2013年4月26日金曜日

飛行場から

休みのブログ、まだ搭乗に1時間もあるので飛行場から。
日本人には全く興味の話おだろうから書かなかったのだが、オランド(大統領)が不人気。戦後、任期1年も経たずにこれほど世論調査で支持率が低くなった大統領はいなかった(27%)。彼は「普通の大統領になる」と言って当選したが、豈図らんやまったく不甲斐ない意味で全く「普通でなく」なってしまった。銀行口座を隠した財務大臣に関して「知らなかった~」(!?)だけではなく、色々な面で政府の統制がとれず、フランス人が大統領に期待する指導性(超越性)がまったく発揮されず、今では「普通でない」異常な個人プレーで閣僚が泡を食っていたサルコジの方が人気があり、再選を期待する声も(冗談止めてほしい)。私は4年前から「とっちゃん坊やのオランド」と書いていたが(2007年5月)、今や大新聞が見出しでペペール(おひとよしおじさん)と呼ぶ始末。仏経団連の女性会長はTVインタビューで、「賢くないし、面白くもない人間」と、政治信念かつ彼女がもう会長職を退く立場だということを差し引いても「無茶苦茶言うな~」と驚いてしまう評価を下していた。
経済の立ち直りはできないし(これは当たり前で可哀想だが)、当選前は「緊縮だけでは経済が死ぬ。別の政策を欧州に提案する」と言っていたのが「現実は想像以上だった」と緊縮一点張り、逆に最近ではリベラル派の欧州委員長の方が「経済活性政策も」と昔のオランドの様なことを言い出して、、、「救う!」と溶鉱炉前で演説していた製鉄工場は閉鎖(これもはじめから無理なんだよなー、お金ないんだから)。少なくとも公約を実施するべき「同性結婚」法案は採択されたものの反対運動がますます広まり、、、(私は反対派がホモ=犯罪者のようなあまりにも人種差別的なことを言うので「賛成」になったのだが、世の中は私の逆みたいというか、、、その後差別発言どころか差別暴力なども起き、、、)、結局彼の「政治公明化策」とかもちゃんと書けると思ったけれど、いやはや本当に色々あって、考えがまとまらずこれで時間切れ、また今度の機会に?

(注:アップロードは後日になりました。その後いろいろなことが起っているでしょうが、投稿期日は書いた日として加筆いたしません)

2013年4月24日水曜日

「湯治年」- 休刊予告

旧ブログに書いたジンマシン、赤みがなくなってよくなっていると安心していたのだが、毎日の気温の急変の所為か結構むずむずする。蜘蛛に噛まれたにしては右左対称すぎるし、他の原因もありそうで、転地してみる意味があるかも。皮膚につける薬も買ったが、これは刺激的すぎる気がして、私はこの1ヶ月以上ひたすらアロエに頼り、葉を少しずつ切っていたらご覧のようにサボテン状態になってしまった。だから宣言したように「安息年」に続く「湯治年」プログラムを開始する。だからブログはちょっとお休みになるかもしれません。(温泉アートを考えながら、、、)

2013年4月22日月曜日

異なるヴィジョン

Caspar David Friedrich, « Haute Montagne », 1824

前回少し触れたが日本文化センターで、フランス語を直訳するすると「都市の挑戦」英語サブタイトルが「奮闘する都市(Struggling City)」という小さな展覧会が催されている。これは2年前に東京の森美術館で開かれた「メタボリズム 」という60年代にあった建築運動の美術展の一部抜粋焼き直し展ということ(去年、埴輪から絵巻物、近江絵という私が知らなかったものや若冲などの素晴らしい墨絵があった「笑い」展も森美術館で開催したものの焼き直しだったが、特別な関係があるのかなー?)。私は「メタボリズム 」なるものを知らなかったのでここで深入りはしないが、大規模な大都市構想とディナモの未来感には同時代(戦後からの復興)の背景もあり通じるものが多いにある。水曜の夜は磯崎新を迎えての座談会があるというのでG夫人に誘っていただが、磯崎氏は事情で来られず、そのかわり大学教授であり建築家であるアラン・ギユームという人が、人を煙に巻く大演説(面白い指摘はするのだけど論理についていけない)をして閉口させられた。その彼が「今メタボリズムにが再び注目されるのは「上海とかドバイとかで、夢のような構想が現実化される背景もある」と言ったが、私はあんな「ユートピア」には到底すみたくない。「都市よ、もっと違った奮闘をしてくれたまえ」

