2024年7月11日木曜日

汗をかきつつ考えたこと

前回のブログで掲載し損なったコロッケを揚げてくれる肉屋さん。コロッケ八十円はこの界隈では相場のようで、素晴らしい! 前回紹介したように「時に残されたスポット」らしくトタン壁も錆びてなかなかうらぶれているが、この「大映通り」、かつての映画の最盛期にはおおいに賑わいパチンコ屋も5軒あったとか(なくてよかった。勿論あったら引っ越してくることはなかっただろう(笑))。現在の映画通りは前回紹介したような変わった店ばかりでなく、フランス料理店やフランスパン屋、ワールド創作料理の店もある。いったいこの通りは今後どのように変わっていくのだろう?興味津々

 
さて、私の自慢のバルコニーからの景色**多分あまり変わることがないはず(というのはもうこの地域には高いビルが建てられなくなっているので😄)、その写真を見て、私の建物はかつての大映の映画撮影所の跡地にあるのではないかとある友人がメールしてきてくれた。その通り、マンションの建物の入り口にはその簡単な石碑がある。調べてみるとここで黒沢の「羅生門」とか溝口の「雨月物語」が撮られたとのこと。そのような場所に図らずも住むことになり感動!

 
感動はいいが、ともかく暑い。といっても今朝起きて百円ショップで買った温度計を見ると26度。温度計が狂っているのか私の身体が狂っているのか。私のアパートは6階でそれなりにいい風がはいってきているのに、長年ヨーロッパの夏に慣れた、かつそもそもあまり汗をかかないはずの私の皮膚からじわーっと汗が出てくる。
汗をかくのは私のみでなく私の海水ドローイングもそうなることがあって!*(塩の結晶が水分を吸って水滴になる)、実際日本で展示するのは文字通り冷や汗ものなのだが、近年すごく乾燥した南仏プロヴァンスやそれなりに湿度が高い地中海の島とか、異なった場所で制作し、その作品をまた異なった場所で展示した経験から、ひょっとすると塩の結晶の湿度に対する耐性が普遍的な物理定数ではなく、結晶ができた場所の温度・湿度に関係しているのはないかという気がしてきている。つまりプロヴァンスの乾燥した気候でできた塩の結晶は日本の湿度の前でタジタジとなるが、日本の梅雨の下で生まれた結晶は同じぐらいの高湿度はなんのそのではないかと(そうでなければ結晶ができたことすら筋が合わない)。
 
実験作品、一部拡大
そこで少し実験。友達にもらったシチリアの岩塩(これがどんどん水に溶けるので少し驚きだったが)、それと墨がないのでフランスの友達に買ってきてくれと頼まれて既に旅行カバンに入れられていた柿汁を代わりに使って単純なモチーフを描いてみた。数日前にできた結晶は雨を待つような今日の湿度にも耐えている。だから梅雨の日本で描けば天下無敵の作品ができる! だが逆に作家本人の方が危ない:ヘナヘナで単純な小さなモチーフ以上のことは今のところできそうもない。
 
 
関連投稿
 
* 汗をかく私のドローイングに関してはドラ・マールの家での展覧会前夜の事件
 
** バルコニーからの180度の展望はコチラ 

 

2024年6月29日土曜日

太秦便り

近しい人はご存知だが、愛知の実家を処分して京都の太秦に引っ越した。(実家の処分などに関しては関心のある方は個人的に聞いてください)

その太秦だが、肉屋では注文してからコロッケを焼いてくれるし(これが80円!)、魚屋も「時間もらえれば店にある魚を塩焼きますから」てな具合で、私には少年時代の記憶を彷彿とさせる、時の流れの止まったやばいゾーンだと思っている。少年・青年期を育った名古屋を第一の故郷、そして我が人生を不安定ながらまっとうな軌道に戻してくれたパリが第二の故郷なら、この太秦はその二つへの追想が錯綜する第三の故郷かもしれないと引っ越したことに満足している。

