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2026年9月20日日曜日

キム・ゴードン展、ロックと現代アートに関する独り言

美大は出たけれど社会事業活動の仕事につき、そしてご主人の有機農場の手伝いもし、ずーと活動的で忙しかったFさん、引退して来たる11月に初の回顧的な個展を子供たちの後押しですることになったのだが、初夏以来何故か私に何度もアドバイスを求めてきた。これも何故かだが「できない、もう諦めようか」と弱音を吐きだしたようなので何の役にたつかわからないけれど重い腰を上げ9月頭に南仏まで様子を見に行った。まずは展覧会場を見て、アトリエで作品選び、人生初の「個展コーチ?」という不思議な仕事(もちろんボランティア(笑))は意外なほどさっさと捗った。
 
その帰りにアヴィニョンのランベール財団 Collection Lambert で行われているKim Gordon展を見た。展示は下のインスタ eizo eyes のリンクをご参考にしてもらうことにするが「なにこれ〜」でしょ? 正直「こんなでいいのかね〜?」と思い呆れる反面、ちゃんとキーキーガーガーの連続のビデオを最後まで見通してしまうほどで、これも「何故か」だが決して嫌いにはなれないのだ😅。
 
キム・ゴードン Kim Gordon、彼女はソニック・ユース Sonic Youth(日本語ウィキから引用すると「1980年代以降におけるアメリカのインディーシーンにおいて、ノイズパンクの雄として君臨。後のグランジ、オルタナティヴ・ロックムーヴメントへ大きな影響を与えた」)この説明が意味を持つ人が私のブログの読者にいるかどうか不明だが、ともかくうるさいノイズの多いバンドのメンバーで、紅一点ブロンドで歌姫的な感じを与えないでもなかったがバンドの音楽性からそんな風にはなりがたく😅、73歳の今でもインスタ映像のようにギター持って舞台で暴れたりしている。この人も元々美大出で、でも南仏の友達とは違って迷うことなくラディカル路線まっしぐら、そして私の知らぬ間に現代アートの殿堂でも展示するようになっていて、、、
 
私は子供の時はピアノ教室に通ったし、親にクラッシックのコンサートにも連れて行かれてそれなりにその年齢では十分な素養があったのではと思うのだが、やっぱり反抗期あたりからかな〜、フリーでアグレッシブ(つまりノイズが多い)でジャンルを交差した「初めて耳にした音」はまさにかっこよく、それに打ちのばされて以来ロック青年になってしまった。
 
そんな私が思うに、ロックの流れというのは実は非常に現代美術とよく似ている。
 
今話しているのはロックと言っても一般受けしてただの歌謡曲とならないソニック・ユースみたいなバンドのことのことだが、一応若い層に支持されるポップミュージックだけれど、やっている人は時代の先端を行っているという意気込みがあり、聴く側の態度もWhat's next?という常に耳新しいサウンドの追いかけ思考。つまりどんどん新しいブーム、スターが生まれては廃れてゆく。かつそれが産業(商売)として意図的に仕組まれることも多く、それが上手くいくことも行かないことも:この点はひょっとしたらファンが一般大衆とはほぼ遠い「現代アート」の方が仕組まれやすいと思う。
 
南仏のコンサルタント(?)の後に寄ったイギリス人彫刻家のP君の家で話してる時にレイチェルなんとかの話になって、誰のことかポカンとしていたら「お前の世代だったら知らないということはない」と言われた*。つまりロックでも現代美術でもある時期世界を席巻するアーティストがいてそのジェネレーションでは知らぬアート関係の人間はいない、でも幾世代もはなれた若い世代で知る人はごく稀になるという時代の流れがある。

ロックに関しては60年台後半の優れたミュージシャンたちが昔のロックンロールとプルースの延長に築いた黎明期(?)はすごいパワーだったが、その後テンションが下がり、でも70年台後半からのパンクでももち直し、その後のニューウェーブと私はずーっと熱心なロックファンであり続けた。しかしそれがラップで突如ついていけなくなった!まあこれも過渡的なものと思い込んでいたらいつまでも続き、、、ラップというのはそんなに革命的なパラダイムシフトだったのだろうかと疑問を抱くようにもなったが全然興味が湧かないので研究のために聞く気にもならない。 
ロックと現代美術のアナロジーを考えるといつごろからか私が「今の現代美術」流れにもついていけなくなくなったのも仕方がないかも😅
 
この点クラシック音楽はそれなりに流行りすたりはあるだろうが土台となる曲、作曲家はほぼ永久不滅、演奏者は変わって世代が違うと誰それのコンサートは良かったと言っても通じないかもしれないが、曲の演奏の仕方とか解釈で異なった年齢層のファンでも共に蘊蓄を傾け合う会話ができる。それに反しロックの場合はバンドが主体、それが登場した時代背景も影響するので、同じ話題を分かち合う「友」を見つけるためには同じ世代の元ロック青年を見つけなければならない。かつヨーロッパと日本では状況も違い:日本では安保闘争と反ヴェトナム戦争が背景の米ロック界を背景に「反体制」の知的な若者の歌ととらえられたが、欧州ではロック好きもサッカーファンも近年までは馬鹿者のもの代名詞で知識層の話題にはならなかったものである。
馬鹿かどうかは別にして日本と欧米ではとにもかくにも実況感も違う。今ではSNSの上で昔のライブ映像などで当時の欧米の様子が分かり昔のライブ映像などで当時の欧米の様子が分かり「なるほどそうだったのか」と多少の喜びを今更世界の同世代のファンと分かち合うこともでき、一時よりは仲間(?)が増えたのかも=あくまでヴァーチュアルで(笑)。それに比べP君夫婦はハイドパークのキングクリムゾンが前座だったローリングストーンズのフリーコンサートにいたんだって、信じられん!)
 
