2015年7月28日火曜日

Le travail progresse - pas vraiment

これは7/24と7/10の掲載をフランス語でまとめたものです

Un grand dessin de cet été
Pendant la canicule, j'ai repris "le dessin à l'eau de mer" dans le style le plus pur : le travail de cristallisation du sel sur papier (sans encre de chine), parce que la chaleur accélère l'évaporation de l'eau, ainsi les cristaux se forment très solidement. Il s'agit de travaux monochromes : blanc sur blanc, la forme apparaît selon la lumière.
Donc, cela nécessite la recherche de formes symboliques évocatrices qui correspondent à cette matière essentielle à la vie(voir les photos du 02/07 aussi). J'en ai rencontré assez rapidement la limite, même si j'ai eu quelques résultats satisfaisants. J'ai commencé à répéter des motifs tournant aux poncifs...  Par ailleurs, ce qui est fatal pour une œuvre en "blanc sur blanc", il faut absolument éviter que des poussières noires tombent sur le dessin. En fait, je veille sur le dessin toute la journée : lorsque j'en vois, je les enlève délicatement, mais parfois cela perturbe le processus de formation des cristaux, et l'uniformité des grains de sel pourrait être détruite (voir la photo dans l'article du 10/07). Pour que j'obtienne un résultat parfait, il me faudrait travailler dans un labo hi-tech hors poussière, et revêtu d'une combinaison spéciale..., je ne suis pas certain que ça m'amuserait.
 
À propos, pourquoi des photos des travaux de Jean-Charles Blais se trouvent-elles dans le même article ?  C'est parce qu'en faisant mes recherches de formes, je me suis souvenu de Blais, qui a débuté dans la "Figuration Libre" puis a vite tourné vers l'étude de contours et de silhouettes, ses travaux devenant de plus en plus abstraits. Peut-être a-t-il poursuivi le chemin de Malevitch qu'il adorait dès ses débuts. Personnellement, je ne suis pas intéressé par cette voie, car elle me semble prédestinée aux formes les plus simples possibles...  Donc mon travail, cet été, n'avance que très difficilement.


dessin / toile
Au printemps dernier j'ai aussi commencé à dessiner à l'eau de mer sur de la toile en coton. Elle réagit très différemment du papier par rapport à l'eau et à l'encre, et j'ai réussi au moins un dessin (photo).

Par contre, actuellement, je travaille uniquement sur papier. La toile ne peut retenir que peu d'eau qui s'évapore trop vite, ce qui ne me permet pas d'élaborer mon dessin. Mais qu'est-ce qui se produirait si on dessinait avec de l'eau de la Mer Morte sur la toile? C'est la question que m'a posée une amie en écoutant mon radotage artistique. En fait, les dessins sur papier faits, l'année dernière, avec l'eau de la Mer Morte, ne sèchent jamais(photo). D'ailleurs, en utilisant cette nature (?), j'ai réalisé, à l'occasion de ma dernière exposition personnelle au Japon, un dessin sur vitre composé avec des gouttes de l'eau de la Mer Morte (photo). Elles restaient toujours liquides, toutefois elles changeaient d'aspect avec le temps.

L -gallery, Nagoya
Cependant, quand je cherche à me renseigner sur le web à propos de la nature de l'eau de la Mer Morte, je ne trouve pas d'info qui dit qu'elle ne se sèche pas. Au contraire, la Mer Morte rétrécit et risque de disparaître, parce que l'eau s'évapore plus rapidement que le débit de l'eau qui y entre, ce dernier diminuant à cause des irrigations... Tout ça reste pour moi un complet mystère.

En bref, de retour à l'atelier, j'ai dessiné sur de la toile avec de l'eau de la Mer Morte. La partie dessinée est devenue sombre en ayant l'air d'être mouillée (mais elle n'était pas vraiment humide au toucher). De plus, si on tend la toile vers la lumière, elle la transperce en lui donnant une couleur plus claire. J'accroche ce tableau sur le mur et j'observe son évolution. Finalement dans ce dessin, il n'y a que la forme qui compte. De plus elle pourrait changer. Donc il me faudra, peut-être, renouer avec la recherche de formes. Vive la Mer Morte !



