2015年5月23日土曜日

身も心も

のんびりした異国情緒の陰に、、、
ルイ・ヴィトン財団が「子供用の遊園地」にあることは11/2の追加記事の写真のキャプションで触れたが、先週行った時に同行してくれた知人に「どうして遊園地内にあるの?」と質問をされた。私は遊園地 Jardin d’acclimatation がパリ市立とばかり思っていたのだが、違っていた。

そもそもはこの遊園地は帝国動物園なる会社がパリ市からブーローニュの土地の利権を得て、ナポレオン3世によって1860年にオープンされた。基本は「動植物園」だが、植民地主義のエキゾティズムは19世紀後半から20世紀初めにかけて「民族園」なる名でアフリカ、南米などの種族を連れて来ては、所謂「未開人」として動物の様に「展示」するに至った。

そして時代は下り、、、フランク・ゲーリーの建築の完成までの成り行きが面白く書かれたルモンド紙の記事sourceによると、「この動物園の『野獣の叫び声がうるさくて寝られやしない』と思っていた大資本家のブッサク氏(注:ブーローニュの森界隈はパリきっての超高級住宅地域です)が遊園地の利権がフリーになっていることを知り買い取り、吠える野獣どもを他の動物園に追いやった!」 これが1950年代のこと。
ブサック・グループはディオールのオートクチュールや大手繊維企業を牛耳っていたが、業界の激変に対応できず会社は衰退、1978年には某金融機関に買収された。そしてその金融機関を1984年にアルノー氏がを傘下に入れたときに、それが管理していたブサック・グループとともに遊園地の利権が付いて来たわけ。これに関しては某左翼ソースによると、当時の首相のファビウス(今の外務大臣)が、人員解雇をしないという条件で1フランで譲る裁定をした。これをはじめ、社会党の様々な政治家がヴィトン・グループと関わりがある。私でも知る人ではクリスチャン・ジェラール氏、「宵越しの金は持たない」的な一晩限りの現代アートの大イベント「Nuit Blanche(パリの白夜)」を企画した彼は、社会党のドラノエ前市長の文化顧問であると同時にヴィトン・グループの戦略部長であった。それから前記ルモンドの記事によるとルイ・ヴィトンのメセナ活動推進員は元文化大臣ジャック・ラングの顧問だったそうで、、、うーむ。

日本人の私にはなかなか理解し難いことなのだが、フランスには「右派の経営者」(これは当たり前)と「左派の経営者」というのがいて、つまりアルノー氏は左派!「心は左、財布は右に」というミッテラン時代の標語(?)は政権を担当する仏社会党のジレンマを言い当てていたが、11/2に書いたようにアルノー氏は税金逃れでベルギー国籍を取ろうとし、それを批難するのに品が欠けるとは思うけど「出てけクソッタレ」と一面タイトルで報じたリベラシオン紙(写真)への制裁に関係会社は広告を打ち切り、同紙の試算によれば70万ユーロの損害とか!source ここまで金の力を見せつけられると「身も心も財布!」ですよね〜。だから「どこがパッション?」と問いたくなる。前記左翼ソースでは「献金の60%の額が税金控除の対象となる」という企業メセナ制度は大企業にとって大もうけで、国の歳入を合わせるのが大変になるとのこと。まあこの辺はそんな感じもするが全く専門外ですのでここまで。私は手短に、半年にしてあの汚れの建物の維持費を心配している。というのも今の遊園地営業権は55年後には切れ、その時アルノー氏は建物をパリ市に寄贈するという大プレゼントをして下さるから。

遊園地と財団のことなど簡単だと思っていたのが、ちょっと調べてみるとこんな具合で次から次へ読み物があって、まとめるのにいつもによりずーっと時間がかかった(専門外のことばかりなので用語など正確さに欠くかもしれません)。最近はブログに美術制作より時間をかけているかも。かつ本当に一銭にもならないないでしょ、ひょっとしたらこれこそ私の本当のパッションなのかも(まあ本業も同じようなものかもしれないが、、、笑)。 昔は作文なんて大嫌いだったので不思議。

