2013年5月31日金曜日

バガテル公園のロベール・アルヌー

日曜日にパリの西のブーローニュの森の一角にあるバガテル公園にロベール・アルヌー Robert Arnoux の彫刻のインスタレーションを見に行った。彼は写真ように単純化した人物像の彫刻家で、去年のドーヴィルの展覧会で出会った(旧ブログ4月15日参考:テント前の彫刻は彼の作品です)。通常の展覧会だけでなく、何年も前から各地の庭園に彫刻を設置している。私の「その場に特有の作品」という方向性ではないし、彫刻も優しくて(易しくて?)、それほど興味はなかったのだが、行ってみて感心した。本当によく場所を選んでセッティングしているからだ。私は「写真はきれいに見えるから」とうがった見方で行ったら。実際は写真よりきれい。それが証拠に写真上手でもない私でもご覧の通り、結構決まってしまうのだからたいしたもの。
彼の作品は難しい理論を必要としていない。単に(おそらく彼自身の)穏やかな人間性が出ているだけなのが、故意に「場所特有」に作り上げた(例えば先日のエリックさんが女性美術館員の声を使ったような、つまり説明を聴いてなるほどと思う)作品より説得力がある。美術作家はビジュアルで勝負、これは私にも反省材料となった。
ロバールさんはアートのメインストリームにはいない作家、そんな彼がバガテル公園 Parc de Bagatelle(マリー・アントワネットとアルトワ公の間の賭けから造築され、有名なバラ園もある歴史的公園)で大展覧会ができたのは地道に庭園での展覧会を続けて「公園界」で人気を得た結果なのだろう。
全部で何作あるのだろう、広い庭に点々とする彫刻を「ここにもあった!」と見つけるのも楽しかった。
大いに宣伝したいところだが6月2日まで。(3月に始まったのに悪天続きで、、、終わる前にやっと行った次第。今週末に是非どうぞ)



ロベールさんバンザーイ

2013年5月25日土曜日

ロダン美術館のエリック・サマク

エリック・サマク Erik Samakh さんはとても気さくなアーティスト。水曜の晩、ロダン美術館の庭のインスタレーションのオープニングに行ったら、いつものとおり帽子をかぶりクロコダイル・ダンディーみたいな格好をして、シャンパンの瓶を手に来た人に自分で注いで回っていた。彼とは6年前のイベントで一緒になったことがあるのだが 、私の顔を見て「よく来たなー」と笑顔で迎えてくれ、「これはアンタにぴったりだ」と黄緑の表紙の今回の展覧会の小カタログを黄緑のユニクロダウン*を着ていた私にプレゼントしてくれた。
パリ郊外に生まれた彼だが、90年代にアルプスの山奥深くに居を構え(最近ピレネーに引っ越したらしい)、話しといえば魚釣りの物語とかをトクトクと、、、この彼、実はポンピドー、カルチエ財団からベニス・ビエンナーレまで一流どころ総なめの超有名フランス人アーティストなのだ。

「自然児エリック」、だから多いに作品も褒めたいところなのだが、今日の原稿は書くのが難しい。大げさにアピールするものではなく環境と溶け込む、私の好きなタイプなはずなのに、正直に言って私にはピンと来ないのだ。

ホタルたちの石
どんな作品かというと、山や森で採取した自然界の音(風の音、動物の鳴き声等々)を、木の筒や石から聴こえるようにしたインスタレーション。音源ユニットは太陽電池搭載で軽量自立、それが公園の木や建物の中に吊り下げられたりする。何となく想像できるでしょ?(Erik Samakhドキュメントページで色々映像が見られます)。

近年は音だけでなく「ホタル」シリーズとしてLEDを光らせていて、今回のロダン美術館は「ホタルたちの石」と女性(実は美術館員)のつぶやきが木立から聴こえてくる「イチイの声」の二本立て。 日本の某「ホタルの里」の温泉で LEDホタルが光っていたが、エリックさんの虫の音や光はもっとソフィスティケートした「対話型」で人が近づくと鳴き止んだり、、、勿論音の編集も凝っているが、、、。加えて今回使った大きな花崗岩はポルトガルまで探しに行って、、、というのは話としては面白いが、煙に巻かれたような、、、。彼の人間性、生き方は好きだが、なんでそんなに作品がすごいのか(評価が高いのか)私にはわからない。だから評論家のコメントを以下引用すると:

「エリック・サマクは自然環境と、ハイテク装置という自然には無縁な要素との相互作用を探求し、自然の価値を高め、聴衆の知覚を変容させる。彼は密やかな技術システムと植物動物界の自然現象を組み合わせ、純粋に芸術的なアプローチにおいてばかりか音響エコロジーの視点からも、聴衆が自然に注意深くなり、自然を聴き、自然と対話するようになることへ誘う」
録音がなくても私には呟きが聴こえてしまうのだが
(作品のある木ではありません)

どうです、納得できましたでしょうか? ガッテン、ガッテン!?

