2021年12月25日土曜日

もう終わったウダンのグループ展について

書く気がしなかったがこれを残して年を越してはいけない? 宣伝はしているのでメールやfbでご存知の方も多いが、10月中旬から11月末までパリから1時間ほどの町のウダン(Houdan) でグループ展(5人展)をした。ここは2019年に卵が取り持つ 展覧会で知った会場で、まあ前回のキーファーを見てしまうと砂粒のようななんともちっぽけなスケールだが、私としては大規模で正面二階の広い壁ももらって満足できる展示ができた。

185X135cmのドローイング(2020)
 

ご存知(?)ドラ・マールの家での連作4点(2021)
 
 
 
地下には1991年作のキャンバス画
(湿度の高い地下には海水ドローイングが飾れないのと、テーマの「ある点から他へ」を時間的に解釈して)

五人展としての内容的にも充実したもので、下のように宣伝用の3分のビデオを作った。(日本語字幕付き)

 

ここまでいい条件で大きな大きな海水ドローイングを見せられることはエイゾウとしてはめったにない(悲観的に見ればもうないかも?)。

なんたって展示(運搬日は別)に4日間もかけたし、ほぼ即興のインスタレーションを中地下の洞窟に制作、かつ共通の友人有名ミュージシャンを呼んでミニコンサートも企画された。 

 

 

 大教会、中世の塔や街並みを残していたりして地方観光も兼ねて来てもらえるとと宣伝したが、如何せんウダンはパリの知り合いには遠かった。。。かつ会場はウダン市が提供してくれているのに広報などでのサポートはないし。だから終わってかなり脱力感が大きく、本当に最近「やる気せん」のです。会場を運営している地方のアーテイスト協会に「入れ入れ」と誘われているのだけど、会員の人はいい人たちだが「ウダンまで行って何やるの〜?」ってのが本音、連帯感ゼロのまた「人間失格」。つらいなー。

はい、この話はこれにて打ち切り。 新たな年へ!

2021年12月21日火曜日

キーファー、なんかわからんけど凄かった〜

「タイトル以上に何も言うことありません」というのが実のところ。現在補修工事中のグランパレに変わる、エッフェル塔からの伸びる芝生の広場のシャン・ドゥ・マルスの端に作られた「仮設グランパレ」(仮設と言ってもおフランス、バラックではありません)に入ったら、わざと光を落とした薄明かりの会場に高さ10mを超える作品が下の写真の如くバンバ〜ンとそびえ立っていて、本当になんだかわからんけど圧倒的。今回の展覧会は第二次大戦後ドイツ語圏の詩人で最も重要とされる Paul Celan(パウル・ツェラン)に捧げられたもの。私そんな詩人聞いたことないのですが〜。だからキーファー衒学的と揶揄したくなるのだがちゃんと日本語ウィキにもありました *。やっぱり「難解」らしい😓 絵に書いてあるドイツ語はもちろんわからないし、前述の如く会場は薄暗かったので老眼の私にはパンフレットの小さな文字もお手上げ、いつもは文章が多いことを誇っている(?)私のブログですが、キーファーのことは昔書いたことあるし(参考掲載)で、今日は悩まずよくある美術ブログに並び写真のみで退散致します。
 
* 注:参考掲載の以前の画廊でのテーマの作家は日本語ウィキになかったので
 

  

 
 Ich Trink Weinだけはわかるが、、、

 
 

下の二枚は細部
鉱物、植物、それに液体感ある固まったニスみたいなものとかがグッチャグッチャ。ほんとにもー!
今日は間違えて精度の高い画像を入れてしまったので写真をクリックしてもらうとかなり細部がクリアに見えます
 


 
 
入り口から見えた横長の巨大な絵の裏は
こんな備品置き場みたいな展示(これも作品なのか〜???)
 




 
 
Anselm Kiefer "Pour Paul Celan" 1月11日まで Grand Palais Éphémère サイト
 
こんな巨大絵画の展示、大画廊でもできないし美術館でも??? 一つのモニュメンタルなインスタレーションとしてだけでも見る価値あり。本当にもー、無茶苦茶しやがってー! ここまでやられると私の得意の「嫉妬」も感じない。脱帽

(なんか書けること見つかったらまた追記いたします)
 

2021年11月22日月曜日

素朴なアール・ブリュット

アール・ブリュットまたはアウトサイダー・アートは元来「美術教育を受けず孤立・独学で制作された作品」で、以前は素朴なもの(or/and 脅迫概念的なもの)が多かったのだけど、最近あまり素朴じゃないんだよな〜。
 
この数年来世界中で大流行、日本語でもアール・ブリュットArt Brutで通じるようになったみたいだが、instagramの投稿見ていたら日本の展覧会のポスターで堂々と大きな文字でRとLが間違えられていて、まさしく素朴な大ミスで「あっぱれ、あっぱれ」だったけど、それに反して最近紹介される作品というと、例えば筆跡の繰り返しとかすごく現代アートぽい表現が多くて私は恐れ入ってしまう。キューレーターの人が「現代アートの眼」で作家を掘り出してくるのと、作家の中にも精神を病んだ元美大生とかがいて、範疇が広がったのは良いが嘗てのような「素っ頓狂で楽しくなるナイーヴさ」がなくなったような、、、。

「天空を歩く自然」(1974)
そんな昔のなつかしいアール・ブリュット絵画展がポンピドーセンターの正面にあるセルビア文化センターで開かれている(と思って友達に勧めたらもう終わっていたことが発覚。だから「開かれていた」。それを知る前に書き出してしまったので書き終えます)

