2017年12月30日土曜日

エイゾウ改め 猿方英郎

町・村興しの野外インスタレーションをしなくなってから方々に書類を送ることはしなくなったが、先日フランス中央部の町の美術館でのレジデンス+個展の公募があって、これが不思議なことに書類提出は郵送でとのことだった。現代では提案、予算、作品集など大抵一つのpdfファイルにしてメールで送るのが99.9%。「郵送のみだと意外に競争率低いかも」何て思い、それにその町が、私がこよなく愛する地平のみが広がり、普通の人には何もないオブラック地方 * に近い所だったので応募してみた。

その返事が来まして、、、勿論ダメだったのだが、返信封筒の宛名が写真のごとく、住所、氏名、間違えだらけ。おいおい、これって中のプリントされた書類を見たらあり得ない。どうみても私のミミズの這ったような字で書かれた封筒の住所を見て書いたとしか思えない。中もまっさらで検討どころかページを開いたような感じも受けないし、、、つまり私が確信するところでは、私の書類は往信した封筒から返信封筒にそのまま移動した。おそらく公募でも入選者は既にほぼ決まっていたのだろう。メールで書類を受付ないどころかおそらく決定機構も旧態依然。こういうのってやめてほしいな〜。メールだと「旧態依然」の事実をすっかり隠せるのに(笑)

はい、以上今年最後の厄払いの為に。

では良い大晦日、お正月を。


* オブラックに関する過去の投稿 
あこがれのオブラック 
オブラックの宵 
Aubrac in my mind - 2 
我が心のオブラック


 

2017年12月25日月曜日

真っ赤なお鼻の、、、

この季節になると流れてくるクリスマスソングの大多数がアメリカに移民したユダヤ人によって書かれたと言うことをご存知だろうか?

今の様にアメリカ社会に順応していなかった20世紀初期のユダヤ移民はキリスト教の祭であるクリスマスは祝わず、クリスマスイブはもてあまし、同じくクリスマスに関しない中国人移民のレストランへ家族で食べに行くというのが一つのパターンだったらしい(ちょっと私みたい*(笑))。
そうしたユダヤ人家族で育った作曲家の書いたクリスマスソングは、キリスト生誕などの宗教性テーマはなく、一歩距離を置いて冬の叙情やクリスマスの雰囲気を描写した。かつ米国の歌謡曲界で既に活躍していたユダヤ人ミュージシャン達は流石に商売上手、そのマーケットの巨大さに眼をつけてクリスマス用のポピュラーソングなる領域を作り上げた。(以上文化放送アルテのTV番組**からの受け売り☺)

数ある中で私が一番好きなのは「真っ赤なお鼻のトナカイさんはいつも皆の笑い者、、、♫」なのだが、この「赤鼻トナカイ」の生みの親はロバート・メイ Robert May (wiki)という人で、広報デザイナーとして勤めていた百貨店チェーンがプレゼントする色塗り絵本のためにルドルフというトナカイの話を創作した。これは1939年のことで、曲が出来るのはずっとあとの1949年、義理兄弟のクリスマスソングの専門家と言われるジョニー・マークス Johnny Marks(ウィキ)が作詞作曲した。

アルテのTV番組で語る某ユダヤ人によると、この話は作家自身の幼年期の経験に根ざしており、「鼻」を馬鹿にされるルドルフは他の子供から差別を受けたユダヤ人の子供の姿に他ならず、その鼻を変える、つまり他に合せて迎合するのではなく、彼自身本来の姿で受け入れ評価されることになるという、ユダヤ人としては涙なしでは語れない内容であるというのだ。

いやー、おそれいったなー。楽しい曲だと思っていたけれど。ひょっとしたら私がこの歌が好きなのも、自分の出来の悪かった幼年期に鑑み、知らずとそう言うメッセージを受け取っていたのかもしれないと感じる次第。

ところで先日亡くなった前回取り上げたジョニー・アリディ、CD、DVDが60万部も売れてクリスマス商戦ダントツだそうで〜。本離れ、CD離れのご時世だが、やっぱり当たり障りないプレゼントの定番。私などうんざりする大消費イベントのクリスマスだが、それなりに出版などの文化産業を支えているのかもしれない。兎に角マーケットが巨大ですからねー、来年までになんか考えよう(笑)


* 注:異邦人坂田英三のクリスマスの悲哀に関しての参考投稿:
2013年12月28日 メリークリスマス、ミスターエイゾウ
2012年12月15日 オペラ座のクリスマスイヴ

** Hits de Noël Les succès musicaux des immigrants juifs ( Larry Weinstein,2017)

2017年12月8日金曜日

ジョニー・アリディの場合

「国際的資本主義で起きていることは、不定住民たち(私もその一員であったし、そう言う生活を経験したのだが)、彼らはもはや責任がないと考えている。株主に対する責任はあるが財政面、まさに利益蓄積だけでの責任で、つまり隣人に、彼らの住んでいる社会に対する責任、環境の、正義に関する責任など、完全な意味での責任は担わない(…)
もし経済的社会的政治的エリートが彼らの現在の自由と彼らの責任の分担を両立させないとしたら、その場合は望む望まないにかかわらず彼らはその自由を失うだろう」*

以上はマクロンの大統領になる直前5/5のインタビューでの発言。結局私が前回「グローバル社会のお金持ちは『どこでも一番資産の増やせるところに移動すればよい、つまり自分たちは医療も教育も何でも自力で解決できるから公共サービスなどどうなってもいい』と思っている」と書いたが、ほぼ同じようなことを経済エリートで大銀行に勤めていたマクロン君が断言してくれている訳で、私の憶測も全くの妄想ではなかった。。。

最後の2行は「資本主義が崩壊する」ということなのか、私の政治ではそうは行かないと言うことなのか? 今のところ政策としては制約を作るどころか緩める方向だけ。お金持ちの社会責任に目覚めさせるのは私も同意するところだが、、、。

ところで一昨日の6日に、60年代の仏版ロックンロールのアイドル(その頃はシルヴィ・ヴァルタンと結婚していた)で、最近までコンサートでスタジアムなどを満員にできる人気歌手のジョニー・アリディ(ウィキ)が亡くなって、驚くほど民衆の心が揺るがされている(少なくともそのように報道されている)。そのため明日は霊柩車がシャンゼリゼからコンコルド広場を経てマドレーヌ寺院に到り、マクロンも同教会前で演説すると言う国家的葬儀顔負けのイベントが「大衆的哀悼」(hommage populaire)なる名で行われる。

