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2026年9月30日水曜日

こんなこと書いていいのかな〜? 私の優雅な「架空の年金生活」

朝市でもう終わりに近づいたトマト、そしてインゲン豆、それからイチジク、加えて今年はちょっと遅めで盛りを迎えているミラベル、あと何を買ったか?そうそう野菜屋さんのお姉さんの自家製のジャム、そんなものじゃない?それで会計が25ユーロつまり5000円ってどうなってんのこれ。まあともかくすごく物価が上がって野菜果物高くなっている(ググったらトマト、インゲン、ズッキーニの値上がり30〜70%とあった)。戦争と酷暑の夏のため致し方ないと言えばそれまでだが、実は今の私はこんなスーパーの2倍以上するような朝市の八百屋さんで買うような身分ではなのだ。
 
と言うのも私には降って湧いた大借金があって、それが約6800ユーロつまり約136万円。借金といってもフランスの年金機構が私に間違えて(?)『払いすぎていた』!!! そう夏前に通知きて、「そんな馬鹿な」とすぐに書いた反論の手紙を書いたが(今から思えばいきり立たずAIに書いてもらったほうがよかった:最近誰でもそうしてるらしい)その非常に「人間的」な手紙にはまともな返事がなく「委員会で取立て額を検討します」という返事が8月末にあったが今でもまだそのままなのだ。
 
何が起こったかをわかりやすいように以下すべての金額をざっくりと暗算しやすい数にして説明すると、、、私の芸術家生活は収入が極めて少なかったので年金積立て金額が低く月に400€の年金しかもらえないのだが、フランス政府はそのような低額年金者に対しては最低金額800€に達するようにするよう補助金を支給する。こうして2025年1月以来私は400€の補助金を含めた800€が毎月口座に振り込まれていた。ところが去年私は何枚もドローイングを売ったのでそのお金をもらう資格が無くなったと言うのだ。つまり年収が「ある値」に達すると突然補助金ゼロになり、達しなければ100%貰えるという明快というか理不尽というか、まあ行政ではよくあるシステムなのだ。だから400x18ヶ月=7200 (先の金額と異なるのは数を全て計算しやすい大まかな値にしたから) 納得いくと言えば納得。というのは年金もらい始めてから「定収入あるとこんなに違うのか」とびっくりしたほど生活がすごく楽になったという自覚があったからだが、初めてもらった年金、年金機構から振込み月額いくらになりますと計算書が来てそんなもんかと払い込まれるままに金額を使っていたが(そこでお上に申し立てする人いないでしょ?)、年金をもらうと同時に芸術家活動を続けるのは申告済みだし、補助金にはもらえるための制限がありますなんて最初にもらった計算書には書いてなかった! 
 
ともかく急に言われても返済できる額でないし、相手が相手だから年金を何ヶ月間か払われなかったらそれでチャラなる。だから返済せずに済ませられるわけはない。お上の慈悲で減額を待つのみ。しかしこの猶予期間にもかかわらず新年度の年金額にはまたしても補助金が含まれていて、、、もうデッサンを売るなと言う意味か? 実際プッシュすればなんとか買ってもらえそうな話もあるのだが全然その気にならない、これは明らかに「援助」の弊害だ(でもそうならないようなシステムは簡単にできるのに)。
 
しかし逆にこの大借金を背負って以来、昔のように倹約する気がしなくなり財布の紐はかなり緩くなって、、、というのも来年も同じ問題が起こり借金解消までにだらだらと続くのなら毎年同じことになり最終決済は墓場に行ってから? だから気にするだけ損だという感じるからだ。この理屈自らどこかおかしいとは思うのだが、架空の収入が振り込まれるので私は文字通り現実の収入以上の生活をすることになり、細かな費用は気にせず、朝市にもヴェニスにも出かけ「私としては」分不相応の優雅な生活を送っているのである。変なの!?! 
つまり今はドーピング状態なのだけど架空の収入は私が払う社会保険費用の算出などに影響し、これは完全にマイナス要素。年金機構が間違えたからと言って遡って修正してくれるだろうか?こうしたことも毎年起きるとするとかなり面倒。一時的にはいいのだが(笑)やっぱりドーピングはよくない😅 
 
こんなこと書いてよかったかな〜?(大笑)
 
と以上は昨日までに書いた草稿だったが、今日手紙が届いていて、、、額に冷や汗を感じつつ開封したところ、、、私の語学力のせいで読み違えしてるのではないかと何度も確かめねばならぬほどの情状酌量のお告げ=返済要求は借金の10%のみとのことで! 我がフランス愛がまたまた膨らみました😇 私はここでしか生きていけない!😀
 
もらって下さるならいくらでも作品寄贈するのですけどね〜😅 
 
緩慢エイゾウ、でもちょっと節約して前回はリドで泊まりました。ヴェニス本島はむちゃくちゃ高くていくらなんでも話にならん

 
 
 
 
 

2026年9月20日日曜日

キム・ゴードン展、ロックと現代アートに関する独り言

美大は出たけれど社会事業活動の仕事につき、そしてご主人の有機農場の手伝いもし、ずーと活動的で忙しかったFさん、引退して来たる11月に初の回顧的な個展を子供たちの後押しですることになったのだが、初夏以来何故か私に何度もアドバイスを求めてきた。これも何故かだが「できない、もう諦めようか」と弱音を吐きだしたようなので何の役にたつかわからないけれど重い腰を上げ9月頭に南仏まで様子を見に行った。まずは展覧会場を見て、アトリエで作品選び、人生初の「個展コーチ?」という不思議な仕事(もちろんボランティア(笑))は意外なほどさっさと捗った。
 
