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2026年8月13日木曜日

日蝕また楽しからずや

フランスでは1999年夏に皆既日蝕があった。
そのときは日本の友人N君が知り合いとそのためにパリに来るという知らせが前もってあって、「ええっーそうなのー」とびっくり。わざわざ来るほど面白いものかどうかはわからないが客人に頼られたからにはとベストスポットを研究、日蝕街道の中心線にありパリの北駅から鉄道で2時間ほどで行けるグランヴィリエ(Granvilliers)市の公園に行ったのだった。幸にして晴れわたり(これが最重要条件)、皆既時は正午近くだったと記憶しているが、確かに真昼なのに薄暗くなり鳥も鳴くのをやめ急にひんやり、静寂にみちた数分間は経験する価値はあった。
 
今年は来客通知もなくまたまた知らずにいたら日蝕日(12日)が近くなると急にマスコミが騒ぎだし、週末の報道を聞くと日蝕観測用のメガネが多くの店では売り切れているとか(眼を痛めない「正しい規格品」は主に薬局で売られる)。日曜、かつバカンスシーズン真っ只中に開いてる薬局を見つけに行くのは徒労が多そうなので月曜日早速薬局を巡り出したら全然ない。ついこないだ薬を買いに出かけたときはカウンターの横にいっぱい置いてあったのに〜、なぜ買わなかったのか悔やまれる。
 
我が13区は集団住宅多いのだが、例年なら街がガラーンしているお盆ならぬ聖母被昇天祭(休日)の8月15日付近なのに子供の姿が目立つ。今年は早くから暑かったからかもうパリに帰っている家族が多いのだ(あくまで推測)。つまり子供には何かあってはいけないから親は絶対規格品メガネを買うであろうので、元名古屋プラネタリウム「星の会」の英三少年はいかんせん?(でも昔は分厚いセルロイドの下敷き重ねて太陽観測していたような気がするが、、、)
 
どうしようかなーとググった結果、パリ中心部のリヴォリ通りの天体観測器専門店にはあるらしい。
というわけで火曜日の朝客人を地下鉄に送ったついでにその店に向かったのだがついてびっくり、僕みたいに最後に焦った人がいっぱい詰めかけていて大行列!(カメラアングル悪かったけど背後のメトロの入り口までは続いていたが、ひょっとしたら角で曲がって続いていた可能性もある) 私は正午以降は家に工事人が来るという予定だったので待っていられないので即あきらめ!
結局最後の手段、またリヨン駅に戻り駅のキオスクでメガネが付録になっている一般向け科学雑誌を買った:完璧に「星の会」に逆戻り。 
雑誌はメガネの3〜4倍の値段なので多くの人にとって最後の手段だが、これも遅かれ早かれなくなる見込み😅
 
リヨン駅は 「ここで郊外線に乗り換えて次のナシオン駅へ」というルートを客人に推薦した手前つきあって郊外線に乗せたのだが、なんと『工事でナシオン駅は停まらない〜』とのメッセージが入った。彼女は病院の検査のアポイントメントのため田舎から来たのだが、八百万の神に祈るしかなし→結局一応間に合ったとか😌 
そして工事人が一向に来ないので怒って電話したら明日だった!!!(もう将来危ないです) 
 
さて次は何処から日蝕を見るか? メガネ探しに苦労したのだから今度は抜かりなく? 今回はパリでは太陽が月の影になるピークの時間は20時25分(と思っていたら17分だった:またまた老齢痴呆性の勘違い)、つまり日没少し前で地平線に近いから西方向に大きな建物があるのは✖️、 でもフランスでは皆既日食ではなく買った雑誌によると92.2%だけだからあまり頑張らず近場でと、同じ時間に実地検分。結局あまり西方向に行かなくてもセーヌ川で視界が開けていれば近くの新国立図書館から伸びる歩行者専用橋 Passage Beauvoirのベルシー側がベストに思われたが、ここは人が多そうな気もするのでなんでもないバス道のトルビアック橋からBNのビルの間に落ちゆく日蝕太陽を見るのもいいかと結論。
 
以上日蝕前日11日(火)記述 
 
そして当日:12日 
 
大きなドローイングの加筆なんかしていたらあっという間に時間が過ぎ、アトリエを出ようと思ったら今パリで生活している甥からメッセージで近くの映画館前にいるとか(日蝕のため映画を途中で放棄したというのは英断!)。私の第一候補のpassage Beauvoirに向かったらその前の新国立図書館の広いテラスでも結構見れそう。甥のAI情報ではこの近辺での推薦スポットだとか。太陽の位置から見てビル(新国立図書館は4つの背の高いビルが立つ)の影にはなりそうにないのでそこの木製階段(これがあるのも好条件)に座り込んだ。
まだ明るいからと思っておもむろに例の眼鏡をかけたら4分の1ほど既に欠けていて驚き。パリでの日蝕率マックスの92.2%状態は太陽の上の方が残った形だったが、暗くなったと言えば暗くなったかもしれないが日没期なのでなんとも言えない。私たちの前にいた女性が日蝕メガネとスマフォにつけて随分うまくくっきりした写真を取っているので真似してみたけど腕の所為か古いスマフォの所為かぼやーっとして全然だめだった。フランスの夕食タイムにあたるし猛暑なのでピクニックがてらという人が多いだろうと想像していたが意外に純粋に日蝕を見に来ている人ばかりで変に感心した。
 
 
さてさて、オマケの(笑)科学雑誌によると日蝕は来夏にもある。それはモロッコからエジプトにかけて北アフリカ広範囲にわたるが、エジプトの「王家の谷」も日蝕街道の中心線にある。一度も行ったことないからなと思いつつネットをみたら 
 
「エジプトのルクソールでは、約6分22秒にわたって太陽が隠れる暗黒の世界を体験できます。カルナック神殿や王家の谷といった古代遺跡の真上で太陽が消えるため、歴史的なロマンも味わえる特別な場所として旅行予約がすでに殺到しています」とのこと。
 
そりゃそうでしょう。 
 
このようなことが起きるのはちょうど月が太陽をぴったり隠せるという位置関係にあるからだがこれって奇跡的! まさか力学的に意味ないよなと一応ググってみると(このような疑問は文章で書けば答えてくれるAI検索がされるようになって本当に楽になった。以前(といっても多分数ヶ月前)なら多分日蝕ページを読み通さなければわからなかったはず。ともかくそのお答えは: 
 
