2022年7月11日月曜日

アーティストにはドラマがなければ (=現代アートの必要条件?)

その一:いつも私に貶されるカルチエ財団の展覧会だが、期待しないで行ったからか今回はそんなに悪くなかった。会場にどーっと幅3m〜5mの大きな絵が並んでいてダミアン・ハーストの時みたいな趣だが、ちょっと風景を喚起させるとも思われる大きなモチーフの抽象画でずーっとスカッとしている。
 
 
作家の名は寿限無寿限無、マダディンキン アーシー・ジュウォンダ・サリー・ガボリ(Mirdidingkingathi Juwarnda Sally Gabori)。聞いたことあります? オーストラリアの現住民アボリジニのアーティストで、2015年に亡くなっていてこれは回顧展。そしてなんと彼女が絵を描き出したのは2005年、80歳になってからで、その9年間の間に2000点を超える作品を描いた! 特有の構成力はあるが、技術的には大したこともなく、アール・ブリュットの類だろうと一瞥して思いつつ、もらったパンフを紐解くと:
彼女はオーストラリア北部のWellesley諸島のベンティンク島に1924年生まれ。45〜47年に相次ぐ自然災害で島に飲料水(井戸?)がなくなり48年に近くの大きな島のモーニントン島の宣教施設に避難させられ、その強制移住が数十年続く(オーストラリア政府は先住民族の権利を長年無視していたから)。同じ種族の夫を持ち11人の子供をもうけたが、2005年、老人ホームに住んでいた彼女は80歳にてアートセンターのアトリエに行き絵筆をとったのだがそこで開眼、その年から画廊で個展、あれよあれよ有名になり2007年にはメルボルンでも個展、13年にはヴェネチアビエンナーレ、ロンドンのロイヤルアカデミーでの展覧会にも出品と、なんかわけわからん夢物語😮
彼女の絵はやはり戻ることのできなくなった生まれ故郷の風景や生活、伝説が元になっているそうで、同族の人にはそれがわかるとか。
 
 


この一番アボリジ的作品は他の島民作家との共同作。他のは簡単すぎて子供の模写には〜
 
 
その二:画廊の地下に入るとフェルト地に拡大プリントした子供の絵が吊るしてある:戦争の悲惨と鳥や花の夢? 地上階のドキュメントはそう言うことだったのか! 元い:
パリの旧ユーゴスラビア(現コソボ)に生まれたペトリット・ハリラジ Petrit Halilajは、1991年から2001年にかけてのユーゴスラビア戦争中13歳のときに家族とともに国を離れてアルバニアの難民キャンプへ。そこでイタリアの心理学者たちが、子供たちの戦争のトラウマを癒すためにサインペンで絵を描かせたのだが、彼は自分の戦争体験を見事に絵にした。彼の絵は医者たちの目を惹き、戦争の悲惨さを訴えるメディアとして国連総長のコフィ・アナンも注目した。
その後ミランの美術学校で勉強し、2015年にはヴェネチアビエンナーレのコソボ館の代表アーティスト、その後現代アーティストとして世界中で活躍しているみたいです(知らなんだ〜:でも見たことあるかも(笑))。
 
 
上の難民たちが兵隊の奥に吊るされています
コフィ・アナンに絵を見せている13歳のハリラジ少年(1999)

こういう人生のドラマのあるアーティストは強いよな〜:世界はそれを求めているので。
またいつもの僻み(?)を言わせてもらうと:原住民キャンプ、難民キャンプの中で絵の才能で注目されるのってそれほどの競争率でないんじゃない?だから2人ともそういう意味では運よかったと思うな(笑)。もちろん私は有名アーティストになるよりのんびり平和に暮らせた人生に感謝しておりますので誤解のないように
正直言うと私はこの程度の芸術的才能はいくらでもあると思うのでちょっと作られた感じがするのだけど、どうでしょうか? 何れにせよ総合評価でお二人ともギリCleared😁
 
友達からカルチエ財団の展覧会のこときかれて「行ってもいいんじゃない。でっかいのがバンバンであなた好きかも。まあ15分もあれば見られるけど」 と言ったら、「一般の入場料15€だよ。15分のために!」とのお答え=稼ぎ人なのに(だから?)しっかりしてる。それもそうだ、美術館行った方がお得です。その点画廊は入場無料、なぜ人があまり行かないか不思議。
 
 
カルチエ財団は始まったばかりで11月2日まで続きます:同展覧会ページ

Petrit Halilajはkamel mennour画廊にて7月23日まで→画廊サイト(写真もいっぱい)
 
 
こちらは最近作った私の美術巡り写真ページです。ビデオがあるのでインスタレーションの様子がわかりやすいでしょう 

 

注:二人の名前、カタカナにしましたが本当にはどう発音するのか知りませんのでよろしく

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