その帰りにアヴィニョンのランベール財団 Collection Lambert で行われているKim Gordon展を見た。展示は下のインスタ eizo eyes のリンクをご参考にしてもらうことにするが「なにこれ〜」でしょ? 正直「こんなでいいのかね〜?」と思い呆れる反面、ちゃんとキーキーガーガーの連続のビデオを最後まで見通してしまうほどで、これも「何故か」だが決して嫌いにはなれないのだ😅。
 
キム・ゴードン Kim Gordon、彼女はソニック・ユース Sonic Youth(日本語ウィキから引用すると「1980年代以降におけるアメリカのインディーシーンにおいて、ノイズパンクの雄として君臨。後のグランジ、オルタナティヴ・ロックムーヴメントへ大きな影響を与えた」)この説明が意味を持つ人が私のブログの読者にいるかどうか不明だが、ともかくうるさいノイズの多いバンドのメンバーで、紅一点ブロンドで歌姫的な感じを与えないでもなかったがバンドの音楽性からそんな風にはなりがたく😅、73歳の今でもインスタ映像のようにギター持って舞台で暴れたりしている。この人も元々美大出で、でも南仏の友達とは違って迷うことなくラディカル路線まっしぐら、そして私の知らぬ間に現代アートの殿堂でも展示するようになっていて、、、
 
私は子供の時はピアノ教室に通ったし、親にクラッシックのコンサートにも連れて行かれてそれなりにその年齢では十分な素養があったのではと思うのだが、やっぱり反抗期あたりからかな〜、フリーでアグレッシブ(つまりノイズが多い)でジャンルを交差した「初めて耳にした音」はまさにかっこよく、それに打ちのばされて以来ロック青年になってしまった。
 
そんな私が思うに、ロックの流れというのは実は非常に現代美術とよく似ている。
 
今話しているのはロックと言っても一般受けしてただの歌謡曲とならないソニック・ユースみたいなバンドのことのことだが、一応若い層に支持されるポップミュージックだけれど、やっている人は時代の先端を行っているという意気込みがあり、聴く側の態度もWhat's next?という常に耳新しいサウンドの追いかけ思考。つまりどんどん新しいブーム、スターが生まれては廃れてゆく。かつそれが産業(商売)として意図的に仕組まれることも多く、それが上手くいくことも行かないことも:この点はひょっとしたらファンが一般大衆とはほぼ遠い「現代アート」の方が仕組まれやすいと思う。
 
南仏のコンサルタント(?)の後に寄ったイギリス人彫刻家のP君の家で話してる時にレイチェルなんとかの話になって、誰のことかポカンとしていたら「お前の世代だったら知らないということはない」と言われた*。つまりロックでも現代美術でもある時期世界を席巻するアーティストがいてそのジェネレーションでは知らぬアート関係の人間はいない、でも幾世代もはなれた若い世代で知る人はごく稀になるという時代の流れがある。

ロックに関しては60年台後半の優れたミュージシャンたちが昔のロックンロールとプルースの延長に築いた黎明期(?)はすごいパワーだったが、その後テンションが下がり、でも70年台後半からのパンクでももち直し、その後のニューウェーブと私はずーっと熱心なロックファンであり続けた。しかしそれがラップで突如ついていけなくなった!まあこれも過渡的なものと思い込んでいたらいつまでも続き、、、ラップというのはそんなに革命的なパラダイムシフトだったのだろうかと疑問を抱くようにもなったが全然興味が湧かないので研究のために聞く気にもならない。 
ロックと現代美術のアナロジーを考えるといつごろからか私が「今の現代美術」流れにもついていけなくなくなったのも仕方がないかも😅
 
この点クラシック音楽はそれなりに流行りすたりはあるだろうが土台となる曲、作曲家はほぼ永久不滅、演奏者は変わって世代が違うと誰それのコンサートは良かったと言っても通じないかもしれないが、曲の演奏の仕方とか解釈で異なった年齢層のファンでも共に蘊蓄を傾け合う会話ができる。それに反しロックの場合はバンドが主体、それが登場した時代背景も影響するので、同じ話題を分かち合う「友」を見つけるためには同じ世代の元ロック青年を見つけなければならない。かつヨーロッパと日本では状況も違い:日本では安保闘争と反ヴェトナム戦争が背景の米ロック界を背景に「反体制」の知的な若者の歌ととらえられたが、欧州ではロック好きもサッカーファンも近年までは馬鹿者のもの代名詞で知識層の話題にはならなかったものである。
馬鹿かどうかは別にして日本と欧米ではとにもかくにも実況感も違う。今ではSNSの上で昔のライブ映像などで当時の欧米の様子が分かり昔のライブ映像などで当時の欧米の様子が分かり「なるほどそうだったのか」と多少の喜びを今更世界の同世代のファンと分かち合うこともでき、一時よりは仲間(?)が増えたのかも=あくまでヴァーチュアルで(笑)。それに比べP君夫婦はハイドパークのキングクリムゾンが前座だったローリングストーンズのフリーコンサートにいたんだって、信じられん!)
 
