2014年9月29日月曜日

Demain capricieux

それが今朝は雨で、、、昨日の投稿のフランス語版です
(C’est la version française de l’article d’hier. La pluie de ce matin me permet de l’écrire)



Ateloer de Polska (photo empruntée du FB)
Le vendredi, sur le chemin à l’atelier de Polska où elle organise « Vent d’Anges » J'y ai participé l'abbée dernier, je suis entré au magasin Géant des Beaux-Arts. A ma surprise, j’ai trouvé mon papier sur le rayon ! En fait il était introuvable à Paris depuis quelques mois. Selon Sennelier à qui j’avais commandé en juin, il ne sera délivré que le début d’octobre.

Voilà ça change tout, la météo annonce que l’été indienne continue, je pourrai attaquer enfin le grand dessin à l'eau de mer que j’aurais aimé faire pendant l’été !!!



Donc lendemain je suis allé au magasin du Géant dans le 13ème où j’habite, mais il n’y en a pas ! Je prends le vélib pour remonter la côte de Père-Lachaise. C’est la rentrée, il y avait beaucoup de monde dans le magasin, la queue énorme devant le guichet, je regrette ne pas avoir pris hier, mais pas de choix…



Depuis, mes programmes sont tout bousculés : pas de concert, grand retard à la soirée etc.  D’abord il me faut tendre le papier sur le châssis. Pourtant les choses n’ont pas avancé pas comme je les souhaitais, parce que le nouveau papier est bizarrement plus large que l’ancien. Le dimanche matin, je trouve que le papier est légèrement ondulé et je recommence du zéro …



Bon, pour l’info : « Vent d’Anges » continue jusqu’à aujourd’hui, dès 14h. L’atelier de Polska est magnifique, vous verrez la vigne y traverse. Elle vous offrira du jus exquis de raisin fraîchement cueilli. Adresse : 7 rue Montlouis

2014年9月28日日曜日

今日がだめならまた明日

ポルスカのアトリエ、FBから拝借
金曜日、昨年展示したポルスカおばさんのアトリエの「天使の風あるいは葡萄取り入れ」昨年9月13+19日参考に行くついでに画材スーパーによってみたらびっくり、何と私の使う大判の紙がある! ということは我が家の近くの店でも入荷しているはず。やったー!!!! というのも今フランスはインデアン・サマー(21日が「最後の夏の日」ではなかった)。天気予報どうりならこの数日はパリでも25度近くまで気温が上がる。今夏は紙がない故に海水の大デッサンができず、お陰で大バカンスを久々に取れたというものの、作家としてのフラストレーションは貯まっていた。

翌日土曜日は早く起きて、、、と思っていたのがポルスカのアトリエで長居をしたせいで朝寝坊をし、昼過ぎに最寄りの画材スーパーにいったら、13区にはなし! だからヴェリブでセーヌを渡り坂道を上がり昨日の店まで逆戻り。店は新学期の土曜日で満員、レジは長蛇の列だったが仕方がない。

家に戻って板に張ってある古いデッサンを剥がし、新しい紙を湿らせてピンと張って、、、これが意外に時間も気も使う作業。板は紙より大きめにしてあったのに、不思議なことに随分はみ出す:春のものより5ミリぐらい大きい(手透きの上等な紙でもないのに、、、)。それに手こずっているうちに薄暗くなって来てた。F&A夫妻のパーティーに行かねばならないのに、、、当然大遅刻。

「明日はがんばらなくちゃ」と決意は固く、1時過ぎにはおいとまし、今朝は早起きしたのだが、昨日張った紙は角が波打っていて、、、やっぱり電灯下での作業は誤る。
仕方がないから先ずは朝市。
その後一からやり直し。ちゃんと乾かないとデッサンは書けないので(海水が薄まってしまう?)、一気に二枚目も用意。右写真の『フランスの文化遺産』も完成(フランソワ・トリュフォの写真は来月から彼の特集をする新しいシネマテックの表紙を拝借。実は一度失敗してまた取りに行った☺)
遅い昼食を済まし「さてさて、幾つかある新しい構想の中から何をチャレンジ?」と考えているうちに眠くなり少し横になったらちゃんと寝入ってしまた。これならポルスカ企画のコンサートに行けたのだが、、、(でもそこで船を漕ぐとおばさんに行かなかったことより怒られただろうが)。

