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2026年5月16日土曜日

後悔(?)のヴェニスビエンナーレ初参加報告(笑)

ヴェニスビエンナーレ、報告したいけど実際はパリに戻って(なんかものすごく寒いです:最高気温12度ぐらいでヒーター入れてその横で書いてます)、SNSでダイジェストビデオ見て「へーえ 、こんなのあったのかー」てな具合で、、、😅

私の展示は去年のアクアムール・フェスティバルで制作したような、引きちぎったドローイングの断片からヴェニス の地図のような作品を現地で作る予定だったが、出発3日前に現地で展示作業をしているキューレーター及び先発隊から「他の作品との折り合いで普通の海水ドローイングのほうがいい」とのメッセージを受け、送られてきた作品展示予定のスペースの写真を眺めつつ熟慮した結果、去年修道院で飾った「糸杉シリーズ」のうちの三作に決定。ギリシャからジョージアへの勇士たちアルゴノートの旅との関連も付けられる(前回の投稿参考)。これらは展示されていたままの状態でアトリエにあるから取り出して早速サランラップみたいなのとボール紙でぐるぐる巻きにして梱包し、翌々日に自分で飛行機で運搬した。
こうして無事(でも早朝の飛行機は乗務員の都合と空港の停電で大遅れ)5月3日(日曜)現場に着くとその日のうちに即展示ができたので、少なくとも半日から1日かかるだろうと見込んでいた現地制作がなくなって自由時間たっぷりとなり「ヴィエンナーレを楽しもう」というモードに切り替わったのだが、実際には参加アーティストでかつビエンナーレの展示を見学するのは微妙だった。
自分の作品が飾られたとはいえパヴィリオン全体の展示は終わってなく非力ながらも手伝うこともあるし、展示アーティストの「特権」(?)でオープニング前の3日間のpreviewなるものに入れてもらえるのだが、アート関係の「特権」保持者がべらぼうに多く(笑)初日の朝雨の中でメイン会場アルセナルに入るのを待つ長蛇の列を見てあっさり退散。(私、並ぶの嫌いです!かつ現代アートごときに😅)
 
 
その後去年滞在した場所近くの大きなスーパーにはキス集めで使う白いブドウがあるのではと、そこを目指して通りがかる展示会場を眺めつつ行ったのだが、私と同様諦めた人なのか今からアルセナルに向かう人なのかでどこも結構混んでいた。
 
ジョージアパヴィリオンのあるDorsoduro地区にもいくつかの会場があって、近くの運河沿いのバハマス諸島のパヴィリオンの二人展、Zaterre岸の塩倉庫跡のレンガに投影されるNalini Malani(パキスタン生まれの映像作家のパイオニア、80歳)のiPadで描いたアニメ、アカデミア美術館すぐの館の"Still Joy - From Ukraine Into the World"という皮肉なタイトルのウクライナ&外国人のアーティストによる大規模な展示が私の推薦。
 
これはインスタのeizo_eyesで報告しましたので下の転載をご覧ください😅
  
後日一応ジャルディーニという世界主要国のパビリオンを並ぶ場所も廻ったが、ジョージア館にも行かねばならないし(のんびりボートのヴァポレットでは意外に時間がかかる)で全くの駆け足、映像作品などはほぼ完全無視で結局最初に書いた結果となったのだが、どうせ私は百点以上の作品を見ると許容量超過となって何も目に入らないも同然となるからビエンナーレも頑張って見ようというのは今から思うと全くの大変な誤りだった。というのもそれ以上にpreview期間中に来る人たちは大半は世界中からの美術関係者で、大抵「全て見てやろう」というアート巡りの強者揃い、その彼らが押し寄せるのだから多くのパビリオンでは内覧会よろしく作家さんがいることがデフォルトみたいだった。つまり私は初体験でそれを全く理解していなかった。(私の友達はアニッシュ・カプーアと記念撮影までした😮)ちゃんと展示会場にいて来場者に対応し、特に対話とまでは行かなくてもコミュニケーションをベースにした企画の「キス集め」は毎日できるかぎりすべきだったのだ。
 
とはいえ「うぶ」だったのは私だけではなくジョージア館全体で、館のオープニングを8日としたのはいいがそれに間に合えばいいというものではなくpreview期間が始まる前には展示ができていなければならなかった。そして作家はビエンナーレを見回るぞなどと欲張らず自分のポジションを守って自分たちのPRをすべし!
 
後悔後悔、というのもビエンナーレ出展、私にとってはこれが最初で最後でしょうので(笑)
若き作家の皆さん、同じ過ちを犯さぬように。 
 
これをフランス人にかこったら「お前は一生後悔ですごすのか?」 と言われたが、もちろん全然そんなことはなく、、、確かにフランス語の regretter という単語は「後悔」より強いのかもしれないなー? 「かくかくできたのにしなかった」という条件法を使う方がいいのかな???と今更疑問を持った😅 
  

 これはジョージア館近辺ドルソドロ地区の展覧館案内でしたが、失敬して最後に自分の作品を入れました😅

2026年3月25日水曜日

地獄で思う (雲仙、キリスタン、織部、からゆきさん)

(あーやっと書き終えた。1ヶ月に1本は最低限。でも話は2月のことです😅)
 