こうしてほぼロックを聴き続けた私はロックなんて基本はエレキのディストーションサウンドだと思っているので、キム姉さんのノイズミュージックもそんなに突飛なものとは思えずそれで「ずーっとこんなのでいいのかね〜」と思うのだが普通のミュージシャンはノイズの実験みたいなアルバムを作っても普通は違う方向に向かうもので、このぐらい執拗にやり続けること自体がラディカル、それでこそ「その馬鹿らしさ」も含めて現代アートがちょうど良い落とし所になるのだ。
褒めてるのか貶してるのかわからんけれど私がブログに書くこと自体わが敬意の表れなのです(笑)  
 
 

 

先週末は友達の娘の結婚式でイタリア中央部の街に行き、その後ヴェネチアに行ってキス集めをしてビエンナーレのオープン時の欲求不満(参考投稿)を多少解消して戻ってきたのだが、その間にリタミツコという80年台に大ヒットしたフランスのロックバンドのカトリーヌ・ランジェ Catherine Ringer が亡くなっていた。68歳で私より若い。エキセントリックでエネルギッシュ、素晴らしい歌唱力でずーっと楽しませてもらった。合掌
  
 
注 * ここで話題になったのレイチェルさんは女性で初めてターナー賞を取ったRachel Whiteread、多分現代美術史から消えることはないだろう。もちろん私も知っていたが、ターナー賞を取った人をあげよと言われると私は何人言えるだろうか???
 
参考:展覧会場 Collection Lambertのページ
ご安心ください、もう終わってますので😄 

2026年7月21日火曜日

ゆめうつつ 夜毎に描く地図(寝小便の話ではありません)

ご存知かどうかしれないが、私は以前(95年から2010年あたり)よく田舎のアーティスト・レジデンスに行っていた(田舎の畑や山やらで自然素材を使ったインスタレーションをしていた)。私は車を運転しないのでその周りをともかく歩き回る。今のようにいつでもGPSで位置が確認できる時代ではなかったので見える風景とランドマーク(廃屋とか大木とか)をもとに頭の中で地図を描き動き周り、2週間もすれば普通の村の住人よりはいつも地形をよく知るようになっていたと思う。一応土地勘・方向感覚があると自負している。そのくせ夢の中ではやっぱりそんなふうに歩き回っては、、、いつも道に迷うのだ! 

「この怪しいバラック街を通り抜けて左に折れてしばらく行くと畑の中に唐突なビルが建っているはずなのだが」と見渡しても見えなくて戻ってバラックで仕事していた青年に聞くと「あれは1年前取り壊された」とか。「この民家の庭を突っ切った後の建物にはいると地下道があってこれがずーっと向こうまで行く近道」とか。つまり夢で見る土地は何度も行ったかなり馴染みの場所なわけ。そしてそれがレジデンスに帰ろうとかしているのことが多くて、ひょっとして本当に行ったところと関係あるのだろうか、あるいは子供の頃遊んだ野原とかとは? と夢の地図を描いてみて現実に行った場所を比較検討し始めたのだが、現実も四半世紀も経ってしまうとその記憶はかなりあやうく「あれはレジデンスの時の想い出と思っていたのが実際はただの夢の中だったのか???」とまことにおぼつかないことになってきた。

うつつの世界でもヴェニスに行くようになってから「方向感覚がある」という私の自負は木っ端微塵に粉砕されたが、その所為の「よろめき」か、日本の私の新拠点の京都の太秦も小ベニス (笑)、洛中の碁盤の目とは大違いで運河や用水路に沿って道が湾曲し、「自負」のせいで知らない道を選んではもう自宅の間近なはずなのにGoogle マップを見ても堂々巡りをすることしばしば。そして日本に何ヶ月か戻っていた後パリに戻っきて自転車に乗ったりすると街の真ん中で「何でこんなところで間違えるの!?」ということが起こり頭の中は完全にブラックアウト!←ヴェリブは30分間という制限時間もあるからそのストレスがあったりするともうあかんです。私どうなっちゃうんでしょうか?

ともかく日は東から昇り西に沈む、それだけが夢でも現でも唯一の頼り。

ところでどんなことがあろうと道に迷わず行けるご近所のフランス新国立図書館で先日まで「想像の地図 CARTES IMAGINAIRES」という展覧会が催されていた。地図を描くことは、知っている場所と知らない場所の境界を引く。昔の地図では未知の世界には色々な怪獣がわんさかと暮らしていて、それが地図上にも描かれている。そんな楽しくもある世界だったが、大航海、探検探索が続くにつれ怪獣たちは追い払われ、未知の場所は既知の場所の間のただの白い空間、情報で埋められることを待つただの空きのスペースとなってしまう。これで第一章の終わり。第二章は語りつがりや古代の書の叙述を元にした伝説の地の地図。第三章では文学での地図。空想の文学でその世界を構築するのに作家には地図を描いて確かめる方が便利らしく、宝島やロビンソン・クルーソーのみならず、プルーストも自分の空想を織り混ゼるノルマンディ、その地理を誤らないように原稿に鉄道路を書いていた(ここまでくると描くと言うより書くだろう)。その後の章は省略(笑)

それにしても私の夢の世界の地図は一筋縄ではいかなく思われる。知っている世界と知らない世界が曖昧で穴だらけと言おうか、ゼロから1の線の間にも有理数より無理数の方が多いが如く無限の穴のスポンジ構造をしているのだ。というわけで地図は描けても境界はあってなし。

猛暑のせいか(ただそのせいだといいのだが)先週は眠くて眠くて、、、そして夢の中を彷徨うと歩きすぎて足がつって目が覚めること屡々で。これを普通の人にいうと「ちゃんと水飲みなさい」で終わりだけど。

 

1595年にアントワープで出版された出版の世界初の私もいつか行ってみたいアイスランドの地図。

まあまあ普通になってきたけどまだまだ変な怪獣(海獣)がいます。右上の流氷も芸が細かい!

