アートだけではありません。40年以上も住んでしまったパリから、役立つ展覧会案内、アトリエの日常生活、旅日記、それにフランスの政治社会問題など、色々とりあげる、美術作家、坂田英三の正直な主観的ブログです。 C'est un blog d'Eizo SAKATA, un artiste-plasticien japonais de Paris. Les articles sont quelquefois écrits avec son français : cliquez "bilingue" sur la colonne de droite.
2026年9月30日水曜日
こんなこと書いていいのかな〜? 私の優雅な「架空の年金生活」
2026年8月3日月曜日
猛暑と訃報
今年のパリは5月にすでに猛暑第一波に襲われ、私はその所為かと疑っているのだがその直後に何人ものこちらでは馴染みのある著名人の逝去のニュースが続いた。そう人に言いつつ誰がなくなったか忘れてしまい、、、pcに尋ねていたら、そうそうこの人たちだった。四人目のSatrapiさんは近親者の発表で「悲嘆で亡くなった」というので政治的闘士の彼女なのでイランの現状のためだと思い込んだら最愛の夫を1年前亡くしたその後の悲しみということ。何にせよ私には想像できないドラマチックな死因でまだ若くて話は全く別だが、他の方々は高齢だったのでやはり猛暑が堪えたのではないかと私は思い込んだのだった。しかしその後6月、7月に再度2波の猛暑が襲ったが鬼籍に入る有名人が続いたということはなかったので本人および周囲が体調管理に特に気をつけるようになった、あるいは単純にただの偶然だったのかもしれない。
その後最近になって私の近親、リト(石版画)を習い出したときに同じく生徒だったイギリス人のSさんの訃報がアメリカから、そして小学校からの親友だったY君の訃報が日本から相次いで届き、心にぽっかり穴が開いた。二人のことを追想すると上記の有名人たちのような簡略な羅歴ではすまなくなるので今日も簡単にこれまで。
遠くより二人に合掌
写真はKyo_Pasの趣味の水彩絵葉書 この教会は5年前に亡くなった舞踏ダンサーの岩名さん参考投稿のスタジオ近くにある田舎の村の教会。横で手をあげているのはフランスではどんな小さな村にでもある、第一次大戦で亡くなった村出身の兵士への記念碑の像です
(追記:前回気掛かりと書いたFさんは元気だとのお便りをもらった。よかった〜。それにブログを読んでの便りなので嬉しい)
2026年7月5日日曜日
アートもスポーツも全ては政治に関わる!
今年のヴェニスビエンナーレは「マイナー・コード」というテーマで聞こえぬ声を汲み上げようとしたチーフ・キューレーター故コヨ・クオの意図に反して開幕早々政治的な大きな声が圧倒する結果になった。それはやはりビエンナーレが国を代表したパビリオンを持っているということに起因している。スポーツや音楽でも国の代表となると国のプロパガンダの一環になりかねないが、現代アートは政治社会的問題はそのテーマであること多々であり、独裁的政権下でプロパガンダとして使われた歴史を持つアートにおいてアーティストは常に虐げられる側の表現であろうとし、決して政治とは関係ないとは表明できない。
まあ普通の情報ソースに信をおく人ならロシアはウクライナに侵略戦争を行い、イスラエルはガザで虐殺を続けると考え、そのパビリオンにはブーミングしたくなるだろう。
私としては、いくらちゃんと機能していないとはいえ国際法を国家が守る国連体制は実際の制裁機能がないとしても、それゆえになおさら人民を治める国家としては法治体制の見本を示す意味でも当然のことだと思うので、その意味ではアメリカもブーミングするのが当然だと思っている。
でもこんな優等生的な解釈は本来的にアートとは相反するのかもしれない。基本的には「現代アート」は一般的規範への逸脱行為をモットーとしているからだ。そういう意味ではちゃぶだいをひっくり返し続けるトランプは大アーティスト、アメリカパビリオンに彼が出てきたら面白かったかもだが彼はアートなんて興味ないから、、、まあ冗談はさておき「規範からの逸脱」といっても「人間の生命・生活を尊重する」というのは規範を超えた一般合意のはずなのだ。
アートは世界と隔離されないという証左でもあろうが、「現代アート」の世界では女性差別、植民地主義、LGBTの権利とか社会・歴史・環境問題を扱うことが定番になってしまった感もある。イメージ、表現モードで観衆をギョエーと仰天させても、主旨は正しく、私にはそれは結局「良い子」になっているかの疑問に感じないではない。例えば環境問題に対して警鐘を鳴らすとスキャンダルなアート行為がおこなわれてもそんなこと誰でもわかってるのだから私は地道に産業資本の横暴ぶりや政府の欺瞞を具体的に告発する環境保護団体に耳を傾け支持した方が良いと確信している。まあ現代アートファンはアートの形をとらないと物が見えない人たち(例えば天井に四角い穴が開いて初めて青空や雲の流れを楽しめる人たち)だからその人たちへの警鐘になるかもしれないが。