地球から見た太陽と月の見かけの大きさがほぼ同じ(約0.5度)なのは、太陽の直径が月の約400倍であると同時に、地球から太陽までの距離も月の距離の約400倍という「400倍の偶然」によるものです科学的には物理的な必然性や意味はなく、偶然の一致とされています 
 
私はこれを読んで胸をなでおろす。実はフランスでは近年(いつ頃からだろうか)おそらく仏教思想の影響で、偶然の街で出会ったりすると嬉しげに「私は偶然は信じません」または「偶然は存在しません」と誇らしげに宣言する人多くて、私は「うんうん」と流しているのだが別に偶然を受け入れてもいいのではないかと思っている。特に「あなたと巡り合ったのは偶然でありません」などと言われると「勝手に決めるな!」と言いたくなるのは私かなりへそ曲がりなのだろうか? 
偶然に神秘を感じるのもクールでポエティックだと思うのだが。 
 
 

2026年8月3日月曜日

猛暑と訃報

 今年のパリは5月にすでに猛暑第一波に襲われ、私はその所為かと疑っているのだがその直後に何人ものこちらでは馴染みのある著名人の逝去のニュースが続いた。そう人に言いつつ誰がなくなったか忘れてしまい、、、pcに尋ねていたら、そうそうこの人たちだった。
 
  • Edgar Morin 5月29日 104歳:社会学、哲学者で104歳、最後まで頭脳明晰、現代世界に向かって発言をし続ける座標となる最後まで尊敬された知識人だった ウィキ どんな人だったのかわかりやすく知るのはこの方がいいかな?
  • André Santini 6月1日 85歳:シラク内閣で大臣職にもついた右派の政治家だが、有名なのはイッシー・レムリノというパリの西南に位置する町の市長職を1980年から死ぬまで46年間も続けた!市政的にはセーヌ河沿いの工場跡地に大企業、先進企業を誘致して再生させたユーモアに富む昔タイプの政治家。外国語学院で日本語も学んでおり、非常に親日家だった
  • Areski Belkacem 6月1日 86歳:音楽家、作曲  ブリジットフォンテーヌの連れ。
  • Marjane Satrapi : 6月3日 54歳 映画化もされた自叙伝BD(フランス式漫画)ペルセポリスを描いたイラン生まれのBD作家 Vogue Japonの記事
  • Bernadette Chirac : 6月5日 93歳: ジャックシラク元大統領の夫人、地方議会員でもあった
  • 四人目のSatrapiさんは近親者の発表で「悲嘆で亡くなった」というので政治的闘士の彼女なのでイランの現状のためだと思い込んだら最愛の夫を1年前亡くしたその後の悲しみということ。何にせよ私には想像できないドラマチックな死因でまだ若くて話は全く別だが、他の方々は高齢だったのでやはり猛暑が堪えたのではないかと私は思い込んだのだった。しかしその後6月、7月に再度2波の猛暑が襲ったが鬼籍に入る有名人が続いたということはなかったので本人および周囲が体調管理に特に気をつけるようになった、あるいは単純にただの偶然だったのかもしれない。

    その後最近になって私の近親、リト(石版画)を習い出したときに同じく生徒だったイギリス人のSさんの訃報がアメリカから、そして小学校からの親友だったY君の訃報が日本から相次いで届き、心にぽっかり穴が開いた。二人のことを追想すると上記の有名人たちのような簡略な羅歴ではすまなくなるので今日も簡単にこれまで。

    遠くより二人に合掌

     

    写真はKyo_Pasの趣味の水彩絵葉書 この教会は5年前に亡くなった舞踏ダンサーの岩名さん参考投稿のスタジオ近くにある田舎の村の教会。横で手をあげているのはフランスではどんな小さな村にでもある、第一次大戦で亡くなった村出身の兵士への記念碑の像です   

    (追記:前回気掛かりと書いたFさんは元気だとのお便りをもらった。よかった〜。それにブログを読んでの便りなので嬉しい)

     


    2026年7月31日金曜日

    私が夜な夜な京マチコにうなされるわけ(笑)

    私の太秦のマンションはかつての大映の京都映画撮影所の跡地に建っているというのが一つの自慢(?😅)だが(24年の過去投稿)、今日fbを見ていたらそれこそ羅生門のセットの建築中の写真があった。それがコレ:
     
     
    そして下は私のアパートのバルコニーから北西方向を眺めた写真だが、この左側の穏やかな山並みは先の写真のセット建築中の裏側の山並みだ! 「私の建物は映画撮影所の跡地にあるのではないか?」というのは友人Fさんがメールで私に投げかけた疑問だったのだが、彼はこの写真を知っていたのかも???(最近音沙汰ないけど元気かな???) 
     
    注:中央右の高い山は愛宕山 
     

    セットの工事の写真が載っていた記事は「羅生門」の製作からヴェニスの金獅子翔受賞前後の状況のエピソードが書かれてあり面白いのだが、どうやってリンクすればわからない。先の白黒写真のリンクは

    https://www.facebook.com/photo?fbid=1565175435077859&set=pcb.4396140660647346

    で、続いてセットが建ってくる様子の写真があるが、大映の社長はベネチア映画祭に出品には全く興味がなかった等々のエピソードにはどうやって辿るつけるのか? 掲載者の「三品Mishinaゆきひろ」をクリックするしかないか?

    撮っているはずのマンション入り口付近にある石碑の写真も出てこないし、今日はごく簡単ですが諸種の事情によりこれにて「終」 (7月も猛暑とW杯であっという間に終わったし😅) 

    2026年7月21日火曜日

    ゆめうつつ 夜毎に描く地図(寝小便の話ではありません)

    ご存知かどうかしれないが、私は以前(95年から2010年あたり)よく田舎のアーティスト・レジデンスに行っていた(田舎の畑や山やらで自然素材を使ったインスタレーションをしていた)。私は車を運転しないのでその周りをともかく歩き回る。今のようにいつでもGPSで位置が確認できる時代ではなかったので見える風景とランドマーク(廃屋とか大木とか)をもとに頭の中で地図を描き動き周り、2週間もすれば普通の村の住人よりはいつも地形をよく知るようになっていたと思う。一応土地勘・方向感覚があると自負している。そのくせ夢の中ではやっぱりそんなふうに歩き回っては、、、いつも道に迷うのだ! 