ところで私は引用=つまみ食しているだけだが、様々な圧力にもめげず調査をし吠え続けるプロの「野獣」たちが金持ちに追放されると困る。だから皆さん、数ユーロでも寄付や記事購入などで超微力ながらもそういうメディアを支援をするようにしましょうね。

そして、しかし以上にも関らず、すべてを忘れ、(特別展の)マチスの前にたたずむ甲斐はあると思います。

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 過去の参考投稿 

ヴィトン財団 :
二つのダンス、二つの叫び(5/20)
フランスの新名所 ルイ・ヴィトン財団(2014/11/2)
ルイ・ヴィトン財団 追加写真 (2014/11/2)

Nuit Blanche de Paris :
「光り物」は化ける(2013/10)
パリの白夜(2012/10)
白夜のラグビー(2007/10)
白夜(2006/10)

2015年5月20日水曜日

二つのダンス、二つの叫び

今ルイ・ヴィトン財団で妙な特別展が行われている。妙と言うのは、ムンクの「叫び」(オスロ、ムンク美術館蔵)、マチスの「ダンス」(サント・ペテルスブルグ、エルミタージュ美術館蔵)、それにマレヴィッチの「黒い四角」(サント・ペテルスブルグ、ロシア国立美術館蔵)などが来ていて、お金に飽かして絵画史を塗り替えた作品を集めたのかと思うと、スイスの象徴派風景画のホドラー、加えてに同傾向のフィンランドの画家ガレン・カレラAkseli Gallen‐Kallela)のように、展示の湖の連作4点は美しくて見応えがあっても知名度でも美術史上のインパクトでも圧倒的に低い作家、作品もある。モンドリアンの幾何学抽象絵画もあれば、ジャコメッティやフランシス・ベーコン。それからピカソ、モネ、レジェ、カンディンスキー、ロスコ、ピカビア、、、内容的には色々なものがつまみ食いされた地方の小美術館のようと言ってしまえるが、掛けられている作品は勿論のこと田舎の小美術館にあるようなものではない。錚々たる作品が揃うのはヴィトングループが巨額の保険料を払えるのに加え、世界各国の大美術館の特別展などで「メセナ活動」をしているというソフトパワーがものを言っている。だからその見返りをきかせ、、、結局メセナは巧妙に利用される宣伝活動なり。何故またこんな陰口をたたくかというと、この特別展が「情熱の鍵 Les Clefs d'une passion*」と題されている割に、展示作品の数も少なく(超贅沢な飾り方、例えば大きな十メートルほどの壁にモンドリアンが2点のみというような、には好感を持つが)、その意図が把握できず、何に対する熱情かさっぱりわからないから。(展覧会は「主観的表現主義」「瞑想」「ポップ」「音楽」という4区分されていて、、、四ク絶句ですよ)

しかしそれでも私は行く甲斐があると思うのは「ダンス」があるから。マチスの「ダンス」はニューヨークのMoMAと前記のエルミタージュにあるのだが、ともに2.6 x 3.9m の壁画的大作。前者(2番目の写真)は1909年制作で、マチスは「もう一つだな」と思い翌年(1910年)新たに描いた(最初の写真)。
「これはロシアの富豪シチユーキンが注文したが発表当時大不評で、、、」という美術史の解説は何かの本に譲りたいなあと思ってグーグルしたら、この事情を面白可笑しく書いてあるすばらしいブログを発見、ご参考に(でもこのブログは4本の投稿しかない!マレヴィッチの四角のこともありますので今回の私の投稿にはばっちりです:
http://d.hatena.ne.jp/ankeiy+art/20120515/1337035243