2015年7月24日金曜日

死海の不思議

最近私が人と会って話すことといったら「海水」のことばかり。いったい他人にどう思われているだろうと考えると不安になるが、、、
特に死海の水の話になると、乾かないデッサンの話(昨年の参考記事やLギャラリーでの死海の水の雫でのインスタレーション(参考記事3/12)の話などどんどん長くなる。
 
こんな私の話の馬鹿話を優しく聞いてくれるTさんに、「最近は紙のデッサンだけ。春はキャンバスも試したけれど、この暑さだとすぐ乾燥してしまって話にならない」と言ったら「乾かない死海だとどうなの?」ときかれた。Tさんとはほとんど30年にもなる付き合いだが、こんなに素晴らしい指摘は初めてではないかな〜?(笑)

アトリエに戻ってすぐにやってみた。やっぱり乾かない。綿のキャンバス地に「砂時計」型を描いたところ、そこは濡れたように色が濃くなり(ただし触っても指が濡れることはない)、そのままの状態で3日間。全く結晶の出来る兆候などない。変化と言えば昨日からデッサンの上下部にキャンバスの布にたるみが見えるようになって来た。というわけで毎日観察中。さらに面白いことには、キャンバスを裏から見るとデッサン部分は明るく光が透過する。

7/10の投稿で「形だけの追求」の行き詰まり感について書いたが、キャンバス地に死海の水の反応がこの濃淡だと、以降変化するかもしれないという可能性を含めて、「形」だけがこの特徴を最も発揮させることになり、「形の追求」も新たな意味を持ってくる。一つの突破口かも。

でも不思議。色々検索しているのだが、「死海の水は乾かない」 との情報に行き着かない。それどころか近年は灌漑利用などで流れ込む水が減り、蒸発する水分の方が多くて死海は小さくなり滅亡の危機にあるのだ(それゆえ紅海から水を引くなどの計画がなされている)。いったいどういうことだろう?

裏から
表から

2015年7月19日日曜日

戦争放棄を放棄してはいけない理由

国会の強行採決で多くの方が正論を書いてられるので、私がブログで意見を述べることもないのだが、最近何を考えたかもすぐ忘れてしまうので、自分の覚書きとしていつもどおりの「日仏メガネ」の私の「斜眼」を簡単にノートしておく。

先ず第一に日本の社会はヒエラルキーを尊重し個人の意見を控えるので「軍国主義」に染まりやすい。 そして「負けとわかっている戦い」に身を捧げることへの美意識がある。だから最初から馬鹿げた状況に陥る可能性を完全に放棄しておいた方が良い。

但しこれは私の日本社会に関する知識は80年初までだから、そもそもの仮定が成立しなくなっているかもしれない。

さて、ではおそらく日本人とほぼ正反対の資質を持つフランスが今何をしているかというと、サルコジ時代にはリビア、オランドになってからはマリに「一国のみ」でも軍事介入。それで平和が訪れたかというと、ご存知の様にリビアは過激派の温床となり、逆にその脅威のお陰で戦闘機やミサイル、装甲車などがアラブ国を中心にに売れに売れており * 、それが素晴らしいことの様にTVニュースに流れる。おいおい実戦って軍事産業の宣伝かい?と私のような「ハト派」(これも死語か?)はうんざりされるばかりだが、将来の夢がないアラブ系若者の「反逆心」は大いに刺激されることだろう。
こうして金持ち国には笑顔で商売、しかし小国には渋く、実際リビアと国境をなしテロのターゲットとなっているチュニジアには「民主主義を守る国に援助を惜しまない」ようなことを口では言いながら、要請された国境警備用のヘリコプターを譲らなかった(買わないとダメですって)。 

1月のテロ以降、私の予測を反して人気回復中のオランド大統領
日本も武器輸出ができるようになったし派兵も可能になろうとしている。つまりこういう「一流国?」になりたいようだ。しかしだ、その功罪は別として、こうした正義感と財布を両立させて動じない「厚顔さ」と「狡猾さ」(よく言えば外交能力)は、またまた国民の資質になるが、これも潔癖性の日本人には馴染まないと私は思う(正義感が強いと言うより、表裏を粉飾できないという意味)。まあアメリカ追従一辺倒ならば使われるだけが関の山だから初めから手を出さない方が良い。

そして最後に体力。日本の方には「仏人は働かない」というイメージが強いが、実は頑張り出すとサンドイッチ一つで朝から夜まで働き続け、基礎体力(骨格と脂肪に蓄えられた非常用エネルギー)の相違を見せつけられる。戦争(外交も含め)がテクノロジーの進歩はあれ、結局は構成員の体力が大きな要素にならざるえないとすると、日本人は「弱い」。