    「この怪しいバラック街を通り抜けて左に折れてしばらく行くと畑の中に唐突なビルが建っているはずなのだが」と見渡しても見えなくて戻ってバラックで仕事していた青年に聞くと「あれは1年前取り壊された」とか。「この民家の庭を突っ切った後の建物にはいると地下道があってこれがずーっと向こうまで行く近道」とか。つまり夢で見る土地は何度も行ったかなり馴染みの場所なわけ。そしてそれがレジデンスに帰ろうとかしているのことが多くて、ひょっとして本当に行ったところと関係あるのだろうか、あるいは子供の頃遊んだ野原とかとは? と夢の地図を描いてみて現実に行った場所を比較検討し始めたのだが、現実も四半世紀も経ってしまうとその記憶はかなりあやうく「あれはレジデンスの時の想い出と思っていたのが実際はただの夢の中だったのか???」とまことにおぼつかないことになってきた。

    うつつの世界でもヴェニスに行くようになってから「方向感覚がある」という私の自負は木っ端微塵に粉砕されたが、その所為の「よろめき」か、日本の私の新拠点の京都の太秦も小ベニス (笑)、洛中の碁盤の目とは大違いで運河や用水路に沿って道が湾曲し、「自負」のせいで知らない道を選んではもう自宅の間近なはずなのにGoogle マップを見ても堂々巡りをすることしばしば。そして日本に何ヶ月か戻っていた後パリに戻っきて自転車に乗ったりすると街の真ん中で「何でこんなところで間違えるの!?」ということが起こり頭の中は完全にブラックアウト!←ヴェリブは30分間という制限時間もあるからそのストレスがあったりするともうあかんです。私どうなっちゃうんでしょうか?

    ともかく日は東から昇り西に沈む、それだけが夢でも現でも唯一の頼り。

    ところでどんなことがあろうと道に迷わず行けるご近所のフランス新国立図書館で先日まで「想像の地図 CARTES IMAGINAIRES」という展覧会が催されていた。地図を描くことは、知っている場所と知らない場所の境界を引く。昔の地図では未知の世界には色々な怪獣がわんさかと暮らしていて、それが地図上にも描かれている。そんな楽しくもある世界だったが、大航海、探検探索が続くにつれ怪獣たちは追い払われ、未知の場所は既知の場所の間のただの白い空間、情報で埋められることを待つただの空きのスペースとなってしまう。これで第一章の終わり。第二章は語りつがりや古代の書の叙述を元にした伝説の地の地図。第三章では文学での地図。空想の文学でその世界を構築するのに作家には地図を描いて確かめる方が便利らしく、宝島やロビンソン・クルーソーのみならず、プルーストも自分の空想を織り混ゼるノルマンディ、その地理を誤らないように原稿に鉄道路を書いていた(ここまでくると描くと言うより書くだろう)。その後の章は省略(笑)

    それにしても私の夢の世界の地図は一筋縄ではいかなく思われる。知っている世界と知らない世界が曖昧で穴だらけと言おうか、ゼロから1の線の間にも有理数より無理数の方が多いが如く無限の穴のスポンジ構造をしているのだ。というわけで地図は描けても境界はあってなし。

    猛暑のせいか(ただそのせいだといいのだが)先週は眠くて眠くて、、、そして夢の中を彷徨うと歩きすぎて足がつって目が覚めること屡々で。これを普通の人にいうと「ちゃんと水飲みなさい」で終わりだけど。

     

    1595年にアントワープで出版された出版の世界初の私もいつか行ってみたいアイスランドの地図。

    まあまあ普通になってきたけどまだまだ変な怪獣(海獣)がいます。右上の流氷も芸が細かい!

    これは解説不要でしょう。さすが国立図書館いろいろなもの持ってます


    プルースト、迷子にならずバルベックに戻らねば(笑)


    キミはタコを見たか? 1900年の漫画地政学図

    「道化(狂人)の頭の中の世界」(16世紀後半) 地図は人間の情熱の鏡であり瞑想の助けだと解説にありましたが。

    しかし世界地図見るとなぜか日本を探してしまいますねー

    2026年7月5日日曜日

    アートもスポーツも全ては政治に関わる!

    今年のヴェニスビエンナーレは「マイナー・コード」というテーマで聞こえぬ声を汲み上げようとしたチーフ・キューレーター故コヨ・クオの意図に反して開幕早々政治的な大きな声が圧倒する結果になった。それはやはりビエンナーレが国を代表したパビリオンを持っているということに起因している。スポーツや音楽でも国の代表となると国のプロパガンダの一環になりかねないが、現代アートは政治社会的問題はそのテーマであること多々であり、独裁的政権下でプロパガンダとして使われた歴史を持つアートにおいてアーティストは常に虐げられる側の表現であろうとし、決して政治とは関係ないとは表明できない。

    まあ普通の情報ソースに信をおく人ならロシアはウクライナに侵略戦争を行い、イスラエルはガザで虐殺を続けると考え、そのパビリオンにはブーミングしたくなるだろう。

    私としては、いくらちゃんと機能していないとはいえ国際法を国家が守る国連体制は実際の制裁機能がないとしても、それゆえになおさら人民を治める国家としては法治体制の見本を示す意味でも当然のことだと思うので、その意味ではアメリカもブーミングするのが当然だと思っている。

    でもこんな優等生的な解釈は本来的にアートとは相反するのかもしれない。基本的には「現代アート」は一般的規範への逸脱行為をモットーとしているからだ。そういう意味ではちゃぶだいをひっくり返し続けるトランプは大アーティスト、アメリカパビリオンに彼が出てきたら面白かったかもだが彼はアートなんて興味ないから、、、まあ冗談はさておき「規範からの逸脱」といっても「人間の生命・生活を尊重する」というのは規範を超えた一般合意のはずなのだ。

    アートは世界と隔離されないという証左でもあろうが、「現代アート」の世界では女性差別、植民地主義、LGBTの権利とか社会・歴史・環境問題を扱うことが定番になってしまった感もある。イメージ、表現モードで観衆をギョエーと仰天させても、主旨は正しく、私にはそれは結局「良い子」になっているかの疑問に感じないではない。例えば環境問題に対して警鐘を鳴らすとスキャンダルなアート行為がおこなわれてもそんなこと誰でもわかってるのだから私は地道に産業資本の横暴ぶりや政府の欺瞞を具体的に告発する環境保護団体に耳を傾け支持した方が良いと確信している。まあ現代アートファンはアートの形をとらないと物が見えない人たち(例えば天井に四角い穴が開いて初めて青空や雲の流れを楽しめる人たち)だからその人たちへの警鐘になるかもしれないが。

    ともかく国際的規範の国際法を守る世界をよしとする私はアメリカなんぞもにビエンナーレに参加する権利なし!
    だからアメリカで主催される巨大主義の反エコロのワールドカップなぞ絶対にボイコット! 
     