ところで「規範からの逸脱」なぞと難しいことを言わなくても一般的に芸術家は自由な生き方をする=規則を守らないと解釈される風潮があるらしく、「我がアトリエ正面のゴミ捨て場が臭いし捨て方がむちゃくちゃだ」と文句を言って張り紙をしたアパートのガーデイアンにその後状況が良くなったか尋ねてみたら、よっぽどご機嫌斜めだったのか「あんたの側はアーティストたちが住んでいるから、、、」なんてどう見ても偏見としか思えない意見が飛び出してきてびっくり。「私はちゃんと捨ててるよ」と言ったら「あんたのことじゃない」と → 私はアーティストじゃないのか〜😅
この投稿の写真には腐心しました(笑)アメリカ館もロシア館のコーラスも撮っているのだけど日本語読めない人に大きな誤解を与えかねないし。で、写真は我が団地に住むお兄さんのTシャツ、ハンバーガー店で働いていて仕事着らしいが、バーガー好き(といわれる)トランプにはいいメッセージじゃないでしょうか。 フランスではハンバーガー作りも政治に関わる???(笑)
注
* 5月16日の投稿でビエンナーレでの後悔を書いたが、ここでの「後悔」も言葉としては強すぎるような。私の日本語ボキャブラリーが貧弱なせいか?フランス語だと〜し損なったという意味に繋がるmanquer、英語のmissを使うのがいいのかな?と今更ながら考えましたがどうでしょうね?
2026年2月13日金曜日
キミはトウフ屋を見たか?
我が街太秦には昔懐かしいコロッケをその場で揚げてくれる肉屋さんや野菜を一笊いくらで売る八百屋さんがあり(これは一昨年引っ越して間もない日の投稿で書いた)、それに学校の下校時間のみ開く古びたみたらし団子屋さん、それに裏道に入ると畑があって野菜の直売の店がちょくちょくあるという楽しいタイムスリップ地区なのだが、なぜか豆腐屋さんが見つからない。
京豆腐というわりに街の豆腐屋はもう存在しないのかなと思っていたのだが、今日正真正銘、写真のような薪の燃える釜のある豆腐屋さんが京都御所から遠くない裏通りで出くわせ急ブレーキ(注:自転車です)。三角の揚げ豆腐を見たら大根おろしと醤油でそれがおかずになっていた子供の頃の記憶が湧き上がり、今晩はそれで済ませた(笑)
この豆腐屋さん、数十年前のフランスの田舎のチーズ屋と似たところもあるなー(これも懐かしい)。「いつ頃からあるの」ときくと「100年ぐらいかな〜」と。でも通りから見ると暖簾に『創業文政年間』とあるではないか! 問い直してみると「書いてあるものがないからそれはあてにならんよ」とあっさりと言われ、、、創業10年や20年で宣伝したがるお店の多い日本でのコレ、感服いたしました。
本当は私の名古屋の個展「キミはタコを見たか?」のこと書くつもりだったのだけれど、それはまた今度
付記:右写真の昔ながらの揚げ豆腐に比べ、普通の豆腐は時代は変わり、水から掬い出すことはなく既にパックにされていた。しかしこの豆腐屋さんは懐かしい以上、こんな店は子供の頃も見たことなかったかも。
2025年10月2日木曜日
牡蠣拾い エクス島の日々
| こういう岩と岩の間の水たまりに転がる牡蠣がいる。沖に見えるは後述のFort Boyard |
| 勇壮ないでたちで小海老を撮りに来た漁師たち。でも網の中を見せてもらったら1匹だけ。趣味なのかな〜? |
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| これはオイスタースポットの反対側の長い砂浜 |
こちらは私のデッサン。インスタ京巴ページに投稿中で他にもあります
2025年8月24日日曜日
暑い夏の些細な近況
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| わかり難いかもしれませんが、歩道をご覧あれ |
2024年11月1日金曜日
私の細腕とカイユボット展
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| 小さな習作。左の男性のポーズが違いますね |
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| あまり俯瞰してない床磨き。窓の光の床への反射お見事。この段階では男性がシャツ着ている |
| これもパステル。川遊びにしてはあまり楽しそうに見えないが、遊びより筋力トレーニング??? |
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| ボートシリーズでは油絵もルノワールを思わせるような色彩になる |
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| 構図だけではなく実際に飛び込むのも好きだった😁 |
| 古典写実的と思われたカイユボットだが絵具ベトベト、この辺完全モネしている |
2024年8月5日月曜日
牡蠣の産地のサン・ヴァー紀行
| 水から牡蠣の殻のかけらを除くのが意外に大変だった |
| 出身地の名物料理カスレを調理中のL君 |













