おそらく2週間前だと思うが、日曜の朝にラジオをつけたら、嫌々ながら多額の寄付をするお金持ちは、その「嫌々の呵責」のが神の与える罰であり、貧しくとも喜んで寄付する者には、その喜びが神からのご褒美であるというようなことを言っていた。フランス文化放送の日曜の朝は「宗教の時間」なのだ。もちろんすぐに切ってしまったが、これは税金の話と似ていると思った。
そして今日、お昼のニュースの終わりの頃、「100歳にして初めて被課税」とのセンセーショナルなタイトルでおばあさんが出てきた。初めてといっても、ご主人が亡くなって以来の14年ぶり、寡婦手当枠の優遇処置が削られて17000ユーロ(220万円)の年収から444ユーロの納税をせねばならなくなったそうである。昔ピアノの先生で、今でもしっかり弾けているし、健康そうだし、どんな生活を送られているのかは知らないが、他人のことだから簡単に「今更出費も多くないだろうから、そのぐらい払ってもいいんじゃないの? 40年近くも年金もらってるのだし、、、」と私は思ったが、息子は「一般的な義憤*を感じる」と言っていた。
普通の市民は所得税を払わされることは「嫌々」どころか「我慢がならない」。だから国民的俳優のはずのデュパルドューもロシア人になってしまったが、このニュースもそんな国民感情を反映しているのかもしれない(私はマスコミがズレていると思いたいのだが、、、)。このネガティブ感情はひょっとすると先にあげたカトリック教会の天罰思想が尾を引いているのかもしれない。
教会は罰なんて否定的に言うのではなく、もしお金の近い道が真っ当だと自信があるのなら、ケチなお金持ちにいかに喜んで寄金させるかを考えたほうがよかった。やっぱりカトリックよりプロテスタントの方が融通が効く:アメリカなので美術館に寄進者の名前がずらずら書かれているように、金持ちの自己顕示欲だろうが良心だろうが、それらを満足させてお金を出させた方がよい。税金も同様、税金を払うことがポジティブに見せる、これが「高額所得者にどんどん社会貢献してもらう」私の「スポーツとしての資本主義のススメ」論だった。何せフランスは世界に誇る健康保険や育児手当などがあり、国民はこれを享受している。これを保とうとするならば税金が高いのは当たり前。国家は赤字なのだ、私が大統領なら、この危機を救うべく100%課税の対象になった人には、出身地に記念碑でもたててあげますが。。。
フランスは市民全員各自が春に前年度の所得申告をせねばならない。今年は私は間違えて要らないところに数字を書き込んだばかりに、社会保険料を二重にとられそうになった。100歳になってもあの申告書を書かねばならないかと思うと気が遠くなる。
写真はブルゴーニュ、ボーヌの施療院にあるファン・デル・ヴェイデン Rogier van der Weyden作の「最後の審判」(人のブログより)
* indignation générale: 前回日本に帰ったときにルソーの"volonté générale"(一般意思)というのがキーワードになっていたが、"indignation générale" もどういう意味かよく分かり難い。 「お母さんの」というのではなく、多分市民全般が感じるだろう憤懣という意味でしょう。
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