2018年7月14日土曜日

これで最後ですのでご安心を


近くの本屋さんのこんなディスプレイももう終わりかな*
勿論サッカー、ワールドカップのこと。

今日はベルギー対イングランドの3位決定戦があった。いつも思うのだが、何故こんなものがあるのか? 両チームとも準決勝で負けてがっかりでしょ。オリンピックじゃあるまいし「3位になってもね〜」、試合する気しないでしょ。でもこれに負けたら最後に2連敗して大会を去ることになるからダメッジ大きくて、、、ほとんど「イジメ」でないかと思うけど。

だから私もあまり見る気しなくて、どうしようか迷っていたのだが、やはり「3位決定戦」など人気がまったくないことがわかった。というのは何回か見に行った我が家から徒歩10分のセーヌに浮かぶ大スクリーンで見られる学生食堂にでかけたのだが、観客は僅か15人のみ!!!

実は準決勝のフランスvsベルギー戦ではこの食堂がなんと「満員御礼」で入れてもらえなかったのだ。それに対して今日は、いつもは整理されていたテーブルまでそのままになっていた。贔屓するベルギーチームの応援と思ったが寂しかったー。幸いにして僕の予想したほど悪い試合ではなかったから、まあいいけれど。

学生食堂、これは仏アルゼンチン戦だったかな?
しかしこの関心の薄さは、、、。おそらくフランスの大衆はフランスさえ勝てばどうでもよくて、「勝った〜」と騒ぐことだけを考えている(欲求不満と自信喪失の表れかも???)。
だから明日は大変になりそう(今日はパリ祭だったので三色旗が舞いっぱなし=国民意識の超高揚となる)。
クロアチアは3試合連続延長戦で疲れすぎ、よぽどのドーピングでもして持てる技術を担うだけの体力を補わない限りフランスに勝てるはずがない(と思う)。このレベルでは気力だけではどうしようもない。その割に、勝てそうもない試合でも勝てるような期待を持たせるマスコミが意外に慎重なのは、勝ったときのイベントを一層華々しくしたいからかも?(つまり余計「大変」になる、というかそうする気満々)

明日は近郊に住む友だちの家に行ってバーベキューして観戦。優勝しようがしまいがこれでサッカーの連載は終わり、いつもの不甲斐ない我が生活の報告に戻ります。まあフランス大衆も「彼らの栄光」を直に忘れるでしょう、バカンスだし(笑)

* 注:フランスではサッカーでなくフット(=フットボール) と言います


2018年7月9日月曜日

サッカーの幾何学

暇と言うかノー天気と言おうかか、またまたサッカーの話。

私は基本的にはどこの国が勝とうとゲーム内容さえよければ良いという、「節操のない本当のファン」(笑)なのだが、実はかなりベルギー贔屓になっている。アタッカーの縦の攻撃のスピード感がたまらない。日本はそれで逆転されたけど、あの最後の3人のアタッカーの突進で右からへのセンターへのパスを真ん中にいた巨体の得点王ルカクは冷静にスルーして左にいたシャドリに任せた。あれには涙!(日本が負けたからではなくてあまりにも素晴らしくて、、、:この非国民め?) 
あのときから私はルカクファンで、ベルギーvsブラジル戦では大きなプロジェクションのある学生用のカフェで若い人と一緒に「ルカクー!」なんて叫んでいた。明日は困った。またまた(国籍ないけど)非国民になってしまう。

実は前回の中継で知ったのだが、ベルギーチームの俊敏でインテリジェントなアタックは、かつての名ストライカーでアシスタント・コーチをするティエリー・アンリ(ウィキ)に大きく負っているらしく*、「ベルギーが勝ってもある意味ではフランスサッカーの勝利だからいいじゃないの」なんて屁理屈を私はつけていたら(つまり私は一番のシューターのカバーニを欠いたウルグアイを破ったフランスより、フルメンバーのブラジルに勝ったベルギーチームの方が上ではないかと見ている)、ラジオでインタビューされたおばさん(ちゃんと聞いていなかったのでただの一市民かアンリと関係のある人か聞き漏らした)が同じことを言っていて、お笑い。

アンリ選手は私のブログでは「神の手」でのみ紹介してしまって申し訳ないかぎり。彼の縦のアタックの速さとシュートのさじ加減は類がなかった(2004−05年連続英国リーグ得点王、歴代フランス代表でも得点王のはず)。それは「天賦の才」と思えてしまうが、それがちゃんと伝授できるとは!!!

カフェでサッカーを見ているとプレーの失敗を観衆は「何だあれはー」と大きく手を広げてアピールするものだが、実況中継を見ている私たちは上の方から、かつ色々な角度でカメラが捕らえ、各選手が何処にいるかを俯瞰できるからそんな批判が容易くできる。しかし実際の選手が見ているのは、ほぼ一次元世界。なんたってグラウンドは105mx68mと広いから。それでも彼らの頭の中ではその中で自分の視野から自らがどこに位置しパートナーがどの座標にいてどういうベクトルで動いているかを上面図的に理解する。それは訓練、経験による彼ら特有の特殊な「幾何学」なのだ。だからしてそれは精通した人間どうしでは伝授可能なのだろう。芸術家よ、侮るなかれ。サッカー選手の方が「芸術がなんであるか」も教授できないアーティストよりよっぽど頭がよいかも。まあでも芸術には「あの網の中にボールを入れれば1点」なんていう簡単なルールがないからな〜。

ポクバとルカク
アンリと仏監督のディディエ・シャンも一緒にフランス代表だったお友達だし、ルカクと仏ディフェンスのポクバも同じマンチェスターでプレイする親友どうしらしい。それがゲームにどう影響するのかわからないが、フェアプレイを期待してます。

ところで上に上げたサッカー選手は全員ウィキペデイアがありました。(だから名前はカタカナ)

それからティエリー・アンリはベルギーチームのコーチ収入は(彼のキャリアからは全然たいした金額でないようだが)全部慈善団体に寄付しているそうな。

* source(参考記事)
http://www.footmercato.net/coupe-du-monde/russie-2018/france-belgique-thierry-henry-un-des-principaux-artisans-du-bon-parcours-des-diables-rouges_231149

2018年7月5日木曜日

12年一昔

6/26のワールドカップの投稿を書きつつ「坂田英三+ジダン」でグーグルしても出て来なかったので「書いてなかったなんて変だなー」と思っていたけれど、やっぱり2006年にはワールドカップの「風物誌」(?)を毎日続けて一杯一杯書いていました(笑)。

題名をリストアップし、多少関心を持ってもらえないかと内容がかいま見られるよう抜粋を入れましたので、ご興味のおありの方はご笑覧ください。(この頃はシラクが大統領で翌年春に大統領選を控えていた。個人的には田舎町でのインスタレーションの仕事を主にしていた)

カンヤ村のP君の家にはテレビがなくて(20年前に比べると少なくはなったがフランスには筋金入りのテレビ嫌いが多い)、かつサッカーを観るというのは知能程度の低さを物語るとされているので

7/6 フランスチーム、変身の謎
一番容易と思われたグループでやっとのことで2位予選通過し、「世界の笑い者」だと嘲笑されていたフランスチームが決勝トーナメントに

7/7 花道引退
明日の3位決定戦にオリバ-・カーンがドイツのゴールを守るらしい
 
7/8 フランス贔屓
…フランスチームの活躍でユニフォームどころか三色旗が売れているそうな。ゲームに勝った晩は大勢の若者が旗を翻して走り回っています
 
7/10 激的な幕切れ
ジダンが何を言われて怒ったのか知らないがイタリア選手に頭突きをくらわし退場させられた

7/11 劇的な幕切れ-part2 
 人種差別的な挑発に、知と血のはざまで血が選ばれたとするギリシャ悲劇派(?)や、自分は英雄でも理想像でもないことを無意識に表出したというニーチェ派(?)とか、色々なことが言われ
 