こんな「大事件」だったのだが、私のフェースブックの掲示板には一切出て来なかった。唯一はその前日亡くなった仏アカデミー会員作家で楽しい語り口でこれも「人気」のあったのオルメソン Jean d’Ormesson が「ジョニー・アリディと同じ日には死にたくない。私のことを誰も話さないだろうから」と言ったいう本当か嘘がわからない逸話のみ(予言通りでかなり影が薄くなったが今日国家的哀悼式が行われた)。
おそらく私が共有していないネット上では政府に国民の「一般的意思」としてくみ上げられるほど「ジョニーへの哀悼」が殺到していたのだろう。異邦人でマージナルな存在とはいえ、ちょっとこれで良いのだろうかとネットが提供してくれる「閉鎖空間」に心配せざるえなくなる。ちゃんとオルメソンも先月亡くなった大女優ダニエル・ダリュー(ウィキ)も幾つものfbの投稿に登場したのに、、、。

つまりそれほどに、私はジョニー・アリディとは関わりがないのだが、話を元に戻すと、彼も「不定住民」で、スイス、それからカリフォルニアと現住所を替え**、税金逃れ(?)かどうかは知らないが、フランスに所得税を払わない人なのだ。それはフランス国民皆が知っている筈なのにこの人気だから、私の持論「スポーツとしての釣り」ならぬ「スポーツとしての資本主義のススメ」が変えたいとする「税金を払うのは阿呆だ」という意識がいかに一般に浸透しているかがよくわかる。「あくまでも合法的」なパラダイスペーパーで「私だって金持ちだったらそうする」なんてコメントする倫理なき貧乏人もいると書いたが、そんな貧乏人が圧倒的多数かと一層悲観するのみ。

その85年のコンサート、ネットにありました
ところでそのジョニーさん、私は一度ライブで聞いたことがある。特集記事で知ったのだが、それは1985年9月15日のこと。友達に誘われて行った共産党のお祭りのFête de l'Humanitéで、ステージに上がったアーティストの中で段違いに歌唱力があったので覚えている。サルコジを支持したほどの「右翼の筈なのにどうして?」と後になって思っていたのだが、「反抗する若者」の代表時代の1966年に同党の「お祭り」に来る筈だったのが自殺未遂して来れなくなり19年目の罪償い(?)だったらしい。私は運がよかった(笑)

偶然と言えば、先週ラファエル某という現代アーティストに出会ったのだが、彼はマドレーヌ寺院のクリスマス用のキリスト生誕記念の飾り付け(クレッシュCrèche と呼ばれる群像模型)を準備していて、今週末に開幕されるという話だったのだが、それが明日の葬儀の会場となる。これはラファエル君にとっての千載一遇のチャンスになるだろうか???

ジョニー・アリディは自分で曲も少しは書いたが、基本は歌唱力抜群の絶唱型の歌手。若い人気ミュージシャンに曲を書かせたのも寿命の長い芸歴の秘訣で、それがつまりは今回の国民的衝撃に繋がったらしい。私は曲名を聞いて1曲しか思い出せる歌はなかったのだけれど。


 * 引用原文 « Ce qui s’est passé dans le capitalisme international, c’est que les nomades — j’en ai fait partie, j’ai connu cette vie — considèrent qu’ils n’ont plus de responsabilité ; ils ont une responsabilité vis-à-vis de leurs actionnaires, mais elle est purement financière, accumulative (sic) justement, ils n’ont plus une responsabilité au sens plein du terme, c’est-à-dire vis-à-vis de leurs voisins, de la société dans laquelle ils vivent — responsabilité qui est environnementale, qui est en termes de justice… Si les élites économiques, sociales, politiques, ne réconcilient pas leur liberté actuelle avec leur part de responsabilité, alors elles perdront cette liberté, qu’elles le veuillent ou non. »

 ** あくまでも彼は仏国内の超有名人でカリフォルニアでは知られていないから気楽だったには違いないが。国内での葬儀の後は本人の希望によりカリブ海の仏l領サンバルテルミー島に埋葬されるそうです

2017年12月3日日曜日

アブナい私の秋

もう12月になってしまった。今年の秋はアブナかったな〜。
いつも10月はフランスも「芸術の秋」、パリではfiacという大現代アートフェアなどがあって賑わう(参考:2011年の旧ブログの投稿)のだが、私はツンボ桟敷に置かれるので不調になる(一種の嫉妬?:笑)。

今年は同時期に丁度マクロンの大資産に対する税改正法案があって、「資産と言えど株式などは経済に投資しているので免除し不動産だけにする」という論理だったのだが、自家用ジェットや豪華ヨットはどうなんだという批判に対し、ヨットは長さ何メートル以上はダメとかの改正案があり、、、、でも結局パラダイスペーパーが教えるところではお金持ちはジェットもヨットも既に「対策済み」だったから(11/20投稿)、本当にあの議論は何だったのだろう?

美術品はどうかと言うとこれは従来から特別扱いで資産から除外される。売買も所得税控除の対象になる。fiac特番でラジオのインタビューに出て来た美術館の館長だったか誰かさん(古い話で確定できず)は「美術品から税を取れば収集家は外国の画廊で買うだけだから意味はない」と「税金を高くしたら金持ちは外国に出るだけ」という「グローバル世界の合意」と同じ論理を引き出し、「存命作家の作品を買うことは美術振興のメセナ行為だから」と結構なことばかりを並べていたが、現代美術フェアで話題になる作品の値段を考えるとそれらが投機の対象でしかないことは明らか。先述の「外国で買う」という論理はまさにその証拠で、私は美術家ながら賛成できない。どこからが投機になるかと言い出すと豪華ヨットの長さと同じような話になりそうだが、何か方法ありますよ。

そもそも今までの「個人資産税」は正確には「資産に関する連帯税 impôt de solidarité sur la fortune (ISF) 」* という立派な名前だった(「連帯」が何を意味するかは知らないが)。それが改正されて「連帯」がなくなり、「不動産資産に関する税 IFI」と呼ばれる代物となってしまった。そもそもグローバル社会のお金持ちの論理は「どこでも一番資産の増やせるところに移動すればよい」、つまり自分たちは医療も教育も何でも自力で解決できるから公共サービスなどどうなってもいいと思っているとしか思えない。でもねー、なんだかんだと言って生まれてこの方育った社会の恩恵に被っていないことはないと思うのですがねー。自分たちは「幸福な星の下に生まれた」と自覚して(世界を見回せばそう思わざる得ないと思うのだが)「連帯意識」持ってほしいなー 。