    の心意気だったのだが、夜でサッカー中継してるとついついつられてみてしまうのは不甲斐ないと言おうか根性なしといおうか、昔のサッカー少年の致し方ないところ(弁明:私の世代は1968年メキシコオリンピックで釜石というその頃のレベルでは秀でたアタッカーがいて三位銅メダルになったという「事件」があって野球一辺倒だった子供のスポーツ志向に影響を与えた)。しかしなぜサッカーがそんなに面白いか? だらだらたらと90分も見てしまうのか?  私の思うところ、得点がはいりにくく、ちょっと見ていないうちに点数が入ってしまって「その時」を見ないと後悔 * が残る?! 録画見て納得というわけにはいかないのだ。そしてゲーム展開の予想はあっても結局その通りには行かない。これがスポーツがいわゆる「シナリオのある芸術」と違うところ。私は何につけてても薄情な人間なのでゲームの大勢が決まっているとどうでも良くなって最後まで見ないのだがW杯は接戦多いから、、、というわけ私はほぼ毎晩の如くサッカーの「罠」にはまっているのだ。なさけなや〜
     
    しかしそれ以上に、、、告白しますと:W杯より不甲斐ないことに私はビエンナーレの一般公開前での「駆け足メイン会場巡り」(参考投稿)で実はアメリカ館にもロシア館にも入ってしまったのだ! アメリカ館 ** は建物の前を通った時に作品が気になった:彫刻家アルマ・アレンの個展で純粋に造形性が追求されていて私のような現代アートの落ちこぼれにはこういう作品は嬉しい。それに対しロシアは何をしでかすかの興味本位:厳重な警備のパビリオンの中は花が飾られ合唱団が歌を歌っていてドリンクサービスもという「えせユートピア」でプロパガンダなのか、すごい皮肉なのか??? こうして両方楽しめ、またまたなさけなや〜。
     
    この反骨精神を全く貫けない私が周りの人にいくら推薦されても最近行く気がしないのがルイ・ヴィトン財団。2014年の開館時にフランク・ゲーリーの建築に感動してこのブログでも数回にわたり取り上げたが(ブーローニュの森の一等地に建設されることになる不思議な経緯も含め)、LVMHグループ所有者ベルナール・アルノーはトランプとは就任式に家族で招かれるほどの仲で、最近耳を疑うほどのイデオロギー的な発言をするので私はまだ矜持を保ちブーミング中(一庶民としてわずかにできることなので)
     
    フランスでよく言われ、日本では全く耳にすることない言葉に「tout est politique : すべては政治に関わる」というのがあるが、アートもスポーツも政治と関わらないものはないのです。

    ところで「規範からの逸脱」なぞと難しいことを言わなくても一般的に芸術家は自由な生き方をする=規則を守らないと解釈される風潮があるらしく、「我がアトリエ正面のゴミ捨て場が臭いし捨て方がむちゃくちゃだ」と文句を言って張り紙をしたアパートのガーデイアンにその後状況が良くなったか尋ねてみたら、よっぽどご機嫌斜めだったのか「あんたの側はアーティストたちが住んでいるから、、、」なんてどう見ても偏見としか思えない意見が飛び出してきてびっくり。「私はちゃんと捨ててるよ」と言ったら「あんたのことじゃない」と → 私はアーティストじゃないのか〜😅

     

    この投稿の写真には腐心しました(笑)アメリカ館もロシア館のコーラスも撮っているのだけど日本語読めない人に大きな誤解を与えかねないし。で、写真は我が団地に住むお兄さんのTシャツ、ハンバーガー店で働いていて仕事着らしいが、バーガー好き(といわれる)トランプにはいいメッセージじゃないでしょうか。 フランスではハンバーガー作りも政治に関わる???(笑)

     

    * 5月16日の投稿でビエンナーレでの後悔を書いたが、ここでの「後悔」も言葉としては強すぎるような。私の日本語ボキャブラリーが貧弱なせいか?フランス語だと〜し損なったという意味に繋がるmanquer、英語のmissを使うのがいいのかな?と今更ながら考えましたがどうでしょうね? 

    ** アメリカ館に関して:「これがアメリカの最善か」https://artnewsjapan.com/article/70028
    (アートに関して「最善」とかいうのは意味ないと思いますが)

     

     

    2026年4月27日月曜日

    情けなきニュースと輝かしきニュース:雨とヴェニス

    最近の私のニュースと言ったら「アレ」に決まっているがそれは後にして悲しいニュースから。
    でも「悲しい」という形容詞がいいのか 「がっかり」というのがいいのか「腹が立つ」というのがいいのか「やっぱり」というのがいいのか、、、まあ全てある。
     
    パリ市の美術コレクションというのがあってパリ市は毎年美術作品を買うのだが、その募集が冬にあった。私の雨の絵はほぼ全てがパリの雨だからやっぱりパリの公立機関にもあって欲しいと思っていたので昨年9月のアーティストの日に壁に飾った写真の12枚をセットで思い切って価格ゼロ、つまり寄贈の提案をしたのだが、予選(613の応募書類から100を選ぶ)に落ちたという報告が来た。この競争率からして多分「箸にも棒にもかからぬ、ただでもいらん」ってことか〜。書類を書いてるときにこれは「画廊がパリ市と取引するものかな」と思わせる条項があったので、やっぱりお仲間どうしでやってるのか? (現代美術は画廊、美術館などお互いに認め合って作品価値を高めるみんな「グル」だから)残念でした。
     
     
     
    この情けないニュースに比べとても輝かしいニュース (前述の「アレ」)とは何かというと、この箸にも棒にもかからぬ坂田英三が美術界最大級のイベントと言える「ヴェニスビエンナーレ」(ウィキ)に出展するのである。もちろん日本パビリオンとか今年のテーマを扱うメイン会場ではなく、グルジア(ジョージア)のパビリオン!?
    どうしてそんのことがと思われるだろうが、簡単に言えば近所のジョージア人アーティストが驚いたことに母国のパビリオンのチーフキューレータに任命され、私を誘ってくれたのだ。犬も歩けばならぬ住んでいたら棒にあたった類(笑)
     
