2015年11月30日月曜日

パリ第一日

11月13日は日本にいた。実は母が9月の私の日本滞在中に亡くなり*、今回は四十九日の為にまた戻った。
お陰でテロ騒ぎに巻き込まれることはなく、日本の皆さんに「パリにいなくてよかったね」と懇ろな言葉をかけてもらうことになった。

確かに「よかった」には違いないし、そうは思うのだが、その一方で、日本の方にあっけにとられることを承知で言えば、「パリにいたかった」という思いもあった。こういう時こそパリにいて周りの人と悲しみや怒りを分かち合いたいような、、、フランス流のソリダリテ(solidarité 連帯意識)??? 長年住んでいるうちにそのような感覚が知らぬ間に身についてきたようだと初めて実感した。(どうせ身につくならフランス語がもっと出来るようになった方がいいのだ

戻ったパリはというと、第一印象は「静か」。空港駅の改札がフリーパスで、どうなっているのかと怖々乗った地下鉄だったが、乗客も少なく、、、これが「緊急事態体制」かと思ったのだが、実はテロ攻撃の為ではなく国際環境会議で世界の首脳陣を迎えるための交通規制の所為であった。家に戻って見たニュースも私が気になるテロ事件は今何処で、完全に環境会議一色。

その一環(?)には来仏する首脳陣やスポンサーの大企業を批判したポスターを無断でバス停の広告にすり替えるBrandalisme(ブランドとバンダリズムからの造語:つまり商標破壊)という運動もあるそうで(そのサイト)、写真は安倍首相が使われた一例。(運動の趣旨はともかく、表現としては端的すぎて概して私には面白くないけど、一応アドホックな視覚表現としてご紹介です)

今日スーパーに買い物に行くと、やっと本が入るぐらいのサイズの小さな鞄の中まで検査され、初めて「テロ後」の変化が少しわかった。(私が自爆テロリストなら、機関銃を撃ってスーパーに突っ込んで行くだろうから全然効果があるとは思えないが、、、、)
 
* 母のことは亡くなった後や前回の飛行機の中で文を書いたのだが、このブログに適当なトーンが掴めず何れも掲載せずに終わった。

2015年11月3日火曜日

巨匠ファン向け?


昨日のカプーアに続いてキーファー Anselm Kiefer(ウィキ)。13区のミテラン新国会図書館 (つまり私の家の近く)で彼の本の展覧会(「本の錬金術」展)が開催中。本と言ってもすべてオリジナルで分厚い紙とか鉛の板に砂、泥、葉っぱ、ヒマワリの種とかがばらまかれ、、、重さ何十キロは優に行くだろう(パンフによれば70〜200キロ!) 一つのホールの中にこれの本が棚に立てかけられ、ショーケースに入れられ、周りには大きなインスタレーションや巨大な絵もある。エネルギッシュと言うかやりたい放題と言うか、まあともかく圧倒される。

本の内容は古代神話やユダヤ教のカバラ(ウィキ)等々密教的なテーマ多くてチンプンカンプン、無教養な私には取りつく島がないというのが正直なところ。唯一わかったものは「フランスの女王たち」で、乱雑に鉛筆で歴代女王の年表が書かれていたが、これを教養人はどう深読みできるのか? ちょっと衒学的にも感じるがどうなんでしょう(周りにいた人は「素晴らしい!」と絶賛していました)

注:私、キーファー、嫌いじゃないですよ、地平に迫って行く昔の絵とか、巨大な木版版画とか

2月7日まで
図書館BnPのサイトはこちら


昨日はグランパレの「ピカソマニア」展に行ったが、これはひどかった。入る早々キャラクター人形のようなピカソに迎えられ、横には右目がペニスになったポール・マッカーシー(彼のヴァンドーム広場のインスタレーションもスキャンダルを巻き起こしたが、昨日のカプーアに比べてそれはずっと意図的な彼の作戦だったと思う)のピカソの頭像が、、、こういうのって見て笑えるけどよく見よう何て思わない。普通の人はiPhoneで写真とって「はい終わり」の世界。こうしたパロディー(になっているかも疑問だが?)の作品が延々と並んでいてあっという間に見終えました。バスキアさえもピカソを入れるといとも陳腐になっていて、、、。作品も含むピカソなる漫画にしやすいイコンの大量の拡大再生産を見つつ、「ピカソ自身すらそれしか行わなかったのでは」とピカソへのネガティブな評価を芽生えさせる変な展覧会でした。ひょっとすると世界にはナポレオンファンの様に強烈なピカソファンが一杯いて、ピカソに関していれば何でも集めるコレクターもいるのかもしれない。これはそういう人たちへ、つまりピカソマニア用の「見本市」ではないだろうか? (確かピカソの孫の一人が企画したはずです) 2/29まで

悪口はこの辺にして、またしばらくお休み致します☺

2015年11月2日月曜日

カプーア展とその波紋

 今年は1月のテロ事件以来、色々なことがらが次々と起こり、機を逸してしまった下書きが幾つもあるが、「アートフェアに行かなくても」という筋で載せれたかもしれないヴェルサイユ宮殿の庭のカプーア(Anish Kapoor)の展覧会は昨日で終わってしまった(これは6月から始まっていたので当たり前だが)。近年ヴェルサイユはルーブルの様に現代アーティストを招来、ジェフ・クーンズ、村上隆、リー・ウーハン、ペノーネ、実は私はどれも行っていなくて、、、先月重い腰を上げてやっと行ったのは、まあまあよく褒める作家だからだが、今回は規模が大きいだけで大したことなかった(いつものような不思議さがなく、「見せ物」っぽい)というの私の意見。この渦巻きは実際に現場ではゴーゴーと音を立てていて、そこそこ満足はしましたが、宮殿のサイトの写真のように柵がないとまた違っていただろうと思う(実際その写真にかなり釣られた)。

 

実は「女王のヴァギナ」(vagin de la reine)と名付けられた鉄のトンネルのような巨大な作品は、私には何故それほどの波紋を起こしたのかわからないが、物議をかもし、何度も落書き(特に極右的メッセージ)がされて、柵がされ、警備員までいた(昔は中に入れたのかもしれないが?)。面白かったのは落書き部分が金色で覆われていたこと。「最後に全部金になりました」ってのはスキャンダルを見越した楽しいコンセプトになったと思うが、これも作家への冒涜でしょうか? それはともかくカプーアさんがこんなことで有名になるのは残念。

これを受けてか、3月に紹介したアジア顔の文化大臣のフルール・ペルラン(Fleur Pellerin)女史が提出した新法案の第一条は「芸術の創造は自由である」となっているらしい。流石おフランス、素晴らしい! だがこれは「お墨付きアーティスト」は特権階級ということにもなりかねない。この法案の中でもっと大事なことには、フランスの景観を守って来た面倒な建築許可制度をひっくり返す項目もあるので、ちょっとやぱい。加えて彼女は「今日では新しい世代の様式、表現欲求に基づいた彼らの尺度で、芸術、文化へのアクセスを考え直さねばならない」「壁へのグラフィティのような、彼らの自発的な文化行動に基づき」等々と発言。いったいどうなるのだろう? どうもペルラン大臣、私が心配していたレベルを遥かに越えているようだ。

参考:

カプーアに関した以前の投稿:2014年7月29日「カプーアとバイヤーズ」

後半の内容の元はこの記事:Marianne紙「ペルランはマルローとラングを一緒にしたより強い」 
(特に建築許可の件端折りましたのでご参考に)