2020年12月16日水曜日

論理と非論理を超えて

 前回のブログ、夜に書いて翌日読み返してみるといくつか間違えあって。一番は「今日までの行動範囲は1km」なんて書いたが考えてみると20kmまでよかった(これ幸に街に出たりしていたのにすっかり忘れていた)、と思って修正、でもよくよく考えるとこの制限緩和は11月末からで最初は1kmだったのだ(また修正)。ほんとに牛(スペイン語ではvaca)になってしまったかとも思うが、無為な日々を送りつつ首相がなんか言うととルールがころっと変わってしまい、あれまー:これもブログが書けなくなった理由の一つ。

政府の決断は「論理性がない」と誰でも批判できる。例えば「スキー場はオープンしていいが、リフトは動かさない」(勿論カフェ、レストランは開いていない)とか、スーパーや通勤メトロに比べてよっぽど空いていて人数・距離制限が容易にできるのに美術館、劇場はダメとか。でもねー、基本的にはウィルスは人を通して感染するので、できるだけ「動くな」ってことでしょ? つまり難癖をつけてでも人が移動したがらないようにする。これが政府の非論理的論理性で、わからないってことはないと思うのだが? 簡単な上げ足取りして笑ってもさほど面白くないんだよな(これが私が牛になった理由の一つ)。

なんかもっと心から楽しく笑いたいなーと、昔好きだった落語をyoutubeでみだしたらビデオになっている古典落語は全部知っているようで、ちょっと驚きだった(学生時代よっぽど暇だったからか、有名な題目は限られているからか)。まあ知っていても笑わせられるのが「話芸」の素晴らしさで、その話をかつての学友(私と同じくかつては世間からは優秀とみなされる頭脳を持っていた(笑)。理科系なのに出版社に就職、側から見るといい仕事に思われるが辞めてしまい今は介護の実践の場にいる)にしたら、落語を伏線にしてこんな文章を書いたことがあるとリンクをもらった。

また堅い内容だろうと思って読み始めたが、これがなかなか愉快。落語好きの登校拒否の女の子が蹴った小石を追って世界と宇宙の果てまで駆け巡ることになる。空想の大風呂敷の上方落語、論理非論理のアリス、あるいは寓意と批判に満ちたガリバー旅行記かドンキホーテかというと褒めすぎ? いえいえそれに匹敵すると思われるぐらいなかなかの名作。真面目なK君にこんな奔放な空想力があったのかと私はただただ感嘆。

自己発見の旅でもありエコロジーがテーマでもあるこのお話、「誰に読んでもらってもいい」と言うので宣伝したいのだが、ブログやフェースブックで宣伝に努める私とは違い、能ある鷹は爪を隠す、アクセスしにくいんです:

http://boubou.cafe.coocan.jp/sonota.htmlの2番目の「こうしてマイは…」へいって一話一話ダウンロードせねばならない。

それほど期待していなかった薄情なる私は、最初は一話しかダウンロードしなかったのだが、冒険が本格的に途方もなくなってくる第三話ぐらいからどんどん複数話チャージした。

これが今回のロックダウン中の一番の成果だったかな〜。

 

今日は解禁されたのに自発的に「蟄居」。昨日宅配から「明日配達します」との連絡があったが日本のように配達時間指定ができない。留守していて「すぐよこせ」というと「集配所まで取りに来い」ということになりかねない凄いサービスなので、これがよく私が日本の人に「フツウの小包」で送って欲しいという理由。考えてみるとフランスには日本のような敏速正確な宅配がないからアマゾンがロックダウンで一人勝ちするのが余計にうなずける。前々回書いたAmazon primeの引き落としも1日で切りがついたし。全然アマゾンの宣伝する気ないですよ、ただ「フランスの事情」ということで。

それにしても仏郵便局はせっかく国内を網羅する既存の集配システムがあるのに、悪しき「経営合理化」でどんどんサービスを下請化し、その下請けに託された小包は郵便局に行ってもどこにあるかわからないと言う有様。実は今待っているのもそれ。「まさか郵便箱に入れて帰ったとか?」と念のため見にいったらホールの扉に「小包が郵便箱から直接盗まれるケースがあったので、できれば違う住所を使うように」と張り紙がしてあった(よくある話かもしれないが、わがビルとしては新手)。悩ましいなー。なぜそんな国が好きなのと思うでしょ? 最後に少し郵便局も褒めておくと、流石に何も考えてないということもないのか、書留書簡をネットで注文して郵便箱に入れておくと郵便配達が持っていってくれるというサービスができた。これは名案。特に大家さんへの文句の手紙なんか盗まれるはずないから便利で安心(笑)、、、のはず。

そしてとうとう朝から待った小包、16時にしてやっと配達された☺ こんなことで喜びを感じられるなんて、フランスならでは♫

注:写真は街頭に貼ってあったマクロンがアマゾンの今年のベストワーカーとして表彰されているポスター :こういうのもフランスならでは

 


 


2020年12月14日月曜日

明日解禁ってボージョレではありません(今年は可哀想なぐらい何の話題にもならなかった)

 あらあら、ロックダウン中は暇だからブログを少し盛り立てようと思っていたのに、何も書かないまま、もう明日は先月30日に始まったフランス第二回目の「甘いロックダウン」の解禁日。しかしこの解禁もお笑いで。というのもマクロン君は10月28日の演説で、「解禁は新患者数が5000人未満になること」という条件をつけていたのだけれど、実際の状況は10月末になって下がり止まりで到底達成不可能(どころかその2倍以上で停滞または増加傾向)、「人の言葉を信じる(信じたいと思う)」ナイーブな私は「こりゃダメだ」と絶望していたのだけど、結局政府は「国民がクリスマスを祝えるように*」移動の自由を認めた。何たって原則としては(実際面では街頭に人が多すぎてかほとんどチェックがなかったが)今までは自己申告だけど外出許可書要で、蟄居住所から移動制限が最初は1km、先月末から20kmだったが、明日からは全国どこへでも行けるようになるので確かに解禁だ。だがまた「夜間外出禁止令」が敷かれ、夜8時以降の外出禁止となる。ただイブの晩だけは例外。伝統的にフランスではクリスマスは家族の大集会なので、田舎の両親のところへ集まったりはできるが「会食メンバーは6人以下にしましょう」なんていう勧告付き。大晦日は我がアトリエのみならず、大勢の人が集まって騒いで12時にキスし合う習慣があるが、もちろんそれを妨ぐべく例外にはならなかった。

