2013年6月28日金曜日

怪人ベルナール・タピ

今フランスで大問題になっているベルナール・タピ Bernard Tapie (写真)と元国立銀行クリジ・リヨネの訴訟問題をいかに説明したらよいのだろう。タピは色々なことで活躍する人で政財界が錯綜し複雑、それに今までも大大事件を起こしていて、、、、経済にも法律にも疎い私がちゃんと扱える問題ではないのだが、以下私が理解し得たことを簡略化して、かつ今回の問題だけに絞り、時系列で書くことにする。

ベルナール・タピは、貧しい家に生まれ、学歴もなくのし上がった、フランスでは珍しいアメリカンドリームのような実業家。1980年代に破産企業を買って業績を良くして売るという大手腕で巨大な富を築いた。その頃業績不振だったスポーツ品メーカーのアディダスも買った。TVで見ていてもバイタリティーにあふれているのはわかるが、カリスマ性で人をたぶらかす(?)のが上手いようで、ミッテラン大統領に気に入られて92年都市大臣になった。大臣と企業経営職の両立は不可というミ大統領の要請でアディダスを当時国立銀行のクレジ・リヨネに売却を依頼したのだが、そのとき同銀行は約4億ユーロの差額をもうけた。話がそれるので深入りしないが、タピは自分のチームのマルセーユを勝たせるためのサッカー八百長事件を起こし、自己破産した(背任罪で監獄にも入った)。そこでタピはあのクレジ・リヨネのぼろ儲けは詐欺だと訴えを起こした。裁判15年にして紛糾している状況で、サルコジ大統領時代の財務省は突然3人の調停審査官に裁決を任せると決定、その結果はタピに損害賠償として約4億ユーロ(約400億円)を支払うという、以前の裁判では想像もできない優遇処置だった(2008年)。今問題になっているのはここ、何故「調停」になったか? 社会党だけれどブルジョワでインテリのミッテランは、多分タピのずけずけ意見を言う粗野なキャラクターが気に入っただろうと想像されるが、今度は同胞相通じるというか、サルコジ大統領と仲良しになっていて、政治判断で調整判定にさせたのではと疑われていた。これは「国家金横領集団詐欺」という言葉を聞くだけでもどえらい問題(国立銀行のお金だから)なのだが、去年からの調査結果、調停審査官にはタピ関係の人間が入っていて公正でないことがわかり、元財務省大臣補佐R氏、現IMF総裁の元財務大臣クリスティーヌ・ラ ガルド女史も警察署で事情聴衆され、今週はタピ氏の4日間にわたる異例の事情聴衆の末今晩「容疑者」となった。(すでにR氏と問題の審査官も「容疑者」である)

さて以上があらすじだが、これが検事の推察通りの犯罪であったとしたら、真犯人のサルコジの動機は??? 2007年の大統領選挙でタピはサルコジ支持を表明したが、見返りにそこまでするだろうか? 本当にタピはそれほど有権者に影響力があったのだろうか? 私にはかなり疑問なのだが、小人の私でも推測のつく「とっちゃん坊や」のオランド君と違って、昔から言うようにサルコジは私には何を考えているのか皆目検討のつかない手合いだから、、、

さて、私の生活と全く関係ないことを長々と書いたが、実は我がアトリエの近所に警察の財政犯罪課があって、こういう事件があるとにわかにTVの報道車、カメラマン達で賑わうのだ。そして私は「通りでタピ氏にばったり」ということはありません。精力旺盛に見えるけど70歳のタビ君、健康を理由にノートルダムの近くの病院の特別室でずーっと審問を受けていたのです。
 
関連記事:2015/12/30「新たな展開」

2013年6月21日金曜日

涙を出すマリア像の作り方

 Le Ciel m'a appris une des façons à fabriquer une statue de la Vierge qui pleure en larmes, parce qu'un de mes dessins l'a fait hier soir pour la première fois dans 4 années de son existence ! Cela doit être causé par le grand changement soudain de l’humidité et la température. Et maintenant il me semble qu'il se remit en état lentement. Ce n'est pas un miracle?
 