ここではまず第一に野菜が美味しい。これは私がパリに着いた80年代に朝市の野菜を買って思ったことだったが、20数年前あたりから輸入の温室栽培が多くなり、トマトなんかも味のないのがほとんどになってきて、夏の自家栽培の朝市の八百屋のトマトが現れるのが待ち遠しいことになったのだ。ひょっとしたらただの季節故かもしれないが、太秦のトマトはなかなか味にガッツがある(ひょっとしたら死語かもしれないので「根性」という意味で使ってます)。

そのトマトの話をすると今日の午後我が家から商店街通りに向かうと遠くから大きく赤いトマトが私の目を引いた。いつもは近くの裏路地にあるスーパよりもや安くて断然美味しい八百屋さんで買っているのだが、今日は一目惚れで浮気をしてこれを買うことにした。だがここは八百屋さんではなくて服屋。ここ太秦はかくの如く電気屋で野菜を売っていたりしている(写真参考)不思議なところで、ともかくそのトマトに心惹かれて店内に入って、知り合いの農家から仕入れているのか尋ねたところ、店を経営する若い夫婦が近所の自分の家で栽培しているとのことで、まさに産地直送!それもそのはず、ご主人はよく日焼けしていた! で、また感動😄

今日はここまで。久しぶりに書きましたが、3月から先に書いた実家の処分+新しい家探しと結構いつもテンパった生活でブログどころではなく、また降って湧いた、私は自信を持って全然楽観していない仏国会選挙結果もあるしで結局パリに戻る日程を延期したので(勿論それだけでなく転居にともなってまだいろいろあるのですが)、ちょっと心に余裕ができました。

そうそう4月には名古屋でグループ展もあったのにそれも書いてなかったな〜。これもまた今度

以下変な街のやっぱりインスタ映えしない写真。肉屋を撮るの忘れた 


野菜を売ってる電気屋

   
ここは電気屋だが昔懐かしいナショ坊がいる

こんな本屋さんって今あるの?

路地にある嵐山のお菓子屋さんの製造所の出店

 

これは我が家から:パリで地下生活をする私、このバルコニーからの景色に魅せられました=自慢です(笑)



2024年3月10日日曜日

3月15日は田縣神社の陽根祭 Fête phallique du Temple Tagata

La fête des récoltes au Temple de Tagata (à Komaki dans la Préfecture d'Aichi) se tient chaque année le 15 mars.
Le culte phallique n'est pas inhabituel dans le monde. Je savais l'existence de cette fête excentrique, disons "de mauvais goût" depuis longtemps, comme j'ai agrandi dans la même Préfecture, mais ce n'est que l'année dernière que je m'y suis assisté pour la première fois.
C'était parce que mon exposition personnelle était en cours et que je ne savais pas combien de temps l'on pourrait garder la maison de mes parents. En regardant le site-web sur la festival, j'ai découvert la mission des 5 femmes appelées "Goninshu" à laquelle je suis très intéressé. Elles marchent dans le cortège en portant une sculpture phallique en bois de la taille d'un bébé et elle propose de la toucher aux spectateurs qui le veulent.
En fait les jeunes femmes ont posé leur candidature pour ce rôle, les candidates éligibles ont été sélectionnées et finalement choisies par tirage au sort le 20 février, date à laquelle leurs noms sont également rendus publics. Par ailleurs on dit que la concurrence est rude.
Il serait nettement plus facile d'imaginer que les jeunes femmes sont dissuadées de se rendre à cette sorte de festival, mais alors là! 
Après la parade, elles étaient très disposées a répondre à nos questions :)
Voici en bas, le reportage en vidéo et en photo qui date il y a un an. Vous saurez pourquoi j'écris aujourd'hui? : le 15 mars s'approche :)   English information
 
