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2026年7月21日火曜日

ゆめうつつ 夜毎に描く地図(寝小便の話ではありません)

ご存知かどうかしれないが、私は以前(95年から2010年あたり)よく田舎のアーティスト・レジデンスに行っていた(田舎の畑や山やらで自然素材を使ったインスタレーションをしていた)。私は車を運転しないのでその周りをともかく歩き回る。今のようにいつでもGPSで位置が確認できる時代ではなかったので見える風景とランドマーク(廃屋とか大木とか)をもとに頭の中で地図を描き動き周り、2週間もすれば普通の村の住人よりはいつも地形をよく知るようになっていたと思う。一応土地勘・方向感覚があると自負している。そのくせ夢の中ではやっぱりそんなふうに歩き回っては、、、いつも道に迷うのだ! 

「この怪しいバラック街を通り抜けて左に折れてしばらく行くと畑の中に唐突なビルが建っているはずなのだが」と見渡しても見えなくて戻ってバラックで仕事していた青年に聞くと「あれは1年前取り壊された」とか。「この民家の庭を突っ切った後の建物にはいると地下道があってこれがずーっと向こうまで行く近道」とか。つまり夢で見る土地は何度も行ったかなり馴染みの場所なわけ。そしてそれがレジデンスに帰ろうとかしているのことが多くて、ひょっとして本当に行ったところと関係あるのだろうか、あるいは子供の頃遊んだ野原とかとは? と夢の地図を描いてみて現実に行った場所を比較検討し始めたのだが、現実も四半世紀も経ってしまうとその記憶はかなりあやうく「あれはレジデンスの時の想い出と思っていたのが実際はただの夢の中だったのか???」とまことにおぼつかないことになってきた。

うつつの世界でもヴェニスに行くようになってから「方向感覚がある」という私の自負は木っ端微塵に粉砕されたが、その所為の「よろめき」か、日本の私の新拠点の京都の太秦も小ベニス (笑)、洛中の碁盤の目とは大違いで運河や用水路に沿って道が湾曲し、「自負」のせいで知らない道を選んではもう自宅の間近なはずなのにGoogle マップを見ても堂々巡りをすることしばしば。そして日本に何ヶ月か戻っていた後パリに戻っきて自転車に乗ったりすると街の真ん中で「何でこんなところで間違えるの!?」ということが起こり頭の中は完全にブラックアウト!←ヴェリブは30分間という制限時間もあるからそのストレスがあったりするともうあかんです。私どうなっちゃうんでしょうか?

ともかく日は東から昇り西に沈む、それだけが夢でも現でも唯一の頼り。

ところでどんなことがあろうと道に迷わず行けるご近所のフランス新国立図書館で先日まで「想像の地図 CARTES IMAGINAIRES」という展覧会が催されていた。地図を描くことは、知っている場所と知らない場所の境界を引く。昔の地図では未知の世界には色々な怪獣がわんさかと暮らしていて、それが地図上にも描かれている。そんな楽しくもある世界だったが、大航海、探検探索が続くにつれ怪獣たちは追い払われ、未知の場所は既知の場所の間のただの白い空間、情報で埋められることを待つただの空きのスペースとなってしまう。これで第一章の終わり。第二章は語りつがりや古代の書の叙述を元にした伝説の地の地図。第三章では文学での地図。空想の文学でその世界を構築するのに作家には地図を描いて確かめる方が便利らしく、宝島やロビンソン・クルーソーのみならず、プルーストも自分の空想を織り混ゼるノルマンディ、その地理を誤らないように原稿に鉄道路を書いていた(ここまでくると描くと言うより書くだろう)。その後の章は省略(笑)

それにしても私の夢の世界の地図は一筋縄ではいかなく思われる。知っている世界と知らない世界が曖昧で穴だらけと言おうか、ゼロから1の線の間にも有理数より無理数の方が多いが如く無限の穴のスポンジ構造をしているのだ。というわけで地図は描けても境界はあってなし。

猛暑のせいか(ただそのせいだといいのだが)先週は眠くて眠くて、、、そして夢の中を彷徨うと歩きすぎて足がつって目が覚めること屡々で。これを普通の人にいうと「ちゃんと水飲みなさい」で終わりだけど。

 

1595年にアントワープで出版された出版の世界初の私もいつか行ってみたいアイスランドの地図。

まあまあ普通になってきたけどまだまだ変な怪獣(海獣)がいます。右上の流氷も芸が細かい!

