2022年2月23日水曜日

写真は難しい。。。(ガストン・パリ展など)

私はカルチエ財団を仇に思ってるわけでは決してない。褒めていることもあるし(参考投稿)

でも今回のメキシコ人女性写真家(有名らしい)の回顧展もつまらなかった〜。人が撮られていてもなんだか人間を感じないんだよなー:これってかなり本質的なことじゃない!?! 私はいつも書く理由でC財団にはオープニングに行ったのだが、その数日後昼ご飯の支度をしながら聞いていたラジオのフランス文化放送の展覧会案内では、解説員(?)3人とも全員がこれ以上の言葉がないほど絶賛していた。私の目は何を見ているのだろうか?「銀紙でも貼っとけ!」と言われそうだが、一緒に行った仏人写真家(ほぼ無名(笑))は私よりもっと手厳しく"vide(=empty)"と言いのけたほどだったが、、、。
評論家、文芸ジャーナリストは「C財団の展覧会は0点」なんて言ったら美術業界追放になるかもしれないから私は彼らを常日頃可哀想に思っていたのだが、ラジオを聞いていると本当に「この上もなく素晴らしい」と本気で思っているふしがあり、それも3人が3人ともだ。そこで想像:結局彼らは小さな「現代アート」の卵の殻の中で生きていてその中での確固とした信念を身につけているので全員が真実感動しているのではないだろうかと。同じ番組で非常に好意的に紹介されていた某有名画廊のホームレスの人を撮った某写真家の展覧会を見てそれは確信に至った。
そういえばあのダミアン・ハーストの「桜」(過去投稿)は今東京だそうだ。日本の皆様は感動さ(せら)れているのでしょうか?(一升瓶持って本物の花を見に行ってくださいな)

C財団前の大通りを反対側に渡ると Camera Obscuraという小さな写真の画廊がる。ついでにそこに寄ったが、そこで開催中の「雲」をテーマにした企画展の方がC財団の展覧会より私にはよっぽど素晴らしい。特にJungjin Leeという韓国出身の米在住作家の写真(私はこの記事を書こうとするまでデッサンだと思い込んでいたのだが、実際は韓国の伝統的な桑の紙に印刷したものだった)はオキーフの絵がそうであったように「風景だが風景でない」世界(参考投稿)を作品で表現している。
Leeさんに関してはいいビデオがあるのでご参考に>https://vimeo.com/286792074 
 
"Match" avec les photos de Gaston Paris (1938)
当時のサーカスのスターの落下事故を伝えることになったガストンのルポ写真
ところで Gaston Paris ガストン・パリ(本名、1905-64)の写真展がポンピドーの地下の小さな写真スペースで開かれている。彼は写真雑誌 VU の社員カメラマンとして様々な分野でのルポを担当していたのだが、その中に現れる人物たちは生きているし、オブジェの捉え方だって少しシュールで変わったものが多くて楽しい。展覧会では当時のプリント写真のみならず、写真が発表された雑誌記事、没後彼のネガから印刷した写真が展示されている。(以下にリンクのページにいろいろありますのでご参考に) 

photo de Gaston Paris彼の写真の中にはスターたちとか歴史的イベントとか、撮られたものがすでに興味深いことが多いのだが、被写体がよければ写真になるのか、あるいは撮り方がいいからなのか? もちろんその両方というのが当たり前の答えなのだが、C財団の作家は70年代に撮ったインディオの人々の特殊性で注目を浴び、かつ構図なども上手なのだが、私の心に触れないのはどういうことだろうか? 写真というものの難しさを問い直さすためには軽智恵財団に行ってがっかりするのもいいかもしれないが、やっぱりガストンに行ってください。無料だし:実はバゼリッツ展を見るつもりがアーティストカード忘れて仕方がないからいったのだけど、それが大正解だった(笑)。
 
ガストン・パリ関連リンク:
ポンピドーセンターのガストン・パリ展のページ (8枚も写真あり):4月18日まで
● 次のサイトはポンピドーでの展覧会の案内ではないがご参考に:

2022年2月14日月曜日

人生のつづれおり - Mayumi Inoué 展

楽譜のつづれ織り
Sujet principal : Exposition de Mayumi Inoué  "Motif de vie".

