2015年12月30日水曜日

ベルナール・タピ事件の新たな展開

昨日投稿の銀行口座の維持管理費、有料化の背景に関しpommeさんから貴重なコメントを頂いておりますので読んで下さいね(コメントがクリックしないと出てこないのですが、この設定の変え方が見つかりませんのでご了承ください)

銀行と言えば13年に投稿の怪人ベルナール・タピの訴訟事件、今月になって新たな展開があった。

前の投稿を読み直してもらいたいが、超簡単に復習すると、1993年に彼がアディダス社を売却した際に当時の国立クレジ・リヨネ銀行が不当に利ざやを稼いだとして彼は同銀行を訴えたが、その後クレジ・リヨネ銀行は倒産、そのため彼の訴訟相手は不良債権などを処理するCDRという国家機関となった。2008年に15年間紛糾する訴訟を解決するためサルコジ政府は調停審査という異例の処置をとり、結果彼に賠償額4億ユーロを払った。このタピへの「優遇」を疑問視して検察は11年より調査を開始、13年の投稿の2013年には元財務省大臣クリスティーヌ・ラ ガルド女史を含め大規模な事情徴収となった。

そして今月3日、クレジ・リヨネには不正はなかったとしタピに4億ユーロを返済せよとの控訴院の裁決が下った。タピはまたまた破産だがまだまだ闘志満々(?)、最高裁に行くしかないとするばかりか、20日には政界に復帰するとも、、、(それを期待する人がいるとは私には思えないが)
それに加え17日には、当時の財務大臣、現IMF総裁のクリスティーヌ・ラ ガルド女史(写真右)は「注意不行き届き」の容疑で訴えられることとなった。

以上粗筋は書きましたが、何しろ20年越しの事件だから本当はもっともっと複雑。法律+財務という不得意分野ということもあるが、ルモンド紙サイトのビデオ「5分でわかるタピ事件」を見てもあまりよく分かった気がしない。pommeさんのような事情通からの補足コメントを期待したいところです。

ともかく以上、熱心な読者(仮想?)のためのご報告として
 

2015年12月29日火曜日

銀行の横暴

Je parle de l'histoire des frais de tenu des comptes que BNP nous imposera à partir de janvier prochain. Il reste encore deux jours à écrire votre désaccord à la banque ... (réf)

月初めに帰って来たとき、銀行口座サイトを開いたところ、11/18日付で「来年から口座維持費を月額2.50ユーロ(現在レートで約330円)取りますというメールが届いていた」。勿論今まで個人口座の維持費はゼロだった。日本の定期貯金の利率が限りなく零に近いなんてどころではなく、私のような利用者は負の利率の口座を持ったようなもの。
そのときは「やっぱり私の銀行はアメリカに借金があるから、そのせいだろうな〜」と勝手に推測した。
どういう話かと言うと、昨年、BNP-Paribas銀行はアメリカのイランやキューバ等に対する経済封鎖に反し、それらの国とドル建ての取引を行ったと言う理由で65億ユーロ(8600億円)の罰金が課せられ、罰金額が行き過ぎではないかという仏政府の声もあったものの譲歩はなく、米国で商売が出来なくなると困る同銀行はそれを受け入れたのだった。
(この米国がフランスの民間銀行を罰しうる不思議な訴訟は私には難しすぎるので、良く知りたい方はルモンド紙の記事などをご参考に)

さて、そのBNP-Paribasは私を含め700万人もの一般利用客があり、これで年間2.1億ユーロがやすやすと銀行の懐に入る計算になるが、前記の罰金との差はあまりにも大きいのでやはり私の予想は的外れのようだ。それどころか実際BNPだけでなく、すでに維持費を取っている銀行もあれば、多くの一般銀行がその方向にあるという。
カードの普及で減ったとはいえフランスではまだまだ個人用の小切手も流通しているし、一般銀行に口座がないと困る。だから小額とはいえ横領されたような気がする。こんな不正義がまかる通るはずがないと思うが、社会党政府は威勢良くテロ戦争の旗を振るばかりで、こんな小市民の疑問には関心がない様子。というか一般市民もテロとクリスマスに押し流されて関心がないのか、ソースとして参考にさせてもらったLa Dépêche紙の記事の「ノンと言おう」という「フランス銀行利用者の会」の呼びかけが盛り上がっているということはきいたことがない。私は遅ればせながら今日やっと、銀行に書き留めで「拒絶書」を送ったところ。(効果があるかは悲観的だが、何れにせよ年内の送らないと全く意味がないのです)

しかし投資の負債も国が助けてくれたし、手数料も勝手に設けられるし、こんな銀行経営でいいのなら私にもできそうですなー。

2015年12月19日土曜日

あざなへる勝利と敗北

先週日曜のフランス地方選挙、結局極右のFNは北部でも南部(プロヴァンス・コートダジュール)でも、社会党が決選投票への出馬を取りやめ、FN阻止を有権者が意識したため共和党に予想以上の大差で敗北し、大事にはいたらなかった(つまり一つの地方も制覇できなかった)。

だから前回はちょっとのんびり、書きかけだった「日本旅行記」を書いたが、フェースブックで「FNは各地で破れた!」との威勢のいい投稿が廻ってきて私はかなり驚かされた。決選投票でも28%、682万票:これは第一次投票より81万票増で新記録! つまり左右連合してやっとのことで突破口を塞いだにすぎない。前々回書いたように上記2地方の議会では右派の共和党と極右FNしかいないという異常な構成になる。結果的にはFNの敗北とは決して言えない。

社会党は大敗するという予想に反して5地方で勝利し(図のピンク)、まあこれをポジティブとみればポジティブ、圧倒的勝利ができなかったものの共和党は勝利は勝利(図のブルー)。党内右派の候補の方がいい結果をだしたので、党首サルコジは自らの路線に間違えはなかったとし、決選投票で反FN民主連合をとることを拒否した彼を批判した手強い部下(?)ナタリー・コシゥスコ=モリゼ(4年前に旧ブログで紹介)を副党首から即解任した。

かくして勝利と敗北はあざなへる縄のごとし、楽観的なオランドもごり押しのサルコジも、1年半後の次期大統領選では第一次投票でFNマリー・ルペンに継いで2位につき*、決選投票で逆転という上記2地方のなさけないシナリオを採択したかに見える。彼らの耳には私のご神託どころか、多くの投票者の「警鐘」も届きそうもない。

注:三党体制になってしまったフランスだが 、コルシカ島だけは変わっていて(?)独立派が勝利、だから地図は黄色です

* 追記:投稿してからお昼のニュースを見ていたら、三者が立候補したとしての最新の世論調査結果ではオランド、サルコジ、ルペンが 22:21:27% とのこと

2015年12月14日月曜日

無量寺への旅

串本の無量寺、ここにはなにかすごい絵があったはずだと思ったのは白浜のホテル。だが私のガイドブックにはページの片隅にお寺の写真があり「応挙芦雪館がある」と書いてあるだけで、見たい絵が何だったかも思い出せない。確か大きな龍でなかったか?という程度の裏覚えなのだがこのお寺の名前には確信があった。

串本は紀伊半島南端の潮岬のある町。無量寺は駅から徒歩で10〜15分ぐらいと近いから2時間後の次の列車までにはちょっと海岸で「海水採取」もするつもりだったのが、、、

お寺に着くと「猫目の虎」* の絵のポスターが張ってあったから「ああこれだったか」と記憶違いではなくてほっとする一方で期待に気持ちが高鳴る。11月のとある日(といっても土曜だったが)に来るのはやっぱり私ぐらいで、鍵を開けて入れてもらう。デジタル再生の襖絵と他の収集品のある展示室と本物の襖絵のある収蔵庫、そしてデジタル再生の襖が入った本堂の三部形式で、オリジナルを見るのと見ないので閲覧料がかわるのだが、ここまで来て本物見ない人っているのだろうか? 

 「すごい絵」は何かと言うと先ずは襖一杯にはみ出んと登場する「虎」、そしてその対面の、こちらは身体が襖から飛び出してしまって頭がぐっとアップになった「龍」(つまりこれも私の完全な記憶違いでもなかった☺)共にかなりグラフィックな現代的構図。皆さん、これが本堂で阿弥陀様の左右にあったなんて想像がつきますか? (下の写真は本堂のデジタル複製品。これも撮影禁止でサイトから転載)



無量寺のサイトに説明に詳細は譲るが、津波で全壊した寺を再建した際(1786)、住職が親交のあった円山応挙に襖絵を依頼、応挙は障壁画12面を描いたが、多忙な上に年齢的なこともあったため、弟子の長沢芦雪(ウィキ)に名代として京から南紀に向かわせた。応挙は優れた技術で几帳面な絵を描く(私の意見)。その師の技術を習得した芦雪だったが、この南紀串本で才能が開花、師にはなかった開放的な画風に発展する。「虎」「龍」は応挙には絶対あり得ない大胆な構図、そして師から受け継いだ腕前の鶏や鶴、それ以外にも自分の子供時代を描いたような、寺子屋で遊ぶ楽しく生き生きした「唐子遊図」と、この寺に残した43面の襖絵はどれも傑作。彼は約十ヶ月間の滞在中に270点余りもの絵を描き、まさに画業の絶頂期を迎えた。当時33歳。その後京都に戻った彼は子供2人に夭折され、自身も46歳で大阪で客死する。

ところであんな虎と龍での阿弥陀様の挟み撃ち、その当時の串本は田舎も田舎、おそらくほとんど住民は襖絵など見たこともなく、意外に誰も驚かなかったのかもしれない。それどころか京都から来た大先生と崇められ一気に彼の才能が開花したのではないか。(自分のことを引き合いにするのもなんだが、私でも田舎のアーティスト・レジデンスで村民に何でも感心されると調子に乗って色々作ってしまうので)

ともかく見学は監視の方と一対一だったから、気兼ねをしないこともなかったが、絵に圧倒され、たっぷりと見せてもらった!

