2022年8月23日火曜日

もう終わってしまったので余計に捉え難いタチアナ・トゥルヴェ展

写真ではありません、鉛筆で描き込んでいます
 
私の死活路線であるメトロ14番線の夏季集中工事が終わって昨日になってやっと走りだした! 一方ポンピドーセンターのタチアナ・トゥルヴェ(Tatiana Trouvé) 展は昨日までだったので趣味の美術鑑賞に。 

床にも糸線模様、全体が大インスタレーション?
タチアナ・トゥルヴェは頭に名前が刻まれているので嘗てどこかで何かをみて印象に残ったはずなのだが、近年目にするインスタレーション作はピンと来なくて「どうでもいい作家」になっていたのだが(2007年にマルセル・デュシャン賞をとっているフランスでは有名な作家なので展示はよくあるのです)、この展覧会は最終日に来たのを後悔させるほど「平面作品」の力作揃いだった。基本的にはデッサンで、そして何が描かれているかと言うと、、、これが皆目捉えようがない。仔細にリアルに描かれた建築、石、自然や不思議な糸線模様からなる風景は、記憶の拠り所になるものが沢山散りばめられているのに、それを物語ろうとすると夢の記憶が消えていくように、たちまちにして脳細胞の間をすすり抜けてしまう。会場は写真のように大きなスペースに大きな絵がいくつも吊り下げられていて、2度目に見ても「あれっ、これ見たかなー?」と戸惑わされつつ彷徨うことになった。
この展覧会には「方向喪失大地図 (Le grand atlas de la désorientation)」という副題がついていたがまさにそのものだった。その技術、構成力はなかなかのもの。映像も使ったインスタレーションの青写真的な感じもするが、現実には不可能なものもデッサンなら可能で一層描かれた世界の基盤が揺らぐ。彫刻、インスタレーションではそうはいかない物の具体性と重力空間の現実にひきよせられるのでその分つまらない気がした。
推薦したいけどもう終わり。しかし私の周りで推薦した人がいなかったのは不思議。同じポンピドーセンターの何人かから話をきいた「ドイツ、1920年代」展は会期あと2週間=まだ行ってません。タチアナさんだけで疲れた(笑)

(部分)
(部分)

 インスタには違う写真も入っていますのでご参考に
 

 

ポンピドーセンターのこの展覧会サイトはこちらです

2022年8月16日火曜日

精神性と数寄者精神

この数年(?)「金継ぎ」がブーム になってヨーロッパでも金継ぎをする人やワークショップが開かれるようになった。私の参加したエルバ島のフェスティバルでも「金繕い」のアトリエがあった。「金繕い」も「金継ぎ」も同じだろうと思っていたが、ローマ字の"kintsukuroi"はちょっと違っているみたい。というのはkintsukuroiには「自分の過去の失敗などを隠すことなく、それを新たなものに変貌させ、新しい人生を築く」という哲学があるということで、、、私としては初耳、金継ぎ発祥の地日本を代表する私は同意を求められたが、「よく知らんけど〜」としか答えようもない(「金繕い」の先生と論議するほどの知識もないし、姑息にも穏便にことを図ろうと、、、😅) でもこのワークショップ、自分が大事にしていた陶器を持ち寄るのではなくて、用意されていた器を地面に落として割ることから始まるというのでかなりの違和感を感じた * 。 ごく常識的解釈では「金継ぎ」は「日本人のものを大切にする意識のあらわれ」で、日本のワークショップで器を割ることはないんでは?
 
