2023年11月24日金曜日

荒川さんの「養老天命反転地」

私の実家は名古屋西部にあるのだが、そこから木曽三川の揖斐川を上った養老町に荒川修作と彼の連れ合いのマドリン・ギンズのコンセプトの「養老天命反転地」なる公園がある。

ところで皆さん荒川修作ってご存知だろうか? 

「私はよく知ってますよ」っというか、、、
 私の子供の頃は新聞社が美術展の大のスポンサーで、その新聞社勤務の父の役得で得られる招待券のおかげで私は名古屋で開催される美術展はピカソ、ダリをはじめ、泰西名画から浮世絵、現代アートまで総なめしていた。その頃の現代美術展はコンセプチュエルなものが主流で小中学校生の私には手に負えなかったのは当然だが、その中で特に「煮ても焼いても食えんな〜」とエイゾウ少年が思った最たるものが荒川修作だった。名古屋出身でニューヨークで活動、グラフがあったり表があったり線が引いてあって絵単語が記されていて「優秀賞」なんて受賞しているのだから、少年もそれなりにすごいものなのだろうと思って見るのだが、英単語の勉強以外には何とも致し方なしとすぐにサジを投げた。それどころか以降荒川修作は敬遠。この養老の「公園」も行きたいと思ったことがなかった。実際フランスから友だちが実家にきた時も「養老の滝」は行ったが「養老天命反転地」には足を運ばなかった。
 
ところが今回、実家に住むのも最後になるかもと思って行ってみたら、この公園はものすごくおもしろかった!^_^ 
昔の作品同様理解できないのは同じとしても、傾いた床の迷路のような建造物の中を歩くとドイツ表現主義の無声映画「カリガリ博士」
(ウィキ)にでもなった気がしてくる歪んで奇怪、でもベッドとか冷蔵庫とか実際の調度品が壁に飲み込まれては透過し、天井にはテーブルがある反転世界というシュールな滑稽な愉快さがあり楽しめる。建造物は95年の開園以来そのままで崩壊しないか心配にならないでもないが、それもまたよし。逆に手入れのされた屋外公園は「不安定感」をキープしつつもなごめる空間になっている。今更ウィキを見てみると、私が食わず嫌いになった60年代後半から荒川修作も随分「進化」したらしい。といっても彼の理論を紐解こうとは思いませんが(絶対私には難しすぎる=煮ても焼いても食えんには変わりないので)
 
下のインスタからの掲載は空間がわかってもらえるようビデオ主体ですのでクリックして動画をご覧あれ。安全第一主義の日本でどこで転んで怪我するか分からない公園ってのはとても素敵です!!!

 

 

下の白黒写真は家を整理して出てきた(で即整理の対象となった)現代美術展のカタログにあった彼の作品の写真。 ほんとにね〜

 

公園でもどんぐりコロコロしそうになります

これは養老の滝。紅葉にはちょっと早かった:
 そうそう実は紅葉にいいかと思ったのが行ったきっかけだった。温泉もあるし(笑)

 参考

荒川修作のウィキ

養老天命反転地のウィキ

2023年10月25日水曜日

プレゼの上手のダニエル・ビュラン

Résumé : Hier matin, dès que j'ai vu le ciel bleu. Je me suis dit : Il ne faudra pas rate ça ! Je me suis donc précipitée pour voir la grande installation de Daniel Buren et Pistoletto. Car, avant-hier, j'ai écouté Daniel Buren interviewé à la radio à l'heure du déjeuner. En fait il présente son travail toujours à la manière excellente. Sur place c'est ni plus ni moins que ce que l'on imagine : il me fait toujours marcher par son discours et par les photos :)
 
