2015年4月29日水曜日

ムールのない鷲美術館

最近現代美術を手がけるようになった「パリ貨幣博物館」(Monnaie de Paris)でベルギーのコンセプチャルな作家マルセル・ブロータス(Marcel Broodthaers,1924 – 1976)日本語ウィキの展覧会が先週から開かれている。

メールで、ブロータスの作品には音楽とユーモアが流れており、展覧会中「親愛なるワーグナー」と題したコンサート・パーフォーマンスを催し、その第一弾にコンサート会場から出た「テークアウト・ミュージック」というコンセプトの音楽が昨日の11時からあるという情報が届いていた。
実は昨日は夜中に眠れず、大寝坊をし、ちょうど良い時間。かつなんかやる気がしなくて、、、。ブロータスはかなりつかみどころのない作品を作った人なので、「ひょっとしたらムール貝の鍋に入った音楽とかがあるのかな」と想像して博物館に向かった。(注:彼はベルギー名物のムール貝を一杯くっ付けた作品で有名)

入り口で「コンサートは何処?」と訊くと、若い女性係員にエスコートされ、博物館の回廊を通り抜け、幾つもの映写機がブロータスの短いフィルムを回し続けている展覧会奥の部屋へ連れて行かれた。音楽が始まったが「普通のポップソング」が一曲歌われて終わり! その間中撮影チーム人が懸命に録音録画。なんのことはない、グループのビデオクリップを作っているだけではないか。「これとブロータスと何が関係あるのかなー」と憮然としていると「展覧会一巡しませんか」と別の女性係員からお声がかかった。何せいたのはほぼ企画関係者だけで、結局その申し出に応じたのは私だけ。マンツーマンでしっかりガイドしてもらった。最後に「もっと質問があったらこちらの説明係に」と言われ、彼女は説明係ではなく学芸課長さんであることが判明。という何故かVIP待遇でした(笑)。
19世紀絵画セクション

だからといって私がブログに展覧会のことを書く義務はないのだが、ブロータスの略称「鷲美術館」の企画をこれほど総括的紹介されたことは未だなかった」ということなので、まあ少し、といっても面倒なので、ちゃんと情報ソースも示してあり信頼性が高かった日本語ウィキのブロータスの頁をかなり引用+リライトしますと:

1968年にブロータスは美術館および美術作品の意味を問いかける為に「近代美術館、鷲部門 Musée d'Art Moderne, Départment des Aigles」を設立。最初に彼のブリュッセルの家に、名画の絵葉書と輸送用木箱へのスライド投射からなる「19世紀絵画セクション」を開設した。このあと1972年のカッセルでの第5回ドクメンタまで同美術館のコンセプトのインスタレーションを11回発表された。
1970年にブロータスは、”財務課”をつくり、”破産のため”に美術館を売却しようと計画した。その売却計画は、1971年 のケルンアートフェアのカタログのカバーで告知された。しかし、買い手は誰も見つからなかった。財務課の一環、また芸術家として、力と勝利を表すシンボル の鷲があしらわれた美術館の紋章を刻印した金塊を限定数無しで生産した。その金塊は資金調達のために美術館に売られた。その高い値段は、延べ棒のアート としての価値ではなく金の市場価格があがることを見越して、上乗せされて設定されていた
「これはアートではない」展示品

というわけで会場には金の延べ棒もあったし(それで「貨幣博物館」?)、自らのコレクションや美術・博物館から借りた、「鷲」がモチーフとなる品物(写真の様に「これはアートではない」とレッテルされている。ちなみに「これはパイプではない」のマグリッドもベルギー人です)や、れっきとした芸術品の数々、色々な文献とか、、、。1968-1972年だからつまり「大規模インスタレーション」 のハシリだったわけです参考投稿
で、私の率直な印象は、インスタレーションが大抵そうであるように「分かったような分からないような、面白くもあればつまらなくもある」。珍奇な品々を見るのは競売のドゥルーオ参考投稿や蚤の市で慣れているし、コンセプトは納得して終わってしまうだけだし、、、。

実は今朝やる気がしなかったのは前日ひどい展覧会に行ったから。所謂サロン形式で、多くの作家がところ狭しと一点ずつ展示、一つ一つの作品はそれぞれ展示される価値があるとしても「全体」に意味がないと各々の作品の価値もぐっと下がる。「鷲美術館」は一つ一つがなんだか訳の分からないものでも全体としては「アートかなァ」と思わせる。
という教訓(?)が見に行った甲斐でした。

ムール貝は「鷲美術館」にはありませんのでお間違えなく
鷲マーク入り延べ棒
またまた褒めない美術展案内となりましたが 、「行かなくていい」と断言しない場合は、推薦はしなくても各自の判断・好みに応じてということで???。実際、見ても私に完全に無視される展覧会は一杯あるのですよ、大人気だったニキ・ド・サンファールの回顧展みたいに(笑)