以上「日本人の資質」を卑下しているように思われるかもしれないが、全くそんなことはない。「戦争に向いてない」というのは素晴らしいことで、それを生かした政策を実行した方が良い。折角「第9条」という世界が驚くようなプレゼントをもらい、「唯一の原爆被爆国」であることも加わり今まで70年間それなりに「平和国家」たるイメージを世界にアピールし続けて来たのだから、そのすべてを破棄することは全く愚かなことだとしか思えない。

徹底的に戦争を避けることは「フツウ」のことだと思う。それしかできないことは素晴らしいことなのに、それを「普通の国」でないとするのは、紛争があるとしゃしゃりでてくる「各国が覇権論理しか持ち合わせていない」という植民地時代と変わらぬ前提のジオポリティクスの解説の故ではないか? それが「現実」と言われれば私は反論する知識を持ち合わせないが、ネオリベの論理とジオポリティクスはその説得力のうさんくささ(利害対立を常に紛争に結びつけるきなくささ、暴力性?)が良く似ている。


* 特にダソー社 (Dassult)の戦闘機ラファル(Rafale)は、15年来商業的に失敗作とされていたのが、今年になって急変:最新機をエジプトが24機、カタールも24機購入契約、インドは36機契約(加えて126機をも交渉中だったがこれは価格が折り合わず破綻した模様)。



2015年7月15日水曜日

パリ祭のケースマイケル

アンヌ・テレサ・ドゥ ケースマイケル (Anne Teresa De Keersmaeker) は1983年に同僚と結成したカンパニーで作った「ローザス・ダンス・ローザス Rosas danst Rosas」でダンス界に衝撃の登場をした有名なベルギーのダンサー兼コレグラファー略歴。でもその前にミニマルミュージックのスティーブ・ライヒウィキの音楽で3つのデユオと一つのソロダンスの4章からなる"Fase"という作品を作っており、そのソロパートの"Violin Phase"(つまりヴァイオリンのムーブメントです)をケースマイケル自身がを昨日7月14日の革命記念日(パリ祭)の晩、19時半、20時半、21時半の3回、パリの中心部レアールにある大きな教会、聖ウスタッシュEglise Saint-Eustacheで踊った。

私が行ったのは最終回。
皆さん知っているのですねー、ものすごい人気で、、、 8時少し前に教会前に着いた時はレアールの公園に至る長蛇の列。実は「無料」で開演1時間前にチケットが配られることになっていたのです。「まさか入れないのでは?」と疑ったが、偶然列の中に友達を見つけ数十人スキップ、こういう横入りは許すものの入場券は一人一枚限りと言うことで争いもなく無事余裕で入れた〜☺

舞台は白砂、照明はステンドグラスがもたらす自然光、踊りながら円形の花模様が砂の上に描かれてゆく。 
リンクした下のビデオでは、ライヒの音楽に相応しく切れの良いシンプルな動きの繰り返しで、メカニックな感じがしたのだが、インプロが多いのか、あるいは「それが生なら」というものだろうか、ものすごく情動的で、手足、スカートの切り返しに私はフラメンコに近いものまでも感じた。時々熱いものがこみ上げるほどすばらしかったですよ。(ビデオはカメラがいつも動いて撮り方凝り過ぎのような気がする。だが花が描かれて行く様子はよくわかる)


 

その後は教会から徒歩で行けるポンヌフ橋から遠いながらもエッフェル塔を背景に打たれる、これも一夜限りのかりそめの丸い花また花を眺め、なかなか充実した革命記念日の宵でした♫

右の写真の様に終わった時はもう薄暗かった。聖ウスタシュ教会は天井も高くて写真に入りきらなかった大きな円形ステンドグラスもあるのです。つまり場所もダンスに相応しい。最終回は光が進行とともにどんどん消えて行くので良いチョイスだったとは思うが、ひょっとしたら7時半だとステンドグラスを通る光の色が砂に映ったかもしれない。そういうことも含めて良い舞台でした。

企画"Quartier d'Eté"のプログラムページはこちら

2015年7月13日月曜日

コンゴのアート (Beauté Congo)

Bodys Issec Kingelezの「幽霊都市」
(résumé en français ci-dessous)