それから11月は誕生月で、また無駄に歳だけ重ねたと気が滅入り、、、。
そんな時にデッサンが売れて、作品を届けに行ったら「歴代の大コレクター」でお宅は美術館みたいだった。ピカピカの現代美術もわんさとあって、何故エイゾーの作品が入れてもらえたか不思議。 こういうコレクションを見ると毎年美術資産に課税があるとフランスでは悲鳴を上げる「名家」の方が大勢いるのは容易に察せられる。美術投機を念頭に入れるとやっぱり所得税で還元してもらうのが筋ではないかと私は思うのだが。

現金なものでこれでちょっと元気回復したのだが、財布が少し暖かくなったのにアトリエはどんどん寒くなるばかり、かつ日照時間も短いでしょ、「仕事の時間」をミスってはだらけきっていて、お天道様に申し訳ない、と言いたいところだが天気も悪くてお天道様を滅多に見ることもない。

はい、ではここで珍しい晴天の朝に作った私のフランス語俳句(ショートポエム)を:

Le matin
regardant en l'air frais
Mes yeux sombres
deviennent les soleils bleus


 (直訳)
 朝
冷たい空を見上げ
暗い私の瞳は
青い太陽となる


* 注:例えばフランス語ウィキではこの税は他国ではあまりないフランス特有のものでイデオロギー的としばしばされるとあったが、このへん私は全く知識なし。ご存知の方はコメントでもして下さい。資産というのは「評価」の問題もあるので素人の私にもプロブレマティックな感じはします(美術品なんか特に)。

2017年11月29日水曜日

税務の曲芸

「パラダイスペーパー」のテーマ作品、前回書いたようにやる気満々だったのだが、これというアイデアが出て来ず久しぶりに相当悩んだ。最近のドローイング作品はアイデアなしで描き始めるほぼ「即興」なのでその悪い癖が付いたかも?
一応自分で月末を締め切りとしたのでまた悩み直し、できたのがこれ。


 作品は写真も撮らずに送ってしまったが、 税法の目をかいくぐるのはブスブス刀を刺された箱からニコニコして出てくる「曲芸師」のような仕業と、サーカスの写真を見ては色々描いたみたのだが、「何これ!」というほど曲芸師の柔軟な身体の不気味な不思議さが出て来ない。「ピカソは上手いこと描いていたよなー」と思い出してサイトで見たら脱帽。これには適わぬし、「曲芸師」を描くことが目的でもないのであっさり頂戴し、下手に似顔絵描いて誰か分からないのもいただけないのでアルノー氏もサイトからこれも写真で頂戴*し、いとも簡単にできあがり。でもピカソの有名な言の如く「それまでの何十時間もの思索がありましてー」。考えたから良いってものではないが、自分としては結構満足。

「天才」と称されるピカソ、私は意外に頭でっかち(戦略的)と思うので褒めないことが多いのだが、次の「アクロバット」とか「ミノトール」とかのグラフィズムではまさに天賦の感性がほとばしり目を見張らせる。



 以上順に1930年、28年の作品だが、今パリのピカソ美術館ではその直後の「ピカソ 1932年 エロチックな年」という特別展を開催中。あまりにもタイトルが酷い(観客を馬鹿にしている?)が、考えを改め参拝してみようかなー。(2月11日までだから超余裕)

話を元に戻すと、こんなに税金を免除できるという「曲芸」も良いんですよ、法の不備を指摘して「エライエライ、拍手!」しますので、アルノーさん、やっぱり地位に見合った社会貢献してくださいな。

以上作品説明をしてしまったが、これは事情を知らぬ日本人向け。展覧会(南仏ヴァール県のロルグ Lorgues という田舎町にて)では「無題」で、各人の解釈にまかせます。 →画廊サイト


注*:実は写真を拝借した「笑顔のアルノー氏」はマクロンと握手しているところでした〜

2017年11月20日月曜日

悲しきパラダイス

前回防衛大臣の給料の話で我田引水的に私の持論「スポーツとしての資本主義のススメ」を持ち出したのだが、その直後にパラダイスペーパーが発表されたて「何これ!」。だって私の「ススメ」とまったく正反対のことをお金持ちが精を出して行っているのだから。(私の「逆転の思想」の逆だからまっとうなのだけど、、、)

昨年のパナマペーパが収入隠しの「犯罪」だったのに対し、今回の「パラダイス文書」は法の不備をつく「ウラワザ」。だから「合法的」で後ろ指をさせない(のかなぁ?):誹謗として訴えられる可能性があるのだろう、ニュースの解説なんか何度も「あくまでも合法的」と「おことわり」が入り、何とも滑稽で、、、(悲)。

にもかかわらず気分を害するお金持ちは当然いて(?:そう言う意味では人間性がまだある?)、我がブログでお馴染み、フランス一の資産家のベルナール・アルノー(Bernard Arnault)氏**は、豪華ヨットを税金の安いマルタの会社の所有として自分はレンタルしているという手口など、コンサルタント会社を通して資産を6カ所もの「パラダイス」に布石していると「紹介された」のだが、その為にアルノー氏率いるLVMHルイヴィトングループは「年末までルモンド紙の宣伝を切ることにした」と某紙にすっぱぬかれた。ルモンド紙は「パナマ」「パラダイス」の膨大な機密流出情報を調査するメンバーの一員なのである。
でもLVMHはその後「従来紙の記事削減は長期展望による決定で某紙の勝手な解釈」でしかなく、「ちゃんとルモンド紙上の宣伝は続いています」とのこと。だからあくまで「?」です(笑)。

こんな具合で、友達が「パラダイスペーパー」をテーマに展覧会をするから何か作れと言って来たときはやる気満々だったのだが、こういうふうに「憤懣」というか、言いたいことがはっきりしていること*って文章で十分で「美術作品」にならないんだよなーと朝から悩み、結局今日はブログで終わり。


*言いたいことは勿論「お金持ちの倫理高揚」施策。でもブログを書く為にネットで記事を見ていたら「私だって金持ちだったらそうする」なんてコメントする倫理なき貧乏人もいて悲しい限り。
 この「合法的行為」の仕方は参考にこのルモンドの記事をご参考に。下の方にイラストもあるのでフランス語読めなくても大体分かる(私は読めても大体しかわからないが)。掲載写真も同記事より。

しかし先月のマクロンの「大資産税」改正で豪華ヨットがどうのこうのと言っていたがあれは何だったのだろう??? これはまた気が滅入るので次の機会に


**アルノー氏が登場する既掲載記事
2015年5月23日土曜日 身も心も 
2016年4月11日月曜日 I ♥ Bernard

 

2017年11月5日日曜日

給料は5分の1!