串本にはトルコ人なら誰でも知っている「エルトゥルール号話」(ウィキ)の記念館もあったので、パリのトルコ人知人へのお土産話にと思わないでもなかったが、それどころではなくなり、紀伊勝浦の島の中の海岸温泉に行くべく走って駅に戻ることになった。

ところで白浜は親戚が今、パンダとペンギンの飼育で有名らしい「アドベンチャー・ワールド」で仕事をしているので見に行った。 ちょっとファミリー向け(つまり子供向け=日本の常か?)にし過ぎるところもあるが、それはそれで十分楽しめた(プログラムが頭に入っているガイド付きなので尚更)。上の写真はそのイルカショーと餌やりでした☺

無量寺のウェブサイトは何かわかりにくい。収蔵品案内ページへ入って一間一間見ること(頁下の「XXの間へ」というのを随時クリック)を推薦します。

串本は遠いけれど最近は「熊野古道」もあるので近くに行く機会は増えたかも。そのついでに?(でも興味ない人には閲覧料高いでしょう)

* 有名なお話ですが、猫目になったのはその頃の日本人は虎を見たことがなく一種の架空の動物で、芦雪は猫をモデルに写実(?)したからです

2015年12月12日土曜日

明日の選挙

前々回書いたように、日曜に現内閣で13の広域地方にまとめられたフランス地方議会選挙の第1回投票があり、極右のFNが全13の地域圏のうち6地方で第1党となった。
全国の得票率でもFNが約28%で首位。サルコジが党首の共和党中心の候補者リストが約27%で続き、オランドの社会党中心のリストは約23%。

この地方選挙では第一投票の得票率10%超の政党が明日の決選投票に進出。ここで首位に立った党が議席の25%を獲得し、残る 75%の議席は首位等も含め得票率に応じて割り振られる。つまり首位に立つと安定多数が得られる仕組み。だから一層FNが単独与党になると大変と、社会党は3位になった地方から撤退(但し中央からの指令に造反1名)、つまりその地方では6年間議席ゼロとなる決断をしたが、逆にサルコジは反FN戦線結成を拒否した(党内にも反論が多く、いまのところは失策。いつも書くようにやっぱり彼の考えていることは読めない)。

極右のFN支持でも政権を取らせるつもりはないという層が多い不思議なFN投票者、および社会党も共和党も国民(特に51%の棄権者)に「民主主義を守れ」と強く訴えており*、広い連合をすればFNより投票数は多くなるので、決選投票の世論調査ではFNが与党になる地方はないということだが、私はそれを当てにしていて良いか疑問を持っているし、そもそも多くの地方議会が与党と極右しかないということになるのが考えに余るほど異常なこと。やっとのことで洪水を土嚢を積んで押さえているような。。。

* 首相のヴァルス君は危機感あまってか士気高揚にか「内戦になる」とまで言って、、、どうも「戦争」という恐ろしい言葉が最近インフレ気味で私は気分が悪い)

「洪水の水位上昇」を所為を連続テロにするのはあまりにも安易すぎる。党首で次期大統領選候補であるマリー・ルペンは北部で主に失業問題により労働者層をうまく懐柔し、南部地中海地方の筋金入りのナショナリストの姪のマリオン・マレシャル・ルペンは主に移民と保安問題で富裕層に支持され共に40%を越す投票率。共に大衆受けしやすいプロパガンダが両側からに浸食している。

「人を変えて体制を変えよう」というマリー・ルペン(どういう体制なのかが問題なのだが)に対し、オランドもサルコジも再選戦略ばかり練って、彼女を応援しているとしか私には思えないのだが、、、国民の大多数も望んでいないのだから二人とも「出馬しない」と即宣言しなさい。それだけでも水位が下がる。これがフランスの将来を憂う私の今日の御神託です。

(最近のマリー・ルペンはニコニコ顔が多くて、、、写真掲載して右傾化した日本で人気が上がると困りますので今回も写真なしです)

2015年12月6日日曜日

ジンガロ

 火曜日に見に行った「出し物」は「Zingaro(ジンガロ乗馬劇団)」。馬、騎手、楽団という大所帯だから日本では知られていないだろうと思い、これまた説明が大変だと思っていたら、何のことはない、既に東京公演もして有名みたい。助かったとばかり先ずは某サイトからプレゼを転載です:

 「『ジンガロ』は、主催者であり制作や演出を手掛ける鬼才・バルタバスが、さまざまな国籍の団員や馬を率いて、パリ郊外のオーベルヴィリエを拠点に世界各地で公演を重ねている騎馬劇団。1984年の創設以来、多彩な民族や文化にインスパイアされた独自の舞台作品を創造し続け、そのアートと馬術が融合した類まれなパフォーマンスは、世界中で高い評価を受けている」

さてこの有名な劇団、色々な友達から薦められていたが今まで見たことがなかった。実際私は「馬」にそれほど興味がないし、写真を見るととてもキレイそうで、もう一つ自分の趣味でないだろうと思い込んでいた。それが今回見ようと思ったのは「創設者で演出家の58歳のバルタバス Bartabas が10年ぶりに舞台に出る」そして本人が「ジンガロの出し物の最高傑作の一つ」と語っているのを聞いたから。加えて"On achève bien les anges" (「天使のとどめを刺す」)というタイトルも気になっていた*。そこで予約サイトを見たところ、前から三列目の良い席が一席だけ空いていて(12/1記)、その後は年末までほぼ満席。これは行くしかないですよね。

上のプレゼにあった会場のオーベルヴィリエ Aubervilliers:ここは何十頭の馬の厩舎であり、練習場であり、劇場である。そしてここには何十人ものスタッフが住んでいると言う。
開演待ち用のレストラン
地下鉄(Le Fort D'Aubervilliers)からすぐの大通り沿いに西部劇遊園地の入り口のような木の大門があり、その中に大きなサーカステント型の大きな木造のレストランがある。中に入ると今までの出し物で使われた衣装や道具などが飾られ、写真やビデオもあり、開演までの時間を過ごすようになっている。公式開演時間を十分に過ぎた頃、道化姿の楽団が登場、席ごとに随時劇場に誘導される(劇中には言葉はないが、このときだけは必要最低限のフランス語が必要かも。まあ最後まで取り残されても案内してもらえるだろうが)。

これも木造の、教会のような劇場に入ると、直ぐに馬(馬糞?)の匂い。廊下のしたは何と厩舎で、馬を上から見ながら、所謂サーカス型の丸い舞台沿いに入場。舞台は馬の為に白い砂がひきつめられているが、この砂が光が当たったり外されたりするだけで意外に幻想的な効果を生む。サークルを疾走する馬に乗った騎手が所謂「曲芸」もしたりするが、ジンガロのオリジナリティーは馬が勝手にお互いどうし撫であったり、ごろんと寝たり、鼻を鳴らしたり、自然体としか思えない自由さが「スペクタクル」に反映されていること。その一方ではどこまで調教されているのだろうと思えるまで音楽に合わせたり、人に答えるようしてステップを踏む(踊る?)。そしてその指揮をとるバルタバスは大きな仕草などなく、かすかな身動きで馬と以心伝心。これはお見事。彼は調教ではなく「馬を聞く」そうだ。
こうした馬と人の夢想的なスケッチ(彼によれば「儀式」)は、多くは堕した天使が馬に付き添われ庇われているような印象を与える。これは人間の奢りに対するバルタバスのメッセージであろう。彼はこの作品を1月のテロ事件のショックを契機に作ったそうである。

会期は延長されて2/21まで! (1月以降はまだ簡単に席が取れます)
階段状の席は列数も少ないので何処でも楽しめると思うが、やはり馬の鼻息が感じられる前の方がお勧めです。開演すると2時間ぶっとうし、途中では出られない(各出口の裏にはきっと馬や鳥たちが出番を待っているはず)なのでご注意を。ここまで詳しく丁寧に報告(推奨)するのは、おそらくこの魅力的な「地元会場」でなければできないこともありそうだし、これだけのものが海外に行ったら入場料は数倍になるに違いない等々

下の某TV局の紹介ビデオにはこの劇の沢山の場面が出て来ますので、インタビューが分からなくても楽しめるでしょう(幾つかYoutube等のビデオを見ましたがこれが全般的で一番良い。勿論言葉がわかれば千倍楽しめる) 。劇団の公式サイト英・仏)の2006年度の作品Battutaのページのプレス資料には日本の雑誌のコピーもありますので、説明はこれもご参考に