人生はつづれ織り、嬉しいこともあれば悲しいこともあり、、、なんて口ずさんで帰ってきて歌詞を見たらキャロル・キングの「タペストリー」は全然そんな簡単な歌ではなかった(曲の出た71年頃の日本のラジオ番組ではこんな風に紹介をしていたと思うけど〜)。彼女の曲は素朴な歌詞が多くて中学英語で大体はわかるのだがこの曲はもっと寓意的で、、、聞いてもよくわからなかったはずだ。(アルバムは当時大ヒットでよく知られている曲が多い。「タペストリー」はタイトルソングだが、シングルでもなかったのであまり聞かなかったけど←自己弁護

それはさておき私にこの曲を思い出させたのは
織り込まれた写真はウジェニの息子
Mayumi Inoué (井上麻由美)
という若い日本女性作家の展覧会の、ウジェニさんという1人の女性の証明書とか出納書とかのドキュメントをつづれ織りした作品。ドキュメントは井上さんの友達がナントの一軒家を買った時に屋根裏にあった一個の金属箱に入っていたそうだ。それは以前の家主が引っ越ししてきたときにすでにあったという。箱の中にはウジェニさんは自分の「人生」の種々の記録と髪の毛までを残していて、井上さんとお友達はそれに基づき、1895年生まれで2つの世界大戦を経験したお針子さんウジェニの苦難多き人生を見出し再構築した(最終資料は封の切られていない1977年の封書でこの年に亡くなったと推測される)。井上さんはそれらの記録と髪で人生を織り込む作品を彼女の住んでいたその家で作ったというストーリー豊かな作品なのだ。壁に飾られた作品ばかりではなく、箱を譲り受けたお友達の俳優・監督のジョン=マリ・ ローヴェレックさんとウジェニの生涯を語る人形劇まで企画中とのことで、それが展覧会場でも開催される。この辺のお話、私が書かなくても彼女のサイトにきちんと日本語で説明されていますのでこちらを参考に 
 
最近はドキュメントのディジタル化で事情は変わっただろうが、私が40年前にフランスに来た頃には電気・ガスの領収書、銀行出納明細、手紙も「なんでもとっておけ」と忠告されて驚いた。例えばフランスでは各人が税金の「自己申告を」するが、間違った申告をすると3年、あるいは6年、状況によっては10年遡って調べられるらしいのだ。税金でなくても何か問題の起こった時は必要になる:だからなんでも取っておく。この昔に遡る「遡及性(rétroactivité)」という単語を初めて知ったのは、以前のアパートで大家さんから3年間値上げしてなかったから急にまとめて差額を支払と請求された時。そんなバカなと思って市民相談室に行ったら家賃は6年間(だったと思う)遡及可能ということで、、、😟 滞在許可書の申請などでもその頃は窓口で本物を見せて自分で予め用意しておいたコピーを置いてくるという形式で、わんさと「紙」を持っていく。アーティスト申請も最初は落とされたが、「大きさ、量の制限なんか無視してでっかい資料持って行かなきゃだめだよ」とのアドバイスを受け、そうしたらパスした。書類は厚さで勝負! 「無用な書類の山」にはタペストリー (tapestrie) ならぬパペラスリー(paperasserie)という言葉があるほどで、我が家にもパペラスリーがはいったボール箱が一杯ある。


これも楽譜から:こういう読めない方が私の趣味

だからウジェニさんが箱の中に「紙」をいっぱい貯め込んでいたのはわかる。でも「髪」が入っていたというのは私にはかなり不思議なのだが、井上さんは癌の化学治療をする人の髪で織った作品もあって(「いのちの糸」プロジェクト) 、、、これは私にはちょっとヘビーすぎ)、そうでなくても「織り」の行為は私には自分の羽を抜いて夜中にカッタンコットン「鶴の恩返し」、自分では絶対しない忍耐の世界で苦しそう(想像しすぎかな?)