 

これは解説不要でしょう。さすが国立図書館いろいろなもの持ってます
 

プルースト、迷子にならずバルベックに戻らねば(笑)
 
キミはタコを見たか? 1900年の漫画地政学図

「道化(狂人)の頭の中の世界」(16世紀後半) 地図は人間の情熱の鏡であり瞑想の助けだと解説にありましたが。

しかし世界地図見るとなぜか日本を探してしまいますねー

 

展覧会の写真はいつもながら隣人アーティストのカリム君が綺麗な写真をfbに沢山出しているのでそれを参考にしてください😄


2025年5月19日月曜日

パリの修道院での個展

フランス人のお兄さんがエレキギターで演奏をしているコンサート、そこに大遅刻して行ったのだが、驚いたことに大きなホールに観客が誰もいない。そして彼は一人で淡々とちょっと感傷的なインスタルメンタルの曲を弾き続けていた。「これじゃーだめじゃん!」
 
コンサートが終わって彼と一杯飲みながら話した。客がいないなんてまずは企画側の問題じゃないの? * 私は文句を言うべきと思うのだが彼はそれほど落胆もしていないようだった。実はこれは夢。夢のことなのでそれ以上詳細は思い出せない(夢でなくても最近記憶が危ないのだが)、、、これは今の個展で来場者待ちする私への教訓だろうか?
 
今度の木曜日のクロージングパーティーでサックスの仲野麻紀さんが即興演奏してくれるのだが「まさかその前兆って事はないだろう?」と思いつつの昨日の朝、メッセージを見たらお坊さんとアーティストの間を取り持つアソシエーションから「場所が修道院だから許可が出ないと音楽はできないのよ!」 とクレームが来ていた!
 
順序よく話すと今私はドミニク派の修道院で私としては未だかつてなく大きい個展をしていて、その会場は中庭に面した回廊。壁はたくさんあるが全体が見晴らせる大きなホールではなく長い廊下といったものなので、プロムナードするということを頭に描き、かつ決められたスケジュールが作品運搬の次の日がもうオープニングということもあり、事前にかなり作品の選択と構成を熟考。
 
結果はなかなかいいんじゃないか〜(いつもの自己満足。でもなかなか満足しない性格なので本当にいいのです)
だから大勢の人にみてもらいたいんだけど〜、これはいつもながらどうしていいのかわからない。自分で良い良いと言っても信じてもらえないから、、、 😅 
 
sns上では既に沢山出してますがこんなので(これ一部)
 

 
全体は次のビデオをご参考に
 

 
でも写真は写真。もうあと1週間のみ。こんな立派な展示はもう一生できないかもなんて思わないでもないです。
 
ところで先の懸案の音楽許可は無事おりました。
 
 
一応情報:
 
「こんなところにこんなもが」という近所の人も知らない「ドミニク派受胎告知修道院」の住所:
 
222 rue du Faubourg Saint-Honoré, Paris 8e 
 
5月27日まで10時から19時まで日曜も含め毎日オープン 

 
* 注:修道院は僧侶用と社会救済的な住居を含んでいるからワンサカ人が来るようになったら困ると言う側面があるでしょう。建物の前を通っても展覧会があるとは気づかないし、ひょっとしたら教会に入ってそのまま迷子? 逆に教会の中にはポスターがあってそれで来た人もいた。英三の作品に会うのは針の穴を通るように難しい😅

