2018年12月23日日曜日

大展覧会

この年末、パリではびっくりするような大規模な展覧会が催されている。

一つはルイ・ヴィトン財団のエゴン・シーレとバスキア。「何故この二人が同時に?」という素朴な懐疑心ゆえに(ヴィトン財団の企画は「人気取り」みたいなところがいつもあるしで)、なかなか行かずにいたのだが、結局二人とも28歳でなくなったから? シーレは1918年に亡くなったので没後100周年、バスキアは1988年だから30周年と切りは良いのだが????  シーレはあまり目にすることができない個人蔵の初期のデッサンを中心に100点ほど、バスキアは作品が大きいから120あまりの作品が4階にわたって展示されている。だから無茶苦茶つかれる。(ヴィトン財団は小さなカフェがあるだけでくつろぐところがない。夏なら展望テラスがあるが今は寒すぎる)

展覧会の教科書的紹介は「美術手帳」の記事にでも譲ることにして、私の思ったところは二人ともあっという間に自らのスタイルを確立した。シーレは卓越したデッサン力で、バスキアは飛ぶ抜けて斬新なグラフィックなセンスで。
会場でグループを案内しているガイドの説明を耳に挟むと、「バスキアの作品は、読めないように消された文字や散りばめられた現代社会のシンボルやアフリカ系のルーツへのリフェランスなど、見れば見るほど『読み解き』がある」とそれらしく「美術評論家」に都合のよい解釈をしていたが、バスキアのすごいところはそんな記号論ではなくて、あんなに無茶苦茶に落書きしたり紙や板を貼ったりしているだけに見えるのに「絵になっている」ところでしょ?(それが証拠に部分の写真を撮ったりするともう一つきまらない) 今や亜流が一杯だが、80年代前にあんなのなくて(もちろんラウシェンバーグをはじめポップアートでそういう作品はすでに沢山あったがアプローチがもっと知的で「絵画的」だった)、みんなびっくりしたんだよ〜(老人の証言!)

そしてもう一つは「いまさらピカソ?」なんて思って行くとびっくりの、オルセーの「ピカソ、青とバラの時代」展。つまりピカソ初期の作品、1900〜1906年の作品のみ。特に青の時代があんなに集まったのは見たことがない。この時代のピカソは分かりやすいからか圧倒的に人気があるようだが、個人的には感傷的過ぎ、かつデッサン力はシーレの方が上なんじゃないかな〜? 画面構成もすっきりしないものが多くて、、、ピカソもこれだけで終わっていたらモンマルトルのローカルな画家として終わっていたかもしれないと思う。と文句を付ける割に2度も行った(笑)それだけ展覧会として圧巻。


そうそうグランパレではミロ、これは回顧展だから勿論作品数は膨大。「所謂ミロ」になる前の、初期の仔細にこだわるカタロニアの農家の絵がシュール的でもあり郷土芸術のようでもあり面白い。後半はミロでなかったらゴミ箱行きのような絵が幾つもありますけどね〜。

Miro © Grand Palais
結局長生きしたピカソ、ミロは自らのスタイルを探しあぐみ、シーレとバスキアは簡単にゴールインしていたような:長生きしたら全く違うことできたのかは?疑問符。

それから「ジャポニズム」で縄文土器(素晴らしかったが、これはもう終わった)も宗達の「風神雷神屏風」も見ました〜。でも後者「京都の宝―琳派300年の創造」展(チェルヌスキ美術館、1/27まで)は20世紀の某作家さんの宣伝のために仕組まれたような展覧会で変でしたよー。

シーレ 1/14まで 
バスキア 1/21まで 
ミロ 2/14まで

それから私のイラン出身のカタユンさんとの二人展もあるんですけどね〜 1/26まで。ただし年末年始お休み。前回の投稿をご参考に

私も時々は展覧会で写真を撮るけど、最近のパリは写真撮影だけが目的としか思えない人が多すぎる。絵を見ていると肩口から腕がニョーと出て来きたかと思うとカチャリ、急に後ろから距離を計る為の赤い光が発され「青の時代」が「赤の時代」になったり、もう酷い状況だ。イライラして展覧会行くの嫌いになりそう。


上は「青い部屋」とその女性の為の習作(?)
ピカソ、青の時代に入る前、19歳のときの作品。後ろの壁に張られているのはロートレックのポスターだそうだが、初期はロートレック風の酒場の女も描いたし、色調とか単純化とかセザンヌの「水浴する女たち」を思わせる。  色々研究してたんですね〜。
この「青い部屋」を赤外線写真したらベッドの辺からヒゲの男の顔が現れたそうな。その解析の結論が「ピカソも他の貧乏な画家同様に同じキャンバスに上書きしていた」ということで、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまった(次のビデオ)