「今日がだめならまた明日」 少なくとも今回はちゃんと紙は貼れている模様。

ポルスカPolskaのアトリエは家の中にも葡萄のなる不思議なところ : 7 rue Montlouis
明日午後2時から夜までオープンしています。勿論今年も新鮮な葡萄ジュースが飲めます。

それから21日にけなした「公園でのインスタレーション」、数年前に比べると明らかにレベルが上がっていたことをコメントしておきます。

2014年9月24日水曜日

自らの考古学

前回載せた杉本博司のインスタレーションの写真、何か馴染みがあると思ったら、2010年秋にスペインの田舎町エッチョで作った私のパーフォーマンス用のスペース(写真右)と似てる? 壁と丸い庭、ひょっとしたら我々(日本人あるいは人類?)のイメージのアーキタイプに入っているのかも。杉本さんのはすべて美術館の中に廃墟を建造しているのに対し、私は既存の廃屋を使わせてもらっているのでアプローチは真反対かもしれない。
この時のことは旧ブログ「羊パー…」に書いているのでそれを、それに後で「羊を待ちながら」という下にリンクしたビデオ(歌?)を作ったのでこれもご参考に(歌の間は画像なし、3分以降のプレリュード部分にスライドショーが少し入ります)。写真では子供達、楽しそうに「メーメー」と合唱していますが、杖をたたいて柵の中に入れた時は怖がった子や大人もいたんですよ〜。過去を見て「あの頃は頑張ってた」って思いつつ楽しめるなんて、もうやっぱりあかんかなー。

まあ「坂田英三の作品」の回顧作業なんぞしてくれる人はいないから、自分で掘り起こして、、、。9/21のニース大学の「ツバメの巣」も昔サイト内にページを作っていました(すっかり忘れていた)→こちら(21にもリンク追加済)

古いブログもリンクのために読み直すと面白いことがある。例えば8月にアルデッシュからニースに連れて行ってもらったGさんのことを書いた08/7/28には、Gさんを主役に抜擢した映画監督のセバスチャン・ベベデール、「将来有名になるかも」と書いたが、彼の最新作『2つの秋、3つの冬』日本語記事 は今夏日本で封切りされたぐらい各国でヒットしているみたい。
肝心のGさんのニースでの舞台『ペール・ギュント』(イプセン作、イリーナ・ブルック脚色)は明日25日から→こちら

みなさん活躍していて、、、私「自分の考古学」なんかして楽しんでる場合じゃないよなー(とほほ)




2014年9月22日月曜日

今日、世界が死んだ

こういうの、廃墟好みの私は気が引かれるが...
(Brève note francais en plus bas)
これはバカンスに出る前、つまりもう展覧会は終わってしまったが、パレ・ド・トウキョーの杉本博司ウィキの「今日、世界が死んだ」と題する大規模なインスタレーションの展覧会を見た。幾つもの人類が滅亡した後にその滅亡のシナリオとそれに関わるオブジェ、自分の写真作品で構成されている日本語参考記事。もうほぼ総て忘れてしまったが、いっぱい文章を読まされた。滅亡のシナリオは現在の環境問題や近過去の歴史等が反映され、それほど突飛なものはなかったと思う(だから今印象に残っていない)。古い調度品や骨董品、彼の写真とお話の組み合わせでそれなりに楽しめたが、この種のインスタレーションは現代アートのよくあるパターンの一つとなってしまったと思う。これで思い出したのはもっと昔(5月)、書く気もしなかったイリア・カバコフ夫妻 Ilya & Emilia Kabakov日本語解説例 のグラン・パレの「理想都市」Cité Utopique。これは確か、チベットに理想郷があって、そこでは云々云々と説明がされ(だからこれも沢山読まされた)、それに関するカバコフのデッサンやオブジェ、大構造物が並んでいた。これらのお話は杉本にせよカバコフにせよ、現在へのアイロニーを込めた寓話であるが、私がこの種のパターンに冷淡なのは、例えば小説でも漫画でも映画でも作家は微に入り細に入り空想を羽ばたかせるのに対し、「現代アート」のそれは乏しすぎると思う。現代アートの信奉者には(以下に述べるように)その曖昧性が良いのかもしれないが、本当はただ創造性に劣っているのではというのが私の見解。