結局は問題を克服するための心理的過程をアナロジーして心のしこりを解こうとする療法的ワークショップなのだ。なんでも「道」になってわかったようなわからないようになる日本特有の文化環境で育ち、そこで何も極めようともしなかった私は「そういう思想も奥にはあるのかも?」と自らの浅薄なる知識を疑ってしまうのだが、この例のように私の常識を逸脱した「日本文化解釈」に遭遇することは珍しくなく、私は西洋のスピリチュアル志向の人は「東洋」のものを拡大解釈しすぎだと疑っている。このワークショップの「kintsukuroiの思想」は検索したところ某スペイン人心理学者が普及せしめたようで、彼は「ワビサビ」の本も書いていて、副題が「不完全を認めるアート」となっていた。そうかもだが、やっ
ぱり変だ。
 
色々考えていたら「金」ではないが、「繕い」の器のことを思い出した。2004年にガーナでのレジデンスに行かせてもらった時(参考)、食器などに使われる大小様々の丸いアフリカの瓢箪に興味を持って街頭の瓢箪売りを色々みたが、同行の彫刻家のポール君は割れた瓢箪を紐でつなぎ合わせた「繕い瓢箪」に特に興味を持ち購入。造形的に面白いと思ったからだ。
そうそう、これですよ。通常の美から外れたところにある美を愛でる美的センス、ポール君はつまり「数寄者」なわけで、普通の人が思わない「変なもの」に美を発見する。安土桃山の茶人もそう、「わびさび」も「金継ぎ」も「ちょっとこれ面白くない?」という遊び心が素晴らしく、現代性がある所以だと思うのだが、kintsunagiの心的解釈だとこの「遊び心」は皆目なくなってしまい、「心理的問題克服」へのアプローチに換骨奪胎されてしまっているのではなかろうか? kintsukuroi講座で桎梏が解かれる人がいるようならそれはそれで良いのだが、日本の伝統文化とされると「?」。かつ日本が精神性のとても高い国だと思い込んでいる人も多いしな〜。(こちらの人が考える精神性と日本人の一般的自然観・死生観とのギャップか)
 
これは楽焼ワークショップ。楽の起源は中国だと言う人がいて一瞬汗。「日本です」:あっててよかった。陶器、子供の頃以来
 
これもスピリチュアル傾向の「迷路ワークショップ」:ギリシャ由来なので何を言ってもらっても異存はございません
 
私も精神性高くないのです😄 自分の「海水ドローイング」に関し「自然に仕事をしてもらってるようなもので 」と言っているので、スピリチュアルな脈略で解釈したがる人もいるのだが、純粋な南極の海水の方が地中海の汚染度の高い水よりきれいな結晶ができてなんてことは絶対言いませんし、事実そんなことはなく(温度湿度など色々なファクターに大きく影響されるので)、怒って描いてもいいデッサンができる時はできるし(注:こんな変なことを書くのは「水に優しい言葉をかけるときれいな結晶ができて、侮辱的な言葉を浴びせるとできないという某日本人学者の研究(?)を信じている人が多くて、、、。私としては世界の害にならない限り何を信じてもらっても結構なのだけど、自分の仕事の誤った解釈に同意を求められると閉口する)
 
これは初めての経験の海水ドローイングデモ。作品、他の写真はこちらを
 
私の結論:アートの道は数寄者の精神、ニラヴァナには至らないでしょう
(でも精神性で売ってる現代アーティストも沢山いますけどね)
 
時にはのんびり観光も。湧き水のある内陸部のRio Nell'Elba村にて
 
 
* 注:私「金継ぎ」やったことはなかったし、レジデンスの美術館で開かれるので参加するつもりでいたのだが、シエスタで熟睡、陶器をみんなで一斉に割っている音で目が覚めた:潜在的な行動不能か? これを治すための講座だったかもしれないのに傍観して終わりました(笑)


2022年8月11日木曜日

エルバ島知らずのエルバ島便り

 「エルバ島はどうでしたか?」ときかれると、7月21日以来3週間もいたもののどう答えていいやら困ってしまう。というのも私の今回の滞在は一ヶ所集中、ほぼ100%イタロー・ボラーノ美術館にいて、島のことあんまり知らなくて〜。島一番の観光名所のナポレオンの家も行かなかったし(美術館から近い別荘は散歩で行ったが休館日だった)、かつ車で連れて行ってもらうと自分で探して行くのと違って印象薄い気がする。かつ「連れて行ってもらったところ」もほとんどは「浜辺」だからなー。エルバ島はシシリア、サルジニアについでイタリア第三の広さの島、だから浜辺はいっぱいあって、子供の頃から島に来ている企画者のBさんも行ったことのない浜辺もざらにある(というか知らないビーチを開拓するよりお気に入りの浜辺にハマってしまうものだ)