最近のパリの日の出は8時半ごろだから我が地下アトリエは遅くまで真っ暗でちっとも起きる気がしない。かつ夏から一気に晩秋になって雨混じりの曇天が多いから余計。
 
それが昨日は起きたらすぐ青空が見えた。「今朝を逃したらもうないか!」といそいそ出かけたのがダニエル・ビュラン Daniel Buren(日本語ウィキ) とピストレットPistolettoの二人の大インスタレーション。 というのも一昨日のお昼にダニエル・ビュランがラジオのインタビューを受けていて、なんかとても素晴らしそうだったから。かつ午前中、色ガラスから陽光が差し込むのを見計らっていくに越したことはないとわかったから早速行ったけど、ダニエル・ビュランさん、話にユーモアもあるし、いつも本当にプレゼがうまくて、彼のコンセプトのinsitu(場所特有の空間芸術)の現場に行かなくてはと思わされる。しかしその現場に行って感じたのは「こんなもんでしょ」。つまり想像した以上でも以下でもない:従って想像力ある人は行く必要がないでしょう(笑)
しかし顔を輝かし私に同意を求めるような目線を差し向けるおばさんたちもいたから想像力に自信のない人はどうぞ。(でも今から最終日の日曜までに美しい太陽光線が差し込むことはもうなさそうだが)
それとインスタ好きの若い子たちにも受けていた。
写真映えするんだよな〜、これで何度ビュランさんに騙されたことか!
それでいて何度も騙されても見てしまう:つまり私はこう言いながらビュラン先生を尊敬しています。
 
 
そのあとここまで来たから近くの近美でニコラ・ド・スタールでもと思ったら長蛇の列、服飾美術館も回廊に列をなし、それなら日光浴がてらとヴェリブでセーヌ河沿いにオルセー美術館までサイクリング。そのオルセーの長蛇はゴッホ展の所為かすごかった〜。「芸術の秋!?」 そう、世の中万聖節の学校休暇でしたー。そのとばっちりで私のいつも使う地下鉄14番線は集中工事のため2週間全線閉鎖:それで違う線に乗るためオルセー美術館までサイクリングしたのでした。
 

いつもはお役所のPalais d'Ienaで、10月29日まで (アートフェアのおまけで超大手の画廊がスポンサー)

すぐ行って見たくなるような美しい写真を見たい方は美術雑誌のこのページでもご参考に 

私の聞いたラジオインタビューはこれ

ビュラン先生のことは旧ブログで何度も書いていたが、例えばグランパレのダニエル・ビュラン(今読んだらほとんど同じこと書いていて失笑)

ピストレットさんはよく分からないのだけど2013年に何度か連続掲載してます(もしくは右の欄でブログ内検索してください)

2023年10月16日月曜日

フランソワ・シェニョー&エメリック・エノーの生のパワー


土曜日に久々にすごい舞台を見た。「フランソワ・シェニョー François Chaignaudは素晴らしくて過去5回全ての出し物を見ている」とCさんが言うだけのことはあった。おったまげた!
 
ダンサー兼振付のフランソワ・シェニョーはタップダンスをベースにして打楽器のリズムを床を叩いて発しながら、共演のエメリック・エノー Aymeric Hainaux は自らヒューマン・ビートボックスと呼ぶように、体がリズムマシーン、色々なリズムの音を口から発してマイクに送り込む。その二人の舞台 "Mirlitons"(葦笛?多分ここは騎兵帽と言う意味か???)。劇場サイトから借りた上の写真のように原始の部落のシャーマンの踊りのような儀式っぽいパーフォーマンスだったが、凶暴ともいえるリズムで春の祭典のような神に祈るようなリズムとダンスであり、二人の体を張ったバトルでもある。二人とも1時間ほぼ踊りっぱなし歌い(?)っぱなしで圧倒された。でもそれも一本調子ではなく、展開がすばらしく推考されていて、、、いじけ批判の多い私もこれは満点です!!
 
「皆さん見てください」といってももはや満席で空席待ちしかない。
もし席があったら、床に座布団で二人の踊る3x3mぐらいで高さ10cmぐらいの中央の「台」を囲んで座るので、かぶりつきが推薦。

公演後すぐに気さくに衣装の説明をするエノーさん
公演後Cさんに挨拶する(?)シェニョーさん
 
私の見る限りネットにこの公演のビデオなし。 
いつか日本に行くといいですね(シェニョーは赤児麿と公演してるからすでに行っているみたい)
 
公演のあったのはボビニー Bobigny というパリのそれこそ貧民層の多い郊外の街なのだが、そういうところにシアターを作って、この舞台のような誰にでもアピールする公演を組んでも結局観衆のほぼ100% はパリから。そう言う意味では残念ながらフランスの社会的文化政策の失敗を絵に描いたよう。とはいえ「その問題=文化的アパルトヘイトをわざわざパリから来る観衆に明らかに見えるようにしていることに多少は意味があり」とするしかないだろうか。 