    ヴェニスビエンナーレ参加は美術の仕事をするものとしてはとても光栄なことで、これを逃しては一生そんなチャンスはない。だからロシアが参加しようとイスラエルが参加しようとアメリカがいようと、ジョージアの現体制が親露派であろうと行くしかない。「エイゾウくんいつも言っていることと違うじゃない」という後ろめたさもないではないが😅(どう自己弁護をすればいいのかヴェニスでゆっくり考えましょう)
     
    友人キューレーター君が考えたプロジェクト* は、ジョージアを世界の十字路ととらえ、多くの国からの作家を招待、ジョージアへ船出して「宝」を求めにいくというギリシャ神話に基づいたもの。各国のパビリオンではその国を代表するアーティストが展示するというのが殆どで、特にジョージアのような小国が外国人アーティストの展示をするのは無理じゃないのかと思い込んでいたのでずーっと本気にしてなかったのが現実のものとなった😮
     
    そこで私は何をするかというと内容ダブりますが次のとおり:
     
    26年度のヴェニスビエンナーレにてパリ在住の造形作家坂田英三がジョージア(グルジア)のパビリオンに出展します。
    というのもこのアジアとヨーロッパの中継点にあるこの小国のパビリオンでは、国家間の「対抗」とは逆に、様々な国から招かれたアーティストの展示をプロポーズするからです。
    坂田はこの十数年来海水と墨を使ったドローイングを制作していますが、世界中の海水を使ったドローイングの何枚もを破ってその断片を再構築してヴェニスの島の地図を思わせるような作品を作ります。それに加えかつて西暦2000年のために考案した参加型プロジェクトのBaisers Sans Frontières (Kisses Without Borders)のパーフォーマンスも行います。これは以下のリンクのページにある映像を見ていただけば一目瞭然なのですが、ビエンナーレのキューレーターに任命されながら昨年没してしまったコヨ・クオの残した言葉「…人々は疲れています。私たちは皆疲れ、世界は疲れています。アートそのものも疲れています。おそらく時が来たのです。私たちには何か別のものが必要です。癒しが、笑いが必要です…」にまさに呼応する企画で、今一度ヴェニスでこの企画を行うのには意味があると思われます。

    https://eizo26.wixsite.com/eizo-sakata/baisers-sans-frontieres

    キス集めは5月6〜9日に断続的かつ継続的になされる予定(要確認)。作家は3日から少なくとも11日まではヴェニス に滞在します。
    作家連絡先:eizo.sakata@gmail.com +33695043187

    注:ジョージア・パビリオンはメイン会場のアルセナルではなくDorsoduro地区の
    Palazzo Querini
    Calle Lunga San Barnaba 2691 
    で開催されます
     

     
    ドローイングのコンポジションの方は昨年のヴェニスでのアクアムールの企画と同じ、といっても現場で割り当てられた壁に合わせて作るので同じではない(かつ学習しない性格なので設計図を作っても同じものが作れない)。
    キス集めの方もバーナーを使うから歴史的建造物内で許されるかな〜???
     
    こんなことならテーマとの脈略なくても大きなドローイングの代表作を一枚持って行って掛けるだけにしておけばよっぽど楽だっただろうと今更思う今日この頃😅 
    ともかくドラ・マールの家もそうだったがヴェニス ビエンナーレも裏口入学っぽくて自分で気に入っている(笑)(但し大学はちゃんと表口から入ったはずです) 
     
     
    付記 * キューレーターによるジョージアパビリオンでの展覧会「現代のアルゴナウタイ」の綱領
     
    2026年ヴェネチア・ビエンナーレのジョージア館は、アジア、ヨーロッパ、アフリカが交わる現代のジョージアのから、「現代のアルゴナウタイ」を送り出します。神話上の旅人たちと同様に、現代のアーティストたちは、文化、政治、テクノロジーの刻々と変化する潮流を航海し、断片化、移動、そして再生の只中に新たな航路を切り開いています。アルゴナウタイや黄金の羊毛との深い神話的・歴史的結びつきに根ざした「現代のアルゴナウタイ」は、旅を原点へのノスタルジックな回帰としてではなく、交流と変容に基づく、生き生きとした継続的な航海として再構築します。
    このキュレーションの提案は、交易路の交差点としてのジョージアの長い歴史に立脚しています。そこは芸術、言語、文化が、商品、象徴、そして思想として流通してきた場所です。その意味で、ジョージアの位置づけは地理的なものにとどまらず、象徴的なものでもあります。そして現代のジョージアの交差点では、古代の神話と現代の喫緊の課題と交差するのです。
     
     (ほぼDeepLの自動翻訳) 
     
    アルゴナウタイや黄金の羊毛に関して知りたい方はウィキを参考に
    へへへ、私も勇者なのです😅 
     

    2026年2月18日水曜日

    行くか戻るか? そして我がタ個展のこと

    タイトルの注:タはカタカナの「た」です😅
     
    私は「日本にいついつから戻るよ」と言うと「今でも日本に戻ると感じるのか?」と質問をしばしば受ける。逆に「今度はいついつパリに戻ります」と言うのはそれほど不思議がられないようなのは暮らした月日の長さがものをいうのか?
    「日本が母国だから当然戻るのだ」という帰属意識はあまり持ちあわせないのだが、フランスの国籍もないし(日本は二重国籍を許さない)いつまでたってもフランス語は間違えるしでこちらも帰属意識なし。とはいえ根無草ともいえないのはどちらの国にも幸に暮らさせてもらえた恩義を感じる人々がいて、そこに戻ってくると懐かしさ、気安さを感じるのでやっぱり私は双方向に戻るのだ。そういう意味で確かに二拠点生活なのだ。世に言うハイソな二拠点生活をされてる方達はどう思うか知らないが。
     
    という次第で今年の冬は11月中旬に京都に「戻って」来た。というのも去年は12月に戻ってすでに紅葉が落ち寂しく感じたのが第一の理由。それにフランス在住アーティストの山田さんが参加していた近江八幡のビエンナーレを見るのもいいかと。(琵琶湖ビエンナーレは結構面白かって@eizo_eyesで紹介した)
     
