2024年2月29日木曜日

日本で最初に見た 豊嶋康子展

 
29日に日本に着いて最初に見た展覧会は 豊嶋康子展
実家の整理でどうしようかと処分に迷う通知簿とかもそのまま展示作品になっていた(笑)
 
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2024年2月27日火曜日

パリ最後の日に見たIris van Herpen展


パリを発つ前日(2・27)に見た Iris van Herpen 展
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上の写真の様に彼女のドレスと他のアーティストの作品が呼応し合う
 
詳しくはこちらの「装苑」の記事でもご参考に
 
 

2024年2月14日水曜日

今更だがピカソのデッサン展は

私はピカソに泣かされたドラ・マールには大変お世話になっていて(参考)ピカソの片棒をかつげないのだが😅😅😅、ということは全くありませんが(笑)、、、正直言って最近のピカソへの風当たりは「彼はセクハラ、パワハラの親分だったのか?」と疑問をもたせるほど厳しい。

これかなり若い時の作品。やばいかしら?😅
基本的には、歴代の奥さん、彼女のほとんど全員を不幸に陥れ、かつ女性を凌辱している絵が多いと Me too の槍玉に上がっているが、超有名画家になったピカソの元には甘言で唆さなくとも「絵を見てアドバイスして欲しい」とかモデルになりたがる若い女の子がワンサかと訪れ、加えてその頃の、特にシュールリアリスト関係のアーティストたちは恋人を交換しあったり男女関係無茶苦茶なところがあるから、ピカソもそんなにご多分に漏れたことでもないと思うのだが。かつ問題される絵も半身半獣のミノトールがドラ・マールらしき女性を犯そうとしている絵とか、それこそこの手のものは神話主題の絵では一杯ではなかろうか?
 
前回書いたように私はボナールファンなので、先日ボナールがテーマだった番組を聞いた。その番組のゲストの研究家によると「ピカソがボナールを前近代的画家と貶したことで、ボナールはブルジョワ趣味の絵描きとのネガティブなレッテルが貼られ、戦後の美術界で何十年もの間見下されることになった」というのだ。つまりピカソは美術界を帝王の如く牛耳っていたということで、セクハラのみならずパワハラまでも!!! これが本当なら戦後美術界全体がかなりだらしないものだった気がする。私は実際にはこれもピカソがどうのというより、常に「過去の転覆」の連鎖の美術界全体の潮流だったからと思うのだが、、、。

加えてこの研究者によると、ボナールの後世への影響は大きく、彼曰く「ロスコをみればわかるだろう。彼は参考にした画家について多くは語っていないが、最晩年のボナール、特に太陽のように輝く海の黄色が印象的な”Le Golfe de Saint-Tropez”(「サントロペの湾) がなければ、彼の絵は違ったものになっていただろう」。ボナール好きの私、喜んでいいような悪いような。あまりにも断定的で、例としても私は「この一枚が?」写真 と驚く。色彩のみならず、見る人を誘う内・外のある平面的空間構成(もちろんドガやマチスから踏襲されている)が一層重要ではないかと思うのだが。ま、私がオルセー美術館の博識なる学芸研究員に楯突いても仕方ないけど(笑)

それはさておき、最終間際に行ったのでブログに掲載しなかった先月15日までポンピドーセンターで開催されたピカソのデッサン展はこういう逆風を跳ね返してしまうほどすさまじくパワフルだった。片棒担ぎついでにそれをごく簡単に振り返ると:
 
デッサンに関係した絵、版画、彫刻、映像も
 
美術展の題も「ピカソ、無限にデッサン Picasso, dessiner à l'infini」で、なんと1000点ほどの作品が、右の見取り図のように展示室に仕切られず、星座の如く、テーマあるいは技法ごとに作品が配置されていた。実際様々な潮流をサーフしたピカソの作品の幅の広さはもちろんのことだが、なんでも試みてみるピカソ、すでにしたことを後でリテークしたり、描いては壊し、つぶしては描き、「よくやったなー」と感嘆するしかない。その時代時代で仕切られない奔放さがあるのがこの展示順序なき展示方式になったのだろう。子供にピカソの絵を見せると即触発されて突然絵を描きだすことがままあるものだが(実際私もそうだった)、少年時代が遥か彼方となった老人の私の子供心をも再び呼び覚ますパワーを持っていた。その1番の理由は「何やってもいいんじゃないの」と思わせる自由さだろう。