マクロン大統領下の防衛大臣は5月に Sylvie Goulard 女史を任命されたが、加入する中道政党 Modem の不正雇用の疑惑が起こり即辞任。
まだ半年なのに記憶の外に遠ざかってしまったように思えるが、マクロンが当選したのはそもそも右派共和党のフィヨンが奥さん子供を「架空雇用」していたことが、新聞の暴露され、法的「取り調べ」までに至ったのにもかかわらず候補を下げず、特攻隊的に選挙に猛進したからだった(参考投稿)。だからマクロンにとって「政治道徳の回復」が最初のモットーで、防衛大臣だけでなく法務大臣になったModem党首のフランソワ・バイユーも就任1ケ月で辞任したのであった。

その後を受けて6月に新たな防衛大臣になったのはまたまた女性:Florence Parly。シルヴィーさんは外務畑出身らしかったが、フロランスさんは財務のプロで、エアフランスそして仏国鉄という赤字に悩む国営企業の経営再建に当たっていた人だったのでかなり異色の抜擢だった。

マクロンは「政治界一新」の旗印の下、経済界から大臣を多く募ったので、お金・利害関係が「うさんくさい」ことは避けられないのだが、最近の新しいスキャンダル(といっても「話題」程度で今のところおさまっているが):フロランス・パルリが大臣に就任するまでの今年度6ケ月の仏国鉄での収入が315 418€(つまり月当たりにすると約680万円)で、2016年度の年間収入が365 561€だったの対し異常だというのである。それに加え2014年に仏国鉄総裁に任命されてエアフランスを辞任した時の退職見舞いが675000€(税込)というのもあがってきて、、、。先に書いたように「両方とも職員には緊縮を強いる赤字企業ですからね〜」

だが実は豈図らんや、私がこの話題を、1ケ月のブログの休みをブレークして紹介するのは、フロランス・パルリの「高所得」を非難するためではない。
フランスの大臣の月給は現在9 940€(約130万円。といっても手当などの優遇処置があるから複雑だが)。フロランスさんの就任前の6ケ月間の収入を月割りにすると約680万円、つまり5分の1以上の減給を受け入れても大臣になったという事実ゆえ! つまり高額所得者にとっても「金」だけがすべてではない(それだけが評価レベルではない)のではという一縷の希望が私に芽生え、、、。
 
というのは私が度々引き合いに出す持論「スポーツとしての資本主義* のススメは、ふつう「高額所者の課税を増やすと海外に逃げるだけだから」と一蹴されるのだが、事実がそうでも(参考投稿)そんな嘆かわしい論理がまかり通ってはいけないのだ。そういうことをする金持ちは世界中の侮蔑の対象になるべき。「経済人としてのもっと高いモラルがあるでしょ、それをもっと高揚せねば」というのが私の唱えるところなのだ。
だからフロランス・パルリのこの例、「醜聞」にするより、「超減給に甘んじても国・社会への貢献を選んだ行為として褒めるべき」だと思うのです。(この逆転の発想、分かってくれる人いるかなぁー? 勿論これは人の何十倍、何百倍もの収入を是としない私の主張と矛盾するものでは全くありません)

この記事を書く為に写真を探したら彼女、54歳なのにいやにカワイいですね〜。でもそれには私の意見はまったく影響されていませんよ(笑)、だってアップの写真なんか今まで見たことなかったから。(しかしこれも女性蔑視発言になるのかなァ…)

ところで彼女の収入はスキャンダルと言っても「暴露」というより、オランド政権でのカユザック経済大臣の隠し口座スキャンダル(参考投稿)があったので「政治の透明性」を高めるため大臣は資産を報告せねばならなくなった結果で、健全な兆候とも言えます。
それから経済界といっても彼女の場合は生え抜きエリート育成の「国立行政学院」出身で、経営者というより高級官僚と言った方がよいでしょうから、その分モラルが高くないと困りますけどね。 かつ社会党(今でも?)だし、、、(苦笑)。


* 注:「スポーツとしての釣り」が捕った魚を測ってから河、海に返すように、儲けたお金は評価・表彰した後に社会に還元してもらう。
テーマとしてこちらもご参考に: 2013年10月7日100歳の税金

2017年10月9日月曜日

もう一つのガリシア

今回は私はポルトガルのポルトーに飛んで、そこからガルシアに行った。ポルトガルの教会もコンポステーラのように金ぴかのバロック、かつキリスト様、聖母、殉教者などの彫像はリアルな苦悶の表情が多く、見ていてしんどくなる。そんな中で現代アートセンターに行ったらほっとした。

現代アート美術館はどこでも大体がスタンダード化されているから、私は地方都市でわざわざその手のものに行くことはないのだが、「特に何も見るものはないビーゴ」だからふらふらと。かつ街の中心、商店街遊歩道プリンシペ通りのど真ん中に位置している便利の良さで。それに昔の監獄を改造した建築というのでどんなものかと興味を引かれ、、、

建物内部、昔の構造を使いながらあまり凝らずにすきっと、かつ広々としていて気持ちよかった。そのかなり大きな面積の展示ホールで ANXEL HUETE というガリシアの作家の回顧展(主に絵画、まだ存命です)が行われていた。全然知らない作家さんだが、ポップから抽象表現主義等を経て素材感だけの世界へ、一人で60年代後半からの絵画の流れを教えてくれているような、、、つまりすべて何処かで見たことのあるような感じなのだが、それぞれ上手に決まっていて、なかなか不思議な感じがした。決して世界の喝采を浴びないかもしれないが質実な作品群、地方らしいというか、地方の学生さんはこれを見て学べば良い、だからこういう人がいていいのですよ。だから私も勉強、結構時間をかけてみさせてもらった。