カバコフはソ連邦時代の告発でデビューし、今や押しも押されぬインスタレーションアートの長老、そして杉本は去年は文楽と写真を組み合わせた劇場企画をパリで上演(私は見ていない)、それに今年のヴェネチアの建築ビエンナーレと今や屈指の日本人アーティスト、その二人の大作家に何を言わんかと言われればそれまでだが、手法も造形作品もありきたりすぎる。70年代に架空のインデアンをでっちあげてプリミティブからセザンヌ流の作品を作った亡きガジロウスキ Gérard Gasiorowski wiki(1930-86、変な作家だが9/1に書いたマーグ財団の創設者に支援された)の発想とか、キリスト教少女団と悪魔の戦争のお話を一生かけて延々と文と絵で描写したアウトサイダーアートのヘンリー・ダーガーHenry Darger(1992-1973)ウィキとかの方が優れて芸術的(現代アートの視点ではその使命とする現実転覆力がある)と思われるが。
時にはシナリオも読み難い場所に
確かにこの二人では比較にならないかもしれない。というのも杉本もカバコフも「現代文明」を相手にし、作品を哲学的オーラで包んでいるから。しかし現代社会の歪みは今や世界中で噴出、悲観論から楽観論まで精神分裂的に毎日メディアで取りざたされているではないか。そこでは芸術家が危機の先取りをするどころか、現実の方がアーティスとの想像力を凌駕しており、ただの寓話めいた批判は「無力」としか思えない:これが二つの大展覧会への私の不満。

ところで「今日、世界が死んだ」というのはカミュの「今日、ママンが死んだ」からきているとパレ・ド・トーキョーの解説に書いてあるが、滅亡シナリオの冒頭が常に「今日、世界が死んだ。あるいは昨日かも。私は知らない」ではじまる以外、『異邦人』とどういう関係があるのか私にはさっぱりわからない。それに似たことを若い日本人に言ったら「現代アートは解らないところがいいんじゃないですか!でも世界にはキューレーターとかで本当の価値が解る人がいて、、、」とお説教された。こうした自分の思考を放棄した妄信するファンで支えられた現代アート界は、見事少数美術エリートの専制「ユートピア」であろう。カバコフの展覧会、皆さん神妙そうに見ていたが、それが狙いだったとか??? 

両横は杉本のマルセル・デュシャンを意識した作品。左の説明には塩商人=marchand du selの綴りの読み順を替えるとmarcel duchampになると書かれていた。それが何なんだ?こんなことが面白いの???と思うが、 実はデュシャン自身が使った偽名で、、、いやはや(ため息)
(注:フツウのフランス語では塩商人=marchand de selのはずです)

個人的結論:手法としての架空の世界・人物は現代アートの常套手段(私の坊さんのアシュラだってそうです)、全然画期的なことではありません。結局どういうコンテクストで何を語るかです。

同展の写真は、非常に網羅的なブログespace-holbeinをご参考に。彼の昔のブログサイトは宣伝が入るようになったのでアドレス変更、私のブログサイトに引っ越してきました! 

カバコフの方はブログは書かないだろうと思って消しちゃったのか、写真なしです(上のブログにも記述なし)。

Note française pour éviter le malentendu : 
En bref, je n’ai pas apprécié ni “Aujourd’hui, le monde est mort” de Sugimoto, ni Monumenta de Kabakov. Selon moi, le monde actuel est tellement critiquable et absurde que les installations avec les petites anecdotes n’ont plus de force de critique. 