    こうして自分の名古屋の個展には2ヶ月以上も間があくことになった。
     
    いつもは日本に着いてすぐ作品の額装とか案内状書きとかの展覧会の準備にかかりあれよあれよという間に展覧会となる。しかし今回は超余裕で今回の新たな作品シリーズである自分のドローイングを貼り合わせるコラージュは大方のアイデアはできていたが、こちらについてから最終決定。手持ちの額との組み合わせ、または新たな額を調達してみたりし、台紙の色とか、作品を浮かせるとか浮かせないとか、こういうことは面倒だが嫌いでないし、人にまかせた時のバッドサプライズはないから作品の額装は私は自分でやる。でも時間的に余裕があると色々なバリエーションも試してしまうから結局客人が泊まりに来た期間以外はそんなことばかりしていた😅
     
    それに名古屋のLギャラリーには高さと幅が80センチぐらいで奥行きが約60センチの奥まった中心にスポットのある大きい目のニッチがあって、普通に平面作品飾ったらダメでしょ? で、ここをどうするかが(他のアーティストの方は知らないが)私には大問題で何ヶ月も前から考ると汗がたらりたらり蝦蟇状態になる。
    ちなみに今までここを飾ったのは、パリで貰ったいかにもヨオロッパした額に入れた1967年の日本のユトリロ展のモンマルトルの劇場広場の絵の絵葉書と今の劇場広場に行って私が書いたスケッチ、あるいは水の屈折でアリスが伸びる毬栗で閉じられ開けるに開けれない鏡面的な2本のワインボトル、キャンバスの布地の灰汁(?)をとってポタリポタリと黄色い水の滴を落とす死海の水で描いた砂時計、前回はダンボールにマジックで描いたドラ・マールとピカソをめぐる一座。そして今回は? 良いアイデアは浮かばず日本まで先延ばし、それどころか新年にまでもつれこんでしまった!!! つまり年末に来たマダムは我が家で白いタコ軍団など全く目にしなかった。つまりこれは年始以降に作った真新作! 
     
    #キミはタコを見たか?」をマントラにして常にタコを探し続けた私、子供用の工作粘土の「びよ〜んとのびる」というパッケージングの宣伝文句がタコの足に直結。 そしてタコは環境にカムフラージュ、だから白い空間では白くなるというのがスタートポイント。その後はタコをひねり出せるかどうか?これは試行錯誤の造形の問題でどちらかというと楽なハードルとなる。 
    そしてできたできた、みょうちくりんなタコ入道たちが!
    でも時間があるともっと考えてしまう。京都に暮らすと和の雰囲気も入れたくなってそんなバージョンもできたが、考えすぎた時は第三者(画廊)の意見の方が正しい。かつ驚くべき超特大ワイングラス(!!!)が画廊の奥から登場し、すっきりと白のオリジナルバージョンに戻った。
     
     
    ‥と難題はこのニッチスペースだったが、展覧会のメインは壁でして、、、
     
     
    その第一幕はこちら

     第二部はこちら

     
    以上の映像にちらりとも登場しない作品もいくつもあります。  
     
    名古屋名東区のLギャラリーにて2月23日までです >参考サイト 
     
    最後にこれが日の目を見なかった和バージョンです(笑)


    2026年2月13日金曜日

    キミはトウフ屋を見たか?

    我が街太秦には昔懐かしいコロッケをその場で揚げてくれる肉屋さんや野菜を一笊いくらで売る八百屋さんがあり(これは一昨年引っ越して間もない日の投稿で書いた)、それに学校の下校時間のみ開く古びたみたらし団子屋さん、それに裏道に入ると畑があって野菜の直売の店がちょくちょくあるという楽しいタイムスリップ地区なのだが、なぜか豆腐屋さんが見つからない。

    京豆腐というわりに街の豆腐屋はもう存在しないのかなと思っていたのだが、今日正真正銘、写真のような薪の燃える釜のある豆腐屋さんが京都御所から遠くない裏通りで出くわせ急ブレーキ(注:自転車です)。三角の揚げ豆腐を見たら大根おろしと醤油でそれがおかずになっていた子供の頃の記憶が湧き上がり、今晩はそれで済ませた(笑)  


    この豆腐屋さん、数十年前のフランスの田舎のチーズ屋と似たところもあるなー(これも懐かしい)。「いつ頃からあるの」ときくと「100年ぐらいかな〜」と。でも通りから見ると暖簾に『創業文政年間』とあるではないか! 問い直してみると「書いてあるものがないからそれはあてにならんよ」とあっさりと言われ、、、創業10年や20年で宣伝したがるお店の多い日本でのコレ、感服いたしました。 

    本当は私の名古屋の個展「キミはタコを見たか?」のこと書くつもりだったのだけれど、それはまた今度 

    付記:右写真の昔ながらの揚げ豆腐に比べ、普通の豆腐は時代は変わり、水から掬い出すことはなく既にパックにされていた。しかしこの豆腐屋さんは懐かしい以上、こんな店は子供の頃も見たことなかったかも。

     

    2026年1月14日水曜日

    マダムの見た行く年来る年

    「あれれ〜、こんなにブログ書いていなかったのかな?」と自らびっくりだが、お正月にお客さんを迎えた私の今日のトピックスは「日本ではリチュアル(宗教儀式)が生きているか?」

    年末年始パリから太秦に遊びに来た老マダム(実は私とほぼ同じ歳😅)、このおばさんはかつては殆ど日本に興味を持っていなかった。多分タイ、ベトナム、台湾、韓国、日本の位置関係もわかっているかも甚だ怪しかった(今は少しは認識したとは思うが、、、)。フランスでは一般教育の内容が日本と大いに異なり、高等教育を受けていてもとんでもなく地理歴史を知らない人が多くて呆気に取られることがよくあるのだが彼女はまさにその例。(日本は日本でその暗記主義の地理歴史はとんでもない教育と信じていたが、一応なんでも「名前ぐらいでも知っているは役に立つこともなきにしもあらずか」とこういう人に出会うたびに思うようになった😅)

    そんな彼女とは数ヶ月前までは「なんでみんな行くのかね〜?」と近年フランスの日本旅行ブームを斜視しつつ話していたのだが、「年末ヴェカンスに孫も(大きくなって)遊びに来てくれなくなった」と寂しそうにいうので「それなら京都に来れば?」と口が滑ったのがそもそものことの始まりだった。そのまったく日本に興味を持っていなかった彼女、そのマダムが見た日本は? 

