2021年1月22日金曜日

岩名さんと芋虫

自分の目では「大傑作」と思うが、欲しがる人はいないだろいうので安心して展覧会に飾っておける作品というのがある(笑)。「芋虫」はそんな作品の一つだった。一昨年の7月、ちょうど帰国していた、ノルマンディー地方在住の舞踏家にして映画監督の岩名雅記さんがぶらりと銀座のフォルム画廊に現れ、「これ買います」と言い出し、びっくりすると同様困った。というのも稼いだ金はすべて映画製作に当てている彼の生活を知る者にとっては恐縮するしかない話で、、、私の初の銀座での個展への景気付けという心遣いがあっただろうが、嫌いな絵を飾るような人ではないし、、、。

確かに床に這いのけぞるような「芋虫」は舞踏的かもしれないと思わないでもなかったが、実際には私は「岩名さんの舞踏」も舞踏全般もわかっているわけではなく、公演を見ても褒めたり褒めなかったり。自らの内面を抉り出すような「舞踏」のアトリエに参加したいなどとは到底思わないから逆に部外者として忌憚なく話せる間柄でもあった(ただしそれで一度怒られて1年ほど交際禁止の罰を食らったこともあるのだが)。

「困った」私は「岩名さんの家は湿気が多いからだめだよ」と振ってみたのだが(実際彼の田舎の旧農家の住居は本当に湿度が高い)、「練習場の建物に新しい部屋を作るから」とのことで、、、結局「商談」成立。でも「部屋ができるまでは預かっておくから」ということでその後1年間私のアトリエの壁に飾られていた。

 

Publiée par Eizo Sakata sur Jeudi 12 novembre 2020

また東京で展示するのがもったいないような「傑作」ができてしまった。かなり結晶が厚くて梅雨の日本に持って帰るのが心配で、、、(ネットでシリカゲル大量購入しましたが)J'ai réussi à réaliser le dessin aussi...

Publiée par Eizo Sakata sur Mardi 14 mai 2019

 

1年ほど前から具合が少しおかしいと言いながらもそれまではネットで見た古い日本映画の論評を書いてFBに投稿したりして元気そうだった岩名さんが8月中旬急に入院。病院で肺周辺に溜まっていることがわかった水を抜いて少し楽になり、肺細胞には異常なしたとのことで私はそれはよかったと喜んでいたのだが、検査結果は胸膜中皮腫とよばれるごく稀な難病と判明。9月には退院したが、病に苛まれながら文字通り身体に鞭を打って舞踏論集の仕上げにかかられた。その中彼から「表紙に『芋虫』を使いたいのだが」との問い合わせを受け取った。ネガポジ反転と背表紙を境に「八の字」とする構成とするアイデアでなかなかの迫力で、勿論快諾。

 

「表紙に私のデッサンを使いたいがいいだろうか」との相談を受けたのが9月21日。岩名さんそのあと2ヶ月もしないで逝ってしまわれた。表紙の白黒反転はすごい迫力なので感心したら「いいでしょう」とご満悦げな返事が来た。背表紙を境に「八の字」になると...

Publiée par Eizo Sakata sur Vendredi 27 novembre 2020
 
 
 その時も彼のもとにある「芋虫」は写真のファイルのみ。塩の結晶が輝くオリジナルを楽しんでもらえるよう持って行かねばと思いつつも、コロナ高感染ゾーンのパリからお見舞いに行っていいものやら悪いのやら、しかし夜間外出禁止令も10月17日から施行され、コロナの雲行きも悪くなるばかり、その中Gさんに車のレンタルと運転を頼んで「芋虫」を持って伺うことにした。その時はまだ新しい部屋はできていなかったが奥さんとお友達たちの奮闘で数日後完成、結局11月11日にその部屋で岩名さんは亡くなられた。
 