2013年にもここではアウトサイダー・アートの展覧会があってこんな記事を書いている。Sava Sekulicはその時に特に目の止まった作家だったが、今回は彼の個展。8年前よりもセルビア・センターも「進化(?)」して前回の何段重ねの展示はやめて横一列、かつ入口ホール、地下そして2階のイベント用ホールの3フロアにわたる充実した展示で、説明やビデオもある。でも気になる「作家の生い立ち」の説明は乏しく、何故かまたもらったカタログ(今回は昔より分厚くて立派)を引用すると:

1902年に現クロアチアで当時オーストリア=ハンガリー帝国領内だった田舎の貧村に生まれ、10歳の時に父親を亡くし、母親が再婚して隣村に行った時に取り残された(その頃の地方の風習だったらしい。その後誰に育てられたかは?)。15歳で同帝国に徴兵されて第一次大戦で前線に出され負傷、片目を失明。17歳で故郷を去り季節労働などをして各地を転々とし1943年にベルグラードで左官の仕事をして暮らすようになる。その前から想像力の発露の方法を探していたが絵を本格的に始め、62年に引退して以降それに専心する。69年までは芸術界とはほぼ隔絶した生活をしていたが、その後見出され70年代には名が知られるようになり、1989年に亡くなった。

「異なった私から出てくるもの」(1960)
彼の不遇さはその頃のバルカン地方の田舎の住人にとってはそれほど特別ではないものだったかもしれないが、芸術的確信を早くから持ち、周囲の無理解、不気味がられて絵を破られたりする嫌がらせに悩まされながらも信念を折らなかった。

彼はCCCとサインするのだが最初のふたつのCは名前の頭文字(セルビア語ではC=S)で最後のCは独学という単語の頭文字、つまり独学サーヴァ・セクニクでそれを自負していたようだ。実際彼は美術学校どころか「学校」というものに行ったことがなく、読み書きも岩に文字を彫って自分で覚えた。絵に関しては彼曰く「先生は自然のみ。他のものは自分の持っているものをダメにする」。

 

 

「赤鹿シティー」(1948)

「母乳源」(1960)

こういうのって私考えても出てこないから楽しいよなー。僕もお乳吸いたくなりますよ♫

 

参考投稿

- 今は亡きボルタンスキーの語った(2011)、アール・ブリュット「アートのユートピア

2021年11月14日日曜日

オキーフの絵の不思議

この人は一体何を描いているのだ!? 

風景が描かれているが風景ではない。花が描かれているが花ではない。これが現在ポンピドーセンターで開催されているジョージア・オキーフ Georgia O'Keefe(美術解説)を見たときの感想。

私はオキーフに関心を持っていなかった。彼女の絵は時々美術館で見たことはあるが、普通は花の巨大ズームアップ、動物の骨と風景とか「彼女のスタイル」とされている作品が1、2点ぐらいあるだけで「エロティシズム」と「死生観」で括って「はいおしまい」にしていた。その二つは彼女の一貫したテーマとしても、彼女の絵はもっと幅広い、「モノ」に宿る生命あるいは霊を醸し出している。私が特にそれを感じたのはニューメキシコの風景。私は行ったことがないのでわからないが、映画や写真で見るニューメキシコはカラっカラに乾燥した砂漠で白黒写真であってもメリハリの効いた色彩を感じさせるのだが、彼女の絵の風景は日本の油絵作家の風景にあるようなねっとりとした温帯感があり、乳白が混ざったような色調で組み合わされている。色彩だけではなく形態も明らかに彼女の意図に沿うように変容され、侵食された粉っぽい岩肌は大地のまさに「皮膚」となる。

しかし形態の類似性が重要なのではない。風景だが風景ではなく、花だが花ではないというのは単なる伝達説明手段ではなくなった「絵画」としてはあたりまえのことだが、描かれている「もの」の存在よりも「何か」が先駆けて見るものに迫って来るのは、例えばロマン派のフリードリッヒの風景画のように、そうしばしばあるわけではない。そのテーマの「何か」には地神、物神に似た日本的なところも大いに感じる。

実際オキーフは日本に惹かれていたらしい(後述のビデオで知った)。今回は回顧展なので彼女の「典型的」な作品のみならず、もっと幅広く、アール・デコ風にデザイン的な都会風景や抽象的作品も展示されていたが、装飾的でピュアーにスキッと処理されていて、これに彼女の自然観が加わり日本画的なところもある(特に滝の絵なんてそうでした)。こうしてテーマの類似性にかかわらず、ヨーロッパのアールブリュットぽい情念的なスピリチュアリズム絵画とは一線も二線も画する絵が誕生した。

 

私はこの展覧会に圧倒されて、オキーフをもう少し知らねばと簡易カタログを買ったのだが、これは会場の壁にあった解説と絵の写真だけでできているという超安易なもので、かつ印刷の色彩もよくないしで何も得るところがなくびっくりした。仕方がないからググって見たらその同じポンピドーセンターが作った展覧会紹介ビデオが意外にちゃんとしていて、、、。(というのも春に開催された同センターのマチス展のビデオが酷くて:派手な眼鏡をかけて横縞シャツを着てポケットに手突っ込んで絵の前を闊歩する女性キューレーターをカメラがフォローし、絵はまともに見れない。私は頭に来てYouTubeにダメマークをクリックしたほどの代物だったのだが、それはさておき、) 

実際の会場は陳列室から陳列室に順に回るというのではなく、会場全体が大きなフロアーになっていて好きなようにみられるが、その一方で私のようにオキーフをよく知らなかった者には混乱を招くところがあった。それに対しビデオは時代順なのでよくわかった(笑) 色も簡易カタログよりよっぽどいいし(展覧会で絵、解説の全てをスマホで撮っている人があるが、昔簡易カタログ買って懲りた人たちなのかな?) 