Ilya Kabakov

2014年9月21日日曜日

最後の夏の日 傲慢とぐうたら

7日にパリに戻った時、南仏に劣らぬ「夏」の気候だったので驚いたが、それからずぅーと好天と暑さが続き、結局今日が最後の夏の日の雰囲気。
たっぷりバカンスを楽しんだし、この例年にない高温、まだ海水デッサンの大作に挑むチャンスと意気高揚していたが、画材屋さんに注文の「紙」はどうなったか問い合わせたところ「10月初旬入荷予定」とのことで、がっかり。

と言う訳で帰パリ1週間はバカンスブログをいつになく丹念に書き、そして今週は???いったい何をしたのだろう? 先週金曜に久しぶりにクスクスを食べた以外の記憶が、、、勿論一応「一日一作」は続けているが、あまり満足も行かず、どうもやる気がしない。

一方新学期(=新年度)が始まり、毎日の様にお友達の展覧会案内メールが届く。こんなにだらだらしているぐらいならグループ展にでも参加した方がいいのかしら? 気弱になっていると意外にそういうお誘いが来るもので、Fさんから自分のアトリエでの企画に関し(参加者が足りないのか?)電話があったと思ったら、今度はバスチーユ界隈のアーティスト協会の友人にばったり会ったら、「アトリエが『界隈』にあろうがなかろうが、関係なし(確かにバ地区は家賃が上がりアトリエはなくなりつつある)。お前みたいな良いアーティストが会員になってくれた方がいい」とおだてられ〜、少しよろめいて、、、確かにより大勢の人に見てもらうチャンスにはなる、でも本当に参加したいかというと、正直どうかな〜。先に述べたようにグループは性格上その地区から発生したから、芸術的方向の共通性などない。特に最近公園で行っている企画は「野外インスタレーション」という言葉で一緒くたにしてもらうと困るような類いが多いようで、絶対参加したくない。傲慢かな〜? グループ展ではハーモニーがあるかどうか、そして各作品の表現が伝わるかどうかは「箱」にもよる。何でも「参加することに意義がある」みたいなアクティブ思考にはなかなかついて行けなくて、、、。それに加えインスタレーションとかパーフォーマンスはペイされるべきという主張を(ほぼ)貫いているから一層傲慢。
「何もしないよりもいいか?」と私が勝手に思っても、一応入会には「審査」があるようで、私の場合案に相違して不思議に「落とされる」可能性も大いにありで、、、。

これも作品?
これも作品
 ところで南仏では10年前に参加したno-made展その時の作品を準備中のモナコの西に接するキャップダーユCap d'Ailの豪華ヴィラにも顔を出し、ついでにツバをつけて来た:P君が浜辺で拾ったビーチボールが苗木の上にあって風に揺れていたのが気に入って、ナイロン糸で固定写真左。no-madeは2012年にも参加し「無垢のツバメの巣」写真右をニースの大学の図書館に設置参考。それを撤収したとき旧ブログ、いつも泊めてもらっているCさん家の子供部屋に一つ取り付けのだが、コウモリだけでなく野鳥保護もする彼女、巣から落ちて養育中のツバメが空になった水入れにくるまっているのを見て、「巣が要る!、何かないか」と考えを巡らせ、私の作品が候補となり、鳥小屋の中に入れられることになってしまった。「本当の巣になったらすてきじゃない!」と言うCさんだったが、結局ツバメは金網にへばりつき、彼らの好みには合わなかったようだ。そういえばウエルベックの「地図と領土」7/29, 8/3, 8/11で、主人公と常に距離があった建築家のお父さんがなくなる前「子供のときに『ツバメの巣』を作ったのに、ツバメは寄り付かなかったのに心傷ついた」という予期せぬ吐露に主人公は「ツバメは自分の作った巣にしか住まないそうだ」という作り話(?)で答えた。これが平坦な描写の同小説で一番人間的なエピソードだったが、私の「殺菌漂白」されたような巣にツバメが眠るかもしれないというのは、どこまでもポジティブなCさんならではの発想だった。それ以前に「作品」と思われていなかったかもしれないけど、、、☺

ちなみに「ツバメの巣」は12年秋の名古屋Lギャラリーの個展でも天井近くにつけられていたが、それに気がついた人は何人いたか?

