2013年10月31日木曜日

皮むきのススメ

先週はFIAC(パリ現代アートフェア)があり、それに付随して色々なアートイベントがあって業界は賑わっていた(この辺の事情は2年前に書きました)。私は「業界の人」でもないので、招待券を頂いたイベントを少し回ったが、人が沢山いて疲れた。
そんなある晩、遅く家に帰っても何も食べる物がないので、閉店間際のモノプリで手っ取り早く冷凍食品を、それも馬肉騒ぎで話題になった種の物を買ってみた。スキャンダル(2013/2月23,24,27参考)があったから少しはまともになっているではと思ったら大間違い。これが 例のミネレか(これは24日参考)と勉強になるような、ひき肉とは思えないシャリシャリした砂のような肉に遭遇。安くて便利とはいえ、これがマトモな食品でないことは説明されなくとも明らか。自らをモルモットにするのは止め、野菜の部分だけ食べた(野菜も潰したビュレになって信用できないが、、、)。

やっぱり食べ物は形が見えるものが安心、という訳で:
さて写真は朝市の八百屋が持ってきた、今朝買った卵。ここの野菜は「自然度を増すため、土をわざわざ付けているのでは?」と勘ぐってしまうぐらい汚れているが、卵も同じく泥で汚れ、大きさも色もまちまち。こんな卵パック、日本で売ってますか?(パリでもなかなかお目にかかれないけど)

日曜日には「採りきれないから」と言われて、知り合いの田舎の家のリンゴを採りに行った。到底市場には出回らないデコボコして小さい沢山のリンゴはコンポット(砂糖煮?)にするしかない(でも私は殆ど砂糖を入れない。凝縮されるから十分甘くなります)。ともかく皮を剥くのが手間、かつ出来上がりの市場価値は極めて低いから、やる気がしなくなるかもしれないが、産業製品を思えば「ミネレ怖し」で何のその。頑張りました。

福島原発の地下水による太平洋汚染も、水に薄まりたいしたことはなくなるように言う専門家や、そのように思う一般人もいるが、おそらくこれは、我々現代人があまりにもひどい食品(あるいは環境)に囲まれているので、その程度の放射能汚染の発癌性など取るに足らないと言う「あきらめ」故だと思う。 あきらめの上に築く未来は何なのでだろう? そしてコンポットにしなければ地に落ちて腐るしかない、食べられないほどできるリンゴ、、、 1時間もリンゴの皮を剥くと色々考えさせられます。(まだ半分ぐらいの残っているのでもっと考えられます)

2013年10月21日月曜日

「アミアンから愛をこめて」

今日の午後、007映画の仏語題名をもじった「キス集め」のビデオを youtubeに掲載し、フェースブックにリンクした。さっき見たら5時間の間に358回見られている! これはビデオのできが良いのか、フェースブックという世界がそういうものなのか、どうなのでしょうか?

 

ところでこの新しいブログにはコメントが書けないのではという疑問を聞きましたが、私は下の0コメントというところをクリックすると投稿欄が出てきますが、ひょっとするとブログサイトかgmailにアカウントがないとダメなのかもしれない。どうでしょうか???

2013年10月17日木曜日

「アミアンの白夜」写真編

前回お約束した写真です。撮影は今回ビデオを頼んだフランス国立映画学校を出たAさんこと 畑 明広さん。見事なシャッターチャンス、特に下も「おばさんのびっくり」に私は感激です。

おばさん「こんなキス初めて、生きていて良かった!」と言ったかどうか???
参加者が自分でキスを張ります。でも何故この娘、葡萄をほおばったままなのか?
自分のキスを撮影
キスと一緒に記念撮影
沢山集まると壮観
会場に9月にポルスかのアトリエで集めたパリのキスを吊り下げました(参考:9/13 9/19
良いキスの鑑賞には眼鏡がないと、、、