これは晩年の作。塩の砂漠だと思っていたら「雲の上の空」だった

 

これがためになる(なった)展覧会紹介ビデオ


 

蛇足ながらあえて書くと、この展覧会にこんなに感じ入ったのはおそらく最近の大きな海水ドローイングで私が探しているものがオキーフの絵に近いものがあると思ったから。右はベリル島で描いた風景ですがいかがでしょうか?

ベリルのことはこちら


 

オキーフの回顧展は12月6日まで (美術館サイト)

 



2021年10月26日火曜日

美は細部にあらず?(ホックニーとハースト)

「美は細部にあらず」、印象派や新印象派の点描を引き合いに出さずとも、そんなことあったりまえじゃない? だがそれを今更声高に唱えている(ように思われる)のは、デヴィッド・ホックニー(David Hockney)とダミアン・ハースト(Damien Hirst)。共通点は二人とも超有名アーティスト、イギリス人、かつ今ロックダウン中に生まれた巨大なシリーズ作品を展示中! (ロックダウンは作家にとって悪くなかった:ご存知のように私も(笑)) ホックニーはフランスのノルマンディー地方でイギリスに帰れなくなり(?)、一年の四季の移ろいをiPadを使ってドローイング。バイユー(Bayeux)で見た70m近い歴史絵巻タピストリー(ウィキ)に影響されて帯状にプリントした作品をオランジェリ美術館で展示している。細部はドットであったり、アプリのお仕着せのブラシ効果であったり。

ホックニーの花咲く木の細部

一方ハーストは満開の桜を2〜3mある巨大なキャンバスに描くが、細部(花)は絵具をべたべたとくっつけた感じ。アシスタントが来れなくなったロックダウン中にこつこつと「自分で」107作も描いたとか。その30点をカルチエ財団で展示中。遠方から見ると迫力あって「綺麗!」ってことになり、今までスキャンダル派だったのに「ダミアン君どうしたの?」と怪訝に思ってしまう。だが先に書いた印象派とかゴッホ、あるいは近年流行のアール・ブリュットやアクションペインティング、そしてかつ色彩サンプルみたいな自らが数十年前に描いたスポット・ペインティングなどを思い起こさせて「絵画史を総括する」と評論家に持ち上げさせる上手い手管で万人受け(?:fbでもたくさん投稿があった)。私ダミアン・ハースト、そんなに大嫌いじゃないんですよ、アイデアマンだし、昔見たハエをいっぱいくっつけた微妙の光沢のあるブラックな作品など不思議に美しくて。だから「今更なんで?」の疑問が解けるかと財団でもらったパンフレットをひもとくと、彼の作品回顧みたいになっているのだが最後の方に某評論家との対談があって、もちろん満開の桜は「かりそめの美しさ」という日本の自然観を背景にしているのだが、評論家が「今ここカリチエ財団に作品が集っているが、展覧会が終わると世界の美術館や財団に買われチリチリバラバラになる。本当に咲き誇る桜の花のようにかりそめの姿ですね〜」それにダミアン君「ほんとだねー」と同意。

ハーストの花咲く木の細部

展覧会をしても大多数が出戻りで戻ってくるアーティストの私としては腹たつなー。ただの僻みかもしれないけど気分悪いよ。今までの彼の作品はそれこそ保存性が危ういものや一般人の理解が得られないものがほとんどなので、この桜の大作を世界にばらまいて後世に名を残すつもりなのかなーと我が僻みもリミット超えました。かつこんな華やかな絵ができた一つの理由は「恋してる」からだそうで、、、ばかばかしい(また僻み)。

お二人の作品は明らかに大きさで勝負。もちろんホックニーは彼らしい色彩感と構成力はあるから、ただの凡人が描いたのとは違うがただのイラスト、この程度のもので美術館の回廊を何十メートルも使わせてもらえるのは「ホックニー」だから。ダミアン・ハーストもこれが無名の作家で「投資対象」になかったら「何処で展覧会できたかな〜」という代物ではないか? 良い展覧会をみると「僕も頑張らねば」と気分がしゃんとするのだが、この二つは見てやる気なくなった〜。あれだけの壁つかってみたいよ〜!

僻みに僻んで意固地になっているように思われるでしょ? 実際最近の私は「海水ドローイング」で細部のデリケートなマチエールにこだわる作品を作ってますからねー。考えてみると一見乱暴に見える抽象画の作家の方が意外に細部にこだわっていて、具象画の方が「こんなもんでいいよ」って感じかもしれない(でも我が尊敬するボナールは展覧会場でも筆を入れていたという逸話もあるが)。「美は細部にあらず」、しかし細部に支えられない全体は薄っぺらなものでしかないと思う。かつ本当の花々の細やかさをここまで雑に扱ってもらうと自然をバカにしてっるのかって思ってしまうがどうでしょう。