コート・ディボワール、バッサムの涙するマリア様

昨日娘の代わりに試験を受けたお母さんの話、これは意外に大罪で、娘は5年間いかなる国家試験、例えば自動車の免許も受けられなくなる可能性(罰則)があるそうで、、、まあ情状酌量になるとは思うが。

さて子を思う母親の代表のマリア様、彫刻になっても涙を流すという奇跡を世界中で起こしているが、昨晩私は天からその作り方(の一つ?)を授かった。

昨日の晩隣人から「台所からポツポツ水滴が落ちてくるがお前のところは大丈夫か?」尋ねられた。自慢でないが私の地下アトリエは水漏れ被害のメッカで、入居当時は毎年被害を繰り返し保険会社に匙を投げられたぐらい。すべて建築の工事・管理ミスが原因だったので、幸いにして対策が打たれてなくなったが、何かあると水は低いところに流れるからいつも怖いことには変わりない。
早速アトリエの壁を見回り、物置部屋に入ったらびっくり、壁にかけていた50センチ四方のキャンバスに紙を貼った、黒字に塩の結晶のストライプの塩のデッサン のストライプが消え、それどころかストライプのあったところから何本も水が垂れていいる。壁は別に湿っぽいこともなく普通なのだが、、、。その写真を掲載するかと今朝撮りに行ったら、垂れがほぼなくなり、うっすら白い線がまた現れてきているような気もする。
昨日の書いたように、この数日は雷雨で暑くて湿っぽい天気で、気象庁サイトを見ると湿度はしばしば95%近くに達している。つまり塩がどんどん空気中の水分を吸収したところに急に温度が下がって水を出した?
私の塩の絵(特に買ってもらった絵)にとってはゆゆしき一大事だが、「生き物」として楽しんでもらうことにして、、、(こんな美術作品なかなかないですよ〜、納屋の絵もどうなるか楽しみで、、、)

もうお分かりだと思うが、ここで秘伝「奇跡の像の作り方」:マリア様の眼の裏に塩を隠し入れておけば時々涙し、キリスト様の胸の傷の奥に塩と赤いピグメントがあれば血も流れ出るはず。

納屋の絵は4年前の作品で、こんなことは初めて。やっぱり奇跡ではないでしょうか?

2013年6月20日木曜日

アートってむずかしい・・・

日本からメールをもらった。

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2951399/10934796?utm_source=afpbb&utm_medium=detail&utm_campaign=must_read

ゴミもいっぱい出るわね。
しかし、これはアートに見えない!
ただのゴミの山!
凡人なのでね。


私はこれに

普通の人にはルーブルも蚤の市も同じようなはず。でもルーブルに置いてあると立派な作品だと思う。ゴミの山も有名な現代アーティストの作品ときけば立派な作品として報道される。がんばれ凡人!

と答えた。

何がアートで何がアートでないかを議論するのは難しい。寛容なる私は「作った本人がそう言っているなら仕方がないか」と思っているが、作った本人がそうは思わなくてもアートでありうるから複雑なのだしかし私の眼からも、一般の「現代美術」の眼からも、このゴミの山は「良いアート」ではない

先ず私の観点では:「3日間のゴミがこんなにあります」と見せるだけなら理科か社会科の説明展示にすぎない。それに想像ができるから、これには視覚的インパクトがなさすぎる。理解ができなくても(6/13 -16に連載の)私がピストレット氏の「古着のビーナス」に引かれるのは 、美しいと思おうが醜くかろうが、組み合わせの意外性から来るインパクトがある。古着の代わりにこのゴミの一部を使ったとしても、それは真似に過ぎないがもっと面白くなる。