お葬式でその部屋に入ったら「芋虫」のみならず「身体が岩に閉じ込められた女性」のキャンバス画も飾られていた。あれは2000年代かな? 岩名さんの初映画「朱霊たち」のお手伝いをしたのもその頃、映画の中に使われる「映画内映画」の大ポスターや顔が浮き出る洞窟の制作などを「仕事」として注文してもらったが、岩名氏は知るか知らぬか、あの頃は結構貧乏だったので有難くも助けられたものだ。完成後は役立たずの映画プロモーター業務も仰せつかった。

 
その前には1999年に岩名さんのワークショップの発表会でスタートしたばかりの Baisers Sans Frontières の「キス集め」をさせてもらい(彼はというと「踊り」の最中に予め壁に貼ったキスカードにそそっと這うように近づきそのまま見事指定の枠内に唇を突き出した)、2002年には南仏での展覧会のときに、思い通りに全然ならなかったインスタレーション「霧の温室」で踊りに来てもらった(植木屋さんの温室内に霧を立ち込ませ、その中に岩名さんが立ちすくんでいるという想定だったが、農園用スプリンクラーでは霧が作れないばかりが地面がベチェべちゃになるばかり。結局ドライアイスを使ったが霧の効果はさほどでなく、岩名さんは「ドライアイスがゴボゴボいう音が面白かった」と、、、。その後美術館等で霧や雲を作る作家が現れたが、高度な技術を駆使しているので私は「そうか〜」と感心するばかり(参考投稿)。まあアイデアは悪くなかった(笑)。
あの時の公演は観衆が「舞踏」を見たことのない田舎町の人ばかりなのでか他の理由からか、岩名さんは裸のまま観客の中に倒れ込んだりして随分ワイルドだった。パリで時間のあるときは、いつも客が少なくて心配になるクスクスレストランをほぼ貸し切り状態で駄洒落の応酬の馬鹿話、考えてみると長いお付き合いだった。鍛えられた身体の岩名さんと私、歳の差があっても死ぬのは同じぐらいであろうと私は思っていたのだが、、、
結局冥途への旅立ちのお供をさせてもらうことになった「芋虫」、それが表紙の上記「孤独なからだ」は近く出版される。「舞踏論集」ということだが、舞踏の創始者土方巽や大野一雄らの思い出、かつてのインタビュー、ワークショップでのメモなど、我々一般人が読める内容だ。自分の「舞踏人生」のスクラップブックという態をなしており、これを最後に纏め得たというのは亡くなる予感があったのだろうか
 
 
177ページ、50近くのエッセイが集められている。
 私の好きな下のFBでリンクしたハンディキャップの生徒さんの話も入っている
 
2500円 + 税 + 郵送費
予約ご希望の方は wakamatsu@gmail.com まで
 

岩名さんは映画の手伝いをさせてもらったので旧ブログでは度々登場いただいたが、彼のこんな文章がリンクしてあった。コピペします。やっぱり彼は素晴らしい人生を過ごしたと思う ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (2009年10...


 

参考投稿

旧ブログで少なくとも岩名さんの名前が出てくるのは20投稿もあった

その一つの「朱霊たち」の試写会の時の感慨(2006年9月):わざわざクリックしてくださる方は少ないだろうから以下コピペ

長篇映画を作るのは安くても2千万円はかかる。いくら昔からの夢でも現実問題となったら「そのお金でアパートでも買った方が、、、」と思ってしまうは私のような凡人。だからそれだけで私は岩名さんを尊敬、それで手伝いをはじめたのだが、昔からの映画ファンだけあって映像が繊細で美しい。最近こんな映画はめったにありません。
話は作者の妄想か荒唐無稽、または紋切り型で陳腐という面もあるかと思うと、シュールでかつ真に迫り不思議な感銘を受ける。だから「変な映画」。
一昨年の夏、彼の住むノルマンディーの旧農家は戦後の日本の町並みに変身、撮影スタッフには薄給で朝から晩までよく働く、とうていフランス人とは思えないような若者たちが集まった。そして俗に言うポルノシーンがあるにも関わらず春には文化庁からの助成金がおりた。撮影中には主演俳優が大怪我をし、その後プロデューサーがとんずらしたりという大ピンチを乗り越えた。試写を見ながらあらためてよく岩名さんはここまでに至らせたものと感慨の思いにひたった。