私の「戻る」は双方向性なことを前回書いたが、個展も終えてやっとほっとし、かつ飛行機会社の特典が2月末で切れるということがあって急遽旅行に「行った」。
 
旅先で人と話すと「どちらからですか?」という質問は避けて通れない。
私はどこからきたのか?「遠くからです」とお茶を濁したくなるがどうも無作法に思う。「京都からです」というと無難かつ正しくはあるが「新参京都人」は京都のことについてきかれると心許ない。生まれ育った愛知県かなー? 結局43年もフランスにいるのだから「フランスから来ました」と答えるのが正当なのであろうが私には期待されるべき「おフランス」のオーラもないし、人生遍歴を吐露するのも苦手で、かつそんな大した人生でもなし、、、と悩むほどのことでもないのだがなかなか面倒に思う。
かつ「フランスではどんなですか?」なんて話を振られると正直「どうなのかな〜?」あまりにも知らないことが多すぎて自分自身呆気に取られるほど。そこで突然「タコの話ししませんか?」だと怪し過ぎ(笑)🐙😅

匂いの源泉
それでどこへ行ったかというと目的地は雲仙地獄。ブツブツ吹き出す地球の息吹が大好きで。フランスでは味わえませんから。
 
悪天でバスは霧の中、バス停から前にぼんやり見えた宿に直行してその廊下を歩きながら鼻がピリピリ、咳き込みゴホンゴホン、このホテル危ないんじゃないかと心配になるほど臭い。眼、耳、頭脳、なにをとっても最近覚束なくなっているのだが実は何故か嗅覚だけ敏感になっていて、日本の街では消毒材の匂いが文字通り「鼻に触る」ことがしばしばなのだが、泊まったホテル内だけでなく町中危ないところが多く(風向きによって変わる)、そして私自身は温泉に入りすぎた結果、自分で自分が臭くなった。帰路、島原駅に降り立った時に駅のおばさんに「わかりますよ、硫黄臭いですから」と言わたほどだが、熊本行きのフェリーに乗ったらもっと臭う。結局温泉に行った全員が発臭源となりその香が漂い続けているのだろう。まあ臭い代わりに肌はスベスベしている気がする☺️
 
島原の町は背後に火山が迫り海があって私の南太平洋への夢想をそそるものがあった(行ったことないから😄)そして町の真ん中には白い外観の美しい城(1964年に再建された「新築」)が立つ。雨でとりあえず入ったこの城中、有馬氏の南蛮貿易時代から隠れキリシタン、島原の乱などにまつわる陶器、彫刻、絵画を含めた史料が展示されておりなかなか興味深かった。
えっ、これが織部!?
私としてのびっくりの発見は、郷里の愛知に近い美濃で生まれ信長・秀吉に仕え利休の後継者となったとも言える織部焼で有名な古田織部の作った写真のような南蛮風の燭台。織部は秀吉の九州征伐+朝鮮出征の供をして九州まで来ており、朝鮮から連れて来られた陶工(秀吉の前の倭寇時代から)が伝えた技術で栄える唐津焼の技術を織部は美濃に伝えたのが織部焼として結実したらしい。かつ織部好みの灯籠というのがあってこれは土に埋もれる部分に十字架が隠されている! う〜む、この時代の茶の文化を中心にしたルネッサンスを思わせる文化の開花と古田織部は私には謎の多いテーマで勉強要。
 
ところでルネッサンスといえばボッティチェリでもボッシュでも絵画的にいえば天国より地獄の方がドラマチックでアクション満載でずっと楽しめるからここでも私は地獄ファンなのだが、現実となると想像するだけで身の毛もよだつ。実際宗教戦争下のヨーロッパの現実は地獄の光景遠からずだっただろうが、雲仙地獄では現実に踏み絵を拒否した島原のキリシタンは拷問の末あのグツグツした地獄に落とされた!
私なら躊躇なく踏み絵を踏むし、拷問されればあることないこと言ってしまう(そんなことウッディ・アレンが映画多分アニー・ホールで言っていて昔大笑いした覚えがあるが本当です)。信仰なき私には全くわからない。同様に拷問する方の精神もわからない。屈辱を与えて優越感を得る輩がいることが全く恥ずかしい。
そういうことは一生無縁だろうと思っていたが「スパイ法」なんてものができたらわたしも質の悪い下級憲兵に糾問されるかもしれない。 明日貴方の住む町が戦場になっていたら誰もがそれを受け入れるのだろうか(それに慣れてしまうのだろうか)? そうならない前に専制、戦争への歯車に小石でも砂利でも投げ込んで動きを妨げるしかない。
 
宣教師がヨーロッパに惨状を伝えるために作った版画

マリア観音

キリスタン文化が栄えて頃の陶器。十字架はデザイン化しやすい?
 
話は変わり、下の写真の灯台のような八角形の塔は最上階には天竺の如来像が安置されているという「天女塔」。1990年に建立されたが資金の多くは東南アジアの「からゆきさん」の浄財によっており、塔を囲む石柱などには彼女らの名前と寄付額が刻まれている(詳細こちらを参考に) 
 
天草四郎で有名な島原の乱も元々は百姓一揆。貧農地区の島原の歴史はかわいそうすぎる。だから一人の人間として認めてくれたキリスト教を信じ殉教できたのかもしれない。
 



最近戻ってきたパリ、私には不気味なほど静かな感じがしていて、何やら不安を感じる今日この頃。 ただの春の和らぎならいいのだけど。
 
ところで文化人武将として幸せに生きたように思われる古田織部、関ヶ原では東軍についたものの後家康に嫌疑を持たれ切腹を命じられました。。。
 

2026年1月14日水曜日

マダムの見た行く年来る年

「あれれ〜、こんなにブログ書いていなかったのかな?」と自らびっくりだが、お正月にお客さんを迎えた私の今日のトピックスは「日本ではリチュアル(宗教儀式)が生きているか?」