次に「現代美術」の眼。業界の採点基準はもっと簡単で: 良いアートは「今までの美術で認められていた領域を少し破らねばならない」。つまり業界内の人にはだいたいのフロンティアが見えていて、それを一歩踏み越えるのが良い作品(それが美しいとか感動的とかは関係ない)。ゴミの山は何も越えていない。

坂田英三 海水デッサン
海水デッサン、見えますか?
ところで昨日、バカロレア(共通一次みないなもの)の英語の試験に52歳のお母さんが若っぽい化粧をして娘の代わりに受験、途中で前日に娘を見た監視人に見破られた!
現代美術的なの眼では、この行為の方がよっぽどアートしている。本人が確信犯(アートなのだと宣言すれば)お母さんは立派にアーティストになりうる()。

幸いにしてこのお母さんは現代アーティストでなくて、、、(よかった)。

どこの国でも、子を思う母の心は海よりも深し。出来の悪い子はなおさら。皆さん親孝行してあげてくださいね。(日本海溝の方が地中海よりずーっと深いし、、、)


2013年6月19日水曜日

雷雨は大敵

昨日に続き今日も雷雨模様で猛暑(といっても27〜8度)でやっと懸案の海水のテッサンを開始。そして雷雨があるから雨の絵もできる。というわけでまだ室温18°の地下のアトリエから暑い地上の入り口サロン?で制作開始したら居場所がなくなった。海水の結晶作りは静かに置いておいた方がきれいにできるのだ。先週の実験の結果では、大きなデッサンはなかなか乾かないから、そのまま夜になると翌日まで乾かず、その夜の線ができてしまう。その線をコントロールしてデッサンができるようになったらかなりの「技あり」だが、今はまだまだ。線を作らない自然なデッサンが目標だから、暑くなる前、つまり朝のうちに海水を紙にしみ込ませて1日で仕上げることにトライしたら、新たな敵、雷雨にやられた。はじめから湿気は多いし、急に温度が下がるしでやっぱり夜まで水たまりが残り、、、結局乾かないデッサンは動かすことも出来ないので、乾燥具合を見ながら違った実験をして二日仕事。その間に雨の絵も作り、頼まれた翻訳の仕事もして、もうお疲れです。
「今度は雷雨なき真夏日に早朝からしごとするぞ〜」と思うがでも天気予報ではまた涼しくなるのでいつになることやら)それに先日書いたように紙もあと数枚でお店から梨の礫、それ以上にストックの「葉山の海水」もなくなった! 先週デッサンの注文主の思い出の海の保養地に住んでいる「知り合いの知り合い」がいたことを思い出して、これは名案と直接の知り合いに金曜に電話し、ボトルに水を汲んで送ってもらうという変な依頼をしたのだが、さっきまた電話したら(これで3度目)「あれは言葉だけの仏人の典型だから当てにするな」と言われた。そうなら初めからそう言って欲しかった。結局二人とも信用できんわ! わざわざ行くの? ちょっと遠いのだけど、、、。
こんな読者には関心もないだろうことを何故書いているかというと、ブログにはメモ代わりの役目もあって、夏が終わってまた来年の夏に海水の絵をし始めたときはこれを見れば同じ失敗が避けられるだろうと思うからです。

2013年6月18日火曜日

セルビア文化会館のアウトサイダー展

Derniers jours : Exposition des oeuvres du Musée de l'Art Naïf et Marginal de  Jogodia, au Centre culturel de Serbie (en face du Beaubourg), jusqu'au 20 juin.

