2022年2月2日水曜日

ベルガのパトゥムと英三が悪魔になった理由

The main theme:  La Patum de Berga - the reason why I became a devil

 
さて、前回書いた「悪魔祭」の話。
バルセロナ(カタロニア地方)に行っていた頃(1989〜95年)はまだまだフランス語もいい加減(今でもだがその度合いに大きな差がある)で、フランス人の友達は「1ヶ月もいればスペイン語がわかるようになる」、現地の人には「カタロニア語のほうがフランス語に似ているからもっと簡単だ」なんて言われていたが母国語がラテン系であるかないかが運命の分かれ道:92年にはバルセロナで炙り出しドローイングで生まれて初めて個展らしい個展をさせてもらったし、後述のような次第で「悪魔」にもなれるしで、もう少し語学の才があったらかの地で暮らすことになったかもしれないのだが、全然習得しなかった😕。
お祭りのことも当時いろいろ説明されたであろうが何が何だか。これを書くためには結局インターネットで勉強しました😅
 
さてLa Patum de Berga(当投稿ではパトゥムとします)で検索したら、なんと2008年にユネスコの無形文化遺産に登録されていた!毎年5月末から6月の「聖体祭週間」に催され、町の記録では1454年に遡る。騎士、サラセンの王の巨人、頭でっかちの小人、はたまた竜や大鷲の怪物など、様々なキャラクターが登場し、その一連のシーンとパレードから構成され、特に花火の存在、そして何よりも市民の参加の多さが特徴。
百聞は一見に如かず:次のスペインのテレビの報道を見てもらおう 


 

バルセロナおよびその近郊にはCorrefocコレフォックという秋の「大祭」(あるいはMercè メルセ(聖母)祭)というのがあって、パトゥムと構成はかなり似ているが、大都市だけにスペクタクル性が増し混沌性が薄い。とはいえ初めてコレフォックで大きな龍たちが火(花火)を吐きながら行進し、人々が火の粉を浴びながらもそれを阻もうと壁を作る(かつこれは誰でも参加できる)一種混沌とした夜祭を経験した私はかなり興奮(そもそも火に弱い - コレフォックは文字通り「走る火」を意味する)、以来即私はこの祭りのファンになり毎年9月にバルセロナ詣(笑) そのきっかけを作ってくれたのは86年のドーヴィルの浜辺の版画インスタレーションを手伝ってくれたノルマンディのA君で、彼がバルセロナ近郊の村に見つけた旧司祭宅を改造したレジデンスを見つけ、版画工房があったので喜んでそこに行った。その頃の私の作品のメインは室内ですると焦げた野菜果実の匂いが立ち込める炙り出し、それに版画、かつ普通の銅版でなく版によってプレスの圧力を変えねばならぬテクニックを使っていたので、ほぼ1人でプレスを独占できるのは至上の喜びだった。ある日コレフォックの冷めやらぬ興奮をドローイングにしていたとき、近くの地方都市G市の文化局で務める人がそれを見て町のコレフォックのポスターに使いたいと言い出し、「ご自由にお使いください」。そのお礼としてそのG市の悪魔隊の名誉隊員となり祭りに参加する栄誉を得たのであった。 

それがである、悪魔の間では「コレフォックなんて生温い、ベルガのパトゥムに行かなきゃ」と言うのだ。ここでやっと話がパトゥムに戻ったが、私が「悪魔祭」としたのは前述パトゥム祭のメニューの一つで「火の悪魔たち」Plensと呼ばれるもので、コレフォックでの火吹きの主役の大きな龍に対し、悪魔は人=同等サイズだからコンタクトが肉弾勝負となり、「カタロニアの火祭り狂」には特に人気があるわけ。まあ肉弾勝負と言っても「戦い」ではなく、悪魔の邪魔をして火を沢山浴びせかけられれば町民衆はそれで箔が付くという具合でそれを満足させるのが悪魔の仕事(笑)。でも悪魔の役を預かると押されて花火を吹く松明(?)を落としたりしたら事故に繋がりかねないので、なかなか責任のある名誉職でして。。。こうして悪魔の端くれとして私も参加させてもらうことになったのだった(「本物の悪魔」はスペクタクル性の高い円陣組とか色々な「振り付け」を知ってなければならない)。
 
これ円陣組だ

混沌混沌

これは「八幡の大蛇」(複数頭の龍)の行進かな?もう覚えがありません

これも円陣かな?
 
悪魔はフード付きの分厚い生地のユニフォームがあるが、一般の人は火祭りに参加するには長袖の綿のジャージにジーパンが必須、火の粉から顔や頭を防ぐため、濡れタオルを頭に巻いて帽子を被ったり、写真のようにバイクのヘルメットをしたりしてる人もいる。
 
 
 
バルセロナのコレフォックは初めて見たときはなんと荒々しい祭りかと思ったが、事故もあるのか数年のうちにかなりおとなしくなった(一般的に言ってバルセロナは92年のオリンピックを境に都市の整備も進み近代化、かつての土着性というか胡散臭さが極めて薄くなった。ユネスコのページ(写真あり)には「パトゥムも都市化・観光化により性格が変わらなければいいが」と書いてあったが、もうすでに私が経験した「悪魔祭」ではなくなっているかもしれない。
 
中央がG市のラモン(だったかな?)さん

なつかしい写真をいっぱい出したついでに、なつかしい作品も:
 
Correfoc acrylique /papier 91
これがG市の91年コレッフォク祭のポスターになった。サイズは???制作は多分90年

その頃の版画「コレフォック」(1991) 34x34cm(=版サイズ) 

La Patum(1991) アクリル画(キャンバス)64x81cm

 
上のウダンに出した作品、95年としていたけど自分の過去を探ってみると食い違いがある。91年が正解。追ってブログは修正しました。
かつ悪魔の写真もパトゥムだったかG市のコレフォックのだったかだんだん自信がなくなってきた。パトゥムにしては人の密集度が少ない。やっぱりG市かな? 自分のことなのに困った〜(自らの伝説を作る意図など毛頭ないのですが)。
 
昔のドキュメントと記憶をもう少し整理して、次回はピカソに遠慮せず、ウェブ上で「フィエスタシリーズ」の回顧展でもしようと思います(笑)
 

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