http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2951399/10934796?utm_source=afpbb&utm_medium=detail&utm_campaign=must_read
ゴミもいっぱい出るわね。
しかし、これはアートに見えない!
ただのゴミの山!
凡人なのでね。
私はこれに
普通の人にはルーブルも蚤の市も同じようなはず。でもルーブルに置いてあると立派な作品だと思う。ゴミの山も有名な現代アーティストの作品ときけば立派な作品として報道される。がんばれ凡人!
と答えた。
何がアートで何がアートでないかを議論するのは難しい。寛容なる私は「作った本人がそう言っているなら仕方がないか」と思っているが、作った本人がそうは思わなくてもアートでありうるから複雑なのだ*。しかし私の眼からも、一般の「現代美術」の眼からも、このゴミの山は「良いアート」ではない。
先ず私の観点では:「3日間のゴミがこんなにあります」と見せるだけなら理科か社会科の説明展示にすぎない。それに想像ができるから、これには視覚的インパクトがなさすぎる。理解ができなくても(6/13 -16に連載の)私がピストレット氏の「古着のビーナス」に引かれるのは 、美しいと思おうが醜くかろうが、組み合わせの意外性から来るインパクトがある。古着の代わりにこのゴミの一部を使ったとしても、それは真似に過ぎないがもっと面白くなる。
次に「現代美術」の眼。業界の採点基準はもっと簡単で: 良いアートは「今までの美術で認められていた領域を少し破らねばならない」。つまり業界内の人にはだいたいのフロンティアが見えていて、それを一歩踏み越えるのが良い作品(それが美しいとか感動的とかは関係ない)。ゴミの山は何も越えていない。
海水デッサン、見えますか? |
現代美術的なの眼では、この行為の方がよっぽどアートしている。本人が確信犯(アートなのだと宣言すれば)お母さんは立派にアーティストになりうる(*)。
幸いにしてこのお母さんは現代アーティストでなくて、、、(よかった)。
どこの国でも、子を思う母の心は海よりも深し。出来の悪い子はなおさら。皆さん親孝行してあげてくださいね。(日本海溝の方が地中海よりずーっと深いし、、、)
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