注:一度手を離れた作品はその運命にまかせます

2014年9月14日日曜日

二年目のトマト栽培 : La Première Récolte

Les tomates de mon jardin clandestin ont commencé à prendre la belle couleur, j'espérais la manger dans quelques jours. Ce sont les tomates de l'Asie Central, un voisin géorgien m'avait donné des grains du jardin de son père. En fait, depuis l'année dernière, je cultive des plantes dans la cour intérieure, devant mon atelier, en arrachant le buis (cela, sans demander l'autorisation de la RIVP). Par rapport à l'an 2013 où je n'ai obtenu qu'une tomate minuscule voir la photo, cette année me semble miraculeuse. J'ai pris une photo hier après-midi, puis, quand je suis rentré dans la nuit, je ne vois plus cette tomate la plus rouge. Méchanceté ou acte sans réflection? J'aurais bien aimé récolter la première réussite...

私のビルの中庭、アトリエ前の違法ガーデン、昨年は苗からだったが、今年はグルジア・トマト1月4日の記事参考を種から栽培、去年と違って幾つも大きく実がなっている。その一つはa赤くなってもう数日で採って食べようと思っていたが、昨夜家に戻ったらなくなっていた。意地悪あるいは無頓着? 最初のトマトは盗って欲しくなかった。

2014年9月13日土曜日

南仏バカンス報告の掲載

ぱっとブラグを開いて「いつもバカンスの終焉」かと思っていられる方、
と、過去に遡って南仏ヴァカンスの記事をアップロードしましたので下の方を見て下さい。

写真は記事に漏れたボンソンから連れて行ってもらったヴァール川の支流のエステロンEsteron川のポン・ドゥ・ラ・セリーズ Pont de la Cérise

2014年9月7日日曜日

バカンスの終焉 Les vacances s’achèvent …

 

Le texte français est en bas du japonais

コタンタン半島に続く南仏のバカンスはアルデッシュに始まり、ニース、ニースの裏のボンソン村、イタリア国境近くの新石器時代に刻まれた絵のあるアルプス山脈のメルヴェイユの谷、国境を越えたリビエラ海岸の街と充実。しっかり日焼けして帰ってきた。
旅行日に遡って記事を載せましたので、「過去」を見てみて下さい。

さて、ニースから貯まっていたマイルスを使って飛行機で戻って来たのだが、オルリー空港からの帰路は、パリが「不親切都市」世界第4位参考8/11の成績であることを堂々と示してくれた。

先ずオルリー空港。パリへの交通案内の地図に、私の住む界隈には便利な郊外線Cとの連絡バスがないので尋ねたところ、係員2人が「オルリーと連絡するのはB線のみ。C線は繋がっていない。アントニーかダンフェールを経由するしかない」と言う。でも「それは私には遠回り。それに使ったことがあるのだから」と食い下がると。若い二人に「そんなものは15年以上前からない」とせせら笑われた。15年? 3年前のスペイン、アビサンダ村レジデンスの時に往復使ったけれど???

外に出るとやはりC線のオルリー・ランジス駅行きのバス停があった。でもC線は週末は工事中だとの張り紙。丁度バスが来たので運転手に尋ねたら、代行バスが出ているという。バスは時間はかかりそうだが、乗れば一本だから、右往左往していたおばさんと一緒に乗った。おばさんもC線が走っていれば直行できるパリ郊外へ行くのだが、C線の駅で代行バスの終点から列車が通常運転されているか確言できる係員がいない。そういえば飛行機の中で読んだ新聞に最近C線の転轍機操作局で火事があった云々と書いてあったが、、、。
心配するおばさんのために若い夫婦が i-phone で検索、動いてそうだということになったのだが、途中の駅で先行バスが、どうしたのか本当に不思議だが、歩道の柵を出口の扉に食い込ませて立ち往生し、野次馬の山。私たちのバスの運ちゃんも救援に行ったまま戻ってこなくなり、、、やがてあきらめて戻って来て、また大回りをしてルートに戻り、やっと我が「ビブリオテック駅」に1時間以上かかって到着した(通常列車ダイヤでは22分)。何だか一昔前のイタリアかアフリカみたいだ。