7/12 「人間宣言」
罵言などグランドでは当たり前、サッカーなんてそんな紳士スポーツではありませんよ
 
7/13 本当の「人間宣言」がありました
「私も人間ですから完全ではありません」と


この頃は短いながら書く時間は15分と決めてほぼブログは毎日書いていた。 
今は以前と違ってブログの機能もインターネットも進化し、リンクや映像を簡単に入れられ、かつ各種メディアも容易に比較参考に出来るようになった。それが故に最近は一投稿に優に数時間を費やしてしまうこともある。毎日書く筈のドローイングも全然出来なくなっているし、振り返りながら12年間での「パワー」(集中力)の低下を嘆くばかり。

ヤフーサイトの旧ブログを止めたのは、宣伝が沢山入るようになったのも一つの理由だが、プロフィールに「友だちはいません」とあからさまに書かれているのは気に入っている。
ジダンのこと、書いていないなんてことはありえなかった。思い出して探したらこんな黄ばんだ大衆新聞のパリジャン紙まで出て来た〜♪ 下の方には「暑い暑い」何て書いてあって、、、12年一昔だけれど世の中変わらないのかな〜。でもあの頃はまだイノセントな時代だったと思う(今日は深入りしませんがまた書くこともあるでしょう)。

ブログは私に取って忘却からの防波堤。付き合って下さってありがとうございます。
ところで6/26の記事に関し熱心な読者から「引用の文章の訳が良くないのでは」というご批判があり、見直したらフランス語原文の写し間違いをしていました(お恥ずかしい)。修正ついでに訳も少しこなれたように直しました。何れにせよクリティックは大歓迎ですので宜しくお願い致します

2018年6月28日木曜日

フランス旅行での荷物預かり

最近続けて日本から知合いが来て、自分がパリの一般的観光情報に疎いことが赤裸々になった( とはいえ私しか知らないことも色々あるのだが、、、)、次の情報はフランス旅行をする人にとって役立つのではないかなー?

何かと言うと 「荷物預かり」

日本のようなコインロッカーが各地にある国から来るとフランスへ来て当惑してしまう旅行者が多いと思う。

今仏国鉄のサイト内のページで調べてみたら、コインロッカーがあるのは、パリのオーステリッツ駅、北駅、東駅、リヨン駅、モンパルナス駅、加えてディズニーランドのあるパリ近郊のマルヌ・ラ・バレ、それから大地方都市のリヨン、ストラスブルグ、マルセイユ、カンヌ、モンペリエ、トゥールーズ、ボルドー。リールとディジョンは手荷物預かり所があるらしいので、結局荷物を預けられるの駅は全国に15しかない(それもロッカーが空いているとしてのはなし)

では良い旅行を
私もずーっと困っていたのだが昨年 nanny bag という便利なサービスを見つけた。ホテルがアルバイト的に(?)泊まり客でない人の荷物を預かってくれるのだ。次のサイトであらかじめ予約する。コインロッカーでないので大きな荷物も大丈夫。但し受付時間がどこでも同じということはないので注意が必要。

これで宿泊予定でない途中の駅で降りても、町を手ぶらで観光することができる。今現在預り料は6ユーロ。

注意:国鉄の駅情報も「ナニー」も観光情報は変わるものなのでその都度確かめて下さいね。


補足:フランスではテロ対策のためコインロッカーが一時皆無になった。テロと言っても昨今のイスラム原理派の自爆テロ故ではなく、大昔、多分95年のアルジェリア内戦を背景にしたイスラム武装団が地下鉄にガスボンベを使って作った爆弾を仕掛けた連続テロ以来だと思う。私が来た83年当時にはまだあった。

ところで日本・ポーランド戦を先日見つけた大きな液晶スクリーンのあるカフェにわざわざ見に行ったらセネガル・コロンビア戦を中継、結局どこのバーも同じ。そりゃそうか、両国に比べたらここパリでは日本人なんか全然マイナーだし、ポーランドは決勝リーグ出られないのは決まっていたし、、、。かくしてこの投稿が生まれた(笑)

2018年6月26日火曜日

ワールドカップ 現代の叙事詩

こんなに天気がいいけれど Malgré ce beau temps...
 Il fait beau et chaud, c’est le climat idéal pour le dessin à l’eau de mer. Certainement vous pensez que je suis entrain de réaliser une nouvelle série de grand format. Mais non, je ne sais pas travailler à cause de la tendinite! Il s’agit de l’épaule et du bras gauche. Etant droitier, je peux dessiner, mais je ne sais pas manipuler de grandes feuilles de papier. Finalement je suis au chômage technique (sans allocation, bien sûr), je regarde le mondial…. 
Ne vous moquez pas de moi, il y a de beaux gestes auxquels je pourrais me référer plus tard☺  

Par ailleurs depuis le temps orageux avait fini, les cristaux sont revenu à mon Icare !

毎日良い天気で気温も上昇、海水ドローイングには絶好のコンディションになったので毎日大作を制作中で大忙しと思っていて下さる方もあるだろう(本当はそのはずだった、、、)が、完全に制作停止中。

というのは既に書いた「五十肩」(肩・腕の腱炎と診察されている)利き腕でない左側なのだが大きな紙をピンと張ったりするなどの操作が出来ず、色々な治療を試みたがいっこうに良くならない。作業どころか寝ると痛みでほぼ2時間毎に起きでしまい安眠できないので慢性的に睡眠不足。読書しだしても数ページでこっくりこっくり。おそらく全くの運動不足が原因の高血圧の対策に毎朝ジョギングをはじめたので余計疲れてか(?)午後からはメトロに乗っていてもブログを書こうと思っても睡魔に襲われ、試練の時なのだが、それを結構簡単に解決してくれるのがサッカーのワールドカップ!

とはいっても「スポーツチャンネル」との契約もないし、選手はみんな金持ちの「雇われ兵」に過ぎなくなったし、、、で殆ど見なくなってしまっていたのだが、今回はわざわざ大スクリーンのあるカフェにまで行ってまで観戦するなんていう事態になっていて、、、「エイゾウ、本当にサッカー好きなの?」と驚かれてしまったが、実は「嘗ての投稿」*が証明するように『本当です』。

今回は強い筈のチームが苦戦している。その試合終了間際にポルトガルのクリスティアーノ・ロナウド、ドイツのクロースというチームの立役者が見事なゴールを決めると、私にはそれはほとんどイーリアッドの世界:つまりゼウスやアテーナが依怙贔屓でトロイの戦場の英雄の勝負に「ちょっかい」を出したように、神々がそっと風をそよがせボールの行方を左右したように思えてしまうのだけでど、私だけの妄想かな〜?(だって同じロナウドが違う試合ではよっぽど容易いPKを外すからねー) 日本の同点ゴールも同じほどみごとだった!