ところで便利な情報:コロナ下、オランジェリ美術館は予約していかねばならない。時間帯は30分おきで私の予約は「今日はホックニーだけで」と閉館1時間前の5時にした。その20分前に着いてしまったのだが早めには入れてくれない。係員によると5時予約の場合は5時から5時半までが入場時間だそうで、確かに彼女は5時直前に待っている人に向かって「4時半予約の人はいませんか?」と念を入れた。つまり5時に入りたいなら4時半に予約を入れてゆったりくればよかったということになる。これは皆さん知っていた方がいいですね(多分フランスの国立美術館は同じ基準だと思う)。

何が描いてあるのかさっぱりわからないスーチンの絵の細部

ホックニーがあっという間に見終えたので、同美術館で開催中の「スーチンデ・クーニング」という企画展* も見ることになった。これは「こじ付けの組み合わせ」に思えて行く気がなかったのだが、「デ・クーニングが1950年にニューヨークMoMAでスーチン展を見て大いに影響を受けた」ということを骨子としているだけあって、スーチンの絵はオランジェリの常設品のたらい回しでなく、ピレネーの山村のうねり狂う風景画などのとても良い作品がアメリカから幾つも来ていて見応えがあった。これまたアメリカから来ているデ・クーニングの作品も悪くない。お二人がどれほど細部にこだわったかは分からないが、ピクセルや絵具のべたのせとは細部のパワーが違う。「美は細部にあらず」、でも細部を侮ってもらっては困る。

 

以下それでも見たい人へ

 ホックニー「ノルマンディーでの一年」展

オランジェリ美術館、2月14日まで(美術館サイト)

*「スーチンとデ・クーニング」展は1月10日まで(美術館サイト)

 

ダミアン・ハースト「開花する桜」展
カルチエ財団、1月2日まで(財団サイト) 

 

追記: カルチエは7月のオープニングに行ってあきれて完全無視のつもりだったのが、ホックニーのお陰でテーマができて書く気になりました(笑)

 

僻んでばかりいないで最後に一つの提案:1日何千人もの訪問者のいるオランジェリーのような国立美術館はせめて5メートルでも美術館は展示作品のクオリティーに責任をとらない「キューレーション外」ウォールとして現代アートのメインストリーム外でこつこつと仕事をしている「無名作家」の作品を1週間ごとに一人展示するというのはどうだろう(広報不要)。こうして作品を数万人の人に見てもらうことができたならもうこれで人生思い残すことないのですが(やっぱり僻みかな?)

2021年10月5日火曜日

クリストの凱旋門

朝一にニュースラジオを聞くと役に立つことがある。先々週の日曜は「パリは No Car Day です」。びっくりして早速友達に電話をかけた。地方の展覧会に車で連れて行ってもらうのにわざわざ迎えにきてもらうことになっていたからだ。当然彼はそれを知らず、お陰でパリのゲートで足止めを食らうことなく済んだ。そしてこの日曜は「クリストの凱旋門のラッピングの最終日です」

朝から雨、風で斜めぶり。午後には上がるそうだが、まあどんなか想像つくし(実は私は1985年のパリ、ポン・ヌフのラッピングを見ている:その頃は近くのアトリエに通っていたのでほぼ毎日見ていた)行かなくてもいいかという感じだったのだが、日本のファンクラブ代表Mさんに「是非歴史的瞬間を目撃して記録を残して下さい^ ^(ブログ記事希望)」なんてメールもらって、「う〜ん」。あまり気乗りがしなかったのは天候以外の理由もあるのだが、それは後回しにして、、、* 

 フェースブックで色々な人が掲載する写真でもう見た気になっていたが、それらを参考にして「まあ行くなら夕方だろうな」と思いつつ、昼寝(最近過労気味で)をしたら夕方以外のオプションはなくなっていた(笑)

「日没は7時半過ぎ、夕日が当たるには凱旋門広場の一つ向こうの駅までメトロに行って」というプランニングで駅からシャンゼリゼの反対の大通りにでて、凱旋門を見ると、

 おお〜!!! 赤富士でも見るような雄大さあり、かつ布のひだは夕暮れの光に微妙にゆらぐ影を醸し、、、スレっかしの私の心もなんと一挙に高揚ときめきました(笑)

凱旋門は形がシンプルだからラッピングもシンプルで、50mの高さからストっと布の落ちる感じが清々しい。それにぐるっと簡単に回れるロケーションも良いな〜(さすがパリと少々見直す)。と思いつつ回っているうちに日が暮れて、急にライティングがついた時の群衆のどよめき、そして「メルシー、クリスト」のコールと拍手が起きた。後述するような批判も聞いたが、なんだかんだと言ってこれだけ人を集めて(思ったほどの人出ではなかったが、メディアによると総数80万人が訪れた)一部に感動の声を上げさせるのは半端じゃない。




 説明員(?)と少し話したら四角い端切れをくれた(こんな憎いサービスはクリスト企画、場数を踏んだだけのことはある。 85年には説明員はいても布地はもらわなかった)。ご覧のように実物で見るよりシルバーでピカピカ、つまり本物は汚れていた?(笑)というより空の色を映していたのだろう。裏側が青いのは〜?、多分これが視覚に仕掛けた隠し味なのかもなーと想像。つまり写真ではわからないスケール感のみならずその時その場で現物を見ないとわからない空気の漂い、臨場感がある。ランドアートの面目躍如たるものがあった** 

 

 
 

* 以降長くなるが先述のあまり気乗りがしなかった理由:

その一つは1回目と2回目のロックダウンの間にポンピドーセンターで「クリストとジャン=クロード展」てのがあったが 、作品のほとんどはパリの美術館の常設で見られるもの、あとはポンヌフで使われたロープ、布などの機材とかで全然面白くなくて、その中でフルっていたのがエディト・ピアフの「バラ色の人生」で始まり、ジャン=クロードとのラブエピソードが散りばめられた「何だこれっ」って思ってしまう「パリのクリスト」という映画。これはポンヌフのラッピングに至る前の経過のドキュメントなのだが、見た後の感想(面白いのでほぼ1時間のをちゃんと見た)は、クリストの最高の手腕はジャン=クロードをせしめたことではないか? 何たってジャン=クロードの義父は元軍人で高等技術学院の校長で政治・経済界にもすごく顔が利き、ジャン=クロードと結婚していなかったらシラク(当時パリ市長)と面談とか、シラクがダメだからジャック・ラング(当時文化大臣)に助けを求めるなんてことはあり得なかったのでは? 下種の勘繰り、クリストを直に知っているというアーティストのSさんに打診したところ「純愛だったらしいよ」って答えで「ほんとかよ〜!」(失笑) まあ真偽はともかくクリストは政治経済界に太いパイプが引け、ジャン=クロードは階級相応のブルジョワ生活では味わえない「芸術的アドヴェンチャー」に加担することになり二人とも幸せな人生を送ることになったのだ(実際彼女はそのため離婚した)。

ルーマニアから来た貧しきクリストがジャン=クロードの両親に出会ったのは肖像画家として。彼デッサン上手いからね。その得意のデッサンで企画案をドローイングして売り、ラッピング企画自体は自己資金で賄うという新しいアートの経済モデルを打ち立てた。今では経営者みたいな現代アーティストが多いがクリストはその元祖だ(これだけで美術史に残るかも)。この面をアピールしすぎたからかその批判もあって、クリストの凱旋門は自己融資で国民に資金負担はないというけれど、実際にはドローイングを買った企業はメセナとしての免税を受けるからその巨額な免税額を国が埋め合わせるためには結局その分は国(結局は国民)の負担となるというのだ。それはそうだがこれはクリストの責任というより企業メセナ免税制度が問題。私もいつも疑問に思っているのだが、このメセナ制度は当然買う作品が高額の時に効果がある。坂田英三の2000€のドローイングを買っても企業として免税したい額とは桁が違うからこの制度の利用する意味はない。つまり有名アーティストか有名画廊の推薦する作家の高額の作品しか問題にならず、これには値段が高ければ高いほど便利。こうして免税対策として買った作品は投機の対象にもなってまた利鞘を稼ぐ。これはどう見ても「金転がし」の専門家が作った濡れ手に粟のシステムなのだ(これは私見です:美術界に貢献しているからかここまではっきり弾劾した意見は聞いたことがないので)。

まあともかく私は全くの美術作家としての経営能力がないので感嘆するしかないのだが、先週ジャックマール・アンドレ美術館のボッティチェリ展(この種の展覧会ではルーブルであったダヴィンチ展(過去の投稿)のようにボッティチェリの同時代作家とかが半数以上占めることがよくあるのに対し、これは本当にボッティチェリ展だった!だから推薦します)を見たついでにシャンゼリゼから比較的近い画廊街を通ったらクリストのドローイングだらけになっていてその商売っ気にうんざりして、凱旋門まで足が向かなくなった。

 

** ランドアート的には、クリストの作品は「風景を変える」ということに重点を置いて説明されることが多く、それには私は「ふーん」という感じでほぼ関心がわかないのだが、「売り物」の企画ドローイングの美しさと、初期の小さな「モノ」の梱包作品から見ても、今回の凱旋門にしても彼は大いに審美的で、そういうコンセプトよりオブジェとしてのラップされた物体性(環境も入れて)、その魅力に興味があるのではと私は思う。

 

後記:クリストの凱旋門なんて私が書くほどのことはないほどググれば沢山出てきますねー:例えば美術手帖とかCasa Brutasとか。独断と偏見のない一般的なことを知りたい方はリンクをご参考に:私は「一般」に影響されないように当然この投稿を先に書いてから読みましたが、どう見たって私のブログの方が参考になると思うけどな〜(笑)

 

いつものとおり「こんなものにお金かけるよりもっと有用なことに使え」という人は常にいて、正しい側面もあるが、人パンのみに生きず+タデ食う虫は好き好きというのも真実。こういう人はロックダウン中アートがなくなって清々していたのかな? 

 

礼拝する回教徒にあらず。綺麗な写真を撮ろうと。。。

 
これは上述の純愛映画

 

2021年9月24日金曜日

残された映画

本当は反時計方向90度回転
「夏はどうだった?」ときかれて「Belle-Ileに行ってきた」と言うのだけど、それは8月末。7、8月の大半は何をしていたのかと首を傾げてしまうが、考えてみると昨年秋に亡くなった岩名さんへの罪償い(?)で翻訳の大仕事をした。償いというのは銀座のフォルム画廊での個展で「芋虫」(右写真)を買ってもらいながら、1/22の投稿に書いたようにアトリエに保管したままにして生前にほとんど楽しんでもらえなかったという後ろめたさがあるからだ *

