2019年2月24日日曜日

ストリートアート雑感

私が展覧会をした場所で界隈として最もリッチだったところは、シャンゼリゼから伸びるジョルジュ・サンク通りのBarclays(銀行バークレイズ)の支店だった(2015年のこと:参考投稿)。昨日偶然前を通ったら、バークレイズは無くなって違う銀行になっていた! 私の展覧会をして閉めた画廊はいくつかあるが(全然私の所為でなく少しは存命に貢献したはずなのだが)、「銀行ってのはね〜」とびっくりして調べたら2017年にバークレイズ・フランスはMilleisという投資銀行に「変身」したそうで、、、知らなかった!

graffiti chic au 32 George V
そのMilleis銀行、「黄色いベスト(gilets jaunes)」の運動の壊し屋にガラスが割られたらしく入り口右に木のパネルが張られていて、その上にグラフィティがなされているのだが、何かこれが写真の様に「近代絵画」風で可笑しかった。こんなの見たことない。流石富裕地区!

実は私が住むパリ13区は区長さんがグラフィティが大好きで(?)、建物の壁などに大規模な壁画などを作らせ、 ストリートアートの首都と称し、ガイド小冊子もあるようで、それ故か週末などはカメラを持って撮りに歩いている人によくでく合わす。

この種のものは後で紹介するShepard Faireyのように、意匠に優れたものもあるが、「装飾芸術」と言ってしまえば終わりで、ふつうびっくりするようなものもないので私はあまり関心(感心?)がないのだが、その中で珍しく面白かったものにメトロの駅の前に作られた写真の「ビーバー」がある。プラスチックの容器(ゴミ箱)とか椅子、はたまたヘルメットとか様々な都市の収集ゴミのリサイクルで作られたレリーフ作品で、雑多性と工作の工夫に◎。加えてこれが作られた壁は数ヶ月後に建替えの為壊されて、ストリートアートの「かりそめ性」も保っていたので評価を高くしたのだった。

その作家 Bordalo II(ボルダロ・セコンド)が私の家の近くで個展をしていた。ちょうどビルの前を通ったら大勢の人が押し掛けていたので、初めて画廊に入った(画廊の存在は認知していたが今まで外から見て入りたいと思った作品があることはなかった)。会場は地上階+地下700平米もあって、この1987年リスボン生まれの作家のアール・ブリュット風の初期(といっても数年前だが)から大成功している巨大な動物たちまでが一杯あった。画廊なので売っているのだが、完売! 13区は勿論、建築業者もスポンサーになっていて、地区、ビル、作家が供託して「興業」しているようなで、あんまり後味良くなかったな〜。

やっぱりストリートアートは街角にないと。特にそこにあるものを生かした場所特有なものになっているとよりよい。それに壊されたり上書きされたりする運命であること、つまり誰に注文されるでもなく勝手に壁に落書きするという行為がバイタリティーの根源になっていると思うので、これも大事ではないかな?
 
実際大壁画となって毎日見せられるとうんざりするものも多く、我がアトリエから地下鉄に向かう通りにあるグラフィティは見るに耐えなくて私は常に目をそらせている。グラフィティが自分たちの名前を書いたりして存在を無理にでも知らせるという暴力的なメッセージとするならそれは大成功ともいえるのだが、、、。どんなに醜い絵かここで紹介、てなことをする気は毛頭しないが、当然ながらよくその写真を撮っている人がいる。

つまりアーバンアートと呼ばれるものの美意識は私にはかけ離れていて(前記画廊を無視していたのもその所為)、わざわざ遠くやってから来て見廻っている人たちを見ると、美術作家として「生きながら葬られ」たような気分になる。この間なんか地方から来た知合いから「近くにいるよ〜」(実はボルダロを見に来た)とメッセージが入ったので「徒歩5分、アトリエ見に来たら」と提案したところ、「今からストリートアート巡りをするからダメだ」と応えられた。これほどに13区のストリートアートは人気があると言おうか私の作品が人気がないと言おうか、ああミゼラーブル。

ともかくポルトガルのボルダロ君のみならず、13区は世界各地からこの業界の「有名どころ」を招いて壁画を作らせていて、例えば米国のシェパード・フェアリーShepard Fairey(別名をObeyといい、何となく旧共産国のプロパガンダ風で、皮肉を感じさせないこともない。オバマの選挙ポスターHOPEのデザインもして有名)の写真の巨大壁画も近くに幾つかあるのだが、右の壁画は自由平等博愛と書いてあるからかマクロンのお気に入りらしく、2017年エリゼー宮からの大統領の年末の挨拶では彼のオフィスにこの複製と、ちょっと懐かしいピエール・アレシンスキー(コトバンク)の2品が飾ってあった。いったい私の関心は何なのか?だが(笑)。

かくして「お墨付き」のものになった我が界隈の「落書き」に対し、ジョルジュ・サンクの銀行のは「黄色いベスト」デモで壊れた窓ゆえという「今」性、だからそれが直されればなくなる運命の過渡性、かつほのぼのとした地方都市を描いたかの様なクラシックな美意識で全然アーバンアートしていなくて、かなり新鮮に思えたのだが、こういうのを面白がるのは私ぐらいか。誰が描いたのかな? ひょっとしたらバークレイズで展覧会したアーティストかも(笑)


参考リンク: 