それから文化・スポーツ施設(例えば美術館)なども閉められたまま(書き忘れたが本屋さんなどのいわゆる「お店」(画廊も含め)は11月28日から開店)。もちろんカフェ・レストランなどははじめから1月20日とされており、私はクリスマス休みが終わってまた感染者が増えるだろうからここで5千人の壁にぶつかると思っていたのだが、もうこれだ。今回のロックダウン中のピークは開始から1週間から10日でその後下がっていったのだが、これはちょっと早すぎて、多分ロックダウンではなくそれに先行した「外出禁止令」の効果だったのではとも推測されている。

上のグラフは私が参考にする各国ごとのデータが集められているworldometersのサイトより。毎日の変化(棒グラフ)で一喜一憂しても意味がないからだろう、7日平均の折れ線グラフも出してくれる

 

一方厚生大臣は、クリスマス前に国民が検査に殺到してラボがパンクする可能性もあるという背景から、「すぐに結果が出る抗原検査」は無症状の感染者をパスしてしまうことが多いので、陰性だったからと言ってそれを過信して近親者を感染させてしまう危険は大きく、テストを受けるのが必ずしも良いアイデアではない」と、正しくはあるが微妙なことを言い(マスクの時と同じく不足しているのをカバーするような論理)、当然諸種の政令も職種などでぶった切るから矛盾は当然。当事者からは「政府は国民を子ども扱いにしてけしからん」(罰則ばかりでコントロールしようとする)文句が吹き出し、、、でも今までの経過を見ていてフランス国民が一般的にそれほど裁量ある「大人」とも思えないのが。。。

しかしコロナというのは誰でも自分の意見が言えて百家争鳴とさせる話題のスーパースターだろう。マスコミ関係者には願ったり叶ったり? 私とてもたまに人に会ってもロックダウン下の食っちゃあ寝の「家畜生活」では大した話題もなく、共通項はコロナで因数分解されてしまい、だからもう話したくも書きたくもないのだが、我が心するにあらずこんな記事を書いてしまった。残念無念。もうやめます。お後がよろしいようで 

 


 

注*:宗教心の毛頭ない私はどこら辺が政教分離なのかと訝しく思ってしまうのだが、そういうことで批判する声は聞いたことがない。高校の地理歴史の先生がマホメットの風刺画を扱った所為で教鞭を持つ学校の前でテロ虐殺されるというおぞましい事件は起き、ロックダウン直前にコロナを第一面から数日間消し去った。この大事件でLaicitéというフランスの政教分離の原則が再度議論されたが、やっぱり私はその意味がわかってないのかな〜 

 

後記:長いテーマをつけたので補足。基本的にボージョレ・ヌーボーはカフェなんかで話の種に解禁日あたりに飲むもので、今年はカフェは閉まっているし、かつボーヌ市での「お祭り」も開催できなかったから何の話題にもならなかったです


2020年11月5日木曜日

禁じられた商品棚とまたまたマスクのお話

1)散歩がてらモノプリに行ったらこんな風になっていた。

昨日の続きになるが、甘いロックダウンでも外された本屋などの小売店は、スーパーや大手量販店が同じものを売っているのに不公平だと文句をあげた。それに対し政府は小売店を開けるのではなく、必需品のリストを作り、スーパーでそれ以外は売らないよう通達を出した。写真はその結果。ちょっとお笑い。多分商品をとって自動レジに行ったら絶対買えそう。

まあそんな実験はせず、マイクロフィルター・ミルクだけを買った。わざわざモノプリに散歩して行くは同店のこのミルクは絶対美味しいと思っているから。実は展覧会用の「牛の頭」の制作中は包装デザインで選んだパック入りのミルクを仕方なく飲み続けていたのだ。それから解放されて幸せ!

 

2)マスクが郵便受けに。政府が貧民世帯(800万人?)に配布してくれるマスクの第二弾!(5・21に少し記載)六枚入っていて20回洗濯可で6ヶ月使えますと書いてあった(日曜除き1日二枚ってことか?)

パリ市がくれた青い「鴨嘴型マスク」は醜いのと、呼吸のたびに縮んだり膨らんだりで滑稽すぎて使用していなかったのだが、口先のスペースの余裕が魅力で私は愛用するようになった(6・15記載参考)。春はダックマスクが主流だったのに秋には全然姿を消し、私がしていると珍しがられるほどだっだ。だが嘴型はフィルター機能の高い医療用に多いからか再ロックダウンとなって少し盛り返している。パリ市のマスクは医療用ではなく洗濯可のペラっとした布製で、使っていたら大きな不具合を発見。風に弱い! とがっているから抵抗大きくて風を受けてぺっちゃり。秋の低気圧が通過するようになってからは✖️✖️。

唇の周りにスペースを作るためのプラスチックの半円球カップみたいなのものがネットで宣伝していたので安いものだし買ってみたら、なかなかいけて、コレ(mouth bracketと送られてきた封筒に書いてあった)を使うと、化学繊維(?)の少し毛羽立っている(使い捨てを洗っていたからか?)安物マスクは肌にこそばゆくてダメだったが、政府支給の厚めの布マスクはそれがなく、また耳にかけるところもゴムでなくて布でしっかりしていて完璧。鴨はやめてこのコンビにして喜んでいたのだが最近寒くなって息がプラスチックに露結するようになった。でもまあ今はこれを使用中(洗うのが当然となってちょうどいいかと)。かつカップを上の方にしてすると目の下までぴったりとマスクで覆われ、こうするとメガネが曇りにくいことを発見(ちょっと眼鏡を鼻先かけ気味にした方が良い)。実際目のギリギリまでマスクしている人がいるのの謎が解けた(ただのスタイルの問題ではなかった)。

こう書くと私はもらった無料マスクしか使ってないと思われるかもしれないが、薬局で買った使い捨てマスクも何枚もあるし、隣人アーティストのデザインマスクも購入、街角で「きれい!」と思って買ったが布がゴワゴワで使わないもの、最近では開催予定だったグループ展の「Hybridation(混種化)」というテーマに合わせて会場で着用しようとインターネットで見て買った黒猫の鼻から下が印刷されたマスク(キャットピープルになろうと思ったのだが、これはちょっと詐欺まがい:印刷も悪いし、黒猫なのに白糸で縫製してあるという至極杜撰な中国製だった。結局これは「牛頭」を作ったので用途もなくなった)と色々あるのだ(名誉挽回のため)。だが結局もらったマスクが一番なのはやっぱり貧乏性か?

