2018年2月10日土曜日

私は昔ダダだった ♪

ラウル・ハウスマン Raoul Hausmannはベルリン・ダダの中心人物。
ダダはご承知の様に反体制というか反既存の(例えば表現主義にも飽き飽きしていた)、今で言うパーフォーマンスの視聴覚のトータルアートを生み出した極めて急進的芸術運動。チューリッヒで1916年に始まりヨーロッパの各地に飛び火したので上で「ベルリン・ダダ」と断ったのだが、彼の展覧会が写真の美術館のジュ・ドゥ・ポム Jeu de Paume 美術館で始まった。例の有名な辛辣なメッセージ性のある写真や文字のコラージュ(フォトモンタージュ)だと思って行ったら(どんな作品だったかなーという方はこのページでもご参考に)、それは一部にすぎず、こんな砂浜の写真とか。。。

これは1927年から行くようになったヴァカンス先のドイツ・デンマークの国境のSylt島で撮られたものだが、ここでは風景といっても草木や石、それに浜辺に打ち寄せる海水の泡とか、何でもないものの素材感と一瞬の過渡性、例えば砂粒が風で動くの見えるようなミクロな触覚を感じさせ、何と官能的なことか。
それもそのはず? この島には妻のHedwig Mankiewitzと1907年生まれのロシア人の若き愛人Vera Broïdoの「三人所帯」で来ていて、浜辺で二人のヌードも撮っているが、ヌードもその中でオブジェ化されたり、接写でミクロな感触を喚起させる繊細な写真だ。もう何でも打ち壊すようなダダ表現とは全然違うように思えるのだが、一貫するのはある種の動き、瞬間性へのこだわりか。ちなみに写真展は「動きの視線」と題されている。
実は若きヴェラさんはロシア革命の少数派となるメンシュヴィキのリーダーの一人を母に持ち、シベリアの収容所育ちで、某美術研究家によると、その彼女の裸体を激写すること自体が「反イデオロギーの証」だそうだが、、、私は笑っちゃうけど、現代美術ファンでは「なるほど」と感心する人もいるのかも。

三人所帯のお二人、お尻がそっくり!
それは兎も角、私がこの風景写真が非常に気に入ったのは、海水デッサンの所為で「島好き」になっているのがきっと関係しているだろう。

ベルリン・ダダは1918年に結成され活発に活動していたのは数年に過ぎず、1930年以降はほぼ写真一筋になる。しかしこんなバルト海の島で写真を撮っていたのも僅かで、ナチの台頭にドイツを追われ、33年にカタロニアのイビザ島に逃れ、この島の住居の写真が今回の展覧会の最終パートだが、そこにもフランコ軍が到来、スイスに移るが共産党のスパイとして追放され、その後は(米亡命が許可されず)戦争に追われながらのフランスで暮らし、、、結局はリモージュで71年に亡くなるという大変な一生で、彼の作品の大部分はナチスに破壊されるか亡命中に散逸し、先の「ダダ以後」の写真は70年代後半になってベルリンの娘のアパートから発見された「忘れられた作品」だった。

ラウル・ハウスマンと言えばダダ、当然上にリンクしたページもウィキも彼のことはダダどまり。

ダダだと思って来た人のために(?)ハウスマンほか作家たちがベルリン・ダダの想い出を語る長編インタビュービデオがあり面白い。でも英または仏語要

最後の写真はヴェラさん。これが元で先日書いた「黄金の雨」のダイアナにされたコラージュがあったのだが写真撮影失敗。
結局今日の写真はすべてネットでのリンクで掲載で。


参考:
ジュ・ドゥ・ポム美術館のサイト
5月20日まで。ワンフロアだけの比較的小さな展覧会です

0 件のコメント:

コメントを投稿