子供から大人まで、だれでも楽しめる内容だが、いつも思うことながら観客に「移民層」は極めて少ない。「文化は隔たりを埋める」というのはやはり入場料の前では「絵に描いた餅」なのだろうと思ってしまう。見渡してもアジア系はひょっとしたら私一人? いえいえもう一人、それも舞台に:オカザキ・ユカという女性が道化楽団の笛吹きにいました(上写真、騎士はバルタバス) 

*「天使」ではなくて「馬のとどめを刺す」というフランス語のタイトルのシドニー・ポラックの映画がある。日本語タイトルはまたまた違って「ひとりぼっちの青春」


2015年12月5日土曜日

二重国籍 誤謬訂正

前回「テロ対策二重国籍廃止を検討」としたのは正しくなかった。「国籍失効」でした。

フランスでは仏国内で生まれた外国の子は親の国籍(「血の国籍」)とフランス国籍(「地の国籍」)が得られる。日本のように二重国籍を認めない国だと18歳の時に片方を選ばねばならないが、そうでなければ二重国籍となる。二重国籍は、ほかにはフランスに住んで naturalisation つまり帰化申請をして「国籍取得」してもなりうる(フランス人と結婚してももらえるけどこれも申請が必要だと思う)。これまでの法律だと「重罪」を置かした場合、後者の二重国籍者は仏国籍を剥奪される可能性があった(ごく稀)。これを前者にも適応するのが新しい法案だった。(大誤り失礼しました)

もちろんテロ犯を前提にした改正だが、勿論「容疑」で国籍剥奪はできない。つまり犯罪を犯し、求刑された後の話。かつ聖戦テロは自爆犯だし、テロ抑止に効果があるとは到底思えない。そんなことで今までの「国の基本原理」を変えていいのかというので物議をかましている。(単一民族の「血の原理」にしか馴染みのない日本人にはピンと来ないかもしれない。私が改正法案の箇条書きを見て誤解したのもその所為だろう)

さて、そもそも今まで「国籍剥奪」は極右が得意になって振りかざすプロパガンダだった。それを社会党政権が実現する???  この現政権の「超右滑り政策」は選挙対策。実は明日「地方選挙第一次投票があるのだが、極右FNが幾つかの地方で第一党になるという大事態が起きうる。私の想像するところ、オランド君は超右派政策をとることにより、「極右対民主勢力」という図式を明らかにさせて(ひょっとしたら極右の馬鹿者どもがもっと逸脱するかもしれない。それは大チャンス)、FN支持層をサルコジに吸収させ、来る大統領選では反サルコジ票をまとめて再当選(可能性はこれしかない)という筋書きか? 私の想像が正しいとしたら、大統領の大計としてあまりにも悲しいですよね。
僕はサルコジが大嫌いだったが、彼の「策略」は読めず、大失態がいつも人気上昇につながるという怖い人間だった。オランド君はその点読めてしまって(?)、政治劇と傍観するに決めても本当にツマラナイ。ともかくこれ以上サルコジ(保守党支持者では常に大人気)を起こしてもらいたくない。

ところで秋のノーベル賞の発表の時、日本で「ノーベル賞受賞の日本人は米国籍取得者を含めこれでXX人」と報道されていたが、これって何なんでしょう。米国籍とったら米人でないの?二重国籍認めないんなら。

 サルコジ関連投稿:2013/7/5 ここに書いてあるタピのことも2年ぶりに進展ありました、また報告しなきゃ?(政治はどんどんニュースがあるからしんどいなぁ。やっぱり「美術」のほうが楽だ)

2015年12月2日水曜日

これでは安倍政権と変わりない

Note en français pour éviter des malentendus :  

J'ai fait le deuxième voyage depuis deux mois à cause de la cérémonie bouddhique qui intervient au 49e  jour après le décès. En fait j’ai perdu ma mère en septembre. 
À cause de ce calendrier, j’ai été au japon le 13 novembre.  Tout naturellement, mes proches me disaient gentiment “C’est bien que tu n’as pas été à Paris”. D'une part, c’est vrai, j’en suis content, mais d'autre part j'aurais bien aimé être là pour partager la tristesse et la colère avec les Parisiens... Je me disais que j’ai acquis, d’une manière, la solidarité française après 30 ans de vie parisienne.
Et de retour du Japon, je regarde les journaux depuis 2 jours, je commence à douter de quoi j'aurais pu être solidaire…  Heureusement je suis passé devant le Bataclan ce matin.
昨日話したように、私は日本にいると全く「情報外」、パリに戻って聞くニュースも驚きの連続でガリバーになったような気分。

世論調査では不人気だったオランド大統領の支持率が今月22%上がった!
結局昨日紹介した中日新聞のは例外的に冷静な留学生にあたっただけで、大衆は「IS撲滅戦争」を承認したのだろうか?

現在政府は8500の公安および司法職の創設を発表。こうして財政安定化より保安が優先と宣言したが、実際のところはそれがなくてもEUと約束した財政赤字軽減は達成できないのでちょうどよいカムフラージュ。

加えて「緊急事態」体制を延長のための憲法の改正、二重国籍の廃止* も含む政策をあげている。これではまるで極右のマリー・ルペンが次期大統領選に勝ったときの地ならしではないか!

* 12/3記:さっきニュースを聞いていたらこれは正しくなかったことが判明。今度訂正を記載します

私の大好きな(勿論アイロニーですよ) のセゴレン・ロワイヤル(元大統領候補、元オランドの夫人、現環境大臣)が大衆紙パリジャンのためにポーズしたこんな写真も見つけた。
私は国旗や国歌が好きではないが、フランスでは左派の人も「生温い」寛容さを持っている。だが植民地政策を過去に行った国家は、いくら三色旗が「自由・平等・博愛」の象徴と言おうが、被植民地化された国民にとっては弾圧の象徴でありえることをわきまえなければならないと思う。加えて今現在の情勢は植民地時代のツケを払っているようなものだから尚更のこと。

本当に これでは安倍政権と変わりないではないか、、、

「私のソリダリテ(先々日参考)は何だったのだろう?」と思ったが、お昼に近くに行ったので寄り道してみたバタクラン劇場の前、亡くなった人々の写真に私は「政治劇」から「現実」に引き戻され、悲しいながらも花束や寄せ書きにちょっと安心するところがあった。

Extrait de la prière de Saint François d'Assise sur papier jaune
黄色い紙には聖フランシスコの平和へ祈りの抜粋が

参考投稿
不人気のオランドのことは例えば 2013/4/26
ロワイヤル夫人のことも書いているはずだけど出てこない。不思議
フランス国歌のことは1月のテロの後に書いた 2015/1/14 など

最後に私の今日の結論:「凡庸なる指導者は権力強化を好む」

2015年12月1日火曜日

昨日の補足

パリの連続テロのことは14日の朝実家の近所の人から電話で聞いて知った。(昨日書いたように当然「パリにいなくて良かったですね」と言われ) 私は愛知の実家にいるとネットもテレビもない生活。それはそれで好きなのだが、今回のように大事件が起きると困る。ご承知の様にNHKのラジオのニュースは僅かなことをお経の様に繰り返しているだけで全く役に立たないから、新聞を読みに喫茶店に行った。
15日の地元の中日新聞 では、名古屋に留学中の女子学生(確か17歳?)が「これが復讐の連鎖にならないように」と述べていて、「フランス人は若いのにしっかりしているわ」と思ったが、オランド大統領が彼女や私の期待に沿わなかったのはご承知の通り。記事のこと裏覚えですので中日新聞会員の方はこれをご参考に

私は言葉の定義を持ち出して云々する議論は好きではないが、戦争というのは「国家間の紛争の最終手段」を意味すると思っていた。だから「イスラム国」に対する戦争と言われると、「イスラム国」を国家として承認してしまったことになるような気がするが???
何れにせよ今日のテロはフランスが国内に内包する(フランス社会がその土壌を養っている)問題なのでシリアの暴力武装集団を攻撃することで解決はしない。勿論一朝一夕の対策はないし、手を拱いていたら右派の突き上げを喰らうばかりで凡庸なる大統領にはほかの方策は思いつかないだろうと私も同情はするが、残念。

パリに戻って、例の「銀行の展覧会」*の一連で、昨日は新しい支店に作品搬入、今日は展示、明後日はオープニングというスケジュールで、パリを発つ前に新しい作品も描き、額装もして、出品リストを早々と送ったところ中止になったことを知らされた。だからのんびり、今晩は見たことのなかった有名劇団、一席だけまだ空いていたのですかさず予約して見に行くことにした。期待どおり良かったらまた書きます。展覧会なくなって本当に良かった(笑)

*銀行の展覧会、過去の関連投稿
9月2日 ジョルジュVからVユーゴへ
6月7日 パッションより本職 
6月14日 銀行での展覧会

写真は手入れする人もいないのに大豊作だった実家の柿。11月まで残されて甘みが乗り美味しかった☺


2015年11月30日月曜日

パリ第一日

11月13日は日本にいた。実は母が9月の私の日本滞在中に亡くなり*、今回は四十九日の為にまた戻った。
お陰でテロ騒ぎに巻き込まれることはなく、日本の皆さんに「パリにいなくてよかったね」と懇ろな言葉をかけてもらうことになった。