私の実家の愛知県、その小牧市の田縣神社では陽根祭(豊年祭)が毎年3月15日に催される。
陽根崇拝は世界的に全く珍しいこともないし、いかがわしいというか、ゲテモノ趣味という範疇か? として、昔から知っていたにもかかわらず昨年になって初めて行った。
その理由は名古屋の個展のためちょうどその時期に実家に戻っていたのと、かついつまで実家をキープできるかわからないからという要素が強くなってきたため。祭のことを調べてみたところ、陽根神輿よりも神楽の行列とともに歩く「五人衆」という女性たちが一般公募で選ばれるということに特に興味を持った。彼女らは赤ん坊大の木彫ペニスを抱えて歩き、参列の人はこぞってそれを「撫で撫で」する(笑)普通はこの祭りに行くのも嗜まれるような若き女性たちが全国から応募し、適格者が選別され、最終的には2月20日に抽選で選ばれ、名前も公表される。倍率も高いらしい。応募資格は「子宝を授かりたい」「厄年」というのはわかるが「恋愛、良縁を望む方」もあってなんだこりゃ。「どんな人が〜?」って私でなくても興味わきませんか?
行った甲斐あって行列、御輿奉納の後には彼女たちに直接お話しを伺いさせてもらいました😄
 
多分尾張地方出身の人でもおそらく大部分の人は行ったことはないだろうか? その一方で外国人観光客が多かった(=私もその一人か???)
 
一年前のことを今なぜ紹介するかと言うと、これはもちろん3月15日はもうすぐ、書くなら今なので(笑)。今年も天気良さそうだし。
 
参考

Please click to see video & picture

2024年2月29日木曜日

日本で最初に見た 豊嶋康子展

 
29日に日本に着いて最初に見た展覧会は 豊嶋康子展
実家の整理でどうしようかと処分に迷う通知簿とかもそのまま展示作品になっていた(笑)
 
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2024年2月27日火曜日

パリ最後の日に見たIris van Herpen展


パリを発つ前日(2・27)に見た Iris van Herpen 展
備忘録としてfbへの投稿をコピー
 
上の写真の様に彼女のドレスと他のアーティストの作品が呼応し合う
 
詳しくはこちらの「装苑」の記事でもご参考に
 
 

2024年2月14日水曜日

今更だがピカソのデッサン展は

私はピカソに泣かされたドラ・マールには大変お世話になっていて(参考)ピカソの片棒をかつげないのだが😅😅😅、ということは全くありませんが(笑)、、、正直言って最近のピカソへの風当たりは「彼はセクハラ、パワハラの親分だったのか?」と疑問をもたせるほど厳しい。

これかなり若い時の作品。やばいかしら?😅
基本的には、歴代の奥さん、彼女のほとんど全員を不幸に陥れ、かつ女性を凌辱している絵が多いと Me too の槍玉に上がっているが、超有名画家になったピカソの元には甘言で唆さなくとも「絵を見てアドバイスして欲しい」とかモデルになりたがる若い女の子がワンサかと訪れ、加えてその頃の、特にシュールリアリスト関係のアーティストたちは恋人を交換しあったり男女関係無茶苦茶なところがあるから、ピカソもそんなにご多分に漏れたことでもないと思うのだが。かつ問題される絵も半身半獣のミノトールがドラ・マールらしき女性を犯そうとしている絵とか、それこそこの手のものは神話主題の絵では一杯ではなかろうか?
 
前回書いたように私はボナールファンなので、先日ボナールがテーマだった番組を聞いた。その番組のゲストの研究家によると「ピカソがボナールを前近代的画家と貶したことで、ボナールはブルジョワ趣味の絵描きとのネガティブなレッテルが貼られ、戦後の美術界で何十年もの間見下されることになった」というのだ。つまりピカソは美術界を帝王の如く牛耳っていたということで、セクハラのみならずパワハラまでも!!! これが本当なら戦後美術界全体がかなりだらしないものだった気がする。私は実際にはこれもピカソがどうのというより、常に「過去の転覆」の連鎖の美術界全体の潮流だったからと思うのだが、、、。