ニース空港でほぼ同時刻のパリ行きローコスト・フライトが50分遅れだったがエアフラは正常運転、かつシート予約変更で緊急扉横の脚の伸ばせる席が取れて「今日はラッキー」と思っていたが、、、。それでもラッキーなのは、バス事故の野次馬のほとんどがTシャツとバーミューダー姿という「意外に夏」なパリに戻れたことでした。

(写真:上はニースの浜辺の夕暮れ。横はアルデッシュ川の名所、川が岩を貫くPont d'Arc 参考絵葉書写真 にての記念撮影)

A la suite de séjour en Cotentin, je suis parti dans le Sud : Ardèche, Nice, Bonson (le village perché au bord du Var), puis la Vallée des Merveilles où se cachent les roches gravées à l’époque néolithique et à l’âge du bronze ancien, également les villages italiens en Riviera. Donc je suis bien bronzé. Je les ai rapporté rétroactivement. (Désolé, les articles sont uniquement en japonais).

De Nice, j’ai pris l’avion en utilisant les miles accumulés, l’accueil de Paris est bien mérité de la réputation du quatrième rang des villes les moins « friendly » dans le monde selon un certain sondage.

A la sortie d’Orly, je n’ai pas trouvé la correspondance navette vers RER C sur le grand plan qui explique le transport de l’aéroport à Paris. Je l’ai demandé aux deux agents. A ma surprise, ils m’ont répondu : C’est n’est pas le RER C desservi à Orly, mais uniquement le RER B. Vous allez à Antony ou Denfert-Rochereau.  Mais c’est un détour pour moi qui va au Bibliothèque F.M.. A ma contestation, ils m’ont déclaré en air moquant : RER C n’est pas desservi à Orly au moins depuis 15 ans. Cependant je m’en suis servi en AR quand je suis allé en Espagne, il y a 3 ans…

Au terminal de bus, je trouve l’arrêt de navette vers Orly-Rungis, où était affiché un papier qui annonce que le RER C est en travaux ce week-end.  Justement un bus arrive, le conducteur me dit qu’il y a un service remplaçant par bus. J’ai pris la navette avec une dame qui va plus loin que moi, à une banlieue desservie en RER C, donc en directe au temps normal. A l’arrivée à la Gare du RER, elle demande aux agents de la SNCF s’il y aura les trains à partir de Gare d’Austerlitz, mais personne n’est capable de donner la réponse claire.
Pour elle inquiète, une passagère tape son i-phone.
Puis on attrape le bus précédent qui bloque la route en se faisant entrer le barrage de troitoire dans sa porte derrière… On ne sait vraiment pas comment il a réussi de le faire !
Le conducteur de notre bus part au secours … mais en vain.
Puis le bus repart en faisant encore plus de détours, enfin on a pris plus d’une heure pour arriver à la Bibliothèque (au lieu de 22 minutes selon l’horaire de train). Cela me donne l’impression de m’être au retour en Italie d’autrefois ou en Afrique… 

A l’Aéroport de Nice, un vol du Low Cost, dont le départ est presque à la même heure que le mien, s’affichait 50 min. de retard, mon avion AF est parti sans délai. De plus j’ai eu le siège où je peux allonger les jambes. Donc j’ai pensé que j’avais de la chance ce soir. Il y avait beaucoup de badaud autour du bus bloqué, le plupart d’eux portaient T-shirt et Bermudes. Je me contenterais de ce climat de l’été inespéré.