岩名さん(岩名雅記)は舞踏家なのだが晩年「パッション」であった映画を自主制作し出し、この夏前その長編映画全4作品が日本国立映画アーカイブの申し出により永久保存とされ、アーカイブで企画された「逝ける映画人を偲んで 2019-2020」に最後の完成作品「シャルロット・すさび」が選ばれるという、「なんで生前にそうならなかったの」と思う嬉しくもあり残念でもある大ニュースがあったのだが、彼は亡くなる前の2019年に長編の新作「ニオンのオルゴール」を撮影を初めていて、日本ロケは終え、昨年春にヨーロッパ部分の撮影の予定だった。だがコロナのために果たせず、そして昨年秋に急死してしまった。
こうしたなか奥さんやスタッフの努力で、プロデューサーがついてヨーロッパ撮影をして映画を完成させられるかもしれないという話が出てきて、日本語シナリオの仏訳が必要になったのだ **
 
シナリオの内容は明かせないが、今までに比べて一番「普通のストーリー」で、その意味訳しやすかったかな。そのため島に出る前にほぼ完成はしていたが、天気が悪い時はその仕上げをしてと思っていたらあら不思議、私の滞在中は島の気象観測史上の記録を破る好天気。だから結局先週やっとやり終えた(ホっ)
 
そして今は「ドラ・マールの家」の展覧会の作品撤去のためのTGVの車中。南仏行きTGVは他の路線に比べて一番景色が良い。晴天でブルゴーニュの田舎には朝の霞がうっすりとたなびいている。天気予報では今日明日のメネルブの最高気温は28度、最後の夏が楽しめそうだ。最近ついてるな〜(実際岩名さんのシナリオと格闘中の7、8月は概して天気が悪かったのだ)
 
 
 
* 注1:私のドローイングは10年ぐらい壁にかけて楽しんでもらえば元が取れるという想定で値段設定がされているのです(笑)

** 注2 :勿論私は「正しいフランス語」は書けないから岩名さんのお友達のフランス人女性に
これまたボランティアで校正してもらっています
 
 
 
 

 

2021年9月8日水曜日

美しき島の私

またアーティスト・レジデンスにでかけた。今回は「ドラ・マールの家」のように後ろ盾に財団のあるような”立派”なものではなく、夫婦が引退後田舎の家の家の別館にアーティストを招くという完全な個人ベースのもので、私としては初めて交通費も滞在費も自腹を切った。といっても別館(寝室、居間、台所)を一人で使って一泊15€:ベル・イル(Belle-Ile おフランスではリエゾン(?)して「ベリル」と発音される)という知名度の通ったバカンスの島での一般の宿泊費と比べるとタダみたいなもの♪ 「ドラ・マールの家」は本来招かれている外国からの作家が来れないという理由からの裏口入学だったが、今回は正面玄関からで(笑)、滞在プログラムは昨年12月から決まっていて、滞在2週間全日晴天で海水浴できるほど暖かいというのはひとえに日頃の品行方正さゆえではないかと思う。(ちなみにこのレジデンスはHors Saison=シーズンオフといって7ー8月の完璧なバカンスシーズンはやっていない)*

Belle-Ile 訳せば「美しい島」、いつ頃名付けられたか知らないが、自信満々の命名で、現在の住民も「我が島」の評価には自信満々。その美しさの噂は聞きながら、バカンスで行けるような身分でない。だから昨年このアーティスト・レジデンスをサイトで知ったとき、ちょうど Covidの再ロックダウンとかの欲求不満も手伝って赤字覚悟を承知で申し込んだ(かつ何度も言うように仏政府の「ロックダウンの被害にあったアーティストへの収入援助」で去年はいつになく安定収入があったのでへっちゃらのチャラ。 僕が「あれ〜、こんなのあったの」と募集情報を見て思ったのは当然、今年が初年で、私は初めての美術家。ホストの旦那さんはフォークが好きでミュージシャンを主体にセレクト、サロンにピアノもギター機器もあるが、画家用のアトリエはない。応募した時はすぐにその場のインスピレーションでの新しい作品をスタートすることなど無理なのはわかり切っているので、島歩きをして気に入ったところの海水を採取できれば十分、作品はパリでという計画だった(これで許可してもらえた)が、地元の画家がアルシュの大判のアートペーパーをくれるという”アクシデント”があって「一つぐらい挑戦した方がいいかな〜」というプレッシャーがかかり、ちょっと苦労。「海水ドローイング」、要るのは墨と海水のみで超簡単に思われるが、紙を板にピンと張らねばならないし、紙質は違うし、温度・湿度が大影響を及ぼしすで、朝夕は湿度が高く午後はかんかん照りという状況で野外制作(墨がこぼれても構わないというアトリエスペースがないので 。紙を張った板も実はテラス用食卓テーブル)、これでは日頃のドローイングプロセス通りではうまくいかないのはわかり切っていて新たな対応に迫られたのだった。この条件下10日間滞在で大作一枚見せられる作品ができたなんて我ながらよく頑張った。フェースブック見て毎日ホビーの水彩画を描いていると思う人にはこういう苦労わかってもらえないかもしれないけど、ホビーは風景見て何も考えずにスケッチして「はい終わり」だが、「ホビー外」となると始終考えることがあって、実際に筆を手にしたのはスケッチより短いかもしれないけど「生みの苦労」本当に大変なんです。(それなりにうまく行った時の満足度は大きい)。まあホビーの方が人気あるけどね(笑)

「ドラマールの家」ではパリのロックダウンの所為で1ヶ月間延長してもらったが、「海水墨画」を描き出したからか今回はホストの方からもう少しいればという提案があり、天気予報が異常に良いので、一人暮らしするホストの義理の兄弟宅で3日間滞在延長、彼が大の料理好きということがあって買い物・料理の心配からも解放され完璧にバカンスさせてもらった。でも「牛ちゃん」を出した例のパリの展示を片付けねばならないので(他の人は今日した)、バカンスはこれで終わりで〜す:「本当のバカンス」は3日だけですのでくれぐれもお間違えなく。

