私の知り合いで「マチスは装飾的でデッサンもできない」とバッサリ斬り捨てて嫌う人がいて「何言ってんだ」と私は彼を見下していたのだが、その私にも「マチスは本当にデッサンできたのか?」という素朴な疑問が湧いてしまうぐらいだ。もちろん模範解答は「できました:若い頃のデッサンをみなさい。わざと壊しているのです」
ではなんのために? 目をつむっても描けるだろう娘の顔を、わざわざ眼前に座らせて、その結果違った顔ができてしまう。どういうことだろう?*
南仏コリウールでの家族写真(中央はアメリ夫人で前の恋人の子供マルグリットを1899年から自分の子供のように育てた)
上の二作は病弱そうな感じがするマルグリットの肖像
若い頃だから描き込んであり、デッサンできなかったとは言えないですなー😅
彼女は子供の時に喉を開く手術を受けたのでその傷を隠すために大抵リボンをしている。
つまりマチスの絵でリボンをした娘は彼女 。
(デッサンは額の反射で撮り難いのでパンフレットから)
最初の写真のように会場に幾つも並んだマルグリットの肖像の中で「これはいいではない」と思って作品横の解説パネルを見たら、所蔵は倉敷の大原美術館、さすが大原孫三郎+児島虎次郎見る眼があるなと感心したが、そこには次のエピソードも書かれていた。簡略に訳すと:
マチス夫婦はベッドの上にこの絵を飾っていて手放すのを躊躇していたのだが、マルグリットはマチスに「私の肖像だからという感傷で止まってはダメ。また私をモデルに描けばいいのよ。大事なのはお父さんの絵が美術館に飾られることなのよ」と言って父を説得した。
1920年だからマチス51歳、マルグリット26歳。マルグリット嬢しっかりしてます!
つまり彼女がいなければこの絵は日本に来なかった!?!
かつマチスは既にその時までに娘の肖像を何十枚と描いたはずだからこの絵はやっぱりかなり良い絵だってことをマチス自身が保証しているってことですよね。
上の逸話のようにマルグリットはただのモデルではない。もちろん娘だからでもあるが自分の意見をはっきりとマチスに言え、父もそれを聴いた。彼女はマチスの絵の管理事務や展覧会の展示にも携わるようになる。
その気丈な性格は第二次大戦中は息子をアメリカに逃し本人は父に隠して連絡員としてレジスタント活動に参加したことでもわかる。そしてゲシュタポに捕らえられ拷問を受け、ドイツの収容所に送られる途中列車から奇跡的に逃れた。
この展覧会を開催しているパリ市近代美術館には先々月に同時開催中のカンディンスキーの恋人だったガブリエレ・ミュンターを見たとき、館内の表示でマチスはヴァーチャルリアリティの展示という印象を受けて(それもあるみたい)無視してしまったのだが、ラジオで上述のレジスタンスの話と彼女自身も絵を描いたと聞いて多少興味を持ち直し見に行ったのだった。この二つの組み合わせ、大作家の連合いと父親に隠れた娘と最近の時代の風潮に合いすぎて嫌な感じもしたがミュンターの方は意外に内容及び作品レベルが濃かったので、これ以上見なくてもと簡単にマチスをパスしてしまったのだった。
大原孫三郎が買った肖像に戻ると、これは1918年作だがその前に描かれたほぼ同様なポーズの右の作品も展示されていた。つまり大原バージョンはここからマチスが得意とする(?)装飾的要素(かつ最初の鉛筆デッサンには柵の後ろのブルーの背景にニースの砂浜と海まであった)がバッサリと取り払らわれ対象だけに焦点を当てられている。こういうことがマチスのとって市場性のない娘の肖像だからということでできる実験だったのかもしれない。これが最初の疑問 * の一つの答えか?
その後マチスはダンサーのHenriette Darricarrèreをモデルにするようになるが(例えば「オダリスク」の裸婦)、娘とHenrietteと二人をいれたニースでの連作もあって、また「これいいな」と思ったら愛知県立美術館所蔵だった。目を引く二作が二作とも日本のコレクションってのは日本人学芸員の目が肥えているというより私も含めた「日本人好み」ってのがあるのかも?(=ある種の内省性?)
右側の女性がマルグリットだがリボンがない:1919年に再手術をして必要がなくなった(よかった、よかった)
そして最後にマルグリットの描いた自画像。まだリボンしてます。皆さんどう思われますかね?(笑)
ついでに再びガブリエレ・ミュンターを見たのだけど作品の質が高く、デッサンも上手くてやっぱり「マチスやばいかも」とまた思ってしまうぐらいだった。この話はまた今度
「Matisse et Marguerite マチスとマルグリット」展 2025年8月24日まで パリ近代美術館>サイト
En
guise de résumé (?) : Dans cette exposition, deux tableaux ont
particulièrement attiré mon attention. En fait elles appartenaient à
deux musées japonais. Étant moi-même japonais, je me suis demandé s’il
existent peut-être des goûts japonais.
Par ailleurs Matisse gardait
l’un des deux sur sa chambre, il hésitait à la vendre, mais Marguerite
l'avait persuadé de le faire. Donc grâce à elle ce tableau se trouve au
Japon
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