 

これは解説不要でしょう。さすが国立図書館いろいろなもの持ってます
 

プルースト、迷子にならずバルベックに戻らねば(笑)
 
キミはタコを見たか? 1900年の漫画地政学図

「道化(狂人)の頭の中の世界」(16世紀後半) 地図は人間の情熱の鏡であり瞑想の助けだと解説にありましたが。

しかし世界地図見るとなぜか日本を探してしまいますねー

 

展覧会の写真はいつもながら隣人アーティストのカリム君が綺麗な写真をfbに沢山出しているのでそれを参考にしてください😄


2026年7月5日日曜日

アートもスポーツも全ては政治に関わる!

今年のヴェニスビエンナーレは「マイナー・コード」というテーマで聞こえぬ声を汲み上げようとしたチーフ・キューレーター故コヨ・クオの意図に反して開幕早々政治的な大きな声が圧倒する結果になった。それはやはりビエンナーレが国を代表したパビリオンを持っているということに起因している。スポーツや音楽でも国の代表となると国のプロパガンダの一環になりかねないが、現代アートは政治社会的問題はそのテーマであること多々であり、独裁的政権下でプロパガンダとして使われた歴史を持つアートにおいてアーティストは常に虐げられる側の表現であろうとし、決して政治とは関係ないとは表明できない。

まあ普通の情報ソースに信をおく人ならロシアはウクライナに侵略戦争を行い、イスラエルはガザで虐殺を続けると考え、そのパビリオンにはブーミングしたくなるだろう。

私としては、いくらちゃんと機能していないとはいえ国際法を国家が守る国連体制は実際の制裁機能がないとしても、それゆえになおさら人民を治める国家としては法治体制の見本を示す意味でも当然のことだと思うので、その意味ではアメリカもブーミングするのが当然だと思っている。

でもこんな優等生的な解釈は本来的にアートとは相反するのかもしれない。基本的には「現代アート」は一般的規範への逸脱行為をモットーとしているからだ。そういう意味ではちゃぶだいをひっくり返し続けるトランプは大アーティスト、アメリカパビリオンに彼が出てきたら面白かったかもだが彼はアートなんて興味ないから、、、まあ冗談はさておき「規範からの逸脱」といっても「人間の生命・生活を尊重する」というのは規範を超えた一般合意のはずなのだ。

アートは世界と隔離されないという証左でもあろうが、「現代アート」の世界では女性差別、植民地主義、LGBTの権利とか社会・歴史・環境問題を扱うことが定番になってしまった感もある。イメージ、表現モードで観衆をギョエーと仰天させても、主旨は正しく、私にはそれは結局「良い子」になっているかの疑問に感じないではない。例えば環境問題に対して警鐘を鳴らすとスキャンダルなアート行為がおこなわれてもそんなこと誰でもわかってるのだから私は地道に産業資本の横暴ぶりや政府の欺瞞を具体的に告発する環境保護団体に耳を傾け支持した方が良いと確信している。まあ現代アートファンはアートの形をとらないと物が見えない人たち(例えば天井に四角い穴が開いて初めて青空や雲の流れを楽しめる人たち)だからその人たちへの警鐘になるかもしれないが。

ともかく国際的規範の国際法を守る世界をよしとする私はアメリカなんぞもにビエンナーレに参加する権利なし!
だからアメリカで主催される巨大主義の反エコロのワールドカップなぞ絶対にボイコット! 
 
の心意気だったのだが、夜でサッカー中継してるとついついつられてみてしまうのは不甲斐ないと言おうか根性なしといおうか、昔のサッカー少年の致し方ないところ(弁明:私の世代は1968年メキシコオリンピックで釜石というその頃のレベルでは秀でたアタッカーがいて三位銅メダルになったという「事件」があって野球一辺倒だった子供のスポーツ志向に影響を与えた)。しかしなぜサッカーがそんなに面白いか? だらだらたらと90分も見てしまうのか?  私の思うところ、得点がはいりにくく、ちょっと見ていないうちに点数が入ってしまって「その時」を見ないと後悔 * が残る?! 録画見て納得というわけにはいかないのだ。そしてゲーム展開の予想はあっても結局その通りには行かない。これがスポーツがいわゆる「シナリオのある芸術」と違うところ。私は何につけてても薄情な人間なのでゲームの大勢が決まっているとどうでも良くなって最後まで見ないのだがW杯は接戦多いから、、、というわけ私はほぼ毎晩の如くサッカーの「罠」にはまっているのだ。なさけなや〜
 
しかしそれ以上に、、、告白しますと:W杯より不甲斐ないことに私はビエンナーレの一般公開前での「駆け足メイン会場巡り」(参考投稿)で実はアメリカ館にもロシア館にも入ってしまったのだ! アメリカ館 ** は建物の前を通った時に作品が気になった:彫刻家アルマ・アレンの個展で純粋に造形性が追求されていて私のような現代アートの落ちこぼれにはこういう作品は嬉しい。それに対しロシアは何をしでかすかの興味本位:厳重な警備のパビリオンの中は花が飾られ合唱団が歌を歌っていてドリンクサービスもという「えせユートピア」でプロパガンダなのか、すごい皮肉なのか??? こうして両方楽しめ、またまたなさけなや〜。
 