9月29日までしていますのでご自身でお確かめあれ。(ロダン美術館はこじんまりして庭もきれいだし、私推薦の美術館です。館内は通常通りの展示、ゴッホの有名な絵もあるんですよ)

今日の文章はつらかったな〜(時間も異常にかかった、、、)

*注:パリは寒くて、昨日の朝の3.4° は1887年のパリ観測所始まって以来:同日(5/24)比での最低気温の記録を破りました!



2013年5月21日火曜日

玉川温泉


連日の温泉のお陰でジンマシンの足の赤黒い痣のあとも薄らぎ、皮膚も少しすべすべしてきたような気がする。打ち止めは「秘湯といわれる乳頭温泉の露天風呂」と思って乗った新幹線、車内から電話をしてみたら有名な「鶴の湯」は満員。それでも降りたった田沢湖駅、乳頭温泉郡の他の温泉という手もあるし、八幡平に向かう山中の玉川温泉という手もある。
玉川温泉の方が僻地でバスの運行が限られているのだが、ちょうどラッキーに良い時間に着いた。観光事務所で訊いてもらうと部屋も空いているそうで、かつ「テレビもトイレもお部屋にはありません」というのが気に入った。田沢湖駅から玉川温泉はバスで約1時間15分。田沢湖湖畔には桜がちらほら、黄色い水仙もあちらこちらに。
まだ雪の残る山中に入って行くと雪解け水のせせらぎの中に水芭蕉の群生もみられた。
「ええっ、ここなの?」と思った新しいきれいな建物(絶対テレビありそう)の「新玉川温泉」を過ぎて、もう少し山道を上ると突然もうもうと白い煙が上がっている谷間が見える。そうここが本当の「玉川温泉」!

岩盤浴する人たち
宿に荷物を置き、少し散歩に出ると、湯が勢いよく川に吹き出し(1ケ所からの温泉湧出量9,000㍑/分は日本一)、硫黄岩の噴気口からはゴーゴーと煙が吐き出ている。恐山よりよっぽど地獄の様相だ。その硫黄臭の煙が立ちこめる中、湯治客が暖かい岩の上に寝て「岩盤浴」なるもののために寝転がっている。大丈夫なのかなー?このガスは身体に悪いはずなんだが、、、(私が2011年秋にブルターニュの海岸に作ったイノシシは、海岸に異常発生した海藻が腐って発生する硫化水素を吸って死んだイノシシたちがテーマだったが、それと同じ硫化水素ガスのはず)

この谷のすさまじい風景に見合うかのように、温泉の湯も過激。酸度が非常に高い(pH1.05)ということで、フロントで「身体に合わないときはやめる」よう、それに普通は温泉の湯は効果があるので流さないのだと思っていたのが、「ちゃんと上
がり湯で硫黄分を落とすように」と注意された。だから源泉100%の浴槽のほか、ぬる湯、あつ湯、気泡湯などは源泉50%。サウナまである。「飲泉」も5-6倍水で薄めなければならない。

浴場(サイトから掲載)
浴場はごらんのとおり酸ヶ湯に劣らぬ大きさ。足腰が悪い湯治客のために金属の手すりがついているが、それ以外は木(多分ここもヒバ造り)。
源泉湯は勿論ジンマシン部分がピリピリ来る。なぜか肛門も(大丈夫かなー?)だからか意外に源泉100%につかっている人はまれ。

夕朝食ともバイキング形式で、いやでも大勢の人に会いますが、皆さんアチコチ悪いところがあるそうで、たいした不調でない私、話を聞いているだけで健康になりました。

長湯に慣れてしまった私はピリピリしても朝晩のんびりつかっていましたが、今サイトの温泉案内を見るとあまり長湯しない方がいいみたい。というのも「打ち止め」に
するつもりだったジンマシン、100%源泉で刺激されたすぎたみたいで、また皮膚が過敏になり、実は打ち止めにならなかったの。トホホ。

だからここは「入浴法」勉強してから行って下さいね。雪がもっと少なければ、ここから火山の焼山に登って後生掛温泉に行くハイキングもできるし、勿論八幡平も遠くないし、ともにバスの経路だから戻って来れるので、健康なうちに「湯治滞在」しに行くのも良さそうです。
噴出する源泉

さてさて、この辺で温泉旅行記は打ち止め。ちょっと大作を作りたくなって帰ってきたのだけど、ほんとに寒くて(今のパリの最高気温12度ぐらい)、しまい込んだセーターに洗濯したばかりのダウンのジャンパーをまた着ることになろうとは、、、温泉に戻りたい気持ちです!