ところで私みたいなぐーたらアーティストでも「いろいろよく作るね?」と「普通人」が言われることがあるが、思うに、誰でも半日も何も食べなかったら、餓死するとは思わなくても、腹が減ったから飯でも食うかとなる。「我々」の場合、絵を描くのもそんなようなもの。痩せの私は普通1日ほったらかしても全然大丈夫だがしばらく経つとそろそろ描くかという気になる。ピカソ自身は超大食漢、描いたり描いたり!!! 
 
とはいえ、、、
 
若き天才とはいえど研究は欠かしません
 
主題のギターは当然だが細かい柵の模様まで拘っている
 
時代は変われど研究研究。
 
マンガになっても研究研究
 
こんな変な「点々結び」も研究したこともある。ちょっとミロ風?

天才ピカソ、研究せずにスラリと描いている印象強いですけどね

一筆描きもうまいもの。やっぱり空間感覚?
 
と思ったら天才ピカソも結構練習してる

 
発展させてこんなこともしてしまう(写真Gjon Mili)

と思うとかたやこの偏執狂ぶり。アール・ブリュットに近くないですか

 
こんな楽しそうな女性もいましたけど。。。
 
 
沢山のスケッチ帳もあって、スライドショウで中も見れた。
下は若い頃のスケッチ帳:
 
私の「趣味のスケッチ」のようなたわいのもあった(笑)

バルセロの水彩画集もピカソがお手本か?
 
 
インスタでは一枚一枚にコメントできないので、結局少しだけの掲載でしたがご参考に。「点々結び」の研究の発展した裸婦もあります

 

 

「今更ピカソ」と思って終幕間近までいかなかったこの展覧会だったが、私にとって極めて強力かつ即効の制作意欲促進剤だった。 それ以来なかなか自分でもよくやっている:童心の戻って、コヴィッド で配られた布マスクを使った人形とか、いつもよりアホなことばっかり(笑) 例えば(他にもインスタで前後掲載してますのでご覧ください)

 

 

実際は私はピカソに幼少期より感化はされているが大ファンでもなく、ピカソマンガは本当に人の心に触れるのか疑問を持っている:例えばゲルニカの誇張された動物や人の叫びよりゴヤのナポレオン軍が処刑されようとするスペイン人の表情の方がよほど心打つと感じる:私はボナールよりもっと前近代でしょうかね? 実際ピカソは「ボナールは前近代画家で、自然に従い超克できていない」と批判したのだが、「全然それでOK、褒め言葉じゃない?」という感じがしますけど

 

最後にドラマールの後釜、ピカソを捨てて最後まで元気に生きた「フランソワーズ・ジローの肖像」ただし作者はピカソでなくピカゾウです 😄

"Portrait de Françoise Gilot" non pas fait par Picasso mais par Picaso

このフランソワーズがポスターでした

 

こちらはお世話になった「ドラ・マールの家」からのニュースです

2024年2月13日火曜日

百合と貧乏神

日曜、朝市で白百合を買った。
"La pauvreté s'installe?!" と言われつつ、、、。
 
白百合まだ開花前のつぼみの状態で売っていた(2日で開くとか)。これなら花粉で汚れないし、花売りのおじさん、賢いじゃない!
 
茎一本から花が二つでていて、一本3.5ユーロ。さすがに花2つじゃ寂しいからと二本というと、
 
「残りの二本加えて全部で12ユーロでどうだ」と。
 「ダメダメ」
 
ここで最初のセリフがでてきた。直訳すると「貧困が恒常化(定着)?」
 
これじゃあ新聞記事みたい、口語的に訳すとどうかな、「貧乏神に居つかれたのか?」ぐらいかなと思ったのは帰り道で。その時は向こうから即座においかけ文句「正月だろうがー」ときて、、、そうそう旧正月だった。でも私の財布の口は硬いですよ〜(笑)。
 