 以上TGVのwifiを使って書いたのですがFBとの写真とのリンクがうまくいかなかった。置いておくとその気がなくなってしまうので今晩はこのまま投稿します 。私のFBページはアカウントなくても見られますのでよろしく

 

 * Hors Saisonに関してはこちら(ミュージシャン、文筆家などもOKですよ) 

 

これは島に二つある大観光スポットの一つ、モネが描いた岩壁です。「ホビーの水彩」で挑戦しようと思ったけど観光客が多くて気が失せました(写真の下の浜辺は誰もいないけど崖を下らないとアクセスできない)


<以下は翌日9/9の追記>

 
これはfbで一番人気の「趣味の水彩」  (人気は多分最初の投稿だったからか?)

 

 

これは人気ないけど自分では好き:腹が減って途中でやめたのが良かった

 

 

これが「趣味外」の現地制作海水ドローイング。温度湿度の激しい変化のために紙のテーピングが破れ、朝の湿度で大部分の結晶が消滅したけど、、、> 自分の感じた島の海岸の印象です

 
これが先の写真の場所のモネの絵


2021年8月20日金曜日

遂にバカになったエイゾウ

 なんだか変だ=全くブログが更新できなくなってしまった。ご心配なく、健康の方はまあまあいつものとおり。今までだと日本からの便りに「近況はブログの通り」なんて不躾に書いたものだったのだが、ほんとうにどうしたものか?

勿論5、6月に書いた南仏リュベロン(メネルブの「ドラ・マールの家」)の滞在が素晴らしすぎたのでその反動もあるのだが〜、えーとこの7月以来何をしたか??? 

例えばロックダウン中に終わる予定だった展覧会が延期されていたので幾つか見たが、当然のことながらほぼ最終日に見ていたので、もう一つ紹介する気がしないでしょ。私個人の展覧会(グループ展)もあったのだが、「超急仕立て」だったとはいえ、企画運営がちぐはぐで、、、。急遽アトリエの壁にかかっていた作品を持って行き、結局今まで日の目を見ないでいる「バカ」をやって(バカ⇄Vaca⇄スペイン語で「牛」)*、多少鬱憤を晴らしたが、そのこともブログには書かずじまい:今ここの書きます、というか実際はパリの知り合い向けに宣伝を兼ねてfbに載せたりしたほうがいいのでそれで完結してしまった(一応こうした自己努力とパリの親族の協力でそれなりに見に来る人を集められた😊)。

こんな光と眼のなかのハエ、やる気しないっすよ
そのほかこの7-8月のパリは概して曇天で寒く、また我がアトリエは建物の外壁工事のために櫓が組まれ、それでも少ない陽光が遮られ、差し込む光は写真のごとく草間弥生。本当ならば湿度が低く比較的高温の初夏は「海水ドローイング」の絶好のシーズンなので毎年大作に挑むことになっていたのだが、情けなや、結局絵筆も折れた〜。

でも眼のこともあったな〜 :突然黒い大きな斑点が視界の左30度あたりに入るようになり救急眼科に行った。検査の結果は私が心配した網膜剥離ではなく、何の剥離だったかしらん、眼球を見る機器ではっきり見えたそうだが、医師「これは一種の新陳代謝でだんだん消えていきますから。ナーヴァスにならないように真っ白なものなんかあまり見ない方がいいですね」「毎日白い紙で仕事するんですが〜」「あらら、仕方ないわね〜」とあまり同情された感じもなく、「よくならなかったらまたいらっしゃい♫」てな具合。1ヶ月以上経って斑点は以前より薄くなっているけど相変わらずフランス語で「ハエが飛ぶ」という現象で架空のハエを追い払ってしまうこともある。

それからしばしば船の模型を使ったインスタレーションを作ることになっていて、案を発表した時に大勢の人が賛同し、人を巻き込んだグループ企画となり、私はそのキーに当たる、ほぼ「零エネルギーで動く船」を作らねばならないのだが、できない(自分の制作加工技術的にも理論的にも)。絶対締め切りまでに作り得ないの知りつつ毎日頑張っているフリをしていたのだが、今朝は「お前はできないことがわかっていたのになぜもっと早く『できない』と言わなかったのだ」と同僚に怒られ、、、:これ連続モノの夢です。何のことかなー?(現実世界での I さんのための引き受けざる得ない因果の大量翻訳も一応型はついているし、、、このボランティア仕事も自分の制作に集中できない原因の一つではあったが)

ははー、やっぱり全体に低調ですかな〜? しかし何でも今日はこれをすると決めないとできませんねー。久しぶりに今朝は「書く」と決心しました(笑)

 

* バカのことの参考投稿

昨年10月13日26日11月4日

その後「牛太郎」が登場する筈だったグループ展は、私の理解できなかったことには5/7に1行書いたようにロックダウンにもかかわらず5月に開催され、かつ「牛太郎」は展示スペース不足ということで飾られもしなかった(どうせパーフォーマンスできなかったからどうでもいいけど)


 

2021年6月24日木曜日

冷や汗ものだったドラ・マールの家での展示会 Exposition à la Maison Dora Maar

Note : Le texte français se trouve en bas 

ハッピーにもまたドラ・マールの家へ! 前回の制作滞在 * に続き、今度は展覧会!!!