デイナモと同じぐらい気楽に見れそうな、これも始まったばかりのパリ市近美のキース・ハーリング展に行ったら閉館だった(それもそのはず、パリ市の美術館は月曜休み!:記憶障害の前触れ)。だがキース君のお陰でアルマ・マルソーの地下鉄の駅はこんなに楽しくなっていた(展覧会見なくてもこれで十分?:元々NYの地下鉄の通路に描かれていたのだし)。しかし私は廊下にあったジョットのポスターを見てルーブルへ(我ながら寛容度が広いというか、支離滅裂というか、、、)。
ジョットは列が出来ていてまたまた方針変更。すぐに入れる「ドイツ 1800-1939 フリードリッヒからベックマンまで」展へ。興味があったのにこの前会ったSさんが「行かなくてよい」と太鼓判を押したので優先ランクが低くなっていたのだが、これはすばらしい展覧会だった。Sさんをうんざりさせた神話的主題の絵をどんどん飛ばし、歴史的風景(昔ブログで紹介した南独のパルテノン、ヴァルハラ神殿の絵もありました)もスキップ。その中にはカスパー・デヴィト・フリードリッヒも少しあったので、宣伝文句はこのことか、それなSさんの言う通り大したことはないと思っていたら、彼の大作が並ぶ部屋に出る。ベルリン、ミユンヘンで傑作は見たつもりになっていたらドレスデン、サント・ペテルスブルグ、モスクワなどから傑作が集まっている。ここまでかなりいい加減にとはいえ、ドイツ絵画の流れを概観した訳だし(例えば風景だけならフリードリッヒ風なのに「騎士」がいる絵とか、廃墟へ憧憬とか)、ここでは同じ風景を他の画家の絵と並べてあって、すーっとフリードリッヒの世界の成り立ちがわかる。フリードリッヒの絵には哀愁があるし、技術もすごいので誰にでもわかりやすいが、簡単にでも歴史を追うと理解に深まりを感じる。色彩論に関わるゲーテの絵とそれに続くクレー、オットー・ディクスの変な絵(虹のかかった墓地)の批判的パロディー性もやはり歴史的コンテクストを辿るとよくわかるので、「ディナモ」にはなかった感覚だけではない愉しさがある。ひょっとすると聖堂に天使が集うフリードリッヒらしくない彼の絵も前時代へのパロディかもしれないと考えたり、カンディンスキーがグループを「青騎士」と名づけてロマンチックな絵を描いたのもうなずける(彼はロシア生まれだからかこの展覧会にはない)。最後の方にあるNYのMOMAから来たディクスの戦争版画のシリーズも圧巻で、この展覧会お勧めします(6月24日まで。繰り返しますが前半は飛ばすように。副題の「フリードリッヒから」というのはそれを示唆しているのだろうか?)。
Otto Dix, 戦争:ガスの中を突進する部隊 1924

しかしSさんは後半を見なかったのだろうか? まったく反対意見の人の評価は非常に参考になる。私のブログもそういう風に使ってくだされば幸いです。

注1:私のブログでは日本語ウィキペディアにある作家はリンクを張っていませんが、 カタカナ作家名はウィキに準じています
注2:絵の写真はprofondeur de champsというブログから