ピカソ、好きじゃないと言いながら3枚も写真入れましたが、実は12月初めに札入れをなくして「アーティスト協会」のカードもなくし、一度目は泣く泣く事情を話して5分以上粘ってやっとこさ入れてもらったのです。新しいカードが意外に早く出来て2度目に行ったら列にも並ばずにすっと入れてくれた。カンゲキですね。それに比べて日本文化会館は大きなボードを持っていると言う理由で玄関払いになって、、、縄文展は出直し〜。現地採用のガードマンなのに、厳しいねー。 逆に縄文展はしっかり写真撮影禁止だったのでそれはよかったけど。。。(笑)

しかし最近つくづく思うに、こんな正直な美術ブログってないと思うのですが、どうでしょうか?

2018年12月10日月曜日

マクロンショーを待ちながら

 結局土曜日の「黄色いベスト」運動は12/1とほぼ同じ規模の人数が参加し、警備の厳重さにもかかわらず各地区に飛び火するので結局は先週より「壊し屋」による被害が多いという結果になった。それにもかかわらず「黄色いベスト」は国民の支持を失っていない:各人の政治的意見は兎も角、こんな大変なことになったのはマクロンの責任だということに世論が一致しているからのだ。

そのマクロン君、夜8時からTVで国民に向けてスピーチをする。何言うのかな?というか何が言えるのかな? 今までのリベラル路線を棚に上げ、国民の目にはっきりとした実質所得の向上政策を出すしかないけど、そのために増税はできないし、国に蓄えはないし、、、。無責任な私なら匙投げますけど。マクロンは金持ち階級の使命執行人みたいなものと多くの人に憎まれているようだが、彼になったつもりで「今晩どうする?」と考えるとかなり楽しい(苦しい?)ので「心優しき私」は同情してしまう。だから今晩のマクロンショー、かなり期待しています。
それをつまみに何食べようかな〜

さて運動の影響をもろに被った土曜のオープニングだったが、便利さに慣れたパリから交通の混乱にめげずわざわざ来た人はほぼ皆無。だが、サンドニ住民や不便になれた(?)もっと遠くの近郊都市に住む人でそれなりに賑わった。以下既にFBに投稿した写真ですが(ただし賑わっているときは写真を撮り忘れた)

二階からパノラマ。私のドレスは階段に沿って
中央の白いドレス分かるでしょうか? 5年前の作品だが今回世界で初発表!
これは画廊のスザンヌと去年一緒に展示したシルヴィが考えたスライドショー。写真は私のもの


Note pour les photos :

 * La robe blanche au centre réalisée il y a 5 ans est exposée ici à Saint-Denis pour la première fois dans le monde !

** Le diaporama conçu par Susanne de la galarie HCE et Sylvie Pohin. Les photos projetées à intérieure de la forme de robe sont les miennes :)





2018年12月7日金曜日

マクロンのワーテルロー

昨日はずーっと展覧会の飾り付けをしていて、夜は展覧会パーティーみたいなのに行ってその後外食。そこで「作品4点(メインはそれだけ)に何故一日中かかったのよ?」と問われ、我ながら「???」 よく考えてみたら午前中は名古屋で3年前にしたように「死海の水」で窓ガラスへのドローイングに費やしたのだった。多分雨降りだったので湿度の所為かと思うのだが、なかなか上手く行かず(すぐに水滴が流れ出してしまう)、それを克服するために新たなテクニック(そんなおおげさなものでもないが)を生み出したのだった。

というわけでまたまた知らなかったのだが、昨日の夜のニュースインタビューでフィリップ首相はガソリン税値上げを「取り止める」とはっきりさせたらしい。一日違いでこうだから「忙しい私」(笑)がついて行けない筈。そして明日の土曜の4回目の「黄色いベスト」のパリでのデモはバスチーユでされるとか。バスチーユのデモは「恒例茶飯事」* だが、明日はちょっと意味が異なるかも。というのは詩人の友だちが「悪いけど明日はデモするから君のオープニングには行けないよ」とメールしてきたように、「運動」の矛先がどんどん君主的だった「マクロン」に一極集中し、多くの市民の不満を吸い上げる求心力が加速的に働いているように思われるから。多分マクロンは、暴力集団の破壊に嫌気をさせて一般世論は離れると思っていたのだろう(多分これが先週までに打った唯一の対応策で、デモ隊は見事に「罠」にはまったよう見えたが、「政治的結果」はまったく違った)。
先週はマクロンは環境会議でアルゼンチンに行っていていなかったが、今回はエリゼー宮にいる。 機動隊や軍隊も「テロ」以来の過労でうんざりしているだろうし、一触触発!? 過剰にセンセーショナルに言う気はないが、明日はマクロン君の運命の日かも。