ドラ・マール(Dora Maar)の家は通常は公開されていないので一般旅行者は通りにある説明パネルを読むのみだったのだが、「お家の事情」もいろいろありドラ・マール関係の本や物産(?)を売るショップとともにギャラリースペースをオープンすることとなった。そしてギャラリースペースのこけら落としとして3、4月に滞在したフィリップ君と私のドローイングの展示が開催される運びとなったのである。

そして今回の宿泊先は「ドラ・マールの家」ではなくてそれを買ってアーティストレジデンスを始めたテキサスの富豪ナンシー・ネグレ(Nancy B. Negley)の豪華な館。こんなところに寝られるにはもう残る人生で2度とないかも(少なくとも今まではなかった。。。☺)

 ハッピーハッピーにことが運んだように思えようが事実はなかなか大変なこともありましたよ〜。その一番は展示作業開始三日目の朝。一番塩の結晶が多く付着していたドローイングが写真のように玉の汗を出し、120x80cmサイズの二枚は回復不能。小さなドローイングでは2年前に梅雨の日本の展覧会から戻ったときに編み出した裏技(?)を利用してなんとか展示できる状態にしたが、これからどうなる??? 

塩分の量の多少はあるにしても被害を被ったのはしなやかなドイツ製版画用紙を利用していたもので、この紙自体の吸湿性の高さもその一因になっていることがわかったが、とは言えお先真っ暗。実際私は展示取りやめにするわけにはいかない、なんらかの形で何か展示せねばならないセッパ間際に追い込まれていたのだった。確かに火曜日は雷の来そうな重たい空気だったが、それ以上に展覧会スペースはギャラリースペースのために扉が作られたが今まではずーっと閉められたままの空間で、奥の自然な岩壁を掘り抜いた倉庫室は超高湿度、折角換気扇があるのに使っていなかった。その換気扇を動かし続けてもどうなることかと絶望していたが一晩動かしていると皮膚感覚でわかるほど空気が入れ替わり、木曜の朝は作品は無事発汗せずなんとかなりそうになり一安心したのだった。

今まで「死海の水」は超吸湿性に手を焼いたことがあったが、今回の版画ペーパーと害を受けたドローイングに使っていたテキサスの岩塩とのコンピネーションも湿度に対する感度が甚だ高いように思われ、これはまた研究(実験?)に値しそう。

展示会オープンは19日(土)にあり、バカンスシーズンを通し、9月25日まで開催予定。南仏リュベロン地方にお知り合いのある方は宣伝してください。 

 


*注 前回の制作滞在に関する投稿 

- Résumé de mon séjours à la Maison Dora Maar

 

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Texte français

Heureux d'être de retour chez Dora Maar ! 
A la suite de la dernière résidence de production, voici une exposition !
 
La Maison de Dora Maar n'est pas ouverte au public, les visiteurs doivent se contenter de lire que le panneau explicatif dans la rue. Et maintenant un espace galerie ainsi qu'une boutique des livres et des produits liés à Dora Maar sont ouverts. En guise de l'inauguration on a monté une exposition présentant les dessins de Philippe et les miens avec le texte d'introduction par Maxine, en fait nous trois y ont séjourné en avril.

Cette fois, nous n'avons pas séjourné dans la maison de Dora Maar, mais dans le luxueux hotel de Nancy B. Negley, une riche Texane qui a acquis et a lancé une résidence d'artistes à la Maison Dora Maar. 
D'autant plus ravi que je n'aurai plus jamais l'occasion de dormir dans un tel endroit ... ☺

On pourrait croire que tout s'est déroulé sans problèmes et dans la joie, mais la vérité est que ce fut une véritable crise ! La plus importante a eu lieu le matin du jour -3. Comme vous pouvez le voir sur la photo, les dessins sur lesquels se formaient le plus de cristaux de sel ont commencé à transpirer.  les deux dessins de 120x80cm ne sont plus récupérables. Pour le plus petit dessin, j'ai réussi à l'exposer en utilisant une technique secrète ( ?) que j'ai mise au point il y a deux ans, lorsque je suis revenu d'une exposition au Japon pendant la saison des pluies. Mais que va-t-il se passer maintenant ? 
 
Il s'est avéré que les dommages étaient dus d'une partie au papier allemand pour la gravure qui semble avoir la forte hydrophilie. Mais cette découverte se sert à rien, j'étais obligé d'exposer quelque chose d'une manière ou d'une autre. Il est vrai que l'air était lourd sous la menace des orages, mais plus encore, la galerie était restée fermée pendant longtemps jusqu'à ce jour, et la salle-hangar derrière creusée dans le mur de roche naturelle était hyper humide. De plus on n'avait pas fait marcher le ventilateur... Après une nuit de fonctionnement, l'air a été remplacé au point que je pouvais le sentir sur ma peau, et j'ai été soulagé de constater que les dessins ne pleuraient plus le jeudi matin.

J'ai déjà eu des problèmes avec la super hygroscopicité de l'eau de la Mer Morte", mais il semble que la combinaison de cette papier allemande et du sel gemme du Texas utilisé pour les dessin endommagés présente également une très grande sensibilité à l'humidité, et cela semble mériter une étude plus approfondie.

L'exposition a été inaugurée le samedi 19 juin et se poursuivra pendant les vacances jusqu'au 25 septembre. @ Maison Dora Maar - 84560 Ménerbes


2021年5月31日月曜日