 

ヤゴディナJagodina /Јагодина)というベルグラードから100kmぐらい南東の都市の「ナイーヴ・マージナル美術館」 から来た作品が、ポンピドーセンターの正面にあるセルビア文化センターで展示中。ご覧のように国立文化会館らしからぬ展示だが、写真にもある特異な人物像を描くSava Sekulic と絵物語みたいなところがある Ilja Basicevic Bosiljの作品が特に面白かったので、何か書いた物はないかと聞いたら、薄いが写真が大きいきれいなカタログをくれた。「太っ腹だなー」と思ったら今月20日までで余っていた模様。

それによるとSavaは1902年生、Iljaは1895年生で、ともに60歳になってから絵を描きだした。当然二人ともとっくに鬼籍入りで、アウトサイダーアート(あるいはArt Brut)界では有名みたい(名前で画像検索したら色々絵が出てきます:例えば下の写真)。 どういう動機で描き始めたのか作家の人生を知りたい(アウトサイダーの場合はその辺が面白い)のだが、それに関しての記述はなし。共産国(旧ユーゴスラビア)ならではイニシャティブがあったのかもしれない。ほぼ期限切れニュースなのでこれまで。

展示作品でもある Sava Sekulic の「少女天使」

Ilja Basicevic Bosilj「マルコ王子と三頭のアラビア人」

2013年6月16日日曜日

第三のパラダイス 最終編

さて、第一の謎はこのトリプルリングだった。よく長々ともったもらしい説明がしてある昨今の展覧会に比べ、今回はひどく簡単な説明しかないのだが、それによると、第一リングは自然、第二は人工、そして第三のリングがその統合のしるしだそうで、過去と未来をつなぐという意味を含めているそうな。なんか新興宗教のようだが、そいうえば12月にアステカ暦で世界が滅亡するとかいう時に、ルーブルのピラミッドを中心にトリプルリングをみんなで輪になって携帯ランプで描くという企画があり、それを見て私は鼻で笑った覚えがある。ちなみにこれはルイ・ヴィトンがスポンサーで同社のサイトでビデオがある。
それ故に展覧会タイトルが「01年 地上のパラダイス」となるわけだ。このメインテーマのインスタレーションは何かというと、右写真の鏡のオベリスクを囲むトリプルリング。ピラミッドからオベリスクはわかるが、私の好きなポスターのクラナハのヴィーナスの臍との関係はやっぱりわからない。

宗教じみた作品では四大宗教の祈りの場に鏡を置いた設定の「審判の寺院」 。仏教は仏様が鏡に手を振れ、前回予告した鏡面対象の世界。ここでも仏さんに並んで鏡を触って写真をとっている人がいたが、イスラムの絨毯の上では子供がヨガのスタイルを組んでいた。というようにルーブルの中に変な来場者参加スペースが出来上がっていた。タイトルの「審判」は鏡で自らを眺め直せとの意味だと思うのだが、その重さなど空っきしない。この「軽さ、気楽さ」がピストレットさんの面白さではないかと思う。まあそれが私には物足らない点でもある。



全体ではやっぱりイタリア人だけあって、古い建物を利用するこつを心得ていると思う。携帯で撮った写真はブレ放題で紹介できなかった作品もあるが、展示が各館に散っていていて(全部で17作品)、見なかった物もある。
ですから先ずは案内オフィスで「ピストレット用パンフレット」をもらいましょう(言わないとでてきませんよ) 。9月2日まで

 最後の写真の青い箱は鏡で作った「1m立方体」、この中に光は反射し続けるべく永遠に閉じ込められたことになる。そして手前はそれを割って光が解き放たれたという、神話的テーマであろう作品(66年)で、近作の鏡面絵画に囲まれている。

ところで日本語で検索したら、作品写真付きで旅行会社の頁がでてきました。美術学校の学生がバイトしてるのかも。ご参考に




2013年6月15日土曜日

地上の楽園 読者を待ちながら

この新しいブログは毎日の詳しい統計が出てくるのだが、「第三のパラダイス」は第三章を書かなくてもいいぐらい人気がない。親切と思ってアルテ・ポーヴェラの説明をしすぎたからか? 