youtubeにアミアンの参加者からのメッセージがありますので、文字通りご笑覧ください

2013年10月14日月曜日

「アミアン白夜のキス」

私を騙したアミアンの天使達
10月6日に「パリの白夜」のことを書いたが、今週末は大聖堂で有名なアミアンAmiensの白夜。インスタレーションやビデオプロジェクションが殆どのパリに比べ、アミアンは野外コンサートまであり、インスタレーションも観客参加型をメインにしている。といっても私はまさしく観客参加型のイベント「キス集め」を7時から3時まで(準備、後始末を入れると午後2時過ぎから朝の4時まで、ほぼ仕事のしっぱなしで何も観ていないのだが、、、。
「キス集め」は去年は3月にイスタンブールのアートフェアに招かれたので、「2012年キスの旅」と題して、自分の参加したフランスの地方でのグループ展などで行い、最後は11月の名古屋の個展で締めくくった。もともとは西暦2000年の企画でその後は本当にたまに行うだけ。去年はフェースブックを使って「再稼働」してみたのだが、「意外な発展」と言えることもなかったので、今年は最初から「白夜」のみを狙うことにしていた。というのも調べてみると企画の「オープンコール」もあり、「観客参加型」を探していると明記してあったアミアンに狙いを絞り、見事合格!(折角資料作ったから当然パリにも送ったが、はねられた。おまけに「自分で場所を見つけて、自前でするのならいい」ってなご返事でした。何考えてんだ!)

「白夜」に絞ったのは、去年の「美術がらみ」ではなく、もっと一般的な、ものすごーく大勢の人の集まる環境でしてみたかった。実は2003年にモンパルナス美術館の企画で「パリの白夜」にキス集め * をしたが、これはパリ市の作った「モデルコース」外なので来客者は同美術館のネットワーク内の人が多かった。この時のビデオを名古屋の個展前に編集、加えて1999年のパリ11区ののビストロ・メラックでの葡萄収穫祭でのキス集め ** も、今まで放置してあった2時間にわたるビデオ8ミリカセットから今年になって編集。編集作業では私自身には見えていない周りの人々の様子が面白かったので、「アミアンの白夜」では参加者のインタビューなどを含めたビデオを撮影してそれを同時にプロジェクトするという企画にした。

当日土曜の6時の開幕レセプション、シャンパンを手にしつつ初めてプログラムを見てびっくり、第1ページの先頭に「キス集め」が載っている。かつ会場も幾つもの企画のある場所ということもあり、来場者は一杯!!! 何と私のホールでは入場制限、外では列をなして待っているという「国境なきキス」歴代未聞の大盛況だった
そうで、、、というのも私の前にはいつもだいたい同じぐらいの人数なのでそんなこととは途中までつゆ知らず、ホールの中でもみんな列を作って順番を待っているので、「アミアンの人は律儀だなー」と感服していた。変な質問もあまりなくてどんどん進み、結局一晩で集めたキスの数は356(これは手元にあるカード数、多分持って帰った人もいるので本当はもう少し多い)。何せ1対1での対応だから1分強に一人 、これが限界でしょう(機械化すれば別だけど、それはあり得ない選択です☺)

ビデオの方はフランス国立映画学校を卒業した若き日本人映画監督のAさんが担当してくれたのだが、開始早々ケーブルを人に踏まれ何とアダプターが粉砕、カメラから直接が不可になったが、技術スタッフの援助もあり、コンピューターを通して撮影した画像を流すことができた 。インタビューはなかなかウイと言ってもらえなかったらしいが、どんな映像が撮れたのか見るのが待ち遠しい。というのも今のところ彼の機器内で、、、ですので写真もまた今度。今日は昔のビデオでもご覧になって下さい:
  
今や昔、メラック氏、引退してビストロは売られ、もう葡萄収穫祭もありません。編集されたビデオ(何と26分)はこちら(スタンダードの問題で字幕が揺れますが、、、)

キス集めのダイジェスト版とも言える03年のパリ・モンパルナス美術館でのビデオ(5分)はこちら

訂正9月1日に「微笑みの天使」で有名なアミアンと書いたのだが大間違い、「微笑みの天使」はランスでした! 前回行っても不思議に思わなかったのは、天使像も聖人像もほのかな笑みをたたえていて、今回Aさんに「どれが有名なのかよくわからないからガイドブックで見てみよう」なんて言っていて調べてわかった。お恥ずかしい。だから9/1の記事も修正します。こんな間違いもコメントされないなんて、読んでる人いるのかなー?

