自分の目では「大傑作」と思うが、欲しがる人はいないだろいうので安心して展覧会に飾っておける作品というのがある(笑)。「芋虫」はそんな作品の一つだった。一昨年の7月、ちょうど帰国していた、ノルマンディー地方在住の舞踏家にして映画監督の岩名雅記さんがぶらりと銀座のフォルム画廊に現れ、「これ買います」と言い出し、びっくりすると同様困った。というのも稼いだ金はすべて映画製作に当てている彼の生活を知る者にとっては恐縮するしかない話で、、、私の初の銀座での個展への景気付けという心遣いがあっただろうが、嫌いな絵を飾るような人ではないし、、、。
確かに床に這いのけぞるような「芋虫」は舞踏的かもしれないと思わないでもなかったが、実際には私は「岩名さんの舞踏」も舞踏全般もわかっているわけではなく、公演を見ても褒めたり褒めなかったり。自らの内面を抉り出すような「舞踏」のアトリエに参加したいなどとは到底思わないから逆に部外者として忌憚なく話せる間柄でもあった(ただしそれで一度怒られて1年ほど交際禁止の罰を食らったこともあるのだが)。
「困った」私は「岩名さんの家は湿気が多いからだめだよ」と振ってみたのだが(実際彼の田舎の旧農家の住居は本当に湿度が高い)、「練習場の建物に新しい部屋を作るから」とのことで、、、結局「商談」成立。でも「部屋ができるまでは預かっておくから」ということでその後1年間私のアトリエの壁に飾られていた。
Publiée par Eizo Sakata sur Jeudi 12 novembre 2020
1年ほど前から具合が少しおかしいと言いながらもそれまではネットで見た古い日本映画の論評を書いてFBに投稿したりして元気そうだった岩名さんが8月中旬急に入院。病院で肺周辺に溜まっていることがわかった水を抜いて少し楽になり、肺細胞には異常なしたとのことで私はそれはよかったと喜んでいたのだが、検査結果は胸膜中皮腫とよばれるごく稀な難病と判明。9月には退院したが、病に苛まれながら文字通り身体に鞭を打って舞踏論集の仕上げにかかられた。その中彼から「表紙に『芋虫』を使いたいのだが」との問い合わせを受け取った。ネガポジ反転と背表紙を境に「八の字」とする構成とするアイデアでなかなかの迫力で、勿論快諾。
その時も彼のもとにある「芋虫」は写真のファイルのみ。塩の結晶が輝くオリジナルを楽しんでもらえるよう持って行かねばと思いつつ も、コロナ高感染ゾーンのパリからお見舞いに行っていいものやら悪いのやら、しかし 夜間外出禁止令も10月17日から施行され、 コロナの雲行きも悪くなるばかり、そ の中Gさんに車のレンタルと運転を頼んで「芋虫」を持って伺うことにした。その時はまだ新しい部屋はできていなかったが奥さんとお友達たちの奮闘で数日後完成、結局11月11日にその部屋で 岩名さんは亡くなられた。
お葬式でその部屋に入ったら 「芋虫」のみならず 「身体が岩に閉じ込められた女性」の キャンバス画 も飾られていた。あれは2000年代かな? 岩名さんの初映画「朱霊たち」のお手伝いをしたのもその頃、映画の中に使われる「映画内映画」の大ポスターや顔が浮き出る洞窟の制作などを「仕事」として注文してもらったが、岩名氏は知るか知らぬか、あの頃は結構貧乏だったので有難くも助けられたものだ。完成後は役立たずの映画プロモーター業務も仰せつかった。
その前には1999年に岩名さんのワークショップの発表会でスタートしたばかりの Baisers Sans Frontières の「キス集め」 をさせてもらい (彼はというと「踊り」の最中に予め壁に貼ったキスカードにそそっと這うように近づきそのまま見事指定の枠内に唇を突き出した)、2002年には南仏での展覧会 のときに、思い通りに全然ならなかったインスタレーション「霧の温室」で踊りに来てもらった(植木屋さんの温室内に霧を立ち込ませ、その中に岩名さんが立ちすくんでいるという想定だったが、農園用スプリンクラーでは霧が作れないばかりが地面がベチェべちゃになるばかり。結局ドライアイスを使ったが霧の効果はさほどでなく、岩名さんは「ドライアイスがゴボゴボいう音が面白かった」と、、、。その後美術館等で霧や雲を作る作家が現れたが、高度な技術を駆使しているので私は「そうか〜」と感心するばかり(参考投稿) 。まあアイデアは悪くなかった(笑)。 あの時の公演は観衆が「舞踏」を見たことのない田舎町の人ばかりなのでか他の理由からか、岩名さんは裸のまま観客の中に倒れ込んだりして随分ワイルドだった。パリで時間のあるときは、 いつも客が少なくて心配になる クスクスレストランを ほぼ貸し切り状態 で駄洒落の応酬の馬鹿話、考えてみると長いお付き合いだった。鍛えられた身体の岩名さんと私、歳の差があっても死ぬのは同じぐらいであろうと私は思っていたのだが、、、
結局 冥途への旅立ちのお供をさせてもらうことになった 「芋虫」、それが表紙の上記「孤独なからだ」は近く出版される。「舞踏論集」ということだが、舞踏の創始者土方巽や大野一雄らの思い出、かつてのインタビュー、ワークショップでのメモなど 、我々一般 人が読める内容だ 。自分の「舞踏人生」のスクラップブックという態をなしており、これを最後に纏め得たというのは亡くなる予感があったのだろうか。
177ページ、50近くのエッセイが集められている。
私の好きな下のFBでリンクしたハンディキャップの生徒さんの話も入っている
2500円 + 税 + 郵送費
予約ご希望の方は wakamatsu@gmail.com まで
参考投稿 長篇映画を作るのは安くても2千万円はかかる。いくら昔からの夢でも現実問題となったら「そのお金でアパートでも買った方が、、、」と思ってしまうは私のような凡人。だからそれだけで私は岩名さんを尊敬、それで手伝いをはじめたのだが、昔からの映画ファンだけあって映像が繊細で美しい。最近こんな映画はめったにありません。 話は作者の妄想か荒唐無稽、または紋切り型で陳腐という面もあるかと思うと、シュールでかつ真に迫り不思議な感銘を受ける。だから「変な映画」。 一昨年の夏、彼の住むノルマンディーの旧農家は戦後の日本の町並みに変身、撮影スタッフには薄給で朝から晩までよく働く、とうていフランス人とは思えないような若者たちが集まった。そして俗に言うポルノシーンがあるにも関わらず春には文化庁からの助成金がおりた。撮影中には主演俳優が大怪我をし、その後プロデューサーがとんずらしたりという大ピンチを乗り越えた。試写を見ながらあらためてよく岩名さんはここまでに至らせたものと感慨の思いにひたった。
VIDEO
「朱霊たち」の予告編
私の描いたポスターも登場する
最後の映画(日本とヨーロッパを舞台にする3作目の長編)「シオンのオルゴール」は欧州撮影を昨年春に予定していたのだがコロナの所為不可能となり 未完成となってしまった。 残す家族のことは勿論だが、岩名さんには 逝くに逝き確しという心境だっただろう。 合掌。
でも繰り返しになるが彼はいい人生を過ごした。それが全てだと思う。私の人生は岩名さんのような気骨なしだが、どういう風の吹き回しか彼になら「英三さんの人生もそれほど悪くなかったよ」と言ってもらえるかもしれない気がする。それを目指して、岩名さん、もう少し浮世を漂いさせてもらいます。
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