2020年10月26日月曜日

日本時間のパリと牛時間の私

私のアトリエの大きなスペースは地下で、文字通りの地下生活者(?)なので暗い冬は日光を求めて日当たりの良いカフェに行く。今日は晴天だったので4時ごろ出かけたのだがコーヒーを飲み終えもしないうちに太陽がビルの影に隠れ日陰になってしまった。そうそう、昨日から冬時間になったので午後の4時は先週までの5時。もう日も暮れる。あーあ。とは言え朝起きた時暗いと起き上がる気がしないので、私は冬時間派。

夏時間・冬時間が変わる日には「牧畜農家では牛はすぐには順応しないからミルクの生産が、、、」なんて平和なニュースを飽きもせず流すものなのだが、今回は「万聖節の秋休み」に入る直前に地理・歴史の先生がマホメットの風刺画を授業で取り上げたからが故に学校前でまさに家畜を殺すが如く喉をかき切られて斬首され、一方同時にコロナの患者数が急増して夜9時以降は外出禁止(全国ではないが国民の2/3が対象となっている)となり、当然牛の体内時計どころではないのだ。

真面目な人はこんな時代にこんなことしてていいのかと言うだろうなー
外出禁止の方は、人が集まらないようにするつもりが前倒しでカフェ・バーが混み合い、8時半すぎにメトロが終電のように混み合うようになったのでもっと厳しく、例えば夜7時からにするとかいう「噂」に関するあれやこれやがもっぱら。明らかにこれは政府筋がマスコミに流して「地ならし」をしている(だからおそらくそうなるだろう。いやもっと厳しいかも:土日禁足とかも流れている)。7時までとなるとフランス勤労者も日本のサラリーマンの如く5時過ぎに飲み始め6時にはほろ酔い加減(笑)? ちょうど冬時間で今の7時は今までの8時でフランス人の体内時計ではお腹が空く時間となってくるので、家に帰ってテレビニュースでも見ながらご飯食べて寝なさいとのお達しを出すタイミングではある(変化に耐えやすい)。日本の生活パターンが推奨されたかのようなだが、まあそんなに簡単に問屋が卸すとは思えない(何がどの程度感染に寄与しているか明らかでないし)。でも今回は秋になって「感染者数は増えても死者数は春ほど増えていないから」と私は軽く見ていたので反省、もう何も申しません(といっても何も言ってませんでしたが)。

もう7時、私の体内時計は「牛の如し」で夕食モードを告げている。でも1時間我慢して〜、てしない方がいいのかな? 結局人間でも牛でも体内時計って習慣、つまり文化の産物なのか?

前回書いた体内時計なき「牛乳パック牛」の頭は近所のパン屋の協力もあり、できあがりました。展示会飾り付け担当者のプランニングでは私のドローイングの前に赤いピアノが置かれる。「弾けるからいいや」と黙認していたのがそのピアノは人間の動作を感知して音を出す仕組みだそうで、、、これで歌うのは大変そうなので人の預かり品のギターを持ち出した。だが「戒厳令」* が7時になってしまうと展覧会のオープニングは? 私のショーは????

注 * Couvre-feu 文字通りには火・灯を消すで、私はきな臭い状況で布かれるものことと思っていたのだが、こんな状況で使われようとは、、、。もちろんドンパチする状況でなくて幸いなのだけど、マクロンはコロナ対策も「戦争」にしていたが、これも同じく過剰表現。3月の外出禁止令はconfinementという言葉だったが、部分的confinementとか時間制confinementとか言葉は色々あっただろうに。これに比べまさに言葉を絶する教師惨殺の方は何も書きませんが、表現の自由と宗教などエイゾウの手に負える相手ではないとご了承ください(私がどちらにつくかは明らかですが)

動く絵はこちら

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