2013年10月6日日曜日

「光り物」は化ける

昨晩は、ビデオや光のインスタレーションがメインの「パリの白夜」フェスティバル。いつも中心地区があるのだが、今年はいつもより散漫、プログラムを見てどこら辺に行こうか見当をつけようと思ったが、決めかねた。結局サン・マルタン運河周辺にに行ったのだが、去年の声音パーフォーマンスのようにはっとするようなものは結局なかった。今日になると何を見たかもうほとんど忘れてしまったが、フェースブックの他人の写真を見ると、「ヘーエ。こんな奇麗だったの」と感心してしまう。自分の写真を見ても、プールの上にビニールがぶら下がっているだけの「零点インスタレーション」でもまあまあ見られる(これはプールで泳いでいる子供達がいるから様になっていた。だから作品はアングルからもほとんど外され、、、プログラムではライブの音楽もあったはずだったけど?) 
第二の写真は中谷 芙二子のレパブリック広場の「霧のナイアガラ」(私の命名)。レパブリック広場は幅百メートルはあろうか、大きい。それを全部使った規模の大きさがよかった。カフェがあり、そこのテラスも霧に包まれていたのもよかった。(広場が改装されて以来行ったことがなかったのでわからないのだが、このカフェがインスタレーションの「白夜」の一部ならば、私の評価はぐんと上がる)
単純なのだが大勢の人がみんなすごく楽しんでいた(本当の濃霧は大抵冬の朝の出勤通学時、それを楽しむ余裕なんてないからか?)。でもこれも写真は現実よりもっと幻想的になる。「光り物」は化ける。(霧と言えば、はや7年前、イタリア、アッシジの自然の霧は素晴らしかった)
私の趣味ではボックスの中に入って歌った人の歌声を、ボックスの上の拡声器で、歪みのひどい音でがんがん流すという変な参加型インスタレーションが面白かったが、これは当然写真映えはしませんね。(昔、某イスラム国でミナレから流れる詠唱に悩まされたが、関係あるかしら)

全体に何か今年はしょぼかったような気がする。単に私のチョイスが悪かっただけかもしれないが、私は勝手にシュトックハウゼンのヘリコプターを使った作品の演奏とか、蔡國強の2時間もある花火に予算が取られすぎたのではと思い込んでいる(両方とも見ていません)。


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