2020年12月16日水曜日

論理と非論理を超えて

 前回のブログ、夜に書いて翌日読み返してみるといくつか間違えあって。一番は「今日までの行動範囲は1km」なんて書いたが考えてみると20kmまでよかった(これ幸に街に出たりしていたのにすっかり忘れていた)、と思って修正、でもよくよく考えるとこの制限緩和は11月末からで最初は1kmだったのだ(また修正)。ほんとに牛(スペイン語ではvaca)になってしまったかとも思うが、無為な日々を送りつつ首相がなんか言うととルールがころっと変わってしまい、あれまー:これもブログが書けなくなった理由の一つ。

政府の決断は「論理性がない」と誰でも批判できる。例えば「スキー場はオープンしていいが、リフトは動かさない」(勿論カフェ、レストランは開いていない)とか、スーパーや通勤メトロに比べてよっぽど空いていて人数・距離制限が容易にできるのに美術館、劇場はダメとか。でもねー、基本的にはウィルスは人を通して感染するので、できるだけ「動くな」ってことでしょ? つまり難癖をつけてでも人が移動したがらないようにする。これが政府の非論理的論理性で、わからないってことはないと思うのだが? 簡単な上げ足取りして笑ってもさほど面白くないんだよな(これが私が牛になった理由の一つ)。

なんかもっと心から楽しく笑いたいなーと、昔好きだった落語をyoutubeでみだしたらビデオになっている古典落語は全部知っているようで、ちょっと驚きだった(学生時代よっぽど暇だったからか、有名な題目は限られているからか)。まあ知っていても笑わせられるのが「話芸」の素晴らしさで、その話をかつての学友(私と同じくかつては世間からは優秀とみなされる頭脳を持っていた(笑)。理科系なのに出版社に就職、側から見るといい仕事に思われるが辞めてしまい今は介護の実践の場にいる)にしたら、落語を伏線にしてこんな文章を書いたことがあるとリンクをもらった。

また堅い内容だろうと思って読み始めたが、これがなかなか愉快。落語好きの登校拒否の女の子が蹴った小石を追って世界と宇宙の果てまで駆け巡ることになる。空想の大風呂敷の上方落語、論理非論理のアリス、あるいは寓意と批判に満ちたガリバー旅行記かドンキホーテかというと褒めすぎ? いえいえそれに匹敵すると思われるぐらいなかなかの名作。真面目なK君にこんな奔放な空想力があったのかと私はただただ感嘆。

自己発見の旅でもありエコロジーがテーマでもあるこのお話、「誰に読んでもらってもいい」と言うので宣伝したいのだが、ブログやフェースブックで宣伝に努める私とは違い、能ある鷹は爪を隠す、アクセスしにくいんです:

http://boubou.cafe.coocan.jp/sonota.htmlの2番目の「こうしてマイは…」へいって一話一話ダウンロードせねばならない。

それほど期待していなかった薄情なる私は、最初は一話しかダウンロードしなかったのだが、冒険が本格的に途方もなくなってくる第三話ぐらいからどんどん複数話チャージした。

これが今回のロックダウン中の一番の成果だったかな〜。

 

今日は解禁されたのに自発的に「蟄居」。昨日宅配から「明日配達します」との連絡があったが日本のように配達時間指定ができない。留守していて「すぐよこせ」というと「集配所まで取りに来い」ということになりかねない凄いサービスなので、これがよく私が日本の人に「フツウの小包」で送って欲しいという理由。考えてみるとフランスには日本のような敏速正確な宅配がないからアマゾンがロックダウンで一人勝ちするのが余計にうなずける。前々回書いたAmazon primeの引き落としも1日で切りがついたし。全然アマゾンの宣伝する気ないですよ、ただ「フランスの事情」ということで。

それにしても仏郵便局はせっかく国内を網羅する既存の集配システムがあるのに、悪しき「経営合理化」でどんどんサービスを下請化し、その下請けに託された小包は郵便局に行ってもどこにあるかわからないと言う有様。実は今待っているのもそれ。「まさか郵便箱に入れて帰ったとか?」と念のため見にいったらホールの扉に「小包が郵便箱から直接盗まれるケースがあったので、できれば違う住所を使うように」と張り紙がしてあった(よくある話かもしれないが、わがビルとしては新手)。悩ましいなー。なぜそんな国が好きなのと思うでしょ? 最後に少し郵便局も褒めておくと、流石に何も考えてないということもないのか、書留書簡をネットで注文して郵便箱に入れておくと郵便配達が持っていってくれるというサービスができた。これは名案。特に大家さんへの文句の手紙なんか盗まれるはずないから便利で安心(笑)、、、のはず。