この反骨精神を全く貫けない私が周りの人にいくら推薦されても最近行く気がしないのがルイ・ヴィトン財団。2014年の開館時にフランク・ゲーリーの建築に感動してこのブログでも数回にわたり取り上げたが(ブーローニュの森の一等地に建設されることになる不思議な経緯も含め)、LVMHグループ所有者ベルナール・アルノーはトランプとは就任式に家族で招かれるほどの仲で、最近耳を疑うほどのイデオロギー的な発言をするので私はまだ矜持を保ちブーミング中(一庶民としてわずかにできることなので)
 
フランスでよく言われ、日本では全く耳にすることない言葉に「tout est politique : すべては政治に関わる」というのがあるが、アートもスポーツも政治と関わらないものはないのです。

ところで「規範からの逸脱」なぞと難しいことを言わなくても一般的に芸術家は自由な生き方をする=規則を守らないと解釈される風潮があるらしく、「我がアトリエ正面のゴミ捨て場が臭いし捨て方がむちゃくちゃだ」と文句を言って張り紙をしたアパートのガーデイアンにその後状況が良くなったか尋ねてみたら、よっぽどご機嫌斜めだったのか「あんたの側はアーティストたちが住んでいるから、、、」なんてどう見ても偏見としか思えない意見が飛び出してきてびっくり。「私はちゃんと捨ててるよ」と言ったら「あんたのことじゃない」と → 私はアーティストじゃないのか〜😅

 

この投稿の写真には腐心しました(笑)アメリカ館もロシア館のコーラスも撮っているのだけど日本語読めない人に大きな誤解を与えかねないし。で、写真は我が団地に住むお兄さんのTシャツ、ハンバーガー店で働いていて仕事着らしいが、バーガー好き(といわれる)トランプにはいいメッセージじゃないでしょうか。 フランスではハンバーガー作りも政治に関わる???(笑)

 

注

* 5月16日の投稿でビエンナーレでの後悔を書いたが、ここでの「後悔」も言葉としては強すぎるような。私の日本語ボキャブラリーが貧弱なせいか?フランス語だと〜し損なったという意味に繋がるmanquer、英語のmissを使うのがいいのかな?と今更ながら考えましたがどうでしょうね? 

** アメリカ館に関して:「これがアメリカの最善か」https://artnewsjapan.com/article/70028
(アートに関して「最善」とかいうのは意味ないと思いますが)

 

 

2026年5月23日土曜日

ビエンナーレ、ジョージア館の展示

ヴェニスビエンナーレ、ろくに「見学」もしてないのに自分の作品の写真もちゃんと撮ってなくて困ったなと思っていたら同僚のカリム君がしっかり紹介してくれた!!!🙏🙏🙏

彼のページにはジョージア館の展示を物語る投稿が続いていますのでご参考に

 

2026年5月16日土曜日

後悔(?)のヴェニスビエンナーレ初参加報告(笑)

ヴェニスビエンナーレ、報告したいけど実際はパリに戻って(なんかものすごく寒いです:最高気温12度ぐらいでヒーター入れてその横で書いてます)、SNSでダイジェストビデオ見て「へーえ 、こんなのあったのかー」てな具合で、、、😅

私の展示は去年のアクアムール・フェスティバルで制作したような、引きちぎったドローイングの断片からヴェニス の地図のような作品を現地で作る予定だったが、出発3日前に現地で展示作業をしているキューレーター及び先発隊から「他の作品との折り合いで普通の海水ドローイングのほうがいい」とのメッセージを受け、送られてきた作品展示予定のスペースの写真を眺めつつ熟慮した結果、去年修道院で飾った「糸杉シリーズ」のうちの三作に決定。ギリシャからジョージアへの勇士たちアルゴノートの旅との関連も付けられる(前回の投稿参考)。これらは展示されていたままの状態でアトリエにあるから取り出して早速サランラップみたいなのとボール紙でぐるぐる巻きにして梱包し、翌々日に自分で飛行機で運搬した。
こうして無事(でも早朝の飛行機は乗務員の都合と空港の停電で大遅れ)5月3日(日曜)現場に着くとその日のうちに即展示ができたので、少なくとも半日から1日かかるだろうと見込んでいた現地制作がなくなって自由時間たっぷりとなり「ヴィエンナーレを楽しもう」というモードに切り替わったのだが、実際には参加アーティストでかつビエンナーレの展示を見学するのは微妙だった。
自分の作品が飾られたとはいえパヴィリオン全体の展示は終わってなく非力ながらも手伝うこともあるし、展示アーティストの「特権」(?)でオープニング前の3日間のpreviewなるものに入れてもらえるのだが、アート関係の「特権」保持者がべらぼうに多く(笑)初日の朝雨の中でメイン会場アルセナルに入るのを待つ長蛇の列を見てあっさり退散。(私、並ぶの嫌いです!かつ現代アートごときに😅)
 
 
その後去年滞在した場所近くの大きなスーパーにはキス集めで使う白いブドウがあるのではと、そこを目指して通りがかる展示会場を眺めつつ行ったのだが、私と同様諦めた人なのか今からアルセナルに向かう人なのかでどこも結構混んでいた。
 
ジョージアパヴィリオンのあるDorsoduro地区にもいくつかの会場があって、近くの運河沿いのバハマス諸島のパヴィリオンの二人展、Zaterre岸の塩倉庫跡のレンガに投影されるNalini Malani(パキスタン生まれの映像作家のパイオニア、80歳)のiPadで描いたアニメ、アカデミア美術館すぐの館の"Still Joy - From Ukraine Into the World"という皮肉なタイトルのウクライナ&外国人のアーティストによる大規模な展示が私の推薦。
 