他には使われた楽譜を織ったものも。音符が踊っていると少し気が弾みますが、これでキャロル・キングになったのか? ちゃんと歌詞を読み直して信頼できそうな和訳を見ると閉じ込められていたウジェニが解き放たれたこととの類似性があると解釈できないこともないから私の「鼻歌」は正しかったのかも**(笑)

テクスチャー作家は沢山いるが(ほぼ女性、男性もたまに)、布とか糸、自然素材(蔓とか髪の毛とか)、最近はプラスチックゴミとか、様々な素材を使え、コンテクストに合わせられて結構現代美術しやすい世界 * だが、作品としてはぐちゃぐちゃと糸が絡まる増殖的でのめり込み型のものが多い。それに対し井上さんの作品はシンプルで、使った素材の由来ともある距離を置いたクールなストーリーテラー的なところが私は気に入った。(私の意見は主流派じゃないので逆にそれが弱点かも。まあまだまだ発展されるでしょう:若い人は羨ましい←またまたエイゾウのブルース

展示スペースは画廊ライブラリーといっても書籍と独立していて、地上階に地下と規模も大きく40点もの作品を展示中。3月19日まで続く。でも水曜と土曜しかここは開かないですって。

「星の王子様」

インスタレーションも


galerie librairie IMPRESSIONS - 17 rue Meslay 75003 Paris  (01 42 76 00 26) にて

3月19日までの水曜(18〜21時)と土曜(14〜20時)

人形劇« Boucles »は3月19日(土)19時より - ウジェニがなぜ髪を残したか紐解かれるらしい
 
Exposition jusqu'au 19 mars 2022, Ouvert mercredi de 18h à 21h et samedi de 14h à 20h
 
Présentation du projet théâtre  « Boucles » 
samedi 19 mars 2022 à 19h avec Jean-Marie Lorvellec (comédien)
Une histoire qui explore pourquoi une couturière du XXe siècle nommée Eugénie, nous a laissé ses cheveux.
 
 
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* 考えて見たらテクスチャー・アートに関し昔少しだけ書いていた:2019年3月 縫・織・編
 
** キャロル・キングのタペストリー、歌詞+和訳付きYouTubeがありました(ただし訳は前のリンクの方が正確)
 
 

 

2022年2月9日水曜日

アート、不亦楽乎(また楽しからずや)

Sujet : L'art, c'est un plaisir - Mes impresions du Mail-Art de Jean-Charles Boilevin et des dessins récents d'Alejandro Marcos

友達のジャン=シャルルからこんな年賀状が届いた(ボナネ2022 *と読める)。ピクニック用の紙の皿に幾つも切手が貼ってあるが、仏郵便局の本物の切手はどれなんだ? 見つからないのだけど、、、(本当にないのかも。メール・アーティストはどこまで送れるかという変なリミットに挑戦する人も多い)**。中央に真ん中のエティケットに私の宛名があり個人的メッセージはなし。裏側には彼の住所と「あなたはどのようにメール・アートが好きか?」というメッセージがスタンプされている。(表裏、他のスタンプいろいろ)

紙皿、折り曲がりもせず汚れもなくよく着いたものだ。それだけで ☺


楽しいね〜、ジャン=シャルル君! 考えてみると「最近私は楽しんでないなー」。展覧会して、結果のでない販促をしてみたり、自分で自分の首を絞めているみたい。楽しいことは作ることなのにー。彼はアートの勉強して、初めて会った時はインスタレーションをしていたが、その後介護士の資格を取って田舎で奥さん子供と暮らし、「書く」ことと「メール・アート」が彼の表現手段 ***。

メール・アートはいっとき流行りで展覧会がよくあり、誘われたりもしたが、書簡がEメールにとって変わられ、郵便代も高くなったし、、、そんな逆風で廃れたのかあまり耳にしなくなった最近、意外にその逆に、バーチャルでない「もの」の交換という復権行為で大きくカムバックする可能性もなきにしもあらずか。 郵便局も「みんなでメール・アートしよう」というPRしたらいいのでは?