2013年4月20日土曜日

ディナモ展 補足

実は(このブログもあるから)私も沢山写真を撮ってアップロードしたのだが、もう一つこのブログサイトも写真がどう配置されるかわからないので、前回漏れた写真紹介(実は使わなかった写真の破棄の仕方も不明で、、、、)。
まず第一はフランソワ・モルレ François Morelllet。パルクたちと一緒にグループ(GRAV)を作ったのでこの展覧会でも脚光を浴びている一人だが、フランスではいわば「国家のお抱えアーティスト」の一人で、蛍光灯を使った退屈なインスタレーションで有名(「退屈」は私の意見にすぎません)。私はこの写真の角度を決めて線を引いた絵の方がよほどすごいと思う(見つめながら視線を動かすと泡がはじけるように、丸い多角形がぱたぱた移動して見える)。
フランソワ・モルレ  0° -  25° -  45° -  67.5°


モルレの絵もそうだが、悪口を言うものの、自分は思っているよりずーっとコンセプチユアルらしくて、こんな輪のライトを床にテラスだけとか、扇風機の風でカセット磁気テープがふらふらというのが好きで、、、(展覧会の中では少数派、両方とも名前の知らない作家でした)
ZIVILINAS KEMPINAS 1969
ADALBERTO MECCARER 1975?(鉛筆で修正されていた)
逆に右の鏡を使った無限反射パターンは遊園地でもよくありますね。写真は撮るけど感心しない。草間弥生にもこの手のありましたが、これは彼女ではありません(誰かメモするの忘れた)。でも草間弥生もあって、それは凸面鏡がいくつも掛けてある廊下でしたが、全然面白くなかった(気の毒)。やっぱりこの展覧会は計算された美が多いから、前の2作のようによっぽど素朴か高度でないと目立ちません。現代アートの作家の中には、設計図を描くだけでモノは工場で加工という方式を使う人もいるが、60年代はおそらく手作り(Cおばさんの話ではお互いの作品を協力しあって作っていたとか)。誰もがマイコンで画像加工出来るようになった現代人の近過去の技術への驚きが、ダリ、ハイパー(ムエックは現代作家だがハイパーリアリズムは過去の概念)、この展覧会の背景になっていると思う。確かに過去に対してテクノロジーだけは確実に発展したから、今でも新たな希望を感じさせるのかもしれない。ともかく皆さん写真を撮り、「すごーい」とか声を上げている。「科学館以上であるのかな?」と私は思うが(最近は科学館もアートしているが、アートはただも見せ方の問題なのか?)、フェルト、ラード、銅板がころがっていて作家の個人史(作家の勝手な象徴言語)を聴かないと訳がわからない作品よりいいよね。
最後にポンピドーセンタのソト。紐がつり下がっているだけ、中を歩けるけど、外からの方がきれい

2013年4月19日金曜日

(停滞するパリの?)光と動きの展覧会


今年のパリは1960年代にはやった、眼の錯覚で動いたり立体であったりして見えるオプティック・アート(オプ・アート Op Art、代表的選手はヴァザルリ Victor Vasarely、ライリー Bridget Riley かな)と、動く光や鏡も利用するキネティック・アート(kinetic art)の年でもあるようで、パレ・ド・トキヨでフリオ・レ・パルク Julio Le Parcの回顧展(サイトは写真も豊富)、小さいながらポンピドーではソトJesús-Rafael Soto に美術館の一角を与え、先週から鳴り物入りで(結構宣伝していた)グラン・パレでディナモ DYNAMOという大展覧会が先週始まった。ホッパー(旧ブログ1/13)とダリの大人気(超満員)に懲りていたし、少し留守をすることもあり、火曜にラジオで特集していたディナモに今日早速行ってみた。何せフランスの美術館ではこの種のメカものはすぐに壊れる(壊される)し、満員だと自分で触ったり動かしたりできる作品になかなかアクセスできませんからねー。
パルク

