graffiti chic au 32 George V |
実は私が住むパリ13区は区長さんがグラフィティが大好きで(?)、建物の壁などに大規模な壁画などを作らせ、 ストリートアートの首都と称し、ガイド小冊子もあるようで、それ故か週末などはカメラを持って撮りに歩いている人によくでく合わす。
この種のものは後で紹介するShepard Faireyのように、意匠に優れたものもあるが、「装飾芸術」と言ってしまえば終わりで、ふつうびっくりするようなものもないので私はあまり関心(感心?)がないのだが、その中で珍しく面白かったものにメトロの駅の前に作られた写真の「ビーバー」がある。プラスチックの容器(ゴミ箱)とか椅子、はたまたヘルメットとか様々な都市の収集ゴミのリサイクルで作られたレリーフ作品で、雑多性と工作の工夫に◎。加えてこれが作られた壁は数ヶ月後に建替えの為壊されて、ストリートアートの「かりそめ性」も保っていたので評価を高くしたのだった。
その作家 Bordalo II(ボルダロ・セコンド)が私の家の近くで個展をしていた。ちょうどビルの前を通ったら大勢の人が押し掛けていたので、初めて画廊に入った(画廊の存在は認知していたが今まで外から見て入りたいと思った作品があることはなかった)。会場は地上階+地下700平米もあって、この1987年リスボン生まれの作家のアール・ブリュット風の初期(といっても数年前だが)から大成功している巨大な動物たちまでが一杯あった。画廊なので売っているのだが、完売! 13区は勿論、建築業者もスポンサーになっていて、地区、ビル、作家が供託して「興業」しているようなで、あんまり後味良くなかったな〜。
やっぱりストリートアートは街角にないと。特にそこにあるものを生かした場所特有なものになっているとよりよい。それに壊されたり上書きされたりする運命であること、つまり誰に注文されるでもなく勝手に壁に落書きするという行為がバイタリティーの根源になっていると思うので、これも大事ではないかな?
実際大壁画となって毎日見せられるとうんざりするものも多く、我がアトリエから地下鉄に向かう通りにあるグラフィティは見るに耐えなくて私は常に目をそらせている。グラフィティが自分たちの名前を書いたりして存在を無理にでも知らせるという暴力的なメッセージとするならそれは大成功ともいえるのだが、、、。どんなに醜い絵かここで紹介、てなことをする気は毛頭しないが、当然ながらよくその写真を撮っている人がいる。
つまりアーバンアートと呼ばれるものの美意識は私にはかけ離れていて(前記画廊を無視していたのもその所為)、わざわざ遠くやってから来て見廻っている人たちを見ると、美術作家として「生きながら葬られ」たような気分になる。この間なんか地方から来た知合いから「近くにいるよ〜」(実はボルダロを見に来た)とメッセージが入ったので「徒歩5分、アトリエ見に来たら」と提案したところ、「今からストリートアート巡りをするからダメだ」と応えられた。これほどに13区のストリートアートは人気があると言おうか私の作品が人気がないと言おうか、ああミゼラーブル。
ともかくポルトガルのボルダロ君のみならず、13区は世界各地からこの業界の「有名どころ」を招いて壁画を作らせていて、例えば米国のシェパード・フェアリーShepard Fairey(別名をObeyといい、何となく旧共産国のプロパガンダ風で、皮肉を感じさせないこともない。オバマの選挙ポスターHOPEのデザインもして有名)の写真の巨大壁画も近くに幾つかあるのだが、右の壁画は自由平等博愛と書いてあるからかマクロンのお気に入りらしく、2017年エリゼー宮からの大統領の年末の挨拶では彼のオフィスにこの複製と、ちょっと懐かしいピエール・アレシンスキー(コトバンク)の2品が飾ってあった。いったい私の関心は何なのか?だが(笑)。
かくして「お墨付き」のものになった我が界隈の「落書き」に対し、ジョルジュ・サンクの銀行のは「黄色いベスト」デモで壊れた窓ゆえという「今」性、だからそれが直されればなくなる運命の過渡性、かつほのぼのとした地方都市を描いたかの様なクラシックな美意識で全然アーバンアートしていなくて、かなり新鮮に思えたのだが、こういうのを面白がるのは私ぐらいか。誰が描いたのかな? ひょっとしたらバークレイズで展覧会したアーティストかも(笑)
参考リンク:
・私の写真はピンボケだったので良く見たければパリジャン紙の写真でもご覧あれ。この記事のお陰でネズミだと思っていたのがビーバーであったことがわかった。作家は人間の環境汚染で命を失う動物たちを作るというのがモットーで、この「政治的コレクト」路線も成功の理由でしょう)
・Bordalo II(ボルダロ・セコンド)のサイト
・画廊のサイト(展覧会は3月2日まで)
・シェパード・フェアリー:【美術解説】