2023年10月9日月曜日

自由な82歳 リチャード・タトル

自分の展覧会があると「滞在許可書」どころか人の展覧会になかなか気が回らなくなる。金曜に自分の個展が終わって早速いったのは Galerie Lelong の Richard Tuttle, David Nash, Barthélémy Toguo という三人の有名アーティストの展覧会。
 
その中で82歳のRichard Tuttle、たゆまぬ開拓精神旺盛で光っていた。細長くて写真映えもよくないが、何がいいかと言うと、、、一番は私に「もっと頑張らなくっちゃダメよ」とはっぱをかけてくれること(笑)Les presses du réel という出版社サイトの作家紹介文がよく的を得ていたのでDeepl Traductionで自動翻訳しましたのでご参考に:

Richard Dean Tuttle リチャード・ディーン・タトルは1941年ニュージャージー州ラーウェイ生まれ、ニューヨーク在住)。最も特異な現代アーティストの一人。彼の作品は分類を逃れ、彫刻、絵画、ドローイング、インスタレーション、版画の境界を曖昧にする。1965年にニューヨークで初めて個展を開いて以来、リチャード・タトルは非常に自由で型にはまらない、常に進化し続ける活動を展開してきた。ミニマリズムの極端な厳格さから逸脱した彼の彫刻は、その素材や構成においてある種の脆さを帯びている。タトルは、オブジェや空間との関係に対する私たちの理解を変え、彫刻の概念を微妙に再定義することに余念がない。リチャード・タトルは、様々な素材を巧みに使い分け、厚紙、金属、木、紙、テキスタイルが詩の言葉や楽譜の音符のようになるような個人的な語彙を展開している。彼の彫刻は、参照や解釈がないことも特徴である。



部分


全体の展示はこんな風。作品タイトルはアルファベット(一番上のはN、2番目のはL、次のはPというように)で順に並んでいる 

 
へへへ、なんか作りたくなってきませんか?
 
急いでいった土曜は最終日、つまりもう終わっています。 
 
タトルに比べて他の二人は、それなりにファンを満足させるでしょうが「いつものことやってます」という感じでした。



2023年10月7日土曜日

なんだこの老耄日本人は?

とパリ警察庁で思われたに違いない。 
 
まずは自分の命より大事な(笑)10年カード(滞在許可書)なのに、うかつにも期限が近日中にきれてしまうことに気付いていなかった!(社会保険局に新しいカードを催促されるまで考えもしなかった:展覧会続きだったからな〜)
 
カード更新手続きは最近はネットですることになっているのだが、期限に近いと受け付けてくれず(最初は役所サイトの不備だろうとおもったのだが、、、)警察に出頭せねばならなくなかった。普通は数週間は待つのがキャンセルが出たのか奇跡的にすぐにアポがとれた。個展最終日で画廊に行くはずだったがそれどころではない。焦って警察に駆けつけ、現在のカードのコピーを提出したら、不覚にもその裏面に違うものが印刷されていた!(私はエコ=ケチ精神でいつも通り両面使っていた) 
 
「しょうがないな〜」と言う感じで受付の黒人の兄さんが事務所に入ってコピーしてくれたが、続く手続きの窓口で持参の家のプリンターで印刷したポートレート写真を出したら担当となった優しそうなインド系のマダムは「なんかペラペラじゃない」と言いつつもそのまま写真を用紙に張り出した。警察の対応は窓口の人で全然変わる。つまり彼女に当たってラッキーと喜んでいたのだが、それをチラッと見た隣の窓口の「いわゆる」フランス人ぽい男性が「公式文書を軽くみちゃあかん。こんなのはだめだ!」といちゃもんをつけ、私は警察内の写真撮影ボックスに急ぎ、マダムももう一度ペーパーを一から作り直し。指紋のデジタル化もちっともうまく行かずに何度もやり直し。
 
かくの如く大いに老耄ぶりを発揮したがなんとか正式のカードができるまでの「仮更新カード」を発行してもらえ、胸をなぜ下ろした! なんたって来月日本に帰るフライトももう購入済みで気が気じゃなかったのだ。
 
個展最終日夕方のクロージングの乾杯(?)にも十分間に合い、万事一件落着!
 