確かに「よかった」には違いないし、そうは思うのだが、その一方で、日本の方にあっけにとられることを承知で言えば、「パリにいたかった」という思いもあった。こういう時こそパリにいて周りの人と悲しみや怒りを分かち合いたいような、、、フランス流のソリダリテ(solidarité 連帯意識)??? 長年住んでいるうちにそのような感覚が知らぬ間に身についてきたようだと初めて実感した。(どうせ身につくならフランス語がもっと出来るようになった方がいいのだ

戻ったパリはというと、第一印象は「静か」。空港駅の改札がフリーパスで、どうなっているのかと怖々乗った地下鉄だったが、乗客も少なく、、、これが「緊急事態体制」かと思ったのだが、実はテロ攻撃の為ではなく国際環境会議で世界の首脳陣を迎えるための交通規制の所為であった。家に戻って見たニュースも私が気になるテロ事件は今何処で、完全に環境会議一色。

その一環(?)には来仏する首脳陣やスポンサーの大企業を批判したポスターを無断でバス停の広告にすり替えるBrandalisme(ブランドとバンダリズムからの造語:つまり商標破壊)という運動もあるそうで(そのサイト)、写真は安倍首相が使われた一例。(運動の趣旨はともかく、表現としては端的すぎて概して私には面白くないけど、一応アドホックな視覚表現としてご紹介です)

今日スーパーに買い物に行くと、やっと本が入るぐらいのサイズの小さな鞄の中まで検査され、初めて「テロ後」の変化が少しわかった。(私が自爆テロリストなら、機関銃を撃ってスーパーに突っ込んで行くだろうから全然効果があるとは思えないが、、、、)
 
* 母のことは亡くなった後や前回の飛行機の中で文を書いたのだが、このブログに適当なトーンが掴めず何れも掲載せずに終わった。

2015年11月3日火曜日

巨匠ファン向け?


昨日のカプーアに続いてキーファー Anselm Kiefer(ウィキ)。13区のミテラン新国会図書館 (つまり私の家の近く)で彼の本の展覧会(「本の錬金術」展)が開催中。本と言ってもすべてオリジナルで分厚い紙とか鉛の板に砂、泥、葉っぱ、ヒマワリの種とかがばらまかれ、、、重さ何十キロは優に行くだろう(パンフによれば70〜200キロ!) 一つのホールの中にこれの本が棚に立てかけられ、ショーケースに入れられ、周りには大きなインスタレーションや巨大な絵もある。エネルギッシュと言うかやりたい放題と言うか、まあともかく圧倒される。

本の内容は古代神話やユダヤ教のカバラ(ウィキ)等々密教的なテーマ多くてチンプンカンプン、無教養な私には取りつく島がないというのが正直なところ。唯一わかったものは「フランスの女王たち」で、乱雑に鉛筆で歴代女王の年表が書かれていたが、これを教養人はどう深読みできるのか? ちょっと衒学的にも感じるがどうなんでしょう(周りにいた人は「素晴らしい!」と絶賛していました)

注:私、キーファー、嫌いじゃないですよ、地平に迫って行く昔の絵とか、巨大な木版版画とか

2月7日まで
図書館BnPのサイトはこちら


昨日はグランパレの「ピカソマニア」展に行ったが、これはひどかった。入る早々キャラクター人形のようなピカソに迎えられ、横には右目がペニスになったポール・マッカーシー(彼のヴァンドーム広場のインスタレーションもスキャンダルを巻き起こしたが、昨日のカプーアに比べてそれはずっと意図的な彼の作戦だったと思う)のピカソの頭像が、、、こういうのって見て笑えるけどよく見よう何て思わない。普通の人はiPhoneで写真とって「はい終わり」の世界。こうしたパロディー(になっているかも疑問だが?)の作品が延々と並んでいてあっという間に見終えました。バスキアさえもピカソを入れるといとも陳腐になっていて、、、。作品も含むピカソなる漫画にしやすいイコンの大量の拡大再生産を見つつ、「ピカソ自身すらそれしか行わなかったのでは」とピカソへのネガティブな評価を芽生えさせる変な展覧会でした。ひょっとすると世界にはナポレオンファンの様に強烈なピカソファンが一杯いて、ピカソに関していれば何でも集めるコレクターもいるのかもしれない。これはそういう人たちへ、つまりピカソマニア用の「見本市」ではないだろうか? (確かピカソの孫の一人が企画したはずです) 2/29まで

悪口はこの辺にして、またしばらくお休み致します☺

2015年11月2日月曜日

カプーア展とその波紋

 今年は1月のテロ事件以来、色々なことがらが次々と起こり、機を逸してしまった下書きが幾つもあるが、「アートフェアに行かなくても」という筋で載せれたかもしれないヴェルサイユ宮殿の庭のカプーア(Anish Kapoor)の展覧会は昨日で終わってしまった(これは6月から始まっていたので当たり前だが)。近年ヴェルサイユはルーブルの様に現代アーティストを招来、ジェフ・クーンズ、村上隆、リー・ウーハン、ペノーネ、実は私はどれも行っていなくて、、、先月重い腰を上げてやっと行ったのは、まあまあよく褒める作家だからだが、今回は規模が大きいだけで大したことなかった(いつものような不思議さがなく、「見せ物」っぽい)というの私の意見。この渦巻きは実際に現場ではゴーゴーと音を立てていて、そこそこ満足はしましたが、宮殿のサイトの写真のように柵がないとまた違っていただろうと思う(実際その写真にかなり釣られた)。

 

実は「女王のヴァギナ」(vagin de la reine)と名付けられた鉄のトンネルのような巨大な作品は、私には何故それほどの波紋を起こしたのかわからないが、物議をかもし、何度も落書き(特に極右的メッセージ)がされて、柵がされ、警備員までいた(昔は中に入れたのかもしれないが?)。面白かったのは落書き部分が金色で覆われていたこと。「最後に全部金になりました」ってのはスキャンダルを見越した楽しいコンセプトになったと思うが、これも作家への冒涜でしょうか? それはともかくカプーアさんがこんなことで有名になるのは残念。

これを受けてか、3月に紹介したアジア顔の文化大臣のフルール・ペルラン(Fleur Pellerin)女史が提出した新法案の第一条は「芸術の創造は自由である」となっているらしい。流石おフランス、素晴らしい! だがこれは「お墨付きアーティスト」は特権階級ということにもなりかねない。この法案の中でもっと大事なことには、フランスの景観を守って来た面倒な建築許可制度をひっくり返す項目もあるので、ちょっとやぱい。加えて彼女は「今日では新しい世代の様式、表現欲求に基づいた彼らの尺度で、芸術、文化へのアクセスを考え直さねばならない」「壁へのグラフィティのような、彼らの自発的な文化行動に基づき」等々と発言。いったいどうなるのだろう? どうもペルラン大臣、私が心配していたレベルを遥かに越えているようだ。

参考:

カプーアに関した以前の投稿:2014年7月29日「カプーアとバイヤーズ」

後半の内容の元はこの記事:Marianne紙「ペルランはマルローとラングを一緒にしたより強い」 
(特に建築許可の件端折りましたのでご参考に)

2015年10月24日土曜日

不可視を描く

昨日の続きで、アートフェアなんか行かなくても良い理由、その2

例えばオペラ座から近いサン・ロッシュ通り(rue Saint Roche)の二つの画廊で開かれている「不可視を描く」(Dessiner l'invisible)展も楽しめる。
アーティストが「不可視を描く」のは当たり前じゃないかと私は思うのだが 、こんなテーマで展覧会がされるのだからそれほど明白なことではないのか? 何れにせよシュールなものやナイーヴ、アウトサイダー、それにコンセプチュアルまで、結局は当然ながら何でもありで、、、。



その圧巻はエミール・ティザネ Emile Tizané という1930から54年にかけて幽霊屋敷とかの「超自然現象事件」を調査した憲兵将校の資料。
右写真は引き出しがA地点からB地点に飛んだという事件の報告書(他の日には椅子が飛んだりとか等々、同じ場所で何度も起きて、、、)。この憲兵さん、その当時は本を書いたりして有名だったらしいがその後忘れらていたとのこと(wikiもなかった)
これは番地がそのまま名前になっている24BIS画廊の地下室スペースにある。


ティザネの調査書と制服
この地下は空間も面白いが作品も良いのが多く、有名どころでは、暴力性のあるエロ+シュールの Hans Bellmer ハンス・ベルメール(ウィキ)の、紙とはちょっと味わいが違う絹に刷った連作版画「告解室の秘密」。ベルメールなど見飽きてると思っても、いやはや、その構成力と線の力にはうならされるものがありました。この二つだけでもオペラ界隈に行くなら寄り道の価値があるでしょう。

他に細かい線の仕事ではMuriel MoreauやCamille Grandvalとか、私が全く知らない若手作家が幾人も発掘できた。
それから「これってアニメの『ペルセポリス』のイラン出身のイラストレーターかしら」とちょっと思ったのは韓国のMoonassi(80生)、彼(彼女?)の描く不思議なデッサンが沢山並んでいた。確かに人気ありそう。他にはAnaïs Tondeurのチェルノヴィリの被爆した植物の「放射線写真」というものも。