 


* 発音表記です。本当はBonne Annéeですので日本の方は真似しないように

**  ジャン=シャルルからの返答 「そう言うこともするけどこれはちゃん切手あり」真上「NA」の左の「天体」切手とのことだが郵便局員もアホらしくなったのか消印なし(笑)

***  ジャン=シャルルはブログで彼に届くメール・アートを紹介している:http://ruedesabeilles.blogspot.com/ 皆さんも上の写真の住所写して出したら喜ばれますよ。


楽しいといえば私のお隣のCおばさん*の古くからの友人、アレハンドロ・マルコス(Alejandro Marcos)の展覧会。彼はフランコ政権から逃げてアルゼンチン(Cおばさんの祖国)に行きそれからパリにまた逃げてきたスペイン人画家で、メッセージ性の高い作品を描いていたのだが、それは今や昔。今回の個展は「失楽園」がテーマで、アダムとイヴがいつもいるけど、想像と妄想の世界。ちゃんと美術学校出で、気も確かなのにしっかりアールブリュットしている(笑)**。紙の両面から描かれていて、染みてくるインクの滲みなんかから人物や動物が出てきて、、、「こんな風に」と右写真のようにラックにあった作品にボールペンで絵を足し出した。これですよこれ、84歳にしてこれ、やっぱ楽しくないですか?
 
 
展示されていた「失楽園」シリーズは両面なので二重ガラスに挟まれていてうまく写真撮れませんでした


この展覧会(パリ14区)は終わってしまったが、頼めばまだ見ることが可能らしい。ご希望の場合はまず私にご連絡を 

 

* アレハンドロさんのフルネームを出して、時々出てくる隣人の「Cおばさん」の名前を隠すのは変なので書きますと、彼女はCristina Martines。11月のHoudanのグループ展でも一緒に出展しています 

** 参考記事 2021年11月 素朴なアール・ブリュット


メール・アートも100年の歴史があって、現代美術史好きの方はコチラ(美術手帖)で勉強してください

2022年2月5日土曜日

Imaginary retrospective show (空想回顧展) 1990-1991 "Fiesta"

Description 🇫🇷🇯🇵🇺🇸 below

"Correfoc" acrylic on canvas, 1990(?) 150x120cm


"La naissance de Venus" acrylic on canvas, 1990, 58.5x89cm

"Correfoc" acrylic on paper, 1990(?) ?x?cm

"La Patum" acrylic on canvas, 1991, 72x83cm

"La Patum" acrylic on canvas, 1991, 64x81cm


"La Patum" acrylic on canvas, 1991, 146x114cm


"Fiesta - blue & yellow" acrylic on canvas,1991, 54x65cm

"Fiesta - green & orange" acrylic on canvas, 1991, 54x65cm

"When the music starts" acrylic on canvas,1991, 64x81cm

 
"correfoc"  print, 1991, 34x34cm(=plate size)


1990-1991 LA FIESTA

🇫🇷 Eizo SAKATA allait travailler régulièrement en Catalogne pendant quelques années. La série de "La Fiesta", qu'on présente ici, est un fruit de les premières années de ce séjour. En fait il a trouvé là-bas une grande source de sa création: la fête du feu. En Catalogne il y a des fêtes tout à fait traditionnelles, pourtant longtemps opprimées sous le régime de Franco et reprises de nouveau, elles ont impressionné Eizo par leur fantasme tout à fait pyromaniaque. 