こういう気安さ(?)が朝市に行く理由でもあるのだが、「これが接客態度か?」といつまで経っても日本人頭の私はなかなかふっきれないこともない。ここで即座に上手く切り返せれば私の無念が果たされるのだが😅
 
「・・・」だがその無念を忍んだ甲斐があった。花瓶にさしつつ、確かに花びらは三枚なんだと納得。ガク三枚がくっつきあい、内部をぴったりと閉ざしているから。一晩経ったらこれが少し開きだし、時間ごとに開いていく。こんな小さなスペクタクルでもわくわする。自然は大したものだ。
 
なんか暇そうでしょ。実は日曜から2週間私のライフラインの地下鉄14番線がまたまたオリンピックを目指しての工事で全面閉鎖。ただでさえ出不精な私、家でブログ蟄居。
 
家に居座るのは貧乏神ではなく私自身(あるいは私自身が貧乏神なのか😅?) 
 
 





2024年2月10日土曜日

もしギメの「源氏物語展」にいかれたなら4階まで上がってこれも

注:写真見えてなくてもクリックしてみてください。出てきますから 

ギメ美術館は私が全く知らぬアジアの現代アーティストを時々紹介してくれる。今開催中のインド人アーティスト Manish Pushkale の最上階の丸天井のロトンドでの特大屏風絵からなるインスタレーション To Whom the Bird Should Speak?、びっくりはしないけど、まあまあ素敵でした。ギメ美術館は地下で「源氏物語展」をしていて、こちらはノーコメントにしますが、ついでに4階まで上がって見てあげてください。

3月4日まで

 
以下はギメ美術館サイトの説明のほぼ自動翻訳(DeepL)です:
 
独学でアートを学んだマニッシュ・プシュケール(1973年生まれ)は、地質学と考古学を学んだ後、ボパール(マディヤ・プラデーシュ州)にある学際的なバラット・バヴァン・アート・コンプレックスに入り、芸術創作に目覚めた。このインド芸術の「るつぼ」の肥沃で知的、創造的な雰囲気の中で、彼は自分のスタイルと感性を磨き、断固として抽象画に向かった。彼の穏やかで瞑想的なキャンバスは、文明の浮沈、創世、進歩、避けられない変化といったテーマを描いている。 
 
このインスタレーションはイニシエーションの旅として構想され、無形遺産を保護することのもろさや、急激な世界的変化に直面する文化の脆弱性を喚起する。

2010年に最後の話し手であるボア・シニアが亡くなりボー族から失われてしまった口承言語である「鳥の歌」を、アーティストは視覚的かつ抽象的な方法で再現している。高さ3メートル、長さ19メートルの迷路のようなスクリーンは、壊れやすい迷宮のような建築を形成しており、来場者はその中をさまようように誘われる。

 この作品には、ボア・シニアの不在の声と彼女の忘れられた「鳥のさえずり」を比喩的に置き換える、隠れた鳥たちのさえずりが収められている。

 

PS:ギメ美術館のインスタ、「源氏物語」はあってもこの展覧会の写真は一枚もないのは冷たいのじゃないか?というのが私の大きな投稿動機です😅 そういえばこのロトンドスペースでは塩野千春も昔インスタレーションしました(書かなかったけど)


2024年2月5日月曜日

マクロン政府のマキャヴェリズム

マクロンがマキャヴェリ(ウィキ)を敬愛していることは昔から本人自身が言っていたことだが、最近の「移民法改正案」に関してはもうそのマキャヴェリ流の権謀術が極まった。かつそれはマクロン大統領+政府(面倒なので「マクロン政府」とします)のみならず、右派野党も同じくマキャヴェリ路線で、フランス政界でこんなにインチキで重大な茶番劇はおそらく私はこちらに来て初めて見る現象。
 
簡単に言うと政府は右派野党の票を得るため、政府案に憲法に反する条項とわかっていながら右派の意向の改訂条項をどんどん入れて受け入れ、多数を得て国会通過。全ての法律は公布されるためには合憲性を憲法評議会が認めねばならないが、予想されていた如く憲法評議会は条項の多く:三分の一以上をも却下(86のうち35条)、結局は右派との妥協前の、政府の原案に戻った形の改正法をマクロン君は公布した。この悪辣な権謀術、わかってもらえるだろうか?
 