2020年8月4日火曜日

彗星と疑惑


蟄居以来結構「仕事一筋」なのでまた短いブレーク、これも何回か誘われていたパリから1時間少しの田舎にあるお宅に伺った。いそいそと先週行った一つの理由は7月末まではNeowise彗星が観察可能ということがあった(天気も良好)。実は太陽に近く一番輝いていた月の初頭も田舎にいたのだが(城の生活参考)、朝焼け前という条件でパスしてしまったのだ。今や一晩中見られるということで北西の方角で灯りがない条件で観測地にしたのが墓地に接する駐車場。「星の友(?)」* 向け記事で見た北斗七星の下あたりを双眼鏡で丹念に見回したがそれらしいものは見当たらず、とぼとぼ宿泊先のお宅に戻って2ー30分した夜中ごろ、扉がドンドンと強く叩かれた。田舎では想定外のこと:私のホストの引退夫婦は多少パニック。
それが扉を叩いたのはなんと3人の憲兵で「パーキングにいた不審人物」がこの家に入ったので調査(?)に来た、「その人物を出せ!」。私はサロンにいて夫婦が玄関から戻ってこないのでどうしたのかとおもったら左派夫婦の奥さんは「とんでもない私生活の侵害」と結構カッカして抵抗していたようで、私が出て行ってすんなり身分証明を見せてお引き取り願えたが、夜の街頭で呼び止められるならともかく誰かが家まで追跡して通報したとは!?!

私としては見知らぬ人物が夜中のパーキングを歩いているのを怪しいと思う田舎の人の気持ちもわかるし、通報されたら放って置けない憲兵の事情もまあわかるし、「犯罪」も存在しないのにただの通報に夜中に家に憲兵が来るのは「権力の横行」という意見も正しいと思う。このあほらしい「事件」の影に、「異邦人は敵」vs「警察は暴徒」という特に最近のフランス社会で強まりつつある「相互不信」「敵対思考」の風潮を見るのは「中庸」たる私の被害妄想だろうか?

ところで数日前、スーパーの自動レジで長蛇の列。やっと私の番が回ってきたと思ったらある商品のバーコードをスキャナしたらビーっとブザーが鳴って、仏海外県系(レユニオンとか?)の守衛さんが「あんたはカゴに品物を入れなおして横で待っていなさい」と言う。フランスでは自分がトラブルメーカーとなっても後の人に順を譲るなんてことはありえない。なんで私だけが〜と怒ったら急に目が覚めた。
つまりこのエピソードは夢だったのだがその日の午後、実際のスーパーに買い物に行くと自動レジは順調に進んだが、勘定の段階になって財布がないことを判明、「あれれ夢の再現?」と思いつつ出口を見張る巨体のアフリカ系ガードマンにおそるおそる「財布を忘れた」を言ったら「誰にでもあることだ」と寛容。家から財布を取って戻ってくるとキャディに買ったものが全部入れてあり、プリントされた総額のバーコードを使って決済すればよいだけになっていた。

「おー、つまり現実の方が夢より優しい!」 そんなことあっていいのかな? いいのです。結局勝手な被害妄想(無意識も含め)、疑心暗鬼が生きにくくしていると、今日は健康ライフコーチ的に締めくくりましょう(でもホントですよ)

注:大人の「星の友」は少ない。彗星観察は単独行動。夫婦の旦那さんも「そんなものみてどうなるの?」と質問したぐらいだから、警官に言って夜の徘徊が正当化できたかは甚だ疑問(笑)。私がお宅に戻ったときは夫婦は昔のNYセントラルパークでのサイモンとガーファンクルのコンサートの録画を見ていて、奥さんが待ちに待った「サウンドオブサイレンス」が始まり静かなイントロから有名な最初のフレーズが歌われたその瞬間に憲兵が扉を荒々しく叩いたというタイミングの素晴らしさが彼女のお怒りを一層高めたのは明らか。翌日は事件を街で出会う人に流布し、その怒りは彗星のように尾を引いている感じ。

「事件」はfbで報告済み



私はにわか「星の友」だからよく知らないが、結局彗星とは一度も遭遇せずに人生終わりそう、、、「ちょっと悲しくないですか?」と思うのが「友」?