追加(10/15):何も見ていない「白夜」の模様、アミアン市からリンクが送られてきました。こんな風だったらしい。キス集めは写真写りが悪いのか?ありませんが

2013年10月8日火曜日

高貴なるお二人

10月1日の寄稿に「海水送付と作品交換は魅力のなかった提案だった」と書いたが、20人近い海水を汲んでボトルを送付または手渡ししてもらった人の中で、私の提案に対し「芸術作品を頂く訳にはいかない。買います」という高貴な方が2名いた。
今夏のピンチに送ってもらった海水はただの海水ではない。本当に必要としていて、かつそのお陰で私のプロジェクトは画期的な進展を遂げた。砂漠をさまよい、恵んでもらった一杯の水のお陰で一生を取り留めたというのは誇張かもしれないが、私にとっては非常に価値の高いボイルだった。かつ他の人には、もうデッサンをあげている。高貴なる2名を例外にする訳にはいかない。もし彼らが億万長者なら、ブログを読んでいる方はお解りであろう、お金持ちの社会貢献としてあっさりお金を払ってもらったかもしれないが、二人はアーティストと美術を勉強した下級公務員。芸術を理解尊重する二人だからこういう結果になったのかもしれないが、各人に送ってもらった海水で描いた作品の内、大作と「傑作」を除いて選択してもらっているので、恐縮するのは私の方なのだ。(この2件、問題はまだ解決していない。素晴らしいことです)

来年は自分の知人を越えてもっと大規模に同じ様なことをしようかとも思っていたが、こうした各人の感受性の違いなどの問題を避けられるように、海水を送ってくれた人の中からくじ引きで1名にお好きな大デッサンを貰ってもらうというのはどうだろう? バーゲンセールみたいで浅ましいか?

海水デッサンは気温が下がって塩の結晶の出来が悪くなった。お椀型デッサンシリーズでも、写真のように窓ガラスについた霜のようになってしまった。性懲りもなく2、3作小品を描いたが、木曜からフランスは寒気に覆われるそうで、これで一貫の終わり。

ミラベルも市場からすっかり姿を消しました。結局シーズンは例年に比べてズレたけれど期間はいつもどおり約1ヶ月、長続きはしなかった。

2013年10月7日月曜日

100歳の税金

おそらく2週間前だと思うが、日曜の朝にラジオをつけたら、嫌々ながら多額の寄付をするお金持ちは、その「嫌々の呵責」のが神の与える罰であり、貧しくとも喜んで寄付する者には、その喜びが神からのご褒美であるというようなことを言っていた。フランス文化放送の日曜の朝は「宗教の時間」なのだ。もちろんすぐに切ってしまったが、これは税金の話と似ていると思った。
そして今日、お昼のニュースの終わりの頃、「100歳にして初めて被課税」とのセンセーショナルなタイトルでおばあさんが出てきた。初めてといっても、ご主人が亡くなって以来の14年ぶり、寡婦手当枠の優遇処置が削られて17000ユーロ(220万円)の年収から444ユーロの納税をせねばならなくなったそうである。昔ピアノの先生で、今でもしっかり弾けているし、健康そうだし、どんな生活を送られているのかは知らないが、他人のことだから簡単に「今更出費も多くないだろうから、そのぐらい払ってもいいんじゃないの? 40年近くも年金もらってるのだし、、、」と私は思ったが、息子は「一般的な義憤*を感じる」と言っていた。
普通の市民は所得税を払わされることは「嫌々」どころか「我慢がならない」。だから国民的俳優のはずのデュパルドューもロシア人になってしまったが、このニュースもそんな国民感情を反映しているのかもしれない(私はマスコミがズレていると思いたいのだが、、、)。このネガティブ感情はひょっとすると先にあげたカトリック教会の天罰思想が尾を引いているのかもしれない。
教会は罰なんて否定的に言うのではなく、もしお金の近い道が真っ当だと自信があるのなら、ケチなお金持ちにいかに喜んで寄金させるかを考えたほうがよかった。やっぱりカトリックよりプロテスタントの方が融通が効く:アメリカなので美術館に寄進者の名前がずらずら書かれているように、金持ちの自己顕示欲だろうが良心だろうが、それらを満足させてお金を出させた方がよい。税金も同様、税金を払うことがポジティブに見せる、これが「高額所得者にどんどん社会貢献してもらう」私の「スポーツとしての資本主義のススメ」論だった。何せフランスは世界に誇る健康保険や育児手当などがあり、国民はこれを享受している。これを保とうとするならば税金が高いのは当たり前。国家は赤字なのだ、私が大統領なら、この危機を救うべく100%課税の対象になった人には、出身地に記念碑でもたててあげますが。。。