これはインスタのeizo_eyesで報告しましたので下の転載をご覧ください😅
  
後日一応ジャルディーニという世界主要国のパビリオンを並ぶ場所も廻ったが、ジョージア館にも行かねばならないし(のんびりボートのヴァポレットでは意外に時間がかかる)で全くの駆け足、映像作品などはほぼ完全無視で結局最初に書いた結果となったのだが、どうせ私は百点以上の作品を見ると許容量超過となって何も目に入らないも同然となるからビエンナーレも頑張って見ようというのは今から思うと全くの大変な誤りだった。というのもそれ以上にpreview期間中に来る人たちは大半は世界中からの美術関係者で、大抵「全て見てやろう」というアート巡りの強者揃い、その彼らが押し寄せるのだから多くのパビリオンでは内覧会よろしく作家さんがいることがデフォルトみたいだった。つまり私は初体験でそれを全く理解していなかった。(私の友達はアニッシュ・カプーアと記念撮影までした😮)ちゃんと展示会場にいて来場者に対応し、特に対話とまでは行かなくてもコミュニケーションをベースにした企画の「キス集め」は毎日できるかぎりすべきだったのだ。
 
とはいえ「うぶ」だったのは私だけではなくジョージア館全体で、館のオープニングを8日としたのはいいがそれに間に合えばいいというものではなくpreview期間が始まる前には展示ができていなければならなかった。そして作家はビエンナーレを見回るぞなどと欲張らず自分のポジションを守って自分たちのPRをすべし!
 
後悔後悔、というのもビエンナーレ出展、私にとってはこれが最初で最後でしょうので(笑)
若き作家の皆さん、同じ過ちを犯さぬように。 
 
これをフランス人にかこったら「お前は一生後悔ですごすのか?」 と言われたが、もちろん全然そんなことはなく、、、確かにフランス語の regretter という単語は「後悔」より強いのかもしれないなー? 「かくかくできたのにしなかった」という条件法を使う方がいいのかな???と今更疑問を持った😅 
  

 これはジョージア館近辺ドルソドロ地区の展覧館案内でしたが、失敬して最後に自分の作品を入れました😅

2026年3月25日水曜日

地獄で思う (雲仙、キリスタン、織部、からゆきさん)

(あーやっと書き終えた。1ヶ月に1本は最低限。でも話は2月のことです😅)
 
私の「戻る」は双方向性なことを前回書いたが、個展も終えてやっとほっとし、かつ飛行機会社の特典が2月末で切れるということがあって急遽旅行に「行った」。
 
旅先で人と話すと「どちらからですか?」という質問は避けて通れない。
私はどこからきたのか?「遠くからです」とお茶を濁したくなるがどうも無作法に思う。「京都からです」というと無難かつ正しくはあるが「新参京都人」は京都のことについてきかれると心許ない。生まれ育った愛知県かなー? 結局43年もフランスにいるのだから「フランスから来ました」と答えるのが正当なのであろうが私には期待されるべき「おフランス」のオーラもないし、人生遍歴を吐露するのも苦手で、かつそんな大した人生でもなし、、、と悩むほどのことでもないのだがなかなか面倒に思う。
かつ「フランスではどんなですか?」なんて話を振られると正直「どうなのかな〜?」あまりにも知らないことが多すぎて自分自身呆気に取られるほど。そこで突然「タコの話ししませんか?」だと怪し過ぎ(笑)🐙😅

匂いの源泉
それでどこへ行ったかというと目的地は雲仙地獄。ブツブツ吹き出す地球の息吹が大好きで。フランスでは味わえませんから。
 
悪天でバスは霧の中、バス停から前にぼんやり見えた宿に直行してその廊下を歩きながら鼻がピリピリ、咳き込みゴホンゴホン、このホテル危ないんじゃないかと心配になるほど臭い。眼、耳、頭脳、なにをとっても最近覚束なくなっているのだが実は何故か嗅覚だけ敏感になっていて、日本の街では消毒材の匂いが文字通り「鼻に触る」ことがしばしばなのだが、泊まったホテル内だけでなく町中危ないところが多く(風向きによって変わる)、そして私自身は温泉に入りすぎた結果、自分で自分が臭くなった。帰路、島原駅に降り立った時に駅のおばさんに「わかりますよ、硫黄臭いですから」と言わたほどだが、熊本行きのフェリーに乗ったらもっと臭う。結局温泉に行った全員が発臭源となりその香が漂い続けているのだろう。まあ臭い代わりに肌はスベスベしている気がする☺️
 
島原の町は背後に火山が迫り海があって私の南太平洋への夢想をそそるものがあった(行ったことないから😄)そして町の真ん中には白い外観の美しい城(1964年に再建された「新築」)が立つ。雨でとりあえず入ったこの城中、有馬氏の南蛮貿易時代から隠れキリシタン、島原の乱などにまつわる陶器、彫刻、絵画を含めた史料が展示されておりなかなか興味深かった。
えっ、これが織部!?
私としてのびっくりの発見は、郷里の愛知に近い美濃で生まれ信長・秀吉に仕え利休の後継者となったとも言える織部焼で有名な古田織部の作った写真のような南蛮風の燭台。織部は秀吉の九州征伐+朝鮮出征の供をして九州まで来ており、朝鮮から連れて来られた陶工(秀吉の前の倭寇時代から)が伝えた技術で栄える唐津焼の技術を織部は美濃に伝えたのが織部焼として結実したらしい。かつ織部好みの灯籠というのがあってこれは土に埋もれる部分に十字架が隠されている! う〜む、この時代の茶の文化を中心にしたルネッサンスを思わせる文化の開花と古田織部は私には謎の多いテーマで勉強要。
 