さて、では改めてこのロシアから来た「ダンス」見て戴きたい。マチスは簡単な一筆書きのマンガのようなデッサンでも何度も何度も線を引き直し、白い紙が陰影をつけるためでもなく黒ずんでしまうのだが、その執拗な線の探求がダンサーのよじれた足、背中、肩ににじみ出ている。輪になって踊る床さえも丸ではなく湾曲し、それがアクセントをつけ、
できた踊り手たちの姿はまさに「これでなくては!」とマチス同様私も思うのだが、皆さんはどうだろう? ピカソの「アヴィニョンの娘たち」が描かれたのはこの3年前、ピカソと同じくプリミティブアートに惹かれたのはありありと伺えるが、キュビズムの知的なアプローチで人体を歪めていったピカソに対し、マチスは音楽、リズムを現させる為に描いては消し描いては消しの画家の「視覚」のみで挑む。私がマチスに圧倒されるのはそこだ。そして色彩はというと、深い青、緑は「鮮やかな色」と言えても身体の赤茶は、絵を描かれるとわかるだろうがこれはとても重い色。それが「ダンス」するのだ! ドイツ表現派のキルヒナーが好むような色合わせで、彼の絵では断然重くなる(彼の世界がそうだからそれはそれでいいのだが)。つまり私はこの絵が本当の傑作(ほぼ奇跡)だと思っている。

そして「叫び」、これは大変なことになりそうですが、、、本当の「叫び」はオスロ美術館の油彩(写真上)。財団に来ている、美術館から一度盗まれたという曰く付きのテンペラ画の「叫び」(写真下)は、黒い特別スペースに入れられて「御開帳」されていますが、「これは大したものではない」の一言でおしまい(笑)




中学校で、今でも覚えています、ムンクの叫びを画集で見つけた友達が「すごい絵がある!」と見せに来てくれた。勿論「すごいな〜」と思ったが、実はその頃でもマチスのダンスの方が上だと思っていた。今回何十年ぶりに「本物」と再会してどうなるかと思ったけれど、飽きっぽい私には珍しくこのダンスは「一度惚れたら一生モノ」のようです。(女性だったら良かったのに!?)
 
7月6日まで。財団の展覧会サイト
* 注:「情熱の鍵」と訳しましたが、冠詞の含みを入れると「ある情熱の幾つかの鍵」となるでしょうか

追記:11月にあんなにきれいだった建物11/2紹介、今回は「叫び」ではないが、夕暮れ時はどうだろうかと夜11時まで開館の金曜日の宵に行った。ちょっと曇りがちなこともあったかもしれないが、結局はスッキリと青空が背景の方が冴えるように思われる。その上ガラスの外壁も少し汚れて来ているし、そして白い壁には金属接合部分からは錆のような色の流れた跡までついている!!!どうなるのだろう。掃除難かしそうだが、、、

私のブログが難解などとは到底思えないが、二つのダンス、二つの叫びが来ているのではありませんのでくれぐれもお間違えにならないように。

2015年5月13日水曜日

愚痴の本論

  昨日は舞台の紹介のつもりが「席選び」の愚痴になってしまった感があるが、そもそも「業界の人々」は「悪い席」を買った人のことは一顧だにしていないのではという疑念が私にはある。というのは「演劇関係者」とか「ジャーナリスト」がもらう招待券というのはとんでもなく良い席で、かつ普通は「お二人」招待。ここが日本と違ってフランスの素晴らしいところなのだが、劇のみならず展覧会でも、「仕事」とはいえご同伴が当然と言うことで、招待券は普通二人用となる! 私は80年代こうした招待券がもらえるお友達がいて、そのお陰で色々な現代ダンスを見させてもらった。今更ながら感謝観劇(笑)

そうしたお友達のいない現在、私が劇場に行く時は席を慎重に吟味、特に座席に価格差のある時は一層コストパーフォーマンスを検討し、「一応許せる」が当日には開幕寸前の空席移動にて「グレードアップ」を虎視眈々と狙える「戦略的座席」を選ぶのである。だからこんな優雅な観劇とはつゆつゆ言えぬ努力をして行った劇場で、特待席に座る関係者のお友達(お二人)にばったりあったりすると何ともいえない切なさを感じる。