多分作品も空間にすごく合っているのだと思う。 美術館のこの回顧展ページにもきれいな展示空間の写真が見られますのでご参考に。


→ ビーゴ現代美術館MARCOの英語ウェルカムページ

入場無料
開館時間は火〜土曜が朝11時から午後2時半及び午後5時〜9時まで、日曜は11時〜2時半のみと完全な「ローカル時間」なのでご注意を。

ついでにいえばスペインでは朝早く起きても9時まではキャフェも開いていないですから、早起きは何文にもならない(笑)
「冬が来る」なんて難しそうな垂れ幕があって最初は敬遠したのだが、その後「旧監獄」と知り興味がわいて、、、

コンポステーラにもガリシア現代アートセンタ(CGAC)というのがあって、こちらでもほっとさせてもらったのだが、ガリシアの作家でなくてラテンアメリカの3人の作家の建築資材を流用した展覧会だった。

こちらも朝11時から、入場無料。裏に大きな公園がある。

最後の写真はその展覧会で出会ったLuciana Lamotheというアルゼンチンの作家の作品。金属チューブに切れ目を入れて自然に垂らしていれる。単純明快。こういうのバロックの後には癒されます。


2017年10月7日土曜日

ビーゴに行くには (バス旅行のノウハウ)

前回宣伝したビーゴ (ヴィゴと記していたVigo)、私はポルトガルのポルトーからバス(3時間)で入ったが、そのバスはポルトー空港も経由していて、今考えると空港内をで走れば間に合ったかも。

というのは私は雨の日曜日をコンポステーラで過ごし、天気回復を期待しつつオンス島行きを目指したのだが、バスの時刻表ではコンポステーラからポンテヴェルダに1時間、そのちょうど到着の同じ時間にポンテヴェルダからオンス島行きのボートが出るブエウに行くバス(所要45分)が出ることになっている、つまり乗り換え時間がゼロ分! どうせフェリーもないし、急ぐ旅でもないので1時間待ちのつもりだったが、バスはまだいた、そして出発時間なのに「窓口で切符を買って来い」と言うのだが、窓口では行列が、、、。おもむろに時刻案内を見ると他の行き先のバスもすべて同じ時間! つまりゼロ分乗換でスケジュールされているのであった。だから我々も決してあきらめてはならない!?(ローバジェットフライトとバスのスケジュールは関係ないけど☺)

ポルトーからビーゴは鉄道でも行けるが朝と晩の2本ぐらいしかないはず。それに比べてバスはずっと便利(かつ安い!)。但しスペイン・ポルトガル流の遅い昼休み時間と週末はなくなってしまうので要注意。

バスの運行会社は一社とは限らないのでネットでチェックしましょう(この点は本当に便利になった)。

バス旅のデメリットは、ビーゴもコンポステーラもそうだが都市でのバスターミナルが町の中心にないこと。路線をしっかり調べれば中心に近いバス停があることもあるが、旅行者にはなかなか難しいだろう。
鉄道も駅は町外れのことが多いが、、、ビーゴは街中にあると言える。但し2つ駅があってポルトー・コンポステーラの幹線はUrzaisという外観地下鉄の駅の様な方へ行く。鉄道の方がテロ対策の所持品チェックが厳重で面倒だが、そのほうが安心な方もいるかな?

私は貯まったマイルス使用なのでポルトーへ行ったが、ビーゴには飛行場もある。

地理的にどうなっているかわからない人が多いだろうので地図添付(ポルトーは下の方、地図外)

以上ビーゴを使ってガリシア・バス旅行のノウハウでした。

ところで今回もギリシャのときと同じく行き当たりばったり。ホテルはコンポステーラのみ満員そうなので弱気になってBooking comしたら、一番酷い目にあった(コンポステーラの酷評はその所為もあり)。

「何故エイゾウが旅行案内書いているの?」と思う人も多いだろうが、基本的には自分がまた旅行する時に同じポカをしないための備忘録なのです。もしほかの人にも役に立ったら幸い。

ネットから掲載。でもタコだけ出て来てもあきるんだけど

実際「オンス島の春」は見てみたいし、ポンテヴェルダの博物館で、ガリシアには先史時代の遺跡も多く、ビーゴの対岸の岬の丘の上に写真のようなランドアートを思わせる円形住居跡があることを知った。これも見てみたい。それからブエウは自称「蛸の首都」だそうなのだが、本当に美味しいと思う「ガリシア風タコ」を食べなかった、、、という訳で来春戻るかも(半年で旅行ノウハウを忘れていたらかなり問題だが、オンセジャメ)












2017年10月4日水曜日

ヴィゴ改めビーゴ

カストロ城跡からシエス諸島への落陽を眺める観光客たち
さてシエス諸島への連絡船の出るヴィゴ Vigo(普通のカタカナ表記はウィキのようにビーゴらしい)のことだが、ガリシア地方の一番の工業・港湾都市で、決して観光地ではない。港近くに18世紀の建築が並ぶ歩行者地区の旧市街もあるが、グラニットで重々しく暗い雰囲気。私も出る前に「旅ブログ」の写真などを眺めたが、まったく魅力を感じなかった。
シエス諸島を見ながらお食事?(私はビール飲んだだけ)

一大漁港でもあり、魚も新鮮。按肝! 鯛なんかパリの魚市の2倍サイズ
それが行ってみると意外や意外。是非行かねばという観光地もないでしょ。だからのんびりできてしまう。海岸壁を上がって行く通りからは湾が美しく眺められ、かつ唯一のモニュメント(?)といえそうなカストロ城跡に登ると夕日がシエス諸島に落ち、、、。

広場に集まる若者たち
また都市だけあってカフェ、バーなども沢山でバラエティがあり、それぞれ活気があって、旧市街の広場は夜になると、大学もあるからだろう、ビール片手の若者で埋め尽くされ、、、(多分こういう広場に面したホテルに泊まると夜中過ぎでも寝れないだろうからご注意を)

それに大都市なのに人が親切! 自動車なんか横断しようとしていると絶対止まる。
新市街を横断するプリンシペ通りは普通の遊歩道商店街だが、これも広々していてリラックできるし、それから脇に入ると伝統的な食料店などが並んでいる。

掲載写真で私の気に入った理由が伝わるだろうか?