カルチエ財団で「Beauté Congo(コンゴの美)」という展覧会が始まった。カルチエ財団と私はずーっと相性が悪かったのだが最近「民族性」のものをよく取り上げるようになってちょっと仲が良くなった*。今回はコンゴ、特に首都のキンシャサ。

コンゴの「現代(の)アート」は 「大地の魔術師たち」展参考投稿 以来、看板画に社会政治的メッセージを入れたシェリ・サンバ (Chéri Samba)や、リサイクルのボール紙などでユートピア都市のミニュチュアを作るキンゲレ(Bodys Issec Kingelez)をよく目にするようになった。昨年の「財団30周年記念展」投稿 にもあったが、今回もそうしたキッチュな作品が大きな面積を占めている。

しかしそれだけではなかった。地下のホールに下ると「近代編」と言おうか、植民地時代の「目利き」が発掘した画家たちが取り上げられている。
デザイン性の優れたDjilatendo
先ずは1926年、ベルギーの行政官ティリ(Georges Thiry) が小屋の壁に描かれたリュバキLubakiの絵を発見。リュバキ夫婦(Albert LubakiとAntoinette Lubaki、二人とも絵を描く)に作品が過去に残るよう紙と水彩を与えた。その後任地が代わり、そこでもジラテンド(Djilatendo)など他の画家を発掘、ジラテンドの絵はブッリュッセルの画廊でその頃マグリットやデルヴォーの横に飾られたが、その後仲違いが合って彼らへの画材の配給は途絶え1941年以降全く彼らの消息は失われる!これが第一章。

指で描いたBela
第二章は1946年、フランス人画家ロマンデフォッセ( Piérre Romain-Desfossés)がエリザベットヴィルに学校(通称「納屋のアトリエ」)を開き、画法を教える一方現地人のインスピレーションの自由さを推奨した。 展示されていた3人の画家のうち、指で描いたベラ(Bela) の作品が特に面白かった。このアトリエの作家たちは50年代にヨーロッパ、アメリカで紹介されるようになる。第一章の悲劇とは異なり、54年にロマンデフォッセが亡くなるとアトリエは美術学校に統合された。めでたしめでたし。

ここまでは動物や自然の「土着性」のあるテーマだったが、同じ50年代にキンシャサの「都会市民」を写す写真が出てくる。

その後70年代から前述の一コマ漫画のような「大衆画」が登場するが、その発展系の若手の作品も地上階。プリント地の上にポップな人々を書くミカ君(JP Mika)は絵と同じ布地で作ったジャケットを羽織り、何千というシャッターを浴びオープニングの大スターとなっていた。絵、写真からみてキンシャサは昔からカッコマンが多いみたい☺

Jean-Depara "Dancers and General de Gaulle"

この展覧会のキューレータのAndré Magninは「大地の魔術師たち」展の仕事もしていた人で、現在ジュネーブのプライベートコレクションに携わっている。そのサイトはアフリカ現代アートを写真ふんだんに紹介していますので興味があれば:CAAC

"Beauté Congo 1926-2015":Fondation Cartier 11月15日まで
 
 Note pour les francophones :
 A part des peintures à la manière d’enseignes publicitaires et des maquettes de villes utopiques que nous connaissons depuis « les Magiciens de la terre », on découvre, dans cette expo, les très belles peintures des «précurseurs (1926-) » comme Lubaki et Djilatendo et des peintres de « l’école d’Elisabethville (1946-) » comme Bela.
Le soir du vernissage, JP Mika était une véritable star en portant une veste faite du même tissu qu’il a utilisé pour un de ses tableaux.
 
Mika君の羽織パーフォーマンス
ポーズしてくれたお礼に彼の作品を一枚


*カルチエ財団の美術展に関する過去の投稿: 
カルチエ財団30周記念展
ハイパーとブリュトの間で

 

 

2015年7月10日金曜日

非制作状況

先週は猛暑が続いて制作が順調に続いたかというと、その逆でほぼ「挫折」状態。前回写真紹介した作品は「象徴的な形」が光で浮かび上がる。その形があまりに表意的でも、自分が作り出した抽象的形状にしてしまってもしっくりこない。

