2026年9月20日日曜日

キム・ゴードン展、ロックと現代アートに関する独り言

美大は出たけれど社会活動の仕事につき、そしてご主人の有機農場の手伝いもし、ずーと活動的で忙しかったFさん、引退して来たる11月に初の回顧的な個展を子供たちの後押しですることになったのだが、初夏以来何故か私に何度もアドバイスを求めてきた。これも何故かだが「できない、もう諦めようか」と弱音を吐きだしたようなので何の役にたつかわからないけれど重い腰を上げ9月頭に南仏まで様子を見に行った。まずは展覧会場を見て、アトリエで作品選び、人生初の「個展コーチ?」という不思議な仕事(もちろんボランティア(笑))は意外なほどさっさと捗った。
 
その帰りにアヴィニョンのランベール財団 Collection Lambert で行われているKim Gordon展を見た。展示は下のインスタ eizo eyes のリンクをご参考にしてもらうことにするが「なにこれ〜」でしょ? 正直「こんなでいいのかね〜?」と思い呆れる反面、ちゃんとキーキーガーガーの連続のビデオを最後まで見通してしまうほどで、これも「何故か」だが決して嫌いにはなれないのだ😅。
 
キム・ゴードン Kim Gordon、彼女はソニック・ユース Sonic Youth(日本語ウィキから引用すると「1980年代以降におけるアメリカのインディーシーンにおいて、ノイズパンクの雄として君臨。後のグランジオルタナティヴ・ロックムーヴメントへ大きな影響を与えた」)この説明が意味を持つ人が私のブログの読者にいるかどうか不明だが、ともかくうるさいノイズの多いバンドのメンバーで、紅一点ブロンドで歌姫的な感じを与えないでもなかったがバンドの音楽性からそんな風にはなりがたく😅、73歳の今でもインスタ映像のようにギター持って舞台で暴れたりしている。この人も元々美大出で、でも南仏の友達とは違って迷うことなくラディカル路線まっしぐら、そして私の知らぬ間に現代アートの殿堂でも展示するようになっていて、、、
 
私は子供の時はピアノ教室に通ったし、親にクラッシックのコンサートにも連れて行かれてそれなりにその年齢では十分な素養があったのではと思うのだが、やっぱり反抗期あたりからかな〜、フリーでアグレッシブ(つまりノイズが多い)でジャンルを交差した「初めて耳にした音」はまさにかっこよく、それに打ちのばされて以来ロック青年になってしまった。
 
そんな私が思うに、ロックの流れというのは実は非常に現代美術とよく似ている
 
今話しているのはロックと言っても一般受けしてただの歌謡曲とならないソニック・ユースみたいなバンドのことのことだが、一応若い層に支持されるポップミュージックだけれど、やっている人は時代の先端を行っているという意気込みがあり、聴く側の態度もWhat's next?という常に耳新しいサウンドの追いかけ思考。つまりどんどん新しいブーム、スターが生まれては廃れてゆく。かつそれが産業(商売)として意図的に仕組まれることも多く、それが上手くいくことも行かないことも:この点はひょっとしたらファンが一般大衆とはほぼ遠い「現代アート」の方が仕組まれやすいと思う。
 
南仏のコンサルタント(?)の後に寄ったイギリス人彫刻家のP君の家で話してる時にレイチェルなんとかの話になって、誰のことかポカンとしていたら「お前の世代だったら知らないということはない」と言われた*。つまりロックでも現代美術でもある時期世界を席巻するアーティストがいてそのジェネレーションでは知らぬアート関係の人間はいない、でも幾世代もはなれた若い世代で知る人はごく稀になるという時代の流れがある。

ロックに関しては60年台後半の優れたミュージシャンたちが昔のロックンロールとプルースの延長に築いた黎明期(?)はすごいパワーだったが、その後テンションが下がり、でも70年台後半からのパンクでももち直し、その後のニューウェーブと私はずーっと熱心なロックファンであり続けた。しかしそれがラップで突如ついていけなくなった!まあこれも過渡的なものと思い込んでいたらいつまでも続き、、、ラップというのはそんなに革命的なパラダイムシフトだったのだろうかと疑問を抱くようにもなったが全然興味が湧かないので研究のために聞く気にもならない。 
ロックと現代美術のアナロジーを考えるといつごろからか私が「今の現代美術」流れにもついていけなくなくなったのも仕方がないかも😅
 
この点クラシック音楽はそれなりに流行りすたりはあるだろうが土台となる曲、作曲家はほぼ永久不滅、演奏者は変わって世代が違うと誰それのコンサートは良かったと言っても通じないかもしれないが、曲の演奏の仕方とか解釈で異なった年齢層のファンでも共に蘊蓄を傾け合う会話ができる。それに反しロックの場合はバンドが主体、それが登場した時代背景も影響するので、同じ話題を分かち合う「友」を見つけるためには同じ世代の元ロック青年を見つけなければならない。かつヨーロッパと日本では状況も違い:日本では安保闘争と反ヴェトナム戦争が背景の米ロック界を背景に「反体制」の知的な若者の歌ととらえられたが、欧州ではロック好きもサッカーファンも近年までは馬鹿者のもの代名詞で知識層の話題にはならなかったものである。
馬鹿かどうかは別にして日本と欧米ではとにもかくにも実況感も違う。今ではSNSの上で昔のライブ映像などで当時の欧米の様子が分かり昔のライブ映像などで当時の欧米の様子が分かり「なるほどそうだったのか」と多少の喜びを今更世界の同世代のファンと分かち合うこともでき、一時よりは仲間(?)が増えたのかも=あくまでヴァーチュアルで(笑)。それに比べP君夫婦はハイドパークのキングクリムゾンが前座だったローリングストーンズのコンサートにいたんだって、信じられん!)
 
こうしてほぼロックを聴き続けた私はロックなんて基本はエレキのディストーションサウンドだと思っているので、キム姉さんのノイズミュージックもそんなに突飛なものとは思えずそれで「ずーっとこんなのでいいのかね〜」と思うのだが普通のミュージシャンはノイズの実験みたいなアルバムを作っても普通は違う方向に向かうもので、このぐらい執拗にやり続けること自体がラディカル、それでこそ「その馬鹿らしさ」も含めて現代アートに交差していくのだ。
褒めてるのか貶してるのかわからんけれど私がブログに書くこと自体わが敬意の表れなのです(笑)  
 
 

 

先週末は友達の娘の結婚式でイタリア中央部の街に行き、その後ヴェネチアに行ってキス集めをしてビエンナーレのオープン時の欲求不満(参考投稿)を多少解消して戻ってきたのだが、その間にリタミツコという80年台に大ヒットしたフランスのロックバンドのカトリーヌ・ランジェ Catherine Ringer が亡くなっていた。68歳で私より若い。エキセントリックでエネルギッシュ、素晴らしい歌唱力でずーっと楽しませてもらった。合掌
  
 
注 * ここで話題になったのレイチェルさんは女性で初めてターナー賞を取ったRachel Whiteread、多分現代美術史から消えることはないだろう。もちろん私も知っていたが、ターナー賞を取った人をあげよと言われると私は何人言えるだろうか???