フランスは市民全員各自が春に前年度の所得申告をせねばならない。今年は私は間違えて要らないところに数字を書き込んだばかりに、社会保険料を二重にとられそうになった。100歳になってもあの申告書を書かねばならないかと思うと気が遠くなる。

写真はブルゴーニュ、ボーヌの施療院にあるファン・デル・ヴェイデン Rogier van der Weyden作の「最後の審判」(人のブログより)

* indignation générale: 前回日本に帰ったときにルソーの"volonté générale"(一般意思)というのがキーワードになっていたが、"indignation générale" もどういう意味かよく分かり難い。 「お母さんの」というのではなく、多分市民全般が感じるだろう憤懣という意味でしょう。









2013年10月6日日曜日

「光り物」は化ける

昨晩は、ビデオや光のインスタレーションがメインの「パリの白夜」フェスティバル。いつも中心地区があるのだが、今年はいつもより散漫、プログラムを見てどこら辺に行こうか見当をつけようと思ったが、決めかねた。結局サン・マルタン運河周辺にに行ったのだが、去年の声音パーフォーマンスのようにはっとするようなものは結局なかった。今日になると何を見たかもうほとんど忘れてしまったが、フェースブックの他人の写真を見ると、「ヘーエ。こんな奇麗だったの」と感心してしまう。自分の写真を見ても、プールの上にビニールがぶら下がっているだけの「零点インスタレーション」でもまあまあ見られる(これはプールで泳いでいる子供達がいるから様になっていた。だから作品はアングルからもほとんど外され、、、プログラムではライブの音楽もあったはずだったけど?) 
第二の写真は中谷 芙二子のレパブリック広場の「霧のナイアガラ」(私の命名)。レパブリック広場は幅百メートルはあろうか、大きい。それを全部使った規模の大きさがよかった。カフェがあり、そこのテラスも霧に包まれていたのもよかった。(広場が改装されて以来行ったことがなかったのでわからないのだが、このカフェがインスタレーションの「白夜」の一部ならば、私の評価はぐんと上がる)
単純なのだが大勢の人がみんなすごく楽しんでいた(本当の濃霧は大抵冬の朝の出勤通学時、それを楽しむ余裕なんてないからか?)。でもこれも写真は現実よりもっと幻想的になる。「光り物」は化ける。(霧と言えば、はや7年前、イタリア、アッシジの自然の霧は素晴らしかった)
私の趣味ではボックスの中に入って歌った人の歌声を、ボックスの上の拡声器で、歪みのひどい音でがんがん流すという変な参加型インスタレーションが面白かったが、これは当然写真映えはしませんね。(昔、某イスラム国でミナレから流れる詠唱に悩まされたが、関係あるかしら)

全体に何か今年はしょぼかったような気がする。単に私のチョイスが悪かっただけかもしれないが、私は勝手にシュトックハウゼンのヘリコプターを使った作品の演奏とか、蔡國強の2時間もある花火に予算が取られすぎたのではと思い込んでいる(両方とも見ていません)。


