2021年11月14日日曜日

オキーフの絵の不思議

この人は一体何を描いているのだ!? 

風景が描かれているが風景ではない。花が描かれているが花ではない。これが現在ポンピドーセンターで開催されているジョージア・オキーフ Georgia O'Keefe(美術解説)を見たときの感想。

私はオキーフに関心を持っていなかった。彼女の絵は時々美術館で見たことはあるが、普通は花の巨大ズームアップ、動物の骨と風景とか「彼女のスタイル」とされている作品が1、2点ぐらいあるだけで「エロティシズム」と「死生観」で括って「はいおしまい」にしていた。その二つは彼女の一貫したテーマとしても、彼女の絵はもっと幅広い、「モノ」に宿る生命あるいは霊を醸し出している。私が特にそれを感じたのはニューメキシコの風景。私は行ったことがないのでわからないが、映画や写真で見るニューメキシコはカラっカラに乾燥した砂漠で白黒写真であってもメリハリの効いた色彩を感じさせるのだが、彼女の絵の風景は日本の油絵作家の風景にあるようなねっとりとした温帯感があり、乳白が混ざったような色調で組み合わされている。色彩だけではなく形態も明らかに彼女の意図に沿うように変容され、侵食された粉っぽい岩肌は大地のまさに「皮膚」となる。

しかし形態の類似性が重要なのではない。風景だが風景ではなく、花だが花ではないというのは単なる伝達説明手段ではなくなった「絵画」としてはあたりまえのことだが、描かれている「もの」の存在よりも「何か」が先駆けて見るものに迫って来るのは、例えばロマン派のフリードリッヒの風景画のように、そうしばしばあるわけではない。そのテーマの「何か」には地神、物神に似た日本的なところも大いに感じる。

実際オキーフは日本に惹かれていたらしい(後述のビデオで知った)。今回は回顧展なので彼女の「典型的」な作品のみならず、もっと幅広く、アール・デコ風にデザイン的な都会風景や抽象的作品も展示されていたが、装飾的でピュアーにスキッと処理されていて、これに彼女の自然観が加わり日本画的なところもある(特に滝の絵なんてそうでした)。こうしてテーマの類似性にかかわらず、ヨーロッパのアールブリュットぽい情念的なスピリチュアリズム絵画とは一線も二線も画する絵が誕生した。

 

私はこの展覧会に圧倒されて、オキーフをもう少し知らねばと簡易カタログを買ったのだが、これは会場の壁にあった解説と絵の写真だけでできているという超安易なもので、かつ印刷の色彩もよくないしで何も得るところがなくびっくりした。仕方がないからググって見たらその同じポンピドーセンターが作った展覧会紹介ビデオが意外にちゃんとしていて、、、。(というのも春に開催された同センターのマチス展のビデオが酷くて:派手な眼鏡をかけて横縞シャツを着てポケットに手突っ込んで絵の前を闊歩する女性キューレーターをカメラがフォローし、絵はまともに見れない。私は頭に来てYouTubeにダメマークをクリックしたほどの代物だったのだが、それはさておき、) 

実際の会場は陳列室から陳列室に順に回るというのではなく、会場全体が大きなフロアーになっていて好きなようにみられるが、その一方で私のようにオキーフをよく知らなかった者には混乱を招くところがあった。それに対しビデオは時代順なのでよくわかった(笑) 色も簡易カタログよりよっぽどいいし(展覧会で絵、解説の全てをスマホで撮っている人があるが、昔簡易カタログ買って懲りた人たちなのかな?) 

これは晩年の作。塩の砂漠だと思っていたら「雲の上の空」だった

 

これがためになる(なった)展覧会紹介ビデオ


 

蛇足ながらあえて書くと、この展覧会にこんなに感じ入ったのはおそらく最近の大きな海水ドローイングで私が探しているものがオキーフの絵に近いものがあると思ったから。右はベリル島で描いた風景ですがいかがでしょうか?

ベリルのことはこちら


 

オキーフの回顧展は12月6日まで (美術館サイト)

 



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