のキオスクも古いものは取り壊され、新しくなった。システムを漸次的ではなく一挙に変えた方が合理的とエリートが決定し断行するのがフランスで、「言い合いをするのは得意でも、議論をして合意(妥協策)に到るのが極めて不得意なのがフランス人では」と思うのは極論でしょうか。結局革命と専制は瓜二つ。

マクロンどうなるかな〜:ちょっと話が飛んだか(笑)


ところで左は私の五月のカレンダー。赤丸が国鉄スト日(但し日、路線によって違うが50%ぐらいは運行)、オレンジ丸が祭日(5月は多い)、青丸は我が最寄りの駅ビブリオテックの地下鉄あるいは近郊電車の工事による閉鎖日。加えてヴェリブなしだから、なかなか悩ましい。(「普通の人たち」はそれどころでないだろうが)








2018年5月1日火曜日

問題だらけの新ヴェリブ

2007年に開設され好評を博して来たパリのシェア自転車のヴェリブ(Velib)**だったが、昨年春に運営会社が変わると発表され、10月頃から駐輪場工事が始まり、12月には工事中ばかりで全然使えなくなり、予定では1月には工事は終わる筈だったのだが、延び延びでそれが3月になり、、、。
だから日本の個展でパリを空けているうちに流石に使えるようにはなっているだろうと期待していた帰ってきたのだが、 工事の進度は地区によって差があるようだが私の家の近くの駐輪場は閉鎖されたまま。かつヴェリブがあったからといってこれが動くとは限らない!
私の最寄りの地下鉄の駅より遠い国立図書館付近には一つ駐輪場ができたと教えてもらったのだが自転車があっても利用できる可能性は極めて低い!私が不器用あるいは新技術についていっていないからではなく、他の若いフランス人もみんな文句を言いつつメトロの駅に急いでいる。これはパリ中心街でも同じこと。いったいどうなっているのか?

新しいヴェリブは自転車のハンドルの真ん中にコードを入れたりする液晶を備えていてインテリジェントになっているのだが電気が必要、使えないヴェリブが多いのは置き場に配電工事がされず(旧ヴェリブと違って電気自転車も設置されることになり昔の配電ではだめだということだそうで、、、)、その応急措置に配電の変わりにバッテリーを設置して2−3日おきにそれを交換するという愚かしい事態になっているらしい。加えて従業員が「昔より待遇が悪くなった」とストに入り、もうお先は真っ暗。

それにもかかわらず乗ってしまったヴェリブ。たまたま動いて「ものすごいラッキー!」と大喜びになったからだったが、その晩携帯に「使いっぱなしです」と警告が入り、電話したら「不具合が多いので追加料金は取りませんが、技術員が確認するまで新たな利用はできない」って。何なんだそりゃ、技術者ストでしょ!!!

旧ヴェリブはすごく上手く行っていて、1800の駐輪場があり、2万台の自転車をプールし、使用者の9割が満足していたという:これは「文句を言うのが趣味」のパリ市民にしては信じ難い数字だ! 安くて(年間29ユーロ)、便利で、健康的で、私も「人生変わった!」と思うほどだったのに、、、。

そもそもそれを何故変えたのか?

簡単に言えば市にお金がかかりすぎた。
経営会社がバスの停留所などを無償で作るがそこに掲示される宣伝ポスターの収益で儲けるDCデゥコー(JCDecaux)社だったから、前市長のドラノエ氏が「パリ市民には一銭もかからない」と立ち上げ当時に言うのを聞いて、私はデゥコー社はまた上手く儲ける経済モデルを考えたのだろうとナイーブに考えていたのだ。しかし新聞記事を読んでみるとパリ周辺にまで広めた時に郊外の町の駐輪スタンド建設費を持たねばならなくなったとか、それにあまりにヴァンダリズム(機器の破損行為)、盗難が多い(=2012-14のデータでは毎年自転車総数の半分が盗難あるいは修理不能となる!)のでデゥコー社が全額負担だった筈だったが一台につき400ユーロを持つことになったとかで、、、よくわからんが、つまりは公共交通的側面と環境政策から維持しようと頑張ったがが支えられなくなったということだろうか(私の推測)。何しろ会計検査で年間1600万ユーロ(約20億円)もかかっていると指摘されたのだ。

だから春に入札制でSmovengoという仏西共同グループが事業権を得たのだが、大工事をしてまでも自転車も駐輪場も全部を一新する方がよいとは経済に疎い私にはなかなか考えられないのだが、、、。かつこの新しいヴァリブは電子装置搭載で明らかに高価、それにそんなに優れた盗難破損防止システムがあるのかも疑問。加えてもっと被害を受けやすい郊外にまで広げる計画なのだけど? 元の木阿弥にならないのかなー、工事も満足に進められない会社に任せて、、、*(ため息) 
勿論一利用者としては新ヴェリブの将来を祈っておりますが、先は暗いなー。