青森、棟方志功記念館

温泉の話をお休みし、少しアートブログらしいことを書くと:

青森では棟方志功記念館に行った。国内最大の所蔵コレクションだそうだが、はっきり言って展示ホール2室のみは小さすぎる。志功の作品は各地で見る機会もあるのだからこの程度だとわざわざ足を運ぶ必要はないと思う。1955年サンパウロ・ビエンナーレで賞を得た大作「釈迦十大弟子」(+2菩薩)が堂々と飾ってあったが、そんなに面白い作品ではない(弟子の顔はオモシロイかもしれないが、、、:右写真)。木版画は凹凸(白黒)の二平面だけで絵を作り上げるところが難しく、人物や植物などが入り交じったモチーフでは巧みな構成力が必要となり、作家の才能が際立つ。それに比べると「釈迦十大弟子」のような一人の立像は意匠上ごく容易なテーマで、「志功は一気に彫り上げた」というのは当然でどうということはない。たとえ「世界の棟方」となった作品でも私はそう思う。(多分ステンドグラスにもなるキリスト12使徒との連想で審査員が理解しやすかったとか???)

次の写真は「私のコレクション」から(但しこれは和紙に刷られたよく出来た印刷☺)「ドイツ表現主義」の版画を彷彿とさせなくもない毛色の変わった作品。パリのレストラン「キムチ」で「トイレに立派なものがありますね」と掛けてあったカレンダーを褒めたら、マスターが「これがわかるのは英三さんだけだ」と言って月の終わりに貰い受けた。

酸ヶ湯(すかゆ)


湯治第二のは青森からバスで八甲田山の麓の酸ヶ湯(すかゆ)へ。名前の通り皮膚にいい酸性湯だ。
前日が恐山の小屋の風呂だったが、それとは比較にならないほど大きい。千人風呂というだけのことはある。だがその巨大さにも関わらず、総ヒバ造りで、昔ながらの田舎の湯の趣がある。

混浴で有名だそうだが、写真のように男女打ち解けて語らいながらということは昔の話? 更衣室は別、そこから浴場への通路は写真のように塀で仕切られており、風呂も左右で男性側、女性側と分けられている。それに実際は年寄りばかりだし、、、この写真ポスターにもなっていたけど、やりすぎじゃないかなー。マナーの悪い男性客への警告が書いてあったけれど、この種の広告はそういう男を呼びそうですよね。

一人だと旅館に泊まるのもおっくうだから、宿は青森のビジネスホテル。その方が夜好きなものを食べられて良い。だから温泉はバスで往復。周りを散策もしようと思っていたが、あまりの積雪で歩くところがない。バスは青森=十和田湖路線だから十和田湖までも行ける(運行はJRバスだから外国人用のJRパスを買っている私は無料で乗れる)が、私の目的はあくまでも温泉なので、帰りのバスを待ちつつまた1時間もゆったりとふやけるほどお湯につかって暖まり、雪のテラスでおでんを食べた。
まだ雪深い八甲田山。バスにはオフピストスキーをする人たちが何人も乗っていた

(上の温泉の写真は観光サイトより)



2013年5月20日月曜日

恐山 - Le Mont Osoré


温泉小屋  Cabanes de bain
Après les cerisiers de Hirosaki, je reviens au principal but de mon voyage  : soins de l'urticaire sur les jambes. Au Mont Osoré (réf. wikipedia), le lieu mythique, où flottent les fumées sulfureuses  il y a aussi des cabanes de bains.

湯治旅行の第一弾は偽「登別」、実家の風呂に家に会った粉末温泉薬剤「登別」を入れたら効果があるような気がした。皮膚病には酸性の硫黄泉がよいようで、弘前から恐山へ。恐山は5月から10月までしか開山していないので、温泉がなくても今度の旅行の候補にあげていたのだが、境内に温泉小屋があるというので絶対行くことにしていた。「誰か亡くなった人に会いたいのでは」と勘ぐる人もいたが、全然そんなことはない。死者と話せるぐらいなら、認知症となった母の「正気」と話せるかイタコさんに訊いてみようかと思っていたが、お祭り中しかイタコさんはいないそうで、、、。これは単なるアイデアの域を超えていなかったが、ジンマシン治療は本気。その恐山の温泉、参拝者の中でも温泉に入ろうという人は少ないようで、バスを待ちながら小1時間も木造の小屋のお湯につかっていたが、ずーっと一人だった(だから普通の温泉では撮れない写真も撮影)。乳白色で、もちろん硫黄の匂いが。そしてとても熱い!(途中一人おじさんが入ってきたが、本当に熱いものだからすぐに出て行った)