観光案内(?):
上の写真は私のお気に入りの小型ホタテのサムブリニャ zamburiñas。普通は鉄板焼きだが私が馴染みになった(?)タパスの店 Pintxoteca*ではチーズを溶かしたグラタン風で塩昆布みたいなのが添えられている。つまり「島」とは違って都会的なソフィスケートしたのも出てくる☺
この地方のの白ワインはアルバリニョが定番のようだがゴデーヨ Godelloの方がきりりとして美味しいと思いますのでお試しください。
店で同席した人の話では「パンに料理をのせたタパスはこの地方のものではない。あれは食べるな」

*見つけにくいのでvigo Pintxotecaでグーグルして行って下さい

ついでに私がお世話になった連絡船乗り場のすぐ近くの、シングルルームも広い家族的応対のホテルも宣伝してあげよう:Hostal Continental (☎ 986 22 07 64)
そんな安宿ではダメな人にも、他にこの周りは5つ星ホテルまで一杯宿があり、シエス諸島日帰り旅行には絶対便利です。

最後に城跡からの絵葉書写真。



ギリシャで行ったナフパクトスのレパントの海戦ほど有名ではないが、この海では1702年、西インド諸島から戻り植民地の富を荷下ろし中の西仏艦隊を英蘭艦隊が襲撃し大勝利、戦利品を奪ったのだが、まだまだ宝が湾の底に眠っているとの伝説があり、ジュール・ヴェルヌの「海底二万里」にもその話が触れられている。以上行ってから知ったことだが、果たしてこれも来るべき「海水ドローイング」のテーマになるかどうかは、乞うご期待

2017年10月3日火曜日

不信心者の聖地参拝

前回書いたように島の旅は天気が鍵。雨模様だった週末、ユネスコ遺産サンティアゴ・デ・コンポステーラ(ウィキ)を訪れた。スペインでは週末、あるいは信仰の厚いガリシアが特になのかはわからないが、特に日曜日はローカルバスの本数がめっきり減ってしまい、動きに困るのだ。

つまり不信心な私にはどうでも良かったのだが折角近くまで来ていたので聖地詣で 。即総本山のカテドラルにお参りに。
右下女性が抱擁中
中は驚くほどキッチュだった!写真ではよく見えないけど天蓋を支える左右の巨大な天使なんかマンガチックで失笑もの。
その内陣で人が列をなしている。 側廊の上にでも上がれるのかと列に加わったのだが、わざわざ日本から来た巡礼と思っている人たちに「天気が悪いから観光に」と正直に言うと呆れられましたねー。でもあの山歩きのようなすごいいでたちをしている多くの人たち、あれでなかなか高級ホテルに泊まっていたりして、何かついてけない(勿論私よりもっと年寄りが多いから、私が先日書いた同じ理由でキャンプはできないのはわかるが)。そもそも「上がり」のある旅なんて私はまっぴらご免だが「普通の世の中の人は目標達成が好きだからな〜」などと考えている間に金ぴかぴかの狭い階段に至り、前のおじさんに「抱擁するところを写真に撮ってくれ」と頼まれた。「エエッ何するねん?」 私のフランス語から推して測るスペイン語では抱擁をキスと勘違いしたから、ギリシャで信心者がマリアさんの絵に接吻していたのを思い出し、「あれは列した手前とはいえ遠慮するなー」と思ったのだが、実は我々は祭壇の上の大仏さん、すなわち大きな聖ヤコブ像の真後ろに登って来ていて、皆さん一人ずつその御神体の背中にハグするのが慣わしなのだったのでした。まあそのぐらいならと私もオンブされる感じで抱きついたが、なぜか後で優しい気持ちになった。坊主嫌いの私にもご利益があったか!?


観光情報 

結局私がサンティアゴでお勧めするところは、
お上りさん的だけど、きれいでサービスの感じも良かった:

朝食またはお茶にガリシア広場近くの Café Derby Bar
食事にカテドラルからも遠くない Bierzo Enxebre(肉料理の方がメインだと思う)
ぐらいですかねー。
大観光地は無愛想なところも多いですからね。


不信心ものには長居は無用。皆さん、折角コンポステーラまで来たのなら、掲載したシエス諸島オンス島を目指してください!

それからヴィゴ Vigo の町も観光名所はないけどなかなかリラックスするところで、これもまた今度書きますね。







2017年10月2日月曜日

オンス島

この小ボートでオンス島に到着。沖海面に立つモヤわかるでしょうか?
オンス島 Isla Ons は前記シエス諸島の十数km北にあり、これもガリシア海岸国立公園の自然保護地区。(日本語ウィキ)

シエス諸島に比べて人気がないのは、同じく白砂の美しい海岸があるものの、ロダス浜のような長いビーチはなく、地形がなだらかで内陸の風景の多くはイバラの茂る荒野という感じで、目を見張るような迫力に欠けるからだろう。
海岸にも流れ来る霞

浜辺は私とカモメのみ。向こうに見えるはオンサ島(母島父島みたいなものか?)
でも人気のないのは魅力の一つ。何たって行きの午後の連絡船は10人乗りぐらいの小型ボートで、お客は私を入れて二人のみ。 浜辺も散策路も宿もほぼプライベートという感じで、、、そうそうここはシエスとは違って有人島で、お年寄りの住人たちや家屋施設を修理する季節労働者も数人いて、「宿」もある! だから私は一泊してシエスでできなかった夢(?)を果たした。大げさと思われるかもしれないがシエスのキャンプ場も9月21日の夜が最後だったし、私の仏語ガイドブックではオンスのお宿も9月中旬までと書かれていて、、、サイトではまだ予約できる様子だったが、天気もコロコロ変わるしで、いつものとおり行き当たりばったり。

作品のインスピレーション?
私が連絡船の出るブエウ Bueu に着いたのは月曜(9/25)の正午前で快晴。船出日和だが4時まで船はなし。(これもヴィゴでもらったパンフレットの時刻表とはやはり微妙に異なる) 暇を持て余す連絡船のチケット窓口の女の子が電話で問い合わし宿泊の手続きも整えてくれたので万々歳。荷物も預かってくれたので4時間待ちなど何のその。海岸をぶらぶら、ランチしてカフェのWi-Fiでメール見たりして、、、。