ちらっと日本語ブログを調べると新しいヴェリブの宣伝みたいなことばかり書いてあって、どうなってるのかなー。世の中何でも当たる「運の良い人」はいるけど、特にラッキーなタイプでなかったら旅行に来て「あーヴェリブがある ♪」何て思って一日券なんて買うと丸損ですよ。かつ一日券は以前は地下鉄チケット一枚ほどの値段だったと記憶しているけど、新会社の苦難を反映するごとく5ユーロにボーンと値上がりしてます(笑) 年間契約者も将来同じようにはね上がってくるかもしれないから笑ってられないけど、今のところこの「大失敗デビュー」に対して3ケ月分の賠償がされることになっている。実際に私は6ケ月間の間に乗れたのは5回ぐらい、、、(再度ため息)


 注* 4月26日の発表データによると、目標駐輪場数1400箇所に対し、工事済みは670、配電されているのはその半分にも満たない263箇所

注** 「そもそもヴェリブって何?」という方は旧ヴェリブのことが日本語で解説されている次のページをご参考に:http://jp.france.fr/ja/information/24124

 参考:
色々新ヴェリブの現状の記事がありますが、私の見た限り一番明快なのはフランステレビの
https://www.francetvinfo.fr/economie/transports/bugs-electriques-agents-en-greve-et-manque-de-velos-trois-raisons-qui-expliquent-le-fiasco-du-nouveau-velib_2726427.html 
旧ヴェリブの破綻に関してはエコー紙の
https://www.lesechos.fr/06/11/2017/lesechos.fr/030804178923_velib----la-fin-d-un-cycle.htmhttps://www.lesechos.fr/06/11/2017/lesechos.fr/030804178923_velib----la-fin-d-un-cycle.htm

ちなみにこれが私の最寄りの駐輪場の現状。工事の溝はゴミがたまり、、、。看板にはヴェリブはすぐに戻ります。2018年1月から使えますと書いてある(またまたまたため息)

2018年4月29日日曜日

坂田英三最強の自画自賛

「展覧会はタイトルから」と2月22日に書いたが、日本に帰って見たチラシの「絵画史上最強の美少女」*というのには笑ってしまった。これはタイトルというよりキャッチフレーズだが、堂々と意味のわからんことが書いてあるのが何とも日本らしいと言おうか。でもこういう日本人のとんでもない知恵(?)は世界を席巻するようになることもしばしば、「1932年 エロチックな年」はフランスでのその走りだったのかも。

展覧会ならず作品のタイトルも大事なことが、やっと最近私にもわかって来た。それは「絵画史上最弱」のランキングにも入らない私には尚更のことで、例えば「マラーの死」**:面会に来たジロンド派の女性に浴槽で殺されたフランス革命の英雄のマラー(持病のため薬湯治療しつつ面会客に会っていたという)は写真のダヴィッドの絵で有名だが、そこに殺人犯のシャルロットをピエタの聖母の様に登場させた秀作だと思っているのに(また自画自賛だがダヴィッドやミケランジェロと比べようと言う大それた考えは毛頭ありませんのでご了解のほどを)、この作品は絶対に動かない。
他の「自画自賛」の作品では「メフィストフェレス」とか「サロメ」とか「翼をなくした」とか、、、いくら私がイチオシしても否定的なイメージが伴うタイトルの作品は結局アトリエに温存されるという運命らしい。

ダヴィッドのマラーの死
ミケランジェロのピエタ
私のマラー
私のサロメ
こんなたわいもないことを考えていたら若い現代作家の展覧会のお知らせが来た。作家の名前をタイトルにした個展なのだが、「彼の名前を唯一のマニフェストにしたこの野心的な展覧会を通して、彼は決して安易さや表層性に余地を許さず自分自身を問いなおす能力を明らかにしている」そうで、、、。こういうまったくもって不毛なフランス現代アートの典型的な紹介文を読まされるとうんざり。「『絵画史上最強の美少女』のほうが楽しくていいかー」という気がしてくるが(苦笑)、いえいえこのジャンルの「最強」は何と言っても詩人の江藤さんが個性的な文章で作家と作品を紹介をする名古屋Lギャラリーのコピーでしょうねー。

ところで「絵画史上最強の美少女」、よく眺めて考えてみると私も子供の頃カレンダーの写真を見て憧れたことがあることを思い出した。それが由縁か私の「サロメ」の顔にも同様な愛らしさと憂いが漂っているように思うのは作家本人のみでしょうか?

今日は自分の作品の宣伝に尽きた感じがしますが、それに上乗せ:
「マラー」は東京石川台に展示されたままですので 私の説を転覆なさりたい方にはお求めになってもらえます(笑) ひょっとしたらネガティブにとらえられるのかとうすうす私が疑うようになった「ボクサー」もいます(下写真)



* 注:日本語のサイトを見ると「美少女」に「センター」とルビが打たれていることが話題になっているらしいが、浦島太郎の私には当然それが全く何を意味することかわからないことは言うまでもない。


** 参考:
マラーの死 - Wikipedia


後記:そうそう、この官能的な「マラーの死」はFさんに買って頂いたこと忘れていた。。。