2018年5月19日土曜日

そして痛みだけが残った

最近展覧会を見ても眼を見張るようなものもなく、まあそれなりに作家は頑張ってるなーと一瞬は思うが、作品はよくあるパターンで「今更なんで?」何て思う後味の悪さが残ることが多いのだが、、、(「単なる自分の嫉妬か?」と思うと余計後味が悪い。。。)

素晴らしかったのは写真家の友人カップルの展覧会。会場は何か私の実家の駅前シャッター商店街のようなところで、こんなところにギャラリーがねーと思いながらきょろきょろしていると写真家カップルさんの三分の一寸ぐらいのロボットが移動している。「ナニナニこれ〜」と追いつくと少し先に「本物」のカップルさんがいて彼らの近くに行くと、いつもは旦那のAさんがスナップ写真を撮るのが小さなロボットカップルがパパラッチのようにバチバチ私たちの写真を撮り出した。

「会場にいなくていいの? 画廊どこなの?」
「通りの向こう」

と言われて行った大きなスペース、入ったら納得、すべて子供の背丈の視線のロボットが撮った写真家カップルとお友達や通行人のスナップ写真の展覧会だった。
いつもアイデア一杯だけど、今回はセルフィな時代をハイテクで追い越し、ますますすごいなーと感心していると目が覚めた。

実は四十肩( 五十肩?六十肩?)で寝ても腕が痛くなって起きるようになり、医者に行ったら単にコデインcodéineという物質がメインの鎮痛剤を与えられた。コデインは若者がアルコールと混ぜてトリップするのに使うので制限された薬なのだが、お陰で飲み出した三晩はなかなか楽しい夢を見た。それで楽しいと言えば楽しかったのだが肩と腕の痛みは去らず、薬にもなれてしまったのか「良い夢」も見なくなって、、、

現実の展覧会を梯子した後、最初に書いたように「夢で見てる方がよっぽど刺激的かー」と落胆していたのだが、昨晩久々に画期的に面白いスペクタクルを見た。ビデオとインスタレーションとパーフォーマンスを合せたものなのだが、そう書くとあまりにも陳腐。どう描写すべきなのか? 最近はビデオで抜粋が見られるからそういう努力は不必要と思っていたら、本当の舞台は息も切らせぬように畳み込んで来るのに宣伝用の「予告編」は全然良くなくてー、、、
まあパリ公演は昨日一昨日の二晩だけで終わったことだし、彼らの話はもう少し考えてから次回に(?)

というわけで今日は時々する「夢の話」でした〜。30年来会っていない昔の友達とデヴィド・ボウイの未発表曲(!)を一緒に歌いながら気球の上に登ったのも楽しかった〜♫(笑)

夢の後ボウイへのオマージュのNYの地下鉄の駅があることを知った(参考インスタ写真)。そして昨日の舞台はミニチュア人形をビデオで撮りながらというのが大きな要素で、、、これは主客逆転だが、こういうのも正夢というのかなー。

これが今日は挫折したが次回紹介するつもりの Agrupación Señor Serrano



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