Moonassi
23番地の小さな画廊の方は現代の作品とドキュメントがごちゃごちゃして判り難い。面白いなーと思ったら、いつもそれは Athanase Kircherの理論や発明の図説だった。彼、アタナシウス・キルヒャーは、17世紀にローマにいながらにして世界中の宣教師の情報を一手に集め、博学な研究をしたイエスズ会司教だった。帰宅してウィキを読んでいて、昔歴史研究の本の訳の下請けをした時名前が出て来たのを思い出したが、この人も当時は学界の権威だったのに20世紀後半まで忘れられていたとか。

この展覧会は11月15日まで。二つの画廊のほか、礼拝堂でパーフォーマンスなどもある。
情報はこちら

2015年10月22日木曜日

人工気候

やっぱり楽しい参加型
今週はパリのアートフェア FIAC が開かれている。例年の事情(?)は2011年のこの記事でも参考にしてもらうことにして、それに独立して、または関連して、何れにせよ同時開催のメリットがあるのだろう、この時期は沢山の展覧会が催されている。だからパリの「現代アート週間」という感があるが、コレクターではなくただのアート愛好家なら混雑するフェアに行くより他に行った方が面白い。

例えば

EDF(フランス電力)財団で催されている Climats artificiels(複数なので「諸人工気候」と訳すべきか)という題の展覧会。雲の中に入る体験型や、ハイテクでクールな作品があれば、一昔前の工藤哲巳(参考解説)のけばけばしい色の性器が植わった菜園のようなグロな作品もある。
私は一瞬アルプスの写真かと思われるのが、「実は作家 (Julien Charrière) が工事現場の盛り土(?)のような場所で石灰(小麦粉?)を撒いていたのでした」という種明かしがビデオであるのが気に入った(右写真)。

美術館内に自然を再現する作品は、概してイタリア60年代後半のアルテ・ポーヴェラ(13/6/14参考)の焼き直しという気がしますが、美術通の皆さん、いかがでしょうか?

写真のピーナッツの殻はマリーナ・アブラモヴィッチMarina Abramović(ウィキ)の「雲の影」という作品。エモーショナルな神話的パーフォーマンスや神秘性に満ちたインスタレーションで「現代アート」ファンに絶大な人気のあるアブラモヴィッチは私が最も苦手とするアーティストの一人で、「私の作品がわからないなんて感受性ないんじゃない?」と言われているような気にまでさせられてしまうほど「大上段」な彼女だが、 こんな遊び心ある作品もあったとは。

アブラモヴィッチに劣らぬ私の苦手作家のヨーコ・オノもありました。カメラが空を撮るSkyTV(1966)。

前述の雲は日本の建築家、近藤哲生の作品で「圧力と温湿度が異なる3つの空気層をつくりだし、人工的な雲を発生している」そうで、すごいですねー。でも山登りで味わうような感動は皆無だけど。

雲の中より
結局この比較的小さな展覧会で3人も日本人作家がいた訳だが、 Espace Comminesというパリ三区の会場でも大西康明と盛圭太という若手作家が大きくかつ繊細なインスタレーション作品を発表している(残念ながら写真を撮らなかった)。
今調べたらこれは明日(金)午後3時まで! 
L’Espace Commines, 17 rue Commines 75003 Paris

「反原発」の私ですが、EDF財団はいつも良質の展覧会をする。お金はあるし(勿論入場無料)、12月のパリでの国際環境会議を睨んでの企画なのでまだまだ続き、2月28日まで。情報はサイトをご参考に(英語もあり)

2015年10月18日日曜日

「空き缶人間」との遭遇

昨日は名古屋からアートファンのSさんが来たので少し付き合うことにしたが、折角だから日本人が入手する「普通の情報」に入らない展覧会をハシゴすることにした。
現代アートからアールブリュット、そして職人アートのオープニングを見て、そろそろご飯にと思って歩いていたところ、妙な「空き缶人間」に遭遇! 
なんだこりゃ? この巨体なデブ衣装を作るのも結構スキルが要りそうだが、ガチャガチャ音をたて、ちょっと踊ったり、カフェの客にちょっかいをだしたり、かなり楽しいパーフォーマンス。そして「お金」を募るような気配も全くなく、どんどん歩いて行ってしまって、、、。

今日グーグルしてみたところ、これはストラスブルグの美術学校で Eddy Ekete、Désiré Anmani などの西アフリカ出身の若いアーティストが考え出した「空き缶人間」(Homme Canette)というパーフォーマンス現在ではダンサーなども入れて7人ほどのグループを成しているらしい )。私は「ナマハゲみたいだなー」というのが第一印象だったが、「消費文明批判」は勿論、アフリカの呪術的要素も持ち合わせ、結局昨晩見た中で一番面白かった! 脱帽です。
某芸術学校のサイトによると「イベント」用のパーフォーマンスらしいが、出会ったときは「仕事帰り」だったのか あるいは「出勤途上」だったのか?


10/19記:「空き缶人間」からコメントがあり、少し書き替えました。ビデオとしてはStrassTVによる次のリンクのビデオがパーフォーマンスの模様および作家紹介もあり充実しています
http://www.dailymotion.com/video/x1sbaoa_les-hommes-canettes-a-strasbourg_creation 

2015年10月12日月曜日

窓ぎわのトッドちゃん

フランスの人口論学者エマニュエル・トッドのインタビューを集めた新書を貰って、帰途の飛行機の中で読んだ。フランスでは1月のテロ事件以降、トッド氏はうさんくさく見られることが多くなったと思うが、私はちゃんと彼の本を読んだことがないので、彼の理論を知りたい方はウィキにもしっかり要約されているのでご参考を。
この「ドイツ帝国が世界を破滅させる」とセンセーショナルな題がつけられた本だが、インタビューなのでとても大雑把。私は全くドイツ通でないので本当に彼らが「支配的状況にあるとき、非常にしばしば、みんなにとって平和でリーズナブルな未来を構想することができなくなる」(彼は歴史が物語っていると言うが、、、)という特性を持つのかよくわからない。確かにユーロの危機に際して自国の経済倫理を絶対と押し付けているが、これはヨーロッパの当初の「合意」もあるし、それが世界レベルになりうるかも疑問だが私は経済通でもないので、、、。それから「地政学的には‥」という指摘も多かったが、7/19の投稿の末尾で書いたように、私は「地政学では何故すべての利害の対立が常に紛争に帰結せざるえないのだろう」といつも根底的な疑問を抱いているので何をか言わんや。

それなのに何故この本を紹介するかと言うと、フランスのことに関してはなかなか妙を得た指摘が幾つもあって、例えば2013/4/13「大臣の告白」の脱税していた財務大臣のカユザックに関し、
「私でも、医者のくせに病気にかかった人々の治療を目指すより、せっせと植毛クリニックの営業にいそしむカユザックのような人物に会ったら、こいつは金の亡者に違いないと勘づいただろう。ところがオランドは、そんな医者を大臣に抜擢した。いくらなんでも倫理的におかしんじゃないか。カユザックを選んだと言う事実が示唆するのは大統領が倫理的能力を不十分にしか持ち合わせていないということだ」とか、本当だよね〜(大笑い)。
そしてオランドの失敗:まず第一は「税率75%を強行することができなかった。大統領には国民投票という武器があるのに、彼は勝負にでなかった」というのは私も全く同感(旧ブログ2013/3/4参考)

他に自分の覚書き的に抜粋すると、
「金融権力(金融を統治する権限ということだと思う)はもともとは廉直で愛国的なドゴール主義の高級官僚らの手中にあったのだが、それが民間セクターに移行した。唯一保存されたのがシステムの超集権的性格だった」
「フランス人は普遍性を重んじるあまり特殊性が見れなくなる」(引用メモを忘れたのでこれは私なりの言い替え)、加えて 「自分たちの道徳観を地球全体に押し付けようとするアグレッシブな西洋人は、自分たちの方がどうしようもなく少数派であり、量的に見れば父系制文化の方が支配的だということを知った方がよろしい」とか。

つまりフランスに関してはなるほどと思うので、ドイツおよび世界状況についても彼の論は正しいと思うのが一応筋なのだが、、、やっぱり住んでない国のことはわからんです。(最近私は日本のこともすっかりわからない。私はこの本のメインではないフランス政治のことで楽しめてしまったのだが、日本の読者はカユザックとかオランドへのコメント、わかるのかなァ? 10万部突破ですよ! 本当に不思議) 読書後の結論、強いていえば、トッド氏も私も結局のところフランスが好きだということでしょうか。