意外にグラン・パレは行列なし、ちょっと肩すかしを食らったような気分だが、混雑よりはよっぽどいい。人は少ないけど普通の美術展に比べて子供、学生の比率がずっと高いことがすぐにわかる。この種のものは見て楽しむ科学館か遊園地気分。結局面白いものは「どうやっているのだろうなー」とどうしても「種明かし」に関心が行ってしまう(作品全体を見るより、中を覗き込んだり、箱の厚さをチェックしたり、、、)。これはやはり美術鑑賞というより科学館だ。だからアートとしては私は「タネ」は誰にでもすぐわかるのに「こんな風に見えるの~」と感心させられる、例えば傾斜の右左に違う色を塗った絵のアガムとか沢山棒がたっているだけのソトーの作品や、これまた沢山吊るした小さな四角い透明プラスチックに光を当てているあるだけのパルクの作品(写真)のように、シンプルなものの方が質が高いように思う(ただし単純に見えても徹底したアルゴリズムと正確さが必要だから簡単という意味ではない)。

カプーア "Isramic Mirror"  2008年の作品
これらの作品は「感覚」のアートで当然政治的社会的メッセージとか心情吐露はなく、見て楽しむだけで解釈しなくていい気楽さがある。だからすーっと近代建築の装飾の一部に溶け込む。つまり現代アートが好きな「異物提出」方式ではない。そして何となく科学や技術の明るい未来を提示しいるようなところがある(今の我々のような不安をつゆ感じさせない)。実は前日に日本文化会館で日本の特に60年代の未来都市計画にスポットをあてた「都市の挑戦」という展覧会を見たのだが、そこにあった現在のブラジリアの衛星写真、周辺に所々赤茶の地区がある。これは建設労働者が住み着いてしまったスラム街ということで、ブラジリアの首都建築がディナモ展のようなポジティビズムに対し現代美術は、(川俣正の掘建て小屋のように)スラム的ブリコラージュ性、雑多・非整然性が特徴であり、その興味と言えると思う。だからこれらの展覧会は「失われたユートピア」の再発掘のような意味あいがありそうだ。我々にはかつてなかったテクノロジーがある。多くのインスタレーションはかつての作品の再現だが、それには現代技術が使われたかもしれないし、今の作家ならもっと違ったこともできよう。現代作家の作品もいくつかあり、そこで私の眼を引いたのは写真のアニッシュ・カプーアの「イスラムミラー」。八角形と四角の薄いガラスのパラボラで光の効果と音響の効果がある。おそらくこれは多くのカプーアの作品のように今日の技術でしかできない超ハイテクなのだろうと思う。
パルク・パーク、人形にボールを投げる

最近の美術館では常とはいえ、この展覧会では特にみんな夢中で沢山写真、それに加え動くものが多いから動画も撮っている(私も例に漏れず)。そして「写真だとわからないなー」なんて言っているのが聞こえるが、錯覚は人間の感覚の誤り、カメラはそれがない。だから「いくら写真を見ても現物見ないとだめですよー」というメッセージには体験性へ誘う現代性がある。まあそれを膨らませたパルクのパーク(駄洒落!)は遊園地でしかなかったけれど、意外にそこにはオプ・アートにはない政治メッセージが盛り込まれていた(写真)

そもそもソトはヴェネズエラ、パルクはアルゼンチンで作家の多くに南米系が多い。だが南米で発生したのではなく、隣人のアルゼンチン人のCおばさんによるとパリの美術学校でグループが誕生したようだ。南米でなくてもヴァザレリはハンガリー、アダミはイスラエル、政治的に難しい国が多いのは逆に政治メッセージ性のあるアートへの反発があったのかもしれない。パルクは1922生、だからもう91歳。この種のアートは数十年脚光を浴びなかったが、今回のパレ・ド・トキヨではスペースに合わせて作品を大きくしなおしたりして見られたりしたことは本当に幸せなことだろう。概してディナモはこの世代へのオマージュとも言える。よかったですね:)

i-phoneで写真撮ってます
何度も「60年代」と繰り返しましたが、デイナモは副題「芸術の中の光と動きの1世紀 1913-2013」となっており、バウハウスからカプーアまで。沢山あって眼が疲れます。もう壊れているものがあったからあまり遅く行くと何も動いてないかもね〜
7月22日まで