加えてこの研究者によると、ボナールの後世への影響は大きく、彼曰く「ロスコをみればわかるだろう。彼は参考にした画家について多くは語っていないが、最晩年のボナール、特に太陽のように輝く海の黄色が印象的な”Le Golfe de Saint-Tropez”(「サントロペの湾) がなければ、彼の絵は違ったものになっていただろう」。ボナール好きの私、喜んでいいような悪いような。あまりにも断定的で、例としても私は「この一枚が?」写真 と驚く。色彩のみならず、見る人を誘う内・外のある平面的空間構成(もちろんドガやマチスから踏襲されている)が一層重要ではないかと思うのだが。ま、私がオルセー美術館の博識なる学芸研究員に楯突いても仕方ないけど(笑)

それはさておき、最終間際に行ったのでブログに掲載しなかった先月15日までポンピドーセンターで開催されたピカソのデッサン展はこういう逆風を跳ね返してしまうほどすさまじくパワフルだった。片棒担ぎついでにそれをごく簡単に振り返ると:
 
デッサンに関係した絵、版画、彫刻、映像も
 
美術展の題も「ピカソ、無限にデッサン Picasso, dessiner à l'infini」で、なんと1000点ほどの作品が、右の見取り図のように展示室に仕切られず、星座の如く、テーマあるいは技法ごとに作品が配置されていた。実際様々な潮流をサーフしたピカソの作品の幅の広さはもちろんのことだが、なんでも試みてみるピカソ、すでにしたことを後でリテークしたり、描いては壊し、つぶしては描き、「よくやったなー」と感嘆するしかない。その時代時代で仕切られない奔放さがあるのがこの展示順序なき展示方式になったのだろう。子供にピカソの絵を見せると即触発されて突然絵を描きだすことがままあるものだが(実際私もそうだった)、少年時代が遥か彼方となった老人の私の子供心をも再び呼び覚ますパワーを持っていた。その1番の理由は「何やってもいいんじゃないの」と思わせる自由さだろう。

ところで私みたいなぐーたらアーティストでも「いろいろよく作るね?」と「普通人」が言われることがあるが、思うに、誰でも半日も何も食べなかったら、餓死するとは思わなくても、腹が減ったから飯でも食うかとなる。「我々」の場合、絵を描くのもそんなようなもの。痩せの私は普通1日ほったらかしても全然大丈夫だがしばらく経つとそろそろ描くかという気になる。ピカソ自身は超大食漢、描いたり描いたり!!! 
 
とはいえ、、、
 
若き天才とはいえど研究は欠かしません
 
主題のギターは当然だが細かい柵の模様まで拘っている
 
時代は変われど研究研究。
 
マンガになっても研究研究
 
こんな変な「点々結び」も研究したこともある。ちょっとミロ風?

天才ピカソ、研究せずにスラリと描いている印象強いですけどね

一筆描きもうまいもの。やっぱり空間感覚?
 
と思ったら天才ピカソも結構練習してる

 
発展させてこんなこともしてしまう(写真Gjon Mili)

と思うとかたやこの偏執狂ぶり。アール・ブリュットに近くないですか

 
こんな楽しそうな女性もいましたけど。。。
 
 
沢山のスケッチ帳もあって、スライドショウで中も見れた。
下は若い頃のスケッチ帳:
 
私の「趣味のスケッチ」のようなたわいのもあった(笑)

バルセロの水彩画集もピカソがお手本か?
 
 
インスタでは一枚一枚にコメントできないので、結局少しだけの掲載でしたがご参考に。「点々結び」の研究の発展した裸婦もあります

 

 

「今更ピカソ」と思って終幕間近までいかなかったこの展覧会だったが、私にとって極めて強力かつ即効の制作意欲促進剤だった。 それ以来なかなか自分でもよくやっている:童心の戻って、コヴィッド で配られた布マスクを使った人形とか、いつもよりアホなことばっかり(笑) 例えば(他にもインスタで前後掲載してますのでご覧ください)

 

 

