2024年1月25日木曜日

マーク・ロスコ展に思う

昼間も零度前後の厳しい寒さがやっと終わって昨日は青空、これはブーローニュの森への散歩日和と重い腰をあげ、、、でも実は散歩が目的ではなくてルイ・ヴィトン財団のマーク・ロスコ Mark Rothko の大回顧展へ。この展覧会も人気なので、寒い日に外で待たされたらたまらんですから(一応予約制だが普通は外で列がある。私は最寄りの地下鉄からヴェリブに乗ったらところ早く着いたので予約時間3時の待ちの列に並んだが、2時半予約で20分以上遅れてきた人の方が即座に入れてもらえる「遅刻者勝ち!」のフランス的システム。寒かろうが寒くなかろうがまだ4月2日までやってますので、ご参考に)
 
さて、前回の投稿の大人気のニコラ・ド・スタール同様、こちらも「見なかったら画家の片隅にもおけない」と非難されそうな雰囲気😅 初の大回顧展のド・スタールと違って、10月に始まったこのロスコ展、「すぐに!」という気にならなかった大きな理由は、「この間近代美術館で回顧展あったばかりじゃないか」という印象を強く持っていたので。だが調べてみたらそれは1999年のことだった!この時間感覚やばいです!
シュール時代の作品1946
 
というわけで四半世紀も前のことだから記憶は定かではないが(笑)、近美に比べて今回のルイ・ヴィトン財団の方がスペースは広々、かつ光を落とした空間に一つ一つの絵がスポットで浮き上がるように展示されていて、彼の到達した四角の絵の神秘性、特に晩年の暗い絵のそれを深める効果は満点すぎるほど満点だった(後述参考)。(ロスコは最晩年の礼拝堂とかそういうセットアップを全て彼自身が指定していたそうだから、それを尊重しているだろう)
 
それに初期の具象的な絵やシュールレアリズム時代の絵(これがなかなか良い)も充実していて最初ですでに大満足😄

 
展覧会を見つつ特に感じたことには、観客の多くが幸せそうな顔をしている。ロスコの絵は心を和ませるのか?→フランスでよく言うbien-être(ウエルビーイング?)の効果あり? 
 
細部
それもそうかもと思わないでもない。
何度も何度も色を重ね、タイトルが「黄土の上の赤」でも「一色とは言えない一色」の大きな平面は視覚、つまりは知覚にやさしくゆらぎを醸し出す。
境界のぼんやりとした淡い四角から人は内側と外側、こちらと向こうへの旅に誘われる。
もちろんそこには窓を通した空と原っぱ、地平線、つまり風景の原型を感じさせる。
「美とは何か」というのは芸術の永遠の問題なのに、彼は絵の色彩とかコンポジションのどうこうを超えた「美のアーキタイプ *」を発見したように思えてならない。彼が行き着いた四角は理屈なしに多くの人にとって精神性・宗教性を感じられる体験型の絵なのだ。彼はそれを目指していたのだから大成功!
 
(*注:archetypeはユングの用語。 集合的無意識の領域にあって、神話・伝説・夢などに、時代や地域を超えて繰り返し類似する像・象徴などを表出する心的構造。 祖型)
 
細部
「人々の多くが私の作品に直面したときに、感情が揺さぶられて泣くという事実があるので、私は基本的な人間の感情を伝えることができていると思っています。私の絵の前で泣く人たちは、私が絵を描いたときと同じような宗教的な体験を感じています。色彩の関係のみで美術を語る人は間違っています」と彼が語ったそうだが、ルイ・ヴィトン財団の壁には某女性現代美術家の「私は涙ボロボロになりました」という発言が書いてあり、私は感受性が高くてシャーマン的で、「あんたはそれが感じられないの?」と問うような彼女の作品が大嫌いなのだが😅、その壁をやり過ごした私がその後の暗い色の作品のホールに入って絵を見ていたらだんだん身体中が痛くなり、「横になった方がいいかな?救急室で寝さしてもらおうか?」と思うほど圧迫感を感じて危ないところだった。数分椅子に座ってほうほうの体で外に出てなんとか深呼吸。売れっ子になった(なりすぎた?)ロスコは「作品が装飾的に見られて本当の意味を理解されていない」なんていう幸せな悩みで苦しんでいたのだと思っていたが、自殺しただけはある、最後の方の絵は呪われてますよ(暗黒への誘い)。みなさん気をつけて。以上いつもの通り私の勝手な憶測、自殺の理由も全く知りませんが、気をつけるにこしたことはないです。私のように闇の前で萎縮するたちの人は特に 
 