年末年始パリから太秦に遊びに来た老マダム(実は私とほぼ同じ歳😅)、このおばさんはかつては殆ど日本に興味を持っていなかった。多分タイ、ベトナム、台湾、韓国、日本の位置関係もわかっているかも甚だ怪しかった(今は少しは認識したとは思うが、、、)。フランスでは一般教育の内容が日本と大いに異なり、高等教育を受けていてもとんでもなく地理歴史を知らない人が多くて呆気に取られることがよくあるのだが彼女はまさにその例。(日本は日本でその暗記主義の地理歴史はとんでもない教育と信じていたが、一応なんでも「名前ぐらいでも知っているは役に立つこともなきにしもあらずか」とこういう人に出会うたびに思うようになった😅)

そんな彼女とは数ヶ月前までは「なんでみんな行くのかね〜?」と近年フランスの日本旅行ブームを斜視しつつ話していたのだが、「年末ヴェカンスに孫も(大きくなって)遊びに来てくれなくなった」と寂しそうにいうので「それなら京都に来れば?」と口が滑ったのがそもそものことの始まりだった。そのまったく日本に興味を持っていなかった彼女、そのマダムが見た日本は? 

結論から行くと多分全ての仏人旅行者と同じく彼女にとっても「日本は素晴らしい国」だった。

彼女が一番感心し何度も私に繰り返し言ったのは 「日本はリチュアルが生きている!」
 

年末年始の神社仏閣、特に大神社に行くと数えきれない提灯が吊り下げられライトアップされていて彼女を圧倒、それに書かれているのが寄進者の名前でまずびっくり、一升瓶や酒樽も積み並べられていてこれにもびっくり。「これ神主が飲むのか?」マダムには神社はとても陽気な空間として映ったようだ。(笑)
それに列をなして参拝する大勢の人、人、人。(もちろん渋滞状態になるような場所、時間は避けたが) 
 
私はリチュアルと言われるとそうはそうなのだが、マダムが想像している「宗教儀式」という概念とはかなり相違があるのではないかと思う。除夜の鐘、初詣などは宗教儀式と言うより年中行事。信心、つまり神や教えを信じてというほどのことはなく、おみくじを引いたり縁起物を買ったりするのを楽しむ、言ってしまえば娯楽、余興プラン。引き述べては旅行プラン。江戸時代からの落語や膝栗毛のねたになっているお伊勢参りはいい例だ。ヨーロッパでは十字軍の時にヴェニスの商人が聖地巡礼旅行を企画したのがパック旅行の始まりと聞いたことがあるが、行楽は宗教を凌駕するのは世界中どこでものことだろう。
 
その点私も弥次さん喜多さん、熊さんとかわらない。マダムを連れて大晦日に八坂神社へ行き、縄を1000円で買ってお金持ちなのに結構財布の口が硬いマダムに信心ぶりをアピールし(笑)、長蛇の列をなして火をつけてもらったすえに(何度も曲がる列の中で「どのぐらいかかるのかな〜」と話をしたお兄さんが知らぬ間に偵察に行ったらしく「裏の方でも火もらえますよー」と親切にも教えに戻ってきてくれて😇そちらに行って点火、「これを家まで持って帰ってかまどに火をつけるのだ」とマダムに説明し実行!「これ持って列車乗っていいのかな」と縄を売っていた人にきいたら「大丈夫だと思います」と安請け合いされて「さすが歴史の街京都!」と私は感心、マダムは火事の元になるようなことが正月の行事としてまかり通るなんてことは信じられないとまたまたびっくり(それもそうだ😅)。
 
 
まずは人並みの中を人に気をつけながらも火を回しつつ歩き、まずは阪急電車に。列車の中で若いカップルに好奇の目でみられ(結構匂いもするし)、隣に座った青年にきかれて「をけら詣り」の説明(という私もマダムのために復習した一夜漬け知識にすぎないが、若い人たち意外に全く知らないことが発見だった)*
そしておっとりしたチンチン電車の嵐電の駅にたどり着きほっとしたら、なんと「煙が出ていると発車できません」と運転手に火を消すよう言われ〜、もちろん歩いて帰るなんて信仰心はないのでこれにて冒険終了。いつもヘラヘラしている私の落胆ぶりはマダムにはっきりわかるほどだったようだ。
 
大晦日にあれだけの人出があるものの京都ではパリのように深夜運行バスがないのは不思議。(勿論バスは列車以上に火の持ち込みは問題外だったろうが)
それはさておき嵐電で家に戻りマダムがフランスから持参したシャンパンを開き、「きっと沢山のお寺の除夜の鐘がきこえることでしょうね」と以前知り合いに言われていた我が家の自慢のバルコニーへ。でも不思議にほぼ全然聞こえなかった?!?
 
をけらの火は使えなかったが翌朝は家の近くの和菓子屋の特製の餅を使って京都風に白味噌で雑煮を作り、元旦はこれで始めるのだとマダムに言ったが彼女はコーヒーをいれた(笑) 
 
その後晦日の駅のプラットホームで火を消させられたのがまだ心残りだったので、同じ神社だからいいかと近所の俗称「蚕の社」へ行って再点火することにした。ここは普段人っ子ひとりいずひっそりとしてオカルト的な謎めいた雰囲気も漂って大好きなところなのだが、元旦は鳥居からとは言わないまでも域内の半分以上まで続く参拝客の列ができていた!いつもは涸れている非常に稀有な三面鳥居で囲まれた「祀られた泉」からも水が湧き出し水路に水が流れ、来た甲斐があった。これを写真に撮るおばさんをするにまかせていたら私は皮肉っぽく咎められた。 やはり信仰は生きているのかなー?
 