今回の個展、オープニングには日本からの突然のお客様を含め大勢の人に来てもらえ盛況、途中でテレラマ(雑誌)の記者がイベント欄に数行だけど紹介を書いてくれて知らない入場者も増え、最後には大きいデッサンを友人が買ってくれて、ハッピーに個展を閉幕できた。
 
みなさま応援ありがとうございました。
 

 
下は同じアトリエビルに住むアーティストのカリム君の撮ってくれたオープニングの写真です
 

2023年9月12日火曜日

私とサラ・ベルナールの関係 !?

注:8月カップ・ダーユに行く(投稿直前に見て大体はTGV内で書いたのだけれど掲載遅れに遅れました
 
私とベル・エポックの大女優サラ・ベルナール Sarah Bernhardt (1844-1923)ウィキとの関係は??? まあないです(笑)。特に芝居が好きなわけでもないので(いつまで経っても言葉の壁も高いし、、、)。
 
でもフランスに住んでいるとなんだかんだとこの嘗ての大女優に接触することがある。
 
パリのど真ん中シャトレ広場にある今の「テアトル・ド・ラ・ヴィル」は昔はその名も「サラ・ベルナール劇場」と命名されていて、彼女は女優のみならず経営者でもあった。
その横にあるカフェの名は「サラ・ベルナール」。誰でも知っているからよく待ち合わせで指定されることが多い → 接点1? 
 
四角い建物がサラさんの別荘
接点2は21年9月に行ったベル・イルまたはベリル(Belle-Ile)。島の北の端の岩礁の荒々しく海岸ぎわに建つかつての砦を買い取り(1894年)別荘とした。趣味いいです、荒々しくてベリル:美しき島」の中でも特に美しいところなので。と納得はするが、今でもTGV、ローカル線、バス、フェリーと乗り継ぎで大変なのに、昔は汽車とボート、彼女はそこにパリから人を招いてパーティーをしたり、、、客人も含めそのヴァイタリティーには恐れ入る。(我々現代人が「楽」に慣れすぎたのか? TGVの4時間半遅れなんて文句言うのもお恥ずかしい)

そのサラ・ベルナールさん、色々なメディアを使っての自己宣伝にも才能があり「自らを歴史初の世界的スターにする手腕を持っていた」という面を含めて大々的に展覧会がプチパレで開催された(もう終わってます)。 
 
例えば当時まだ無名だったミュシャをポスター画家に起用した:日本では大人気のミュシャ、私はさっぱり興味がないのだが、今回他のイラストレーターに比べると才能あるかと見直した(笑)。そしてナダールにはポートレート写真(ブロマイド?)を撮らせていて、こちらはミュシャの装飾絵とは違い表情が興味深い。フランスのみならず世界中で公演、米国公演の時にはエジソンに録音させている。展覧会場にもあったが、今とは異なる朗唱法とガリガリした音質を聞くと「何故これがヴィクトル・ユーゴが呼んだ「黄金の声」だったのかと落胆してしまう代物」(これは私の勝手な酷評ではなく、展覧会の解説にも日本語ウィキにもそう書いてある😅)
 
 
 
これはジャンヌ・ダルク役

そして接点3は「海藻」!?! 浜辺に残った海藻見るの楽しいですよね〜。 私海藻人間 * は拾ってきてそのまま使うぐらいだが、 サラ・ベルナールは型をとってブロンズ彫刻にしていて! 斬新で進取な人柄がこれでもわかる。彼女は彫刻が趣味で他にもブロンズ、大理石で技術的に達者なクラシックな作品も作っていて、よく時間あるもんですよね〜(ここでは紹介しませんが展覧会には沢山あった)
 
これはサラさんの海藻ブロンズ彫刻
 
こちらはエイゾウの海藻を使った素朴なオブジェ(笑)
 
当時の劇はかなり派手だったようで、これはクレオパトラの衣装。絢爛豪華さとエリザベス・テーラーの美しさだけが売りの(?)の凡庸な超大作ハリウッド映画(60年代)がありましたが、衣装はその豪華さを凌いでいただろう!
 