A "la Correfoc de Barcelone", les dragons défilent accompagnés par les diables en lançant et crachant du feu aux gens. Certains osent s'approcher tout près d'eux et prendre la douche brûlante. Ainsi on court avec le feu (en Catalan, corre-courir et foc=feu). 

A "la Patum de Berga", les diables ou les monstres aux bi-cornes couverts d'herbes vertes, s'installent parmi la foule bien serrée dans la petite place. Bien entendu les cornes servent à lancer du feu. Ici on ne pourrait pas courir pour échapper à la pluie de feu, les gens s'entassent et marchent par saccades avec la musique joyeuse. 

Ainsi se déroulent deux fêtes qui ont laissé des empreintes très fortes à cet artiste étranger. Au lendemain de "la Correfoc", il a tout de suite commencé à dessiner les protagonistes de la fête dans la vague, qui aussi provient de l'héritage catalan sans doute, c'est-à-dire celui de Gaudi. Par contre il lui a fallu des mois avant de fixer son impression de "la Patum" sur la toile. Dans ces deux cas, on pourrait remarquer son grand intérêt pour l'art primitif, notamment celui de l'océanie. Il a appliqué cette approche picturale pleine de mouvement, d'énergie et de gaieté, à divers sujets de Botticelli au rap, durant les années '90-91. 

Depuis, lassé de la fête probablement, il recherche une nouvelle voie qui pourrait véhiculer ses messages plus personnels souvent symboliques, en développant le dynamisme qu'il montre dans cette série. Enfin cette série est décidément la plus joyeuse, la plus optimiste, aussi la plus décorative parmi ses oeuvres.


🇯🇵 坂田英三は、何年もカタルニアへ定期的に制作しに行っていました。ここで紹介する「フィエスタ」シリーズは、この滞在の最初に生まれたものです。彼はカタロニアで大きな創造源となる「火祭り」に出会います。カタロニアには、フランコ政権下で長く弾圧され、その後復活した伝統的な祭りがあり、その火祭りのファンタジーに彼は感銘を受けました。

コレフォック Correfoc では、悪魔を従えた龍が人々に向かって火を吐き出します。観衆の中にはあえて龍に近づいて熱いシャワーを浴びている人もいます。こうして火と一緒に走るのです(カタルーニャ語ではcorre=走る、foc=火)。 

パトゥム La Patum de Bergaでは、緑の草に覆われた2本の角を持つ悪魔や怪物が、小さな広場にぎっしりと詰まった観客の中に陣取っています。もちろん角からは花火が噴射されます。ここでは火の雨から逃げることはできず、人々は楽しげな音楽とともに押し合い揉み合います。この2つのフェスティバルは異邦人アーティストに強い印象を与え、コレフォックの翌日からさっそく祭りの主人公たちを渦の中に配置して描き始めました。その波と渦のモチーフはカタロニアの天才建築家ガウディからの影響もあるのかもしれません。その反対に「ラ・パトゥム」の印象をキャンバスにするアイデアを得るのには数カ月かかったといいます。いずれにせよ、原始美術、特にオセアニアの美術に大きな関心を寄せていることがわかります。作家は90年から91年にかけて、ボッティチェリからラップまで、さまざまな題材に動きとエネルギーと陽気さに満ちたこの絵画的アプローチを応用しました。

その後、フィエスタに飽きたのか、彼はよりパーソナルで象徴的なメッセージを伝える新たな方法を模索し、このシリーズで見せるダイナミズムを発展させていきます。このシリーズは、少なくとも彼の作品の中で、最も愉快で、最も楽観的で、最も装飾的な作品であることは間違いないでしょう。

 

🇺🇸 Eizo SAKATA had been working regularly in Catalonia for several years. The series of "La Fiesta", which is presented here, is a fruit of the first years of this stay. In fact he found there a great source of his creation in fire festivals. In Catalonia there are very traditional festivals, which were oppressed for a long time under Franco, but which have been revived and which impressed Eizo with their pyromaniac fantasy. 