 3月には「感染防止効果なし」とフランス政府にみなされていたマスクが4月には「着用義務」になった「出世」のことは大昔に書いたが(マスクの復讐)、私は未だ懐疑的で 、一般のマスクは唾などは防げるからないよりはマシかと思うがそれ以上の効果があるとは思えない(ウイルスの大きさから考えて)。こんな非難されそう意見(正しくなかったらいいのだけど、、、)を言うのは、着用が義務化して以来「マスク過信」があると思うから=距離が取れなくてもマスクしてるから大丈夫という過信。オフィスも学校も地下鉄も閉鎖できないけど、マスクも絶対じゃありませんからと強調した方が、個人が各々状況に合わし警戒するようになっていいと思うのだけど。となるとまた○✖️式でなくてわかりにくくなって、マスクしない人や職務拒否が増えるのだけかな〜? だから嘘ついて?:政府も大変だなあと私は正直同情しています。

でもこれだけ感染(第二波)が大きくなるとなんか大間違えしているのではと疑りたくなりますよね:これに関する私の勝手な詮索はまた今度 

 

追記:上記のマスクなどをアマゾンで買ったら49ユーロ払い込まされていた。知らないうちにAmazon Primeってのになっていて、、、なんかの拍子に間違ってクリックしてしまったのか? ともかくプライム解約したら「貴方は特典を使ってないから49ユーロ払い戻します」というメールがきた。何なんでしょうね、こう言うやり方って?(油断がならない) 


マスクに関する掲載例(の一部)

3・23 コロナと私 II

4・1 マスクとコロナのオーバードーズ

4・4 マスクの復讐(復習) 

4・9 マスクの復讐 II

5・31 パリ市のマスク

2020年11月4日水曜日

秋深し 画家なき 牛の目に泪 (フランスの甘いロックダウン)

 私の予想より厳しくフランスはまたロックダウンされてしまい(つまり外出は証明書要、散歩は1キロ圏内)、私はほぼノックダウンされてしまった。一般的には今回のロックダウンは、小中高と学校は開いているし、お店はスーパー、食料品店、薬局以外にもタバコ屋(電子タバコ専門店も)、情報機器の店もオーケー。通りを歩いたらキッチン用品屋も、メガネ屋も、チョコレート専門店もコインランドリーも開いていた。鍵を降ろ(ロックダウン)したのは本屋、服屋、美容院、日焼けサロンと少数派といえる。もちろんカフェ・レストランは閉まっているから通りにいつもの賑わいはないものの、学校の子供の送り迎えの親たち(これはフランスでは親の義務:行くのは親自身でなくてもいいが)、はしゃぐ高校生達をはじめ、午後の通行人の数はいつもより少し少ないかなと言う程度で、「ええっ、なんで私は閉じこもっているの?」と思ってしまうぐらいなのだ。とはいえマスクを顎に下ろしてタバコを吸う、あるいは携帯で話しながら歩く通行人やジョガーがいる歩道に私はわざわざ出かけはしないが。

つまりかなり甘いロックダウンで〜、スーパーみたいに込み合わないのに商売禁止となった街の小売店が文句を言いたくなるのは当たり前。でもこれを許してしまうと何が残る? つまりはカフェ・レストランと興行関係のみになって(ラジオ聞いてるとサッカーもテニスもやってる。もちろん観客制限(関係者のみ?)してだろうけどこれもなんか不思議)、本当に感染防止効果がありそうなのはカフェ・バーだけじゃない?(これもどれほどかは定かではない)「密室環境」がよくクラスターの槍玉になるが、それは因果関係が容易に「追跡」できるからという理由もある。こういう根拠が明白でない状況で「コレはいいがコレはダメ」というと文句が噴出する。例えばこの通りはダメだけどこちらはいいとなると「平等でない」と反逆精神旺盛となるが、全部ダメとなると「仕方がない」と意外によく従順される。このフランス人の「平等意識」(?)は私にとって3月以来の大発見だった

かくなる「貧乏くじ」的因果(?)で、昨日搬入で明日木曜がオープニングの予定だった私のグループ展も中止になったが、3月(その時のグループ展は一応始まったが翌々日からカフェは閉まり5日後から完全ロックダウンになった)に比べると、展覧会というのはオープンまでにエネルギーをさくので、オープン寸前キャンセルの今回はずっとがっくりくる。人によるかもしれないが、オープンしちゃえばそれで一段落で次の目標に向かえると思うのだが、少し後に延期ではズルズル企画を引きずるばかりで、、、(実は今度の展覧会はもともと5月の予定が11月になった。その時はさすがに半年もずれたので新しい企画として取り組めたのだったが)。 かつ日もどんどん短くなるばかりで、そうでなくても地下生活画家にはつらいのに。

ところでこの展覧会中止をfbにも載せたご覧の涙する(?)牛の写真をつけて送ったらいつもにない数多くの返事が来て、、、ロックダウンで暇なのかな〜? 私は暇なのでお一人お一人丁寧に返事させていただいております(笑) 

 




Cela va sans dire que l'exposition est annulée 新たに禁足令がでたので展覧会はキャンセルになりました

Publiée par Eizo Sakata sur Vendredi 30 octobre 2020

2020年10月26日月曜日

日本時間のパリと牛時間の私

私のアトリエの大きなスペースは地下で、文字通りの地下生活者(?)なので暗い冬は日光を求めて日当たりの良いカフェに行く。今日は晴天だったので4時ごろ出かけたのだがコーヒーを飲み終えもしないうちに太陽がビルの影に隠れ日陰になってしまった。そうそう、昨日から冬時間になったので午後の4時は先週までの5時。もう日も暮れる。あーあ。とは言え朝起きた時暗いと起き上がる気がしないので、私は冬時間派。