さて船出をしてみると沖の海面にはモヤが立ち、島の浜も霞んでいたり晴れていたりして、日本の山間にでもいるような雰囲気。
眼下は雲の海になり高い山にでもきたような
翌朝起きると今度は完全な霧につつまれ、散歩しても何も見えない。予定を繰り上げ12時半の船で戻ろうかと思っていたら正午から急に晴れ出し、早まらなくて、というか船の時間が遅くてよかった〜。朝には「生憎ねー」と宿のおばさんに言われていたのだが、他の人曰く「いつもこうなんだ」 気温も上がりビーチでごろごろ。でも数日の差で海水の温度は一層下がり足までしか浸からなかった。

2日目の朝はこれですからねー、即戻ろうかと思いました
シエスのカモメたちはビスケットを出して食べたりすると近づいて来たりしたが、ここの野鳥は観光ズレしてなくて無頓着。散策路では野兎がピョンピョン飛び出してくるし、貝殻もきれい。今は秋の花があちらこちらに慎み深く咲いているが、多分春には荒れ野は百花繚乱ではなかろうか。宿のおばさんもプリマヴェーラはフロレスフロレスと言っていた。だから今度は5月頃に来てみようと思いつつ午後7時の船に乗ったのだった。

彼方に見えるのがシエス諸島

観光情報

船は主にブエウ Bueu とポントノヴォPontonovo から出る(両市とも街並のきれいな旧都ポンテヴェドラ Pontevedra から平日ならバスが沢山出ている)。

シエス同様船の時刻は予約ページまで行って確認した方がよい。
https://www.mardeons.es/en/travel/ons-island/ 

宿泊情報(ホテル、アパートホテル、キャンプ)
http://www.isladeons.net/
寝ている間に浜辺は霞み出し、帰り時?

葉も幹もなく地面からニョキッと顔を出す不思議な小花

ひょこひょこ出てくる兎たち

 

2017年10月1日日曜日

新たな島の旅:シエス諸島

連絡船は直に「世界一の浜辺」に着く
これがその Playa de Rodas
フェースブックでスペイン北西のガリシア地方のシエス諸島 Islas Cíes の海岸の美しい写真を目にしたのは昨年の夏。ちょっと調べてみるとスペインの国立公園の一つの自然保護地区の無人島。入島は春から秋に限られ、滞在はキャ ンプ場のみらしい。所謂「太陽、浜辺、ディスコ」のビーチバカンス地では絶対なさそう。「これはいいなー」と思ったが、英ガーディアン紙に「世界一美しい 浜辺」に選ばれたという「いかがわしき尾びれ」もついていて、どんなでしょうねと余計に興味が沸き、、、結局宣伝にひっかかった?

勿論制作の為もあるのだが、、、(笑)

これがきりたつ西海岸
実際行ってみてきっぱりと言えることは「世界一」は明らかな誇張。でも白砂が続き、それが二つの島を繋ぐような地理になっているのは珍しいところ。海の透明度も高くなかなか美しい。引き潮時の朝に着いたときは連絡船の底がもろ砂に乗り上げているのが見えてびっくりした。

そして夏に行ったフランスのユー島と同じように砂浜のある東の大陸側に対し西の大西洋側は崖が切り立ち、小さい島ながら山は標高200m以上に達するのでハイキングもこれまた楽し。
私が泳いで海水採取した Playa de Nosa Senora

Playa de Rodasは二つの島を繋ぐ砂嘴もなす
ちなみにユー島も一節では「神の島」なのだが(参考)、このシエス諸島もローマ人は「神の島」と読んだそうで、、、驚くべきことに日本語ウィキもありましたのでご参考に

しかしこういう「自然」しかない島の観光は天気次第。かつガリシア地方の天気予報は日に日に変わり、対岸の連絡船 のでるヴィゴ Vigo の町でかなり悩んだのだが、以下の観光情報に書くようにキャンプをするかどうかが先決問題。「キャンプ場のトイレまで懐中電灯かざして行くのもなんだなー」と夜中に起きる不自由な身体になった私は結局キャンプ路線はあきらめ、青空を見て船に跳び乗る日中滞在路線とした。実際行ったのは9月22日だったが、その翌日はどんよりしていたので、島の南半分しか見なかったけどそれで正解だったでしょう(また次回行く理由にもなるし)。

さらばシエス諸島
右写真のPlaya de Nosa Senoraで一応泳いだけど水は冷たかった。。。対岸はシエス諸島のもう一つの、連絡船では行けない San Martino島


シエス諸島観光情報

5月から10月初旬まで入島が許され(以下の二つ連絡船サイトで乗船予約ページでいつからいつまでかはわかる。時刻も表と微妙に異なったりしたので予約ページまで行って確認した方がよい)、キャンプ場での滞在が可能(こちらの日程もサイトで確認要。備え付けテント、寝袋貸しサービスもある)
滞在する場合はキャンプ場予約が先。連絡船は往復で買わねばならず、キャンプの予約確認証がない場合行き帰りの日にちが異なる切符は買えない


https://www.mardeons.es/en/voyages/iles-cies/horaires-et-tarifs/
http://www.piratasdenabia.com/en/islas-cies/schedules-rates


へへへ、つまりシエス諸島も結構敷居が高いですね。結構結構。ヴィゴに行ってみるとオンス島という国立公園の中のもう一つの島の宣伝もしていて、、、これも行きました(笑)。「シエスほどじゃないよ」と言われていたのですが、これがなかなかよかった。次回の記事をお楽しみに。 



2017年9月18日月曜日

オイルの鏡

前回の投稿から随分日が経ってしまい、実際に見たのは大昔になったが、予告したロワール川沿いの町のトゥールの展覧会について。

トゥールに行ったのはノルウェーのアーティストのペール・バークレイ(Per Barcley)の鏡面インスタレーションを見る為だった。建造物の床に黒いオイルを引きつめて、それが鏡となって空間全体が映る。パンフレットによれば89年以来、小さな部屋から巨大な工場跡や宮殿の間など、40近くの様々な箇所で制作されたらしい。何度も雑誌などで目にしたことがあるが本物は見たことがなく、ユー島へ行く道で丁度よい機会かと途中下車した。


さてその本物の印象は、、、「想像以上でも以下でもなかった」:失望もしないがあっと驚くこともなかった。

面白かったのはインタビュービデオ。いかにも現代アーティスト風で、難しい話をするのかと思って見始めたところ、随分率直で正直な話が飛び出してびっくり。というのも私は「ノルウェーは石油産国だから黒いオイルは原油で、、、」という話をどこかで読んだ覚えがあり、それも大きなコンセプトと思っていたら、黒いオイルはウリの種かなんかの植物油。床面に先ず水を張りその上にオイル、その層は1センチぐらいだそうで、、、。オイルの鏡面を初めて作ったのは自分の彫刻を見せるための工夫だった。それが独り立ちし、、、。黒面だけでなくミルクやワインで作ったり、、、。