では美術館のレジデンスはどうだったかというと、なんと言っても蚊と暑さに悩まされた(笑)。以上非常にネガティブに聞こえてしまうだろうが、いつもにましてなかなか良い作品が生まれたのは周りからのバックアップが良かったことの証。

ただのデモンストレーションでも秀作が生まれたし:パーフォーマンス中の写真もあるデッサンブログ見てください

ところで島(海岸)に住む人はどこでも日没が好きな気がする。

難しい話をしているとは思えないのに何もわからなかったな〜。やっぱり少し勉強しないと
岩盤海岸からの夕日

 

昨夜パリに戻ったのだが、バカンスのピークでお店は閉まってるし、一番の移動頼りのメトロ14番線も工事中だし、帰ってきたのを一瞬後悔。そんな中、今年は旬が早いのか「我が愛するミラベル」(参考投稿)はもう安くて美味しかった〜:これはエルバ島ではないからなー。それに我が地下アトリエは断然快適で、島の暑さを蓄えた肌だけが熱っている。

2022年8月4日木曜日

エルバ島便り

これが私の野外アトリエ。左に住居あり
 ナポレオンが追放されたエルバ島に来てはや2週間、水の貴重さをアピールする運動(?)をしているカップルのアクア・アート・アムールというフェスティバルに呼ばれ、それなら私は島の海水でドローイングすることにして早々と到着。滞在先はイタロー・ボラーノ Italo Bolanoというエルベ島出身で3年前亡くなったアーティストのオープンミュージアム(アトリエ、展示会場、彫刻の庭の複合体)というと聞こえはかっこいいが、彼が自分で建てたバラック小屋的建造物の複合体。ちょっと「ピカソっぽい表現主義(?)」のイタローさんの作品は島の街の壁画などになっており、分厚いカタログもあるし、ローカルな有名作家なのかなと思ったら先日留守番中にベニスの近くに住む夫婦が「作品を買いたい」と言って現れた! 館長(奥さん)が留守だから私の作品を見せたが、代わりにこれにするってことにはならなかったな〜(笑)*

その私の作品は泳いだ時の、浜辺近くなのに青・黄の柄の魚とか普通の(?)食卓に上がる感じの魚とか、いろいろな魚の泳いでいた水底の世界。思ったほど結晶が出てこないのはやっまり島の湿気のせいだろうか?(かなり濃くした海水で描いた1作は毎朝波打っているが昼間展示しているうちに平らになる)

先週金曜からフェスティバルが始まってパリから他のアーティストも来ているのだが他の人は家族連れのバカンスで、、、私は他所でも展示できる作品も作ろうなんて思っているのでいつものように孤独に過ごしています(笑)。私はほぼボランティア活動、有給はないし、もらえるはずのフランスの造形芸術基金からの援助金も全然届かないし、来る前に日本へのフライトも買ったしで「おバカンス」は他の人みたいにできないけど、実際外出する気も起きないほど暑い!!!


写真はfbで紹介したのでそちらをリンクします。

 
 
コンサート、アトリエなどのイベントの様子は

Italo Bolano (https://www.facebook.com/Fondazione-Italo-Bolano-ETS-109859354830398) と

のページをご参考に
 
こちら私の三部作
 
 

 私の野外制作テーブル

 

 *注:後で奥さんに聞いたら「買うのなら生前にしろー」と怒っていた。「絵を一枚や二枚売ったからって新しい美術館はたたないし」とのこと

 

エルバ島のローマ遺跡。ともかく暑くて日向恐怖症になりつつあります