今年のフランスチームはベスト8に出られれば御の字という感じで、開会前は1998年の世界チャンピオン20周年の報道の方が目立っていたが、蓋を開けてみるとなんとか予選リーグ一位通過し、最近になって盛り上がりをみせつつある。いつものようにファン(民衆)は現金なもの(笑)


*嘗ての投稿、今読むと懐かしい♫

2009年11月 これがゲームというものさ(アンリの神の手)
2014年7月4日 サッカー vs サルコジ(欧州杯)

あれー、ジダン(ウィキ)の頭突きのことが出て来ない。書かなかったことなんてあるだろうか? 
2006年のワールドカップ決勝戦でイタリアのデファンス、マテラッチに頭突きを加えて退場になった。「売女の倅、彼女は死ね!」と言われたとか。その頃ジダンの母親は癌の疑いでマルセイユ病院に入院していたのだが、マテラッチがどうしてそれを知っていたか?本当に彼は知っていたのか??? 兎も角こうしてドラマチックにジダンは現役生活に幕を閉じた。**

同じく特集記事を読んでいたら、現代ダンスのコレグラファーのMathilde Monnier マチルド・モニエ(site)はジダンのプレーを以下の様に評したとある。訳すとややこしいけれど原文はシンプルで美しい。サッカーの記事だからって馬鹿にしちゃいけませんよということで引用させてもらいます:

 "Son talent est total et sa grâce, inexplicable pour un regard de danseur. L'égo disparait au profit du geste absolu, engagé. ça vient du coeur"

「彼にはまったきまでの才能とダンサーの眼からは説明のつかない優雅さがある。エゴはコミットされた絶対的なジェスチャーの利益の為に消滅する。それは(利己を排した)心から生まれる」

ところで前回書いたイカルス、塩の結晶が戻りました☺

** source : article d'Olivier Margo dans polka magazine #42
 後記:ジダンの頭突きは一般的には、例えばウィキペディアでも母親ではなく姉のことを罵言されたからとされています。私の参考にした記事は6月に発行された雑誌 polka にかつてのスポーツ専門紙エキップの編集長が書いた文章がソースで、説得力があるように思えるのですが、どうなんでしょうねー

2018年6月11日月曜日

イカルスの変遷 Evolution d'Icare

Mon dessin à l'eau de mer de l'Ile d'Ikaria*, "Chute d'Icare", exposé à Verrières le Buisson est revenu à mon atelier le vendredi dernier. On y voyait très clairement les cristaux du sel sur les deux taches d'encre noire. 
Mais hier j'ai découvert qu'ils étaient disparus !  
C'est vrai qu'il y a des orages depuis deux semaines, il y avait du brouillard hier matin. Pourtant les autres dessins ne bougent pas (sauf celui à l'eau de mer morte**). Donc la hypersensibilité de "Icare" est dû à sa structure spéciale : le papier japonais étant marouflé sur le toile, il y a des cristaux confinés entre les deux. Certainement cela attire et retient de l'humidité de l'air environnant. 
En fait, quand j'ai fait ce dessin en novembre 2017, il avait déjà montré une évolution spectaculaire au bout d'un mois. Maintenant je l'ai accroché sur le mur pour que je puisse observer le changement.

Note :  
 *Selon la légende,  Icare s'est tombé au large de cette ile. J'y suis jamais allé. Un ami m'a apporté de l'eau de là-bas.
 **http://eizoecrit.blogspot.com/2016/07/blog-post.html

イカルスが沖に落ちたと言われるギリシャのイカリア島の水で描いた「イカルスの失墜」、この作品は海水で濡らしたキャンバスの上に和紙を乗せて墨を垂らした。
作ったのは昨年の11月だが、一ケ月経つと墨滴の部分に白い結晶が大きく成長し、そのキラキラした状態で、3月に私は帰国中だったが郊外の「イカルス」のテーマの展覧会で展示してもらった。それから知合いが預かっていてくれて金曜日に戻って来た。
その時もキラキラ光っていたが昨日見たら真っ黒に戻った。
最近のパリ(というよりフランス全土)はほぼ毎日雷雨に見舞われ、昨日の朝は霧が立ち込めていた。つまり湿度がかなり高い。今までこんなに空気に反応するのは「死海の水」の専売特許だったのだが、、、。
考えられる原因はこの絵の構造。和紙とキャンバスの間にも結晶が散らばり微妙なマチエールを出しているのだが、そのサンドイッチ状態が吸湿効果抜群らしい。確かに絵を触るとしっとりとしている。

注意:普通の紙の上のドローイングでは死海以外ではこんなに敏感に反応しませんのでご心配なく(参考記事)


2017年11月の制作当時 (en novembre 2017)



12月から先週金曜まではこんな感じだった 
(photo prise en décembre 2017. Il reste ainsi jusqu'au vendredi dernier)
 







そしてこんなになった Et hier
 

今後どうなりますか。ちゃんと壁に掛けて観察します

注:イカリア島の水は友達が持って来てくれた。私は行ったことがない

2018年6月6日水曜日

セニョール・セラーノ

今日は前々回予告した、パリ公演はあっさり二回で終わってしまったバルセロナの劇団グループ、セニョール・セラーノ Agrupación Señor Serrano のことを書く。

パリ市の劇場からヨーロッパの若手の新しい動きを紹介する週間のプログラムが届き「15ユーロなら何か見てもいいけど、どんなものか下調べを」と幾つかのカンパニーのサイトを見だしたのだが、、、

彼らのグループ紹介がなかなか傑作だった。最初は「2006年にアレックス・セラーノによりバルセロナで創設され、、、」とまっくありきたりで始まったが、下の方にスクロールすると黄色の帯に「きっと貰うに相応しくない他の賞」と黒の太字タイトルで堂々と大きく書かれて、テクストには「2015年の貰うに相応しくないヴェニスの銀獅子賞の他にカンパニーは間違って幾つかの賞をもらっている」「色々なフェスティバルが連続して間違え続けで我々の仕事に賞を与え」などと、冗談か嫌味かわからない不思議な受賞歴を紹介している。「美術史上最強の少女」ではないが(参考投稿)、私これに釣られた〜♫

でも舞台の内容は冗談半分でない。私の見た最新作"Birdie"のテーマは移民問題! スペインは対岸北アフリカのモロッコ領に保有するメリリャ Melilla という飛地領を持っている(ウィキ)。そこには押し寄せる移民を阻止する為に立てられた国境の高さ6mの金網フェンスが存在し、そこによじ上りそこに座っているルポ写真 とヒッチコックの「鳥」のイメージをダブらせることが作品の土台となっている。今彼らのページを開くとそのクリップビデオ(予告編)が自動的に開始されるので(画面をクリックするとメニューに飛んでしまうのでそのままにして)それを見てもらうと舞台の様子がわかるだろうが:

舞台には左側にカメラを備えたデスクがあって雑誌 、写真、オブジェなどを2人の男性が操作しつつ撮影、それがバックのスクリーンに投影されて行く。それは時にはコンフェランスの資料説明のようであったり、 時にはアート的に、例えばゴルフボールに懐中電灯で照らして満ち欠けする天体の様に見せるとか。舞台の中心には動物、赤ちゃん、あるいはマスコットといった様々な模型の人形の行列するミニュチュアゴルフ場というインスタレーションがある。それもカメラで大写しされて行くが、模型の鳥をカメラの前にかざしつつその上を移動しながらあたかも自然科学映画の鳥の飛翔の如く見せたりと、潔く舞台で手のうちを全部暴露しながら披露するこのローテクが私には何とも言えない。

舞台の左側にもう一名、彼は舞台上構成されて行くイメージと、既に録画されているAVとを切り替えたりミックスしたりするDJがいる。

実際に舞台で写る画像は下のクリップビデオ(予告編)の様にバタバタしてなく、もっとテーマごとにじっくり物語られて行き、比べ物にならないほど素晴らしい。私がこの舞台で一番買ったのは繰り返しになるが、通常のビデオの利用とは違って、実際に目の前で行為される「手のうち暴露」のパーフォーマンス性の危機感あるいは緊張感。そして最後は舞台の人形たちは掃き清められてしまって、、、これはそれほど必要性があったのか疑問だが、毎晩この為に人形を並べ直すとはなかなかの勤勉さ:私ならそこまでしない(笑) 構成も緻密だし、なんかバルセロナの人とは思えない!(私の知っているバルセロナは90年代ですが、、、)
辛辣なところもある画像と歌謡曲のようなテーマミュージックのギャップもよかったなー