八坂神社のみならず松尾大社や散歩で出会う数々の神社では健康を、えびすさんでは商売繁盛、縁切り祈願の石も潜り、勿論タコ薬師のタコを撫で、京都に来てますます節操もなく神仏様を当てにしている。特に最近命以外のものはすべて何処かに置き忘れてきてしまう傾向があるので、、、。ひょっとするとその所為でマダムは背信者エイゾウの中にも意外な信仰心をみたかもしれない?
 
 
* 注(Googleより)
 
「をけら詣り」とは、京都の八坂神社で大晦日から元旦にかけて行われる、一年間の無病息災を願う伝統行事です。境内の「をけら灯籠」から「をけら火(白朮の香りのする火)」を吉兆縄(きっちょうなわ)に移し、火を消さないように回しながら持ち帰り、その火で雑煮を炊いたり神棚を灯したりするものです。 
 
説明を最後まで読むと「現代の注意点」としてこんなことが書いてあった。ハハハ!
  • 近年では、公共交通機関への火の持ち込みが禁止されているため、火を消した後の火縄を持ち帰る形が一般的です。 
 
私の去年の京都で初めての正月(除夜の鐘と餅つき)はこちら😄

2025年10月2日木曜日

牡蠣拾い エクス島の日々

エクス島(Ile d'Aix)の滞在はなかなか面白かった!
毎日海岸を歩き、スケッチをしたり宝物(=貝殻や穴のたくさん開いた石)を探したり、天気が良くて遅ればせながら今年初の海水浴もできたし、、、それに我が人生初めての経験としては、「転がる牡蠣」を採取してほぼ毎日それを食べ、、、 
 
岩は牡蠣に覆われ
 
「転がる牡蠣」とは島で習った言葉 "les huîtres roulantes" の直訳。普通は岩にしっかりくっついている牡蠣が何かの拍子で落ちたり、養殖場から波にさらわれたりして海岸に達し、岩の間の水たまりに転がっているものがそれで、私はこれを拾いに行くのが島滞在後半の毎日の日課になった(笑)
エクス島の海岸の多くは浜辺にも岩にも牡蠣の貝殻にあふれていて、牡蠣が沢山いたから養殖が始まったのか、養殖があってそれから流れて牡蠣が海岸にいっぱい生植することになったのかよくわからないが、オイスタースポットは岩肌が牡蠣だらけ。それに私と趣味を同じくする海鳥たちがたむろしているからすぐわかる。もし岩から牡蠣を剥がすハンマーナイフみたいなものがあったらあっというまに膨大な量を取れるだろうが、それのない私は水底を観察し、海藻の下をまさぐり「転がる牡蠣」を拾う。 

こういう岩と岩の間の水たまりに転がる牡蠣がいる。沖に見えるは後述のFort Boyard
 
牡蠣は自然に幾つもがくっ付き合う習性があって、そんな複合体や海藻やフジツボがいっぱい付着した野性味あるものなら結構簡単に見つかるが、商店に並ぶような平らな単体の牡蠣を見つけるのはなかなか難しい。しかしその変な牡蠣を開くのが結構面白かった(実は「牡蠣が島の名産だけれど私は開けられない」というこの島でアーティスト・レジデンスをできることになった友人画家に言われて「それでは」といつも使っている牡蠣開け用ナイフと手袋を持参してレスキューに行ったのだったのだ😄 その時点での牡蠣は養殖業者で売っている牡蠣だったのだが、、、)。毎日やると変形牡蠣を開くのも結構早くなる。けれども薬局すらもない小島で怪我するとやばいので慎重にゆっくりと眺めて楽しみながら:そんなに数食べられないし→一応これは前菜で毎日その後に炭焼きのバーベキューが待っているので。
 
と書くと別天地だが、実際には島の住民があまりにも少なすぎてか、港で漁師が魚を売るとか、島で野菜を栽培直売する店もなく、これにはがっかり。 島唯一の小スーパーの価格はべらぼうに高く、島民も島のレストランもすべて大陸で買い出してくるようだった。私がよくお邪魔するユ島(Ile d'Yeu)のぐらいの大きさがあり、ある程度の市場規模がないと現地直売経済が成り立たないことを実感した。 つまり私の牡蠣拾いは生活防御だったのだ😅
 
砂浜の小さな岩にも牡蠣がひしめきシュールな光景が
 
養殖はこういうプラスチックのトーテムに牡蠣をくっ付けるらしい

 
牡蠣の話はこの辺にして以下少し島の説明 :
 
エクス島がどのぐらい小さいかというと:人口は200人足らず、弓形をしていてその端から端まで3km、幅も600mしかないので、2〜3時間もあれば徒歩で一周できてしまう! 

島の名前からフランス人でもエクサンプロヴァンス(通称エクス)の名に惑わされて南仏の島だと思うのだが、パリから南西に向かった大西洋岸の都市ラ・ロッシェル La Rochelle から船で1時間強(もっと海路の短い他のルートもあるが不便で自動車族用:島内はノーカー、観光客は大陸の駐車場に車を置いていくシステム)
 
ユ島もそうだが、フランス南西部は13世紀以降イギリスの侵入を受けた地方で、この島も大陸を防御するための要塞が築かれた。そしてアラン・ドロンとリノ・ヴァンチュラ主演の映画「冒険者たち」や、フランスではテレビの競技娯楽(?)番組で有名な、これこそまさに要塞島のFort Boyardも東海岸の沖にある(以下の観光局のヴィデオをご参考に)
 
歴史のエピソードとしてはワーテルローの戦いで破れたナポレオンが南大西洋のセントヘレナ島に送られる前に滞在し、ナポレオン博物館なるものもある(牡蠣拾いで忙しく(?)私は行かなかったが)。
 
勇壮ないでたちで小海老を撮りに来た漁師たち。でも網の中を見せてもらったら1匹だけ。趣味なのかな〜?

