2022年6月21日火曜日

地道な軌跡 Shirley Jaffe シャーリー・ジャッフ展

パリに話を戻しましょう 😀

ポンピドーセンターで「パリのアメリカ人」という映画の題名をもじった(ただしAméricaineと女性形なので米女?)このあまりにくだらないタイトルで Shirley Jaffe シャーリー・ジャッフの回顧展が催されているのだが、これが意外に1人の作家がこつこつと辿った作品の変遷と制作の舞台裏を垣間見させる素晴らしい展覧会なのだ。

シャーリー・ジャッフ は言わずもがな、アメリカ生まれ(1923年)。ニューヨークの美術学校で学んだ後1949年にジャーナリストの旦那さんにくっ付いてフランスにやってきた。その頃は偶発性とかジェスチャ(動作)を重視する「抽象表現主義」がまっさかりで、彼女もその洗礼を受けた絵画を制作していた。その後彼女は63ー64年に奨学金を受けてベルリンに滞在したのだが、その時に転機が訪れ、徐々に簡略化された形のエレメントで構成する独自な抽象画に至り、その後はその道を地道に発展させた。

左に見えますが初期の作品、中央+右が晩年

 私がパリに来た80年代はパリの有名画廊でよく目にしたが、世界的に著名な作家とは言えないように思う。ひょっとするとフランス暮らしだったのが災いしたか? その反対が同じく旦那さんについてニューヨークに行ったフランス人のルイーズ・ブルジョワ(世界的になった。ジョットと並んで私のベッドの上にも肖像が貼られている(笑)前投稿参考)だけど、ジャッフは一時ブルジョワのパリのアトリエを借りていた。サム・フランシスは彼女の制作を応援して自分のパリ郊外 Arceuil のアトリエで仕事をさせたそうだし、終の住まいとなった5区のアトリエは同じ通りにジョアン・ミッチェルが住んでいた。「パリのアメリカ人」にはこうした連帯がある(あった?)ようだ。

1956年 "Arceuil Yellow" サム・フランシスのアトリエで描かれた。まだ完全に抽象表現派

この辺が転機の作品 1964年 "Red Diamond"

 

ジャッフが行きついた抽象作品はありそうで意外にない世界:幾何学的だがそれぞれにデッサンされた形とコントラスト最大の色彩の対比、それらの厳密で微妙な配置(均衡と不均衡)からリズムとポエジーが生まれ出される。

成熟期の作品、1985年 "Sailing" 初めてパリ近代美術館が購入👏

 
1991 "Criss Cross Center"  T.モンクのジャズに関係?

誰もがマチスの「ジャズ」を思い浮かべると思うのだが、展示スペースの説明にはその関連性は言及されておらず、妙なことに外側の彼女の生涯(履歴)の壁の1961年に「マチスの切り絵をみてショックを受ける」という1行があったのみ。つまり上述の「転機」の2年前。いい加減なアーティストはすぐ真似するけど、実直そうな彼女はその間自分なりに消化するのに悩んだのか? マチスの切り絵と彼女の絵の大きく違いは、構成エレメントが植物とか星とか具体的なものを示唆せず、彼女のパーソナルなボキャブリーに過ぎないと言う点。でも彼女の話では街路で見たものとかがインスピレーションの元になっているらしく、題名もそれらしきものも多いのだが、入念に具体性が削ぎ落とされていて、私には「外国語を聞いてわかったようなわからないような」というある種の快感がある=ひょっとしたら語学が得意な人には不快かも😄
 
彼女の絵は直感的にも見えるが深慮の結果で、それを示すメモが展示されており、展覧会を一層興味深いものにしている
 
制作メモです

 上が先の写真の"Sailing"用のメモで下が "Criss Cross Center"

 
 見比べると、う〜ん

 
と唸るしかない(笑)
 

これは明らかに180度ひっくり返っていて、またまたう〜ん

 
作品紹介を続けます

1993年  "4 square black"

 

晩年になるとカラーが総て完全に平坦でなくて手塗りタッチがでてきます


"New York" 2001

"Las Vegas" 2010

"On the edge" 2009

結構気に入っているので例外的に沢山写真出しましたが、彼女の微妙なバランス感覚を味わってもらえたでしょうか? 逆に飽きられたかな〜?