これはyoutubeにある予告編
 

ミニチュア人形の操作などが見えないと面白くないから小さなスペース用。煙霧を立ち込ませその中に画像投影し、自分が鳥になったような気分にさせられるところもあった。
もし何処かで見る機会があったらかぶりつき席でご覧下さい

Birdieという題はゴルフのバーディーと鳥のバードを掛けている。実際にゴルフ場の奥に移民阻止の金網フェンスがあるのだ。

Agrupación Señor Serrano

これが2014年に撮影された現実とは思えない実際のルポ写真



2018年6月3日日曜日

キーファーの新作展(もう終わってしまったけれど)

何が面白くて何が面白くないかというのは難しい。例えばアンゼルム・キーファー Anslem Kiefer(ウィキ)

80年代はじめて彼の巨大でダイナミックな絵を目にしたときは惹かれたが、暫くするとパースペクティブな構図と灰黒黄土の材質感で圧倒するいつもながらの手法に飽きが来た。そんな時に観た「大地の魔術師たち」***の鉛版に球を打ち付けて凹ませて幾層にも垂らしたインスタレーションは同展のテーマであった非ヨーロッパ諸国の土着な表現に呼応したパワフルなもので見直した。だがその後は金属、土、草木、建材、何でも使った工事現場か廃屋の様なメガロマニー的な作品に、神話やユダヤの神秘思想、ホロコースト等の解釈がくっつくようになって、無教養な私にはうさんくさと衒学的なところが鼻に付くようになった。2年ほど前のポンピドーの回顧展*も国立図書館**の大展覧会も見ていたのだが、そういう印象を新たにし、会場でブログ用にと写真は撮ったが結局「書く」気がしなかった(一応私のブログは写真より文が主体ですので)。

でも今回のパリの近郊パンタンに大きなスペースのあるThaddaeus Ropac 画廊の近作点は「文字通り」一皮むけていた。文字通りというのは絵の上に液体の鉛をぶっかけて、その縁をまさに「皮を剥く」ように曲げて張り出させてあるのだ。制作年を見ると1986-2017とか、新しめでも2015-2017とか記されていて、つまり昔の絵の上に鉛をかけた。こうして例のパースペクティブは壊され、ど真ん中に重くてかつ繊細な幻の木(あるいは気)のようなものが現れ、今までの作品のイメージが「何かが起きた後」の光景のようであったのに対し、それが「変容する光景」のような、つまり彼が興味を持つ魔術的、錬金術的なイメージがダイレクトに表現されるようになったと思う。剥がされた鉛の裏には鉛に剥がされた絵のマチエールの層がくっつき、その質感は「卵かけご飯」が「親子丼」に変わったぐらい豊かになった。明らかに鉛だけでなくいろんなものがかけられていて、表面をよく見ると六角状の結晶がピカピカと光っていたり、、、私が海水ドローイングで「塩が光ってるでしょう」なんて人に言っているのが一挙にふっとばされた感じでしたね〜。「本当に無茶苦茶やりやがって、悔しい!(笑)」

ところでこの展覧会はAndrea Emoに捧ぐとされていているのだが、エモさんはイタリアの哲学者で学会を避けた孤高の思想家だったらしい (1901-1983)。ウィキでもイタリア語しかなかった。「記憶以外には新しいものはない。新しいことは我々から生ずる。我々は未来である、もしそれを放棄できるなら」というエモの言葉にキーファーは旧作品の破壊のインスピレーションを受けたようだ。そして曰く

「私はかつてとは反対に怒りも絶望もなく、絵を地面に置き暑い鉛をそれに流した。失敗は完全に予測の中に含まれ、何れにせよ結果はあり、もはや絶望の理由はない。この破壊行為が計画ではなく激怒により生じたなら、鉛が異なる流れをしたなら、結果は違っただろうか?」

ちょっとこれ、私の創作態度と似てるところがあるような。だから今回は気に入ったのかなぁー。



絵も巨大だけど
Ropac画廊も巨大

剥け剥け具合がよくわかるでしょう


鉛の裏のハゲハゲ具合 詳細
キーファーの絵も結晶は写真では難しいけど




 * どんな感じだったかは写真が一杯のこの日本人アーティスト(面識なし)の方のブログでも
** 「本の錬金術(l’alchimie du livre)

後半のエモ、キーファーの言葉は次のページから:
http://agenda-pointcontemporain.com/11-02%E2%96%B731-05-anselm-kiefer-fur-andrea-emo-galerie-thaddaeus-ropac-paris-pantin/

***の関連投稿: 
現代「キャビネ ドゥ キュリオジテ」論 続あるいは序


右は2015年秋の国立図書館での展覧会で撮った写真。「本」もこんなに大きいから参るよね。彼は五十肩知らずだろう。。。

2018年5月19日土曜日

そして痛みだけが残った

最近展覧会を見ても眼を見張るようなものもなく、まあそれなりに作家は頑張ってるなーと一瞬は思うが、作品はよくあるパターンで「今更なんで?」何て思う後味の悪さが残ることが多いのだが、、、(「単なる自分の嫉妬か?」と思うと余計後味が悪い。。。)

素晴らしかったのは写真家の友人カップルの展覧会。会場は何か私の実家の駅前シャッター商店街のようなところで、こんなところにギャラリーがねーと思いながらきょろきょろしていると写真家カップルさんの三分の一寸ぐらいのロボットが移動している。「ナニナニこれ〜」と追いつくと少し先に「本物」のカップルさんがいて彼らの近くに行くと、いつもは旦那のAさんがスナップ写真を撮るのが小さなロボットカップルがパパラッチのようにバチバチ私たちの写真を撮り出した。

「会場にいなくていいの? 画廊どこなの?」
「通りの向こう」

と言われて行った大きなスペース、入ったら納得、すべて子供の背丈の視線のロボットが撮った写真家カップルとお友達や通行人のスナップ写真の展覧会だった。
いつもアイデア一杯だけど、今回はセルフィな時代をハイテクで追い越し、ますますすごいなーと感心していると目が覚めた。

実は四十肩( 五十肩?六十肩?)で寝ても腕が痛くなって起きるようになり、医者に行ったら単にコデインcodéineという物質がメインの鎮痛剤を与えられた。コデインは若者がアルコールと混ぜてトリップするのに使うので制限された薬なのだが、お陰で飲み出した三晩はなかなか楽しい夢を見た。それで楽しいと言えば楽しかったのだが肩と腕の痛みは去らず、薬にもなれてしまったのか「良い夢」も見なくなって、、、

現実の展覧会を梯子した後、最初に書いたように「夢で見てる方がよっぽど刺激的かー」と落胆していたのだが、昨晩久々に画期的に面白いスペクタクルを見た。ビデオとインスタレーションとパーフォーマンスを合せたものなのだが、そう書くとあまりにも陳腐。どう描写すべきなのか? 最近はビデオで抜粋が見られるからそういう努力は不必要と思っていたら、本当の舞台は息も切らせぬように畳み込んで来るのに宣伝用の「予告編」は全然良くなくてー、、、
まあパリ公演は昨日一昨日の二晩だけで終わったことだし、彼らの話はもう少し考えてから次回に(?)