2014年9月5日金曜日

驚異の谷 Vallée des Merveilles

ベゴ山(Mont Bégo)
ヴァレ・デ・メルヴェーユ Vallée des Merveilles =驚異の谷という素晴らしい名前の地は、ニースから北80キロほどの標高2872mのベゴ山(Mont Bégo)の麓。ここは氷河で削られたU字谷で、1万年ほど前、つまり石器時代、旧青銅器時代に掘られた絵がある。この岩の掘り絵は15世紀から文献に載るようになったが、不吉な谷として恐れられ(地獄湖、悪魔の頂とかの地名もある)、系統だった学術調査が行われるようになったのは20世紀後半、現在では4000ほどの岩に4万以上の絵があると記録されている。刻まれた絵の鉾のスタイルから、新青銅器時代にはぱったりと姿を消したことがわかるらしいが、その後の羊飼いの落書き、あるいは近代の観光登山者の落書き彫刻もある。と言う訳で現在では登山路を制限し、一部を除きガイド付きでないと見ることができないことになっている。
ベコ山下の氷河動きが眼に見えるような岩

ここへ行くのはダムの人造湖のMèches湖から登山で3〜4時間(8月中は、鉄道、バスが通るSaint-Delmas-de-Tendreからもう一つの登山口であるCastérinoまでナヴェットが運行)。宿泊予定の山小屋付近居着いたら全輪駆動のジープが走っていてびっくり。これには私はガックリしたが、「私も行くー!」と喜んで同行してくれたCさんは長い上り道に根を上げ「今度はこれに乗る」と言うありさま。このCさんの体調もあり、第二日目は長い行路はあきらめ、午前中はガイドについて岩に彫られた絵を見ることにしたのだがこれは大正解。というのも何と我々二人のプライベートツアーだったから。

絵は尖った水晶で穴を刻んだ点描画。描かれたモチーフは多彩だが、圧倒的に牛の頭が多く(45%)、後は領土の区画のような幾何学模様(7%)、鉾などの武器・道具(4%)が多く、少数だが人や渦巻き模様のようなものもある。解りやすい牛の頭も角を会わせて対象になっていると、丸の両側に三角の尖りのある幾何学意匠としか見えない。牛が二つ並んで四角があると鋤を引いているとか説明されないとそうとは解釈されないだろう。象形文字の走りだという仮説が立つほど、つまりあまり写実的ではない。

絵の刻まれた岩の割れ目には草も生え、、、
岩絵はあちこちに点在し、一つの岩に沢山あったり、巨大な岩壁の下の方にちょっとだけあったりで、どうしてなのかは色々仮説があるがミステリー。「何故ここに」と言う疑問への唯一確実な答えは「氷河で表面が滑らかに平に削られた、彫りやすい岩があったこと」。ガイドさんによると、繰り返し繰り返し牛頭を描いたのは明らかに呪術的。古代地中海文明の「雄牛信仰」が伝わっていた! これも彼の仮説で、私は「ただ牛の数を数えていたのでは?」なんて思うのだが、、、。解釈は研究家に任せることにして、私の鑑定眼(?)では技術も描写も稚拙で何れにせよ「優れた美術作品」とは思えない。だから写真で見た時はそれほど興味が沸かずガイドも不要と思っていた。だがポツンポツンと自然の中に散在し、その景観と光はやはり重要。マチスの礼拝堂ではないが、これも写真と本物を現場で見るのとの印象は大きく隔たっていた。

この谷間はミルティーユの宝庫!
実は最初はニースから、一昨年のプロヴァンス列車に続き、これまた絶景が楽しめるというメルヴェーユ列車 Train des Merveilles 参考 に乗るというのが目的だったが、「やっぱり山に行ったら登らねば」と登山靴を持って来た。結局Cさんの参加で車で行くことになり列車は乗らずじまい(でも9月はナヴェットバス日運行がなかったので助かった)。
そのメルヴェーユ列車行ける中心都市タンドル Tendre には、これまたの命名の「メルヴェーユ博物館」サイトがあって彫り絵の複製と幾つかのオリジナルも見える(入場無料)。何とこの博物館には日本語の案内もあって、、、前回のマチスやマーグ財団の様に日本では知られていないだろうといつもより詳細に書きましたが、ひょっとして有名なのでしょうか???(クイズ番組とかで?)