こうしてほぼロックを聴き続けた私はロックなんて基本はエレキのディストーションサウンドだと思っているので、キム姉さんのノイズミュージックもそんなに突飛なものとは思えずそれで「ずーっとこんなのでいいのかね〜」と思うのだが普通のミュージシャンはノイズの実験みたいなアルバムを作っても普通は違う方向に向かうもので、このぐらい執拗にやり続けること自体がラディカル、それでこそ「その馬鹿らしさ」も含めて現代アートがちょうど良い落とし所になるのだ。
褒めてるのか貶してるのかわからんけれど私がブログに書くこと自体わが敬意の表れなのです(笑)  
 
 

 

先週末は友達の娘の結婚式でイタリア中央部の街に行き、その後ヴェネチアに行ってキス集めをしてビエンナーレのオープン時の欲求不満(参考投稿)を多少解消して戻ってきたのだが、その間にリタミツコという80年台に大ヒットしたフランスのロックバンドのカトリーヌ・ランジェ Catherine Ringer が亡くなっていた。68歳で私より若い。エキセントリックでエネルギッシュ、素晴らしい歌唱力でずーっと楽しませてもらった。合掌
  
 
注 * ここで話題になったのレイチェルさんは女性で初めてターナー賞を取ったRachel Whiteread、多分現代美術史から消えることはないだろう。もちろん私も知っていたが、ターナー賞を取った人をあげよと言われると私は何人言えるだろうか???
 
参考:展覧会場 Collection Lambertのページ
ご安心ください、もう終わってますので😄 

2026年8月13日木曜日

日蝕また楽しからずや

フランスでは1999年夏に皆既日蝕があった。
そのときは日本の友人N君が知り合いとそのためにパリに来るという知らせが前もってあって、「ええっーそうなのー」とびっくり。わざわざ来るほど面白いものかどうかはわからないが客人に頼られたからにはとベストスポットを研究、日蝕街道の中心線にありパリの北駅から鉄道で2時間ほどで行けるグランヴィリエ(Granvilliers)市の公園に行ったのだった。幸にして晴れわたり(これが最重要条件)、皆既時は正午近くだったと記憶しているが、確かに真昼なのに薄暗くなり鳥も鳴くのをやめ急にひんやり、静寂にみちた数分間は経験する価値はあった。
 
今年は来客通知もなくまたまた知らずにいたら日蝕日(12日)が近くなると急にマスコミが騒ぎだし、週末の報道を聞くと日蝕観測用のメガネが多くの店では売り切れているとか(眼を痛めない「正しい規格品」は主に薬局で売られる)。日曜、かつバカンスシーズン真っ只中に開いてる薬局を見つけに行くのは徒労が多そうなので月曜日早速薬局を巡り出したら全然ない。ついこないだ薬を買いに出かけたときはカウンターの横にいっぱい置いてあったのに〜、なぜ買わなかったのか悔やまれる。
 
我が13区は集団住宅多いのだが、例年なら街がガラーンしているお盆ならぬ聖母被昇天祭(休日)の8月15日付近なのに子供の姿が目立つ。今年は早くから暑かったからかもうパリに帰っている家族が多いのだ(あくまで推測)。つまり子供には何かあってはいけないから親は絶対規格品メガネを買うであろうので、元名古屋プラネタリウム「星の会」の英三少年はいかんせん?(でも昔は分厚いセルロイドの下敷き重ねて太陽観測していたような気がするが、、、)
 
どうしようかなーとググった結果、パリ中心部のリヴォリ通りの天体観測器専門店にはあるらしい。
というわけで火曜日の朝客人を地下鉄に送ったついでにその店に向かったのだがついてびっくり、僕みたいに最後に焦った人がいっぱい詰めかけていて大行列!(カメラアングル悪かったけど背後のメトロの入り口までは続いていたが、ひょっとしたら角で曲がって続いていた可能性もある) 私は正午以降は家に工事人が来るという予定だったので待っていられないので即あきらめ!
結局最後の手段、またリヨン駅に戻り駅のキオスクでメガネが付録になっている一般向け科学雑誌を買った:完璧に「星の会」に逆戻り。 
雑誌はメガネの3〜4倍の値段なので多くの人にとって最後の手段だが、これも遅かれ早かれなくなる見込み😅
 
リヨン駅は 「ここで郊外線に乗り換えて次のナシオン駅へ」というルートを客人に推薦した手前つきあって郊外線に乗せたのだが、なんと『工事でナシオン駅は停まらない〜』とのメッセージが入った。彼女は病院の検査のアポイントメントのため田舎から来たのだが、八百万の神に祈るしかなし→結局一応間に合ったとか😌 
そして工事人が一向に来ないので怒って電話したら明日だった!!!(もう将来危ないです) 
 
さて次は何処から日蝕を見るか? メガネ探しに苦労したのだから今度は抜かりなく? 今回はパリでは太陽が月の影になるピークの時間は20時25分(と思っていたら17分だった:またまた老齢痴呆性の勘違い)、つまり日没少し前で地平線に近いから西方向に大きな建物があるのは✖️、 でもフランスでは皆既日食ではなく買った雑誌によると92.2%だけだからあまり頑張らず近場でと、同じ時間に実地検分。結局あまり西方向に行かなくてもセーヌ川で視界が開けていれば近くの新国立図書館から伸びる歩行者専用橋 Passage Beauvoirのベルシー側がベストに思われたが、ここは人が多そうな気もするのでなんでもないバス道のトルビアック橋からBNのビルの間に落ちゆく日蝕太陽を見るのもいいかと結論。
 