過去の関連投稿
2015/7/19「戦争放棄を放棄してはいけない理由」
2013/4/13「大臣の告白」
2013/3/4「スポーツとしての資本主義」



2015年10月11日日曜日

ミュルミュル 英三のライターデビュー


今年の初めは珍しい経験をした。先ずは郊外の町のビエンナーレの審査員。「その町以外のアーティストにも扉を開くので」ということだったので、町の 知りあいアーティスト達を選別することはないのだろうと思っていたのだが、送られて来た書類は町の内外を問わず、幾人もの友達の応募書類も入っていた。日頃は日本人的に気を使う方だと思っているが、こういう場合には「私の芸術尺度」に合わせて容易く、私情を全く差し入れずに評価できてしまう。だから選考会議は簡単だったけど、その結果が発表され、私の名前も出ていたから、友達から さっそく電話がかかってきて、日本に発つ前日だと言うの我が家に「状況説明」を求めてやって来た。これには参った。私なんぞ、自慢じゃないけど「落選」の 王様、例えば今年の夏にカタマラン(ヨット)に乗って航海しながら制作する「まさに私の海水のデッサン向き」としか思えないアーティストレジデンスの企画で落とされた。がっかりするけど憤るほどのことはない。企画側の意図もあり、適・不適であって良し悪しではない。加えて人の趣味は十人十色。

第二は4月、生まれて初めて受けた文章の「注文」。

愛知県のみなさん、ミニセレと書かれた写真のような愛知芸術劇場のチラシがあったら見て下さい。私のその文章が載っています!
5月12日の記事に書いたヴィクトリア・ティエリ・チャップリン演出の舞台「ミュルミュル ミュール」の紹介文。
ヴィクトリアさんの舞台を見ているからということで依頼を受けたのが4月。でもこの、娘のオレリア主演の作品は見たことがなく、だが5月の舞台後では遅すぎる(1年間分のプログラムのパンフレットなので)。だからちょっと書きづらい、ある意味「見切り発車」の文章だった。
その後実際に舞台を見た印象は5/12に書いた通りだが、前回投稿のフィンエアのカウンター同様、私の声が届き、問題点が「半年一昔」的にクリアされてるいることを期待しています☺☺☺


「ミュルミュル ミュール」名古屋公演 来る10月21日(水)


関連投稿
2014/5/19 チャップリン尽くし 親から子、子から孫へ、、、
2014/7/27 ジェームズ・ティエレのラウル
2015/5/12 ミュルミュル 英三の呟き


2015年10月8日木曜日

mes excuses

半年前(3/17)フィンランド航空のパリ、シャルル・ドゴール空港のカウンターに関してこう書いた:「近年ローバジェット航空会社と同じゲートになっており、これが明らかにぞんざいな客あしらいに影響していると思われる。フィンエアでパリに来られる日本の方は帰国便でショックを受けること間違えなしですので、事前に覚悟して行くように」
それが今回は列もなさずスイスイと。かつ前日に送られてきたインターネット・チェックインの時に有料シートを間違えてクリックしてしまい元に戻せなかったのでまた一悶着ありそうと思っていたのだが、こちらが言う前から「これだとヘルシンキで60ユーロ取られますよ」と気を利かせて質問してくれた。目を見張るサービスの向上! かつ日本行きは私のような格安チケットでも預け荷物二つが可能になったし、トランジットは短かくて速いし*、また別件でフェイスブックで質問した時、親身に答えてくれたしで、今やご推薦です。 
しかしこの「半年一昔」の大変化は?!?  私のブログの影響力大かと疑ってしまいますよ。

但し映画のチョイスはひどい。お陰でその分躊躇なく本が読めます。
(*注:勿論直行便にはかないませんが私の戻る名古屋へは経由便しかないのです)

それからカンタグレルトマト(8/26参考)、農家の直売野菜のおいしい南仏から戻った時には全く大したことはないと思ったのだが、高い値段で売っているパリの市場のトマトに比べて格段遜色がある訳でもなかった。ちょっと卑下しすぎた。

と言う訳でフィンエアにもカンタグレルトマトにも失礼致しました。

以上はほぼ出発日(9/15)に空港で搭乗を待ちながら書いた文。一昨日戻って驚いたことには、すっかり秋葉んだパリでトマトがまだ黄色い花を咲かせ、残った一つの実が赤みがかっていた(右写真)

2015年9月14日月曜日

ポンピドーセンタのモナ・ハトゥム


女性アーティストは「髪の毛」に執着する人が多い。というか専売特許? 私は最近長髪で(日本人にはとても人気が悪いのだが)、その髪で布を縫ってみたりしたら、そういう女性作家への冒涜にあたるかもしれないと思いつつ、モナ・ハトゥム(Mona Hatoum)の小品を見た。
とのっけから嫌みで始まってしまったが、小品はともかく私はモナ・ハトゥムの大きなインスタレーションが好きだ。天上から吊るされた何百(?)という有刺鉄線とか、黒い羊毛の様に見えるが磁力が吸引する砂鉄でできた巨大なキューブとか、真ん中の四角く織られた絨毯から蛇行して末端の明るくなったり暗くなったりする電球へと丸く広がる幾つもの赤い電機コードとか、彼女がパルスチナ出身ということを知っていなくてもメッセージは「ずばっ」と来る。Simple is Best!(中にはよくわからないのもありますが、、、)

そして今日はここまで。
彼女は有名だから、例えば昔の金沢21世紀美術館の、砂の紋が描いては消される、おそらく彼女の最高傑作の《+ と – 》を紹介している 
モナ・ハトゥム: 出品作家・作品 | パッション・コンプレックス 
とか さっき知ったばかりの彼女の履歴も詳しい
Happy + Art の展覧会のレポート  
を参考にして下さい(とはいうものの会員登録が必要で冒頭の部分しか読んでいないのだが、、、何せ明日日本に発つので)

ポンピドーセンターでのこの「回顧的」な大展覧会は9月28日まで

秋の連休に来られる方の為の情報でした
来られない方には彼女自身が全展示を4分で概説するポンピドーセンターのビデオ

ではしばらくお休みです


2015年9月3日木曜日

マーラにつられてモンテリマ

夏の大デッサンに挑む前に、きっかけは忘れてしまったが「マーラの死」をテーマに連作を描いた毎日のデッサン、5/26〜6/9参考)。頭にターバンのようにタオルを巻き、暗殺されてバスタブにぐったりと横たわる、ダヴィッドの有名な絵の本歌取りである。マーラを殺したのは穏健派のジロンド派のシャルロット(Charlotte Corday)だが、この女性による殺害は謎があるのか(調べたことはないので全く知らない)、女性に弾劾されて然りと思うる男心をくすぐるのか(これは私の解釈)、文学や絵画のテーマになっている。


現代作家で扱った人はいるのかなと検索してみたところ、Andrea Mastrovito というイタリア人の若手作家(78年生、ニューヨーク在住。彼のサイトの、彫刻上にダヴィッドの絵が写されたものが見つかった。鉛筆? 何故左右逆なのだろう、複写?  彫刻との関係は? まさかダヴィッドだからダヴィテ像というギャグではなかろうし、、、で本物を見たいなと思ったら、何たる偶然か、南仏モンテリマでこの夏展示されていた! というのもGさんのアルデッシュの田舎の家への最寄りの駅はモンテリマ、だから彼の誘いにホイサッサと乗ったのであった(8/26記載)

さて、このモンテリマの展覧会は、長く牢獄として使われていた町の中心にある中世の城 Château des Adhémar(アデマール城、主に12世紀に築城) で行われている個展で、城という空間と歴史をお背景にしたサイトスペシフィック(場特有)な展示が試みられている。
かくして例のマーラの砕けた彫刻は城内の壁石がころがる「強者どもは今何処」的光景と呼応し、牢獄になっていた城の母屋(下写真)にはホモが理由で2年間ブタ箱入りしたオスカー・ワイルドが牢獄で知った死刑囚の話を元にし、刑罰の残忍さを訴える長編詩"The Ballad of Reading Geôle"をイラストしたカフェの丸テーブルが複数並んでいるという具合。写真はその丸テーブルの一つだが、テーブル上に新聞が開かれているように見えるが、実はこれはテーブルに直に書かれた鉛筆デッサン。その上に実物の本やナイフ、コインなどが置かれているが、その表面もすべて細かく鉛筆デッサンが施され、新聞の「騙し絵的効果」を一層引き立てている。勿論マーラも彫刻上に丹念に鉛筆描き、つまりMastrovitoは何にでも鉛筆でシコシコと描く作家であった!

上階に行くとカラフルなプラスチック定規で出来たステンドグラス。この定規にも鉛筆デッサン。それから園芸雑誌の写真をこれまた丹念に切り抜いたお庭があり、、、本当にこの作家は細かい仕事が好きらしい。
色々アイデアがあるばかりか、その背後に細かい手仕事があり、加えて何にでも鉛筆で落書きしてしまう無邪気さもベースにあるように思え、所謂「現代アート」とは少し切り口が違うかなと、私はかなり好感を持ったのだが、流石に「現代アート」展、説明パネルには、例えばマーラの作品では「砕かれた彫刻は社会の変動と抗争を表わし、挫折したマーラの夢を象徴する」なんていう言わずもがなのことが書いてあってうんざりさせられた。まあこれは学芸員の所為かもしれないので、目をつぶることにしましょう。(結局ダヴィテと左右反転の謎は判らずじまい)


10月4日まで
ヌガの都、モンテリマに行かれる方は少ないだろうが、リヨンからも遠くないし、アヴィニョンやアルルに行くついでどうでしょう?