実際は私はピカソに幼少期より感化はされているが大ファンでもなく、ピカソマンガは本当に人の心に触れるのか疑問を持っている:例えばゲルニカの誇張された動物や人の叫びよりゴヤのナポレオン軍が処刑されようとするスペイン人の表情の方がよほど心打つと感じる:私はボナールよりもっと前近代でしょうかね? 実際ピカソは「ボナールは前近代画家で、自然に従い超克できていない」と批判したのだが、「全然それでOK、褒め言葉じゃない?」という感じがしますけど

 

最後にドラマールの後釜、ピカソを捨てて最後まで元気に生きた「フランソワーズ・ジローの肖像」ただし作者はピカソでなくピカゾウです 😄

"Portrait de Françoise Gilot" non pas fait par Picasso mais par Picaso

このフランソワーズがポスターでした

 

こちらはお世話になった「ドラ・マールの家」からのニュースです

2024年2月13日火曜日

百合と貧乏神

日曜、朝市で白百合を買った。
"La pauvreté s'installe?!" と言われつつ、、、。
 
白百合まだ開花前のつぼみの状態で売っていた(2日で開くとか)。これなら花粉で汚れないし、花売りのおじさん、賢いじゃない!
 
茎一本から花が二つでていて、一本3.5ユーロ。さすがに花2つじゃ寂しいからと二本というと、
 
「残りの二本加えて全部で12ユーロでどうだ」と。
 「ダメダメ」
 
ここで最初のセリフがでてきた。直訳すると「貧困が恒常化(定着)?」
 
これじゃあ新聞記事みたい、口語的に訳すとどうかな、「貧乏神に居つかれたのか?」ぐらいかなと思ったのは帰り道で。その時は向こうから即座においかけ文句「正月だろうがー」ときて、、、そうそう旧正月だった。でも私の財布の口は硬いですよ〜(笑)。
 
こういう気安さ(?)が朝市に行く理由でもあるのだが、「これが接客態度か?」といつまで経っても日本人頭の私はなかなかふっきれないこともない。ここで即座に上手く切り返せれば私の無念が果たされるのだが😅
 
「・・・」だがその無念を忍んだ甲斐があった。花瓶にさしつつ、確かに花びらは三枚なんだと納得。ガク三枚がくっつきあい、内部をぴったりと閉ざしているから。一晩経ったらこれが少し開きだし、時間ごとに開いていく。こんな小さなスペクタクルでもわくわする。自然は大したものだ。
 
なんか暇そうでしょ。実は日曜から2週間私のライフラインの地下鉄14番線がまたまたオリンピックを目指しての工事で全面閉鎖。ただでさえ出不精な私、家でブログ蟄居。
 
家に居座るのは貧乏神ではなく私自身(あるいは私自身が貧乏神なのか😅?) 
 
 





2024年2月10日土曜日

もしギメの「源氏物語展」にいかれたなら4階まで上がってこれも

注:写真見えてなくてもクリックしてみてください。出てきますから 

ギメ美術館は私が全く知らぬアジアの現代アーティストを時々紹介してくれる。今開催中のインド人アーティスト Manish Pushkale の最上階の丸天井のロトンドでの特大屏風絵からなるインスタレーション To Whom the Bird Should Speak?、びっくりはしないけど、まあまあ素敵でした。ギメ美術館は地下で「源氏物語展」をしていて、こちらはノーコメントにしますが、ついでに4階まで上がって見てあげてください。

3月4日まで

 
以下はギメ美術館サイトの説明のほぼ自動翻訳(DeepL)です:
 
独学でアートを学んだマニッシュ・プシュケール(1973年生まれ)は、地質学と考古学を学んだ後、ボパール(マディヤ・プラデーシュ州)にある学際的なバラット・バヴァン・アート・コンプレックスに入り、芸術創作に目覚めた。このインド芸術の「るつぼ」の肥沃で知的、創造的な雰囲気の中で、彼は自分のスタイルと感性を磨き、断固として抽象画に向かった。彼の穏やかで瞑想的なキャンバスは、文明の浮沈、創世、進歩、避けられない変化といったテーマを描いている。 
 