以上日蝕前日11日(火)記述 
 
そして当日:12日 
 
大きなドローイングの加筆なんかしていたらあっという間に時間が過ぎ、アトリエを出ようと思ったら今パリで生活している甥からメッセージで近くの映画館前にいるとか(日蝕のため映画を途中で放棄したというのは英断!)。私の第一候補のpassage Beauvoirに向かったらその前の新国立図書館の広いテラスでも結構見れそう。甥のAI情報ではこの近辺での推薦スポットだとか。太陽の位置から見てビル(新国立図書館は4つの背の高いビルが立つ)の影にはなりそうにないのでそこの木製階段(これがあるのも好条件)に座り込んだ。
まだ明るいからと思っておもむろに例の眼鏡をかけたら4分の1ほど既に欠けていて驚き。パリでの日蝕率マックスの92.2%状態は太陽の上の方が残った形だったが、暗くなったと言えば暗くなったかもしれないが日没期なのでなんとも言えない。私たちの前にいた女性が日蝕メガネとスマフォにつけて随分うまくくっきりした写真を取っているので真似してみたけど腕の所為か古いスマフォの所為かぼやーっとして全然だめだった。フランスの夕食タイムにあたるし猛暑なのでピクニックがてらという人が多いだろうと想像していたが意外に純粋に日蝕を見に来ている人ばかりで変に感心した。
 
 
さてさて、オマケの(笑)科学雑誌によると日蝕は来夏にもある。それはモロッコからエジプトにかけて北アフリカ広範囲にわたるが、エジプトの「王家の谷」も日蝕街道の中心線にある。一度も行ったことないからなと思いつつネットをみたら 
 
「エジプトのルクソールでは、約6分22秒にわたって太陽が隠れる暗黒の世界を体験できます。カルナック神殿や王家の谷といった古代遺跡の真上で太陽が消えるため、歴史的なロマンも味わえる特別な場所として旅行予約がすでに殺到しています」とのこと。
 
そりゃそうでしょう。 
 
このようなことが起きるのはちょうど月が太陽をぴったり隠せるという位置関係にあるからだがこれって奇跡的! まさか力学的に意味ないよなと一応ググってみると(このような疑問は文章で書けば答えてくれるAI検索がされるようになって本当に楽になった。以前(といっても多分数ヶ月前)なら多分日蝕ページを読み通さなければわからなかったはず。ともかくそのお答えは: 
 
地球から見た太陽と月の見かけの大きさがほぼ同じ(約0.5度)なのは、太陽の直径が月の約400倍であると同時に、地球から太陽までの距離も月の距離の約400倍という「400倍の偶然」によるものです。科学的には物理的な必然性や意味はなく、偶然の一致とされています 
 
私はこれを読んで胸をなでおろす。実はフランスでは近年(いつ頃からだろうか)おそらく仏教思想の影響で、偶然の街で出会ったりすると嬉しげに「私は偶然は信じません」または「偶然は存在しません」と誇らしげに宣言する人多くて、私は「うんうん」と流しているのだが別に偶然を受け入れてもいいのではないかと思っている。特に「あなたと巡り合ったのは偶然でありません」などと言われると「勝手に決めるな!」と言いたくなるのは私かなりへそ曲がりなのだろうか? 
偶然に神秘を感じるのもクールでポエティックだと思うのだが。 
 
 

2026年8月3日月曜日

猛暑と訃報

 今年のパリは5月にすでに猛暑第一波に襲われ、私はその所為かと疑っているのだがその直後に何人ものこちらでは馴染みのある著名人の逝去のニュースが続いた。そう人に言いつつ誰がなくなったか忘れてしまい、、、pcに尋ねていたら、そうそうこの人たちだった。
 
  • Edgar Morin 5月29日 104歳:社会学、哲学者で104歳、最後まで頭脳明晰、現代世界に向かって発言をし続ける座標となる最後まで尊敬された知識人だった ウィキ どんな人だったのかわかりやすく知るのはこの方がいいかな?
  • André Santini 6月1日 85歳:シラク内閣で大臣職にもついた右派の政治家だが、有名なのはイッシー・レ・ムリノというパリの西南に位置する町の市長職を1980年から死ぬまで46年間も続けた!市政的にはセーヌ河沿いの工場跡地に大企業、先進企業を誘致して再生させた。ユーモアに富む昔タイプの政治家。外国語学院で日本語も学んでおり、非常に親日家だった
  • Areski Belkacem 6月1日 86歳:音楽家、作曲  ブリジット・フォンテーヌの連れ。
  • Marjane Satrapi : 6月3日 54歳 映画化もされた自叙伝BD(フランス式漫画)ペルセポリスを描いたイラン生まれのBD作家 Vogue Japonの記事
  • Bernadette Chirac : 6月5日 93歳: ジャック・シラク元大統領の夫人、地方議会員でもあった
  • 四人目のSatrapiさんは近親者の発表で「悲嘆で亡くなった」というので政治的闘士の彼女なのでイランの現状のためだと思い込んだら最愛の夫を1年前亡くしたその後の悲しみということ。何にせよ私には想像できないドラマチックな死因でまだ若くて話は全く別だが、他の方々は高齢だったのでやはり猛暑が堪えたのではないかと私は思い込んだのだった。しかしその後6月、7月に再度2波の猛暑が襲ったが鬼籍に入る有名人が続いたということはなかったので本人および周囲が体調管理に特に気をつけるようになった、あるいは単純にただの偶然だったのかもしれない。