私の趣味ではこじんまりとして動きがあっても静的なソトがよかったが、これは5月20日まで

知られぬ(?私は知らなかった)パルクの大回顧展は5月13日まで









2013年4月16日火曜日

ハイパーとブリュトの間で

日曜はカルチエ財団の新しい展覧会「ロン・ムエック Ron Mueck」のオープニングだった。同財団へは絶対にオープニングに行く理由は以前書いた通り(旧ブログ2012/5/13)。
ロン・ムエックはハイパーリアリストの彫刻家で、十和田美術館にもあったし、日本語ウキペディアにもあるのでそれ以上書かないが、人々の感嘆は少しダリへのそれと似ていると思う。つまり「よくここまでできるものだ、、、」 今やフォトショップで相当出来そうなことがそれを凌ぐ筆で描かれている感嘆は、ここでも「コンピューターの3D技術を使っているのでは?」という当然の疑問と表裏一体で出てくる。ダリと違ってムエックは現代の作家だ。彼は実寸大ではなく大きくするか小さくしたりするのだが、インパクトが強い巨大な彫刻は私には顔と足が普通のプロポーションより大きいような気がする。巨大化される前に彫刻の印象を考えるのは容易ではないがそれこそコンピューターシミュレーションで???か昔の仏師のように経験則か??? 
youtubeにあった巨大ベービーを作る過程のビデオでは表面は粘土で塑形した巨大彫刻から型を取っていたが、ダリで述べたように人間の眼が行くポイントというのはあるから、それを押さえた手の仕事だろうと思う。ともかく私は「何でも簡単にできるようになった現代だからこそ圧倒的な職人芸に一般の人がより感動するようになった」と私は感じている。(近代絵画が写真の登場で現実の真似事から一段違うところに行ったはずだったのが、誰もがフォトショップするようになっての「本物の偽物」指向の逆現象?)
その所為か最近はデッサンでも見たよりも現実らしいハイパー路線と、私がよく引き合いに出す(例えば2011/12/14の)ブリュト ART BRUT(=Raw Art)、つまり精神症的な人が多い素人アウトサイダー路線との、二つの両極端がちょっと流行のような気がする。ハイパーの方は「よくやったなー」と感心はするが「それで〜」という感じで、個人的にはBRUT気違い路線の心をえぐられるような作品の方がよっぽど好きだが、両方に共通するのは、沢山見るとよく似た作家がいっぱいで、(美術界一般ではあるが特に)誰が誰かわからなくなる。名前を覚えられないのもただ私の脳の老化の所為ではなく、おそらくは作家に発展性が乏しい(いつも同じような作品だろうと思う)のでフォローしても仕方がない、つまり名前を覚えるモーティベーションがわかないからだろうと思う。
これはカルチエではありません(http://bblinks.blogspot.fr/より)
今回のムエックはブログに書いたお陰で名前を覚えられたと思うが、彼のハイパー人形、人形の常で異様ではあるが、病的ではない優しいところがあって、そこは好感が持てた。カルチエはのノーフォトなので写真なしです(簡単にリンクで持って来れると思ったけど、、、やっと見つけた人のブログの写真を掲載します)。
それにしても日曜日は突然20度を越す半年ぶりの「太陽がいっぱい」で、展覧会とは関係なく幸せな気分になりましたよ。 ちゃんと夕食はテラスで食べた!うれしい(でも私のアトリエは16度のままだけど、、、)、そして明日は25度だって!