2018年5月19日土曜日

そして痛みだけが残った

最近展覧会を見ても眼を見張るようなものもなく、まあそれなりに作家は頑張ってるなーと一瞬は思うが、作品はよくあるパターンで「今更なんで?」何て思う後味の悪さが残ることが多いのだが、、、(「単なる自分の嫉妬か?」と思うと余計後味が悪い。。。)

素晴らしかったのは写真家の友人カップルの展覧会。会場は何か私の実家の駅前シャッター商店街のようなところで、こんなところにギャラリーがねーと思いながらきょろきょろしていると写真家カップルさんの三分の一寸ぐらいのロボットが移動している。「ナニナニこれ〜」と追いつくと少し先に「本物」のカップルさんがいて彼らの近くに行くと、いつもは旦那のAさんがスナップ写真を撮るのが小さなロボットカップルがパパラッチのようにバチバチ私たちの写真を撮り出した。

「会場にいなくていいの? 画廊どこなの?」
「通りの向こう」

と言われて行った大きなスペース、入ったら納得、すべて子供の背丈の視線のロボットが撮った写真家カップルとお友達や通行人のスナップ写真の展覧会だった。
いつもアイデア一杯だけど、今回はセルフィな時代をハイテクで追い越し、ますますすごいなーと感心していると目が覚めた。

実は四十肩( 五十肩?六十肩?)で寝ても腕が痛くなって起きるようになり、医者に行ったら単にコデインcodéineという物質がメインの鎮痛剤を与えられた。コデインは若者がアルコールと混ぜてトリップするのに使うので制限された薬なのだが、お陰で飲み出した三晩はなかなか楽しい夢を見た。それで楽しいと言えば楽しかったのだが肩と腕の痛みは去らず、薬にもなれてしまったのか「良い夢」も見なくなって、、、

現実の展覧会を梯子した後、最初に書いたように「夢で見てる方がよっぽど刺激的かー」と落胆していたのだが、昨晩久々に画期的に面白いスペクタクルを見た。ビデオとインスタレーションとパーフォーマンスを合せたものなのだが、そう書くとあまりにも陳腐。どう描写すべきなのか? 最近はビデオで抜粋が見られるからそういう努力は不必要と思っていたら、本当の舞台は息も切らせぬように畳み込んで来るのに宣伝用の「予告編」は全然良くなくてー、、、
まあパリ公演は昨日一昨日の二晩だけで終わったことだし、彼らの話はもう少し考えてから次回に(?)

というわけで今日は時々する「夢の話」でした〜。30年来会っていない昔の友達とデヴィド・ボウイの未発表曲(!)を一緒に歌いながら気球の上に登ったのも楽しかった〜♫(笑)

夢の後ボウイへのオマージュのNYの地下鉄の駅があることを知った(参考インスタ写真)。そして昨日の舞台はミニチュア人形をビデオで撮りながらというのが大きな要素で、、、これは主客逆転だが、こういうのも正夢というのかなー。

これが今日は挫折したが次回紹介するつもりの Agrupación Señor Serrano



2017年1月17日火曜日

嫉妬深きはエイゾウ

Nさんがとうとう彼氏と結婚することになり、ウェディングパーティーに招いてくれた。趣向は彼女の友達の美術作家が担当するとかで、、、。

招待客がカフェ・テアトルのようなごく小さな円形劇場に入ると舞台にいた燕尾服の男優は黒い背広のポケットから何かを出したと思ったら、それはさーと白い十本の糸となって空をまたいだ。その糸は飛ばされた真っ暗な奥の方で白い羽となり、進むと床は草花が何百のホタルに照らし出されたかの様に光り、まるで銀河の上を歩くよう。ずーっと先の赤茶けた岩肌の崖の前にいた初老のデヴィッド・ボウイのような俳優が何メートルも地上から上昇して浮かび上がったと思ったら、口からはーっと長い白い煙を吐き出した。
驚きの連続、「ハイテクの舞台美術の人には負けるわ、悔し〜いぃぃ」と思ったら目が覚めた。つまり夢でした。