霊場恐山というと私はもっと広大な場所をイメージしていたので、すぐに一巡りできて拍子抜けしたが、宇曽利湖の岸辺(極楽)はきれいで、少し遊ばせてもらった(崩れたケルンを積み直したり、、、)。そこらかしこにお菓子やジュースなどがお供えしてあるが、プラスチック容器に入っていて、最初はゴミが散らかっているのかと思った。いくつも立っているお供えの風車も派手な色のプラスチック製、お供えの地蔵様の中にも眼を覆いたくなるようにキッチュなものがあって興ざめ。そのうち霊場にキティーちゃんがあふれるようになるのではとそら怖くなってくる。























弘前の桜 - Les cerisiers de Hirosaki

Informé par la télé que les cerisiers dont la floraison a été retardée considérablement à cause du froid, étaient enfin pleinement en fleur à Hirosaki (dans le nord de Honshu), je suis parti là immédiatement le 7 mai. C’était splendide !
 
桜の花は日本の象徴だから、多くのフランス人も春に日本に行きたがる。でも私は相談されると、桜の満開は本当に短いから、秋の紅葉をすすめてしまう。私が桜に冷たいのは小学校の遠足で、満開の桜を見ていたらいっぱい毛虫がいて、、、美しい桜の陰にはいつも毒を持った毛虫がいると思い込んでしまったからかもしれない。しかし最近は毛虫を見ない。どこにいってしまったのか?

GW中は東京で友人たちと旧交を温めたのだが、連休の最終日の6日、TVニュースで「今年は寒さで開花が遅れ、弘前でやっと満開になった」と伝えている。インターネットを見るとライブ映像があり、本当に満開で、連休までだった桜祭りも延長。そこで「湯治」は後にして、外国人も知る日本随一の桜の名所、でも私は行ったことがなかった弘前城に花見に行くことにした。新青森で弘前行き列車を待っていると、私のよう満開情報で「急に決めた」桜見客がいる。すべて老人夫婦。なかなか彼ら、フットワークが軽い。

弘前に午後4時前に着いて駅前のホテルを予約して早速城に出かけたが、ここの桜は2600本余りあるという数ともに種類も多く*、本当に華やかだった。(それ以上の形容は語彙が乏しいので写真でごまかします)
曇天で寒かったが、私は本当に堪能。青空のもと、岩木山が眺められればいかにきれいなことだろうと思ったが、ニュースを聞いて続々と人が旅行を決めたのだろう、翌日の宿泊は満員だった! 教訓:花見は機に敏であるべし









(*注:桜は切ってはいけないと言われるが、弘前ではリンゴの栽培の知恵を生かして剪定、寿命を超えた老木も多い)

2013年5月19日日曜日

英三がいっぱい

異境の地に長く住んでいると、通りのウインドウに映った姿に「あれっ、変な東洋人がいる」と思ったら自分自身だったということが間々ある。環境に同化しすぎて私も周りの連中の一味であろうとの思い違い?、あるいは若いつもりでいて本当の姿を忘れてしまったせいか?(私は鏡を見るのが嫌いだ) 
それとは反対に今回日本の実家に戻り名古屋駅の地下街の群衆を前にしたとき「僕が一杯いる」との変な錯覚に陥った。仲間意識というより同じ生物個体として群れを発見したような、、、。ちょっと感動しました。
しばらく日本に滞在してパリに戻り、飛行場を出て郊外電車に乗ると、こんない人種雑多だったかなー?「まるで動物園だ」と思う(人種差別ではありません、私も一員です)。

そしてアトリエに着くと毎度のことだが、「あれー、こんなにガランとしていたかな?」と改めて思う。単に記憶力が悪いのか、日本がごたごたしすぎなのか?

昨日、名古屋空港で時間を潰しているとき、何となく軽量折り畳み傘を買った。パリは雨だろうと思った訳ではなかったが、地下鉄を出ると結構強い雨が降っていて助かってしまった。行き交う人は結構厚着をしている。それもそのはず今日は最高気温14度、アトリエ室温は相変わらずの16度。午後からまた雨。何たることか! セーターを着て、これまたいつもの私の平凡なる(普通の人には非日常的な)日常生活に戻り、「毎日のデッサン」(写真)をして、「雨の絵」も作った。

日本で習った訳の分からない言葉を使ってブログタイトル一新、再出発します。今日のデッサン、ギリクリしたかなー?