そしてとうとう朝から待った小包、16時にしてやっと配達された☺ こんなことで喜びを感じられるなんて、フランスならでは♫

注:写真は街頭に貼ってあったマクロンがアマゾンの今年のベストワーカーとして表彰されているポスター :こういうのもフランスならでは

 


 


2020年12月14日月曜日

明日解禁ってボージョレではありません(今年は可哀想なぐらい何の話題にもならなかった)

 あらあら、ロックダウン中は暇だからブログを少し盛り立てようと思っていたのに、何も書かないまま、もう明日は先月30日に始まったフランス第二回目の「甘いロックダウン」の解禁日。しかしこの解禁もお笑いで。というのもマクロン君は10月28日の演説で、「解禁は新患者数が5000人未満になること」という条件をつけていたのだけれど、実際の状況は10月末になって下がり止まりで到底達成不可能(どころかその2倍以上で停滞または増加傾向)、「人の言葉を信じる(信じたいと思う)」ナイーブな私は「こりゃダメだ」と絶望していたのだけど、結局政府は「国民がクリスマスを祝えるように*」移動の自由を認めた。何たって原則としては(実際面では街頭に人が多すぎてかほとんどチェックがなかったが)今までは自己申告だけど外出許可書要で、蟄居住所から移動制限が最初は1km、先月末から20kmだったが、明日からは全国どこへでも行けるようになるので確かに解禁だ。だがまた「夜間外出禁止令」が敷かれ、夜8時以降の外出禁止となる。ただイブの晩だけは例外。伝統的にフランスではクリスマスは家族の大集会なので、田舎の両親のところへ集まったりはできるが「会食メンバーは6人以下にしましょう」なんていう勧告付き。大晦日は我がアトリエのみならず、大勢の人が集まって騒いで12時にキスし合う習慣があるが、もちろんそれを妨ぐべく例外にはならなかった。

それから文化・スポーツ施設(例えば美術館)なども閉められたまま(書き忘れたが本屋さんなどのいわゆる「お店」(画廊も含め)は11月28日から開店)。もちろんカフェ・レストランなどははじめから1月20日とされており、私はクリスマス休みが終わってまた感染者が増えるだろうからここで5千人の壁にぶつかると思っていたのだが、もうこれだ。今回のロックダウン中のピークは開始から1週間から10日でその後下がっていったのだが、これはちょっと早すぎて、多分ロックダウンではなくそれに先行した「外出禁止令」の効果だったのではとも推測されている。

上のグラフは私が参考にする各国ごとのデータが集められているworldometersのサイトより。毎日の変化(棒グラフ)で一喜一憂しても意味がないからだろう、7日平均の折れ線グラフも出してくれる

 

一方厚生大臣は、クリスマス前に国民が検査に殺到してラボがパンクする可能性もあるという背景から、「すぐに結果が出る抗原検査」は無症状の感染者をパスしてしまうことが多いので、陰性だったからと言ってそれを過信して近親者を感染させてしまう危険は大きく、テストを受けるのが必ずしも良いアイデアではない」と、正しくはあるが微妙なことを言い(マスクの時と同じく不足しているのをカバーするような論理)、当然諸種の政令も職種などでぶった切るから矛盾は当然。当事者からは「政府は国民を子ども扱いにしてけしからん」(罰則ばかりでコントロールしようとする)文句が吹き出し、、、でも今までの経過を見ていてフランス国民が一般的にそれほど裁量ある「大人」とも思えないのが。。。

しかしコロナというのは誰でも自分の意見が言えて百家争鳴とさせる話題のスーパースターだろう。マスコミ関係者には願ったり叶ったり? 私とてもたまに人に会ってもロックダウン下の食っちゃあ寝の「家畜生活」では大した話題もなく、共通項はコロナで因数分解されてしまい、だからもう話したくも書きたくもないのだが、我が心するにあらずこんな記事を書いてしまった。残念無念。もうやめます。お後がよろしいようで 

 


 

注*:宗教心の毛頭ない私はどこら辺が政教分離なのかと訝しく思ってしまうのだが、そういうことで批判する声は聞いたことがない。高校の地理歴史の先生がマホメットの風刺画を扱った所為で教鞭を持つ学校の前でテロ虐殺されるというおぞましい事件は起き、ロックダウン直前にコロナを第一面から数日間消し去った。この大事件でLaicitéというフランスの政教分離の原則が再度議論されたが、やっぱり私はその意味がわかってないのかな〜 

 

後記:長いテーマをつけたので補足。基本的にボージョレ・ヌーボーはカフェなんかで話の種に解禁日あたりに飲むもので、今年はカフェは閉まっているし、かつボーヌ市での「お祭り」も開催できなかったから何の話題にもならなかったです