    結論から行くと多分全ての仏人旅行者と同じく彼女にとっても「日本は素晴らしい国」だった。

    彼女が一番感心し何度も私に繰り返し言ったのは 「日本はリチュアルが生きている!」
     

    年末年始の神社仏閣、特に大神社に行くと数えきれない提灯が吊り下げられライトアップされていて彼女を圧倒、それに書かれているのが寄進者の名前でまずびっくり、一升瓶や酒樽も積み並べられていてこれにもびっくり。「これ神主が飲むのか?」マダムには神社はとても陽気な空間として映ったようだ。(笑)
    それに列をなして参拝する大勢の人、人、人。(もちろん渋滞状態になるような場所、時間は避けたが) 
     
    私はリチュアルと言われるとそうはそうなのだが、マダムが想像している「宗教儀式」という概念とはかなり相違があるのではないかと思う。除夜の鐘、初詣などは宗教儀式と言うより年中行事。信心、つまり神や教えを信じてというほどのことはなく、おみくじを引いたり縁起物を買ったりするのを楽しむ、言ってしまえば娯楽、余興プラン。引き述べては旅行プラン。江戸時代からの落語や膝栗毛のねたになっているお伊勢参りはいい例だ。ヨーロッパでは十字軍の時にヴェニスの商人が聖地巡礼旅行を企画したのがパック旅行の始まりと聞いたことがあるが、行楽は宗教を凌駕するのは世界中どこでものことだろう。
     
    その点私も弥次さん喜多さん、熊さんとかわらない。マダムを連れて大晦日に八坂神社へ行き、縄を1000円で買ってお金持ちなのに結構財布の口が硬いマダムに信心ぶりをアピールし(笑)、長蛇の列をなして火をつけてもらったすえに(何度も曲がる列の中で「どのぐらいかかるのかな〜」と話をしたお兄さんが知らぬ間に偵察に行ったらしく「裏の方でも火もらえますよー」と親切にも教えに戻ってきてくれて😇そちらに行って点火、「これを家まで持って帰ってかまどに火をつけるのだ」とマダムに説明し実行!「これ持って列車乗っていいのかな」と縄を売っていた人にきいたら「大丈夫だと思います」と安請け合いされて「さすが歴史の街京都!」と私は感心、マダムは火事の元になるようなことが正月の行事としてまかり通るなんてことは信じられないとまたまたびっくり(それもそうだ😅)。
     
     
    まずは人並みの中を人に気をつけながらも火を回しつつ歩き、まずは阪急電車に。列車の中で若いカップルに好奇の目でみられ(結構匂いもするし)、隣に座った青年にきかれて「をけら詣り」の説明(という私もマダムのために復習した一夜漬け知識にすぎないが、若い人たち意外に全く知らないことが発見だった)*
    そしておっとりしたチンチン電車の嵐電の駅にたどり着きほっとしたら、なんと「煙が出ていると発車できません」と運転手に火を消すよう言われ〜、もちろん歩いて帰るなんて信仰心はないのでこれにて冒険終了。いつもヘラヘラしている私の落胆ぶりはマダムにはっきりわかるほどだったようだ。
     
    大晦日にあれだけの人出があるものの京都ではパリのように深夜運行バスがないのは不思議。(勿論バスは列車以上に火の持ち込みは問題外だったろうが)
    それはさておき嵐電で家に戻りマダムがフランスから持参したシャンパンを開き、「きっと沢山のお寺の除夜の鐘がきこえることでしょうね」と以前知り合いに言われていた我が家の自慢のバルコニーへ。でも不思議にほぼ全然聞こえなかった?!?
     
    をけらの火は使えなかったが翌朝は家の近くの和菓子屋の特製の餅を使って京都風に白味噌で雑煮を作り、元旦はこれで始めるのだとマダムに言ったが彼女はコーヒーをいれた(笑) 
     
    その後晦日の駅のプラットホームで火を消させられたのがまだ心残りだったので、同じ神社だからいいかと近所の俗称「蚕の社」へ行って再点火することにした。ここは普段人っ子ひとりいずひっそりとしてオカルト的な謎めいた雰囲気も漂って大好きなところなのだが、元旦は鳥居からとは言わないまでも域内の半分以上まで続く参拝客の列ができていた!いつもは涸れている非常に稀有な三面鳥居で囲まれた「祀られた泉」からも水が湧き出し水路に水が流れ、来た甲斐があった。これを写真に撮るおばさんをするにまかせていたら私は皮肉っぽく咎められた。 やはり信仰は生きているのかなー?
     
    八坂神社のみならず松尾大社や散歩で出会う数々の神社では健康を、えびすさんでは商売繁盛、縁切り祈願の石も潜り、勿論タコ薬師のタコを撫で、京都に来てますます節操もなく神仏様を当てにしている。特に最近命以外のものはすべて何処かに置き忘れてきてしまう傾向があるので、、、。ひょっとするとその所為でマダムは背信者エイゾウの中にも意外な信仰心をみたかもしれない?
     
     
    * (Googleより)
     
    「をけら詣り」とは、京都の八坂神社で大晦日から元旦にかけて行われる、一年間の無病息災を願う伝統行事です。境内の「をけら灯籠」から「をけら火(白朮の香りのする火)」を吉兆縄(きっちょうなわ)に移し、火を消さないように回しながら持ち帰り、その火で雑煮を炊いたり神棚を灯したりするものです 
     
    説明を最後まで読むと「現代の注意点」としてこんなことが書いてあった。ハハハ!
    • 近年では、公共交通機関への火の持ち込みが禁止されているため、火を消した後の火縄を持ち帰る形が一般的です。 
     
    私の去年の京都で初めての正月(除夜の鐘と餅つき)はこちら😄

    2025年11月3日月曜日

    ピノー・コレクションのミニマル展

    (前回と同様今日もインスタ投稿の補足ですが、色々脱線します)

    Lygia PAPE
    今だから私もそれなりに「ラディカルでいいなー」と鑑賞するに到っているが、私が小中学生の頃の日本の「現代美術展」はこんなのばっかりでウンザリしたものだった。そういうのがいっぱい並んでいるピノー・コレクション Pinault Collection の特別展「ミニマル」。日本の「もの派」にも大きなスポットがあてられている。

    でもミニマリズムも結構広く捉えられていて、幾何学的オプティックな効果を利用したブラジルの作家 Lygia PAPE (1927-2004) のインスタレーション作品みたいな発見もあった。カルチエ財団のオルガ・デ・アマラルも昨年初めて知ったが(投稿ブログ)、この作家も知らなかった。二人とも南米の女性で時代も作風も共通している。以前書いたことがあるように科学と芸術の融合の面のあるオプティックおよびキネティックアートは現代美術から一時忘れられた存在になっていたが最近になり再び注目度を浴びている(関連投稿)。かつ二人ともその中で女性。完全に現代美術史の死角だった?  
     