ムエック展は9月29日まで 。私のデッサンがゴミだと思う人には絶対お勧め(私のデッサンは技術ゼロ、かつ執着もないことを持ち味としておりますので:)
けなしているのではありません。眼を見張りたい人にはそれだけのことはありで、、、。

2013年4月14日日曜日

二つの「雨の絵」




3月に知人から「l'Arbre de vie(生命の木)」展を見に行ったら雨の絵があってびっくりしたと知らされた。「キャンバスを雨に打たせて雨粒の跡を記録する」という全く同じコンセプ ト。展覧会のプレゼビデオを見たらキュレーターが私がいつも人に説明するのと見事に同じことを言っている。これにはちょっと焦った。というのも展覧絵が催 されている場所は「ベルナルダン修道会(College des Bernardins)」というかつての修道院を改装したれっきとした公認」の「現代アート展」の大会場で、私のパリの小さな画廊とは大違い(かつ最近店じまいしてしまった)で、今後私が「雨の絵」の話をすると「別の人がもうやっている」という嘲笑的対応を予期せねばならぬからだ。以前書いたことがあるに 違いないが。「キス集め」を久しぶりにしたときに、「誰かがやっていた」(どうせ真似でしょう?)と冷たい反応を受け、どこで見たかを思い出させたら案の定それは「数年前の私」だった。「創造的なことは難しい」というのは私も認めるところで、それで苦労するのだが、苦労しすぎたか、その人に創造性 があまりにも欠ける所為か、真似するのを悪く思わないのか、何れにせよ世の中(フランス?)には「オリジナルなものを名のないアーティストが市井で行っていることは、真似以外にはありえない」と結論している人があまりにも多いのだ(普通の人ばかりではなくアーティストも含む)。私は真似はしてないし、知ったことかと我が道を続けるしかないのだが、予想される反応には今からうんざりする。まあこれ以前も雨の絵は「イヴ・クラインの真似」とさせることがあり、クラインの雨は「あまり成功したとは言えない実験作品にすぐない」ことは彼の回顧展の折に実際確かめて旧ブログ(06/12/08)に書いた通りだが、有名作家には圧倒的な伝説のオーラがあり、みんな知ったかぶりするのでこれも厄介だった。

今回は40代の作家。さてこの新たな「雨に絵」で青い四角が出てきたらそれこそ腰を抜かすところだったが、ビデオを見る限り随分は感じが違う。だから先週実物を確認に 行った。Thomas Fougeirolという作家のものだが、写真のように起伏のある、月のクレーターのような雨粒の跡で、おそらくべったり塗った絵の具がまだ柔らかい状態で雷の時の叩き付ける大粒の雨の下に出したようだ。簡単に聞こえるが、これはこれで私同様キャンバスを出すタイミングをかなり研究したに違いない。私もこの方法を考えないこともなかったが、私の懸案は大きな雨の絵を作ることで。この方法でも広い一様な平面を作ることは難しそうなので研究しなかった。この作家はあまり気にしないのか絵の具をへらでばっと伸ばしただけの感じで、サイズも35x27cmとやはり小さく、7点並べて展示(つまり展示方法も似ている。でも彼のはダイナミックな雷雨ばかり。多分レリーフをスプレーを斜めからかけて強調している)。
彼が私の作品を何処かで見て真似をしたとは到底僕は全く思わない。雨を残そうというのは私一人が考える訳ではない。かつその目指すもの(結果)が全く違う(=そこが個性)。彼はパリとニューヨークで活躍する「公式ルートの人」で、私も彼の名は知っているようにも思えて彼のサイトを見たのだが、作品も知っているような知らないよ、、、つまり全然私には興味が持てない種類のもので、私と彼が「雨」という接点を見いだしたことすらが不思議なぐらい。彼と私が似ている(?)ところがあるとすれ ば、色々やっていて何をしているか絞れないところかな。

自分の「雨の絵」のことを話すと:実験を始めた1998年以来ほぼプロセスは変わっていませんが、最近は「雨の絵」とその日その時間の気象衛星写真とカップリングさせ、今年の冬はハイテク・ヴァリエーション(?)で雪の絵も始めました(左のリンクにある「毎日の作品」参考)