最後に時代を遡って1968年、やっぱりマチスを研究しています。「ふーむ、これがああなるのか」と思うと感慨深くありませんか? 

1968 "Little Matisse"
 

ポンピドーセンター常設展内の特別会場(4階が入口で3階)、まだまだ8月29日まで続きます

美術館サイト:https://www.centrepompidou.fr/fr/programme/agenda/evenement/agYUNKn


2022年6月11日土曜日

パドヴァ、ジョット詣

主体性がなく暇人の私の旅は単純に安いフライトのある日で決まってしまう。それでヴェニスからのリターンは4日(土)になったのだが 、聖霊降臨祭なる祝日の連休に入ってしまって金曜の夜は宿泊料金が私にはとんでもない値段に吊り上がり弱っていたら、ヴェニスからそんなに遠くない街のパドヴァ(Padova)にはジョット(Giotto)の壁画の礼拝堂があって「ヴェニスに宿がなくてそちらに泊まる人もいるみたいよ」とのアドバイスをもらい、ジョットも詣ることになった。
 
オンラインで予約ができなくて心配していた「キーファー詣」が簡単に入れたので、これもまた切符が買えなかったジョットもなんとかなると安心しきって行ったスクロヴェ―ニ礼拝堂Cappella degli Scrovegni 、こちらの方はなかなか厳しかった!
 
金曜の午後に行ったが即入れてもらえず、見学時間が夜の8時20分に指定された(偶然夜間入場日だった)。旧市街を一周したが生憎雨が降ってきてでホテルでゴロゴロ。
指定時間に行ったら確かにね〜。25人ぐらいのグループ制でまず10分のビデオを見させられる(下に英語字幕付きだったが最前列に座らない限り読めない(困))。ビデオが終わると前のグループが出てきて彼らが廊下から出ると我々の入場が許される。中に入って案内人からまた説明があるのかと思ったら、なしで(ビデオで十分したということだろう)、10分間の自由見学(退出不可。20メートルほどの場所を首と携帯を上に向けて20数人がうろうろする)。それが終わると礼拝堂の扉は閉められ、一時外の廊下で待機(人数チェック?)、それから退館。つまりきっちり20分毎に入れ替わりってこと。なんか収容所みたいで感じ悪いです(係員がということではなくて、単純にシステムが)。

こういう場所は入ってはっとする感覚が一番だと思うけど、その前にずーっとビデオを見せられてはねー。イタリア語がわかれば聖書のお話の内容の解説でひょっとしたら本物を見たときに感動が一層?(とは私には思いにくいが)
 
唯一ハッとしたのは正面の最後の審判の下の方に教会を天に捧げている場面があって、これは私のベッドの上の壁に貼ってある絵葉書の一枚だった:ここだったのか〜(笑)
パリに戻ってこの絵葉書の由来を見たら30数年前にバルセロナでジョットの壁画の写真展なるものを観たその時のものだった。それからずーっと私に飽きられていないわけだ。その場面は高利貸しで財を成した家族のエンリコ・デッリ・スクロヴェ―ニが免罪のため聖母マリアに礼拝堂を捧げているということらしい彼が私財をかけて建設し、彼の肖像がここに描かれた(ウィキ)
 
こんな私ではブログ書く資格ありませんね。ウィキ以外にもスクロヴェ―ニ礼拝堂のジョットーのフレスコ画に関する解説・写真はいろいろありますのでそちらをご参考に(その一例)でお茶を濁らせていだだきます。青い空間と初期ルネッサンスの素朴な感情表現は素晴らしいですが、こういう高いところの絵は双眼鏡でも持っていかないとダメのような気がします:写真やビデオの方が細かいところまでよく見える *。
 
これが最後の審判。十字架の左下をご覧あれ

 
免罪免罪、そのお陰で絵画史が変わった(笑)

中央はヘロデ王が救世主誕生を恐れて命じた「幼児虐殺」 下は何かな? 共にドラマチック

 
パドヴァも旧市街の中心の広場あたり綺麗な街ですが、そこだけだから、そうねー、正直言って宿代2倍以上しても町全体が博物館のヴェニスにもう一泊した方が楽しかったかな〜という気がしました。 
 