    その後最近になって私の近親、リト(石版画)を習い出したときに同じく生徒だったイギリス人のSさんの訃報がアメリカから、そして小学校からの親友だったY君の訃報が日本から相次いで届き、心にぽっかり穴が開いた。二人のことを追想すると上記の有名人たちのような簡略な羅歴ではすまなくなるので今日も簡単にこれまで。

    遠くより二人に合掌

     

    写真はKyo_Pasの趣味の水彩絵葉書 この教会は5年前に亡くなった舞踏ダンサーの岩名さん参考投稿のスタジオ近くにある田舎の村の教会。横で手をあげているのはフランスではどんな小さな村にでもある、第一次大戦で亡くなった村出身の兵士への記念碑の像です   

    (追記:前回気掛かりと書いたFさんは元気だとのお便りをもらった。よかった〜。それにブログを読んでの便りなので嬉しい)

     


    2026年7月31日金曜日

    私が夜な夜な京マチコにうなされるわけ(笑)

    私の太秦のマンションはかつての大映の京都映画撮影所の跡地に建っているというのが一つの自慢(?😅)だが(24年の過去投稿)、今日fbを見ていたらそれこそ羅生門のセットの建築中の写真があった。それがコレ:
     
     
    そして下は私のアパートのバルコニーから北西方向を眺めた写真だが、この左側の穏やかな山並みは先の写真のセット建築中の裏側の山並みだ! 「私の建物は映画撮影所の跡地にあるのではないか?」というのは友人Fさんがメールで私に投げかけた疑問だったのだが、彼はこの写真を知っていたのかも???(最近音沙汰ないけど元気かな???) 
     
    注:中央右の高い山は愛宕山 
     

    セットの工事の写真が載っていた記事は「羅生門」の製作からヴェニスの金獅子翔受賞前後の状況のエピソードが書かれてあり面白いのだが、どうやってリンクすればわからない。先の白黒写真のリンクは

    https://www.facebook.com/photo?fbid=1565175435077859&set=pcb.4396140660647346

    で、続いてセットが建ってくる様子の写真があるが、大映の社長はベネチア映画祭に出品には全く興味がなかった等々のエピソードにはどうやって辿るつけるのか? 掲載者の「三品Mishinaゆきひろ」をクリックするしかないか?

    撮っているはずのマンション入り口付近にある石碑の写真も出てこないし、今日はごく簡単ですが諸種の事情によりこれにて「終」 (7月も猛暑とW杯であっという間に終わったし😅) 

    2026年7月21日火曜日

    ゆめうつつ 夜毎に描く地図(寝小便の話ではありません)

    ご存知かどうかしれないが、私は以前(95年から2010年あたり)よく田舎のアーティスト・レジデンスに行っていた(田舎の畑や山やらで自然素材を使ったインスタレーションをしていた)。私は車を運転しないのでその周りをともかく歩き回る。今のようにいつでもGPSで位置が確認できる時代ではなかったので見える風景とランドマーク(廃屋とか大木とか)をもとに頭の中で地図を描き動き周り、2週間もすれば普通の村の住人よりはいつも地形をよく知るようになっていたと思う。一応土地勘・方向感覚があると自負している。そのくせ夢の中ではやっぱりそんなふうに歩き回っては、、、いつも道に迷うのだ! 

    「この怪しいバラック街を通り抜けて左に折れてしばらく行くと畑の中に唐突なビルが建っているはずなのだが」と見渡しても見えなくて戻ってバラックで仕事していた青年に聞くと「あれは1年前取り壊された」とか。「この民家の庭を突っ切った後の建物にはいると地下道があってこれがずーっと向こうまで行く近道」とか。つまり夢で見る土地は何度も行ったかなり馴染みの場所なわけ。そしてそれがレジデンスに帰ろうとかしているのことが多くて、ひょっとして本当に行ったところと関係あるのだろうか、あるいは子供の頃遊んだ野原とかとは? と夢の地図を描いてみて現実に行った場所を比較検討し始めたのだが、現実も四半世紀も経ってしまうとその記憶はかなりあやうく「あれはレジデンスの時の想い出と思っていたのが実際はただの夢の中だったのか???」とまことにおぼつかないことになってきた。

    うつつの世界でもヴェニスに行くようになってから「方向感覚がある」という私の自負は木っ端微塵に粉砕されたが、その所為の「よろめき」か、日本の私の新拠点の京都の太秦も小ベニス (笑)、洛中の碁盤の目とは大違いで運河や用水路に沿って道が湾曲し、「自負」のせいで知らない道を選んではもう自宅の間近なはずなのにGoogle マップを見ても堂々巡りをすることしばしば。そして日本に何ヶ月か戻っていた後パリに戻っきて自転車に乗ったりすると街の真ん中で「何でこんなところで間違えるの!?」ということが起こり頭の中は完全にブラックアウト!←ヴェリブは30分間という制限時間もあるからそのストレスがあったりするともうあかんです。私どうなっちゃうんでしょうか?