(モンテリマ近辺の他の二つのお城でも同時展示しているとのこと。私は知らなかったが、こんな大規模に展示させてもらっているし、NY在住だし、マストロヴィト君、既にかなり活躍しているのかもしれないけど、今後注目です)


Exposition Andrea Mastrovito
Château des Adhémar - Montélimar
jusqu'au 4 octobre 2015

2015年9月2日水曜日

ジョルジュ・サンクからヴィクトル・ユーゴへ

問題多い銀行の展覧会がジョルジュ・サンクからヴィクトル・ユーゴの支店に移動する。両方ともパリのハイバークラス界隈でまさに金融業界に身売りしたように見えてしまうが、、、:(
今回の方がインテリアがクラシックで展示がむずかしい
先週火曜にパリに戻り、水曜はジョルジュ・サンクで梱包、パリでは久しぶりに一日中雨脚が絶えなかった木曜に、ユーゴ店とその近くのミュエット店にトラックで作品搬入。勿論セキュリティのため、二重ロックドアを通って少しずつ作品を入れるから、雨は厄介だった。そしてまた晴れ上がった金曜そして月曜に飾り付け、廊下部分が割り当てられたため今回は小品も展示、昨日の昼にやっと終わった。
日曜には2年ぶりぐらいにナノ・キーボードを取り出して替え歌のアバアベ・ソングを制作。これは完全には終わっていないのだが、やっぱり8月30日でないとと、不完全ながらアップロード。かつ大変なミスもあった!修正しません。坂田英三に完全という文字はない。

銀行の展覧会、過去の関連投稿 
6月7日 パッションより本職 
6月14日 銀行での展覧会





 

 


2015年8月26日水曜日

カンタグレル・トマト

今年の私のバカンス。去年とちょっとコースは似ていて、最初が仏北西に突き出たブルターニュ半島の北岸で6日間。天気は変わりやすく、やっぱり海水浴には水は冷たい。一度目は足を入れただけで退散したが、2度目は意を決して足の立たないところまで直進、少しは泳いだ。勿論知り合いの「田舎の家」に厄介になったのだが、家があるとそれなりに「休み中の社交」があり、その間を縫ってハイキングや教会巡りとなかなか忙しかった。
そしてパリに一日戻って勝手知ったる?南仏アルデッシュ地方(Ardèche)のGさん宅に5日間。プラス変更不可の格安切符の日にちを間違え、アルデッシュからローヌ河を挟んだ対岸のドーム地方にあるオリーブの産地 Nyons (日本語一般表記:ニヨンス)に一泊。

去年はGさん宅近くのハイキングコースで道に迷い、冷や汗をかいたが、そんな苦情が多かったのか今年は見事に道標が一新されており、間違いようがなく、ちゃんと昔行った渓谷まで辿り着いた。Gさんの事情もあり、彼は色々忙しかったようだが、私はおおいに暇で、良く生った庭のイチジクを食べに食べた。

そして昨日戻ったパリで私を迎えてくれたのは中庭になるユンヌ・トマト。冠詞を入れたのは「一つだけ」と強調したかったからだが、彼女(=トマト)、アルデッシュに行っている間に一気に真っ赤になっていた。

今朝は例の「銀行の展覧会」の、6日に突然事務所の工事で取り外した作品の梱包参考:このことはフランス語で告知しただけだった この展覧会企画、実は波瀾万丈で、、、まあまた書くことがあるでしょうが、別の事務所で続けて展示されることになって、明日は別の銀行事務所への搬入、明後日は飾り付けのスケジュール。

これは私の昼食の、カンタグレル・トマトとモッツァレーラ中心にあるのはニヨンス名物の黒オリーブ。今日のランチはこれのみ!!! 
 忙しいからではありません。ニヨンスは計画なしの一人旅で昼も夜もレストランで食べ過ぎ、今日は胃のバカンス。
もちろん手塩にかけた「稀々トマト」の味は、流石がカンタグレル! もう一つどころか、もう二つ三つでした☹ (黒オリーブの味の引き立て役に徹した???)

注:カンタグレルは私のアトリエの通りの名前です。それからオリーブの黒と緑は品種ではなく熟成度の違いだけであることを知りました。

愛するミラベルに続き、カンタグレル・トマトとニヨンスのオリーブ、9月の新学期を機会に日本人向けにこのように私のブログもひたすら食べもの発信にしようかと、、、思う筈は残念ながら全くありません (☺_☹)

ところで推薦されて行ったニヨンスだったが、別荘開発も進み街も大きく、あまり面白くなかった。オリーブ畑やラヴェンダー畑も私は「自然の中のインスタレーション」をしていた頃に幾度も彷徨し、もっと野趣のある素晴らしいところを知っているので、、、。
行くのならアルデッシュ渓谷の方がいいですよ(笑):右写真





2015年8月10日月曜日

ミラベルでサバイバル

サバイバルの季節が始まった。パン屋を含め、そこら中のお店が閉まり、頼るはスーパーのみ。日曜の朝市も、お店もまばらで閑散として寂しい限りだったが、、、やった〜!八百屋でミラベル発見。嬉しい!!!

「ミラベルとは何か」というと何度も書いているので過去から引用:「ロレーヌ地方名産の、黄橙のプラム系のフルーツ。8月中旬から2週間ぐらいが旬で姿を見せたかと思うとすぐに消えてしまう」

買ったミラベルは出だしだからまだ緑っぽく、少し酸っぱくて本来の甘みのある味ではまだない。今年の猛暑は味にどう影響するのか? 円熟を期待しましょう。

私のブログではめったに食べ物はテーマにならないが 、ミラベルだけは別でほぼ毎年報告。タイトルにミラベルがつく最近の投稿だけでもこんなにあった。溺愛です。

「バカンスもミラベル」2014年8月(クライマックスはミラベルのスフレ)
「頑張れミラベル」2013年9月(私が好きな理由)
「ミラベル食べ放題」2011年9月(豊作の年でした)

後記:ファンの多い緑のプラム、 レーヌ・クロードのことも書いている「ミラベルbis」もありましたので追加します

2015年8月4日火曜日

Si vous passez le quartier George V - Alma Marceau ,,,

Je vous signale que l'exposition s'est soudainement terminée le 6 août à cause des travaux du bureau. Dommage! 


L'exposition quatuor avec Meitsen Chen, Manuel Lajoa et Rizzo Picart Regis dans la banque sur avenue George V continue jusqu'au 25 août.

J'y expose une quinzaine de grands dessins à l'eau de mer, En fait c'est une occasion rare pour moi de montrer autant de travaux, donc je vous en reparle.

Les oeuvres sont exposées dans les plusieurs bureaux. Pendant les vacances d'été, je pense que les affaires se ralentissent et que les bureaux seront moins occupés que d'habitude : donc il est le temps d'y aller. Par ailleurs vous aurez peut-être plus d'occasions de passer le quartier George V - Alma Marceau avec vos amis touristes ou parisiens...


Donc voici la note pour la visite :

La banque "Barclays" : 32 avenue George V - 75008 Paris
Elle est ouverte uniquement dans la semaine : 9h-12h45 et 14h-17h, fermée le week-end et le jour férié.

Je n’expose qu’un dessin à la salle d’entrée, donc il faudra monter l'escalier au fond de la salle. Arrivant au premier étage, vous trouverez un vaste bureau lumineux dit «open office», où sont exposés 5 dessins et 2 compositions de petits dessins. Normalement 3 personnes y travaillent mais ne vous en faites pas, ils sont très gentils et il semble qu’ils aiment bien mes dessins.

L'exposition continue dans le couloir qui serpente et conduit aux plusieurs bureaux où vous pouvez entrer et découvrir  les travaux des 4 artistes, si la porte est ouverte.

Ne soyez pas intimidé par le labyrinthe des finances, j'en sera ravi, si vous y passer voir notre exposition.

Et assurez-vous que mon dessin n'est pas de produit d'investissements recommandé par la banque. 

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L'autres article sur cette expo : le 14/07 

2015年8月3日月曜日

楽しいフラメンコ

昨晩ピカソ美術館の庭での現代フラメンコ、イスラエル・ガルバン Israel Galván のソロダンスを見に行った。「現代フラメンコ」ってのはうさんくさいなーと思っていたが、日本の「目利き」のプロからも、フランスの知り合いからも推薦され、、、

フラメンコだからタップの音が響くよう板が敷かれて階段座席と勝手に思い込んでいたら、美術館の砂利庭が舞台。観客はその周りにマットを敷いて座るようになっている。「絶対かぶりつきだよ」と言われていたが、右翼の席はマット2列、その後に日本の風呂の椅子のようなものがあったのでそれに座った。私の様に尻に贅肉がないとすぐ痛くなってくる類いのもので、着席自由とのことだったので開演40分前に着いたから余計、案の定舞台が始まるまでに居心地が悪くなり、「地面かこんな椅子にしては入場料高いな」と思ったが、、、(今サイトを見直したらちゃんとそう書いてあった)