これは壁画の下の方にある寓意シリーズの「嫉妬」私がよく抱く嫉妬心とは関係なさそうだけど

 
ところで日本に絵葉書でもとパドヴァの中央郵便局(?)に行ったらやたら混んでいて、日本向けの絵葉書の切手が欲しいだけなので夕方に出直した。番号札をもらって呼び出しを待つが、なんか時間かかるんだよな〜、訳ありの人ばかりなのか、、、。そして番が回ってきたらに絵葉書の重さを測り、端末を叩くがなぜか難しいようで、、、それから局員さんどこかに行ってしまい〜、何分もして戻ってきて言うには「一枚3.8ユーロ、それでいいか?」 良いも悪いも知らんがなー、でも絶対高い!しかしこれだけ待ってやめってことはできませんよ、ここを逃すと出すところないのだから。郵便局員さんは悪そうな人じゃないんだけど無能(フランスでもよくあることですが)、困ったな〜。
 
礼拝堂を見た後は腹が好きすぎているだろうと仏ガイドブックおすすめのレストランをサイトで調べてわざわざ食べたいものの写真をスクリーンショットして(こんなことしたの初めて)万全の態勢。花金の9時半頃でお客さんがいっぱい、余計良さそうと思ったら「もう料理人が疲れたのでオーダーストップだ」と言われ、、、。てなわけで私はパドヴァにはあまり縁がなかったみたいでした。
 

これが私のベッドの上の壁です

* 注:私は15年前にジョットの描いたアッシジの聖フランシスコ伝も見に行っていて、その時の旧ブログを紐解いたら、暗くてよく見えなかったとしか書いてなかった(笑)。スクロヴェ―ニ礼拝堂の照明はよくご覧のように写真もよく撮れました(15年も経てばアッシジも明るくなっているかもしれないが)。概してフランスの有名な古寺でも壁画や彫刻、よく見えないことが多い。しっかり見るためにはシャイヨー宮の歴史建造物博物館の常設レプリカの方が余程よい(でも見に行く人はごく少ない)。結局本物詣は「雰囲気」の問題? そういう意味ではキーファーは雰囲気優先絵画かな。双眼鏡で細部を見れなくて残念とは決して思わないから。

2022年6月8日水曜日

シュールレアリストの女性作家たち

あんまりに沢山のものをいっぺんに見るのは混乱する。私は今まで色々見て絵画史の流れ(メインストリームと異文化の吸収というプロセス)を一応把握しているからまだしも、若い人が戦前戦後のシュールレアリスム、アールブリュット系、民族系(第三世界のアート)、マイナー的現代アートを並べられたら何がなんだかになりそう。別にそんな位置付けができなくても作品を鑑賞にするにあたって構わないかもしれないが、世界の歴史を一つ一つの国か地域から見るのではなくて総てを全くパラレルに把握するというのは大変なことなのと同様、一つの視点を持っていたほうが理解がしやすいと思うのだが、今回のヴェネチアビエンナーレのキューレータ、セシリア・アルマーニの狙いは、シュールレアリスムにスポットを当てながら私の持つような「伝統的な男性優先の美術史」の座標を打ち砕くということにあるらしい。 
 
今回のビエンナーレには”The Milk of Dreams”というテーマがついており、れはレオノラ・キャリントンLeonora Carrington (1917-2011) が子供用に作った本の題名から取られたもの。キャリントンは戦前マックス・エルンストの恋人で彼と南仏に住んだイギリス生まれの画家、エルンストにアンドレブルトンを紹介されてシュールレアリスト展にも参加した。私は昔からエルンストが好きなのだが、エルンストはキャリントンばかりでなくペギー・グッゲンハイム、その後は画家ドロテア・タニングDorothea Tanningと上手いこと女性達を口説くのだが、私は彼の恋人たちの絵にはほぼ興味がなかった(←キューレーターにまた叱られる?) 日本ではキャリントンは人気あるのかウィキに細かく書かれており、かつブログの記事「3分でわかるレオノラてのがキャリントンの人生をとても楽しく語っておりましたのでご参考に。
 
