昼間も零度前後の厳しい寒さがやっと終わって昨日は青空、これはブーローニュの森への散歩日和と重い腰をあげ、、、でも実は散歩が目的ではなくてルイ・ヴィトン財団のマーク・ロスコ Mark Rothko の大回顧展へ。この展覧会も人気なので、寒い日に外で待たされたらたまらんですから(一応予約制だが普通は外で列がある。私は最寄りの地下鉄からヴェリブに乗ったらところ早く着いたので予約時間3時の待ちの列に並んだが、2時半予約で20分以上遅れてきた人の方が即座に入れてもらえる「遅刻者勝ち!」のフランス的システム。寒かろうが寒くなかろうがまだ4月2日までやってますので、ご参考に)
さて、前回の投稿の大人気のニコラ・ド・スタール同様、こちらも「見なかったら画家の片隅にもおけない」と非難されそうな雰囲気😅 初の大回顧展のド・スタールと違って、10月に始まったこのロスコ展、「すぐに!」という気にならなかった大きな理由は、「この間近代美術館で回顧展あったばかりじゃないか」という印象を強く持っていたので。だが調べてみたらそれは1999年のことだった!この時間感覚やばいです!
シュール時代の作品1946 |
というわけで四半世紀も前のことだから記憶は定かではないが(笑)、近美に比べて今回のルイ・ヴィトン財団の方がスペースは広々、かつ光を落とした空間に一つ一つの絵がスポットで浮き上がるように展示されていて、彼の到達した四角の絵の神秘性、特に晩年の暗い絵のそれを深める効果は満点すぎるほど満点だった(後述参考)。(ロスコは最晩年の礼拝堂とかそういうセットアップを全て彼自身が指定していたそうだから、それを尊重しているだろう)
それに初期の具象的な絵やシュールレアリズム時代の絵(これがなかなか良い)も充実していて最初ですでに大満足😄
展覧会を見つつ特に感じたことには、観客の多くが幸せそうな顔をしている。ロスコの絵は心を和ませるのか?→フランスでよく言うbien-être(ウエルビーイング?)の効果あり?
何度も何度も色を重ね、タイトルが「黄土の上の赤」でも「一色とは言えない一色」の大きな平面は視覚、つまりは知覚にやさしくゆらぎを醸し出す。
境界のぼんやりとした淡い四角から人は内側と外側、こちらと向こうへの旅に誘われる。
もちろんそこには窓を通した空と原っぱ、地平線、つまり風景の原型を感じさせる。
「美とは何か」というのは芸術の永遠の問題なのに、彼は絵の色彩とかコンポジションのどうこうを超えた「美のアーキタイプ *」を発見したように思えてならない。彼が行き着いた四角は理屈なしに多くの人にとって精神性・宗教性を感じられる体験型の絵なのだ。彼はそれを目指していたのだから大成功!
(*注:archetypeはユングの用語。 集合的無意識の領域にあって、神話・伝説・夢などに、時代や地域を超えて繰り返し類似する像・象徴などを表出する心的構造。 祖型)
細部 |
注:つまり私は某作家さんのように超感受性があるのではなくただの怖がりだろうですので誤解のないように。
それからこれってかなり褒めた投稿だったのですが意図伝わったかな〜?疑問😅
参考
ロスコに関する美術解説はこの記事でも。掲載された初期の絵の多くも展覧会にありました:https://www.artpedia.asia/mark-rothko/
ヴィトン財団 (Fondation Louis Vuitton) のロスコ展サイト:https://www.fondationlouisvuitton.fr/fr/evenements/mark-rothko 4月2日まで
インスタほぼ同じ写真ですが
ヴィトン財団ともなると予告編まであって、会場の広々とした雰囲気はわかってもらえるでしょう。
ヴィトン財団ってフランク・ゲーリー建築のこれですよ。
薄汚れてきた気もするけど冬空のせいかなー? 開館当時の写真は次の過去投稿をご参考に
個人的にはこちらの方が私は幸せになります😁
(注:写真の絵のチョイスは皆さんを納得させようというのでなく、ネットで簡単に転載できたからです)
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