私はピストレットのファンというよりアルテ・ポーヴェラというグループのファンで、ピストレットはもう一つわからないのだけれど、名古屋のLギャラリーの小島さんは大ファンだし(対称性にこだわる人だから鏡に手を置く彫刻(次回紹介します)などが好きなのだと思うが)、友達のジャン・シャルル君はわざわざ教えを乞いにイタリアまでワークショップを受けに行ったぐらいで、十分私が好きになる土壌はあるのだ。かつポスターになっていたトリプル・リングの臍は明らかに私の好きなクラナハのビーナスのものうーむ、この仕掛けられた罠。読者を待ちつつ、もぞもぞビーナスと一緒にちょっと考えております。
(名前はかっこいいよね、セックス・ピストルズみたいで。ペノーネのなんかは「好きか」ときかれると、どんなパスタだったか?と悩んでしまうからな〜)

注あるいは訂正:ルーブルのサイトを見たら展覧会名は「第三のパラダイス」ではなく、「01年 地上のパラダイス」でした。

2013年6月14日金曜日

第三のパラダイス 前編

(前回からの続き)

アルテ・ポーヴェラ Arte Povera は直訳すると「貧しい芸術」。多分「貧しい」とは素材のことだろうか、木、石から生野菜、それに工業製品などを素材にした彫刻もどき(今で言うインスタレーション)を60年代に行った。確かに写真のビーナスのように、ピストレットのぼろ切れは「貧しい」が、ネオンや冷凍装置など、当時としては高価な加工費の素材もあるので「貧しい=安価」という意味ではなく、社会が邁進する物質文明に対する精神性を求めた運動であったとうのが一般的(正しい?)見解。

それはともかくこの運動は幾人もの大作家を生んだ。去年ショーモン城の記事で作品を褒めたヤニス・クネリス、ネオン付きのカマクラからワニの絵に変貌したマリオ・メルツ、これも去年のカッセルで触れたアリギエロ・ボエッティ、パイプに湿気を凍らせるジルベルト・ゾリオ、それから今週からヴェルサイユ宮殿で展示する(だから後日書くことになるだろう)ジュゼッペ・ペノーネなど。ボエッティはアフガニスタンでホテルを経営(!?)、ピストレットさんも一時引退、スキーのモニターをしていたとかで、この変な生き方も作品の非物質性指向(これが「精神性」との一般的解釈に繋がるのだが)と関係してそうだ。

ピストレットの非物質性の第一シリーズは「鏡」。鏡に人がプリントしてあり、絵の中と環境が混じり合ったり入れ替わったり。あまりに単純で今まで関心を引かれたことがなかったが、今やディスニーランドかと思い誤るほど雑踏するルーブル(お陰で館内でスリが多発とか。それを理由に警備員のストもあった。皆様気をつけて)では、鏡の世界の方がまともな世界に思えてくる(周りの観光客に比べて鏡のアルテ・ポーヴェラのメンバー3人には「美術の使徒」のような趣が)。鉄格子の向こうで掃除する若者の状況も当時より社会批判力が冴えてきている(ともに元々の制作年は62年)。ボロ布ビーナスも67年の作品で、新しい作品はルーブルの基礎建築を見せる地下に作ったビデオとネオンの作品。古い作品も新作もうまく場所で生きている。

しかしこの古着の山とビーナスは何なのだろう? 説明も読んだこともないが自分で納得のいく説明を考えだしたこともない。ポンピドーでも豊田市美術館でも壁に向かっていたが、今回は窓でバックが開かれて違う次元があってより良いと思った。かついつもは影になる顔や手が照らし出されて 、、、「何もぞもぞ探してるのー?」と横からビーナスに聞く私であった。


(というわけで謎の臍にはまだ到達しない。パラダイスは遠い=後日に続く)