夏時間・冬時間が変わる日には「牧畜農家では牛はすぐには順応しないからミルクの生産が、、、」なんて平和なニュースを飽きもせず流すものなのだが、今回は「万聖節の秋休み」に入る直前に地理・歴史の先生がマホメットの風刺画を授業で取り上げたからが故に学校前でまさに家畜を殺すが如く喉をかき切られて斬首され、一方同時にコロナの患者数が急増して夜9時以降は外出禁止(全国ではないが国民の2/3が対象となっている)となり、当然牛の体内時計どころではないのだ。

真面目な人はこんな時代にこんなことしてていいのかと言うだろうなー
外出禁止の方は、人が集まらないようにするつもりが前倒しでカフェ・バーが混み合い、8時半すぎにメトロが終電のように混み合うようになったのでもっと厳しく、例えば夜7時からにするとかいう「噂」に関するあれやこれやがもっぱら。明らかにこれは政府筋がマスコミに流して「地ならし」をしている(だからおそらくそうなるだろう。いやもっと厳しいかも:土日禁足とかも流れている)。7時までとなるとフランス勤労者も日本のサラリーマンの如く5時過ぎに飲み始め6時にはほろ酔い加減(笑)? ちょうど冬時間で今の7時は今までの8時でフランス人の体内時計ではお腹が空く時間となってくるので、家に帰ってテレビニュースでも見ながらご飯食べて寝なさいとのお達しを出すタイミングではある(変化に耐えやすい)。日本の生活パターンが推奨されたかのようなだが、まあそんなに簡単に問屋が卸すとは思えない(何がどの程度感染に寄与しているか明らかでないし)。でも今回は秋になって「感染者数は増えても死者数は春ほど増えていないから」と私は軽く見ていたので反省、もう何も申しません(といっても何も言ってませんでしたが)。

もう7時、私の体内時計は「牛の如し」で夕食モードを告げている。でも1時間我慢して〜、てしない方がいいのかな? 結局人間でも牛でも体内時計って習慣、つまり文化の産物なのか?

前回書いた体内時計なき「牛乳パック牛」の頭は近所のパン屋の協力もあり、できあがりました。展示会飾り付け担当者のプランニングでは私のドローイングの前に赤いピアノが置かれる。「弾けるからいいや」と黙認していたのがそのピアノは人間の動作を感知して音を出す仕組みだそうで、、、これで歌うのは大変そうなので人の預かり品のギターを持ち出した。だが「戒厳令」* が7時になってしまうと展覧会のオープニングは? 私のショーは????

注 * Couvre-feu 文字通りには火・灯を消すで、私はきな臭い状況で布かれるものことと思っていたのだが、こんな状況で使われようとは、、、。もちろんドンパチする状況でなくて幸いなのだけど、マクロンはコロナ対策も「戦争」にしていたが、これも同じく過剰表現。3月の外出禁止令はconfinementという言葉だったが、部分的confinementとか時間制confinementとか言葉は色々あっただろうに。これに比べまさに言葉を絶する教師惨殺の方は何も書きませんが、表現の自由と宗教などエイゾウの手に負える相手ではないとご了承ください(私がどちらにつくかは明らかですが)

動く絵はこちら

2020年10月13日火曜日

3度目のVACA - 反芻するエイゾウ

最近全然ブログが改まりませんが、ただただ書くほどのことがないような、、、一応元気にやっておりますのでご心配なく。

なので今日は「気を決して」ブログをというのでもなく、、、

11月のグループ展のための「牛の頭」を組み立て始めたが、予想通り材料不足で挫折。向かいのカフェやパン屋さんにも聞きに行ったがちょうどタイミングが悪くてもらえなかった。材料とはゴミになった牛乳パックのことで、コロナの季節で「ゴミ箱あさり」はしないほうがいいので、我がビルに「お願い」を貼って集めているのだが、昔に比べ子供が減ったのと(みんなあっという間に大きくなり巣立っていった)、容器として紙パックよりプラスチックボトルが主流になってきたため(これは私の観察)、加えて乳製品を避ける人が多くなってきた(豆乳とかオーツ麦ミルクとかも出回っている)からかなかなか成果があがらない。 かつ近年「蝶々」作りのためにジュースの容器も集めたので何を集めているかが十分に理解されておらず、、、(苦笑) また協力してくれる家族が限られてしまうと同じミルクパックばかり集まるということになって、某メーカーの宣伝をする気では毛頭ないし、色のバラエティもなくなって全然良くないのだ。「あ〜あ」というわけで創作意欲喪失ゆえのブログです。

牛乳パック牛を作るのは3度目で、第一回は2009年夏、カンタル地方の県庁所在地のサン・フルールという街のフェスティバルで2週間町の広場で野外制作した旧hp。この時は市のゴミ処理場に連れて行かれた(だからすぐに集まったが、パックを洗わねばならないのが大変だった)。2度目は2011年、スペイン、ピレネーの人形劇団でのアーティスト・レジデンス・プログラムで。乳製品パックは劇団員の人に頼んで置いておいてもらい、事務所のある街のカフェでももらった。この時も牛の頭だった1回目の牛の彫刻(?)ではなく、人形劇団という場所に相応しく動かして子供が楽しめるようにした(次のビデオ参照)。 


 

さて今回は、、、「牛の頭」をかぶってセンターにあるピアノの弾き語りで「哀歌」を歌う予定で、マイクのこともあるし、鍵盤も見えないしで、日も迫ってきたので完成させてかぶって練習せねばならないのです(というほどのたいした歌ではないのですが☺︎ )でも目標は高く、昔「狐の頭をかぶって歌ったジェネシス時代のピーター・ガブリエルの如く」を目指しておりますので乞うご期待。でもこの企画もコロナで吹っ飛ぶかもしれないけど


回顧録 :

旧ブログで、1度目の「牛」のことは4回にわたり書いています。なつかしいなー

 
2度目の方は2ヶ月のレジデンスだったので アビザンダ Abizanda から短いながら6月にかけて13回も書いてあります(ただし「牛」の話は1度だけです)
最初の上のリンクの記事の下の矢印をクリックして次々と、、、(と読む人あるかな〜???)
 