In "Correfoc", the dragons parade accompanied by devils throwing and spitting fire at people, some of them daring to approach them and take a burning shower. Thus one runs with the fire (in Catalan, corre=run and foc=fire). 

In "la Patum de Berga", the devils or monsters with two horns covered with green grass, settle down among the crowd tightly packed in the small square. Of course the horns are used to throw fire. Here one could not run to escape the fire rain, people pile up and walk in jerks with the joyful music. 

This is how two festivals take place that left a strong impression on this foreign artist. The day after the "Correfoc", he immediately began to draw the protagonists of the festival in the wave, which also comes from the Catalan heritage, without doubt, that of Gaudi. On the other hand, it took him months to fix his impression of "la Patum" on canvas. In both cases, one could notice his great interests in primitive art, especially that of Oceania. He applied this pictorial approach, full of movement, energy and gaiety, to various subjects from Botticelli to rap, during the years '90-91. 

Since then, probably tired of festival, he looks for a new way to express his more personal and often symbolic messages, developing the dynamism he shows in this series. Finally this series is definitely the most joyful, the most optimistic, also the most decorative among his works.
 
 
 
追記:説明書きも30年前に書かれたものを使いました。小品も沢山あったはずだけどどこにあるか見つからない。しかしこんな「 回顧展」の一部を作ったけど、正直何やっているのか、ちょっと虚しい感じもしないでもないです。
 
PS: The description above was written 30 years ago, too. There must have been many small pieces, but I can't find where they are. I made one section of "retrospective", but to be honest, I don't know what I'm doing, and I feel a little vain.



 



2022年2月2日水曜日

ベルガのパトゥムと英三が悪魔になった理由

The main theme:  La Patum de Berga - the reason why I became a devil

 
さて、前回書いた「悪魔祭」の話。
バルセロナ(カタロニア地方)に行っていた頃(1989〜95年)はまだまだフランス語もいい加減(今でもだがその度合いに大きな差がある)で、フランス人の友達は「1ヶ月もいればスペイン語がわかるようになる」、現地の人には「カタロニア語のほうがフランス語に似ているからもっと簡単だ」なんて言われていたが母国語がラテン系であるかないかが運命の分かれ道:92年にはバルセロナで炙り出しドローイングで生まれて初めて個展らしい個展をさせてもらったし、後述のような次第で「悪魔」にもなれるしで、もう少し語学の才があったらかの地で暮らすことになったかもしれないのだが、全然習得しなかった😕。
お祭りのことも当時いろいろ説明されたであろうが何が何だか。これを書くためには結局インターネットで勉強しました😅
 
さてLa Patum de Berga(当投稿ではパトゥムとします)で検索したら、なんと2008年にユネスコの無形文化遺産に登録されていた!毎年5月末から6月の「聖体祭週間」に催され、町の記録では1454年に遡る。騎士、サラセンの王の巨人、頭でっかちの小人、はたまた竜や大鷲の怪物など、様々なキャラクターが登場し、その一連のシーンとパレードから構成され、特に花火の存在、そして何よりも市民の参加の多さが特徴。
百聞は一見に如かず:次のスペインのテレビの報道を見てもらおう 


 