映画「天井桟敷の人々」より
昔の催しは「王様」のためだから「ロワイヤルボックス」向けで良かったかもしれないが、今でもある意味特等席の評論家 ・ジャーナリスト向けで、彼らは特等席で見たものを評論する。勿論演劇の質を評価するには「良い席」で見なければ一昨日の私の様になってしまう。でも実際に何十ユーロを財布から出して見に行くのは私たちですからね。悪い席の人にももう少し注意を払ってもらいたい、関係者の人にも「こういう席から見るとこれしか見えない」と言うのを知ってもらいたいというのが「私の愚痴」の本論です。

この点古いオペラ座とかは、「天井桟敷」や「端っこの席」はただ同然(=オペラ座の参観料と思えば良い)というのは逆に理にかなっている。「古典モノ通」でもない私が利用するのはいつもそんな席です。
結局 「愚痴の本論」とはいえ愚痴にすぎませんでした。ご容赦下さい。

2015年5月12日火曜日

ミュルミュル 英三の呟き


昨日ヴィクトリア・ティエリ・チャップリン+オレリアの「壁の呟き(Muremures des murs)を見に行った。ヴィクトリアの構想・演出、オレリア主役ということだが、インタビューを読み聞きすると基本ストラクチャーは共作だが演出での自由度はかなりオレリアに任されているらしい。
(以上何のことかわからない人は14年5月19日投稿の投稿を読んでください)
 
これで昨年からヴィクトリアとその旦那の「見えないサーカス」(5月19日投稿)、そしてヴィクトリアの息子のジェームズの「ラウル」(7月27日投稿)を見たのでこれで「チャップリン尽くし」を一応一巡したことになる。
彼らの舞台もそれぞれヴァラエティーがあるだろうが、おそらく:
ジェームズが一番フィジック(運動量が圧倒的に多い)、大掛かりでドラマチック
ヴィクトリアとジャン=バティストは一番コミカル、アイデアがこぼれるおもちゃ箱
オレリアは一番メルヘン的に優雅にみせる、とまとめられるのではないか。

僕の好きな鳥人間(左下)はポスターでしかなかった
実は昨日の舞台、ある理由からすでに全編ビデオで見ていて、演技はわかっているので近い場所で細かいところが見たいと、毎晩(3週間も公演という人気ぶり)の空席をインターネットで比べ、舞台から4列目、右側の通路から2つめ(下の写真の青いポイントの丁度反対側あたり)が残っていた昨晩を予約したのだった。「前でそんなに端っこでもないし、良い席が取れた」と喜んでいたのだがこのチョイスが大失敗だった。小道具を使った(かつ平面的な小道具も多い)一人芝居的な要素が多いので、横からだとよく見えない。私は「予習」してあるから「あれをやっているのだな」とわかるが、私より横にいた人は完全に欲求不満になっていただろう。逆にトリックはよく見えるのでプロには良いかもしれないが、チャップリン家のトリックは考えればすぐわかる素朴なもので(そこが良いのだが)、見えてもおそらく得るものはないだろう。という訳で兎にも角にも「遠くても真ん中」の方が良い。もしサイドなら反対側の方が良かったような気がする(これは「ひがみ」かな)。
 
こんなに席のことを図まで付けてくどくどと書くかというと、この舞台は「ミュルミュル ミュール」という名で秋に日本で公演されるから! だからすごく具体的なアドバイスである訳。まあそれ以上に「パリのロンポワン劇場で見た人はこう言っていましたよ」と企画の方がオレリアさんに言って下さればきっと彼女はそれを改善してくれるでしょう☺と期待しているのです。それからオレリアの不思議トリックのテンポ(「間」)が両親、兄に比べてずっと速い。だから見落とすともう終わっていて、、、というのも不満を重ならせた原因の一つだろう。