この地方特有カルレという網漁の小屋。これも漁している時はお目にかからなかった。(もちろん写真は干潮時だが)
これはオイスタースポットの反対側の長い砂浜
 
 
 上空から撮影された観光局のヴィデオです


こちらは私のデッサン。インスタ京巴ページに投稿中で他にもあります 

2025年8月16日土曜日

16世紀の城の現代美術、オワロン城

気温が37度になると人間の吸う息の方が吐く息より低くなるのだろうか。つまり人間は外気に対しクーラーになるのだろうか??? フランスでもそんな暑さになることがあるようになりました(ただし我が地下アトリエは快適ですが)残暑お見舞い  
 
ここからが本題:

「初めてビートルズのサージェント・ペパーズを聞いたときの感動は一生忘れられない」と言う友達がいたが、彼は私よりいくつか年齢が上だし英語ネーティブだからまさにエポックメーキングなイベントに出会った感動というのがずーっとあるのだろう。

美術展に関しての私のそうした感動は1989年の「大地の魔術師たち(Magiciens de la terre)」にある。これもその時代を経験をしないと、つまりその以前と以降の空気を肌で感じていないとカタログを見たからと言ってその感動は伝わらない。とはいえ各人個人史の違いがあるからをその時サージェント・ペパーズ聞いて感動しなかった人も「大地の魔術師たち」をみて感動しなかった人も大勢がいるのは当然だが。

まあともかく 「大地の魔術師たち」はその後の美術展の一つの節目、融解点であり、その後はかつての美術展のフレームが溶けて色々な方向に流れ出したように私には思われる。

その融解零度の感触を守った感のある場所がフランスの何処とも説明しがたい片田舎に忽然と立つルネサンスのお城にあった! それもそのはず、そのコレクションの基礎は「大地の魔術師たち」のキューレーターだったジャン=ユベール・マルタン Jean=Hubert Martin によるものだからだ。 

 



「軍隊の間」(パノラマ写真)
 
16世紀の天井画 

そのChateau D'Oiron(オワロン城)、その現代美術はおフランスの国立コレクション、つまり国立美術館なのだが、周りはほぼ真っ平らな畑が広がり近辺にこれといった街も観光地もない田舎で、知る人ぞ知る(?:実は私も最近まで知らなかった)。車でしか行けないのだが8月で駐車場の車の数が指折り数えられる程度だったからよっぽど興味を持つ人以外は来ない。(このままだと好き勝手言いたい放題の今の嫌な女性文化大臣に予算をカットされてしまうのではないかと心配になってしまうので非力ながら宣伝致します)

ここは16世紀に栄えた地方領主のお城、その頃はラファエロとかその時代のアートのコレクションがあった。その盛衰は歴史通でなければチンプンカンプン😅、有名どころとしてはルイ14世の寵姫のモンテスパン伯爵夫人が凋落後この城を買って最晩年に住んだ。 

それはともかく国が1943年に廃墟化していたこの城を買いフレスコ画や装飾を修復し、今やなかなか絢爛。だからポンピドーセンターとヴィレットというニュートラルな展覧会場で開かれた「大地の魔術師たち」とはかなり趣を異にするはずなのだが、ここでは城の建築も含めてキャビネ・ド・キュリオジテ的な融合というマルタンさんのエスプリがどっぷり。このコレクションが立ち上がったのが1993年だから時代的には「大地の魔術師たち」のすぐ後で、おそらく展示品も重なっているものもあると思う(確証なし&記憶に自信なし)。

アーティト側からそれに応えて作った作品もある。例えば2階に上って最初の大広間 「軍隊の間」、この立派な装飾豊かなサロンにはかつてルイ13世時代の戦争の英雄の絵が飾られていたらしいのだが、今ではそれを漫画化したような辻褄のない物品を組み合わせて作った可笑しな鎧のようなオブジェが飾られている。それら自体はそれぞれかなりゴタゴタしたものなのだが、空間の広さもあってか不思議にあっさりと極彩色の天井画と調和している。これは食事後のテーブルをそのまま固定した作品で有名な Daniel Spoerri で、ちょっと意外なようなやっぱりのような(笑)

この投稿の一番最初の百姓一揆みたいなBraco Dimitrijevicの作品もここだけのサイトスペシフィック。 

こんなふうに書いていくとキリないし、大きな空間の展示は写真も難しく、その場のハッとする感覚がでないのでごく簡単に終えてしまおう。ともかく見るものたくさんあって3時間以上いたけど最後は多少端折り、、、というのもここはカフェテリアとかいう洒落たものもなく近くの村もほぼ何もなし、じっくり長期戦するならお弁当持参で庭でピクニックしかない!