結論:だらだら書き出した今日のブログでしたが過去を顧み楽しくかけました。再起を期しますのでよろしく 

 

2020年9月22日火曜日

難破船、その名はジンセンマル

前回予告のユー島で難破した日本船、その名はジンセンマル:多分「神泉丸」ではないかと思うけど、インターネットで全くひっかかってこないので確証なし) 

 以下、右写真のようにトランシュ岬(上のパノラマ写真の奥の冠型の岩の辺り)の近くの石に貼り付けてあった解説パネルにあったお話です:

1895年にイギリスで建造された蒸気船ムガール号(SS Mogul)は110mの長さの貨物船で、1904年に日本郵船会社に商船として買われ、ジンセン丸と新たに命名され、基地を大阪に置いた。

第一次世界大戦中、日本は米国の連盟国で、ジンセン丸は戦時協力。1918年11月9日米国から5000トンの軍事品を積んでウェールズに向かって出航。弾薬、救急車、部隊輸送用トラックを運んだ。軍事船への変換は簡単なもので、後部に105ミリのキャノン砲を備え、船員は5人のアメリカ兵で補強された。こうして1918年12月2日、15船団でウェールズからボルドーに向かい出発した。

12月3日ユー島沖で船は激しい嵐に襲われる。悪いことには機械室で故障も勃発。漂流しトランシュ岬の西のトンヌ列岩(?)で座礁。悪天候のため船での救援は不可能だったが、島民のフレデリック・ベルナールは150メートルのロープを岸からジンセン丸へ渡すことに成功、3時間に満たない間にこの巧みな方法により57名の船員が救助された。フレデリック・ベルナールと日本人船長は最後に船を後にするが、その後すぐに船は波に飲まれ沈没。 フレデリック・ベルナールはこの勇敢な行動により米国から勲章が授与される。戦後にこのような栄誉の例は68人を数えるしかなく、稀な栄誉であった。

ジンセン丸の歴史はこれで終わらない。米軍は船荷を回収しようと船を派遣。物資は港の学校の横に貯蔵されたが、それは弾薬、特に砲弾で、すべてが爆発。この事故で子供一人が失明し、記憶に残ることになる。かつ回収任務を継続した米船もジンセン丸の難破海上で爆発の犠牲になり、この新たな不幸の結果、回収計画は断念される。

船の残骸は岸から数百メートルの、海底10メートル未満のところにあり、その浅さと波のうねりがその状態に強く影響を与え、今日では完全に破壊され残存品が散らばっている。完全に口が開いたボイラー、スクリューシャフト、舵棒、スクリュー といった特徴的パーツにもかかわらず、船の規模を想像することは不可能。それとは反対に鉄板と海藻の堆積の中に砲弾や車輪が見られるのは稀ではない。

 

ベルナールさんがどうやってロープを渡したか、私にはもう一つ「?」、これがわかると「予告」どおり血湧き肉躍るお話になるのですが、、、。

これがパネルですのでご検討ください私の、もちろんアプリに助けられての仏語書下ろしはこちら

注:ユー島のサイトにpdfファイルもあるのだけど何故か微妙に違う。。。 


写真(左上)嵐、荒波で口が開けたボイラー
写真(右上):蒸気船ムガール号の名で1895年5月に進水
写真(右中):鉄板の下の砲弾
写真(右下)スクリューの上のダイバー


トルコのエルトゥールル号の遭難の事件(ウィキ)はトルコ人なら誰でも知っていてトルコに親日家が多い一つの理由になっているけど、ジンセン丸のことは日本では誰も知らないから、日本で「ユー島から来ました」と言ってもシラ〜でしょう。救助された生存者数ではあまりかわらないのだけどね〜。算数するといころ52名の日本人船員が救出されたのだから日本政府からもベルナールさんに勲章が与えられるべきたっだというのがユー島を愛する日本人(少なくとも3名)の一致した意見です

2020年9月16日水曜日

4度目のユー島

またユー島(Ile d'Yeu)へ行った。2016、17、19年に続きこれで4度目になる。

4度目ともなると大体の地形はわかっているし、主な名所は既に訪問済み。サイクリング、散歩、スケッチ、もちろん海水浴と以前の繰り返しをしているような気になったが、FBで「去年の投稿はこれこれ」とあからさまに示されるとその感は尚更なものとなる。まあフランス風バカンス(親切なKさんの「島の別荘」*に停留させていただいているので)なんてのはこういう代わり映えしないものなのかもしれない。とはいえこれはネガティブな意味では全くなく、ユー島は本当に風光明媚(というか私好みの荒涼感のある風景)で、4度目でもしっかり楽しめる。

今回は「1週間ばかり、最初の数日はぐずつくがその後数日は快晴」という予定(予報)ででかけたのだが、行った日から天気が良く、その後ずーっと好天続き。それで1日あと1日と滞在が延び、週末にナントの音楽フェスの出張版という催しもあり、これが終わり流石に2週間となって戻ろうとしたらパリは34ー35度の異常な暑さ、また本土ではコロナウィルスも元気旺盛で「もう帰れんわー」と思ったが、11月の2つのグループ展の会合があるし、作品もできていないしで、ずーっと海辺で寝ているわけにもいかない。いつ帰るかの予定もなくずるずるとホームステイをしていてはさすがのKさんにも愛想をつかされそうだしで、酷暑を避けるべく昨夜遅くコソコソと「花の都」に戻ってきた。

2017年の「遥かなるユー島」に書いたように、ユー島は一般人は大陸からフェリーでしか行けず、潮の緩慢のせいで運行時間が変わるので旅行日程を決めるのがのがなかなか悩ましい。かくしてコロナの蔓延する本土から隔離されている感があるためだろう**、それを追い風に人気赤丸上昇中、昨年の夏の人口2万5千人が3万5千人に跳ね上がったとか。島も「観光」に力を入れており、バスもきれいになったし町のロゴマークも格好よくなった。島の一番の名所は何と言っても岩壁の岸に建つ「古城」だが(16年の「ユー島紀行」参考)、そんな場所に城があったのは大西洋側は岩礁の海岸が続き、背水の陣で篭城ができるという地の利もあった(地元の漁師だけは船を操り食料・軍備補給が可能)。そんなわけで島に近づきすぎて座礁した船は数知れず、海岸ハイキングロードに座礁船の記念碑や説明パネルを建てるというちょっと変わった観光開発(笑)を促進。Kさん宅から遠くない私がよく行く岬の近くに今年は新しくお目見えしたパネルがあったのだが、これがびっくり日本船!