    ともかく日は東から昇り西に沈む、それだけが夢でも現でも唯一の頼り。

    ところでどんなことがあろうと道に迷わず行けるご近所のフランス新国立図書館で先日まで「想像の地図 CARTES IMAGINAIRES」という展覧会が催されていた。地図を描くことは、知っている場所と知らない場所の境界を引く。昔の地図では未知の世界には色々な怪獣がわんさかと暮らしていて、それが地図上にも描かれている。そんな楽しくもある世界だったが、大航海、探検探索が続くにつれ怪獣たちは追い払われ、未知の場所は既知の場所の間のただの白い空間、情報で埋められることを待つただの空きのスペースとなってしまう。これで第一章の終わり。第二章は語りつがりや古代の書の叙述を元にした伝説の地の地図。第三章では文学での地図。空想の文学でその世界を構築するのに作家には地図を描いて確かめる方が便利らしく、宝島やロビンソン・クルーソーのみならず、プルーストも自分の空想を織り混ゼるノルマンディ、その地理を誤らないように原稿に鉄道路を書いていた(ここまでくると描くと言うより書くだろう)。その後の章は省略(笑)

    それにしても私の夢の世界の地図は一筋縄ではいかなく思われる。知っている世界と知らない世界が曖昧で穴だらけと言おうか、ゼロから1の線の間にも有理数より無理数の方が多いが如く無限の穴のスポンジ構造をしているのだ。というわけで地図は描けても境界はあってなし。

    猛暑のせいか(ただそのせいだといいのだが)先週は眠くて眠くて、、、そして夢の中を彷徨うと歩きすぎて足がつって目が覚めること屡々で。これを普通の人にいうと「ちゃんと水飲みなさい」で終わりだけど。

     

    1595年にアントワープで出版された出版の世界初の私もいつか行ってみたいアイスランドの地図。

    まあまあ普通になってきたけどまだまだ変な怪獣(海獣)がいます。右上の流氷も芸が細かい!

     

    これは解説不要でしょう。さすが国立図書館いろいろなもの持ってます
     

    プルースト、迷子にならずバルベックに戻らねば(笑)
     
    キミはタコを見たか? 1900年の漫画地政学図

    「道化(狂人)の頭の中の世界」(16世紀後半) 地図は人間の情熱の鏡であり瞑想の助けだと解説にありましたが。

    しかし世界地図見るとなぜか日本を探してしまいますねー

     

    展覧会の写真はいつもながら隣人アーティストのカリム君が綺麗な写真をfbに沢山出しているのでそれを参考にしてください😄


    2026年2月18日水曜日

    行くか戻るか? そして我がタ個展のこと

    タイトルの注:タはカタカナの「た」です😅
     
    私は「日本にいついつから戻るよ」と言うと「今でも日本に戻ると感じるのか?」と質問をしばしば受ける。逆に「今度はいついつパリに戻ります」と言うのはそれほど不思議がられないようなのは暮らした月日の長さがものをいうのか?
    「日本が母国だから当然戻るのだ」という帰属意識はあまり持ちあわせないのだが、フランスの国籍もないし(日本は二重国籍を許さない)いつまでたってもフランス語は間違えるしでこちらも帰属意識なし。とはいえ根無草ともいえないのはどちらの国にも幸に暮らさせてもらえた恩義を感じる人々がいて、そこに戻ってくると懐かしさ、気安さを感じるのでやっぱり私は双方向に戻るのだ。そういう意味で確かに二拠点生活なのだ。世に言うハイソな二拠点生活をされてる方達はどう思うか知らないが。
     
    という次第で今年の冬は11月中旬に京都に「戻って」来た。というのも去年は12月に戻ってすでに紅葉が落ち寂しく感じたのが第一の理由。それにフランス在住アーティストの山田さんが参加していた近江八幡のビエンナーレを見るのもいいかと。(琵琶湖ビエンナーレは結構面白かって@eizo_eyesで紹介した)
     
    こうして自分の名古屋の個展には2ヶ月以上も間があくことになった。
     
    いつもは日本に着いてすぐ作品の額装とか案内状書きとかの展覧会の準備にかかりあれよあれよという間に展覧会となる。しかし今回は超余裕で今回の新たな作品シリーズである自分のドローイングを貼り合わせるコラージュは大方のアイデアはできていたが、こちらについてから最終決定。手持ちの額との組み合わせ、または新たな額を調達してみたりし、台紙の色とか、作品を浮かせるとか浮かせないとか、こういうことは面倒だが嫌いでないし、人にまかせた時のバッドサプライズはないから作品の額装は私は自分でやる。でも時間的に余裕があると色々なバリエーションも試してしまうから結局客人が泊まりに来た期間以外はそんなことばかりしていた😅
     
    それに名古屋のLギャラリーには高さと幅が80センチぐらいで奥行きが約60センチの奥まった中心にスポットのある大きい目のニッチがあって、普通に平面作品飾ったらダメでしょ? で、ここをどうするかが(他のアーティストの方は知らないが)私には大問題で何ヶ月も前から考ると汗がたらりたらり蝦蟇状態になる。
    ちなみに今までここを飾ったのは、パリで貰ったいかにもヨオロッパした額に入れた1967年の日本のユトリロ展のモンマルトルの劇場広場の絵の絵葉書と今の劇場広場に行って私が書いたスケッチ、あるいは水の屈折でアリスが伸びる毬栗で閉じられ開けるに開けれない鏡面的な2本のワインボトル、キャンバスの布地の灰汁(?)をとってポタリポタリと黄色い水の滴を落とす死海の水で描いた砂時計、前回はダンボールにマジックで描いたドラ・マールとピカソをめぐる一座。そして今回は? 良いアイデアは浮かばず日本まで先延ばし、それどころか新年にまでもつれこんでしまった!!! つまり年末に来たマダムは我が家で白いタコ軍団など全く目にしなかった。つまりこれは年始以降に作った真新作! 
     