インチキな権謀は右派野党も勝るに劣らない。彼らだって違憲だとわかっていたのに、違憲判断が出たとたん「民意の反映である国会の審議を踏みにじるものだ。だから憲法を改正せねば」と意気軒昂なのである。
 
私みたいな高潔なる士はやってられんです。

さて、問題になった「違憲改定案」は、35もの条項があるので細々複雑なこと排除し(私自身興味ないことはよくわかってないし)、重要なことは:
 
右派野党が改訂しようとしたことは、フランスをして「おフランス」(注:褒めてます)にしている、たいていの外国人がフランスに来て驚く律儀な平等主義なのだ。例えば日本人の貴方がちゃんとヴィザを持って留学して下宿を見つけた場合、申請すれば住宅手当を受ける権利が得られる=フランスの学生だろうが留学生だろうが差別はない。正規の移民労働者だったら社会保険(失業手当などの権利)を得、そこではフランス人労働者とまったく隔てはない。子供が生まれたら家族手当(かつて I さんは「俺でももらえるのか〜」って感動していたな)。これって当たり前のようで多分世界基準では全然当たり前ではない(日本はどうなのでしょうか😅)
 
つまり右派野党の改訂案は家族手当とか住宅手当とか、ある期間居住してない限り外国人は権利を得られなくするものだった=つまり金科玉条の「法の前の平等」に反する。
だがこういう改正(フランス人優先)に賛同する人はますます多くなっている。それは「このような手当を外国人に与えることが国家赤字の原因になっている」と極右がまことしやかに流布しているから。実際にはその「右派の実感(?)」に反し、例えばOECDの調査結果でも移民労働者の影響は足を引っ張るより貢献度の方が高いといえるのだ *。

さて、政府原案の目玉は「人手が足りない業種につく移民には滞在許可を与える」というもので、右派野党は移民数が増えるから当然反対、それで上に述べたマクロン政府は策謀をめぐらせたわけだった(注:現在政府は国会で過半数を占めていない)
日本のような国の方からは誤解を生じるかもしれないので言っておくと、憲法評議会が違憲判断したのは評議会がマクロンの息がかかっているからということではない(もちろん大統領は一部の評議会メンバーを選ぶ権利はあるが)。「違憲」でよかったどころか、右傾化の激しいマクロン政府にとっては、評議会が違憲とせず法の下の平等社会が実現してもひょっとしたら願ったり叶ったりだったかもと私は政府の本心を勘ぐってしまうほどなのだが、その中道から超右寄りになった政府の「人手が足りない業種につく移民の受け入れ」案には私は大賛成なのだ。個人的にここで、稼いでいないと滞在許可が延長されない、でも正式には労働許可はないという、鶏が先か卵が先かのような答えのない矛盾した不安定な状況に何年もおかれた経験から、移民できた人には全員に短期間の滞在・労働許可を先ず与えるべしと思っているので、産業界の欲する人手獲得であろうとその方向に向かうのには賛成なのだ(ウクライナの人にはそうできたではないか!)。
というわけでよく賛成意見を率先して言ってしまい、なかなか物事を整理してすらすら話せない私はマクロン嫌いの多い私の周辺で誤解を受けかねないのだが。。。とはいえ世の中AはA、BはBだけでないですからね。でもマクロン政府はAとBを混ぜ混ぜにして出してくる。これも策略か?(あるいは単なる私の意見の相違か😅)
 
国会で過半数を制していないマクロン政府は、これまで重要法案を強行採決し続け、今回はこんな裏技を使った。いずれにしても議会制の威信は失墜するばかり。フランスの民主主義はどこに行くのだろう? 
 
* 注:移民が税金や拠出金の形で負担する貢献は、移民の社会保護、医療、教育に対する公的支出を少し上回っている。例えばフランスでは、2006年から2018年の間、移民の正味の財政貢献はGDPのおよそ1%であった。移民は若い親としての援助をより多く受けているが、労働人口も多いため、年金財政への貢献も大きい。
(レポート原本は私の能力超えるけど、ぱっとググっても France Cultureのノーベル賞経済学者の解説とか La Dépèche が参照しているのでご参考に)