でも今日はここまで、次回はその日本人も知らぬ(ググってもでてこない)のその血湧き肉躍る座礁船のお話(笑)を紹介しようと思いますのでお楽しみに ♫


注: * ただしKさんは「コロナ蟄居」を島で過ごしたので、3月以来「別宅」が「本宅」になった感もある。羨ましいようにも思われるだろうが「島」のコロナ対策は厳しく、船もなくなり「鎖国」。かつ「禁足令」中は海岸地帯の散歩も御法度で警官(6人しかいないそうだが)が見張っていたとかで、、、Kさんはひたすら庭仕事に励んだそうです。
** 「鎖国」が開けたバカンスシーズンのユー島では8月6、7日に検査キャンペーンがなされ、995人がテストを受け5人が陽性だった。全員20〜25歳の若者でその3人は同じ家族だったとか。5人とも無症状だったがもちろん全員隔離されたsource
 

右写真はユー島の有名な「コロナ風物詩」となった、客との距離を魚獲りの網を使ってとる朝市の八百屋さん。

4度目ともなると絵葉書写真もあまりとらなくなってしまった。以前の投稿をご参考に

 
 
ユー島に関する以前の投稿

2016年9月2日金曜 ユー島紀行
2017年8月29日火曜 ユー島の海岸
2017年9月2日土曜 ユー島の海岸(続) 
2019年9月13日金曜 天国と地獄





vue vers la pointe des corbeaux (ile d'yeu)

Publiée par Eizo Sakata sur Mardi 8 septembre 2020

2020年8月28日金曜日

今週のジンガロ

乗馬劇団ジンガロの出し物の映画版がこの夏ネットで見られることを前回紹介しました(日本でも見られるそうです)が、今週(=フランス時間今日金曜から1週間)は私が2015年12月にブログした"On achève bien les anges" (「天使のとどめを刺す」)です。下のリンクからご覧になってください。

https://www.troiscouleurs.fr/bartabas-vous-invite-au-theatre-equestre-zingaro/


2020年8月5日水曜日

織姫ミラベルとジンガロ

果物のプリンセス、ミラベル(女王と呼びたいが人気があるReine Claudeがあるので少し遠慮)、今年は「禁足令」中から天気が良く、今のところ猛暑というほどのことはないが天気も良好だからか、すでにハイシーズンの熟成に至ったものが店に並んでいる!

「ミラベルって?」と言う人はよっぽどの我がブログの新参者の方であろう(逆に「またミラベル〜」と嘆息なされる方はこのブログの熱心な読者の方、ありがとうございます)。

このブログは右横にブログ内検索の機能があって、ミラベルで探すと15記事が出てくる(旧ブログも入れると20は超える)、なかなか充実した内容ですので、ミラベルを知らない方、あるいはなんだか忘れてしまった方は調べてみてください(笑)
上記Reine Claudeのことも出てきますよ。

老婆心ながら一応「定義」だけを過去の記事から引用しますと:

「ロレーヌ地方名産の、黄橙のプラム系のフルーツ。8月中旬から2週間ぐらいが旬で姿を見せたかと思うとすぐに消えてしまう」

賢い読者はすでに今年が格別な年であることがもうお分かりになったであろう。だがこれも地球温暖化の当然の成り行きかも :(

昼に買ってもうなくなっている。これがサクランボだとお腹がおかしくなっているところだが、ミラベルとは相性がいい。「人間だったらよかったのに」(笑)

今日はミラベルのことはこれまで。
というのは私がミラベルを愛しむよりも、もっともっと馬を愛する、数年前にレポートしたバルタバス氏の乗馬劇団ジンガロの素晴らしい出し物の「エクリプス」が明日までインターネットで見られ、もう最終日としても是非紹介したかったので。金曜以降も毎週違うものが見られるが、馬の(と?)できることって限られていて繰り返しになるし、バルタバス氏の演出は紋切り型のところも多いので、本物だと馬の息吹、匂い、砂煙で圧倒されてもビデオだと「殺菌」された感じで眠くなることもある。でもこれは「無菌状態」がそれなりに合っていて素晴らしいでき。

 



2020年8月4日火曜日

彗星と疑惑


蟄居以来結構「仕事一筋」なのでまた短いブレーク、これも何回か誘われていたパリから1時間少しの田舎にあるお宅に伺った。いそいそと先週行った一つの理由は7月末まではNeowise彗星が観察可能ということがあった(天気も良好)。実は太陽に近く一番輝いていた月の初頭も田舎にいたのだが(城の生活参考)、朝焼け前という条件でパスしてしまったのだ。今や一晩中見られるということで北西の方角で灯りがない条件で観測地にしたのが墓地に接する駐車場。「星の友(?)」* 向け記事で見た北斗七星の下あたりを双眼鏡で丹念に見回したがそれらしいものは見当たらず、とぼとぼ宿泊先のお宅に戻って2ー30分した夜中ごろ、扉がドンドンと強く叩かれた。田舎では想定外のこと:私のホストの引退夫婦は多少パニック。
それが扉を叩いたのはなんと3人の憲兵で「パーキングにいた不審人物」がこの家に入ったので調査(?)に来た、「その人物を出せ!」。私はサロンにいて夫婦が玄関から戻ってこないのでどうしたのかとおもったら左派夫婦の奥さんは「とんでもない私生活の侵害」と結構カッカして抵抗していたようで、私が出て行ってすんなり身分証明を見せてお引き取り願えたが、夜の街頭で呼び止められるならともかく誰かが家まで追跡して通報したとは!?!

私としては見知らぬ人物が夜中のパーキングを歩いているのを怪しいと思う田舎の人の気持ちもわかるし、通報されたら放って置けない憲兵の事情もまあわかるし、「犯罪」も存在しないのにただの通報に夜中に家に憲兵が来るのは「権力の横行」という意見も正しいと思う。このあほらしい「事件」の影に、「異邦人は敵」vs「警察は暴徒」という特に最近のフランス社会で強まりつつある「相互不信」「敵対思考」の風潮を見るのは「中庸」たる私の被害妄想だろうか?

