Caspar David Friedrich, « Haute Montagne », 1824 |
デイナモと同じぐらい気楽に見れそうな、これも始まったばかりのパリ市近美のキース・ハーリング展に行ったら閉館だった(それもそのはず、パリ市の美術館は月曜休み!:記憶障害の前触れ)。だがキース君のお陰でアルマ・マルソーの地下鉄の駅はこんなに楽しくなっていた(展覧会見なくてもこれで十分?:元々NYの地下鉄の通路に描かれていたのだし)。しかし私は廊下にあったジョットのポスターを見てルーブルへ(我ながら寛容度が広いというか、支離滅裂というか、、、)。
ジョットは列が出来ていてまたまた方針変更。すぐに入れる「ドイツ 1800-1939 フリードリッヒからベックマンまで」展へ。興味があったのにこの前会ったSさんが「行かなくてよい」と太鼓判を押したので優先ランクが低くなっていたのだが、これはすばらしい展覧会だった。Sさんをうんざりさせた神話的主題の絵をどんどん飛ばし、歴史的風景(昔ブログで紹介した南独のパルテノン、ヴァルハラ神殿の絵もありました)もスキップ。その中にはカスパー・デヴィト・フリードリッヒも少しあったので、宣伝文句はこのことか、それなSさんの言う通り大したことはないと思っていたら、彼の大作が並ぶ部屋に出る。ベルリン、ミユンヘンで傑作は見たつもりになっていたらドレスデン、サント・ペテルスブルグ、モスクワなどから傑作が集まっている。ここまでかなりいい加減にとはいえ、ドイツ絵画の流れを概観した訳だし(例えば風景だけならフリードリッヒ風なのに「騎士」がいる絵とか、廃墟へ憧憬とか)、ここでは同じ風景を他の画家の絵と並べてあって、すーっとフリードリッヒの世界の成り立ちがわかる。フリードリッヒの絵には哀愁があるし、技術もすごいので誰にでもわかりやすいが、簡単にでも歴史を追うと理解に深まりを感じる。色彩論に関わるゲーテの絵とそれに続くクレー、オットー・ディクスの変な絵(虹のかかった墓地)の批判的パロディー性もやはり歴史的コンテクストを辿るとよくわかるので、「ディナモ」にはなかった感覚だけではない愉しさがある。ひょっとすると聖堂に天使が集うフリードリッヒらしくない彼の絵も前時代へのパロディかもしれないと考えたり、カンディンスキーがグループを「青騎士」と名づけてロマンチックな絵を描いたのもうなずける(彼はロシア生まれだからかこの展覧会にはない)。最後の方にあるNYのMOMAから来たディクスの戦争版画のシリーズも圧巻で、この展覧会お勧めします(6月24日まで。繰り返しますが前半は飛ばすように。副題の「フリードリッヒから」というのはそれを示唆しているのだろうか?)。
Otto Dix, 戦争:ガスの中を突進する部隊 1924 |
しかしSさんは後半を見なかったのだろうか? まったく反対意見の人の評価は非常に参考になる。私のブログもそういう風に使ってくだされば幸いです。
注1:私のブログでは日本語ウィキペディアにある作家はリンクを張っていませんが、 カタカナ作家名はウィキに準じています
注2:絵の写真はprofondeur de champsというブログから
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