「なんだそりゃ」私は自分の思い込みと違ってびっくり。
かつ彼は自分が彫刻家であることを強調し、この油の鏡面インスタレーションも、インスタレーションではなく撮った写真が作品と主張。実際にはこのインスタレーションで世界的に知られているので、意にそぐわず? 「売れっ子アーティスト」の悲哀を感じないでもないですね〜(笑)。

私はベトベトの原油だと思い込んでいたから、表面が塵で汚れてしまうのではという疑問も「本物詣で」をした理由だったが、さらさらの植物性オイルの表面はきれいなもの。毎朝掃除するそうです。


ノルウェーのデブレ画伯
このインスタレーション行われていたのは2015年に新設されたオリビエ・デブレ現代創造センター(website)。ロワール地方にアトリエの一つを持っていたオリビエ・デブレ Olivier Debré(1920~1999)はフランスの戦後を代表する抽象画家の一人。広い流れるようなペインティング空間の片隅にアクセントを置くような違うタッチの色彩を置く、小さなキャンバスから巨大な壁画まで応用が利く、なかなか上手いシステムを考えた(多くの絵がそういう構造)。ベールの展示に呼応して「ノルウェーシリーズ」が展示されていたが、白い空間の右上に青いポイントがあるのは、朝靄の上に山頂が頭を出しているようで、横の写真にも示される通り彼の抽象には具象的イメージが強かったことを初めて知った。でもセンターにあった白と青の基調の巨大な絵(下写真)は「ノルウェー」とばかり思っていたらロワール川で、、、つまりは何でも一緒になっちゃうんだけど。


 地下ではリー・ウーファンのインスタレーション。いつものようにアジア哲学していて(困)、、、「説明無用」と彼自身が言っていますのでノーコメント(笑)。


注意:ペール・バークレイの展示は9月3日、リー・ウーファンは17日で終わっています



2017年9月4日月曜日

遥かなるユー島

ユー島 (Ile d'Yeu) はなかなか行きにくい。
車でなければナントまで列車、ナント駅前からバスでフェリーの港町( La Barre de Monts)まで1時間20分、そこからフェリーで45分 。それから滞在先へ島のバス。
こう書くと「何のことはない」と思われそうだがそれがなかなか。ネックは「潮の満ち引き」。これに従ってフェリーの運航時間が毎日異なり、大陸側が浅瀬なので干潮時には船が出ない。一方ナントからのバス(通常日に4本)と島のバス(これも数少ない)の時間は固定されているので、フェリーの時刻表を確かめずに着いたら何時間も待ちぼうけと云うことにもなりかねない。1時間以上も連絡時間があるのも閉口するが、あまり短すぎるとバスの遅延で大悲劇もあり得る。つまりなかなか敷居が高い*

これに経済性(なるべく安上がりに)を加えるとパズルは一層複雑になる。
特に私は「夏の天気のよいうちはなるべく海水ドローイングを制作する」という、まったく「夏のバカンス」に相反する原則があるので、「早割切符」は絶対買えないどころか、1日前でも躊躇するので、、、

かくして天気予報を睨みつつ毎日出発が遅れに遅れ、結局「今夏はこれまで」とはかばかしくなかった「考えるアシ」の成果に諦めをつけた日に私の出したパズルの解答は、ローカル線を使った「寄り道作戦」。先ずはトゥールで展覧会を見て、それからアンジェの近くの友達の宅へ行き、翌日にナント**。割高のTGVを避けても寄り道はそれだけ時間がかかるのでご飯を食べたりの出費もかかるが、その分楽しくという方針。

さて、ここまでが話の「枕」で、トゥールで見た展覧会のことを書くつもりだったが、テーマがすっかり変わるので今日はここまで(笑)


**注:以上の3都市はすべてロワール河沿いで、フェリーの港町は河口にある。

確かロワールの英語の旅行ガイドがあったなあと思い出して昨晩探し出して見てみたら、ユー島に半ページも割かれていた。最北の岬の灯台に登れるって知らなかった〜。郷土博物館も旧城も入ったことないし、、、
だがユー島の素晴らしさはその種の「観光スポット」を必要としないところ。
かつ私は南東岸の荒々しい海岸風景を見るとしみじみと「生きていて良かったな〜」との感慨を抱くのだが、なかなか芸術作品でそこまで思わせてくれるものはない。どうしてだろう? それもあって今日は「枕」だけで完結です。


*注:車のことはよく知らないが、マイカー制限政策でフェリー料金が高く、多くの旅行者は港町のパーキングに停めて行くのだが、そこから港へは町のバスで移動せねばならないとのことで車族への敷居もマアマア高い
この「敷居の高さ」のお陰でマイカー観光客は橋で繋がる「牡蠣」と「塩田」で有名でずっと大きなノワールムティエ島(ウィキ)に向かい、ユー島は静かなまま☺:というのはノワールムティエ島に行ったこともない私の勝手な想像。かつおそらくこの島があるお陰で、橋のたもとにあるユー島行きフェリーの港へのバスが廃線されることはない。素晴らしい!



ユー島に関する以前の投稿:

2016年9月2日金曜 ユー島紀行

2017年8月29日火曜 ユー島の海岸

2017年9月2日土曜 ユー島の海岸(続)

 

 






2017年9月2日土曜日

ユー島の海岸(続)

「(前回と)同じやないかー」と言われればそれまでですが、ユー島の海岸は毎日散歩しても飽きない。
Oui, ce sont les mêmes côtes de l'ile d'Yeu (que j'ai montrées dans l'article précédent). Je m'y promène tous les jours, mais elles ne me lassent pas.


Et maintenant je suis de retour à Paris. 
Voici mon haïku :

Septembre
Ni mer ni mère
Heureux ceux qui le prennent
Comme le repère !


 パリに戻って一句。でもこれは翻訳不可(!?)
敢えて訳すと:

海もなく母もなき9月
それを1年の節とする人に幸いあれ

注:9月はフランスの新学期です
そして私の母は2年前の9月に亡くなりました