ところでルネッサンスといえばボッティチェリでもボッシュでも絵画的にいえば天国より地獄の方がドラマチックでアクション満載でずっと楽しめるからここでも私は地獄ファンなのだが、現実となると想像するだけで身の毛もよだつ。実際宗教戦争下のヨーロッパの現実は地獄の光景遠からずだっただろうが、雲仙地獄では現実に踏み絵を拒否した島原のキリシタンは拷問の末あのグツグツした地獄に落とされた!
私なら躊躇なく踏み絵を踏むし、拷問されればあることないこと言ってしまう(そんなことウッディ・アレンが映画多分アニー・ホールで言っていて昔大笑いした覚えがあるが本当です)。信仰なき私には全くわからない。同様に拷問する方の精神もわからない。屈辱を与えて優越感を得る輩がいることが全く恥ずかしい。
そういうことは一生無縁だろうと思っていたが「スパイ法」なんてものができたらわたしも質の悪い下級憲兵に糾問されるかもしれない。 明日貴方の住む町が戦場になっていたら誰もがそれを受け入れるのだろうか(それに慣れてしまうのだろうか)? そうならない前に専制、戦争への歯車に小石でも砂利でも投げ込んで動きを妨げるしかない。
 
宣教師がヨーロッパに惨状を伝えるために作った版画

マリア観音

キリスタン文化が栄えて頃の陶器。十字架はデザイン化しやすい?
 
話は変わり、下の写真の灯台のような八角形の塔は最上階には天竺の如来像が安置されているという「天女塔」。1990年に建立されたが資金の多くは東南アジアの「からゆきさん」の浄財によっており、塔を囲む石柱などには彼女らの名前と寄付額が刻まれている(詳細こちらを参考に) 
 
天草四郎で有名な島原の乱も元々は百姓一揆。貧農地区の島原の歴史はかわいそうすぎる。だから一人の人間として認めてくれたキリスト教を信じ殉教できたのかもしれない。
 



最近戻ってきたパリ、私には不気味なほど静かな感じがしていて、何やら不安を感じる今日この頃。 ただの春の和らぎならいいのだけど。
 
ところで文化人武将として幸せに生きたように思われる古田織部、関ヶ原では東軍についたものの後家康に嫌疑を持たれ切腹を命じられました。。。
 

2025年11月3日月曜日

ピノー・コレクションのミニマル展

(前回と同様今日もインスタ投稿の補足ですが、色々脱線します)

Lygia PAPE
今だから私もそれなりに「ラディカルでいいなー」と鑑賞するに到っているが、私が小中学生の頃の日本の「現代美術展」はこんなのばっかりでウンザリしたものだった。そういうのがいっぱい並んでいるピノー・コレクション Pinault Collection の特別展「ミニマル」。日本の「もの派」にも大きなスポットがあてられている。

でもミニマリズムも結構広く捉えられていて、幾何学的オプティックな効果を利用したブラジルの作家 Lygia PAPE (1927-2004) のインスタレーション作品みたいな発見もあった。カルチエ財団のオルガ・デ・アマラルも昨年初めて知ったが(投稿ブログ)、この作家も知らなかった。二人とも南米の女性で時代も作風も共通している。以前書いたことがあるように科学と芸術の融合の面のあるオプティックおよびキネティックアートは現代美術から一時忘れられた存在になっていたが最近になり再び注目度を浴びている(関連投稿)。かつ二人ともその中で女性。完全に現代美術史の死角だった?  
 
全くわざとしたわけでないのにピンボケになった会場風景
先に書いたかつての「ウンザリ」は「素材とか現象だけを見せてアートになるのか?」という理科クラブの英三少年にとって素朴な疑問だった。その後50年以上を経てその疑問はまだまだ曖昧のまま(アーティストエイゾウもそんなことをしないのでもないのだが😅)。
ますます「液晶画面」は見ても「もの」を見ない今の人たち、今や土や植物を見せることにもエコロジー的意味が付帯してくるし、現代の潮流へのレジスタントにはなるのかなー? でもその現実ってとても悲しい。
 
「携帯を捨てもの派になろう!」 もの派じゃなくても「わびさび」でも前回のオロスコさんのようなアプローチでもなんでもいいけど、こうして楽しめる人が増えればも世界は平和になるだろう。 
 
 

展覧会モンタージュ風景の次のビデオも少し面白かった 

 

 

ところで前々回に突然やってくる宅配配達人のことを書いたが、デッサン用紙が到着した翌日に画材店から同じ紙が期限限定37%引きという広告が来て、あじゃぱー!やっぱりまた注文するしかないか(これで1年はデッサン用紙にこと欠くことはない)とこれもまた割引の違う用途の紙も加えてまた注文。そして同じ配達人がまた前触れなしにやってきた。段ボール箱でしっかり梱包してあるにみえたが手荒に扱われのだろう、開けてみると2つの角が傷んでいた。そんことを見込んで大きなサイズをわざと頼んでいたのだが一応お店に報告するため写真を撮った。なんたって定価一枚26€もする品物なのだから運送屋に侮ってもらっては困る。払い戻しを請求する気はないがクレームメールを書きつつ、添付した写真を「もの派」となって改めて見直すとそれなりに楽しめる。つまり怒りが静まる😅  この禅精神(?)トランプにはわからんだろうな (貴方にもわからないかも)

2025年11月2日日曜日

ガブリエル・オロスコの「楽譜」

ガブリエル・オロスコ(Gabriel Orozco)はありきたりのものから何やら不思議な物を作る、かなり賢い作家

→作家に関しては東京都現代美術館で10年前に個展がありその時のページに説明がありますのでそれを参考ください。
 
面白い視点でできた明解に矛盾したオブジェはわかりやすいが、それに比べてこの展覧会はちょいと難しい。

始まりは作家自身のピアノの即興演奏。
このぐらいの即興なら私でもできるけど、その後が私と有名な現代アーテストの間には大きな格差があった!
録音された演奏は譜面化され、それがある種のルールに則って幾何学的に絵画化される。だが完全にアルゴリズムのようなものに従ってされるのではなくかなりの遊びがあるように思われる。特にデッサンはふにゃふにゃと曲線が増殖し楽しそう (=まさに楽譜?)
 