・私の写真はピンボケだったので良く見たければパリジャン紙の写真でもご覧あれ。この記事のお陰でネズミだと思っていたのがビーバーであったことがわかった。作家は人間の環境汚染で命を失う動物たちを作るというのがモットーで、この「政治的コレクト」路線も成功の理由でしょう)

Bordalo II(ボルダロ・セコンド)のサイト 

画廊のサイト(展覧会は3月2日まで)

・シェパード・フェアリー:【美術解説】

2019年2月10日日曜日

手芸からアートへ (宮脇綾子とYveline Tropea)

Note : L'exposition extaordinaire des oeuvres (de tissu recoudu) d'Ayako MIYAWAKI que je presente ici à la première partie est prolongée jusqu'à 30 mars :
Galerie Moisan  72 rue Mazarine Paris 6

宮脇綾子のアップリケ作品、野菜や魚などがテーマで所謂「手芸」なのだが、それが主婦の営みとか趣味の範疇を越えてアートになっている理由は、ひとえに彼女の布の組み合わせの大胆で見事なセンスにある。 例えば大根を絵にしたら普通の人ならば、根は白、葉は緑で描き、普通の主婦がアップリケしたら白と緑の布を選ぶ。それが彼女の作品は大根が見事な入れ墨でもしたような装飾性あるモチーフで満たされ、細いひげ根がちょっとぎくしゃくした縫い糸で描かれる。すべては色彩と形のコンビネーションの問題と片付けたいが、具象画題の野菜のみずみずしさは保たれたまま。ここがエライところ、つまりずば抜けた芸術的才能(としか言い様がない)。



刺繍や編み物などはすぐにジェンダーの問題に絡むので、それを武器にした女性の現代アート作家は今どきうんざりするほど一杯。縫い物ドローイングの作家は私が知っているだけでも何人いることか、、、。その多くはその政治性抜きではアートでもなんでもないような作品なのだが、宮脇綾子の作品はその対極で気持ちがすっきりする。

(掲載写真は次のサイトから拝借 photos empruntées du site suivant : artcommunication's blog)

Galerie Moisan 宮脇綾子展 72 rue Mazarine Paris 6
3月末まで会期延長!!!

いつもながら言わずもがなの批判をしてしまったが、ジェンダー性あるいはそれ以上のトラウマにがんじがらめでも、見事にそれを視覚作品に昇華させる人作家が知合いに一人、Yveline Tropeaさん。  
彼女はビーズ刺繍で私は苦しくて直視していられない類の光景を描くのだが、細部にわたる色彩、素材感が素晴らしく思わず見入ってしまう。こちらは全然「ほのぼの」せず、「ぎょえ」で、本当の意味で宮脇綾子の対極かも? 
彼女は自分で刺繍するのではなくアフリカ、ブルキナファッソにもアトリエを持って、現地の縫子さんに作らせているところも非常に現代アート的。とはいえデッサンから最終作品へ導くビーズとその縫い方のチョイスに職人技術に精通した冴えがある。昨年秋にデッサンとビーズ作品を並べた展示があって写真はその時のもの。



(デッサン、ビーズとも作品の細部)




2019年2月1日金曜日

アップリケの謎

数年前に某美術館で宮脇綾子のアップリケ展が行われた時に、「ポスターにフランス語でappliquéと入れるけどこれでいい?」との相談を受けた。そのとき「フランスでappliqué(アプリケ)ていう言葉聞かないけど、、、patchwork パッチワーク(この言葉はよく使われる)の方がいいのでは」と答えた(勿論仏人の友人にもきいたが彼女も同意)。いま6区の画廊街にあるGalerie Moisanでその宮脇綾子の展覧会が開かれていて、FBでの案内に"Oeuvres en tissus appliqués"とあって「これはいい加減なことを言ってしまったのか」と心配になった。早速 appliquéとtissu(布)でグーグルしてみるとアマゾンでマンガの柄みたいな布地、多分私の語彙ではワッペン(これはドイツ語)がappliquéとして売られているし、チュートリアルビデオにも"appliqué en tissu"なんてあるし。。。展覧会に連れて行ったアクセサリも作るS嬢に聞くと「アプリケと言うよ〜」でますます形勢がわるくなってきたのだが、画廊のおじさんも「アプリケっていうと貼ったみたいに思えるよね」と言うので少し挽回、一昨日絵を見に来た夫人にA4以上もある立派な案内カードをあげて質問してみたら彼女も「アプリケ?貼るって感じ」例えば壁紙を貼るみたいな。。。
ちなみにこのカードに印刷された豊田市美術館の館長さんの仏語紹介文は、アプリケという言葉を上手くかわしている(笑)
というわけで私の結論:アプリケはフランスでは一般的ではなく「専門用語」 

この展覧会、素晴らしいので書きたいのですが、写真がないのでまた今度

宮脇綾子のことは白鳥正夫氏のこの紹介文をご参考に。名古屋周辺でしか知られていないと思ったら1997−98年に日本各地で展覧会がされ、今や全国的に有名らしい。世界制覇もしてほしいですね。

最初の「某美術館」、愛知県内には間違いないので、これもグーグルしたら、面白いブログに当たった。12月23日の投稿(大展覧会)で「こんな正直な美術ブログってないと思う」と書いたが、「はるひ美術館の館長ブログ」も「ピカソは天才ではなく、「ピカソは天才になった」と思う」とか、忌憚なき独自な見解が述べられていて面白かった。
でもはるひが「某美術館」ではなかったと思う。多分三岸節子記念館???