    全くわざとしたわけでないのにピンボケになった会場風景
    先に書いたかつての「ウンザリ」は「素材とか現象だけを見せてアートになるのか?」という理科クラブの英三少年にとって素朴な疑問だった。その後50年以上を経てその疑問はまだまだ曖昧のまま(アーティストエイゾウもそんなことをしないのでもないのだが😅)。
    ますます「液晶画面」は見ても「もの」を見ない今の人たち、今や土や植物を見せることにもエコロジー的意味が付帯してくるし、現代の潮流へのレジスタントにはなるのかなー? でもその現実ってとても悲しい。
     
    「携帯を捨てもの派になろう!」 もの派じゃなくても「わびさび」でも前回のオロスコさんのようなアプローチでもなんでもいいけど、こうして楽しめる人が増えればも世界は平和になるだろう。 
     
     

    展覧会モンタージュ風景の次のビデオも少し面白かった 

     

     

    ところで前々回に突然やってくる宅配配達人のことを書いたが、デッサン用紙が到着した翌日に画材店から同じ紙が期限限定37%引きという広告が来て、あじゃぱー!やっぱりまた注文するしかないか(これで1年はデッサン用紙にこと欠くことはない)とこれもまた割引の違う用途の紙も加えてまた注文。そして同じ配達人がまた前触れなしにやってきた。段ボール箱でしっかり梱包してあるにみえたが手荒に扱われのだろう、開けてみると2つの角が傷んでいた。そんことを見込んで大きなサイズをわざと頼んでいたのだが一応お店に報告するため写真を撮った。なんたって定価一枚26€もする品物なのだから運送屋に侮ってもらっては困る。払い戻しを請求する気はないがクレームメールを書きつつ、添付した写真を「もの派」となって改めて見直すとそれなりに楽しめる。つまり怒りが静まる😅  この禅精神(?)トランプにはわからんだろうな (貴方にもわからないかも)

    2025年10月25日土曜日

    AIに思う

    あー、やっと解放された。フランスの配達はなんでこうなのかなー??? 
    注文した画材の配達日は今日で追跡サイトでは朝から我が家から多分1kmぐらいの収集所(?)に朝からあるのだがいつ配達されるかはまったくわからない。そして突然インターフォンが鳴る!つまりいないとどうしようもないのだ。トイレに入っていても困る😅 
    携帯が発達したこんな便利な世の中でなぜその「文明の利器」を使い品物の受け渡しがスムーズに運ぶように10分前にでも予告してくれたら、、、
     
    「文明の利器」といえばほぼ毎日話題にのぼらないことが無いAI、使わないのは宝の持ち腐れ、電力浪費の問題を承知の上でも使って便利になる場合は使うしかないと思うのだが、BBC、フランス国営ラジオなどヨーロッパの放送局が自らの放送局の報道内容に関して4種のAIに質問し、その回答を分析した結果では44%が不正確さや誤りがあった。質問は最近の時事問題。AIは放送内容を鍋でごった煮して作文するので、事実と意見がごっちゃになり、皮肉的な冗談も額面通りそのまま取ってしまって大間違い。基本的に最近の時事には事実の蓄積が少ないので今のデータ寄せ集め型のAIはだめなのだ。
    専門家によれば、AIが驚くほど素晴らしい答えを出してくれるのは人類の長年の知識、知恵や文学的文章を蓄えたそれこそ質の高いデータバンクを使っているお陰、つまり我々人間のお陰で、今からAIがどんどん新たなデータを作り出して添加してしまうとそれがだんだん薄まっていき将来はAIの答えのレベルはさがっていく!
     
    納得!なら使うなら今?(笑)
     
    なんて思う私、先日のエクス島に行った時、島の北東端の浜辺に木の枝に牡蠣の貝殻が刺さっていて風に揺られてキラキラ光るという素晴らしい場所があったのだが(その浜辺の貝殻は真ん中に穴の空いているのが多かった)、「どうやってこんなことが起こったのだろう。自然のなせる技は素晴らしい」と感嘆する友人に対し、「そんなことはありえない。子供や観光客が遊んで作ったんだ」という夢を潰す発言をし、それに納得のいかない彼女に対しAIの判定を仰いで見せたのだった。 AIの饒舌な答えの結論はやはり私の意見に沿うものだったが「人はとても不思議ものに出会ったとき神秘的な自然のなせる現象と思いたがるものだが、、、」という注釈付きで、これは彼女を苛立たせた😅 賢い割には一言多いんだよ〜!
    でも実は私もそう思う。最初から超自然現象にせず、先ずは論理的に考えて可能性を検証してみなきゃ。特に「アジアの叡智」が好きなフランス人には全然そういうことをしない(できない?)人が多すぎる! でも世の中にはそれでは解決できないものが多いばかりかそればっかり。だからこそ「宗教」や「芸術」の領域が生まれるのじゃないでしょうか・ 
     
    エクス島の奇跡:何メートルにもわたって海岸近くの木の枝に貝殻がついた枝が風に揺れながらキラキラ光っていた!
     
    さてそのAIを使うアートも、我がアトリエ村のお隣さんも複数の写真を合成させたりしていて、数年前見せてもらった時すごく不思議でシュールなのが出てきて、それ系の画家には創造のヒントの泉になるだろうと思ったものだったが、2年前(2024)、その頃は私は使ったこともなくほとんどわかってなかったのだが、アプローチも結果も明快で面白くAIに関する認識を新たにできた展覧会に京都写真祭で出合った。作家は嵯峨美術大学の教授(メディアアート)の三宅章介さんで、自分の撮った写真をAIに叙述させ、その文から画像を作らせる、そうすると土台になった写真とデータバンクの中の写真が混じり合ってなんだか奇妙な写真ができあがる。(コンセプトはこちらを参考に) 2年前のことだったので忘れてしまったがQRコード読むと元の写真とAIの書いた文章が出てきたのだと思う)
    展覧会名は「絵空事」 つまりフェイク。AIは作っても著作権も主張しないが責任も取らない。
    遅ればせながらの紹介になりますがそのとき掲載したインスタに飛ばします 。