このインスタレーションはイニシエーションの旅として構想され、無形遺産を保護することのもろさや、急激な世界的変化に直面する文化の脆弱性を喚起する。

2010年に最後の話し手であるボア・シニアが亡くなりボー族から失われてしまった口承言語である「鳥の歌」を、アーティストは視覚的かつ抽象的な方法で再現している。高さ3メートル、長さ19メートルの迷路のようなスクリーンは、壊れやすい迷宮のような建築を形成しており、来場者はその中をさまようように誘われる。

 この作品には、ボア・シニアの不在の声と彼女の忘れられた「鳥のさえずり」を比喩的に置き換える、隠れた鳥たちのさえずりが収められている。

 

PS:ギメ美術館のインスタ、「源氏物語」はあってもこの展覧会の写真は一枚もないのは冷たいのじゃないか?というのが私の大きな投稿動機です😅 そういえばこのロトンドスペースでは塩野千春も昔インスタレーションしました(書かなかったけど)


2024年2月5日月曜日

マクロン政府のマキャヴェリズム

マクロンがマキャヴェリ(ウィキ)を敬愛していることは昔から本人自身が言っていたことだが、最近の「移民法改正案」に関してはもうそのマキャヴェリ流の権謀術が極まった。かつそれはマクロン大統領+政府(面倒なので「マクロン政府」とします)のみならず、右派野党も同じくマキャヴェリ路線で、フランス政界でこんなにインチキで重大な茶番劇はおそらく私はこちらに来て初めて見る現象。
 
簡単に言うと政府は右派野党の票を得るため、政府案に憲法に反する条項とわかっていながら右派の意向の改訂条項をどんどん入れて受け入れ、多数を得て国会通過。全ての法律は公布されるためには合憲性を憲法評議会が認めねばならないが、予想されていた如く憲法評議会は条項の多く:三分の一以上をも却下(86のうち35条)、結局は右派との妥協前の、政府の原案に戻った形の改正法をマクロン君は公布した。この悪辣な権謀術、わかってもらえるだろうか?
 
インチキな権謀は右派野党も勝るに劣らない。彼らだって違憲だとわかっていたのに、違憲判断が出たとたん「民意の反映である国会の審議を踏みにじるものだ。だから憲法を改正せねば」と意気軒昂なのである。
 
私みたいな高潔なる士はやってられんです。

さて、問題になった「違憲改定案」は、35もの条項があるので細々複雑なこと排除し(私自身興味ないことはよくわかってないし)、重要なことは:
 
右派野党が改訂しようとしたことは、フランスをして「おフランス」(注:褒めてます)にしている、たいていの外国人がフランスに来て驚く律儀な平等主義なのだ。例えば日本人の貴方がちゃんとヴィザを持って留学して下宿を見つけた場合、申請すれば住宅手当を受ける権利が得られる=フランスの学生だろうが留学生だろうが差別はない。正規の移民労働者だったら社会保険(失業手当などの権利)を得、そこではフランス人労働者とまったく隔てはない。子供が生まれたら家族手当(かつて I さんは「俺でももらえるのか〜」って感動していたな)。これって当たり前のようで多分世界基準では全然当たり前ではない(日本はどうなのでしょうか😅)
 
つまり右派野党の改訂案は家族手当とか住宅手当とか、ある期間居住してない限り外国人は権利を得られなくするものだった=つまり金科玉条の「法の前の平等」に反する。
だがこういう改正(フランス人優先)に賛同する人はますます多くなっている。それは「このような手当を外国人に与えることが国家赤字の原因になっている」と極右がまことしやかに流布しているから。実際にはその「右派の実感(?)」に反し、例えばOECDの調査結果でも移民労働者の影響は足を引っ張るより貢献度の方が高いといえるのだ *。