最後の写真はガイド氏と私。下の湖岸奥に山小屋があるが、フランスの山岳観光地ではモンブラン周辺に続く地域で、小屋と言っても80人収容、毛布もあって寝袋をわざわざ持って行く必要もなかった。とはいってもシャワー自然の冷水、寝室は2段の大板間で鰯状態で寝る。私が驚いたのは、利用者の優に過半数がシルバーという年齢層とドイツ、イギリス、イタリア、スペインなどからの国際性の豊かさでした。

仏語参考ページ:http://www.hominides.com/html/lieux/vallee-des-merveilles-gravures.php



2014年9月1日月曜日

南仏美術観光(マチスの礼拝堂 と マーグ財団)

今回の南仏の旅で文字通りの「美術観光」はマチスのロザリオの礼拝堂 マーグ財団。それぞれヴァンス村 Vence と少し下のサン・ポール・ド・ヴァンス村 Saint Paul de Vence にある。

マチスはヴァンス村で療養をしたとき「若く美しき看護婦」を募ったところ、当時21歳の美術好きなモニック・ブルジョワ嬢が応募して来た。彼女は献身的介護で画家との友好を深め、画家のモデルにもなった。それは戦前のこと。そして戦後マチスが彼女と再会したときは彼女はドミニク修道会のシスターとなっており、礼拝堂を作ろうとしていたというのがお話の始まり。老齢のマチスは「最後の作品」として4年間この仕事のみに没頭、1951年に完成した。病身のため落成式に立ち会えなかったマチスは「美しさではなく真実を求めました … これは画家生涯の結果です。不完全さはありますが、マスターピースと思っています」と書き送った。ドラマですね〜 お話好きの方は次のサイトをご参考に

その結果はたどたどしいとも思える線描きの白黒デッサンに、晩年の切り紙スタイルの緑青黄の三色の ステンドグラスのピュアな世界。白いタイルにステンドグラスで色付いた光があたる。赤いグラスはないのに緑と赤のグラスがピンクの光も生む。他にも祭壇、ランプ、扉などすべてデザインした。ネットで写真はご覧あれ(掲載の写真もここからです)


本では何度も目にしたことがあるこのシャペル、晩年の「簡単デッサン?」としてさして興味を持っていなかったが、スケールと光の効果で現場に行ってみると全然印象が違った。 特に「ゴルゴダへの道」は素晴らい。それから私が葉っぱだと思っていた「ふにゃふにゃモチーフ」をガイドさんはサボテンだと言っていたが、サイトで今見る限りはそうした記述はないが???(確かに葉にしては緑でなくて黄色だ)。

開館時間に制限があるので近くに住みながら初めてだったP君、いたく感動しつつもデザイナーの職業柄ながらの疑問をすぐに抱いた:床が完璧すぎる。確かに壁のタイルは大きさが少しまちまちだったり間隔にずれがあるのに、床は寸分の狂いもなくぴったり張られている。ナイーブとも言える謙虚な空間の中で違和感がある。飾ってあった「礼拝堂でのマチス」の写真では今の真っ白なタイルはまだない。ひょっとしたら床はマチスのコンセプトではないのではというのが彼の説得力ある仮説だが、、、ガイドさんはその質問に怯むことはなかった。

礼拝堂のあとは開館50周年の「作品を前に(Face à l'oeuvre)」と題する記念展をするマーグ財団 。入り口近くの、私は普通好きでない、シャガールもブラックも、もう少しマイナーではタルコアトも良かったし、ベストコレクションの展示の感がある。スタイルの関連性で並べられた展示もうまくなされていた。これも有名な美術館なので解説は私がしなくてもいいでしょう。省きます。

シャガールに続いてボナール
タルコアトTal CoatとウバックUnak
お馴染みミロの可愛い彫刻などが庭に常設

サン・ポール・ド・ヴァンスの街は画廊が集まっていることでも有名なのですが、P君の曰く「素晴らしい作品を見た後に行ったら失望するだけだから行かない方がいい」ということで、連れてもらえませんでした(勿論私は異論ありません)。

マチスの礼拝堂は開館日時間を気をつけて: Chapelle du Rosaire
マーグ財団の50周年展は11月11日まで: Fondation Maeght

ところで記念展では5月に書いたカルチエ財団、やはり展示内容は順繰りに変わっているようです。文句を書いたサイトも見やすくなっていました(もうすぐ終わりですけど)