と少々不服気味で始まった舞台:当然かれ一人、音楽なし。音響は、ガルバンが指を鳴らす音、手拍子、胸や脚を叩く音、それに口ずさむカウント(鼻歌?)それに靴が蹴る土の音。舞台前部に黒いコードが張っていると思ったら、マイクで地面の音を拾っている。左側に靴拭きの様な人工芝の緑の小さなマットが一枚、その上で踊ると音が異なる。
砂利の上で白煙を上げ、対角線に滑べり走るかと思えば、観客の前にどっしり座ったり。でも常に身体はリズムを刻んでいる。周りの街の音や観客にも反応して笑いを誘ったり、「すべてアドリブ?」と思ったら、館に沿って金属板が置かれていて、そこで踊るとガシャガシャ音、加えて館の階段下のテラス(両方とも私の座った右側だった!)では石を伝わる音がボーンと低い音が増幅されるようになっていて、45分の踊りの後半の盛り上がりを支えていた。

フラメンコというといつもは失恋・離郷のコラソン(心)の悲痛な叫びだが、ガルバンのダンスは、調子に乗って椅子や机を跳ね回って踊りまくる初期のフレッド・アステアのタップダンスように、見ていてとても楽しい。「踊ることが楽しくてしょうがない」 というのが観客に伝わってくると言う感じ(実際はどうなのかわからないが、、、観客にも私同様のニコニコ顔がいるかと思うと、ものすごく真剣な顔で見つめている人もいたので)。

パリ祭のケースマイケルは無機質な繰り返しのダンスと思っていたのが、どろリと情念が出てきて驚かされたが、昨晩は逆にフラメンコから緊張感を保ちつつも「どろり」を抜いてひたすらリズムに身を捧げる、まさに存在しないはずの「楽しく陽気なフラメンコ」だった。音楽を使わないことにもその意図が如実に表れていると思う。

それから伝統的なフラメンコだと男性役女性役ははっきり別れるが、彼のダンスは両性具備と言おうか、かなり女性的仕草が多かった。男性役はソロの所為か砂埃の所為か、闘牛士(あるいは広くファイター)を感じさせた。

グーグルしたところこの公演に関する2分のインタビュービデオ付きサイトを発見。
http://culturebox.francetvinfo.fr/scenes/danse/au-musee-picasso-lextraordinaire-flamenco-solo-disrael-galvan-225007

ビデオでは上に書いた舞台の仕掛けもアップで見られます。金属板と思ったのは雨水溝の蓋、つまり舞台はその場に合わせて創り出している。インタビューでは「踊りながら自分の身体で自分だけの音楽を作る。こうして自分はあらゆる種類の音楽を空想でき本当に自由に踊ることができる」と言っております。しかしダンスはTV取材用のデモと本当の舞台はやっぱり違いますね。本番は靴も黒かったし(笑)。

日本ウィキがなかったので超簡単な略歴:
1973年セヴィリア生まれ。両親とも有名なフラメンコダンサーで、母方からジプシーの血をひく。98年に自分のカンパニーを設立。自由なフラメンコ解釈故に本国より海外で評価されることが多かったが、2014年にはスペインの劇場芸術で最も重要なPremio Max を受賞

ナチスによるジプシー虐殺という重いテーマも扱っており、「楽しい」と思ったのはこの舞台に限るのか、私の感性がおかしいのか? 何れにせよ感化されやすい私は昨日から、踊れなくても手足がタンタタタタタと始終リズムを刻んでいます。

しかしあの舞台、今年のパリは天気良いけど、雨だとどうしたのだろう? 企画者も腹が据わっている???




2015年7月28日火曜日

Le travail progresse - pas vraiment

これは7/24と7/10の掲載をフランス語でまとめたものです

Un grand dessin de cet été
Pendant la canicule, j'ai repris "le dessin à l'eau de mer" dans le style le plus pur : le travail de cristallisation du sel sur papier (sans encre de chine), parce que la chaleur accélère l'évaporation de l'eau, ainsi les cristaux se forment très solidement. Il s'agit de travaux monochromes : blanc sur blanc, la forme apparaît selon la lumière.
Donc, cela nécessite la recherche de formes symboliques évocatrices qui correspondent à cette matière essentielle à la vie(voir les photos du 02/07 aussi). J'en ai rencontré assez rapidement la limite, même si j'ai eu quelques résultats satisfaisants. J'ai commencé à répéter des motifs tournant aux poncifs...  Par ailleurs, ce qui est fatal pour une œuvre en "blanc sur blanc", il faut absolument éviter que des poussières noires tombent sur le dessin. En fait, je veille sur le dessin toute la journée : lorsque j'en vois, je les enlève délicatement, mais parfois cela perturbe le processus de formation des cristaux, et l'uniformité des grains de sel pourrait être détruite (voir la photo dans l'article du 10/07). Pour que j'obtienne un résultat parfait, il me faudrait travailler dans un labo hi-tech hors poussière, et revêtu d'une combinaison spéciale..., je ne suis pas certain que ça m'amuserait.
 
À propos, pourquoi des photos des travaux de Jean-Charles Blais se trouvent-elles dans le même article ?  C'est parce qu'en faisant mes recherches de formes, je me suis souvenu de Blais, qui a débuté dans la "Figuration Libre" puis a vite tourné vers l'étude de contours et de silhouettes, ses travaux devenant de plus en plus abstraits. Peut-être a-t-il poursuivi le chemin de Malevitch qu'il adorait dès ses débuts. Personnellement, je ne suis pas intéressé par cette voie, car elle me semble prédestinée aux formes les plus simples possibles...  Donc mon travail, cet été, n'avance que très difficilement.


dessin / toile
Au printemps dernier j'ai aussi commencé à dessiner à l'eau de mer sur de la toile en coton. Elle réagit très différemment du papier par rapport à l'eau et à l'encre, et j'ai réussi au moins un dessin (photo).

Par contre, actuellement, je travaille uniquement sur papier. La toile ne peut retenir que peu d'eau qui s'évapore trop vite, ce qui ne me permet pas d'élaborer mon dessin. Mais qu'est-ce qui se produirait si on dessinait avec de l'eau de la Mer Morte sur la toile? C'est la question que m'a posée une amie en écoutant mon radotage artistique. En fait, les dessins sur papier faits, l'année dernière, avec l'eau de la Mer Morte, ne sèchent jamais(photo). D'ailleurs, en utilisant cette nature (?), j'ai réalisé, à l'occasion de ma dernière exposition personnelle au Japon, un dessin sur vitre composé avec des gouttes de l'eau de la Mer Morte (photo). Elles restaient toujours liquides, toutefois elles changeaient d'aspect avec le temps.

L -gallery, Nagoya
Cependant, quand je cherche à me renseigner sur le web à propos de la nature de l'eau de la Mer Morte, je ne trouve pas d'info qui dit qu'elle ne se sèche pas. Au contraire, la Mer Morte rétrécit et risque de disparaître, parce que l'eau s'évapore plus rapidement que le débit de l'eau qui y entre, ce dernier diminuant à cause des irrigations... Tout ça reste pour moi un complet mystère.

En bref, de retour à l'atelier, j'ai dessiné sur de la toile avec de l'eau de la Mer Morte. La partie dessinée est devenue sombre en ayant l'air d'être mouillée (mais elle n'était pas vraiment humide au toucher). De plus, si on tend la toile vers la lumière, elle la transperce en lui donnant une couleur plus claire. J'accroche ce tableau sur le mur et j'observe son évolution. Finalement dans ce dessin, il n'y a que la forme qui compte. De plus elle pourrait changer. Donc il me faudra, peut-être, renouer avec la recherche de formes. Vive la Mer Morte !



2015年7月24日金曜日

死海の不思議

最近私が人と会って話すことといったら「海水」のことばかり。いったい他人にどう思われているだろうと考えると不安になるが、、、
特に死海の水の話になると、乾かないデッサンの話(昨年の参考記事やLギャラリーでの死海の水の雫でのインスタレーション(参考記事3/12)の話などどんどん長くなる。
 
こんな私の話の馬鹿話を優しく聞いてくれるTさんに、「最近は紙のデッサンだけ。春はキャンバスも試したけれど、この暑さだとすぐ乾燥してしまって話にならない」と言ったら「乾かない死海だとどうなの?」ときかれた。Tさんとはほとんど30年にもなる付き合いだが、こんなに素晴らしい指摘は初めてではないかな〜?(笑)

アトリエに戻ってすぐにやってみた。やっぱり乾かない。綿のキャンバス地に「砂時計」型を描いたところ、そこは濡れたように色が濃くなり(ただし触っても指が濡れることはない)、そのままの状態で3日間。全く結晶の出来る兆候などない。変化と言えば昨日からデッサンの上下部にキャンバスの布にたるみが見えるようになって来た。というわけで毎日観察中。さらに面白いことには、キャンバスを裏から見るとデッサン部分は明るく光が透過する。

7/10の投稿で「形だけの追求」の行き詰まり感について書いたが、キャンバス地に死海の水の反応がこの濃淡だと、以降変化するかもしれないという可能性を含めて、「形」だけがこの特徴を最も発揮させることになり、「形の追求」も新たな意味を持ってくる。一つの突破口かも。

でも不思議。色々検索しているのだが、「死海の水は乾かない」 との情報に行き着かない。それどころか近年は灌漑利用などで流れ込む水が減り、蒸発する水分の方が多くて死海は小さくなり滅亡の危機にあるのだ(それゆえ紅海から水を引くなどの計画がなされている)。いったいどういうことだろう?

裏から
表から