というわけで今日は時々する「夢の話」でした〜。30年来会っていない昔の友達とデヴィド・ボウイの未発表曲(!)を一緒に歌いながら気球の上に登ったのも楽しかった〜♫(笑)

夢の後ボウイへのオマージュのNYの地下鉄の駅があることを知った(参考インスタ写真)。そして昨日の舞台はミニチュア人形をビデオで撮りながらというのが大きな要素で、、、これは主客逆転だが、こういうのも正夢というのかなー。

これが今日は挫折したが次回紹介するつもりの Agrupación Señor Serrano



2018年5月12日土曜日

ヴェリブとリンキー

前回の問題だらけの新ヴェリブから今朝メールが来て、将来の対策として「電気自転車のサービスを一時停止する」そうな。前回書いたように配電問題の原因が「旧ヴェリブと違って電気自転車も設置されることになり昔の配電ではだめになった」のでそんなこと誰でも即座に考えるでしょうが!(唖然)。最後に「6月末までに800駐輪所の80%の配電をする」と締めくくられていたが、つまり640箇所ということだから、旧ヴェリブの駐輪場が1800あったのだからその1/3。この目標だと多分私の近くの工事中の駐輪場は取り残されたままであろう(またまたまたため息)。勿論前回の記事以来ずーっと乗れていない。。。

ところでその配電会社のエネディス(ENEDIS)は現在すべての電気メーターを、交流電源にデジタル信号をのせて使用状況を把握できる新しいリンキー Linky という電気メータにしようとしていて、高周波が発生することと情報保護の問題で取り替えに反対している人が多い。実は私もその一人でちゃんと配電会社と市役所に書留郵便で「拒否状」を送っている。私は特に高周波に高感度とも思わないが、眠るときはWi-Fiを切った方が寝心地が良いような気がしているので夜は切るのだが、電気メーターだと冷蔵庫、暖房等のためオフできなくなる。かつ普通の個人消費者はこの「賢いメーター」で消費動向がわかってもほぼまったく恩恵を被らない。そもそも今ままで何の支障もないものを何故強制的に替える必要があるのか理解できない。「フランスの全のメーター」を替える何てとんでもない予算がいる。結局はそれが電気代の上昇になるのは明らかではないか。
法律的にはメーターは配電会社のもので我々には選択する余地がなく、変更は「強制的」なのだがメーターがアパート内にある場合は勝手に入っての変更工事は家宅侵害になるからできない。それが私の反抗の砦なのだが、工事の日程を決定する為に電話が先日かかって来て「拒否しています」と答えると電気代割引の申し出があった!!!(驚くよなー)。
 アパートの外にメーターのある人は留守の間に工事がされて、デジタル信号の為に使用機器が初期化されたり、よくきくのは何故だか知らないが温水器が作動しなくなったり、これは因果関係があるとは思えないが火事になったり(ひょっとしたら工事の不手際?)という問題がおきてクレームも殺到。

話を戻すと新ヴェリブに安全基準を理由に工事を進めない配電会社と、メーター交換を急ぐ会社は同じエネディス(勿論工事は下請けだが)。つまりは彼らはメーターのことで手一杯でヴェリブどころではないのではなかろうか?

これは単なる私の推察で、おそらくマスコミの関心外。何たって今のフランスは国鉄の三日おきのスト、エアフランスのスト、大学入学制度改革反対の一部学生のキャンパス占拠、68年の「五月革命」の50周年、そのほかご承知の様に国際問題も一杯だから、ヴェリブもリンキーもマージナルな話題で、、、。

新しいバス停と古いバス停(左下の小さな写真)
日本人はフランスが「伝統の国」と思いがちだが、ヴェリブにもリンキーに見られるようにシステムを文字通り刷新するのが大好きで、「まだ使えるのにー、もったいない」ということがしばしば起きる。例えば古いヴェリブなんて2万台みんなお釈迦ですよ〜。新ヴェリブがこんな無茶苦茶になると知っていなくとも旧ヴェリブを「処分大セールでもしてくれれば買ったのに」なんて思うのは貧乏性の私だけかな〜?

そういえば去年以来、バスの停留所、掲示板、新聞雑誌販売のキオスクも古いものは取り壊され、新しくなった。システムを漸次的ではなく一挙に変えた方が合理的とエリートが決定し断行するのがフランスで、「言い合いをするのは得意でも、議論をして合意(妥協策)に到るのが極めて不得意なのがフランス人では」と思うのは極論でしょうか。結局革命と専制は瓜二つ。

マクロンどうなるかな〜:ちょっと話が飛んだか(笑)


ところで左は私の五月のカレンダー。赤丸が国鉄スト日(但し日、路線によって違うが50%ぐらいは運行)、オレンジ丸が祭日(5月は多い)、青丸は我が最寄りの駅ビブリオテックの地下鉄あるいは近郊電車の工事による閉鎖日。加えてヴェリブなしだから、なかなか悩ましい。(「普通の人たち」はそれどころでないだろうが)








2018年5月1日火曜日

問題だらけの新ヴェリブ

2007年に開設され好評を博して来たパリのシェア自転車のヴェリブ(Velib)**だったが、昨年春に運営会社が変わると発表され、10月頃から駐輪場工事が始まり、12月には工事中ばかりで全然使えなくなり、予定では1月には工事は終わる筈だったのだが、延び延びでそれが3月になり、、、。
だから日本の個展でパリを空けているうちに流石に使えるようにはなっているだろうと期待していた帰ってきたのだが、 工事の進度は地区によって差があるようだが私の家の近くの駐輪場は閉鎖されたまま。かつヴェリブがあったからといってこれが動くとは限らない!
私の最寄りの地下鉄の駅より遠い国立図書館付近には一つ駐輪場ができたと教えてもらったのだが自転車があっても利用できる可能性は極めて低い!私が不器用あるいは新技術についていっていないからではなく、他の若いフランス人もみんな文句を言いつつメトロの駅に急いでいる。これはパリ中心街でも同じこと。いったいどうなっているのか?

新しいヴェリブは自転車のハンドルの真ん中にコードを入れたりする液晶を備えていてインテリジェントになっているのだが電気が必要、使えないヴェリブが多いのは置き場に配電工事がされず(旧ヴェリブと違って電気自転車も設置されることになり昔の配電ではだめだということだそうで、、、)、その応急措置に配電の変わりにバッテリーを設置して2−3日おきにそれを交換するという愚かしい事態になっているらしい。加えて従業員が「昔より待遇が悪くなった」とストに入り、もうお先は真っ暗。

それにもかかわらず乗ってしまったヴェリブ。たまたま動いて「ものすごいラッキー!」と大喜びになったからだったが、その晩携帯に「使いっぱなしです」と警告が入り、電話したら「不具合が多いので追加料金は取りませんが、技術員が確認するまで新たな利用はできない」って。何なんだそりゃ、技術者ストでしょ!!!

旧ヴェリブはすごく上手く行っていて、1800の駐輪場があり、2万台の自転車をプールし、使用者の9割が満足していたという:これは「文句を言うのが趣味」のパリ市民にしては信じ難い数字だ! 安くて(年間29ユーロ)、便利で、健康的で、私も「人生変わった!」と思うほどだったのに、、、。

そもそもそれを何故変えたのか?