*注:「黄色いベスト」は普通のデモのように許可を求めず、ツイッターなどで言い広められて集まる。これも従来の運動と全く異なる 

というマクロンのワーテルロー(?)の日に始める私の展覧会はイラン出身の女性画家との2人展で、2016年来2度グループ展をしているパリ郊外サンドニのHCE画廊にて。含みがありすぎて何と訳せば良いか分からない"Quand la Nature se dérobe"というテーマで、Nature(自然)と Robe(ドレス)がビジュアルな作品が並びます。私は勿論「海水ドレス」がメインですが、ビデオで昔のインスタレーション作品と「海水ドローイング」の融合を目指します。

明日は何が起こるかわからないのでルーブルもオルセーも閉館。いつも社会問題が取りざたされがちなサンドニは逆にクリスマスムードで静かなものだが、きっと誰も来ないよな〜

HCE画廊での展覧会に関する参考投稿
サンドニの町の紹介もある 2016/4/10「今度はサンドニ!」
昨年のグループ展のパノラマ写真 2017/1/15「工事人嘘つかない」

"Quand la Nature se dérobe" Katâyoun Rouhi / Eizo SAKATA

2018年12月5日水曜日

パリ燃えて諸行無常の響きあり

 「黄色いベスト」と訳されているらしい「gilets jaunes」の先週の土曜日のデモがシャンゼリゼを中心に、あたかも内戦のような状況に化した様子は私が改めて言うこともないと思うが、実はそれどころか「運動」の発端が私が日本にいる間に起きたのでなんか訳が分かっていない。まあこれも私が繰り返すことでもないが、「黄色いベスト」というのは工事作業員などが着る黄色い蛍光色の安全ベストで、車が事故った時に外へ出る時に着用義務があるので車に常備していねばならない。自転車族の私も安全のために何処かでもらって一応持っている。つまり誰でも持っているこのベストを「ユニフォーム」としたことが運動の爆発的拡大に貢献したことは確か。

このベストが意味するように発端は「ガソリン税値上げ反対運動」。運動の中心は地方で仕事の為に毎日車を使う人たちで、電気・ガスをはじめ節約することの出来ない出費の上昇に加えて「もう生活やっていけれない!」という切実な不満が一線を越えたように溢れ出した。というのがありきたりの説明だが、私は車はないし、車がないと暮らせない地方の住民でも、かつ普通の「勤労者」でもないので、正直白状してしまうとどのぐらい大変なのかピンとこないのだ。 パリから地方に行くと物価がぐんと安くなるので「田舎なら給料安くても暮らせるんじゃないの」なんて言ったりするとビンタをくらいそうな世相なのだが、多分マクロン君も「無理解度」は私と同じぐらいだったのでは? というのも対処がまったくなく、今になって急に折れ出した。でも歯切れが悪すぎるというか、政府は面目を保つように「増税は6ケ月停止して再検討する」といいながら(これでは運動はおさまらない)、その一方「来年度予算からは除外」(ならば論理的には中止でないの?)。そして運動が拡大するに連れてやり玉に上がって来た、私も昔「なんで〜?」と理解できなかった、マクロン君が一番最初に施行した富裕層優遇の資産改正も(参考投稿)、昔に戻すとは言えず、「効果があったか検討して、、、」と、庶民にわからない言葉で懐柔しようと試みているのだ。だから「運動」はおさまりそうもない。(国民の2/3が運動を支持)
かつ一般の「運動家」がデモに乗っかって破壊活動をする暴力集団を否定しているとしても、凱旋門が破損されるような信じられない暴動となったからマクロンが「黄色いベスト」の要求を聞くようになった(それがなかったら折れなかっただろう)という印象は免れない。

一時は飛ぶ鳥を落とすようなお二人でしたが
しかしこのマクロンの失墜、カルロス・ゴーンもびっくりでしょう。つい1ケ月前は労働者の突き上げをうけても二人ともへっちゃらな顔していたのに。。。実際口べたで彼のように機敏な受け答えが出来ない私は、「マクロンは会話対決が得意でうらやましい」と、政治的な意見は異なれどもそれなりの評価をしていたのだがだが、、、自信満々に言い返すのも逆に嫌われる要因かもねー。くわばらくわばら。

久しぶりのブログでしたが、日本から戻ってから、作品の販売努力はせねばならなかったし、来年の本の企画、今度の土曜日からの展覧会、それに2年ぶりにカレンダーを急に作ることになって、かつ札入れもなくして、私のレベルでは大忙しで、これも「運動」を理解できていない理由の一つです 。

最後に何が起っているか(如何に怒っているか)の理解の糧にビデオを一つ追加します