2013年10月3日木曜日

リキテンシュタイン先生

L先生、美術史の大テーマ「女性像」を琺瑯で
絵画は筆跡にあり、L先生、表現派をパクリ
L先生、最後は水墨画を研究して楽しい(?)生涯を閉じました(1997没)
7月からポンピドーセンターでウォーホールと並ぶポップアートの旗手、ロイ・リキテンシュタインの回顧展が行われている。夏休み中は避け、会期末が近づいてもまさかダリ展のような大人気になるとは思わないが、見逃すしてはならぬと昨晩行ってきた。私はファンとは言えないが意外なほどリキテンシュタインが好きなのだ。その昔は「ただ漫画の複製」と注目もしていなかったのだが、ある日「この漫画は非常に良く構成されている」と気がついた。この人の行ったことはまさにポップアートの教科書の様なもの、「絵画の対象とされていなかった『現代の商業製品』を材料に絵画を築く」。彼はノートに新聞の宣伝などをスクラップし、緻密にその再構成を図る。方法はいつも、これまた丹念にオフセット工業印刷技術のドットを手塗りでという、退屈きわまりない手法だが、結果は、例えばブレッソンの写真のごとく、良い意味で紋きり、つまり「すかっ」と決まっている。ウォーホールは表現方法も大量生産的繰り返しによる60年代的美意識を反映させた。そして現代の「日本漫画派?」は漫画に見る社会の病的部分を誇張したのに対し、リキテンシュタインはただの素材としてそこに冷静に美術史上に連綿たるクラシックな美学の流れに則して仕事する大研究家または師匠なのだ。
とはいえ題材が題材だから、何十作も同じようなものが並んでいると私もすぐにうんざりしてしまうが、この展覧会は一部屋ごとにテーマを変えて飽きさせない工夫がしてある。モネ、マチスの本歌取りとか、ブラシュストロークを漫画調にして構成し直したデクーニングとか、本人は「パロディーではなく、ピカソがヴェラスケスをテーマをしたように、過去の作品への自らの手法でのアプローチ」と言っているが、「本歌」を知っている美術ファンは思わずにっこり、ここそこにユーモアがあって楽しい。本当にまじめに再構成しているのか?観衆の心をこそぐる術をしっているのか? ともかくリキテンシュタインはプロ、先生と呼ぶに相応しい。

水曜の夕方はがら空きでしたが、会期はあと1ヶ月、11月4日まで

2013年10月1日火曜日

およよ

先週以来ミラベルの値段は上がるばかりで「口」に届かなくなった。写真はレーヌ・クロードの旦那のフランソワ1世の築いたフォンテンブローのお城(この2行の意味が分からない人は前投稿に戻る)。
木曜日に大忙しの友人Gさんに替わって親孝行(?)、お母さんにご一緒した。このお城に行こうと思ったのは先日TV番組を見てびっくりしたから。多分パリに来た頃に行ったはずなのに正面の螺旋階段以外には全く記憶がなかったのだがTVでは随分絢爛で、それもそのはず20年近くかけて色々修復したそうな。もう少し詳しいことを書きたかったがオーディオガイドの耳学問は右から左ですっかり忘れ、パンフレットもどこにしまったか、、、。

 というのはポルスカのアトリエに続き、自分のアトリエで大きなドローイングを飾ることにして、なんでも片付けてしまったから。土日限定のほぼプライベートな展覧会で、予想通りとはいえ全然人が来ない。海水を送ってくれた人に来てもらえばと思っていたが、特に昼間は全く一人っきりで、気持ち良さそうに飛び回る蠅の羽音を聴きながらマイコンをたたいていた。そして何故か晩になってから急に人が集まる。勿論誰も来ないよりはいいが、その内「海水の送り主」は2日間で一人だけ。面白がって送ってくれただけで、「作品と交換」という提案はまったく魅力がなかったのだろうか? ともかく初夏の「海水募集メール」には送ってもらった海水での小デッサンと交換と書いたから約束は果たすべく、大きなデッサン、大傑作を除いて提案できる作品を写真にして各人にメールすることにした。デッサンメモを見つつも頭が混乱、それだけに今日まる1日かかってしまった。私はこの種の事務業務には向いていない。
来年も同様の趣向を考えようと思っていたが、作品提供という面倒で魅力もないことはよした方がよさそうだ。9月は展覧会案内もわんさと来るし、孤軍奮闘もやめた方がよい。本当に 2週間前のポルスカおばさんのアトリエは大々々成功だった。おばさん様々です。

おばさんは結構どんなイベントにも参加する。私は選り好みが厳しい。ひとえに日頃のエゴイスティックな行動故と反省するばかり(反省しても改めるつもりはないので、反省とも言えないが、かたくなに頑張りましょう)

ポルスカおばさんのアトリエとは全く異なる、画廊顔負けの空間なんですが、、、