簡単に言えば市にお金がかかりすぎた。
経営会社がバスの停留所などを無償で作るがそこに掲示される宣伝ポスターの収益で儲けるDCデゥコー(JCDecaux)社だったから、前市長のドラノエ氏が「パリ市民には一銭もかからない」と立ち上げ当時に言うのを聞いて、私はデゥコー社はまた上手く儲ける経済モデルを考えたのだろうとナイーブに考えていたのだ。しかし新聞記事を読んでみるとパリ周辺にまで広めた時に郊外の町の駐輪スタンド建設費を持たねばならなくなったとか、それにあまりにヴァンダリズム(機器の破損行為)、盗難が多い(=2012-14のデータでは毎年自転車総数の半分が盗難あるいは修理不能となる!)のでデゥコー社が全額負担だった筈だったが一台につき400ユーロを持つことになったとかで、、、よくわからんが、つまりは公共交通的側面と環境政策から維持しようと頑張ったがが支えられなくなったということだろうか(私の推測)。何しろ会計検査で年間1600万ユーロ(約20億円)もかかっていると指摘されたのだ。

だから春に入札制でSmovengoという仏西共同グループが事業権を得たのだが、大工事をしてまでも自転車も駐輪場も全部を一新する方がよいとは経済に疎い私にはなかなか考えられないのだが、、、。かつこの新しいヴァリブは電子装置搭載で明らかに高価、それにそんなに優れた盗難破損防止システムがあるのかも疑問。加えてもっと被害を受けやすい郊外にまで広げる計画なのだけど? 元の木阿弥にならないのかなー、工事も満足に進められない会社に任せて、、、*(ため息) 
勿論一利用者としては新ヴェリブの将来を祈っておりますが、先は暗いなー。

ちらっと日本語ブログを調べると新しいヴェリブの宣伝みたいなことばかり書いてあって、どうなってるのかなー。世の中何でも当たる「運の良い人」はいるけど、特にラッキーなタイプでなかったら旅行に来て「あーヴェリブがある ♪」何て思って一日券なんて買うと丸損ですよ。かつ一日券は以前は地下鉄チケット一枚ほどの値段だったと記憶しているけど、新会社の苦難を反映するごとく5ユーロにボーンと値上がりしてます(笑) 年間契約者も将来同じようにはね上がってくるかもしれないから笑ってられないけど、今のところこの「大失敗デビュー」に対して3ケ月分の賠償がされることになっている。実際に私は6ケ月間の間に乗れたのは5回ぐらい、、、(再度ため息)


 注* 4月26日の発表データによると、目標駐輪場数1400箇所に対し、工事済みは670、配電されているのはその半分にも満たない263箇所

注** 「そもそもヴェリブって何?」という方は旧ヴェリブのことが日本語で解説されている次のページをご参考に:http://jp.france.fr/ja/information/24124

 参考:
色々新ヴェリブの現状の記事がありますが、私の見た限り一番明快なのはフランステレビの
https://www.francetvinfo.fr/economie/transports/bugs-electriques-agents-en-greve-et-manque-de-velos-trois-raisons-qui-expliquent-le-fiasco-du-nouveau-velib_2726427.html 
旧ヴェリブの破綻に関してはエコー紙の
https://www.lesechos.fr/06/11/2017/lesechos.fr/030804178923_velib----la-fin-d-un-cycle.htmhttps://www.lesechos.fr/06/11/2017/lesechos.fr/030804178923_velib----la-fin-d-un-cycle.htm

ちなみにこれが私の最寄りの駐輪場の現状。工事の溝はゴミがたまり、、、。看板にはヴェリブはすぐに戻ります。2018年1月から使えますと書いてある(またまたまたため息)

2018年4月29日日曜日

坂田英三最強の自画自賛

「展覧会はタイトルから」と2月22日に書いたが、日本に帰って見たチラシの「絵画史上最強の美少女」*というのには笑ってしまった。これはタイトルというよりキャッチフレーズだが、堂々と意味のわからんことが書いてあるのが何とも日本らしいと言おうか。でもこういう日本人のとんでもない知恵(?)は世界を席巻するようになることもしばしば、「1932年 エロチックな年」はフランスでのその走りだったのかも。

展覧会ならず作品のタイトルも大事なことが、やっと最近私にもわかって来た。それは「絵画史上最弱」のランキングにも入らない私には尚更のことで、例えば「マラーの死」**:面会に来たジロンド派の女性に浴槽で殺されたフランス革命の英雄のマラー(持病のため薬湯治療しつつ面会客に会っていたという)は写真のダヴィッドの絵で有名だが、そこに殺人犯のシャルロットをピエタの聖母の様に登場させた秀作だと思っているのに(また自画自賛だがダヴィッドやミケランジェロと比べようと言う大それた考えは毛頭ありませんのでご了解のほどを)、この作品は絶対に動かない。
他の「自画自賛」の作品では「メフィストフェレス」とか「サロメ」とか「翼をなくした」とか、、、いくら私がイチオシしても否定的なイメージが伴うタイトルの作品は結局アトリエに温存されるという運命らしい。

ダヴィッドのマラーの死
ミケランジェロのピエタ
私のマラー
私のサロメ
こんなたわいもないことを考えていたら若い現代作家の展覧会のお知らせが来た。作家の名前をタイトルにした個展なのだが、「彼の名前を唯一のマニフェストにしたこの野心的な展覧会を通して、彼は決して安易さや表層性に余地を許さず自分自身を問いなおす能力を明らかにしている」そうで、、、こういうまったくもって不毛なフランス現代アートの典型的な紹介文を読まされるとうんざり。「『絵画史上最強の美少女』のほうが楽しくていいかー」という気がしてくるが(苦笑)、いえいえこのジャンルの「最強」は何と言っても詩人の江藤さんが個性的な文章で作家と作品を紹介をする名古屋Lギャラリーのコピーでしょうねー。

ところで「絵画史上最強の美少女」、よく眺めて考えてみると私も子供の頃カレンダーの写真を見て憧れたことがあることを思い出した。それが由縁か私の「サロメ」の顔にも同様な愛らしさと憂いが漂っているように思うのは作家本人のみだろうか?

今日は自分の作品の宣伝に尽きた感じがするが、それに上乗せ:
「マラー」は東京石川台に展示されたままですので 私の説を転覆なさりたい方にはお求めになってもらえます(笑) 「ひょっとしたらネガティブにとらえられるのか」とうすうす私が疑うようになった「ボクサー」もいます(下写真)



* 注:日本語のサイトを見ると「美少女」に「センター」とルビが打たれていることが話題になっているらしいが、浦島太郎の私には当然それが全く何を意味することかわからないことは言うまでもない。


** 参考:
マラーの死 - Wikipedia


後記:そうそう、この官能的な「マラーの死」は浜松のFさんに買って頂いたこと忘れていた。。。

2018年4月15日日曜日

Aperçu de mon exposition à Nagoya

Voici un aperçu de mon exposition personnelle de "dessins à l'eau de mer"
 qui a eu lieu à Nagoya du 3 au 18 mars, prolongée jusqu'au 29.

名古屋のLギャラリーでの「海水ドローイング」の個展の概観です(3/3〜18、29日まで延長)

 

Donc en panoramique
パノラマで見ると


Sur la panoramique ne se voit pas l'entrée où il y a deux dessins sur toile.
 Ils sont faits également à l'eau de mer.
上の写真では見えない入り口には綿の布地に描いた海水の作品2点


On a posé nombreux dessins sur le mur sans verre
 en utilisant des aimants 
磁石を使って直に多くのドローイングを展示しました


Chaque fois "L-gallery" m'incite à faire de nouvelles expériences. 
Voici en bas, les 3 pièces odorantes "J'adore",
elles ont amené le parfum de la mer Atlantique !
Et sur le mur est accroché "le Sablier de la Mer Morte"
qui est, dirais-je, vivante.
Lギャラリー用にのプラスα:
大西洋の香りお運んだ「ジャドール」の3点と、壁には生きる「死海の砂時計」


J'ouvre les fenêtres de l'encensoir pour faire sentir la mer ...
匂いを嗅いで、、、

Ceci n'est pas un pingouin mais un "manchor"
ペンギンならぬペンキン


"Le Sablier" s'active en attirant l'humidité dans l'atmosphère !
死海の水は周囲の湿気を吸収してこのとおり 


J'ai beaucoup aimé ce cadre en plexi pour "Zen Egg"
この額装はとてもよかった


Voilà, j'ai montré les meilleurs de mes travaux récents.
Certes je n'ai pas vendu les grands dessins,
 je suis loin d'être mécontent de me les garder,
comme j'estime qu'ils sont tout à fait exceptionnels


というわけで近作のベストを展示しました。
大きいドローイングは売れなかったのですが、
それらは自分で本当に素晴らしい作品だと思っているので
キープできて良かったとさえ思えます。

Puis j'ai accroché quelques dessins dans un petit espace qu'une amie gère à Tokyo, finalement mon séjours au Japon a été bien rempli.