    「#キミはタコを見たか?」をマントラにして常にタコを探し続けた私、子供用の工作粘土の「びよ〜んとのびる」というパッケージングの宣伝文句がタコの足に直結。 そしてタコは環境にカムフラージュ、だから白い空間では白くなるというのがスタートポイント。その後はタコをひねり出せるかどうか?これは試行錯誤の造形の問題でどちらかというと楽なハードルとなる。 
    そしてできたできた、みょうちくりんなタコ入道たちが!
    でも時間があるともっと考えてしまう。京都に暮らすと和の雰囲気も入れたくなってそんなバージョンもできたが、考えすぎた時は第三者(画廊)の意見の方が正しい。かつ驚くべき超特大ワイングラス(!!!)が画廊の奥から登場し、すっきりと白のオリジナルバージョンに戻った。
     
     
    ‥と難題はこのニッチスペースだったが、展覧会のメインは壁でして、、、
     
     
    その第一幕はこちら

     第二部はこちら

     
    以上の映像にちらりとも登場しない作品もいくつもあります。  
     
    名古屋名東区のLギャラリーにて2月23日までです >参考サイト 
     
    最後にこれが日の目を見なかった和バージョンです(笑)


    2026年2月13日金曜日

    キミはトウフ屋を見たか?

    我が街太秦には昔懐かしいコロッケをその場で揚げてくれる肉屋さんや野菜を一笊いくらで売る八百屋さんがあり(これは一昨年引っ越して間もない日の投稿で書いた)、それに学校の下校時間のみ開く古びたみたらし団子屋さん、それに裏道に入ると畑があって野菜の直売の店がちょくちょくあるという楽しいタイムスリップ地区なのだが、なぜか豆腐屋さんが見つからない。

    京豆腐というわりに街の豆腐屋はもう存在しないのかなと思っていたのだが、今日正真正銘、写真のような薪の燃える釜のある豆腐屋さんが京都御所から遠くない裏通りで出くわせ急ブレーキ(注:自転車です)。三角の揚げ豆腐を見たら大根おろしと醤油でそれがおかずになっていた子供の頃の記憶が湧き上がり、今晩はそれで済ませた(笑)  


    この豆腐屋さん、数十年前のフランスの田舎のチーズ屋と似たところもあるなー(これも懐かしい)。「いつ頃からあるの」ときくと「100年ぐらいかな〜」と。でも通りから見ると暖簾に『創業文政年間』とあるではないか! 問い直してみると「書いてあるものがないからそれはあてにならんよ」とあっさりと言われ、、、創業10年や20年で宣伝したがるお店の多い日本でのコレ、感服いたしました。 

    本当は私の名古屋の個展「キミはタコを見たか?」のこと書くつもりだったのだけれど、それはまた今度 

    付記:右写真の昔ながらの揚げ豆腐に比べ、普通の豆腐は時代は変わり、水から掬い出すことはなく既にパックにされていた。しかしこの豆腐屋さんは懐かしい以上、こんな店は子供の頃も見たことなかったかも。

     

    2026年1月14日水曜日

    マダムの見た行く年来る年

    「あれれ〜、こんなにブログ書いていなかったのかな?」と自らびっくりだが、お正月にお客さんを迎えた私の今日のトピックスは「日本ではリチュアル(宗教儀式)が生きているか?」

    年末年始パリから太秦に遊びに来た老マダム(実は私とほぼ同じ歳😅)、このおばさんはかつては殆ど日本に興味を持っていなかった。多分タイ、ベトナム、台湾、韓国、日本の位置関係もわかっているかも甚だ怪しかった(今は少しは認識したとは思うが、、、)。フランスでは一般教育の内容が日本と大いに異なり、高等教育を受けていてもとんでもなく地理歴史を知らない人が多くて呆気に取られることがよくあるのだが彼女はまさにその例。(日本は日本でその暗記主義の地理歴史はとんでもない教育と信じていたが、一応なんでも「名前ぐらいでも知っているは役に立つこともなきにしもあらずか」とこういう人に出会うたびに思うようになった😅)

    そんな彼女とは数ヶ月前までは「なんでみんな行くのかね〜?」と近年フランスの日本旅行ブームを斜視しつつ話していたのだが、「年末ヴェカンスに孫も(大きくなって)遊びに来てくれなくなった」と寂しそうにいうので「それなら京都に来れば?」と口が滑ったのがそもそものことの始まりだった。そのまったく日本に興味を持っていなかった彼女、そのマダムが見た日本は? 