 注:つまり私は某作家さんのように超感受性があるのではなくただの怖がりだろうですので誤解のないように。
 
それからこれってかなり褒めた投稿だったのですが意図伝わったかな〜?疑問😅
 
 
 
 参考
 
ロスコに関する美術解説はこの記事でも。掲載された初期の絵の多くも展覧会にありました:https://www.artpedia.asia/mark-rothko/ 

ヴィトン財団 (Fondation Louis Vuitton) のロスコ展サイト:https://www.fondationlouisvuitton.fr/fr/evenements/mark-rothko 4月2日まで
 
 
ヴィトン財団ともなると予告編まであって、会場の広々とした雰囲気はわかってもらえるでしょう。
 

 
 
ヴィトン財団ってフランク・ゲーリー建築のこれですよ。
薄汚れてきた気もするけど冬空のせいかなー? 開館当時の写真は次の過去投稿をご参考に
 
フランスの新名所 ルイ・ヴィトン財団
ルイ・ヴィトン財団 追加写真


 
 
 
 
 
 
 
 
 
突然ですがボナール。
ボナールファンの私の目からするとロスコはすごく影響されてると思うのですが。
個人的にはこちらの方が私は幸せになります😁
 
(注:写真の絵のチョイスは皆さんを納得させようというのでなく、ネットで簡単に転載できたからです)

2024年1月15日月曜日

謹賀新年、十人十色というけれど、、、(ニコラ・ド・スタール展など)

皆様あけましておめでとうございます。あまりこのブログの筆が進まなくなりましたが時々書きますので今年もよろしくお願いいたします。でもこれを全部読むと下に触れるように「もう読まん」って人がでてきそうだが。 

さて、この正月、新年早々よく寝られて暁を覚えず(といっても年末年始のパリの日の出は8時半〜9時過ぎだから当たり前)、それどころかはどうみてもよく寝られる。多分その理由は新年早々「健康マットレス」をやめてみたのだ!

愛知県の実家には極薄煎餅布団しかなく、よく寝られないはずだったが、11月に戻ったときは意外によく寝られた。それがパリに戻ってからはまた、、、、(時差とか寒さとかいろいろ原因はあるが)。考えてみると5月にブルターニュに行った時も(これは元ホテルの最高(?)寝室に寝させてもらったので「さもありなん」だったが)(参考掲載)、9月に南仏に行った時も自宅にいるよりよっぽどよく寝れた。というわけでその頃からちょっと疑問に思い始めていたのが、有名スポーツ選手とかが競技会に遠征する時にも持って行くとかいう「健康マットレス」で 、知り合いに「熟睡できるから是非ぜひ」と推薦され、丁度JALだったので普通より大きな荷物が運べるので絶好のチャンスと昨年春日本に戻っているときに買って帰った来たその「健康マットレス」、なんかよく寝られないのはそれからなのだ。

でも浅田真央も知り合い達も保証の快眠マットレス、世の中で評判のようだから疑ってはいけないと自分に思い込ませていたのだが、自分の身体に聞いてみた結果、推薦してくださった方には悪いけど、かつメーカーにクレームするわけではないが、身体も人それぞれ?、一般の健康的な身体と精神の人に良いとされるものが、私のようなひねくれ者にも良いと思い込むのは大きな過ちだったようだ。