音楽から絵:クレーやカンディンスキーの系譜にありやなしや? やっぱり賢そう😅 

11月22日までGalerie Chantal Crousel - 10 rue Charlot 75003 Paris
 
 

2025年10月25日土曜日

AIに思う

あー、やっと解放された。フランスの配達はなんでこうなのかなー??? 
注文した画材の配達日は今日で追跡サイトでは朝から我が家から多分1kmぐらいの収集所(?)に朝からあるのだがいつ配達されるかはまったくわからない。そして突然インターフォンが鳴る!つまりいないとどうしようもないのだ。トイレに入っていても困る😅 
携帯が発達したこんな便利な世の中でなぜその「文明の利器」を使い品物の受け渡しがスムーズに運ぶように10分前にでも予告してくれたら、、、
 
「文明の利器」といえばほぼ毎日話題にのぼらないことが無いAI、使わないのは宝の持ち腐れ、電力浪費の問題を承知の上でも使って便利になる場合は使うしかないと思うのだが、BBC、フランス国営ラジオなどヨーロッパの放送局が自らの放送局の報道内容に関して4種のAIに質問し、その回答を分析した結果では44%が不正確さや誤りがあった。質問は最近の時事問題。AIは放送内容を鍋でごった煮して作文するので、事実と意見がごっちゃになり、皮肉的な冗談も額面通りそのまま取ってしまって大間違い。基本的に最近の時事には事実の蓄積が少ないので今のデータ寄せ集め型のAIはだめなのだ。
専門家によれば、AIが驚くほど素晴らしい答えを出してくれるのは人類の長年の知識、知恵や文学的文章を蓄えたそれこそ質の高いデータバンクを使っているお陰、つまり我々人間のお陰で、今からAIがどんどん新たなデータを作り出して添加してしまうとそれがだんだん薄まっていき将来はAIの答えのレベルはさがっていく!
 
納得!なら使うなら今?(笑)
 
なんて思う私、先日のエクス島に行った時、島の北東端の浜辺に木の枝に牡蠣の貝殻が刺さっていて風に揺られてキラキラ光るという素晴らしい場所があったのだが(その浜辺の貝殻は真ん中に穴の空いているのが多かった)、「どうやってこんなことが起こったのだろう。自然のなせる技は素晴らしい」と感嘆する友人に対し、「そんなことはありえない。子供や観光客が遊んで作ったんだ」という夢を潰す発言をし、それに納得のいかない彼女に対しAIの判定を仰いで見せたのだった。 AIの饒舌な答えの結論はやはり私の意見に沿うものだったが「人はとても不思議ものに出会ったとき神秘的な自然のなせる現象と思いたがるものだが、、、」という注釈付きで、これは彼女を苛立たせた😅 賢い割には一言多いんだよ〜!
でも実は私もそう思う。最初から超自然現象にせず、先ずは論理的に考えて可能性を検証してみなきゃ。特に「アジアの叡智」が好きなフランス人には全然そういうことをしない(できない?)人が多すぎる! でも世の中にはそれでは解決できないものが多いばかりかそればっかり。だからこそ「宗教」や「芸術」の領域が生まれるのじゃないでしょうか・ 
 
エクス島の奇跡:何メートルにもわたって海岸近くの木の枝に貝殻がついた枝が風に揺れながらキラキラ光っていた!
 
さてそのAIを使うアートも、我がアトリエ村のお隣さんも複数の写真を合成させたりしていて、数年前見せてもらった時すごく不思議でシュールなのが出てきて、それ系の画家には創造のヒントの泉になるだろうと思ったものだったが、2年前(2024)、その頃は私は使ったこともなくほとんどわかってなかったのだが、アプローチも結果も明快で面白くAIに関する認識を新たにできた展覧会に京都写真祭で出合った。作家は嵯峨美術大学の教授(メディアアート)の三宅章介さんで、自分の撮った写真をAIに叙述させ、その文から画像を作らせる、そうすると土台になった写真とデータバンクの中の写真が混じり合ってなんだか奇妙な写真ができあがる。(コンセプトはこちらを参考に) 2年前のことだったので忘れてしまったがQRコード読むと元の写真とAIの書いた文章が出てきたのだと思う)
展覧会名は「絵空事」 つまりフェイク。AIは作っても著作権も主張しないが責任も取らない。
遅ればせながらの紹介になりますがそのとき掲載したインスタに飛ばします 。
 

2025年8月16日土曜日

16世紀の城の現代美術、オワロン城

気温が37度になると人間の吸う息の方が吐く息より低くなるのだろうか。つまり人間は外気に対しクーラーになるのだろうか??? フランスでもそんな暑さになることがあるようになりました(ただし我が地下アトリエは快適ですが)残暑お見舞い  
 
ここからが本題:

「初めてビートルズのサージェント・ペパーズを聞いたときの感動は一生忘れられない」と言う友達がいたが、彼は私よりいくつか年齢が上だし英語ネーティブだからまさにエポックメーキングなイベントに出会った感動というのがずーっとあるのだろう。