わかるでしょうか?
そしてその輪郭の中は「静かな結晶」にしたい。勿論何層か重ねて刺繍をした白いドレスの様なものもできるのだが、そういう「装飾」を私は好かない。結晶は静かに積もった雪のように満遍なく一様、あるいは一様に薄くなったり濃くなったりしてほしい。つまり「完璧な理科実験」を追求してしまう。例えば写真の様に一様な結晶の粒の中に水玉の落ちたような細かい結晶部分が一カ所でも見つかると作家としてはそれだけが目につくようになって、、、かつそれがおそらく海水内に落ちていた黒い塵を拾い出す為にその部分を筆で攪乱した結果ではないかと思い後悔、だが塵が残っていたら残っていたで不満だったろうから、結局ICチップ工場のような「無塵室」で制作せねばならなくなる。つまり今やっているようなことは「ラポで白い特別作業服を着込み。吸塵器をつけ温度湿度を管理すれば良いのだ」と思うと面白くも何ともなくなる(多分その方が「すごい」と思う現代アートファンもいるだろうが、、、)。
さて、この行き詰まり、どういう解決法があるだろうか?

「形の探求」では久しぶりにジャン=シャルル・ブレ(Jean-Charles Blais)を思い出した。彼は80年代初頭メトロのポスターの裏にイラスト的な絵を描いて人気者になったが、それから太い線描になりその頃大スター、以降急速にシルエットだけを求めるようになり、それが抽象化しそこで発展が止まってしまった。(とはいえデビューから変わらず同じようなマンガを書き続ける同時代の作家たちよりずっと高く評価しています)

ブレ、デビュー当時
それがこんな風になった

2015年7月2日木曜日

制作状況 hier et aujourd'hui

昨日の夕方はこんな感じ
Hier la fin d'après-midi


こんなのができた / Résultat
 (今日、季節限定だけれどアトリエで写真が何とか撮れる時間帯があることが分かった
J'ai découvert la plage d'horaires où je peux prendre, tant bien que mal, la photo de dessins transparents dans mon atelier, 
même si c'est limité uniquement à cette saison)

2015年7月1日水曜日

混乱ノート

Le temps est propice à la création de dessin à l’eau de mer, surtout celui de transparent, seulement à l’eau de mer sans encre de chine. J’étais prêt à me lancer dans une nouvelle série depuis la semaine dernière et je l’ai commencé, mais rien ne va comme prévu. Ma connaissance sur la formation de cristaux d’après mes expériences en l’été 2013 est totalement trahie ! Ou je me trompe ? Je recommence de zéro : je fais des expériences sur le papier en petit format, je note la température et l’humidité, j’observe les dessins, en bref ce n’est plus le travail artistique mais l’étude d’écoliers …
 
一から出直し je repars de zéro
今パリは一足早い「猛暑」。今日の最高気温の予想は38度(平均気温より15度高)。

「猛暑」の予報で「海水のみの透明デッサン」で新たなシリーズをとスタンバイして先週後半から始めたのだが、何だかおかしい。塩の結晶の出来方が私の2年前の夏に培った「経験則」どおりではないのだ。それどころか逆になったり(大きい結晶が出きるはずのところが小さくなったり)してしまう。まさか私の記憶違いかと小さいサイズで一から実験し直したりしたのだがますます混乱が深くなるばかり。

「海水のみのデッサン」は先ずざっと形を描き、その後はデッサンを軽く傾斜させ、その加減を折々調整、状況により海水を足したり減らしたり、あるいは埃を取ったりと、一日中デッサンの「お守り」をする。自然相手だから当然自分の思うように行かないのは仕方ないのだが、何が起るか全くわからないのは困る。何か理由があるのだろうと一昨日からは温度と湿度も1時間おきに記録 。今や「制作」というより「夏休みの理科の宿題」になっている。
乾かない時は希望があったのだけど、、、

昔と何が違うか? 唯一思い当たるのは、夏至が過ぎたばかりだから太陽が高くアトリエに直射日光があまり入ってこない(いつものように地下ではなく温度の上がる地上階の食卓上で制作中)。それ故だろう室内温度が午後急上昇せず、外気が32度を超えた昨日でも昼から夜10時過ぎまで室温25〜27度で安定していた。一昨年は朝9時には形だけは描き上げて、晩まで一日「お守り」をして、最後は夜に任せるという具合だった。昨日も一昨日もその日程で制作したが、午後4時にはデッサンがほぼ乾いていた。つまり乾燥度も違うのだ。ひょっとしたら「朝からしないほうが」と今日は昼までデッサンするのを待ってみようとこのブログを書いています。