 

インスタで上げた写真は:

最初の動画はランプをワイングラスの影に映し出すBill Culbertの作品

次の写真二つは先の述べたDaniel Spoerriのアッサンブラージュで、動画は「軍隊の間」全体

「王の間」のイカルスの墜落がテーマの17世紀の天井画、その次が「美の女神達の間」 

Thomas Grünfeldの怪物

鏡の中で青い曲線が円になるFelice Varini

Tom Shannonの反重力彫刻

Charles Rossのレンズを通して太陽光が木を焼くのを毎日記録した作品  

オワロン城に招かれて食事した人のプロフィルが青線で描かれたRaoul Marekの作品

足で絵を描く白髪和男と川名温の日付画があったのはちょっと意外だった!

最後は私が苦手とする Marina Abramovic、クオーツのバイブレーションを感じて心の旅に出てくださいって、、、石の枕、痛いだけで何も感じないのですが

 


結局ここを私が非常に気に入ったのは史料では計り知れない「大地の魔術師たち」の「あの時」の新鮮味が保たれていることがあるのだが、単にノスタルジーを超えて私はやっぱりサイトスペシフィックな作品が大好きなのだと自ら確認するに至った。10年以上続けた海水ドローイングばかり続けてきたが、少し転換の兆しあり?や否や?

 

参考

オワロン城のサイト https://www.chateau-oiron.fr/

その中の現代アートコレクション Curios & Mirabiliaは https://www.chateau-oiron.fr/decouvrir/la-collection-curios-mirabilia

 日本語での簡単な解説:https://artscape.jp/artword/6068/

「大地の魔術師たち」とマルタンさんに関しては過去の投稿で書いています(ただし他のサイトに画像を頼っていたので絵抜け状態)


オマケ:YouTubeにこんなのもありました。Shannonの反重力彫刻の設置の様子です。 ちょっと面白い
 

 
最後にJames Lee Byarsの一角獣の角
 

 

2025年7月1日火曜日

充実のヴェニスの報告

Rapport de mes activités à Venise en mars (période de séjour : du 17 au 31 mars). 
Si vous ne comprenez pas le japonais, veuillez regarder la vidéo ci-dessous.
 
遅くなりましたが3月のヴェニスの報告(滞在期間:3/17〜31)
 
2022年8月にイタリアのエルバ島 が第1回目、続いて23年6月に第二回目をブルターニュで開催した「水」のテーマのフェスティバルの「アクアムール(Aquamour)」*、今回は飛躍的大躍進でヴェニス!!! それも飛行場を降りたら自動歩道に沿った壁にアクアムールの宣伝がズラーっと並び、こんな派手なことって私には生まれて初めてだからきわめて単純に気分高揚。私どころか企画のBさんもビックリ!

Bさんが連携を組むことになった大きな組織の会長さんともローバジェット・フライト(笑)で出会い、飛行場からこれも生まれて初めてのタクシーボートでまたまた気分高揚。ヴェネチア本島に着く頃には夕闇の帳が下り、ボートを降りた運河沿いはどこかもわからぬままBさんの後を追って歩いたらユーモラスな感じもする白い巨大なライオン像が突然目の前に現れた。その横には海神ネプチューンがずっと控えめにおり、これがアルセナル(軍港)の入り口と知ったのは翌日になってからだった。つまり私とBさんの宿(2部屋のアパート)はサンマルコからずっと東の運河を入り込んだ庶民的地区で(といえるかどうか?オーバートゥーリズムで実際には本当の庶民は大陸側から通ってくる)、ともかく観光客は中心街とは比べ物にならないほど少なく本当のヴェニス発見(?)
 
かつ私は作家としては一番乗りしたので私はその翌日から荷物運びを手伝うはめになり、小さなボートで朝も晩も運河を移動(車のないヴェニスの物品輸送はボート頼り)、乗ったことのないゴンドラも乗る必要はあるまいというほどヴェニスの路地道である水路側からの「水の都」も楽しみ、どうも今まで違和感を持ち続けていたこの街がはじめて「また来てもいいかな〜」と、、、つまり好きになった。
 
で、展示の方はというと、あなたの壁は3x4mぐらいと言われていたので大きな作品を二作並べようと思っていたが、問題は輸送。タカを括っていたのだが結局誰も車で行く人はいない。自分の自信作をチューブに入れてイタリアへ送るというのは紛失破損の可能性を考えると全く考慮外(日本の宅配のようには全く信頼できない&美術品専門の輸送会社に頼む予算はないし)
 
そこで思ったのはフライトの荷物に入るサイズのドローイングをアッセンブラージュして大きな作品にする。ちょうど5月の修道院の個展の展示作品のチョイスすることもあって昔の作品も色々引き出して見ていたから、「これはもう飾らんな〜」というドローイングの数々を破ってパーツを制作(?:これは描くよりよっぽど速い😅 ただし少しは加筆したものもある)、そしてどんな感じになるかアトリエの床に並べてシミュレーションした。我がアトリエの床はブルーなのだがこの背景色は白い紙片を浮き立てるし、それ以上にヴェニスの運河を思わせる効果があるではないか! それをちゃんと写真を撮ってパーツに番号を振った。
 
もちろん現地でその通り作れるはずも作ろうとも思わなかったが、右の「設計写真」を見た展示スペース担当者には「さすが日本人」といたく感動され、、、本当に何が他人を印象付けるのかはわからないものだ。
 