美術展に関しての私のそうした感動は1989年の「大地の魔術師たち(Magiciens de la terre)」にある。これもその時代を経験をしないと、つまりその以前と以降の空気を肌で感じていないとカタログを見たからと言ってその感動は伝わらない。とはいえ各人個人史の違いがあるからをその時サージェント・ペパーズ聞いて感動しなかった人も「大地の魔術師たち」をみて感動しなかった人も大勢がいるのは当然だが。

まあともかく 「大地の魔術師たち」はその後の美術展の一つの節目、融解点であり、その後はかつての美術展のフレームが溶けて色々な方向に流れ出したように私には思われる。

その融解零度の感触を守った感のある場所がフランスの何処とも説明しがたい片田舎に忽然と立つルネサンスのお城にあった! それもそのはず、そのコレクションの基礎は「大地の魔術師たち」のキューレーターだったジャン=ユベール・マルタン Jean=Hubert Martin によるものだからだ。 

 



「軍隊の間」(パノラマ写真)
 
16世紀の天井画 

そのChateau D'Oiron(オワロン城)、その現代美術はおフランスの国立コレクション、つまり国立美術館なのだが、周りはほぼ真っ平らな畑が広がり近辺にこれといった街も観光地もない田舎で、知る人ぞ知る(?:実は私も最近まで知らなかった)。車でしか行けないのだが8月で駐車場の車の数が指折り数えられる程度だったからよっぽど興味を持つ人以外は来ない。(このままだと好き勝手言いたい放題の今の嫌な女性文化大臣に予算をカットされてしまうのではないかと心配になってしまうので非力ながら宣伝致します)

ここは16世紀に栄えた地方領主のお城、その頃はラファエロとかその時代のアートのコレクションがあった。その盛衰は歴史通でなければチンプンカンプン😅、有名どころとしてはルイ14世の寵姫のモンテスパン伯爵夫人が凋落後この城を買って最晩年に住んだ。 

それはともかく国が1943年に廃墟化していたこの城を買いフレスコ画や装飾を修復し、今やなかなか絢爛。だからポンピドーセンターとヴィレットというニュートラルな展覧会場で開かれた「大地の魔術師たち」とはかなり趣を異にするはずなのだが、ここでは城の建築も含めてキャビネ・ド・キュリオジテ的な融合というマルタンさんのエスプリがどっぷり。このコレクションが立ち上がったのが1993年だから時代的には「大地の魔術師たち」のすぐ後で、おそらく展示品も重なっているものもあると思う(確証なし&記憶に自信なし)。

アーティト側からそれに応えて作った作品もある。例えば2階に上って最初の大広間 「軍隊の間」、この立派な装飾豊かなサロンにはかつてルイ13世時代の戦争の英雄の絵が飾られていたらしいのだが、今ではそれを漫画化したような辻褄のない物品を組み合わせて作った可笑しな鎧のようなオブジェが飾られている。それら自体はそれぞれかなりゴタゴタしたものなのだが、空間の広さもあってか不思議にあっさりと極彩色の天井画と調和している。これは食事後のテーブルをそのまま固定した作品で有名な Daniel Spoerri で、ちょっと意外なようなやっぱりのような(笑)

この投稿の一番最初の百姓一揆みたいなBraco Dimitrijevicの作品もここだけのサイトスペシフィック。 

こんなふうに書いていくとキリないし、大きな空間の展示は写真も難しく、その場のハッとする感覚がでないのでごく簡単に終えてしまおう。ともかく見るものたくさんあって3時間以上いたけど最後は多少端折り、、、というのもここはカフェテリアとかいう洒落たものもなく近くの村もほぼ何もなし、じっくり長期戦するならお弁当持参で庭でピクニックしかない!


 

インスタで上げた写真は:

最初の動画はランプをワイングラスの影に映し出すBill Culbertの作品

次の写真二つは先の述べたDaniel Spoerriのアッサンブラージュで、動画は「軍隊の間」全体

「王の間」のイカルスの墜落がテーマの17世紀の天井画、その次が「美の女神達の間」 

Thomas Grünfeldの怪物

鏡の中で青い曲線が円になるFelice Varini

Tom Shannonの反重力彫刻

Charles Rossのレンズを通して太陽光が木を焼くのを毎日記録した作品  

オワロン城に招かれて食事した人のプロフィルが青線で描かれたRaoul Marekの作品

足で絵を描く白髪和男と川名温の日付画があったのはちょっと意外だった!

最後は私が苦手とする Marina Abramovic、クオーツのバイブレーションを感じて心の旅に出てくださいって、、、石の枕、痛いだけで何も感じないのですが

 


結局ここを私が非常に気に入ったのは史料では計り知れない「大地の魔術師たち」の「あの時」の新鮮味が保たれていることがあるのだが、単にノスタルジーを超えて私はやっぱりサイトスペシフィックな作品が大好きなのだと自ら確認するに至った。10年以上続けた海水ドローイングばかり続けてきたが、少し転換の兆しあり?や否や?

 

参考

オワロン城のサイト https://www.chateau-oiron.fr/

その中の現代アートコレクション Curios & Mirabiliaは https://www.chateau-oiron.fr/decouvrir/la-collection-curios-mirabilia

 日本語での簡単な解説:https://artscape.jp/artword/6068/

「大地の魔術師たち」とマルタンさんに関しては過去の投稿で書いています(ただし他のサイトに画像を頼っていたので絵抜け状態)


オマケ:YouTubeにこんなのもありました。Shannonの反重力彫刻の設置の様子です。 ちょっと面白い
 

 
最後にJames Lee Byarsの一角獣の角