メルヘンで、子供から老人まで楽しめるのだけれど、話は案外難しい(と私は思っている)。アパートから追い出されて色々旅行するだと思っていたのだが、建物(壁)はいつもヴェニスの下町のような気がする(仮面とか衣装もヴェニスっぽいし、運河で溺れそうになる場面もあるし、つまりすべてはヴェニスの異なる世界?)。また不気味な男(たち)に捕まえられて怖い話かと思うとオレリアの表情はにこやかで(これは近い席でないと見えなかった♪)、、、そして「ふっ」と終わってしまう。何なのだろうか? またまた大して褒めない案内となりましたが、皆さん観てお考え下さい。

彼女のきわめてヨーロッパ的な詩情、日本で通じるのだろうか? 
公演は10月に名古屋、西ノ宮、世田谷だと思います:ミュルミュル ミュールで検索ください。
再度復習:席選びは中央。実際最後の拍手喝采も圧倒的に中央後部から沸き起こっていた。

ところで私が一番好きなお兄さんのジェームズの、かつて大感動したLa Veillée des Abyssesの実況TV録画の全編が高画質が見つかりました。ロシア語で書かれているので例によって著作権無視の掲載かもしれません。これは私が不朽の名作と思っている作品ですのでなくなる前に是非見て下さい:
https://vimeo.com/6115707

2015年5月10日日曜日

雨の絵のチュートリアル

5月3日、10時55分の雨
4月末から月初め、毎日雨が続き久しぶりに毎日「雨の絵」を作った。そもそも私の「雨の絵」は前世紀末、つまり98年から2000年にかけ、つまりほぼ3年がかりでプロセスを開発。と書くとすごいことのようだが、実際の開発ネックはパリ市民が「雨ばかりだ」と嘆くほどは実際には雨が降らなくて、確か99年の春に雨が多くて突破口が開けたのであった。
その後少しバリエーションを変えたことがあったが基本は同じ。以前は河原温の"Date Painting"参考のように「持続することに意味があり」と、雨を待つような感覚もあったのだが、かつてのそんな「熱意」をなくし、最近は「技術」を忘れないように続けているというのが本音。 これはに以前は雲を見、空気を感じ「雨の気配」を自分で探らねばならなかったのに対し、最近は天気予報サイトで実際の上空からの雲の動きを見ればよく「一雨一会」の緊迫感がなくなったというテクノロジーの恩恵の逆効果もある(それでもパリ地方の雲は出来たり消えたり、あてにならないのだが)。つまり私は河原のようなコンセプチュアル指向とはほど遠く、その私のブログをフォローして下さる人も、雨が毎日続くと、1日ごとに半々というように指数関数的に降下する!

というわけで3日と4日はアトリエにカメラを設置し 「雨の絵制作」の記録をビデオに収録し、チュートリアルを作り公開し、誰でも作れるようにすることにした。(本人は卒業か???)。私の雨の絵は「アクリル絵の具の乾燥とのせめぎ合い」のため大きな絵が出来なかったのが多くの関心を引かなかった一番の理由だと思っている。誰かに「志」を継いでもらって私の技法を参考に成功してもらえると何より。

さて後はビデオを編集するばかりだが、雨が終わってまた隣のビルの工事が再開され、雑音が入ってナレーションが入れられない。加えてアトリエで時々変な音が響くようになり (守衛さんによるとおそらくビルの水道用ポンプだということだが、彼はそのブーと言う大きな音を聞いたことはなく、他の住民からのクレイムはないらしい。幻聴ではありません、うちに遊びに来た友達も聞いています)、これは夜中、早朝にもあり、安眠を妨げられている。これには私の睡眠薬のフランス文化放送も手に負えない。

というわけでチュートリアルはまだ着手していないが、そのうちに。でも天気がよくなると「海水デッサン」が忙しくなるので(ちゃんと3枚大きな紙を板に張ってスタンバイしております)いつになることやら。