7月5日まで 展覧会のサイトはコチラ
 

2015年4月25日土曜日

嘘のようなエイプリル・サマー

En résumé, j'ai beaucoup travaillé cette semaine mais en vain...
今朝は久しぶりの雨。今年のパリの4月はほとんど毎日晴れ。特に7日頃から気温もどんどん上がり出し14、15日は最高気温は25°を超え真夏並みとなった。その後少し下がってこれで終わりかと思いきや先週末からまた快晴で気温は毎日20度を超えた。
私の地下アトリエは外気の変化にはいたって鈍感、寒いままだったが、毎日少しずつ暑さの「おこぼれ」を蓄積し、半袖Tシャツでいられるほどとなった。こんなことは7−8月でもそんなにはない。
これはもう「大きな海水デッサン」ができる気候だから逃す手はない。慣れ知った「卵」(=「今日、世界は生まれた」シリーズ)から始めたが見事に失敗、というか今までにない不気味な卵(左写真)が生まれ、もっと勝手知った筈の「ドレス」を作ったらどうしようもなくて破棄! 
ドレスも卵も名古屋の個展で既に飾った。同じような良い作品をまた作ろうなどという「二匹目のどじょう」的考えがいけなかったと、大サイズでは上手く行っていなかった「風景」シリーズに挑戦。昔と違ってもう少し凝ったことをすればと見込んだのだが、3週間以上の晴れ続きで空気の乾燥度が尋常でないのだろう、水の乾きが異常に速くて作業が追いつかない。昨日は「これでもう『夏』が終わる」という天気予報のプレッシャーもあったので無理矢理突進したが、最後に海水の調合ミスもして昨日の夜8時ごろは無惨に敗北。あーあ、ワーカホリックの末の、見事な実りなき終末だった。こんなことなら公園で昼寝していたほうがよかった? 「今更何に執着しているのだろう?」(夏の終わりは悲しいものだけど、、、)

註:上のアトリエの写真、左の壁は去年の「卵」、右側の2枚は乾かず干しっぱなしの「死海のドレス」(最近は乾いているが、、、)。そういえばアトリエの窓の「死海の水滴」も少し白っぽくなっていたが、今朝は元に戻っている。

2015年4月20日月曜日

When the music's over...

繰り返し書いたフランス国営ラジオのスト、先週水曜日の日で「音楽は終わった」。だから私の生活パターンが元どおりになったかと言うと、何しろ27日間も続いたから、なかなか習慣が戻らない。それどころか眠気を誘う「哲学番組」どころか、何を聞いても難しく(ある意味眠く)感じるのはラジオを聴かない間に、高度な仏語に対する理解力が衰えたのかもしれない? 
でもねー、戦火を逃れてやってくる難民の問題とか、難しい問題が多すぎる。
それにあれほど私に迷惑をかけたストが何故急に終わったのか納得いかない。勿論終わったことは歓迎するが、局員の要求が満たされたとは思えない。唯一はっきりしているのは2つあったフランスラジオ交響楽団 がなくならないことぐらい。

それどころか最新のニュースでは3/22日記載Le Canard Enchainé.紙が暴露したオフィス工事のスキャンダルも「一般会計検査員(?)」の調査によると「ガレ社長は潔白(乱費したとはいえない)」らしくて、もうさっぱり私にはわからない(要フォロー)。

成り行き上、ブログでストの結果報告をせねばと思いつつ、こうした事情で結局何も書けなくなってしまい数日が過ぎたのだったが、先ほど面白いことを発見:

ストのDJがなかなか優れていると思う人は私だけではなく大勢いて、国営放送のひとつFRANCE INTERはストのDJプレイリストをもう数年前から2枚もCDにして売っている。今回の分もうすぐ発売。ストのDJは技術的問題などがある時の穴埋めの為に常に24時間分作ってあるらしい。FRANCE INTERのそのプレイリストを見たが、スタンダードがちりばめられており、私は贔屓びいきFRANCE CULTURE(文化放送)の選曲の方が斬新でいいと思う。でも文化放送は敷居が高い(?)ので残念ながらCD販売などということはしないし、プレイリストさえも公開さえしていない。残念

ところでこの1週間以上パリは初夏の気候、我がアトリエの中庭も写真のように色付いています!!!


2015年4月11日土曜日

音楽が終わるとき

学生のイタズラ?
フランス国営ラジオのストはついに4週目!!! (進展としては一昨日にやっと「仲介者」が指定されたのだのみ)

誰も困る人いないのかな〜?

私は困っている。

第一は朝。起きる気がしない。フランス文化放送の7時、8時台は、賛同するかどうかは別として、ニュース、および時事に関する炯眼な内容のあるコラムが幾つもあり、少々眠たくても「起きて聞くか」という気になるのだが、 それがないと勤めにも学校にも行く義務のない私はテキメンに起きられなくなる。

第二は夜中。目が覚めて寝られなくなったとき、私は「新しい知識の道」という哲学番組から面白そうなテーマをダウンロードして聞く。しかるにこれが語学レベルでも知的レベルでも私の理解力を一段も二段も越えていて、興味を持って一生懸命聞こうとすれば聞くほど眠たくなり絶対に深い眠りに陥る。1時間番組で自慢ではないが最後まで至ったことはない。もし聞ききるようなことがあれば私が未だかつてない知の高みに達したということで祝福すべきことだろう。これは他の番組ではダメ、実は私の時差ぼけ解消の特効薬でもある。

つまり最近は、夜中に眠られず朝はだらだら、しっかりした睡眠が阻害され、私にとって国営ラジオのストは健康に関る一大事なのだ。(ブログのお休みが続いたのも関係あり)

音楽が終わる時はいつなのだろう? 24日も続いて「ストのDJ」の選曲も平凡になってしまった。