会場は長く使われていなかったかつての町工場跡でレンガ壁の状態はボロボロ、ロールペーパーを垂らして青の背景色を作るのは大正解だったが、その巻紙は日本のお店で瀬戸物などを包むために使われていた細かく切れ目が入っていて形状が変わるもの代物。波みたいにもなるから使えそうだなと目をつけた→アーティストは毎日ブラブラ何もしてないと思われるがちだがいつも制作のことを考えている人種なのです。百円ショップでもあったけどひょっとするとこれは日本にしかないかもと買って持って帰ったが計算を間違ったか完全に壁を覆うには足りなさそう。ネットで探すしかないがフランス語でなんと表現したら見つかるのかと頭を捻り、、、見つけました papier d'emballage en nid d'abeliile 蜂の巣型包装紙というんだって!(でも実は日本でもそんな名前だった😅) クラフト紙製しかないから青にするためスプレーを買って、でも一缶では足りなくて、、、なんてことを出発前日までしていてやっとこさ着いたヴェニスでの前に書いた飛行場の広告は一際感動だったのだ。(後談になるが、実は街の中には広告皆無で関係者以外で知る人はいない。すごい一大イベントのように見えるがこのようになんかちぐはぐな不思議なフェスティバルなのだ)
 
展示の話に戻ると、2日はかかるつもりだったのが壁は言われていたほど大きくはなく、また会場での手伝いもあってほぼ半日で終わってしまった! 

 
 
 
この作品はヴェニスの人は明らかに私が運河と埋立地のヴェニスを意識して作ったことがわかり、また関係者には新たな企画で挑戦だったので驚きがあり概して好評だった。 
 
そして2週目はアーティストが持ち回りで毎日展示会場にいなければならなかったはずが、ちゃんと若い学生さんが雇われていてそれからも解放されほぼ完全ヴェニスでのバカンスになったのだった😄 
 
 
ここで自己中にならぬように同じ部屋に飾られたアーティストの作品を紹介すると:

 
(上)Paolo della Corte:彼は写真をラグーンの水の中に何日も浸からせて色々なものが付着するにまかせる 
 
(下)Perrine Angly:私と同様彼女も毎回出展だが、前回とは違うトレーシングペーパーの両面にドローイングした作品を窓に貼った。
 

会場風景:真ん中は Federica Tavian Ferrighi のラグーンの島で育てた草木で染色して作ったドレスのインスタレーション
 

 先に書いたように今回はブラブラ街を歩き回り
 
 
 
消された落書きが微妙

美術館には行かず教会めぐり
 
 
サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会(Basilica di Santa Maria Gloriosa dei Frari)
のティッチアーノの巨大な「マリア昇天」
 
 




ここにベリーニの聖母子像があったのが1993年に盗まれたそうです(Madonna dell'Orto 教会) 
イタリアらしいというかこの空の額になぜか感動(多分現代アート病に毒されてているからかも?) 

 

大発見は Scuola grande di San Rocco のファンタジックでかつ力強い木彫群でした!


 

今回は遅れた報告なり見応えあったでしょう (笑) 

 

* 参考過去投稿: 

エルベ島でのアクアムール

ブルターニュでの第二回アクアムール 



 

2025年3月2日日曜日

命の次に大切なものをなくした〜

日頃「命の次に大切なもの」と言っている「滞在許可証」、こともあろうにこれを落とした!*

携帯にモバイル搭乗券なるものがあり、家からパリの空港まで荷物を運んでくれるANA+クロネコの「手ぶらサービス」なるものを利用しているのでゆっくり羽田に到着、ANAの機械でモバイル搭乗券を読ませたら「存在しません」というような答えが出てきて、変だなーとパスポートを引っ張り出しスキャン。でも答えは同じ。さっぱりわからんから近くにいた係員に尋ねたら、ははは、そこは国内線カウンターだった! 
国際線は2階でそこで同じことを機械相手にしようとしたらモバイル搭乗券が入ったメールが見当たらない。どうも携帯の変なところを触ってしまったようだ。pcには入っているが、、、で紙の搭乗券を出してもらうことにした時には場内で「パリ行き最後の搭乗受付です」なんてアナウンスがあって、今までの余裕はどこぞに消え、慌てて「人のいるカウンター」へ。まあ私にはこの方がよっぽど楽だ。
 
荷物検査などを通過しゲートに行きつつふと気がついたのはいつもパスポート入れに一緒に入っている滞在許可証がない。服のポケットにもナップサックのポケットにもない。国内線でも国際線でも機械に読み込ませようと思った時は絶対にあった。そのあとパスポートを出したのは紙の搭乗券をプリントしてくれたカウンター。その時もあった。
 
情報センターに行って探してもらったが落とし物にあがってきていない。青ざめてしまったがともかくはパリ空港までは行くしかないよな〜、命はあるのだから。
 
フライトのゲートの係員にまたこれこれしかじか、、、なんとその間に落とし物情報が上がってきた! あーやれやれ、その後数分で手元に届いた。関係者の皆様に感謝の言葉がありません🙏
 
パリに着いて入国審査でこのいわくつきの許可書を出したら、我が内心の安堵も知らぬ審査官に「スゴイってどういう意味だ?」と尋ねられ、ああここはフランスだと実感!この気楽な審査官も滞在許可証なくしてたら厳しい尋問するのかな???
 