さて、政府原案の目玉は「人手が足りない業種につく移民には滞在許可を与える」というもので、右派野党は移民数が増えるから当然反対、それで上に述べたマクロン政府は策謀をめぐらせたわけだった(注:現在政府は国会で過半数を占めていない)
日本のような国の方からは誤解を生じるかもしれないので言っておくと、憲法評議会が違憲判断したのは評議会がマクロンの息がかかっているからということではない(もちろん大統領は一部の評議会メンバーを選ぶ権利はあるが)。「違憲」でよかったどころか、右傾化の激しいマクロン政府にとっては、評議会が違憲とせず法の下の平等社会が実現してもひょっとしたら願ったり叶ったりだったかもと私は政府の本心を勘ぐってしまうほどなのだが、その中道から超右寄りになった政府の「人手が足りない業種につく移民の受け入れ」案には私は大賛成なのだ。個人的にここで、稼いでいないと滞在許可が延長されない、でも正式には労働許可はないという、鶏が先か卵が先かのような答えのない矛盾した不安定な状況に何年もおかれた経験から、移民できた人には全員に短期間の滞在・労働許可を先ず与えるべしと思っているので、産業界の欲する人手獲得であろうとその方向に向かうのには賛成なのだ(ウクライナの人にはそうできたではないか!)。
というわけでよく賛成意見を率先して言ってしまい、なかなか物事を整理してすらすら話せない私はマクロン嫌いの多い私の周辺で誤解を受けかねないのだが。。。とはいえ世の中AはA、BはBだけでないですからね。でもマクロン政府はAとBを混ぜ混ぜにして出してくる。これも策略か?(あるいは単なる私の意見の相違か😅)
 
国会で過半数を制していないマクロン政府は、これまで重要法案を強行採決し続け、今回はこんな裏技を使った。いずれにしても議会制の威信は失墜するばかり。フランスの民主主義はどこに行くのだろう? 
 
* 注:移民が税金や拠出金の形で負担する貢献は、移民の社会保護、医療、教育に対する公的支出を少し上回っている。例えばフランスでは、2006年から2018年の間、移民の正味の財政貢献はGDPのおよそ1%であった。移民は若い親としての援助をより多く受けているが、労働人口も多いため、年金財政への貢献も大きい。
(レポート原本は私の能力超えるけど、ぱっとググっても France Cultureのノーベル賞経済学者の解説とか La Dépèche が参照しているのでご参考に)
 
 

2024年1月25日木曜日

マーク・ロスコ展に思う

昼間も零度前後の厳しい寒さがやっと終わって昨日は青空、これはブーローニュの森への散歩日和と重い腰をあげ、、、でも実は散歩が目的ではなくてルイ・ヴィトン財団のマーク・ロスコ Mark Rothko の大回顧展へ。この展覧会も人気なので、寒い日に外で待たされたらたまらんですから(一応予約制だが普通は外で列がある。私は最寄りの地下鉄からヴェリブに乗ったらところ早く着いたので予約時間3時の待ちの列に並んだが、2時半予約で20分以上遅れてきた人の方が即座に入れてもらえる「遅刻者勝ち!」のフランス的システム。寒かろうが寒くなかろうがまだ4月2日までやってますので、ご参考に)
 
さて、前回の投稿の大人気のニコラ・ド・スタール同様、こちらも「見なかったら画家の片隅にもおけない」と非難されそうな雰囲気😅 初の大回顧展のド・スタールと違って、10月に始まったこのロスコ展、「すぐに!」という気にならなかった大きな理由は、「この間近代美術館で回顧展あったばかりじゃないか」という印象を強く持っていたので。だが調べてみたらそれは1999年のことだった!この時間感覚やばいです!
シュール時代の作品1946
 
というわけで四半世紀も前のことだから記憶は定かではないが(笑)、近美に比べて今回のルイ・ヴィトン財団の方がスペースは広々、かつ光を落とした空間に一つ一つの絵がスポットで浮き上がるように展示されていて、彼の到達した四角の絵の神秘性、特に晩年の暗い絵のそれを深める効果は満点すぎるほど満点だった(後述参考)。(ロスコは最晩年の礼拝堂とかそういうセットアップを全て彼自身が指定していたそうだから、それを尊重しているだろう)
 
それに初期の具象的な絵やシュールレアリズム時代の絵(これがなかなか良い)も充実していて最初ですでに大満足😄

 
展覧会を見つつ特に感じたことには、観客の多くが幸せそうな顔をしている。ロスコの絵は心を和ませるのか?→フランスでよく言うbien-être(ウエルビーイング?)の効果あり? 
 