 
 

「朱霊たち」の予告編
私の描いたポスターも登場する
 
 
 
 
最後の映画(日本とヨーロッパを舞台にする3作目の長編)「シオンのオルゴール」は欧州撮影を昨年春に予定していたのだがコロナの所為不可能となり未完成となってしまった。残す家族のことは勿論だが、岩名さんには逝くに逝き確しという心境だっただろう。合掌。
でも繰り返しになるが彼はいい人生を過ごした。それが全てだと思う。私の人生は岩名さんのような気骨なしだが、どういう風の吹き回しか彼になら「英三さんの人生もそれほど悪くなかったよ」と言ってもらえるかもしれない気がする。それを目指して、岩名さん、もう少し浮世を漂いさせてもらいます。
 

 



 

2021年1月10日日曜日

トイレのない国 (カフェの閉まったおフランス)

役場の横に珍しくちゃんとしたトイレがあったMont村の泉
 「あれー、英三さんもう帰ってるの」と言う声が聞こえてくる。普通なら私はのんびり道草しながらパリに北上するところだが、今は全く「普通」でない。何しろカフェもレストランも開いていない田舎ではバスや列車待ちに時間を潰す手立てもない。それ以上にトイレ! 日本のように清潔な公衆トイレがどこかしこにあるのと違って、特に女性の場合はどうする?という状況。カフェは必要不可欠な業務ではないとして閉店させられているが、一般市民にトイレを提供するという断然「必要不可欠」な仕事をしているのだ。つまり今のコロナ規制下では普通に旅行することは不可能。まあ前々回言ったように兎にも角にも外に出さないためと思えば十分効果のある政策ではあるが。

というわけで普通のバカンススケジュール通り日曜の夕、戒厳令タイムの8時前にパリに戻ってきた。これは勤め人の I さんに付き合ったこともあるのだが、パリに戻る高速は当然大渋滞、「普通の人」の生活は大変だ〜。

「年末に(スキーできない)スキー場なんて贅沢な〜」と思う人もあると思うが、11月はロックダウンで前年の月収に見合った11月の政府の助成金(参考掲載:4/30)がおりたので、それをパーっと使った感じ(低所得なのでそのぐらいでなくなる(笑))。かつアーティスト援助のため我が「公営住宅のアトリエ」の家賃も半額になっているし(実際にはその実施開始が遅れたので先月今月は家賃ゼロ)、以前にも書いたように「外出禁止」で遊びにも行けないので不思議に例年より余裕あるんです☺ マクロン様様???

しかし夜間外出禁止令だけではロックダウンとは違って助成金は僅かになるからそろそろ真面目に、、、。でもせっかく買った冬山グッズを1回しか使わないのはもったいない。どなたか山行くなら誘ってくださいね(勿論仏国内で):気楽に遊ぶなら今のうち、コロナ対策の借金で大変な時代になるのではと経済音痴でいたって真面目な私は非常に危惧しているのですが、、、。

2021年1月8日金曜日

ピレネーでの年明け

あけましておめでとうございます。今年もよろしく
 
元旦のピレネーの晴天の雪原

 