ところで数日前、スーパーの自動レジで長蛇の列。やっと私の番が回ってきたと思ったらある商品のバーコードをスキャナしたらビーっとブザーが鳴って、仏海外県系(レユニオンとか?)の守衛さんが「あんたはカゴに品物を入れなおして横で待っていなさい」と言う。フランスでは自分がトラブルメーカーとなっても後の人に順を譲るなんてことはありえない。なんで私だけが〜と怒ったら急に目が覚めた。
つまりこのエピソードは夢だったのだがその日の午後、実際のスーパーに買い物に行くと自動レジは順調に進んだが、勘定の段階になって財布がないことを判明、「あれれ夢の再現?」と思いつつ出口を見張る巨体のアフリカ系ガードマンにおそるおそる「財布を忘れた」を言ったら「誰にでもあることだ」と寛容。家から財布を取って戻ってくるとキャディに買ったものが全部入れてあり、プリントされた総額のバーコードを使って決済すればよいだけになっていた。

「おー、つまり現実の方が夢より優しい!」 そんなことあっていいのかな? いいのです。結局勝手な被害妄想(無意識も含め)、疑心暗鬼が生きにくくしていると、今日は健康ライフコーチ的に締めくくりましょう(でもホントですよ)

注:大人の「星の友」は少ない。彗星観察は単独行動。夫婦の旦那さんも「そんなものみてどうなるの?」と質問したぐらいだから、警官に言って夜の徘徊が正当化できたかは甚だ疑問(笑)。私がお宅に戻ったときは夫婦は昔のNYセントラルパークでのサイモンとガーファンクルのコンサートの録画を見ていて、奥さんが待ちに待った「サウンドオブサイレンス」が始まり静かなイントロから有名な最初のフレーズが歌われたその瞬間に憲兵が扉を荒々しく叩いたというタイミングの素晴らしさが彼女のお怒りを一層高めたのは明らか。翌日は事件を街で出会う人に流布し、その怒りは彗星のように尾を引いている感じ。

「事件」はfbで報告済み



私はにわか「星の友」だからよく知らないが、結局彗星とは一度も遭遇せずに人生終わりそう、、、「ちょっと悲しくないですか?」と思うのが「友」?

2020年7月15日水曜日

足学の美女とコロナ

数年前から足の親指の爪が黄色からドス黒くなって、市販の薬を塗って見たが全く効き目なし。その後インターネットの知識からエッセンスオイルを配合しオリジナルの「薬」を作って塗っていたがこれも目に見える効果なし。その爪が最近つま先を家具にぶつけた際にひび割れてしまった。旅行中は絆創膏で固定していたもののこのままではいけないと知っている皮膚科医に電話したが、コロナとバカンスで9月まで診断を受けられない。「どこでもいいから早いところ」とインターネットで探したところpodologueなる医者の元ならすぐに治療が受けられるということがわかった。podologueって単語に遭遇したことはあっても気にかけてもいなかったので意味は???(37年住んでいても興味ないとこれだからなー)語源的にpodoは古典ギリシャ語で足、つまり「足学者」!? なんだこれ。受け持ち範囲は魚の目、扁平足などなどと書いてあるが、ちゃんと爪のカビが明記してある近所の医者を選んで即予約。すぐに、かつ飛び石連休の間の月曜に開院していて、医者ネットサイト*には顔写真なしなんてなんか怪しい気もしたが、ともかくで行ってみたところドアが開いてびっくり、若いきれいそうな女性が現れた。「そうな」というのはコロナのためマスクしっぱなしだから目、額、髪からの勝手な想像。まあ美しいと想像した方がやる気がする(変な意味でないですよ(笑):人生に張りが出ると言うか) まあでもこれだけでも昨今では「女性差別主義者」の烙印を押されそうだが、男なんてそんなものです。女性でも「あのアーティスト、イケメンで」なんて言ってるのをよく聞くけどな〜。やっぱりやる気するんじゃないの?

さて枕が長くなりましたがここからが本題でして、その想像上の若き「美貌の女医さん」が私の哀れな姿のヒビの入った爪の半分ぐらいをカットしてその部分に詰まっていたカビを取り除いてくれて曰く「一般的な塗り薬を処方しますが、ラボに行って菌を特定し皮膚科の先生に処方してもらいなさい」。つまり彼女には私をラボに遣る権限がない(正確には医者ではなくて治療士か)。しかしこんな簡単明白な治療に、すぐにアポイントが取れない皮膚科医に行き検査依頼書を書いてもらわねばならず、ラボの結果が出たらまた皮膚科に行って処方をもらい、薬局に行って薬を買うことになる。どうしてこんなに手間がかかるのか? これでは専門医の待ちが渋滞するのは当たり前だし、かつ専門医って診察代が急に高くなるから健保にも負担がかかる。加えてこの間患者が右に左と色々なところを巡回する(フランスでは注射を打つのでも看護士さんのもとに出向かねばならないし、私の皮膚科のおばさん先生は私の爪の掃除をするなんて感じが到底しないので、ひょっとするとpodologueのところに行きなさいと診断書を書くだけなのかもしれない)。実は私は日本に比べてフランスのコロナの感染が大きかったのはこの「患者が動き回らねばならないシステム」も原因の一つであるのではと疑っているのだ。
実際に病気するとこの所為で余計に疲弊するのでそうでなくてもなんとかして欲しいのだが、こちらの人はこのシステムしか知らないから問題にする人はいないみたい。

と言うわけでもう美人そうな治療士さんにはもう会いに行く必要はないそうで、、、、目だけでは通りで出会ってもわからないし、、、残念ですね〜(コロナうらめし、せをはやみ〜♪)

さて写真ですが、無残な足の指をだすわけにもいかないので、、、私がイースター島に行かずして浜辺を歩く空想をした作品を(「太平洋の辺土」2017年 100x70cm、もちろん海水はイースター島のもの)

https://eizodessine.blogspot.com/2017/04/limbes-du-pacifique-pas-dans-les-limbes.html?q=p%C3%A2ques

注 * 電話をしなくても予約できるし、当日に再確認のメッセージなどを携帯に入れてくれるので便利。かつ日本と違ってこちらでは医者に「マッサージに行きなさい」と言われてもほとんどの場合マッサージ士は自分で探さなければならないのでよく使用します。