さてこの 「l'Arbre de vie(生命の木)」展ですが、ひがみを差し引いても「わざわざ見に行くことないんじゃないかなー(雨の絵が一番良い?)」でノーコメント。(これが美術案内だろうか☺)

Thomas Fougeirol の雨の絵
tableau de pluie
今は昔 2001年3月24日15時40分の雨

2013年4月5日金曜日

大臣の告白

昔のブログで今年はたて続けて事件から事件が起きて、、、と昔のブログで書いていた(「微分係数の世界」など)が、せっかく「美術案内」としてスタートしたブログコンセプトを爆破させる由々しき大事件ついにが起きた。

20年来スイスに隠し口座を持っていると12月に報道され、その疑惑に対しずーっとそれを否認し続けてきた財務大臣のジョローム・カユザック(Jérôme Cahuzac)、3月末にパリ検事庁が脱税容疑などの疑いの予審を開始するのを受けて辞任したのだが、2日に何とスイスの口座に60万ユーロ持っていること「告白」した。
こう書いてもフランスの事情を知らない方にはその大変さが伝わらないだろうが、現大統領オランドはサルコジーの金権政治を批判して5月に当選し、ギリシャ・スペインの経済危機の二の前にならぬよう財政赤字の減少をやっきになって助成金削減などの政策を推し進めざるえない状況だったが、その最先鋒の財務大臣が脱税をしていたのだ。そもそもカユザックは整形外科医で頭髪移植の診療所を夫婦で開いていて、そのお客さんは政財界の多岐にわたり、コンサルタント社を開いて薬剤会社と非常に密な関係にあった。どのように彼が政治家となり大臣までになったのかは私は知らない。ともかく「優秀」な人だったようで、オランドもなかなか辞めさせなかったのだが、潔癖政治を謳い、同様な事件が起きたサルコジ時代とはっきり差異をつけるなら、12月時点で辞職させるべきだった。そうしなかったのは「何とかもみ消せる」と思ったからではないかと勘ぐられるし、実際12月にカユザックの「隠し口座」を暴露したメディアパール(mediapart)は、現在ではその工作にも触れている。つまりただでさえも不況で落下一途だった大統領、内閣への信任はまさに一気に地に落ちた。右派はそれみたことかと一同に「社会党の潔癖性」を揶揄し、昨晩TVの討論会を聞いていたらサルコジの子分のような某議員は「政治の道徳(税による利益再分配)より市場を信用した方がましだ」とのたまった。つまり右派は内閣解散、政策の転換を要求しているが、いつも「知らなかった」との繰り返すばかりのオランドは「カユザック個人の問題で、内閣の問題ではない」と弁明した。しかし右派の合唱にもあきれる。そもそもかつての蔵相の同様なスキャンダルをメディアパールが暴露したときは、「トロツキスト集団」などと罵り、信用できない情報源としていたのである。こうして私のように新聞テレビで普通にニュースをフォローしている人間には完全な「政治的信任の崩壊」と言う大変なことが起きているのに、あの連中はわかっているのだろうか? 普通に行けば民意は極右極左に流れる。どうしたらオランドは信任を少しでも取り戻せるだろうか? ヴェリブに乗りながら名案がひらめいた。シラク時代の社会党内閣の首相で、2012年の大統領選一時選挙で極右に負けて政界から身を引いたジョスパンにここで復帰してもらうしかない。彼はその頃は工場閉鎖される労働者に向かって「政府が何でもできるわけではない」と言って人気をなくしたが、今ではそういう正直さが国を救うかも。と私は本気で思うのだが、「スポーツとしての資本主義」同様、これが名案だと思うのは世界で私一人だろう。

この事件は今後どう展開するかわからないので一応この時点で私の視点を書きましたが、このお先真っ暗の中、唯一救われるのはフランスではメディアパールというジャーナリスト集団がやるべき仕事をしているという点でしょう。