演技の方はどうだったかと言うと同時代の人皆さん絶賛です。例えば1885年11月にフロイドがフィアンセのマルタに送った手紙。彼が何を観たのか忘れましたが
 
「芝居そのものについては良いことは何も言えない... しかし、このサラの演技はどうだ!彼女の生き生きとした美しい声の最初の数語で、私は彼女を何年も前から知っていたかのように感じた。私は即座に彼女の言葉の端々まで信じ、彼女が何を言おうとも驚かなかっただろう(...)彼女がどのような態度を取ることができるか、そしてすべての手足や関節がいかに彼女と呼応し合うか、それは信じられないほどだ。不思議な存在だ。普段の生活でもステージ上の彼女以外である必要が全くないことは容易に想像できる」
 
フロイドが演劇通だったかどうか知りませんが、まあすごくインパクトのパーソナリティであったわけです。
 

参考:

8月24日で終わっていますが、Petit Palaisのヴィデオ、写真もある展覧会ページはコチラ。4月半ばから開催してたのでしたけど 

* 海藻人間の私のパーフォーマンスはこちら。日本の皆様には気味悪がられていますが、今度の個展(Galerie Raulin-Pompidou 37 rue Chanzy 75011 Paris  9月14日〜10月4日,  2pm-7pm) でも時々スクリーンします(笑)

 


2023年9月4日月曜日

大展覧会が結ぶノーチラス号とナポレオンとルーアンの関係!

ルーアン Rouen でのグループ展、海(水?)に関係あるからと友達の義理の妹に誘われたのだが、なかなか展示できない特大ドローイングが飾れるというだけの理由で参加することにした。この企画もコヴィッド のために遅れに遅れ今となった。やっと土曜日に幕を開いたのだがこの展覧会、アマチュアグループ(だと思う(笑))の企画にしては壮大! 展示面積だとポンピドーセンターの特別展を凌ぐかも!それだけあって参加者の意気込みがすごく、WhatsAppのグループメッセージに毎日洪水のようにメッセージが入ってくるほどで、さぞやオルガナイズは大変なことだったろう。

会場(一部)はこんなに広大。もちろん右側奥の壁が私のドローイング2点

私は途中からの「よそ者」参加だからか当初は知らされて(あるいは認識して)いなかったのだが、潜水艦ノーチラスがテーマで、写真にみられるように潜水艦関連が多く、学園祭的な楽しい大きなインスタレーションが多い。
 
ところで何故ノーチラス号かというと、私の全然知らなかった、多分知る人は少ない理由がある: 

世界史でも習う蒸気船の発明者のフルトン (Robert Fulton)、彼はその大発明の前、1897年にフランスに渡り、水を吸い込みそれを吐き出して貝が海底を移動するのにヒントを得て潜水艦を考案、パリで製造されたこの史上初の潜水艦はその名もノーチラス号で、1800年にルーアンにてセーヌ河に進水(浸水?)! (ジュール・ヴェルヌが海底二万マイルを書いたのはその40年後)
 
彼はこの発明を「水底からイギリス船の船底に爆弾を仕掛ける新たな兵器」としてナポレオンに売り込もうとした。それがナポレオン、「そんな恥ずべき攻撃は腐っても俺はせんで〜!」(:indigneである)と退けたらしい(笑)。トラファルガーの戦いの5年前、これで歴史は変わっていたかも!?
その後蒸気船の考案も売り込んだが上手くいかず、失意のフルトンは米国に戻り蒸気船を進水させた。 
 
そのフルトンさん、発明家&スタートアッパーになる前は肖像画家だったそうで、、、
 
これだけの雑学を得ただけでも参加した甲斐があったかもだが(笑)、近いのにカップ・ダーユよりももっともっと昔にしか行っていないルーアン、こんなきれいな街だったかと見直した。
 

参考サイト:

展覧会Nautil'art:歴史的建造物のHotel aux Toilesにて17日(日)まで、入場無料

仏wikiではNautilus号の設計図やレプリカの写真が見られます


こんな図工の時間みたいなのもあれば
 






 
 
作品色々でした。会場 Halle aux Toiles もちょっと変わっています


これは会場から一番近かった聖マクルー Saint Maclou 教会
(中に入れるのは土日のみ)
 

この一等地で美味しいビールが4.2€ 。パリとの価格差を実感
カテドラルと並ぶルーアンの名物の大時計
ルーアン駅はフランスの鉄道の駅のなかで最も愛される駅の一つです。
 

中もアールデコしています。こういう昔ながらの駅はだんだんなくなってきました