細部
それもそうかもと思わないでもない。
何度も何度も色を重ね、タイトルが「黄土の上の赤」でも「一色とは言えない一色」の大きな平面は視覚、つまりは知覚にやさしくゆらぎを醸し出す。
境界のぼんやりとした淡い四角から人は内側と外側、こちらと向こうへの旅に誘われる。
もちろんそこには窓を通した空と原っぱ、地平線、つまり風景の原型を感じさせる。
「美とは何か」というのは芸術の永遠の問題なのに、彼は絵の色彩とかコンポジションのどうこうを超えた「美のアーキタイプ *」を発見したように思えてならない。彼が行き着いた四角は理屈なしに多くの人にとって精神性・宗教性を感じられる体験型の絵なのだ。彼はそれを目指していたのだから大成功!
 
(*注:archetypeはユングの用語。 集合的無意識の領域にあって、神話・伝説・夢などに、時代や地域を超えて繰り返し類似する像・象徴などを表出する心的構造。 祖型)
 
細部
「人々の多くが私の作品に直面したときに、感情が揺さぶられて泣くという事実があるので、私は基本的な人間の感情を伝えることができていると思っています。私の絵の前で泣く人たちは、私が絵を描いたときと同じような宗教的な体験を感じています。色彩の関係のみで美術を語る人は間違っています」と彼が語ったそうだが、ルイ・ヴィトン財団の壁には某女性現代美術家の「私は涙ボロボロになりました」という発言が書いてあり、私は感受性が高くてシャーマン的で、「あんたはそれが感じられないの?」と問うような彼女の作品が大嫌いなのだが😅、その壁をやり過ごした私がその後の暗い色の作品のホールに入って絵を見ていたらだんだん身体中が痛くなり、「横になった方がいいかな?救急室で寝さしてもらおうか?」と思うほど圧迫感を感じて危ないところだった。数分椅子に座ってほうほうの体で外に出てなんとか深呼吸。売れっ子になった(なりすぎた?)ロスコは「作品が装飾的に見られて本当の意味を理解されていない」なんていう幸せな悩みで苦しんでいたのだと思っていたが、自殺しただけはある、最後の方の絵は呪われてますよ(暗黒への誘い)。みなさん気をつけて。以上いつもの通り私の勝手な憶測、自殺の理由も全く知りませんが、気をつけるにこしたことはないです。私のように闇の前で萎縮するたちの人は特に 
 
 注:つまり私は某作家さんのように超感受性があるのではなくただの怖がりだろうですので誤解のないように。
 
それからこれってかなり褒めた投稿だったのですが意図伝わったかな〜?疑問😅
 
 
 
 参考
 
ロスコに関する美術解説はこの記事でも。掲載された初期の絵の多くも展覧会にありました:https://www.artpedia.asia/mark-rothko/ 

ヴィトン財団 (Fondation Louis Vuitton) のロスコ展サイト:https://www.fondationlouisvuitton.fr/fr/evenements/mark-rothko 4月2日まで
 
 
ヴィトン財団ともなると予告編まであって、会場の広々とした雰囲気はわかってもらえるでしょう。
 

 
 
ヴィトン財団ってフランク・ゲーリー建築のこれですよ。
薄汚れてきた気もするけど冬空のせいかなー? 開館当時の写真は次の過去投稿をご参考に
 
フランスの新名所 ルイ・ヴィトン財団
ルイ・ヴィトン財団 追加写真


 
 
 
 
 
 
 
 
 
突然ですがボナール。
ボナールファンの私の目からするとロスコはすごく影響されてると思うのですが。
個人的にはこちらの方が私は幸せになります😁
 
(注:写真の絵のチョイスは皆さんを納得させようというのでなく、ネットで簡単に転載できたからです)