注:「毎日のデッサン」を見て下さっている方はご存知のように、カメラが壊れたため、携帯で撮影しました。沢山撮ったけどひどいのが多くて、、、

2013年6月13日木曜日

第三のパラダイス - 予告編

先日書いたが私がのんびりしていたのは大きな塩のデッサンの新しいシリーズをフランス人コレクショナーに発注されたという、またとない僥倖に恵まれたたからだったが、バッドニュース(キャンセル?)の先行きはどうなるにせよ、ついに暑くなってきて塩のドローイングシーズンが到来した! 毎日のデッサンで紙がなくなってきていたので、去年の発注で問題が多かったが老舗画材店のスヌリエ(昨年8月記載「注文はしたけれど」)に先々週でかけた。店は混んでいたのだが珍しく親父さんがいて、話しかけたら注文をすぐに聞いてくれた。ラッキーと思っていたのだが数日前使ってみると、表面がいやにつるつるしていてインクのにじみも違う。紙の裏にいつもあるメーカー名の透かしもない。払い戻させようと思ったのだが領収書もなくしてしまった(もらった記憶もないような気がするが、これは私の老化現象の可能性もあり)。
まあだめもとで昨日店へ行ったら多少顔を覚えてくれているのか、中堅の店員さんは私の言葉を信じていてくれ、私が買う紙の棚に一枚残っていた(というか紛れ込んでいた)紙から私が違う紙を買ったことが判明した。あいにく私の欲しい白の紙がなくて再注文(商品交換払い)になったが、「老パトロン(店主)はしょうがないな〜」というのが店員さんと私との眼であった合意でした。

というわけで、気を良くしてセーヌ河岸のスヌリエから橋を渡ってルーブルへ 。実はイタリアの60年代のグループ、アルテ・ポーヴェラの一員ミケランジェロ・ピストレットが展示しているのだ。ルーブルの広場に入るとこんな変なポスターが張ってある。「結構行けてるじゃないピストレットおじさん!「(33年生)というわけで入りましたが、スヌリエのことを書きすぎたのでご報告は次回に。

ところで、注文の紙、画材スーパーみたいなところでも扱っていることがわかって、先日行ったら、見事その紙が半額バーゲン、在庫なしで大量注文したばかりなのだけれど、、、。かつ今日はポトポトと雨が降っていたので間違えて掴ませれた紙を使ってみたら、随分雨の絵のできが良い! 多分水分をいつもの紙より少し吸収しにくいのだ。 返品すべきかキープするか、どうしたらいいんだ?

2013年6月5日水曜日

私のSFドリーム

日本の友人が倒れて病院に見舞いに行った。寝たきりと思っていたのだが病室ではコンピューターを使って彼の知覚と意識を映像化して、コミュニケーションがとれる。彼は最先端技術の探偵なのだ。彼は手始めにシルエットアニメみたいなのを描いて私をびっくりさせていたのだが、どうも追っていた事件と関係しているらしい。先端技術に精通した女子校生を追っていた彼は、彼女が援助交際で知り合った某男性に惚れてしまい、男性に離婚をせがむが果たされない。そこで彼女は男性の奥さんの頭脳情報を自分の物と移し替えることにした。こうして彼女は男性と一緒に生活するという夢がかない、奥さんの方は若い身体を得て長生き(&生き直し)できるのでまんざらな条件ではなかった。かくしたことは法律では認められていないので調査官の彼の登場となるのだが、かくなる工作は捜査段階ではわからないながら、ハイテク天才少女をマークしていた。そしてある日切り断たされたチューブが散乱した部屋に潜入して彼女の計画が実行されたことに気づくのだが、その瞬間彼の意識は断ち切れ、病院で目覚める。

今朝こんな変な夢を見て、寝直したら寝すぎて頭が痛い。SF映画も見ないしSF小説も読まない私には珍しい種類の夢だ。
生まれて初めての大きなデッサンのシリーズの注文の話(この「現実の夢物語」のせいで最近ノンビリ生活をしていたのだが、、、)が危なくなったという、昨日入った最悪ニュースの所為か? あるいはこれが贅沢の最後と夕飯を食べ過ぎた所為か?