キャリントンは1942年にメキシコに亡命、画家としてはそこで本格的な制作をした(その頃のメキシコはディエゴ・リベラとフリーダ・カーロ夫妻がいてロシア革命のトロツキーもいた)が、同じくメキシコに逃げてきたカタロニア出身の女性画家 レメディオス・バロ Remedios Varo と親友となる。バロさんも日本では人気なのかな?こちらもウィキにしっかり書かれている。バロは天体と錬金術の混ざったファンタジーで黒魔術系のキャリントンの絵より私には面白い。この戦前戦後の女性シュールレアリスト達はペギー・グッゲンハイム財団の特別展「シュールレアリズムと魔術」に多く展示してあった(これは着いた日に見た)が、今までコマーシャルでひどい画家だと思っていたレオノール・フィニ Leonor Finiもしっかりした絵があってびっくり。
 
 
以下良い写真ではありませんが、先ずは気味悪げな世界のレオノラ・キャリントンの作品
 
Leonora Carrington
Leonora Carrington

Leonora Carrington
Leonora Carrington

Leonora Carrington
Leonora Carrington

Leonora Carrington
Leonora Carrington

Leonora Carrington
Leonora Carrington

 
次の3点はもう少し可愛いファンタジーのレメディオス・ヴァロ
 
Remedios Varo
Remedios Varo

上の絵は上方が切れていますが、星を集めてグラインダーで砕き月に食べさせています


Remedios Varo
Remedios Varo

Remedios Varo
Remedios Varo

 
次は表現に多彩な面のあるドロテア・タニングの作品
 
Dorothea Tanning

 
 
まともな絵も描けることがわかったレオノール・フィニ
 
Leonor Fini

 
女性作家さんたち、それぞれ面白い想像力があって楽しめるのだけど、パーソナルな物語性が高くて挿絵的になりやすい。それに比べてエルンスト、キリコ、ダリ、イヴタンギー などの男性陣の絵画はもっと抽象化(世界観化)されていて、だから絵画史のマイル・ストーンになったのだと思うのだけど(←キューレーターにまたまた顰蹙?!)
 
 
その中タンギーと結婚したアメリカ人ケイセージ Kay Sage(1898-1963)は工事の足場のような建造物がある風景を描いて異質だ。(彼女のことも「3分でわかるケイ…」があったのでご参考に
 
Kay Sage
Kay Sage

 
 ”The Milk of Dreams”がタイトルだからキャリントンはビエンナーレの Giardini ゾーンの大パビヨンでも再度登場する。そこでは当時の女性写真家たちも紹介されていたが、私が同じ屋根の下で暮らしたドラマール意味のわからない方はこちらへがいなかったのは不思議中の不思議。いつもドラマールと連んで、彼女の写真のモデルにもなっていたジャックリーヌランバ Jacqueline Lambaはいたのに:ランバはアンドレブルトンと結婚したから外せないかもしれないが
 
1941年マルセーユで米国行きの船を待ちながらシューレアリスム達はタロットカードを作って遊んだ。これはランバが描いたカード「革命の輪」

Jacqueline Lamba
 
展示会場ではそこからシュールレアリスムからの派生、現代的展開と続くが、キリないからここまで。
 

先に挙げた「3分でわかる」ブログはこれらの作家のことを楽しい読み物として完璧に網羅。びっくりしました。
 
  
著作権もクリアしているとかで絵の写真も沢山掲載されており、プロのお仕事。感心、感心。ブログ界にも立派な方がおられるものです。勉強になりますよ。備忘録としてリストコピーです(笑)
 
上の「3分間」にあるトワイヤンもあったが、彼女は今パリの近代美術館で大回顧展が開催中。これがなかなか良いのだが、実はワクチンパスがいらなくなったらまたすぐ携帯を忘れるようになって、、、旅行前にみたが写真が撮れなかったのでまた近い将来にでも
 
これはキャリントンが描いたエルンスト像
 
Leonora Carrington

 
この秀作は誰かなーと迷ったらヴィクトールブロウネル Victor Braunerだった。 ケイセージ と反対で男性だが女性的でした(またジェンダー分けして顰蹙かな?)
 
Victor Brauner
Victor Brauner

 
ところでインスタで展覧会のことだけのページを開きました。このブログとは違う写真も使うようにしていますのでよろしく
 

 

後記:トロワイヤン書きました(こちら)