ところでパリまで勝手に運んでもらった旅行鞄だが、フライト前日にクロネコから「コロコロが壊れまして、、、」という電話があった。当然一つなくなっているのだろうと思い込んでいたのだが出てきた鞄にはコロコロがちゃんと4つある。きつねにつままれたよう。報告を受けていた空港係員がコロコロを入念にチェックしてみたところ一つが引っ張ると浮き出すことがわかり、あーこれか:つまり知らなければそのまま引っ張って行けそうな不具合。クロネコさんは修理したら代金を払い戻してくれるということだったが、パリの13区の中華街で買った素性の知れぬ既に何年も使ったこの鞄、修理するほどのことがあるのか甚だ疑問。空港側はここで修理するという。でもすぐにはできないから同じようなサイズの鞄をもらいこれに荷物の入れ替え。空港係員も私同様の疑問を抱いたのだろう 「この鞄を引き換えにして古いの廃棄してもいいのですよ」 私「いいいいそれで!」 

文章で書くと簡単だがその間書類も書かされ、色々待ち時間があるからこの成り行きは時間にすれば30分以上。
 
実は私の使う地下鉄14番線も空港からの近郊線も夜間ストップするという情報をもらって最後の最後に4時間以上の長い待ち時間のある(なぜこんな便を選んだのか?もちろん少し安かったけど。それで着くのが遅くなる)フランクフルト経由便から直行便に変更したのだが、空港係員が手薄になる夜10時半過ぎに着いていたとしたらどうなっていたのだろう? それに滞在許可書なしでヨーロッパの国境フランクフルトに着いていたら?? 
変更料払っても変えて良かった〜😅
 
というわけで全て結果オーライ。
企業宣伝など滅多にしない私だが「手ぶらサービス」ってのは本当に素晴らしいです。
しかしそんな便利な日本で一層ボケボケ状態になっているので気を引き締めねば! 


* 注: 滞在許可証は普段はなくすと大変なので必要な時以外持ち歩かないようにしている。
外国人は常にも持ってねばならないことになっているが、警官に要求されても彼らは住所氏名からドキュメントにアクセスできるので顔写真と照合され生年月日ぐらい尋ねられて終わりだ。(それもパリ市内で平常時なら滅多にないが)
このマリアンヌ像の入ったチップ入りのカードはブログにも写真紹介済みだった(笑)


内容とあまり関係ありませんが:
これはモスクではありません。旧横浜税関。建築細部も面白い。私大昔に初めて船で渡航した時こんなところを通ったかな〜?
 

2025年1月26日日曜日

若冲めぐり

前々回(12月30日)に書いたオペラハウスギャラリーの松谷さんの回顧展も最終日に滑り込みだったが、先週の日曜日も最終日に滑り込み。こちらは京都嵐山の福田美術館で、私の今の日本の拠点からすぐ近く。しかしこの展覧会のタイトルはとてもとても変だった:
 
 「京都の嵐山に舞い降りた奇跡!! 伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!」
 
これってマジ? 私のような者は行く気が萎えてしまうが、これで若い人が呼べるのか??? そういえば昔「絵画史上最強の美少女」とか書いてある宣伝にもびっくりしたが、、、。何でも笑えればいい? 日本国は謎だ。
 
でもこの展覧会に行った人がFBに写真を上げていてこれが「マジ」そうな展覧会で、、、だから自転車で行きました(嵐山は太秦からすぐ。でも表参道みたいな感じのすごい人だからいつも敬遠していた)
 
若冲は綿密な描写の華麗な色彩画で知られるが、この展覧会では水墨画が多く、つまり当然白黒で筆使いも大胆、個人的には私の海水ドローイングも通常のテクニックとは違うとはいえ水墨画の一種(?)だからこちらの方がずっと興味をそそるし、参考にもなる。右写真の魚のうろこ、濃い墨が先で後で細筆でスイスイと墨を吸い取ったのだと思うけどどうやったのかなー? 若冲の発明みたいなこと(=その時代に彼以外できる人はいなかった)解説に書いてあったけど。
 
若冲に多大な影響を与えた清の沈南蘋(しん なんびん)の花鳥画を広めたと言われる、今まで私は知らなかった鶴亭浄光という長崎出身の坊さん絵描き(かつ彼には号が幾つもある)の水墨も紹介されていたが、大胆で非常に面白い(リンクのインスタの最後に7枚目と8枚目)
 
 

 

「激レア…マジ?!」ばかりか福田美術館は客引きに必死のようで、コピーよりはオーソドックスだがファン参加型でかつ副館長さんが「エモイ」なんていう私のよくわからない言葉を使うyoutubeも作っていた。
 
 
 
そしてこの開館5周年という新しい美術館、桂川の名勝渡月橋を眺めるこんな綺麗なカフェもあるのですよー。
宣伝してるようですが、実は「一体ここ何なのかなー」とますます不思議に思ってウィキで調べたら創始者の福田さんは取立てが厳しくて問題になった民間金融業で財を築いた人だとかで、、、
 
美術品の価値は下がらないけど、う〜むですね。
 
 
この若冲展の話を美術通の友達に話したら「相国寺の承天閣美術館の若冲の襖絵も見なさい」と教えられ、早速美術館をググって見ると「この展覧会も終わるではないか!」
いそいそと今日見に行ったのだが、茶具が並び何だか変だ。それもそのはず、私が見たのは去年のこの時期の「若冲と応挙」という展覧会の情報だった! 
でもここには若冲の手になる鹿苑寺(金閣寺)の大書院の一部(壁や畳、床の間など)を復元して展示していて、これは移動不可なので常設。つまりその2つの大胆な水墨の大襖を堪能して戻ってきた。これは撮影不可だったので承天閣美術館を紹介したこのリンクをご参考に。これがいつでもみられるというのはいい!
 
最後に福田美術館にあった変わり者の禅僧の白隠慧鶴(ウィキ)の掛け物「金棒図」 。もうこれ現代美術ですね♪
禅 vs コンセプチュアルアート は面白い企画になると思うけど
 

 そう言えば7年前若冲の代表作パリに来たのです。大人気でした。その時の投稿はコチラ