話は変わって秋依頼断然の人気のニコラ・ド・スタール Nicolas de Staël の回顧展。私はかつてから彼をそんなに大した作家ではないと思っているので敬遠していたのだが、あまりにも多くの人に推薦されてそうも行かなくなり(?)、彼に興味がなかっただけに知らない作品も沢山あるからと行ってみたのだが、「やっぱり」と自分の思いを再確認した。だから感想を聞かれるともはや「これを言ってはおしまい」の状況にある。確かに昔アンティーブのピカソ美術館のピアノとコントラバスの赤黄黒の鮮明な色の幅6mもの大作「コンサート」を見たときはその素晴らしさに彼へのネガティブだった評価を考え直したものだったが、これは未完成で(自殺したので)、多分描き進めたらベタベタパレットナイフで色を重ねて「私の嫌いなもの」になってしまったのではと思う。今回の展覧会でも同じく明るい色彩の大胆な簡潔な構成で、サイトの写真を見ると「おおっ」と思うものも数あったのだが、実際に見るとやっぱりベタベタと塗り重ねていて、なんでもっとすっきり決めないのか不思議。実は私が趣味で絵を始めた頃の教則本や日本の多くの先生達は油絵はナイフで絵具を重ねることで味わいを出すものと思っていて、展覧会に行くとそういう絵がいっぱいあって閉口したものだ(ちなみにスタールは1914-1955)。だから私にはその古臭さにとても抵抗がある。それにねー、風景画のタイトルで、例えばドラ・マールの家のあったメネルブ村(参考掲載)(スタールはこの村に家を買った)とかパリ近郊の街のジャンティイのように一時期滞在してよく知っている地名も出てくるのだけど、描かれた抽象化された風景画が全然その地を感じさせないってのは致命的としか私には言いようがない。 

こんなことを正直にいうと「お前から買った作品を返す」という人もでてきたほどで、(まっ、金返せと言われないならそれでも問題ない?ってことはないです。私の芸術家としての資質を問われてしまってるので)つまり大変なんです😅。 

 

遠目はいいんですけど

近づくと左官の塗り試しみたいで  

花の息吹をセメントで塞いだようではないか、なぜ?

十人十色とはいうけど、世の中十人の九人は同じ趣味で絶対的自信を持っていてそれを押し付けられると、そこから外れた人間は身体も精神も苦労する。本当に世の中十人十色だったらよかったのだけど。

概してフランスは日本より十人十色感は強く息がしやすい。12月に戻った当初「やっぱりパリは自由の空気が漂っているな〜」と大きく息していたら、十人十色でマスクせずのゴホンゴホンしている人が多く、メトロ、バスで多く風邪のウィルスもたくさん吸ってしまい、年末は大晦日前日まで風邪が抜けず低調だったけど、新年になって寝床を変えていたって元気です(笑)

というわけで「健康マットレス」邪魔なのでお譲りしますが、私何ヶ月も使ったマットレス欲しい人なんているわけないよな〜、絵でも描くか?(そうすると余計もらい手がなくなるのは明白)

結局私は絵でも人でも「これでもか、これでもか」と厚塗りしてくる人は嫌いです。もう嫌われついでに告白してしまうとゴッホのチューブからそのまま出したような厚塗りも昔のケーキのバタークリームを思い出してかなり苦手(薄緑とかピンクでそんな色してます)。でも今オルセー美術館でやってる「オヴェールのゴッホ、最後の数ヶ月」は見た方がいい😅 (2月4日まで)バタークリームも何もそのエネルギーに圧倒される。それはポンピドーのピカソのデッサン展でも全く同じ(これは会期今日まで!)。今更ゴッホ、今更ピカソとも思ったけど、そうは問屋が下さなかった。巨匠達の尽きることなく溢れ出るパワーは圧巻です。

 

参考
ニコラ・ド・スタール Nicolas de Staël 回顧展はもう最終週:パリ市近代美術館で21日まで。
(サイト)大人気だから予約要
 
注:スタール貶しましたが、自分の表現を真摯に探していて悪い作家ではないのですけど天才扱いされるとちょっとねーという感じでこんな投稿になりました😅