バルセロナおよびその近郊にはCorrefocコレフォックという秋の「大祭」(あるいはMercè メルセ(聖母)祭)というのがあって、パトゥムと構成はかなり似ているが、大都市だけにスペクタクル性が増し混沌性が薄い。とはいえ初めてコレフォックで大きな龍たちが火(花火)を吐きながら行進し、人々が火の粉を浴びながらもそれを阻もうと壁を作る(かつこれは誰でも参加できる)一種混沌とした夜祭を経験した私はかなり興奮(そもそも火に弱い - コレフォックは文字通り「走る火」を意味する)、以来即私はこの祭りのファンになり毎年9月にバルセロナ詣(笑) そのきっかけを作ってくれたのは86年のドーヴィルの浜辺の版画インスタレーションを手伝ってくれたノルマンディのA君で、彼がバルセロナ近郊の村に見つけた旧司祭宅を改造したレジデンスを見つけ、版画工房があったので喜んでそこに行った。その頃の私の作品のメインは室内ですると焦げた野菜果実の匂いが立ち込める炙り出し、それに版画、かつ普通の銅版でなく版によってプレスの圧力を変えねばならぬテクニックを使っていたので、ほぼ1人でプレスを独占できるのは至上の喜びだった。ある日コレフォックの冷めやらぬ興奮をドローイングにしていたとき、近くの地方都市G市の文化局で務める人がそれを見て町のコレフォックのポスターに使いたいと言い出し、「ご自由にお使いください」。そのお礼としてそのG市の悪魔隊の名誉隊員となり祭りに参加する栄誉を得たのであった。 

それがである、悪魔の間では「コレフォックなんて生温い、ベルガのパトゥムに行かなきゃ」と言うのだ。ここでやっと話がパトゥムに戻ったが、私が「悪魔祭」としたのは前述パトゥム祭のメニューの一つで「火の悪魔たち」Plensと呼ばれるもので、コレフォックでの火吹きの主役の大きな龍に対し、悪魔は人=同等サイズだからコンタクトが肉弾勝負となり、「カタロニアの火祭り狂」には特に人気があるわけ。まあ肉弾勝負と言っても「戦い」ではなく、悪魔の邪魔をして火を沢山浴びせかけられれば町民衆はそれで箔が付くという具合でそれを満足させるのが悪魔の仕事(笑)。でも悪魔の役を預かると押されて花火を吹く松明(?)を落としたりしたら事故に繋がりかねないので、なかなか責任のある名誉職でして。。。こうして悪魔の端くれとして私も参加させてもらうことになったのだった(「本物の悪魔」はスペクタクル性の高い円陣組とか色々な「振り付け」を知ってなければならない)。
 
これ円陣組だ

混沌混沌

これは「八幡の大蛇」(複数頭の龍)の行進かな?もう覚えがありません

これも円陣かな?
 
悪魔はフード付きの分厚い生地のユニフォームがあるが、一般の人は火祭りに参加するには長袖の綿のジャージにジーパンが必須、火の粉から顔や頭を防ぐため、濡れタオルを頭に巻いて帽子を被ったり、写真のようにバイクのヘルメットをしたりしてる人もいる。
 
 
 
バルセロナのコレフォックは初めて見たときはなんと荒々しい祭りかと思ったが、事故もあるのか数年のうちにかなりおとなしくなった(一般的に言ってバルセロナは92年のオリンピックを境に都市の整備も進み近代化、かつての土着性というか胡散臭さが極めて薄くなった。ユネスコのページ(写真あり)には「パトゥムも都市化・観光化により性格が変わらなければいいが」と書いてあったが、もうすでに私が経験した「悪魔祭」ではなくなっているかもしれない。
 
中央がG市のラモン(だったかな?)さん

なつかしい写真をいっぱい出したついでに、なつかしい作品も:
 
Correfoc acrylique /papier 91
これがG市の91年コレッフォク祭のポスターになった。サイズは???制作は多分90年

その頃の版画「コレフォック」(1991) 34x34cm(=版サイズ) 

La Patum(1991) アクリル画(キャンバス)64x81cm

 
上のウダンに出した作品、95年としていたけど自分の過去を探ってみると食い違いがある。91年が正解。追ってブログは修正しました。
かつ悪魔の写真もパトゥムだったかG市のコレフォックのだったかだんだん自信がなくなってきた。パトゥムにしては人の密集度が少ない。やっぱりG市かな? 自分のことなのに困った〜(自らの伝説を作る意図など毛頭ないのですが)。
 
昔のドキュメントと記憶をもう少し整理して、次回はピカソに遠慮せず、ウェブ上で「フィエスタシリーズ」の回顧展でもしようと思います(笑)