2020年7月11日土曜日

城の生活

水曜の夜田舎から戻ったが、そのパリでは朝市の肉屋さんもパン屋もコロナ飛沫対策のプラスチックシートのバリアがなくなっていた。そんな御触れがでたのかな〜てことはないはず。ただし私は旅行中はニュースを見ないので浦島太郎:首相も変わったし(笑)。

田舎はウィルスなんかいそうもないのに逆にちゃんと樹脂ボードを設置して防御が硬かったのだが、外国人なんかいないのに田舎の方がしばしば移民反発意識が高かったりするが、ウィルスも同じようなものかも。

夏のプロヴァンスにデッサンを展示のため持って行ってもらえることになって運搬用のケースを作らねばならないので早速DIYのお店に買い物に行ったのだが、田舎ボケしてのんびり歩いていたら、知らぬ間に目の前に水をブワーッと噴射して道路を掃除する清掃車が来てもろに「もろもろ」をかぶった。実はパリの道路には「使い捨てのマスク」が結構捨てられていて問題になっているのだ。私の歩いていたところでもすぐに2つ発見。マスク以外にも「もろもろ」な埃にウィルスが付着しているとしたら・・・と思って家に帰って即シャワーを浴びたが、来週発病したらきっとこの所為です😰
こういう掃除って、全く常識的に問題外だよなー。使用済みマスクを道に捨てることも問題外。そもそも「マスクをしましょう」「手を洗いましょう」と小学生に言うようなことを政府広報で国民に唱えなければならないのがおフランスの衛生状態。日頃「日本の方がいい」なんて絶対言わない私だが、この点だけは即座に日本に軍配が上がる(笑)

さて行ってきた田舎(フランスの中央部、オーヴェルニュ地方)はと言うと、誘ってくれたIさんの両親が居住する「カントリーハウス」と思ってでかけたのだが着いてびっくり〜、外から見て「何これ?」、いわゆる「別荘」でなくて「お城」だった。 15世紀に遡る建造物で、見張り塔もあって、矢や銃で敵を撃つ狭間まである。映画のセットに使えそうだ。

だが外観で圧倒されたほど中に入ると大きくなく寝室は3部屋しかない。分厚い石の壁の所為だろう。でも旧納屋(?)などの別棟があり、プールもテニスコートもあって、、、。「水着持ってこい」と言われた時は、当然川で泳ぐものと思い込んでいたのだが。

大きな菩提樹に隠れてよくわからないでしょうが、こんなところ
かくして私は生まれて初めての「城の生活」をした。といっても召使や給仕が傅かれたわけでなく、ただ壁にタベストリーとか猟銃とかのいつもとセットが異なる「普通のバカンス生活」ではあったが、スペースの贅沢さを満喫。

しかしここに住むIさんの両親の老いたカップルには住みやすいとは到底言えなくなってきて、大問題が生じつつある微妙な状況。どこでも似たような問題は起きるのだが、城だけに規模が違う? 「ただの平民でよかった」とため息。


「城」を追い出された後はオーヴェルニュから北上し、これも何度も誘われて行ったことがないので縁が切られそうなロワール地方の知り合いの家に。こちらはお城ではなかったが、昔住んでいた人が農家をうまく改造してなかなかの住み心地。一方この辺は「なんでこんなにあるのかねー」と思うほど規模の大きいシャトーが一杯(ちなみにミック・ジャガーもこの辺のお城住まいとか)。その中の昔(7年前)記事にしたことのあるショーモン(Chaumont)城の「ガーデンフェスティバル」を訪問。「庭のプロジェクト」のほうはかなり程度が低かった一方、「美術」の方はかなり見応えがあった。実は同じようなことを7年前にも書いている。説明係員の親切さもかわっていなかった! 今度行く時は庭は後にして美術展から始めねば:何しろ広いので。

仕事柄(?)かお城で3人もの知り合いアーティストに偶然遭遇。やっぱりだれも「禁足」後で出歩きたくなっているのか(笑)

 
参考:
ショーモン城のサイト

2020年6月24日水曜日

永続する「蟄居」

どうしたことだろう、「禁足」と「展覧会のお守り」で欲求不満がたまり、すぐにどこかへすぐに行くつもりでいたのに、永遠とアトリエで「蟄居」を続けている。
禁足令が出た当時も「生活あまり変わらないなー」と思ったが、やはり「蟄居」は私の日常生活だった!

でも実際骨休みに出られない条件が見事に揃ってしまった。

何しろ

1)今週は暑くて、高温低湿度という海水ドローイング制作に最高の条件
2)外が30度以上の時(明日は35度?!)は私の地下アトリエは自然クーラーで快適 
3)夏至前後だから穴蔵アトリエでも「もう暗いから仕事はやめ」と思うのは夜8時ごろ
4)注文しても返事がないのでまた品切れかと諦めかけていた10m巻の紙が画材店から突然届いた*
5)来週は田舎の「山の家」に誘われている

最後の条件は長年の経験からドタキャンすると将来誘ってもらえなくなることがわかっているのでそれまでになんとかせねば:解禁以降のドローイング、複雑になる傾向があって、スキッと一作決めたい!

つまりバカンスどころかワーカホリック状態でございます。

とはいえ何事にも没頭しきることがない私の仕事中毒はいい加減のもので、朝は昨晩グルジアトマト**の苗をくれたS君が私が放ったらかしにしているのを見て悲しんでいたので少し手入れをし、昼には「気合入れ」に半年ぶりに床屋に行っておさげにしてもらった(笑):明日からまたがんばります。

*注1:カンソン社(Canson フランス大手紙メーカー)の配達があったと言われ「注文したのはカンソンでなくてアルシュだから間違えてない?」と返答したら、実は3月に買収されたとか。アルシュ Arches は1492年創設のヴォージュ地方の歴史あるアートペーパーメーカーで世界的に知られているが、今調べたらすでにフィンランドの会社に買われており、また私としては画用紙メーカー的印象の強いカンソン社自体イタリアの会社に3年前買収されていて、両者ともイタリアの会社の傘下に入ったわけ。嫌な感じ。これがもとで品質が変わらなければいいのだけど

ソース:https://www.usinenouvelle.com/article/les-papiers-d-art-arches-passent-sous-pavillon-italien.N937898

 * * 注2:グルジアトマト栽培は6年ぶり!:6年前の記事