僕こういう風に夢の中で「すごいアート」をされて嫉妬して起きることがある。
現実の場合は、例えば名古屋トリエンナーレの記事で書いたデュクフレなどを見て「すごいなー」と感嘆しても嫉妬することなんてないし、フツウの美術の場合でも素晴らしい作品には賞賛するばかり。つまらない作品が評価されているのに「何で〜」と癪に障ることはあっても、この「夢の中の嫉妬」とは全く種類を別にする。
およそ人の創造性なるものは生まれ持ったもの+その人が培って得たもので、これに嫉妬するほど私も馬鹿ではないのだ。だが夢の中に出て来る人物はすべて自分の分身ということらしいから、これは自分が達成できない作品の。。。。

精神分析はアメリカ社会では茶飯事らしいが、パリでも意外に分析を受けている人が多くて、この前友人宅の十人ほどの会食者中、分析経験がない人は私だけだった。確かに集まった有識者の皆さんは私より病的に思えた(笑) 「英三も受けた方が良い」と逆襲されたが、今更ね〜。

会食者の中にもいたが、分析を受ける人にとって分析医が亡くなるのは大ショックらしい)。私は歯医者を「なくして」それなりにショックだったのだが、、、:20年近くの付き合い(?)のF先生が、治療中なのに私を見放すごとく年末で引退。一応若い先生にデータとともに診察所が引き継がれる。朝市のブレアにしてもピザ屋にしても、ある種「生活の指標」がなくなるのが不安原因だと思うのだが、分析医に関しては内密の話をすべて知っている人だから少し事情が異なるようだ。門外漢の私には、そんなに何でも知っている人は亡くなってもらった方が気が楽になると思うが。

前記の会食メンバーは有識・有産者階級だったが、美術家仲間で分析を受けているというのは聞いたことがない。制作自体がテラピーということもあるが、先ずは治療費が払えない。精神分析の功罪は兎も角、分析医は美術愛好家も多いので、治療費の1%でもアーティストに分配されているかもしれないと思うと、治療にも関らず有識・有産階級の悩みが容易に解消されないのは、それはそれでいいかと現金に考える私である。

今日の夢の話につけられる写真はありませんね〜。だから日本で撮った歯のパノラマ写真で。10月に日本で苦しんだ歯痛は11月に再発、「文字通り」奥深いものとわかり、12月の歯根専門医の治療、それに次ぐ最終治療はF先生の後任に3月に引き継がれることになった。3月というのはそれまで診療所の改装工事で、、、「そんなので大丈夫?」というのが私の受けた大ショックの一部でした。(参考)

2013年6月5日水曜日

私のSFドリーム

日本の友人が倒れて病院に見舞いに行った。寝たきりと思っていたのだが病室ではコンピューターを使って彼の知覚と意識を映像化して、コミュニケーションがとれる。彼は最先端技術の探偵なのだ。彼は手始めにシルエットアニメみたいなのを描いて私をびっくりさせていたのだが、どうも追っていた事件と関係しているらしい。先端技術に精通した女子校生を追っていた彼は、彼女が援助交際で知り合った某男性に惚れてしまい、男性に離婚をせがむが果たされない。そこで彼女は男性の奥さんの頭脳情報を自分の物と移し替えることにした。こうして彼女は男性と一緒に生活するという夢がかない、奥さんの方は若い身体を得て長生き(&生き直し)できるのでまんざらな条件ではなかった。かくしたことは法律では認められていないので調査官の彼の登場となるのだが、かくなる工作は捜査段階ではわからないながら、ハイテク天才少女をマークしていた。そしてある日切り断たされたチューブが散乱した部屋に潜入して彼女の計画が実行されたことに気づくのだが、その瞬間彼の意識は断ち切れ、病院で目覚める。

今朝こんな変な夢を見て、寝直したら寝すぎて頭が痛い。SF映画も見ないしSF小説も読まない私には珍しい種類の夢だ。
生まれて初めての大きなデッサンのシリーズの注文の話(この「現実の夢物語」のせいで最近ノンビリ生活をしていたのだが、、、)が危なくなったという、昨日入った最悪ニュースの所為か? あるいはこれが贅沢の最後と夕飯を食べ過ぎた所為か?