2013年6月4日火曜日

ゴムボートに乗る消費経済

救難ゴムボートに乗った宣伝バルーン
 Note pour les lecteurs francophones : Au numéro précédent de ce blog, j'écris brièvement de l'installation de Gianni Motti à Perrottin : les billets de $ suspendus. Comme il n'y a que ça dans les 3 salles, je l'ai trouvé « cool ».  Mais quand j'ai lu que le budget de l'exposition avait été consacré pour acheter ces billets ainsi pour critiquer la crise financière,  j'ai trouvé ça stupide ou même malsain de la part d’eux, surtout la galerie qui est en pleine dans les affaires d’art contemporain. Je trouve les travaux d'Arnaud plus judicieux et les présente ici comme un bon exercice de critique artistique vis-à-vis de  l'économie actuelle. 

  昨日の有名画廊の「バツバツバツ」を見るぐらいなら、アート・ラバーのドミニクとミシェル夫婦のパリ郊外モントルーユにあるボランティア展示スペース(?)APACCの方がよっぽど良い。今催されているのは "La vie après Duchamp"(デュシャン以降の人生)と題され、Mark Brusse(マルク・ブリュッス)、Daniel Nadaud(ダニエル・ナド)、Arnaud Cohen(アルノ・コーエン)の世代、アプローチの異なる3人アーティストの、マルセル・デュシャンのレディ・メイドを継承する作品を展示している。
上の写真の奥の彫刻
何故この展覧会と XXX を引き合いに出したかというと、コーエンさんの作品が巧みに現在経済への批判を「モノ」を使ってビジュツ化しているからだ。 解釈は皆様各自に任せますが、僕らでも見つけられる物をこんな風に組み合わせて、、、というのはただドル紙幣を見せられるよりよっぽど楽しいでしょ?
この人は、自分の家の建築現場を史跡のようにガイドするビデオとか、「簡単アート」ができる面白い人だ。(今月18〜23日渋谷で Dialy of Thief というグループ展があるそうです)

ナドさんは古い道具などを組み合わせて新たな詩的な道具を造り、ブリュッスさんはいつものように審美性を無視したような意味深げで不可解な「物」を展示。

仏語が読める方はキューレーターClaude Guibertさんのブログをご参照ください

2013年6月3日月曜日

先週見たマレ地区の展覧会

先週、突然3年前に韓国の自然アート・フェスティバルで会ったオーストリア人のD君が来たので、「アーティスト向け観光」:一緒に久しぶりにマレ地区の画廊を回った。
推薦はThaddaeus Ropac画廊のトニー・クラッグ。昨年ルーブルでも展示したときはかなり苦言を吐いているが(2012年2月8日と13日。特に8日の講演会報告には略歴もありますのでご参考を)、私の大好きな作家 (但し無条件に「喝采」ということはあり得ないので苦言も吐くのです)。

ルーブルに合わせた同画廊の展覧会も気に入らなかったが、今回は彫刻中心で2フロアー使い、充実している。ルーブルの展示の「個展彫刻との対話」より、幼稚な私には昔の怪獣映画の「XX星人」のように見える、地球の重力を無視したような彼自身の彫刻間の対話の方が面白いと思う。(6月15日まで)

D君も満足してくれて、これで打ち止めにしましたが、その前に見たもので記憶に残ったのは(決して推薦しませんが):

Perrottin画廊のGianni Motti:1ドル紙幣がぶら下げてあるだけでどうということもないが、3展示室すべてこれだったのは「潔い」と言おうか、、、? (と思ったら説明書きによると、「金融経済危機を批判すべく、制作費すべてが紙幣になった」そうです。こんなこと恥ずかしくもなく書けるのは彼も画廊も「現代アート経済」にとっぷりつかってるからではないかな〜。持ち出ししているような売れないアーティストの行為は彼らにとっては何なんだろう? もうXXXですよ)
それからKarsten画廊では「寄せ集め」という感じのルイーズ・ブルジョワ展。クッションのトーテムだけは変わった感触(眼で触るだけだが)で面白かった(触るどころか白線から入れません)