2025年8月1日金曜日

岡本太郎とパリの切っても切れない関係

大阪万博は今がたけなわだろうか?:私はそうした情報には全く疎いだが(=全然興味なし😅)、パリではごく小さなものだが72年の大阪万博の太陽の塔を巡る岡本太郎(1911-1996)に関する展覧会が、主に所謂原始的な民族的アートを展示するケ・ブランリ博物館 (Musée du quai Branly) での開催されている。

日本では誰もが知る岡本太郎(この投稿で「へーえ」と思ったら詳しくはウィキを参照ください)だが、パリでその名を知る人は??? 

彼は1930年にパリにやってきて1940年に日本に戻った。その間にシューレリアリズム、抽象というヨーロッパの前衛芸術の洗礼を受けるのだが、私がこの展覧会を見てびっくりしたのは、彼が1938-39年フランスの人類学の父と言われるマルセル・モース Marcel Mauss(1872-1950)(ウィキ学び、日本に戻ってから伝承民族芸能の写真や映像を撮っており、万博に際しても太陽の塔の建設だけでなく、現在の民俗学博物館の土台となるレプリカの展示オブジェの選択をパリの人類博物館へ行って直接行うほど加担していたという事実だった。そのパリの人類博物館は1938年開館され、彼がモース氏から教えを受けたところだった。

上の写真は模型で、太陽の目から出る光がウルトラマンみたい
この辺のことが特に会場で上映されているJean Rouch監督が東京の青山のアトリエを訪れインタビューする映画(1974)で描かれており、これは必見!!! これだけでも展覧会に行く価値がある。また岡本がパリ滞在から30余年経っているのにフランス語が上手なのにびっくり。やっぱり20歳前に行っただけのことはある(自分への言い訳😅) 

岡本太郎は宣伝に登場したりマスコミで奇怪な表情と言動でキャラクターにしたてられたりして胡散臭い存在で、フランスでのダリの存在と似ている(参考投稿)と思っていたが、二人とも天才的だったことは認めざる得ない。 

ところで私は72年の万博の頃安保闘争の火がまだ燻っていた名古屋の高校生で、学校による万博遠足(?)に反対し(お上のすることにはなんでも反対だった)、でも結局はおそらく多数決で遠足は催され(??)、行ってみたらプリミティブアートのレプリカに感動し、かつ西洋近代の名画、例えば私の記憶ではムンクの「思春期」も来ていて(???:上記ハテナマークのすべて記憶は甚だ曖昧😅)衝撃を受けて、その後家族をけしかけてまた行ったほど180度意見転換、、、あれ以来教条主義を捨てて全くもって軟弱になってしまったような気がするが、、、(笑) 
 
岡本太郎が撮影した東北の鹿踊り
 まあともかくこの展覧会は
ケ・ブランリ博物館の常設会場の一角の小さなものだから、万博あるいは岡本太郎研究家以外にはわざわざ行きなさいとは言いにくいが、行ったらJean Rouchのドキュメンタリは必見です。
 
 
9月7日まで
 
いま博物館サイトを見たら8月の木曜日の夜間:晩6時から10時までは無料らしいので常設展を知ってる方はこの間に行ってください(笑)
 

 

パリの人類博物館にかつてより収蔵されていた縄文の偶像
 参考

この展覧会についての ケ・ブランリ博物館 Musée du quai Branlyのサイト

https://www.quaibranly.fr/fr/expositions-evenements/au-musee/expositions/details-de-levenement/e/taroo-okamoto

 

2 件のコメント:

  1. このレビューはフランス語でも読めますか?フランス人の友達に送りたいのですが。

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    1. この投稿はフランス語のコメントは書いていません。フランス人に方には情報的にはリンクの博物館サイトで十分でしょうけど、Jean Roucの映画をちゃんと見るように教えてあげてください😅

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