今年の年末は勿論アトリエでの大パーティーなどできない状況。パリに幽閉されっぱなしでガス抜きしないと爆発しそうと思っていた時にグループで山歩きをする I さんが「ピレネーに行くけど」という話をしてくれて、直ぐに乗った。でも実は半信半疑で、雪山用の靴とズボン、手袋を買ったが、1月末までは返品可というので値札等つけっぱなし。なんたって前々回に書いたように政府はロックダウン解禁に「新患者数が5000人未満になること」という条件をつけていて、一応クリスマスのために15日から「移動の自由」を認めたが、感染数が下がらない現実ではクリスマス後にまた新たな規制はありうると私は警戒していたのだ。かつグループ滞在なので参加メンバーは来る前にテストを受けることにもなっていて、まさかってなことも、、、。結局政府より私の方が現状認識厳しく、かつマクロン君みたいに大勢の人に会わない私はテスト結果も陰性、やっとこれで「値札」を切ってピレネーへ GO !(日本の方は知らないかもしれないがマクロンはクリスマス前に欧州首脳会議に出席して見事感染した)

「クリスマスパーティーは6人以下で」というへの政府勧告(これも前々回投稿)があったから少人数グループかと思っていたら2倍の12人。レストランはやっていないので宿泊する山のロッジで三食するしかないがどうなるのかなー?  I さんは「大晦日はパーティーするよ」と言っているし??? となんかそんなことが可能なのかよくわからなかったのだが、、、ロッジの「コロナ対応」は、客と従業員がなるべく接触しないようにしていて、食事は調理して置いてあるのを宿泊客がグループごとに取りに行く。それを自分たちにあてがわれたサロンに持って行ってセルフサービスという形式(勿論収容人数を制限しているから十分なスペースはある)。結局食べる時に「距離を置く」かどうかはお客さんまかせ。つまり客グループは家族に準ずるという前提。我々はガイドさんも一緒に宿泊してもらって完全にグループ家族体制。昼食は各自が持参のタッパーウエアにロッジが作ってくれた料理をよそってお弁当という具合。つまり「テイクアウトは可能だけどレストランはダメ」と言う規制の間をぬう:これがマクロンがよく言う"réinventer"(再発明)かー、てな感じ。

ピレネーのスキー場はアルプスと違いクリスマスシーズンにはまだ雪がないことも多いのだが、私たちが着いた29日の夜の間に降雪、パウダー状のさらさらした新雪が20センチ以上積もり「かんじき」(フランス語では形通りラケットという)で歩くには絶好のコンディションとなった。 

 

 
降雪の中を行ったMont村の教会の壁画。勿論内部も絵で覆われていたがスタイルが多少異なる

 

ググると出てくる温泉 Balnéa の写真
30日は雪曇り(この日は宿泊地のHautes-Pyrénnés県 Germ村から3.8キロの、Montという壁画が残る12世紀のロマネスク教会のある村まで往復。戻り道で「まだ元気のある人は」というガイドの誘いに乗ったら、高齢層のメンバーの実力を甘くみていた。私だけバテバテ) 31日は晴れだったが私は  I さんと温泉へ(ネットの露天風呂の写真があまりにも素晴らしかったのではじめから絶対に行くつもりだった。写真に嘘はないのだがやっぱり「趣向プールの遊園地」でれっきとした日本人の「温泉ファン」としてはなんとも〜)その後Arreau(アロー)という町へ。町というのは「市」も出て、色々なお店、本屋もある。この田舎の本屋も例年になく繁盛だとか(第二次ロックダウンで貧乏くじを引いたようで文句をあげた町の本屋(参考掲載)だったがその後市民の同情をひいてコロナが追い風になったことは知っていたがこの山村でもとは! 私もピレネー関係のエッセイを一冊購入) 大晦日は常連メンバーがシャンパン、フォアグラ、鮭などを持ってきておりパーティー。でも明日の雪山ハイキングがあるので夜中の乾杯の後すぐお開き) そして元旦はほぼ快晴で景色のひらけた山登りで爽快な年明けになりました。

この若そうに見える写真を年賀の挨拶メールに使ったら意外に大きな反響があった(笑)

 

雪原は結晶がピカピカ。雪で絵描いてワクチン用冷蔵庫付きで展示したくなった☺