    結論から行くと多分全ての仏人旅行者と同じく彼女にとっても「日本は素晴らしい国」だった。

    彼女が一番感心し何度も私に繰り返し言ったのは 「日本はリチュアルが生きている!」
     

    年末年始の神社仏閣、特に大神社に行くと数えきれない提灯が吊り下げられライトアップされていて彼女を圧倒、それに書かれているのが寄進者の名前でまずびっくり、一升瓶や酒樽も積み並べられていてこれにもびっくり。「これ神主が飲むのか?」マダムには神社はとても陽気な空間として映ったようだ。(笑)
    それに列をなして参拝する大勢の人、人、人。(もちろん渋滞状態になるような場所、時間は避けたが) 
     
    私はリチュアルと言われるとそうはそうなのだが、マダムが想像している「宗教儀式」という概念とはかなり相違があるのではないかと思う。除夜の鐘、初詣などは宗教儀式と言うより年中行事。信心、つまり神や教えを信じてというほどのことはなく、おみくじを引いたり縁起物を買ったりするのを楽しむ、言ってしまえば娯楽、余興プラン。引き述べては旅行プラン。江戸時代からの落語や膝栗毛のねたになっているお伊勢参りはいい例だ。ヨーロッパでは十字軍の時にヴェニスの商人が聖地巡礼旅行を企画したのがパック旅行の始まりと聞いたことがあるが、行楽は宗教を凌駕するのは世界中どこでものことだろう。
     
    その点私も弥次さん喜多さん、熊さんとかわらない。マダムを連れて大晦日に八坂神社へ行き、縄を1000円で買ってお金持ちなのに結構財布の口が硬いマダムに信心ぶりをアピールし(笑)、長蛇の列をなして火をつけてもらったすえに(何度も曲がる列の中で「どのぐらいかかるのかな〜」と話をしたお兄さんが知らぬ間に偵察に行ったらしく「裏の方でも火もらえますよー」と親切にも教えに戻ってきてくれて😇そちらに行って点火、「これを家まで持って帰ってかまどに火をつけるのだ」とマダムに説明し実行!「これ持って列車乗っていいのかな」と縄を売っていた人にきいたら「大丈夫だと思います」と安請け合いされて「さすが歴史の街京都!」と私は感心、マダムは火事の元になるようなことが正月の行事としてまかり通るなんてことは信じられないとまたまたびっくり(それもそうだ😅)。
     
     
    まずは人並みの中を人に気をつけながらも火を回しつつ歩き、まずは阪急電車に。列車の中で若いカップルに好奇の目でみられ(結構匂いもするし)、隣に座った青年にきかれて「をけら詣り」の説明(という私もマダムのために復習した一夜漬け知識にすぎないが、若い人たち意外に全く知らないことが発見だった)*
    そしておっとりしたチンチン電車の嵐電の駅にたどり着きほっとしたら、なんと「煙が出ていると発車できません」と運転手に火を消すよう言われ〜、もちろん歩いて帰るなんて信仰心はないのでこれにて冒険終了。いつもヘラヘラしている私の落胆ぶりはマダムにはっきりわかるほどだったようだ。
     
    大晦日にあれだけの人出があるものの京都ではパリのように深夜運行バスがないのは不思議。(勿論バスは列車以上に火の持ち込みは問題外だったろうが)
    それはさておき嵐電で家に戻りマダムがフランスから持参したシャンパンを開き、「きっと沢山のお寺の除夜の鐘がきこえることでしょうね」と以前知り合いに言われていた我が家の自慢のバルコニーへ。でも不思議にほぼ全然聞こえなかった?!?
     
    をけらの火は使えなかったが翌朝は家の近くの和菓子屋の特製の餅を使って京都風に白味噌で雑煮を作り、元旦はこれで始めるのだとマダムに言ったが彼女はコーヒーをいれた(笑) 
     
    その後晦日の駅のプラットホームで火を消させられたのがまだ心残りだったので、同じ神社だからいいかと近所の俗称「蚕の社」へ行って再点火することにした。ここは普段人っ子ひとりいずひっそりとしてオカルト的な謎めいた雰囲気も漂って大好きなところなのだが、元旦は鳥居からとは言わないまでも域内の半分以上まで続く参拝客の列ができていた!いつもは涸れている非常に稀有な三面鳥居で囲まれた「祀られた泉」からも水が湧き出し水路に水が流れ、来た甲斐があった。これを写真に撮るおばさんをするにまかせていたら私は皮肉っぽく咎められた。 やはり信仰は生きているのかなー?
     
    八坂神社のみならず松尾大社や散歩で出会う数々の神社では健康を、えびすさんでは商売繁盛、縁切り祈願の石も潜り、勿論タコ薬師のタコを撫で、京都に来てますます節操もなく神仏様を当てにしている。特に最近命以外のものはすべて何処かに置き忘れてきてしまう傾向があるので、、、。ひょっとするとその所為でマダムは背信者エイゾウの中にも意外な信仰心をみたかもしれない?
     
     
    * 注(Googleより)
     
    「をけら詣り」とは、京都の八坂神社で大晦日から元旦にかけて行われる、一年間の無病息災を願う伝統行事です。境内の「をけら灯籠」から「をけら火(白朮の香りのする火)」を吉兆縄(きっちょうなわ)に移し、火を消さないように回しながら持ち帰り、その火で雑煮を炊いたり神棚を灯したりするものです。 
     
    説明を最後まで読むと「現代の注意点」としてこんなことが書いてあった。ハハハ!
    • 近年では、公共交通機関への火の持ち込みが禁止されているため、火を消した後の火縄を持ち帰る形が一般的です。 
     
    私の去年の京都で初めての正月(除夜の鐘と餅つき)はこちら😄