その後高校の同窓生が開いた東京大田区の石川台の駅近くの
コミュニティ・スペースに一部を即興的に展示。
結局6点今でも置いたままですのでご興味がありましたらご連絡ください

謝辞:写真は撮って戴いたものも勝手に使わせてもらっています。悪しからず。メルシ〜

2018年4月8日日曜日

無事に戻りました

「無事に戻りました」って日本語ではよく使うが、今回はほんとうに無事に着いてほっとした。。。

昨今物忘れが激しい私としても、あまりと言えばあまり。中部国際空港へ行く電車の網棚にナップサックを置き忘れた。
中に何が入っているかというと、パリの札入れ(当然クレジットカードも入っている)、パリのアトリエ(アパート)の鍵、それにパソコン、iPad、iPhone、加えて日本のガラ系携帯も。空港ロビーに着くまで全然気が付かなかった。大荷物とドローイングの入った円筒チューブをロビーに置き去りにして名古屋鉄道の駅に急いで戻ったが、特急はすでに折り返した後。車掌さんに電話してすぐにわかるのかと思いきや、15分後の次の停車駅までは打つ術なしで、、、。
手元にあるは日本円、パスポート。
パリにも飛べし実家にUターンも可能。「家に入れんなー」「誰にも連絡できんなー」とすごく心配したが、流石ニッポン! ありました〜。冷や汗モノだったが、ナップサックが戻って来る半時間の間に搭乗手続きをさすませ、無事に飛行機に乗った。

 「日本でよかった! これがフランスだったら、、、」と一瞬思うがそう簡単な比較は意味がない。というのもパリの空港列車で棚に荷物を載せる訳がないのでこういうミスはありえないから。

と思っていたのだがシャルルドゴール空港から乗った新しい車輛、荷物棚がなくなっていた(記憶が危なかしいが昔はあったはず)。誰も使わないから極めて合理的な思考(笑)

パリの中心のシャトレで東西方向の高速A線に乗り換えようとしたら土曜なのに異常な数の人がプラットホームに。ここで鉄道が8日と9日ストであることを知る(まだ7日なのだがストの走り) 普通は空港からパリに来る南北のB線の方がストの影響が大きいし、一旦パリまで出さえすれば何とでもなるので、かなりラッキーな気分。今回は個展の為に荷物が多いのでなおさら。

この改札を土曜の朝、計5度も通った。。。
通告にgrève nationale(ナショナル・ストライキ)なんて大げさな言葉が使われていたが(常套的に使っていたかな〜?またこれも記憶の彼方)、ナショナルはまさか「国民の」とか「国家的」という意味ではないだろうし、「全国スト」というならそれは当たり前だし(地域ストなんてごく稀だから)、こういう単語って難しいなーとあらためて思いつつ家路を急ぐ。

着いたパリの晩は春らしい陽気だったが、私のアトリエは冬の冷気をしっかり保存していて室温15度でぞっとしつつ、ブルブル。

追記:今回はちゃんとデッサンの入ったチューブも乗継ぎに遅れることなく、破損することもなく無事に到着していました。(行きは乗り遅れ一日後に空港に到着し、その翌日に展示準備中のLギャラリーまで直接配送してもらった。それに昔の経験から今回はキャップが飛ばないようにエッジをしっかりテープで補強したのが功を奏した模様)

2018年2月22日木曜日

展覧会はタイトルから?

前回ダダの旗手のハウスマンのダダ後の作品の展覧会について書いたが、ジュ・ドゥ・ポム美術館の対面のオランジェリーの「ダダ・アフリカ」を見ていなかったから行ったら、日曜で終わっていた。ハハハ。まあ笑って終わりにするのは、私はダダとアフリカって関係ないと思っているから。だってダダ以前のピカソや表現主義が既にアフリカアートの洗礼を受けていて、ダダは既成のものすべてに反対なのだからそれにも反対。ちなみに「アヴィニョンの女性たち」が1907年で、チューリッヒのダダの始まりが16年、「なんかコンセプトの間違いでは」と思っていたのが祟って、すぐ行かなかったら結局確かめられなかった。。。見ずに文句は言えないからこれまで。
同じく11/29の投稿で触れた「1932年 エロチックな年」という酷いタイトルのピカソの展覧会も見ずじまい。タイトルって大事ですね。(私のような意固地な人間でないと逆に「何だろう?」と唆されて行く人も多いのかもしれないが)

ところで私の3/3からの名古屋の個展のタイトルは「海水ドローイング サンガルニチュール」。前回はガルニ(付け野菜あり)だった(つまりドローイング以外にも色々あった)のに対し、今回は「それ一筋!」という意気込みなのです。それが月曜日の晩フランス国営文化放送で、墨で描いたドローイングを海に浸けるらしいある若い作家が「海水ドローイング作家」として紹介され、全然違うのに人に「同じようなことしている」と指摘され、実は私は回りの多くのフランス人に対しプンプンしているところ。まあそんなことどうでもいいと言えばばどうでもいいのだけれど、実際に私の作品を見ている人からそう言う声が上がると士気が落ちますよ。昨日からまた寒くなって朝は零下だし、帰日時ですかね。

私の名古屋の個展情報はコチラ

上記仏文化放送の番組を聴きたいかたはコチラ

展覧会と言えばポンピドーセンターの、圧縮、膨張シリーズで一世を風靡した彫刻家のセザール(ウィキ)の回顧展は、会場に入ると即全体が一望に見回せるという今までにないスペース作りで、期待していなかったのに(から?)意外に楽しめた。3/26まで。タイトルはただセザール(笑)


明朝出発なのでこれまで
 







2018年2月10日土曜日

私は昔ダダだった ♪

ラウル・ハウスマン Raoul Hausmannはベルリン・ダダの中心人物。
ダダはご承知の様に反体制というか反既存の(例えば表現主義にも飽き飽きしていた)、今で言うパーフォーマンスの視聴覚のトータルアートを生み出した極めて急進的芸術運動。チューリッヒで1916年に始まりヨーロッパの各地に飛び火したので上で「ベルリン・ダダ」と断ったのだが、彼の展覧会が写真の美術館のジュ・ドゥ・ポム Jeu de Paume 美術館で始まった。例の有名な辛辣なメッセージ性のある写真や文字のコラージュ(フォトモンタージュ)だと思って行ったら(どんな作品だったかなーという方はこのページでもご参考に)、それは一部にすぎず、こんな砂浜の写真とか。。。

