「あれれ〜、こんなにブログ書いていなかったのかな?」と自らびっくりだが、お正月にお客さんを迎えた私の今日のトピックスは「日本ではリチュアル(宗教儀式)が生きているか?」
年末年始パリから太秦に遊びに来た老マダム(実は私とほぼ同じ歳😅)、このおばさんはかつては殆ど日本に興味を持っていなかった。多分タイ、ベトナム、台湾、韓国、日本の位置関係もわかっているかも甚だ怪しかった(今は少しは認識したとは思うが、、、)。フランスでは一般教育の内容が日本と大いに違い、高等教育を受けていてもとんでもなく地理歴史を知らない人が多くて呆気に取られることがよくあるのだが彼女はまさにその例。(日本は日本でその暗記主義の地理歴史はとんでもないを信じていたが、一応なんでも「名前ぐらいでも知っているは役に立つこともなきにしもあらずか」とこういう人に出会うたびに思うようになった😅)
そんな彼女とは数ヶ月前までは「なんでみんな行くのかね〜?」と近年フランスの日本旅行ブームを斜視しつつ話していたのだが、「年末ヴェカンスに孫も(大きくなって)遊びに来てくれなくなった」と寂しそうにいうので「それなら京都に来れば?」と口が滑ったのがそもそものことの始まりだった。そのまったく日本に興味を持っていなかった彼女、そのマダムが見た日本は?
結論から行くと多分全ての仏人旅行者と同じく彼女にとっても「日本は素晴らしい国」だった。
彼女が一番感心し何度も私に繰り返し言ったのは 「日本はリチュアルが生きている!」
年末年始の神社仏閣、特に大神社に行くと数えきれない提灯が吊り下げられライトアップされていて彼女を圧倒、それに書かれているのが寄進者の名前でまずびっくり、一升瓶や酒樽も積み並べられていてこれにもびっくり。「これ神主が飲むのか?」マダムには神社はとても陽気な空間として映ったようだ。(笑)
それに列をなして参拝する大勢の人、人、人。(もちろん渋滞状態になるような場所、時間は避けたが)
私はリチュアルと言われるとそうはそうなのだが、マダムが想像している「宗教儀式」という概念とはかなり相違があるのではないかと思う。除夜の鐘、初詣などは宗教儀式と言うより年中行事。信心、つまり神や教えを信じてというほどのことはなく、おみくじを引いたり縁起物を買ったりするのを楽しむ、言ってしまえば娯楽、余興プラン。引き述べては旅行プラン。江戸時代からの落語や膝栗毛のねたになっているお伊勢参りはいい例だ。ヨーロッパでは十字軍の時にヴェニスの商人が聖地巡礼旅行を企画したのがパック旅行の始まりと聞いたことがあるが、行楽は宗教を凌駕するのは世界中どこでものことだろう。
その点私も弥次さん喜多さん、熊さんとかわらない。マダムを連れて大晦日に八坂神社へ行き、縄を1000円で買ってお金持ちなのに結構財布の口が硬いマダムに信心ぶりをアピールし(笑)、長蛇の列をなして火をつけてもらったすえに(何度も曲がる列の中で「どのぐらいかかるのかな〜」と話をしたお兄さんが知らぬ間に偵察に行ったらしく「裏の方でも火もらえますよー」と親切にも教えに戻ってきてくれて😇点火、「これを家まで持って帰ってかまどに火をつけるのだ」とマダムに説明し実行!「これ持って列車乗っていいのかな」と縄を売っていた人にきいたら「大丈夫だと思います」と安請け合いされて「さすが歴史の街京都!」と私は感心、マダムは火事の元になるようなことが正月の行事としてまかり通るなんてことは信じられないとまたまたびっくり(それもそうだ😅)。
まずは人並みの中を人に気をつけながらも火を回しつつ歩き、まずは阪急に。列車の中で若いカップルに好奇の目でみられ(結構匂いもするし)、隣に座った青年にきかれて「をけら詣り」の説明(という私もマダムのために復習したちしきにすぎないが、若い人たち意外に知らないことを発見)*
そしておっとりしたチンチン電車の嵐電の駅にたどり着きほっとしたら、なんと煙が出ていると発車できませんと運転手に火を消すよう言われ〜、もちろん歩いて帰るなんて信仰心はないのでこれにて冒険終了。いつもヘラヘラしている私の落胆ぶりはマダムにはっきりわかるほどだったようだ。
大晦日にあれだけの人出があるものの京都ではパリのように深夜運行バスがないので家に戻りマダムが持参したシャンパンを開け、「きっとたくさんのお寺の除夜の鐘がきこえることでしょうね」と以前知り合いに言われていたバルコニーへ、でも不思議にほぼ全然聞こえなかった???
翌朝は家の近くのお菓子屋の特製の餅を使って京都風に白味噌で雑煮を作り、お正月はこれで始めるのだとマダムに言ったが彼女はコーヒーをいれた(笑)
その後晦日の駅のプラットホームで火を消させられたのがまだ心残りだったので、同じ神社だからいいかと近所の俗称「蚕の社」へ行って再点火することにした。ここは普段人っ子ひとりいずひっそりとしてオカルト的な謎めいた雰囲気も漂って大好きなところなのだが、元旦は鳥居からとは言わないまでも域内の半分以上まで続く参拝客の列ができていた!いつもは涸れている非常に稀有な三面鳥居で囲まれた「祀られた泉」からも水が湧き出し水路に水が流れ、来た甲斐があった。これを写真に撮るおばさんをするにまかせていたら私は皮肉っぽく咎められた。 信仰は生きているのかなー?
八坂神社のみならず松尾大社や散歩で出会う数々の神社で健康を、えびすさんでは商売繁盛、縁切り祈願の石も潜り、勿論タコ薬師のタコを撫で、京都に来てますます節操もなく神仏様を当てにしている。特に最近命以外のものはすべて何処かに置き忘れてきてしまう傾向があるので、、、。ひょっとするとその所為でマダムは背信者エイゾウの中にも意外な信仰心をみたかもしれない?
注*(Googleより)
「をけら詣り」とは、京都の八坂神社で大晦日から元旦にかけて行われる、一年間の無病息災を願う伝統行事です。境内の「をけら灯籠」から「をけら火(白朮の香りのする火)」を吉兆縄(きっちょうなわ)に移し、火を消さないように回しながら持ち帰り、その火で雑煮を炊いたり神棚を灯したりするものです。
最後まで読むと「現代の注意点」としてこんなことが書いてあった(ハハハ!)
- 近年では、公共交通機関への火の持ち込みが禁止されているため、火を消した後の火縄を持ち帰る形が一般的です。


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