「天空を歩く自然」(1974) |
2013年にもここではアウトサイダー・アートの展覧会があってこんな記事を書いている。Sava Sekulicはその時に特に目の止まった作家だったが、今回は彼の個展。8年前よりもセルビア・センターも「進化(?)」して前回の何段重ねの展示はやめて横一列、かつ入口ホール、地下そして2階のイベント用ホールの3フロアにわたる充実した展示で、説明やビデオもある。でも気になる「作家の生い立ち」の説明は乏しく、何故かまたもらったカタログ(今回は昔より分厚くて立派)を引用すると:
1902年に現クロアチアで当時オーストリア=ハンガリー帝国領内だった田舎の貧村に生まれ、10歳の時に父親を亡くし、母親が再婚して隣村に行った時に取り残された(その頃の地方の風習だったらしい。その後誰に育てられたかは?)。15歳で同帝国に徴兵されて第一次大戦で前線に出され負傷、片目を失明。17歳で故郷を去り季節労働などをして各地を転々とし1943年にベルグラードで左官の仕事をして暮らすようになる。その前から想像力の発露の方法を探していたが絵を本格的に始め、62年に引退して以降それに専心する。69年までは芸術界とはほぼ隔絶した生活をしていたが、その後見出され70年代には名が知られるようになり、1989年に亡くなった。「異なった私から出てくるもの」(1960) |
彼はCCCとサインするのだが最初のふたつのCは名前の頭文字(セルビア語ではC=S)で最後のCは独学という単語の頭文字、つまり独学サーヴァ・セクニクでそれを自負していたようだ。実際彼は美術学校どころか「学校」というものに行ったことがなく、読み書きも岩に文字を彫って自分で覚えた。絵に関しては彼曰く「先生は自然のみ。他のものは自分の持っているものをダメにする」。
「赤鹿シティー」(1948) |
「母乳源」(1960) |
こういうのって私考えても出てこないから楽しいよなー。僕もお乳吸いたくなりますよ♫
参考投稿
- 本文中にリンク貼りましたが 2013年に書いた「セルビア文化会館のアウトサイダー展」
- 今は亡きボルタンスキーの語った(2011)、アール・ブリュット「アートのユートピア」
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