これは1927年から行くようになったヴァカンス先のドイツ・デンマークの国境のSylt島で撮られたものだが、ここでは風景といっても草木や石、それに浜辺に打ち寄せる海水の泡とか、何でもないものの素材感と一瞬の過渡性、例えば砂粒が風で動くの見えるようなミクロな触覚を感じさせ、何と官能的なことか。
それもそのはず? この島には妻のHedwig Mankiewitzと1907年生まれのロシア人の若き愛人Vera Broïdoの「三人所帯」で来ていて、浜辺で二人のヌードも撮っているが、ヌードもその中でオブジェ化されたり、接写でミクロな感触を喚起させる繊細な写真だ。もう何でも打ち壊すようなダダ表現とは全然違うように思えるのだが、一貫するのはある種の動き、瞬間性へのこだわりか。ちなみに写真展は「動きの視線」と題されている。
実は若きヴェラさんはロシア革命の少数派となるメンシュヴィキのリーダーの一人を母に持ち、シベリアの収容所育ちで、某美術研究家によると、その彼女の裸体を激写すること自体が「反イオデオロギーの証」だそうだが、、、私は笑っちゃうけど、現代美術ファンでは「なるほど」と感心する人もいるのかも。

三人所帯のお二人、お尻がそっくり!
それは兎も角、私がこの風景写真が非常に気に入ったのは、海水デッサンの所為で「島好き」になっているのがきっと関係しているだろう。

ベルリン・ダダは1918年に結成され活発に活動していたのは数年に過ぎず、1930年以降はほぼ写真一筋になる。しかしこんなバルト海の島で写真を撮っていたのも僅かで、ナチの台頭にドイツを追われ、33年にカタロニアのイビザ島に逃れ、この島の住居の写真が今回の展覧会の最終パートだが、そこにもフランコ軍が到来、スイスに移るが共産党のスパイとして追放され、その後は(米亡命が許可されず)戦争に追われながらのフランスで暮らし、、、結局はリモージュで71年に亡くなるという大変な一生で、彼の作品の大部分はナチスに破壊されるか亡命中に散逸し、先の「ダダ以後」の写真は70年代後半になってベルリンの娘のアパートから発見された「忘れられた作品」だった。

ラウル・ハウスマンと言えばダダ、当然上にリンクしたページもウィキも彼のことはダダどまり。

ダダだと思って来た人のために(?)ハウスマンほか作家たちがベルリン・ダダの想い出を語る長編インタビュービデオがあり面白い。でも英または仏語要

最後の写真はヴェラさん。これが元で先日書いた「黄金の雨」のダイアナにされたコラージュがあったのだが写真撮影失敗。
結局今日の写真はすべてネットでのリンクで掲載で。


参考:
ジュ・ドゥ・ポム美術館のサイト
5月20日まで。ワンフロアだけの比較的小さな展覧会です

2018年1月30日火曜日

ソフィーのちょっと良い話

彼の知性に私はひるんでいた。彼は一緒にランチを食べようと提案した。それを想像する喜びは、不安、自分はそのレベルではないという心配を一層大きくさせた。心構えができるよう私は「何について話しましょうか」と彼に尋ねた。こうすれば馬鹿げて無駄であると知りつつも心が静められる。唐突にDはテーマを決めた。「朝何に起こされますか?」 一週間何度も検討しては沢山の答えを考えた。その日が来て、彼に同じ質問を早々と問い返したところ、彼は「コーヒーの匂い」と答え、そして私たちは話題を変えた。食事の最後にコーヒー、私は記念にコーヒカップを欲しいと思った。

引用が長くなったが、これは「コーヒカップ」という作品(インスタレーション?)の文章部分(写真)。
ちょっと長かったので次は短い「沈黙」

母はブリストルホテルの前を通るたびに立ち止まり、十字を切り、私たちを黙らせ、「静かに、ここで私が処女を失ったの」と彼女は言った

世界で現在最も名の知られていると言われるフランス人アーティスト、Sophie Calle (ソフィ・カルと日本では呼ばれるそうだが私は古風にソフィーで行きます)のこういう文章がキッチュな額に入れられてパリのマレ地区にある動物の剥製や猟銃などが並ぶ「まさに古式な博物館」と言う趣の「狩猟自然博物館」に二階の展示場に点在している。

こんなにわざわざ翻訳して引用すると熱心なファンかと思われるかもしれないが、私は彼女の作品が大の苦手。だって「読んでばっかり」で、、、。私は読むのが遅いからフランス人の友達なんかと行ったら速く読もうと焦るばかりで全然楽しめない。
では一人でマイペースにゆっくりすると、どうなのか? やっぱり「読んでばっかり」で、、、視覚的に何か残っているかな〜? 

今回はそれでも博物館の常設展示と彼女のお友達である招待作家 Serena Carone(セレナ・カローヌ)の彫刻に助けられ、二階の展示場の文章はすべて読破した!(実は一階では団体がいてガイドがうるさかったので二階から見出した) 博物館という場所柄か(?)「ちょっと良い話」という感じの文章が多かったが、私生活とフィクションを取り混ぜた叙述は最初は楽しいが、何十というテキストを読んでいくと彼女の感傷吐露に私はうんざりして「全然そんなこと知りたくもない!」と私は叫びたくなる。
「それが現代アート!」といわれればそれまでのことだが。

彼女の文章は訳してみてわかったけれど、「訳し難い」。というのは文章がこなれていて、ちょっとほくそ笑ませたり、ちょっと胸キュンだったり、ちょっとゲロだったり、それを伝えようと思うと逐語訳では済まず、真面目にやれば多分大変な仕事になる(私の訳はあくまでも皆様の理解の為の単なる参考にすぎません)。

ソフィーさんのお父さんは著名な心臓科医で目利きの美術蒐集家、ソフィーは彼に最初に作品を見せていたのだが、2015年に彼が亡くなった後アイデア喪失に陥った。そんなとき「魚屋でアイデアを釣ろう」という宣伝を見て彼女は馴染みの魚屋に聴きに行ったところ鮭を勧められた(と黒板に書いてある:右写真)。このエピソードが今回の展覧会のキャッチになっていると思うのだが、そのビデオ作品を見ると魚屋さんは鮭の皮は彫刻に使えるかもと言ってるぐらいで、「それなら鮭買いな」なんていう「飛んだ会話」ではなかったのでがっかりした。やっぱりソフィーさん、脚色上手いんだよな(笑)。

この他、一階の現代的展示スペースは、病床での最後の言葉を綴った父を悼む作品をはじめ、「死」がメインテーマ、三階は雑誌の出会い欄のコメントを使った写真と文章の組み合わせの「恋人狩り」の作品で、両階ともごちゃごちゃとした(その分遊びのある)キャビネ・ドゥ・キュリオジテ的展示の二階とは違ってもっと純然たる彼女の作品が並んでいる。

彼女の切ない思いが作品に表現されたお父さんに対し、上の「沈黙」(実話かどうか知らないが)が示すようにお母さん(既に亡くなっている)もそうとうなもので、最近私が評価を高めている大衆紙のパリジェンの美術案内によれば、ニューヨークのMoMAのソフィー展のオープニングに同行したお母さんは「あんた上手く皆を騙したわね」と言って大笑いしたそうである。

この父母にしてこの子あり

彼女は子供がないので「これでピリオド」とかいう文章もあった。ちゃんと引用したいけどその為にはまた足を運ばねばならない。つまり上に訳した文章は私が好きで選んだのではなく、サイトで探したのだがテキストでは見つからず、文まで読める精度の写真が2、3しかなかったのでこの選択となった。

この展覧会は2月11日まで。博物館には他の現代作家の作品もあってそれ自体面白いところではあるのだが、会期最後は混むだろうのでソフィーのフランス語が読めない人は今行くことないだろう。


今探したもっとマトモな美術的評論を読みたい人への参考」

・2015年にソフィ・カルの展覧会をした豊田市美術館の学芸員の方がこのパリの展覧会に関して書いたキューレーターズノート(但し写真にある「鮭の皮」の作品も涙する像もセレーナ・カローヌの作品です)

・ソフィのファンはうんざりせずにこう評価するのかと感心させられたartscapeの記事